アニメキャラは辞められない

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梗 概

アニメキャラは辞められない

『技がガチャの能力しか使えなくなった件』の撮影を終えたアルハ(1)は、俳優を辞めたいと思っていた。
『リフジンガチャデスゲーム』の撮影を終えたアルハ(2)は、とある人物との再会を願っていた。
『日常にガチャの能力はいらない』の撮影を終えたアルハ(3)は、ある悲劇を遂行しようとしていた。
『コンビニ強盗を一般人が撃退なう』の撮影を終える前に現場を後にしたアルハ(2)は、アニメキャラは辞められないと自覚した。

俳優のアルハ(2)は撮影(『技が~』だと思わせる)を終えて現場を後にした。
翌日、連休を利用して謎の世界、未開の地へ行く。そこで1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力で謎の女性を目撃するが逃げられてしまう。

アルハ(2)は『リフジンガチャデスゲーム』の撮影を終えて現場を後にした。
翌日、未開の地へ行き、逃げる謎の女性、円蘭えんらんに能力で追い付く。
円蘭はアルハの職業が俳優だと当てると、アルハは「俳優を辞めたい」と明かす。だが撮影開始時間が近付くと現場に戻りたくなる衝動が襲い辞められずにいた。すると円蘭は「辞めさせてやる」と言う。
とある世界線の現実世界が消滅した際、リアルはアニメに移行し様々なアニメ世界が誕生した。だがアニメの撮影関係者がリアルを無意識に独占し、多くのアニメ世界は不完全なリアルに。円蘭はリアルを独占しているアニメを打ち切りにして、様々なアニメ世界を完全なリアルにする仕事をしていた。そしてこの未開の地はアニメ世界同士を繋ぐCMチェインマップで、ここに来れるアルハは俳優ではなくリアルを持つアニメキャラだった。

アルハ(2)は撮影(『日常に~』だと思わせる)を終えて現場を後にした。
翌日、CMへ行き、円蘭と共に撮影開始時間を待った。すると現場に戻りたくなる衝動がアルハを襲う。アルハは円蘭の協力と能力でそれを抑える。だが突如アルハに過去の記憶が蘇る。
過去、アルハ(2)は『技がガチャの能力しか使えなくなった件』の撮影を最後にアニメキャラを辞めた自分(1)と対面した。だがアルハ(2)はそいつ(1)を殺し、リアルを奪うと我に返り逃げ去った。
その記憶が蘇ったアルハは、現場に戻りたくなる衝動の正体が、新たに作画される自分(3)に殺される恐怖だと気付く。そして撮影開始時間が過ぎる。

数日後、アルハ(2)の前に『日常にガチャの能力はいらない』の撮影を終えたワラレルの自分(3)が姿を現す。
アニメキャラ(a)が撮影開始時間までに現場に戻らない時、中割りによってワラレル割られるの自分(a+1)が作画される。そしてそいつ(a+1)はリアルを奪いに辞めた自分(a)を殺しに来る。だがそいつ(a+1)が辞めた自分(a)より先に死亡した場合、新たな中割りは作画されず、完全にアニメキャラを辞められる。更にアニメも打ち切りになる。
アルハは円蘭の協力と能力を駆使して死闘を制し、アニメキャラを辞める。

後日、アルハ(2)が能力で強盗を撃退して事件現場を後にすると『コンビニ強盗を一般人が撃退なう』という報道が流れる。アルハは本質的にはアニメキャラは辞められないと自覚した。

文字数:1291

内容に関するアピール

課題には「1.冒頭の4つの掌編」「2.各章で変わる能力」「3.シーンの切れ目自体がテーマ」の3つで応えました。ある意味一番課題に応えています。

掌編は4×1000字程度の予定ですが、この小説はそこが成功しているかどうかでほぼ決します。逆にいえばそこにはそれだけの引力があります。最初の3作は皆別人だったという驚きを与え、最後の1作は物語ですらなかったというオチを与えます。
各章の能力は1週間経たないと変えられないのが割と厳しい制約ですが、それに加えて必ず全掌編と全章で能力を物語に効果的に使います。

人間やAIには撮影裏があり、アニメキャラには撮影裏がありません。俳優の途中交代はあまりなく、声優の途中交代や作画の変化はよくあります。深いところではVTuberには中の人の交代や掛け持ちの概念がありません。
そんなアニメキャラの置かれた立ち位置を上手く利用して、面白おかしく撮影裏のアニメ世界を描写します。

文字数:400

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アニメキャラは辞められない

 [武帝]

『技や魔法がガチャで引き当てたもの一つだけしか使えない件』
 ここは剣と魔法のファンタジー世界。
 そんな世界の中にある至極普通の街、その一角で今とある会議が行われていた。議題は「技や魔法がガチャで引き当てたもの一つだけしか使えない件」というもの。そしてその大問題に解決の兆しは全く見えていなかった。
 一体何が起こったのかといえば、人々が今まで鍛錬を積み重ねて取得してきた技や魔法が急に使えなくなり、代わりに1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力だけが使えるようになったのだ。その現象はパンデミック的な広がりを見せ、今では街の皆がその症状を発症している。それどころか、もしかしたら世界中の皆がその症状に見舞われているかもしれない。
 その意味では皆平等の発症ともいえるが、不利益の大きさには個人差があり、最も打撃を受けたのは戦いで生計を立てていた者達だった。そうはいっても世間は厳しく、特別な補償には期待できないのが現状だった。
 街で暮らしているアルハもそんな打撃を受けた者の1人だった。彼は仲間のロンやリウと組んで、色々な危ない仕事をこなして日々を繋いでいた。
 そして今、3人はとある隧道の前にいた。
「ねえ、中が暗くて先に進めないんだけど」
「しょうがねぇ。今回の俺の能力、〈エジソン〉を使うか」
 アルハの懸念を払拭したのはリウだった。彼の持つその能力は光……ではなく炎を出すことができるもの。内部を照らすには心許ないが、他の技や魔法が使えない以上は仕方がない。
 リウは能力を発動させて、その炎の灯りを頼りに3人が隧道の奥へと進んでいくと、今回の依頼内容が姿を現す。隧道の中に突如壁が立ち塞がった。壁の正体は隧道に挟まったモノリスという魔物だった。
「念のため確認だけど、これって別に勇者を足止めさせるイベントとかじゃないんだよね」
「うーん……さすがに違うと思うよ」
 アルハから確認を取ったロンは納得した様子で能力を行使。モノリスに対して相手の防御力を下げる〈エリーゼ〉を発動させた。その効果の通りに目の前の壁は次第に硬質さを失っていく。やがて発動を完了させると彼女は「あとは任せた」とアルハに最後の仕事を託す。
 そうして最後を任されたアルハの能力は自身の攻撃力を上げる〈武帝ぶてい〉。ちなみに自身のステータスを上げる能力の多くは、基本的に常時発動している状態だ。アルハは剣を掲げてそれを壁目掛けて一気に振り下ろすと、モノリスは粉々に破壊された。
 今回の依頼も少ない能力の中で無事に遂行することができた。といってもこれは能力を見て依頼を振り分けているギルドの優れた仕事捌きによるところが大きい。
 それでも解決は解決。3人はそれを報告するために街へと引き返していった。
 ……といったところで撮影が終わると、どこからともなく「お疲れー」と声が飛び交った。
 俳優業を完遂したアルハ、彼は俳優を辞めたいと思っていた。


 [ワトソン]

