The game is over

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梗 概

The game is over

 おなじ1週間が、30年以上も繰り返されていた。

 卓越した記憶力を有する香田淳(こうだ じゅん)の認識が正しければ1581回目である1989年の1月1日は、いつもと同じように悲鳴から始まった。運悪く年明けの瞬間に就寝していた人々は眠り族と呼ばれており、他の人間が意識を保ったまま繰り返しの始まりを迎えるのに対して、眠り族は睡眠中で無防備な為に暴力の対象になってしまうのだ。

 香田は自警団組織に所属しており、眠り族狩りなどの犯罪を取り締まっていたが、繰り返しを重ねるごとに治安は悪化していた。誰かが死んだとしても――犠牲にあった被害者も死刑にした加害者も何事もなかったかのように生き返ってしまう。罪は償われずに消去され、徒労感ばかりが募る自警団員の数は減り、その代わりに犯罪者の数が増えていった。しかし、香田は優れた記憶力をもつがゆえに暴力の爪痕が心に残り続け、いまだに報われぬ自警を続けていた。彼の唯一の安らぎは、新聞記者仲間である木下からもらった試作品の携帯ゲーム機で、ひたすらハイスコアを更新して虚しい日々をやり過ごす。

 繰り返しの原因は何なのか、終わりはあるのか。香田の友人・木下はこの狂乱の中で原因究明を続ける数少ない人間の一人で、彼から久しぶりに香田へと連絡が来る。なんでも、とある病院に1月1日から眠り続け、繰り返しの終わりである7日の夜に老衰する男性がいるというのだ。この老人がこの繰り返しの鍵となるかもしれないと熱弁する木下。香田は半信半疑だったが、木下の熱意と現状への不満から彼の話に乗る。

 老人のいる病院は眠り族が大勢いる為、香田の所属する自警団組織が守っていたので侵入自体は容易だが、他の自警団員に見つかれば、裏切者として付け狙われてしまう。案の定、香田は他の自警団に見つかり、さらには眠り族狩りの襲撃を受けるが、木下の足止めによって何とか老人に眠る病室へとたどり着く。何の変哲もない場所であったが、そこには老人には相応しくないものが一つだけあった。香田が持っているのと同じ非売品の試作携帯ゲーム機だ。思わずスイッチを入れると、デバッグメニューが表示され――導かれるように香田はRESETを選択する。

 目を覚ますと、そこは静かな宇宙であった。宇宙船内で低温処理中の乗員が過ごすシミュレーション、それが繰り返される1989年の正体だった。自分たちは全員眠り族だったのかと香田は薄ら笑う。繰り返しの原因は宇宙船に小惑星が激突した事によるゲームマスター担当の老人AI停止であり、他にもフードジェネレーターが壊れて深刻な食料不足に陥っていた。このままでは食料が尽きて全員死亡してしまう。果たして解決方法はあるのか……このまま乗員を寝かせていれば、彼らはゲームを続けながら緩やかな死を迎えられる。香田は悩みながらも全乗員を強制的に覚醒させる事にする。より過酷な、今後に想いを馳せながら。

文字数:1199

内容に関するアピール

Time is over.

つまり、時間がないためにアピール文は作成できませんでした!

文字数:40

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 ネオンの放つ淡い光が、繁華街を彩る看板たちを照らしている。夜の7時。本来であれば人でごった返すはずの大通りは閑散としていた。通りの店はどこも営業しておらず、かといって閉店をしてシャッターを降ろしている訳でもなく、忽然と店員が消えたかのような状態だった。

 その閑散とした大通りを、一人の男が歩いていた。30代半ばだろうか、中肉中背で体型はこれといった特徴がなかったが、野球のキャッチャーが身につけるプロテクターと膝のレガースを装備しており、およそ繁華街には似つかわしくなかった格好をしている。一見するとふざけているように見えるが、男の表情は真面目で、辺りの様子を注意深く窺っているようだった。

 どこからか鈍い物音がして、男が立ち止まり脇道の方を向く。どこから聞こえたのか思案するように睨んだ後、音のした場所へと猛牛のように駆け込んだ。しかし、時既に遅かったようだ。男が現場に着くと、ザクロの実が弾けたように頭蓋が砕けた青年が虚ろな目をして路上に倒れており、フルフェイスの三人組がバイクにまたがりエンジンをふかして今にも走り出すところである。

 男は背負っていたリュックに手を伸ばし、中からガチャガチャのカプセルを取り出して三人組の前方へと投げつける。カプセルが地面に当たると中から大量のネジが弾け飛び、周囲にぶちまけられて、走り出したバイクのタイヤを切り裂いて二台がスリップした。しかし、残りの一台のバイク――火がペイントされた赤いフルフェイスの乗るバイクだけはロードレースのように車体を斜めに倒して蛇行し、ネジを器用に避けていく。

「また逃がしたか……」

 バイクが逃げた方向を見つめながら、男が呟く。一瞬拳を握りしめたが、すぐにスリップした二台のバイクへと走り寄り、道路に体を打ち付けてうずくまるフルフェイスの二人の手足を、慣れた手つきで縄を使って拘束する。