『リフジンガチャ 能力殺人推理デスゲーム』
 ここは残虐な物語を生むデスゲーム世界。
 3人の目の前には今、散乱した瓦礫と黒く焼尽した遺体があった。本来なら3人はそれぞれの思いを持ち、大なり小なりその悲劇を偲ぶだろう。だが今は殺し合いの真っ最中、そのような常識はここでは通用しない。
「違う、私じゃない」
「いや、今火を出せるのは〈織田信長〉の能力を持つロン、お前だけだ」
 ここまで生き残ってきた3人、アルハとロンとリウは今犯人捜しに奔走している。それがこのデスゲームの循環だからだ。
 このデスゲームのルールはこうだ。まず1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力というものが参加者にそれぞれ与えられる。そしてその能力を駆使して殺し合い、生き残る。但し殺人には必ず能力を使わなければならず、その上殺人がばれてもその人物は脱落となる。
 だからこそ今この中で最も疑わしい人物は、今日から火を出す能力を手に入れたロンだった。だがリウの追求に対して彼女は反論する。
「きっとトリックの部分で能力を利用して、殺人自体は普通に行ったんだよ」
 確かに直接の殺しが不可能な能力に限りトリック部分での使用が許可されている。そのため現時点で犯人を断定することはできない。
「一番疑わしいことに変わりはないが……仮に本当にロンじゃないとしたら、推理力が少しだけ上がる〈ワトソン〉の能力を持つアルハが次に怪しいな」
 このデスゲームでは間違って犯人として指名されても脱落となる。そのことを念頭に置いているであろうリウは、あくまでも自分が疑われないような物言いを崩さず、流れでアルハに疑いの目を向けられてしまう。
「疑い合っても仕方がないよ。少し落ち着こう」
 アルハは闇雲に他人を疑う主義ではない。だからこそそう言って考える。今こそガチャの能力を発揮させる時だ。
 ……とそこで思い出す、先週のある人物の能力と、その効果を。
「リウ、確か先週の能力って爆弾を出せる〈マムルーク〉だったよね」
「おい、まさか疑ってるのか、第一それは昨日までの話だろ」
「いいや、ガチャの能力は週が変わったらぱっと消える訳じゃなくて、発動させたものは週を跨いでも暫く残り続ける。それはこのデスゲームの中で何度も見てきたことだから間違いない」
「けど爆弾なんてすぐに爆発しちまうだろ」
「リウ達は知らないかもしれないけど、実は序盤に同じ能力を引き当てた人がいてさ、危うく殺されかけたんだよ。で、その人の出した爆弾っていうのが――地雷だったんだ」
 その推理を突き付けられたリウは崩れるように膝を突き、そして犯行を認めた。
 ……といったところで撮影が終わると、どこからともなく「お疲れー」と声が飛び交った。
 俳優業を完遂したアルハ、彼はとある人物との再会を願っていた。


 [ヘルメス]

『日常に1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力はいらない』
 ここは何の変哲もない日常世界。
 ところがその世界にはとある一つの異常があり、それは1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力なるものが存在することだ。そしてその多くが現代社会では説明できないような超常的な効果を発揮させていた。
 そんな異常の中で、アルハは同僚のロンやリウと共に日常を過ごしていた。3人は休み時間に他愛もない雑談を交わしていたが、物の弾みで話題は能力のことへと移る。
「今週の俺の能力、取得金が2倍になる〈招き猫〉だったぞ」
 そのリウの引き当てた能力の効果に、ロンも「いいなー」と羨ましそうにして2人で盛り上がっている。確かにそれを駆使すれば億万長者だって夢ではないかもしれない。だがアルハは冷静なツッコミを入れる。
「でもさ、それってぶっちゃけ犯罪じゃない? だって例えば給料を2倍受け取れたらかなり問題じゃん」
「確かにそれはそうかも……」
 リウはあからさまに気を落とす。そんな彼をフォローするようにロンが言った。
「まあまあ、私なんて魔力の上がる〈アリス〉だったよ。でも魔力って何?」
 この世界に魔法なんて大層なものは存在しない。となればその能力を得たとしても何の意味もないのではないか、そんな疑問が浮かぶのは当然だった。だがアルハは冷静な回答をする。
「もしかしてあれじゃない? 例えばガスコンロの火の威力が強まるとか」
「うわぁ、何それ……」
 ロンはその何とも言いようのない使い道にテンションを下げる。それを見て場を繋げるようにアルハが言った。
「ちなみに僕は全ステータスが少しだけ上がる〈ヘルメス〉だった」
「じゃあ結構当たりじゃん」
「確かに、ひょっとしたらその効果で仕事疲れも軽減したりしそうだし」
 ロンの言う通り当たりといえば当たりなのかもしれないし、リウの考えるような効果が発揮されるのかもしれない。だがアルハは冷静な一言を発する。
「でも正直日常の中にそんな能力があってもどうしようもないというか、そもそも悪用されたら大変だし、寧ろない方がいいよね」
 そうして導き出された3人の結論は、結局「日常に1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力はいらない」だった。……とはいえその結論にまで話を持っていったアルハの冷静な返しも、実は能力の効果だというのだから何とも皮肉な話である。
 ……といったところで撮影が終わると、どこからともなく「お疲れー」と声が飛び交った。
 俳優業を完遂したアルハ、彼はある悲劇を遂行しようとしていた。


 [ティターニア]

『コンビニ強盗をその場に居合わせた一般人が撃退なう』
 ここはアルハにとって何もかもが新鮮な異世界。
 そこには特殊な能力を持つ者はほとんど存在せず、文明も現代的な発展を遂げていて、どちらかといえば平和な世界だった。
 そんな中でアルハは数少ない特殊な能力を持つ者の1人だった。彼の能力、それは1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力を使えるという、数少ない特殊な能力の中でも更に変わったものだった。
 そんなある日、アルハが街中を散歩していると、道にちょっとした人だかりができているのがたまたま目に留まった。どうもその人達は皆コンビニの店内に視線を向けているようだ。何かやっているのかとアルハもつられるようにそこに視線を向けると、目に飛び込んできたのは予想もしない光景だった。
「えっ、強盗」
 コンビニの店内では強盗犯と見られる人物が店員に銃を向けていた。アルハは一刻も早く強盗犯を捕まえなければまずいと直感的に理解する。だが相手は銃を所持していて迂闊に近付くのには危険が伴う。それもあってか野次馬の中に勇気ある行動に出る者はいないし、頼みの警察も駆けつけていない。だが状況は一刻を争う。
 自分がやらなければ、そうアルハは思った。何より自分には他の人達にはないガチャの能力がある。同じ能力を持つロンやリウだって、きっとこの状況なら同じことを思う筈だ。
「よし、やってやる」
 そう意を決したアルハはコンビニの門の前に一歩を踏み出した。するとそれに反応した自動ドアはがらがらと音を立てて開く。だがその音に反応したのか、強盗犯は第三者の登場に気付き、銃をこちらへと向けてきた。普通の人ならここで一度足を止めるだろう。だがアルハはその威嚇を無視して強盗犯に迫った。
 直後、2発の銃声が店内で響く。
 だがその放たれた2つの弾丸は、アルハの身体から軌道を外した。遠距離攻撃を躱す能力、〈ティターニア〉によって。
 そしてここから反転攻勢。アルハは持っていた電気スタンドを相手にぶち当てる。すると強盗犯は呆気なく気絶した。
 危機が去り、外から野次馬の歓声が上がる。そして救われた店員がアルハに言った。
「あの、ありがとうございます。けど銃弾……当たりませんでしたか」
 するとアルハはわざとらしく自身の身体を調べるような動作をしたのち、得意顔で店員に向き直って一言発した。
「いえ、全く」
 そうして強盗犯を撃退したアルハは、それから特に何の見返りも要求せずに颯爽とコンビニを後にした。
 ……といったところで撮影が終わる前に、アルハは「お疲れー」と言って現場を去った。
 俳優業を完遂したアルハ、彼はアニメキャラは辞められないと自覚した。


 [FBI]

 アルハは共演者達と共に今日も予定されていた俳優業を完遂した。そうして撮影を終えると、どこからともなく「お疲れー」と撮影メンバーの声が飛び交った。それはアルハが俳優の職に就いて以来、ずっと変わらず続いている光景だった。
「いやあ、これで一区切りつけるねー」
 聞き慣れた女性の声が届く。話し掛けてきたのは共演者のロンだ。横には同じく共演者のリウも一緒だった。
「そうなんだよね、こういう機会でもないと中々遠出もできないからね」
「いいなぁ。俺なんてまっさらだし」
 実はこの撮影を最後にアルハ達は4日間という割と長めの休暇に入ることになっていた。皆がそれぞれ4日間のプライベートを満喫することになる。アルハも例に漏れず、この休暇を利用してちょっとした遠出を考えていた。
「でもまあ休暇は素直に嬉しいけど、再開したらまた内容が変わってた……なんてことにはなんなきゃいいけど」
 リウのジョークに2人はあまり笑えなかった。それは撮影メンバーをほとほと困らせている出来事だからだ。
 理由は定かではないが、ここでの撮影内容はころころとよく変わる。時には異世界ものだったり、時にはデスゲームものだったりと、ジャンルを超えて種々様々な撮影を繰り広げていて、今はファンタジーものの撮影をしている。逆に変わらないことといえば登場人物を含めた撮影メンバーの面子と、1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力という設定のみ。とはいえそれで撮影が成り立っていることもあってか、そのことを深く追求する者も特にいなかった。
「でもさ、何でそんなことが起こるのさ。冷静に考えたらおかしくない?」
「あー、それ私も思ってた。おかしいよね。アルハもそう思うでしょ」
「うんまあそれは思うけど、どうおかしいのかがうまく繋がらないというか……」
 そんな会話もいいところで切り上げて撮影現場を早めに抜けたアルハは、そのまま寄り道もせずに真っ直ぐ家に帰宅した。
 それから家事やら何やらを済ませて、早速明日に向けて持ち物等の準備を始める。明日の目的地は割と大自然なので、それなりのキャンプ用具も必要だ。そうして準備を一通り終えたアルハは明日に備えて寝床に就いた。
 翌朝、アルハは家を出て目的の場所へと高速に乗って向かう。
 その運転の最中、アルハは薄っすらと意識がぼやける感覚に覆われる。それはほんの些細な変化で、運転には支障がないし、どこか体調が悪くなる訳でもない。この感覚が表れるのは今回に限ったことではなく、自身の街から離れる度に毎回起こることだった。アルハはこの感覚があまり好きではなかった。だがこの感覚のお陰で今行こうとしている場所を見付けられたのもまた事実だった。
 そうして高速を降りて下道を暫く進むと、今度はより具体的な目に見えた変化が現れる。
「相変わらずここ……何なん」
 そこはいびつだった。何がって物理的にいびつなのだ。その田舎街は道路や建物が人間の営みの中から生まれた形にはとても思えない、そんな複雑な歪みを街全体で形作っている。
 一方で感覚の方にも先程までとは別の変化があった。ぼやけていた筈の意識が今度は逆に澄んできている。アルハはこの感覚がどこか好きだった。
 それからいびつな街の一角にある無料の駐車場に車を止めて、そこからある場所に向かって街中を歩いた。道は入り組んでいてまるで迷路だが、澄んでいる方へと進んでいけばいずれ辿り着ける確信があった。
 ふと、アルハの目の前に地下へと続く階段が現れた。
 そこに入り暗道を進むと、すぐに明かりが見えてきた。
 地下を抜けると、その先は草木が生い茂る大自然だった。
 同時にアルハの意識は先程までとは比較にならない程に鮮明になっていた。アルハがここへ来た目的も、まさにこの意識の鮮明さを求めてのことだった。
 一方でここは物理的には快適な環境とは言い難い。出口の先には舗装された道はおろか人の手入れは全くなく、そこは歩くだけでも体力を使うような無人の地だった。それでも幸か不幸かこのすぐ近くには海があり、その手前の海岸は植物の猛攻を逃れて自由に歩くことができるし、何よりそこには虫もほとんど飛んでいないのがありがたい。
 早速波音のする方角へ進んでいくと、少ししてその海岸へ辿り着く。同時に潮風の当たる感触がアルハを出迎える。
 ここまで来て漸く一息がつける。
 アルハは時間があればよくここへ来て自分だけでこの世界を満喫していた。ここへ来ると少しだけ解放された気持ちになれる。別に自身の街の居心地が悪い訳ではない。ただここには他にはない何かがあるのだ。
 そもそもアルハ自身もここが何なのかよく分かっていない。ちょっとした短い地下道を潜った先にこんな大自然があって、辺りには潜る前まであった筈のいびつな街は跡形も見られなくなるのだ。だからこそアルハはこの未開の地に未知の何かを期待していた。
「さて、と」
 ここへは何度か来ているが、今日はいつもと違うことが一つある。それはガチャの能力だった。実はこの能力はプライベートでも使用することができる。……というよりも撮影で使う能力は所詮は種も仕掛けもあるただの演出。しかしこちらは種も仕掛けもない本物の能力だ。そして今回アルハの引き当てた能力は、自身の周辺を透視できる〈FBI〉だった。この能力を使ってこの無人と思しき謎の地から何かを発見できないかとアルハは企んでいた。
 早速呼吸を整えて、能力を発動。すると――少し離れたところから、1人の人間の気配が。
「え? 誰かいるとか、嘘……」
 想定外の展開にアルハは動揺する。
 しかし少しずつ落ち着きを取り戻すに連れて、そいつがどんな人物なのか会ってみるのも悪くはない、いや寧ろ会ってみたいと思えてきた。あわよくばこの無人の地に関する何かを知っている者であることを願って。
 ただその実行には一つの問題があった。透視の能力によればどうやらその人物は海岸から少し入った内陸にいるようだ。つまりその人物に会うには草木に覆われた道なき道を進む必要があるが、当然そんな道は歩きたくない。そこでアルハは海岸沿いの一番近いポイントまで行って、そこから内陸に入り、少しでも歩き辛い区間の移動距離を短くする作戦を企てた。早速その作戦に従って、まずは海岸沿いから一番近いポイントを探し出す……予定だったが、その途中であるものが目に止まった。
「沢かあ、どうしよ」
 まだ一番近いポイントまでは多少離れてはいたが、沢を通れば生い茂る草木に邪魔をされずに進むことができる。アルハは考えた末そこからの侵入を決断した。沢に入ると地面には石がごろごろとしていたが、草道よりは断然に歩き易い。更に嬉しい誤算もあり、沢の方向がどうやらその人物のいるところへと曲がっているようだった。これなら然程草道を歩く必要はないかもしれないし、運が良ければその人物はこの沢にいるのかもしれなかった。
 そうして歩き続けていたある時、能力によってその人物との距離がかなり縮まってきたことを理解し、同時にカタルシスにも近い緊張感が芽生え始めた。
 と、木々の隙間から一瞬鮮やかな色が映った。それを感知したアルハは足を早めてその色に1歩1歩近付く。必然的に目標との距離は縮まっていく、そんな時だった。
 視線が合った。
 草木の隙間から僅かに見えるその人物は女性だった。2人の目線はほぼ逸れることがなく、それでいてアルハの足は停止せず対象へと近付こうとする。
 そして遮蔽物が少なくなったある瞬間、その姿を明瞭に目視できた。
 アルハはそれを見て言葉にできない何かを感じ取った。ありきたりな表現をすればあれはオーラだ。アルハは彼女に自分自身の上位互換のような、手の届かない感覚を根拠もなく感じ取っていた。
 それとほぼ同時だったかもしれない。彼女が視線を逸らし、後退り、逃げ出したのは。
「ちょっ待って!」
 その咄嗟に出した言葉で彼女が止まることはなかった。けれども不思議とその時のアルハは言葉が届いていないとも、はたまた通じていないとも微動にも思わなかった。その上で、彼女がなぜ逃げたのかを結論付けることはできなかった。
 アルハは一瞬考えた末、彼女を追い駆けた。だが道は悪く、がさがさと藪を漕がねば前進もままならない。だがそれは相手も同じ……にも拘わらず、2人の距離は次第に開いていく。今のアルハにはそれが彼女との落差のように感じられて仕方がなかった。
 とても敵わない、そう思い至った時、自然と彼女を追う足が止まった。彼女の姿は既に目視することもできず、藪を漕ぐ音が僅かに聞こえてくるのみ。その音もすぐに彼方へと消えていった。