 「まだ自警団やってんのかよ、おっさん」

 拘束されたフルフェイス――今は脱がされてニキビが浮かんだ少年の内の一人が、男に吐き捨てる。男は意に返さず、少年たちの持ち物を漁って学生証を見つけると、脳に焼き付けるようにじっと眺めた。

「へっ、どうせ忘れるだろ」

「何人俺たちみたいな奴がいると思ってんだよ」

 少年たちがあざ笑うと、今度は男も笑う。

「君たち、五日前の午後十時すぎに神泉の公園にいただろ?」

「……は?」

「バイクの機種とナンバープレートのはがれた跡、それに君たちの背格好がぴったりと合うからね」

「な、なんだお前!!」

 少年たちは怯えた目つきで男を眺める。

「記憶力にちょっと自信があってね。君たちの名前と住所くらいなら忘れないよ」

「こいつ、もしかして……」

「……あっ! お前コウダか!?」

 少年たちは青ざめた顔でその男――香田を見つめる。一方、香田 淳(こうだ じゅん)は自分の名前が出ると押し黙り、逃げ延びたバイクが消えた方向を見つめる。

「ネズミがいるのか」

 香田が唇を噛んで薄く血がにじむ。

「一体誰から聞いたんだ? 逃げた奴か?」

「お、教えるかよ!」

「だったら、心苦しいが手段は選ばない」

 香田がリュックに手を伸ばして中を探り、ペンチや針が出てくる。

「わかった! わかったから!」

「あんたの名前、さっき逃げた奴に教えてもらったんだよ!」

「やっぱりそうか……火がペイントされたフルフェイス、何度か見覚えがある」

「それで、奴の名前は?」

「それは――」

 少年たちが口を開きかけた時、香田の意識が飛んだ。

 

 ◆ 

 

 香田が目を覚ますと、そこは彼の自宅マンションであった。リビングの時計の針は真上――0時0分を指している。つけっぱなしのテレビでは、1989年の到来を祝う正月番組が流れていた。ハッピーニューイヤーのかけ声が、途中でかすれたかと思うと、先ほどまで祝賀ムードではしゃいでいたであろう芸能人たちが無言でスタジオから去っていく。一人だけ、はしゃいで餅を一気に食べていた芸人が喉を詰まらせ、真っ青な顔で泡を吹いて倒れている。もう何度も見た光景だ。

 このループが始まってから1589回目の1月1日は、いつものように混沌から始まった。彼の住む自宅マンションのベランダからは、近所の神社を眺める事が出来るが、今年の抱負を胸に抱いていたはずの参列客たちが我先にと走り出して境内から出て行くのが見える。

 ループの始まりの瞬間、一カ所に集まっていた彼らは少し運が悪い。時たまターゲットにされる事があるからだ。けれど、大体は逃げ延びられる。襲う側も始まりの瞬間は準備が出来ていないからだ。真に運が悪いのは、ループの始まりに意識が覚醒していない者――年越しの瞬間に眠っていた酔狂な者たちだ。彼らは眠り族と呼ばれており、ハンターたちの格好の獲物だ。

 香田の近所にも一人、知り合いの眠り族がいた。彼女の名前は青海 香奈(おうみ かな)と言い、新聞記者であった香田がある事件の取材を行う中で知り合った。青海は香田のマンションからバイクを飛ばして十分ほどの場所にある児童養護施設で暮らしている。眠り族を狙うハンターの中には子供を好んで襲う連中も多く、香田はループの始まりになると、いつもその養護施設へと急いで行き、ほかの自警団員と共に保育所の警備をしていた。

 今回のループの際も香田は保育所の警備をしながら、眠っている子供たちの事を考えていた。彼らはそれぞれの事情で家族を失い、ここで暮らしている。それだけで大きな代償を払っているのに、どうして更に重荷を背負わなければならないのだろうか。

「香田さん、今日もありがとね」

 寝ぼけ眼の青海が、白い息を吐きながら話しかけてくる。養護施設では最年長である17歳である彼女は、もう来なくなった職員の代わりにぐずる子供たちを起こしてまわってきたはずだが、その後に毎回律儀に自警団員たちにも挨拶にくる。そんな彼女の姿を見るたびに香田は頭が上がらない思いだった。彼女の姿を見て気を引き締めた香田は、1月1日を寝ずに過ごして警備を続けるのが初日の日課だ。そして、0時過ぎになって別の団員と交代し、マンションに戻って睡眠をとった後に自警団員たちの本部へと向かう。

 

 ◆

 

 香田は電車が運行しなくなった地下鉄の路線をバイクで走行し、都内へと向かう。途中にあるターミナル駅の構内にスポーツ用品店が入っているので、そこでプロテクターとレガースを拝借して装備をととのえた。

 今回のループで自警団の本部があるのは、とある繁華街の雑居ビルだった。電話で伝えられた住所を頼りに香田がそのビルにつくと、そこはかつてピンサロやブルセラショップなどが営業していた風俗ビルであったが、今は客も従業員もいない。いるのは重装備のむさ苦しい男たちがだけだった。香田も含めて全員が自警団の幹部たちだ。