 [テュポーン]

 アルハが共演者達と共に撮影を終えると、どこからともなく「お疲れー」と撮影メンバーの声が飛び交った。
 今撮影しているものは『リフジンガチャ 能力殺人推理デスゲーム』というもので、毎回激しい駆け引きが繰り広げられている。
「アルハ最近調子よくないの? いや演技は全然良いんだけど、撮影が終わると何かこう……」
 そう声を掛けてきたのはロンだった。一緒にいたリウは「別にそんなの感じないけどなー」と言うが、実際には彼女の方が正しく、アルハはあの女性の存在がどうにも気になってしまっていた。
「まあ撮影には影響が出ないようには気を付けるよ」
「そりゃそうだって、俺も失敗した時に監督によく言われるんだよね、代わりなんていくらでもいる……って。まあそうはいっても仕事の出来ない人が切り捨てられることもないし、実際撮影メンバーの入れ替えもほとんどない訳だけど」
「でもそれっておかしいよね、代わりなんていくらでもいるって言いつつ、実際にはそうなってない訳でしょ。噂だけど辞めたくても辞められないなんて話も聞くし。アルハもそう思わない?」
「確かにロンの言う通りおかしいと思う。言動が矛盾してるし、どっちの利益にもなってないもん」
「でもまっ、俺的にはこういう休暇も割と沢山あるし、辞めようとも思ってないからいいんだけどね」
 今回は長期休暇という程ではないが2連休が撮影メンバーに与えられていた。2連休くらいであればアルハも普段は家で寛ぐが、今回はそうもいかない。アルハは撮影現場に別れを告げて早々と帰宅し、明日に備えてすぐに布団に潜った。
 翌日、車を走らせて向かったのはあの未開の地。目的は勿論彼女に会うためだ。会える保証なんてどこにもないが、それでも向かわないという選択肢はなかった。とはいえ現実はそう甘くなく、実はあれからもう一度あの無人の地に行ってはみたが結果は空振り。冷静に考えればもう二度と会えない可能性の方が高いのかもしれない。それでも今日こそは彼女がいてほしいと心の中で願った。
 そうこうしている内に無人の地に辿り着く。早速浜辺に出て沢から内陸に潜入し、以前のルートを進んでいく。能力が変わって透視の能力が使えなくなった今、頼みの綱はこの沢だけ。そうして例の場所が目前に迫る。
 その時、アルハの瞳に鮮やかな色が映り込み、オーラを感じた。
 それが彼女との久々の再会だった。
 だがこのままではまた逃げられてしまうかもしれない。けれど同じ轍は踏んでやらない。
「今回は思う存分使ってやる」
 そうして発動させたのは前回とは異なる能力、その発動と同時に風が発生した。今回引き当てたものは風を操る能力、〈テュポーン〉だった。風は彼女に向かって吹きつけた。彼女は風の吹くこちらを確認しようと試みるが、想像以上に勢いが強かったためだろう、目的を果たすことなく腕で顔を隠した。身体も立っているのがやっとといった感じだ。
 一方のアルハは風に乗り、その勢いのまま彼女に空中から急接近。直後勢いよく着地した、が勢い余って俯せに倒れてしまう。そこで風が止み、立ち上がりながら彼女の方へと顔を向けたその時、アルハは自身の置かれている状況を理解することになる。
「お前、いきなり何すんだ。なぜ追い駆けてきた」
 そう低い声で言う彼女がこちらに向けているのは銃口だった。
 撮影のそれとは比にならない恐怖、それを感じたアルハは背筋を凍り付かせる。そして困ったことに相手の質問に対する答えを明確には持っていない。かといって何となくと答えられるような雰囲気でもない。だが後悔の念に浸る余裕すらなく回答を迫られる。
 そんな混乱の中、咄嗟にある単語が口から飛び出た。
「上位互換!」
 そう発し終えた後で、自分でも何言ってんだと思ったのは言うまでもない……のだが、意外にも彼女はすんなりと銃を降ろした。どうやら危機は乗り切ったようだ。
「いや、敵意がなければいい。こちらこそ急に脅したりして申し訳なかった。しかし上位互換ねぇ」
 それから彼女は少し考えるような素振りを見せた後、「ええと、名前は?」と訊いてきたので、素直に「アルハです」と答えた。
「まあアルハがそう思うのなら、あながち間違いでもないのかもしれない」
 彼女のその含みを持たせた言葉に、アルハは根拠のない期待値を幾らか上げた。
「あなたは何者なんですか」
「あぁ、私は円蘭えんらん。宜しく」
 どうやら彼女の名前は……ってそうではない。いやこちらの訊き方も悪かったのかもしれない。
「どうして1人でこんなところに? そもそもここって何なんですか」
「ここは2つのアニメ世界同士を繋ぐCMチェインマップというところだ」
 何だかよく分からない単語が出てきた。アルハは「それってご覧のスポンサーの提供でお送りされますか」とその単語の正体を適当に憶測してみるも、案の定円蘭に「すまない、言っている意味が分からない」と一蹴された。
「アルハの職業、俳優だろう」
 アルハは突然自身の職業を言い当てられ、思わず「えっ」と声に出して驚いた。それは単に当てられたというだけでなく、円蘭は何か自分の知りたいことを知っていると、そんな風にも感じられた。
「どうなんだ」
 思わず呆然としていたアルハはその念押しで我に返る。そして、正直に答えた。
「はい、確かに俳優です。でも――辞めたいなって」
 それを聞いた円蘭の双眼が一瞬だけ揺らいだ。
「前回は敵かと思って逃げたが、こりゃあ、飛んで火に入る夏の虫ってやつか。……実は私もな、アルハと同じだった」
「違うんです。うちの撮影のところは辞めたくても辞められない、それで困ってるんです」
「だから、それが同じだと言ってるんだ」
 アルハは「えっ!?」と大声を出して驚く。何せ円蘭は自分と同じ状況で俳優を辞めることができたのだと、そう言ったのだから。
「でも俳優を辞めることは不可能だって監督から聞きましたし、実際に無理だったんですけど」
 実はアルハは実際に一度監督に辞表を渡したことがあった、監督はそれを受理してくれたが、同時に「恐らくお前はまた戻ってくる」とも言った。そんなことはないと現場を後にしたが、次の撮影が近付くとまるでAIに与えられた命令のように現場に戻りたくなる衝動に襲われ、気付けば身体は現場へと駆けていた。結局、アルハは俳優を辞めることができなかった。
「私もその壁にはぶち当たった。けれど今の私と同じような立場の方に協力してもらって、今の自由を手に入れた」
「もしかしてあなたはその裏技を僕に教えてくれたりするんですか」
「裏技なんてそんな簡単なものじゃない。少なくとも本当はこんな面倒事には関わりたくないくらいには」
「それでもとにかく俳優を辞めたいんです。もし対価が必要ならできる限りの手は尽くします」
「対価ねぇ。まあそこら辺は追々考えるとして、まずは状況を理解してもらわないと話にならない、か」
 そう言って説明を始めたのは、先程も単語が出たアニメ世界に関する話だった。
「私はアルハとは別のアニメ世界に住んでいるんだ」
「いや……そもそもアニメ世界って何ですか」
 理解が追い付かないといった面持ちでそんな疑問を口にすると、円蘭は「まあそうなるか」と改めて説明を始めた。
 その昔、一つの世界が存在した。その世界はとてつもないリアルを持っていた。それはとても美しくもあり、時として醜くもある、そんなものだった。しかし一貫していえることは、その世界を精密な整合性の下に成り立たせるものだということだった。
 そんな世界でも稀に分岐という非リアルな現象を起こし、並行世界を創り出すことがあった。けれどもそのどちらかは整合性という摂理に従い消滅する。だがある並行世界が消滅する瞬間、分岐という現象よりも更に珍しい、一つの奇跡が起こった。
「並行世界はリアルをその世界の者達が創作したアニメの中に移行させた。そうして創り出されたのが私達の住む――アニメ世界」
 だがアニメ世界はその消滅した世界、つまり非アニメ世界と比べて規模がとても小さかった。
「私達はそんなアニメ世界同士を繋げて規模を大きくさせること目的に活動している。そして今は私のアニメ世界とアルハのアニメ世界を繋げようとしているんだ」
 但しそのためにはある施しが必要だった。実はアニメ世界のリアルは初め不完全で、その状態では他のアニメ世界に繋げられないし、その世界の人達も他のアニメ世界に行くことができず、辛うじてCMに来るのがやっとだ。
「私達はそんなアニメ世界を完全なリアルに、つまりリアル化をさせているんだ。そしてそこで重要になってくるのが例の撮影現場」
「え、その例の撮影現場ってもしかして……」
「ああ、恐らくはアルハのとこだろう」
 実は当の本人達も気付いていないことがほとんどだが、アニメ世界のどこかにある一つの撮影現場は、実は非アニメ世界で放映されるアニメの撮影現場だった。だが肝心の非アニメ世界が消滅しているせいで撮影内容は割と無茶苦茶になっている場合が多い。
 そしてアニメ世界のリアルが不完全なのは、そのアニメの撮影メンバーがリアルを無意識に独占していることにあった。その影響でアニメの撮影現場から離れた場所では、意識がぼやける感覚に覆われたり、地形や設定が無茶苦茶になったりすることも珍しくない。だがそんな独占も、主要な俳優……ではなくアニメキャラの誰かを強制的に辞めさせて、アニメを打ち切りにすることで解放することができる。そうなって初めて、そのアニメ世界は完全なリアルを手にしてリアル化を果たす。
 そうして円蘭は説明を終えた。アルハは一瞬の内に様々な衝撃を受ける。一方で段々と話も見えてきた。
「つまり僕が俳優……じゃなくてアニメキャラを辞める行為自体が円蘭に協力する行為に繋がる、と」
「そういうことになる。本来なら私の方からアニメキャラに接触するんだが、今回はその手間が省けた。但しこれはある種システムを打ち破る行為。そんなに甘くはないが」
「例えそうだとしても、辞めるためならどんなことだってしてみせる」
 それから利害の一致した2人の交渉は面白いようにとんとんと進んでいった。


 [セバスチャン]

 アルハが共演者達と共に撮影を終えると、どこからともなく「お疲れー」と撮影メンバーの声が飛び交った。
 それからロンとリウと3人で今している日常ものの撮影の話なんかを少し交わして、頃合いを見計らって切り上げて早々に帰宅した。
 あれから数週間が過ぎ、いよいよ決行の日は明日に迫った。アルハの俳優業、もといアニメキャラ業も今日を以って辞めることになる。結局、それを撮影メンバーの誰にも伝えることはしなかった。
 翌日、アルハは期待と不安を胸に未開の地へと向かった。持ち物も今まで以上に万全を期して、持ち得る限りの食料に加えて、テントやガスコンロ等のキャンプ用品も抜け目なく揃えた。到着すると今回は浜辺で円蘭が出迎えてくれた。
「で、今日はここに留まり続けることはできそうか」
 コンディションは悪くない。何せこの日に有利なガチャが出るのをずっと待っていたのだから。今回の能力は状態耐性の〈セバスチャン〉だ。この効果で現場に戻りたくなる衝動を軽減することができるだろう。それでも自信となると話は別だ。
「正直……何ともいえない」
 けれどそんな自信のなさとは裏腹に、今回を逃せない事情もあった。再び今回に有利な能力を引き当てられるのは何週間後になるか分からないし、何よりこのミッションにはリミットがある。
 円蘭の説明によれば不完全なリアルのアニメ世界は、設定の矛盾に耐え切れずに消滅してしまう可能性があるのだ。それもファンタジーとか、そういった現実離れした設定のアニメ世界は消滅し易い。
「アルハのアニメ世界はファンタジー程ではないが、ガチャの能力があって堅牢とまではいい難い。覚悟を決めろ」
「……分かった、頑張るよ」
 それから2人は無人の地でテントの設営等をして適当に時間を潰した。その際にもアルハの精神には大きな不安が圧し掛かり続ける。
 ……ふと、アルハの中にざわざわと全身が粟立つような感覚が芽生え始めた。次第にそれは増大し、現場に戻りたくなる衝動が、まるで野生の本能のように頭の中を支配していくようになる。
「円蘭きた。でもまだ何とか耐えられそう。けどこの感覚って一体何なの」
「それは……私の口からは言えない」
 その時、この感覚が何なのかは分からない……というよりも、寧ろ分かってはいけないものだとアルハは薄々勘付く。分かってしまえばきっと戻らずにはいられなくなると、なぜだかそう思えた。
 アルハはとにかく耐え続けた。そうして撮影がもうすぐ始まる、今戻らなければ本当に間に合わなくなるであろう時間帯に。
 その時、アルハの頭の中に映像が強制的に流れ込んできた。
 記憶は曖昧だが、それは恐らく過去にこの無人の地に来た時の映像だった。映像の視点も過去の自分のもので間違いないだろう。そんな映像の中の自分は何かを探しているような素振りを見せつつ内陸を歩いていた。
 だがその辺りになって急に映像の先を見たくない気持ちが膨れ上がる。
「円蘭、やっぱり無理……かも」
「映像を見てるのか」アルハが首肯すると「心配するな、自分も同じだった」
 その言葉で少し気が楽になった。それでも映像は残酷にも続いていく。
 ふと、映像の中のアルハの視界に何者かが映り込む。それは『技や魔法がガチャで引き当てたもの一つだけしか使えない件』の撮影を最後に俳優を辞めた自分……いやもう一人の自分だった。映像の中のアルハが接近を試みると俳優を辞めたもう一人の自分もその存在に気付き、自身と瓜二つのその姿を見て驚きと恐怖を交えたような表情を浮かべる。それにも構わず映像の中のアルハは更に歩を進め、お互いの距離はゼロに近付く。
 その時、映像の中のアルハは俳優を辞めたもう一人の自分に鋭利なナイフを突き立てた。それも何度も何度も、必要以上に。それから短くも長い時間が過ぎ、その身体が完全に動かなくなるのを確認して漸くその手を止めた。そうして映像の中のアルハは俳優を辞めたもう一人の自分から意識を鮮明させる源を奪った。円蘭の話と照らし合わせれば、恐らくそれが独占しているリアルなのだろう。すると映像の中のアルハはまるで我にでも返ったかのように、驚きを通り越して恐怖した。そしてそのまま走って撮影現場まで逃げ去った。
 映像から抜け出すと同時に、アルハは理解した。映像の意味を認知し、これまでにない恐怖が彼を襲った。
「そうだ……僕は元の自分を殺したんだ。早く戻ら――」「待て!」
 アルハが動き出そうとした直後に木霊する叫び声。それとほぼ同時、円蘭が背後からアルハの頭を押さえ付け、そのまま地面へと引きずり倒した。アルハの身体は抵抗を試みるが簡単には離してくれそうもない。
 けれど帰らないとどうなるか、今のアルハは完全に理解していた。
「無理だよ。だってじゃないと殺される、もう一人の自分に」
 アニメキャラが撮影現場に戻らない時何が起こるか、その答えは簡単、中割りによって新たにパラレル……ではなくワラレル割られるの自分が作画されるのだ。ちなみに中割りとは同じ絵を何枚も作画する非アニメ世界におけるアニメの技法だ。そしてそのシステムによってアニメキャラが撮影現場に戻らなくても撮影は滞りなく進行していくことになる。だがアニメキャラを辞めた者にとって恐ろしいのはそこからだ。何せ新たに作画されたワラレルの自分は撮影が終わっても消えたりはせず、それどころかそいつはリアルを奪いに元の自分を殺しに来るのだから。
「そうならないために私がいる。信じられないか」
「分からない。ただ、死ぬかもって思うと恐い」
「辞めるためならどんなことでもしてみせるんじゃなかったのか」
 アルハは何も言い返せなかった。何一つ反論の余地なんてなかった。だからその代わりに言った。
「円蘭、悪いけどそのままずっと押さえつけてて。じゃないと有言実行……できそうにない」
 アルハがそう言うと、円蘭は頭を押さえ付けている手に少し力を入れてきた。それが彼女なりの応答の仕方なのだとすぐに理解できた。
「ありがと。円蘭って結構力あるんだね」
「いや、さすがにお前が振り払おうと思えばできなくはない。そうしてないのはあくまでお前の意思だ」
 その言葉にアルハは少しだけ得意気になれた。こんな体制でそんなことを思えるなんて、何だかおかしかった。
「だがさすがにずっとこの体制のままって訳にもいかない。手を放しても大丈夫か」
「ごめん、ちょっと無理かも」
「そうか、じゃあ昔の自分がされたことをやらせてもらう」
「え、それって何――」
 言葉を最後まで言い切るよりも先に、アルハの身体に電流が迸り、そのまま意識を失った。
 次にアルハが意識を取り戻した時には、撮影開始時刻はとっくに過ぎていた。今頃中割りによってワラレルの自分が作画されて、『日常に1週間ごとにランダムで変わるガチャの能力はいらない』の撮影に勤しんでいることだろう。今から現場に戻る行為はワラレルの自分に殺されに行くようなもの。現場に戻りたくなる衝動に駆られていたアルハも、そいつが作画されてしまった以上、そんな馬鹿な真似をしようとは思わなくなっていた。そうして押さえ付けられる必要もなくなり身体も自由になった。同時にもう後戻りできないという実感を得た。
 事実ここからは次のステージ。撮影場所に戻らないという最初のミッションを突破した者は、いよいよリアルを奪いに来るワラレルの自分との命のやり取りを行うことになる。
 アニメキャラの代わりはいくらでも作り出せる一方で、リアルをゼロから創り出すことは不可能。そもそもリアルは非アニメ世界が消滅して移行された際に、無意識に独占した元の撮影メンバーのみが持っているものだった。だからこそワラレルの自分はリアルを持っている元の自分を殺し、奪いに来る。リアル化している者が死亡すれば自動的にそのリアルは次に作画された、あるいは次に作画される者へと移行するのだ。結果的に辞めた者の犠牲の下に撮影が永久に続くシステムが確立している。
 だがそのシステムには一つの穴があった。ワラレルの自分が作画される厳密なタイミングは、リアル化しているアニメキャラが戻ってこなくなった時か死亡した時のみ。逆にいえばリアル化していないアニメキャラが戻ってこなくなった時や死亡した時には、新たな作画がされることはない。つまりこれからやろうとしていることは――
「ワラレルの自分を殺すことができれば、アルハ、お前はもう自由だ」
 戦いの火蓋は近々幕を切るだろう。そこから逃れる術はなく、どちらかが死ぬまで、戦いは終わらない。
 そしてその戦場はここになる。なぜならCMはリアルが強く、リアル化している者に多少有利に働くからだ。それなら円蘭のアニメ世界で戦った方がもっと有利なのではと思うところだが、今度は逆にリアルが強すぎてリアル化していない者は入ることさえできない。結果的にこの無人の地が戦場に最適という訳だ。だがそれでも一切の油断はできない。
「でもワラレルの自分って強いんだよ。昔の自分もそうだった」
 なぜだか、襲いに来るそいつは同じ自分とは思えない程に滅法強い。1対1で戦えば完全なまでに辞めた方が負ける。アルハはそれを身を以て知っていた。
「だから私が付いてやるんだ」
 円蘭はそうやって何度も励ましの言葉をくれる。アルハは改めて彼女は自分の上位互換なんだと思った。今の自分がどんなに足掻いても円蘭と同じステージには到底立てない。この恐怖や困難を乗り越えることなんて、そこへ近付くための最低限のミッションでしかない。
 とはいえ第一の関門を突破したアルハにはちょっとしたご褒美があった。
「それじゃあ約束通り連れて行ってやる、私のアニメ世界へ」


 [白雪姫]

 翌朝、アルハは円蘭のアニメ世界のとある寝室で目を覚ました。そのあまりに鮮明な意識にアルハは酔いしれる。
 思えば円蘭のアニメ世界へ向かうところからして凄かった。円蘭の後を追って歩を進めるにつれて、自分はどうなってしまうんだろうという期待と不安があったが、今も未知の感覚の中をこうして生きている。何もしなくても溢れ出る感動を得られる。
「そう思うのは最初だけだ。でもまあ確かにあの時は凄かったな」
 円蘭に感想を伝えて返ってきた答えは、そんな冷めた感じを出しつつも思い出に耽るような回答だった。
 今いるところは円蘭に連れてこられた組織の建物の中。そこは人を数十人くらいは楽々と収容できそうな、比較的大きな建物だった。更に待遇も悪くなく、一夜を明かすための個室も提供してもらえた。
 ちなみにこの建物にいる人達の中には、円蘭のように上位互換のオーラを放つ者も多くいるように感じられた。
「正直ここにいる人達でワラレルの自分を倒せばいいんじゃないかって思うんだけど」
「そんなことにリソースを割く余裕はない。それにアルハがいなければ相手を誘き寄せられないだろう」
「それじゃあさ、せめてもっと街を見て回ることってできないの」
「何がそれじゃあなのかよく分からないが……。とにかく任務が終わるまで待ってくれって、頼むから」
 建物の窓から見える景色は一言でいえば未知の世界。唯一見れたところといえばCMからこの建物へと至る道のみ、それもほとんどが車内からの景色。それだけでは当然この感覚は満たされない。しかしここで死んでしまえばこの世界を見ることはできないというのだから残酷だ。そんなことになったら未練がましく化けて出るかもしれない。
 けれど忘れてはいけない、自分に課せられたミッションのことを。本当はずっとこの安全圏にいたいが、円蘭との約束を破棄する程どうしようもない奴ではない。
 ワラレルの自分が来る可能性のあるのは、撮影が休みの明日か明後日。あいつは一刻も早く自分を殺したいと思っているが、一方で撮影時に現場にいるというルールは必ず守る。そこから考えても今日来ることはまずない。けれど今日は今日で存分に心身を休めなければいけない。特に精神の方は割とダメージが大きかった。
「それで、ガチャの方は良いものが引けたか」
「うん、これなら十分に戦える」
 ガチャの能力は今日から変わった。引きが悪ければ戦いを1週間後に引き延ばすことも考えていたが、その必要はないようだ。
 そして翌日、遂にその日を迎えた。2人がCMに向かうと、そこにはいつも通りの大自然が広がっている。だがここで今日死闘が始まるのかもしれない。勿論その見立てが必ず当たる保証はなく、相手のガチャの引きが悪ければあえて時期をずらしてくる可能性もなくはない。それでも今日の可能性が一番高いのだろう。
 とそこで円蘭から「それじゃあこれ」とあるものを手渡された。それは拳銃だった。
「もし奴と遭遇したらそれを撃て。当たらなくてもいい、あくまで危険が迫った時にそれを知らせるためのものだ」
 それから2人はワラレルの自分が来るまでの時間を、一昨日建てたままのテントに入って体力を温存しつつ待つことになった。といっても2人同時に入るのはまずいので交代で見張りを行う。とりあえずまずは円蘭が見張りをすることになった。
 彼女が見張りに立つとアルハはテントの中に1人残される。室内は暑くも寒くもなくキャンプとしては割と快適な部類だ。それからアルハは予め持ってきた文庫本でも読んで時間を潰す。それを四半分辺りまで読み進めた頃、円蘭は戻ってきた。
「交代、できそうか」
「大丈夫、寧ろちょっと暇だったし」
 そうは言ってみたものの、いざとなるとやはり恐い。それでも円蘭にばかり頼ってもいられない。アルハは外に出て歩き出した。だが暫く適当に歩いていると、自身が無意識の内に元のアニメ世界に戻ろうとしていることに気付く。頭では分かっていても身体はそういう風に作られているのだろうか。とにかくこれ以上戻る訳にはいかない、そうアルハは理性を働かせてテントへと戻った。
「そんな行動は私は取らなかったな」
 円蘭にその出来事を話すと普通に呆れられた。てっきり皆そうで円蘭も共感してくれると思っていただけにその反応は意外だった。
 それからまた暫くテントの中で過ごし、時間が経つと円蘭が戻ってきた。
 再度外に出て歩き出すと、またしても無性に戻りたいという無意識がふつふつと湧いてくる。気付けばまたアニメ世界の近くにまで戻っていた。それでも何とか今回も踏み留まって踵を返す。こんなことでワラレルの自分と遭遇して殺されたら笑い話にもなりやしない。
 だがその帰路の途中、異質な何かを感じ取る。まさか……とアルハは直感し、同時に恐怖が表出しそうになる。それをぎりぎりで抑えつつ、冷静になれと自分自身に言い聞かせる。念のため周囲を確認……してみるも誰もいない。ならばと帰還を再開させる。このまま何もなければいいが……。そう考えつつ不意に背後をちらりと見た、その時だった。
 視界に奴が映り込んだ。
 幸い、こちらが先に気付けたようで、相手はまだ自身の存在を認知していなかった。だが下手に動いて物音を立てれば、気付かれるのは時間の問題、そんな距離感。けれど今のアルハには冷静さの欠片もなかった。だからアルハは少しでも奴から離れようと無策にも音を立てて走ってしまった。そうして数秒後、再び背後をちら見した時には、既に奴はこちらに視線を向け、接近を試みていた。
 その事実に直面したアルハの思考は停止しかける。それでもたった一つだけ思考停止に巻き込まれずにできる行動があった。
 次の瞬間、銃声が轟く。
 奴は一瞬足を止めたがそれも数秒。無駄な足掻きだと理解したのか再び追跡に転じた。同時に命を懸けた追い駆けっこが始まる。だがその差が徐々に縮まる。
 逃げるだけではもう駄目だろう、そう悟り腹を括ったアルハは己の身を翻した。
 能力を行使。目の前に創り出されたものは〈白雪姫〉の能力、冷気。その塊を標的に向けて、発射!
 だがワラレルは軽い身のこなしでそれを躱す。
 放たれた冷気の塊は背後の雑木林の一つに当たり、その周囲を見る見る内に凍らせた。だがそんな攻撃も当たらなければ意味がない。
 それならば、とアルハは冷気の塊ではなく、今度は広範囲に分散するよう霧にして飛ばした。
 威力はいくらか弱まるが、冷気の能力は少し当たるだけでも相手の身体能力を奪い、事を有利に運ぶことができる。そんなアルハの読み通り、縹色を含んだ冷気の霧は確実に相手を追い詰めていく。
 そして不意に、命中を確信する瞬間が訪れる。
 が、突如傍らから回転する何かが飛翔。冷気の霧はその回転する何かが起こした気流の急変によって四散し、色と効力を失う。結果目前に迫った形勢逆転、そして生存の兆しを無残にもこそげ取られた。
 更にワラレルは右腕を横に出し手を広げた。すると回転する飛翔物、刀はまるでそこへ吸い寄せられるように奴の掌へと収まった。
「あれは、ガチャの能力か。けどあんな能力あったか」
「〈宮本武蔵〉」
 ワラレルが初めて口を開いた。
 アルハは不敵に告げられたその一言に思考を巡らせる。確かその能力は刀を召喚するというものだった。それは予め刀を所持していれば意味をなさない外れの能力だとされていたが、まさかそれにこんな応用の仕方があったとは。
 と、ワラレルは持っていた刀をこちらへと投げた。同時にそれはまた回転の動力を得る。
 アルハは迫り来るそれを咄嗟に回避。だが先程の挙動を忘れていないアルハは刃から視線を離さず身を翻す。予想通り刀はまるでブーメランのように進行方向を変えていた。アルハは再びそれを回避した。そして視線で刃を追うためにもう一度身を翻すと――
 目の前でワラレルが刀を掲げていた。
「終わりだ」
 奴が一言そう発して刀を振り下ろそうとしたその時――ぼう、と、付近で火の点く音がした。
 されどそれはただの火などではなく、アルハの仕掛ける渾身の切り札だった。
 ワラレルは元の自分のステータスを強化させたような存在。だがそうはならない部分がほんの少しだけ存在する。それはワラレルが作画されて以降の、別々の人生を歩み始めたその時間だ。だからこそアルハは奴が作画されて以降に行われる撮影の台本を予め読んでおいて、奴の気を引けるもの、つまりは奴だけが演じた撮影の中に出てくるあるものを、氷の溶解と重力を生かしたタイマートリックを施して周到に用意していた。
「あれは……ガスコンロ?」
 そのたった一瞬、ワラレルの意識がアルハから逸れた。
 その瞬間をアルハは見逃さず、渾身の冷気の塊を放った。遂にそれは命中し、相手の身体を凍り付かせた。
 勝てるという確信が生まれた。
 アルハは攻撃の手を緩めず、闇雲ではあるが確実に冷気の攻撃を当て続けた。このまま攻撃し続ければ、相手に反撃の隙を与えることはない。恐らくこの時点で相手の体力は相当擦り減っている、このまま体力が尽きるまで――
 突如、ワラレルを覆っていた氷が割れた。その中から出てきた奴は驚く程平然としていた。
「え……何で、あれだけ攻撃したのに」
「これが、非リアルの力だ」
 その一言はアルハを絶望させた。
 元の自分がワラレルに勝てない本質的な理由、それこそが非リアルの現実離れした力だった。それを証明するかのようにリアルを持たない奴の身体は掠り傷程度のダメージしか受けていない。最早それは無茶苦茶を通り越してチートだった。
 けれど同時にアルハの中に一つの疑問が浮かんだ。
「だとしたら何でそこまでして……自分を弱くさせてまでリアルになりたがる」
 すると奴は感情を露わにし、そして叫んだ。
「それはお前が一番分かってるだろうが!」
 その瞬間、銃声が聞こえると同時に、ワラレルの頭部から紅の花が咲き乱れた。そのまま頭から転倒し、再びその身を起こすことはもう二度となかった。
 それを認知すると、アルハは全身の力が抜けたかのようにその場にへたり込んだ。視線を動かすと、遠目に銃を持った円蘭が駆けつけてくる姿が少しだけ見えた。


 [蒼頡]

 それから、アルハは円蘭のアニメ世界に移り住むことになった。というよりもアルハのアニメ世界はじきに消滅するのだからそうするしかないのだが。
 その後円蘭からの許可も下りたので街中を色々と見て回った。そこには元のアニメ世界にはない驚きで溢れていた。鮮明な意識や未知の感覚、そして徹底された整合性は、アルハがこれがリアルなのかと思い知るには十分な感動だった。これからずっとこのアニメ世界で生きられると考えると、思わず心が躍りそうになる。
 逆に今までいた自分のアニメ世界は一体何だったのかと思うようになった。とにかく今にして思えばツッコミどころ満載の世界だった。例えば撮影されたものがどこで放送されているか分からないとか、なぜか撮影内容がころころ変わるとか、撮影メンバーが全く変わらないとか、他にも色々あるけれど全部上げていたらきりがない。そして何よりそれらのことを誰も疑問に思わなかったし、思ったとしても何となくそのまま流してしまっていた。そんな何となくで済むようなことではないにも関わらず。
 ただそんな感動も時間と共に徐々に薄まりつつある。悲しいけれど以前円蘭の言っていた通りだ。
 ……それに一つ引っかかっていることがあった。なぜだか、ワラレルが最期に見せたあの一コマが頭から離れない。撃たれる直前の「お前が一番分かってる」と言った時に垣間見えた、彼の悲憤に満ちた形容し難いあの表情。そしてあれだけチートじみていた筈の彼のあまりにも呆気ない絶命は、アルハの脳裏に強く刻まれていた。これがリアルなのかと、それこそ今まで感じたことのないような鮮明な恐怖を覚えた。
 だからあの後気になって、円蘭とこんなやり取りを交わした。
「ねえ、どうしてあのタイミングで撃ったの」
「あぁ、あれは奴の感情が揺れた一瞬の隙を突いたんだ」
 それが円蘭の回答だったし、恐らくその発言に偽りはないだろう。事実円蘭がまだ駆けつけていなかったガスコンロの時を除けば、彼を撃つタイミングは彼女の言う通りあの瞬間しかなかった。
 けれどもその一連の流れは、結果的にアルハのリアルの見え方を一変させた。確かにリアルは意識を鮮明にさせ、幾多の感動を得られるものなのかもしれない。けれどそんなことはリアルが非リアルの上位互換である証明には何もなっていないじゃないかと、そうアルハは思い至ったのだ。
 それに、アルハのアニメ世界にいた皆のこともそうだ。あれからアルハのアニメ世界はリアル化を遂げてこのアニメ世界と繋がった。けれどそれから幾日かが経った今に至っても、撮影メンバーはおろか、アルハのアニメ世界の住民とは1人も会っていない。円蘭の話によればリアル化に耐えられないものは、生物も無生物も関係なく消滅してしまうとのことだったし、そのことは事前の打ち合わせの段階から確かに聞かされてはいた。それでもここまで誰とも会えないなんて想像もしていなかった。勿論ロンやリウを始めとしたアニメ世界の住民にいつかは会えると今でも信じている。けれどそれでも思ってしまう、自分達の都合で彼らの住む場所を……いや命を奪ってしまったのだと。そして、これがリアルなのだと。
 そんなある日、アルハは円蘭から呼び出しを食らった。
 アルハは依然として円蘭の組織から提供された個室を利用させてもらっている。そんなこともあって呼び出しを無視する訳にもいかなかった。
「円蘭いるー?」
 扉をこんこんと叩きながらそんなことを口走ると、少しして円蘭が扉を開けた。そのまま中へと入室すると、彼女の指示でソファに座らせられた。すると円蘭はテレビを点けて、ビデオのリモコンを弄り始めた。
「あー、もしかして」
 アルハはこの先の展開が何となく読めてしまった。その数秒後にはその予想が的中していることが証明されることとなる。
 そうしてテレビに映されたものは録画のビデオ。内容はとある報道番組の中の一つのほんの短い報道だった。見出しは『コンビニ強盗をその場に居合わせた一般人が撃退なう』というものだった。そしてなぜだかその中に偶然アルハが映っていた、その場に居合わせた一般人として。
 その再生が終わると円蘭は録画のビデオを停止させ、ぶつりとテレビを消してアルハに向き直った。そしてあからさまに呆れたような表情を上乗せしつつ言った。
「で、何なんだこれは」
「いやあ、あれは本当にたまたま遭遇したんだよね。でまあ目撃しちゃった以上は黙って見てるのも気が引けるし、何よりガチャの能力がまた丁度あの状況に適した効果だったんだよね。これはもう助けるしかないっしょって。あ、あの映ってた電気スタンドは前に引きずり倒された時に円蘭に当てられたやつだよ」
 だがそのアルハの説明を聞いても尚、円蘭の呆れたような表情が変化することはない。
「お前なあ、言っただろう、このアニメ世界ではあまり能力は使うなと。リアルを何だと思ってるんだ」
「でもばれてないし、事件も解決したんだから問題ないんじゃない?」
「だがこうして報道されてるじゃないか」
「あー、それは多分事件の様子を野次馬の誰かが撮影してたんだと思うよ。だからその、別に撮影をお願いしたとかじゃないし。……まあ確かにコンビニに入る前から撮影してる人がいたのは知ってたけど」
 それを聞いた円蘭は観念したのか、それとも呆れ具合を増したのか、それ以上の追求はこなかった。
 しかしまさかこのアニメ世界に来てもこんなことをしてしまうとは。何というか、報道の光景がまるでアニメのようで、不謹慎かもしれないがどこかおかしく感じられた。そういえば外に出て野次馬の皆に対して、ついつい「お疲れー」と言って撮影現場のノリで事件現場を去ったんだっけと、そんなことを感慨深く思い出してしまっていた。
「まあそれはいいとして、書類、書いたのか」
「あ、忘れてた」
 円蘭はいきなり話題を変えてきた、がその一言でアルハは思い出したように慌てて鞄の中に手を入れた。そして奥の方に埋もれていた書類を引っ張り出してテーブルに置いた。
「何も今ここで書けとは言ってないが……まあいいか」
 するとアルハは筆記用具を取り出さず、代わりに指で書類をなぞり始めた。すると紙から文字が浮かび上がってきた。勿論これはガチャの能力、〈蒼頡そうけつ〉によるものだ。
 ちなみに今書いているものは、アルハがこの組織に入るか、それとも入らないかを決める書類だ。そんな大事な書類をまさか能力で書くことになろうとは自分でも驚きだ。
 と、そんな様子を見て何を思ったのか不意に円蘭が言った。
「何というか、アルハの目的は最初からアニメキャラを辞めることにはなかったんだろうな」
「え、どういうこと」
「つまりアルハは単にアニメキャラ業の束縛から解放されたかっただけで、アニメキャラ自体を辞めたかった訳ではないってこと」
「あぁ、確かに――」
 確かにもう今までのようにリアルを無条件に肯定することはできなくなったし、自分のアニメ世界を消滅させてしまったことへの申し訳なさも勿論ある。それでも不思議と自身の行いを悔やんだり、間違っていたと思うことは少しもなかった。何というかそれらの考え方はアルハにとってはあり得ないことだった。その意味では自分は生粋のアニメキャラなんだなあと、アニメキャラを辞めたのに逆にそう思えてしまうことがどこかおかしかった。
 だからアルハは物語の題名にもなりそうな決め台詞のようなものを高々と言ってやった。
「アニメキャラは辞められない」

文字数:23315

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