 香田はかつてピンサロが入っていたであろう薄暗いフロアを眺めながら、いくら何でも別の場所を本部にした方がいいのではないかと思ったが、ループの度に場所を変えて特定を避けるというのが団長の方針だったため、時折このような場所が本部になることがあった。ただ、こういった風俗が入っている雑居ビルは裏口が人目のつきにくい脇道である事が多かったので、潜伏場所としては存外に重宝した。

 薄暗い部屋の中で、幹部たちが懐中電灯を使ってピンサロ店の壁を照らし、大きな地図を張り付けて今回のループにおける警備場所の割り振りを決めていく。本部をループの度に変えるように警備場所も変えて、団員たちの身を守っているのだ(ただし、ループの初日だけは団員たちが各々の覚醒地点に縛られてしまうため、割り振りがあるのは二日目以降の警備場所となる)。

「溜池記念病院は……最低五人は必要だろう」

「ですが、千代田区の人員は残り二人しかいませんよ」

「あの病院はほとんど寝たきりの老人しかいないし、ハンターのターゲットにはなりにくいんじゃないか?」

「いや、さすがに二人じゃ虐殺が起きますよ!」

「そうは言っても……」

 幹部たちの議論が紛糾している。ここ最近は、ループの度に自警団員の数が少なくなっており、慢性的に人手が足りないのだ。理由としてはさまざまあるだろうが、一番は団員たちがこの自警活動に意義を見出すことが難しくなっているというのが香田の見立てだった。実際、暴力行為を行うハンターたちを拘束したとしても、ループの始まりになればループの開始地点へと逃げられてしまう。そして、必死で守った相手も次のループには無惨に殺されてしまうかもしれない。さらにいえば、死んでしまった人さえ次のループが始まれば元に戻る。一体、この活動に何の意味があるのだろうか、というのは団員ならば一度は頭によぎる事ではないだろうか。

「我々は人の心を守っているんだ」

 フロアの奥で議論をじっと見守っていた男が、口を開いた。この自警団組織の団長である。大きく声を張り上げるわけではなく、独り言のようだが、しかしフロアの皆に響きわたる。

「たしかに肉体は何度でも蘇る……けれど、傷ついた心はどうだろう? 私はある少女の親に話を聞いた事がある。彼女は家族と共にハンターに襲われてからというもの、10週以上に渡って一度も食事を取っていないそうだ。この世界を拒絶して、生きる気力を失ってしまったのだろう……心が死んでしまったんだ。私はその少女を知ってから、自警活動を始めた」

 団長の言葉を聞いて、ほかの人々は押し黙ってしまった。自警活動の意義を再度確認した者、あるいは人員配備にばかりを気にしていた己を反省している者、みな団長の言葉に感化されているように見えた。しかし、香田は違っていた。団長の言葉を聞いて香田が思い出したのは、前のループの最終日、ハンターに襲われて頭蓋が砕けていた青年の事だった。

 香田はあの青年を見た時に何も心が動かず、ただハンターを捕まえなければならないと機械的に体が動いていたのを思い返した。俺の心は、果たして生きているのだろうか。自問自答してみるが、答えが嫌になって意識を切り替える。

 

 ◆ 

 

「よっ、しけた面してんな!」

 配置分けの会議が終わった後、恰幅のいい者が多い自警団員の中でもひときわガッチリとしたスポーツマン体型の男が香田の背中を叩く。

「ちょ、やめろ! お前の手は凶器なんだよ」

「へへ、背中を丸めてからだ。貧乏神を払い落としてやったんだよ」

 軽口を叩いている男は、香田と同じ新聞社に勤めていた記者仲間の木下だった。香田と同じ報道部に勤めており、仲間であると同時にライバルでもあった。

 香田は木下と雑居ビルの屋上へ上がり、タバコに火をつける。

「しっかし、自警団もそろそろ終わりだな」

「そんな事言うなよ。まだやる気のある団員たちは多いぞ」

「ほー、会議で始終暗い顔してた奴がよく言うよ」

「……まったく、お前はよく見てるな」

 木下に見透かされていたのを知って、香田は頭をかく。

「別に気にすんなよ。俺だって気が滅入っている」

「へえ、会議の時はまったく気付かなかった」

「俺は演技派だからな。学生時代は強打者だったし」

「は? どういう事だよ」

「強打者ってのは、ここぞという時にデッドボールの演技が出来るんだよ。俺の演技力のおかげで、我が母校は六大学リーグで優勝できたようなもんだぞ」

「なるほど、それはオスカー並だな」

 木下とたわいもない雑談をしていると、香田は昔に戻ったようにリラックスできた。

「……おい香田、あそこ見てみろよ」

 木下が屋上の縁に設置された柵の前でかがんで指さす。その先には、フルフェイスの男が一人、繁華街を歩いている。背中のバッグの口からは、ホームセンターから奪ってきたのか大きな斧の刃が覗いていた。

「……ハンターか」

 この雑居ビルからの距離はおそらく80mほどだろうか。すでに会議は終わっているとはいえ、まだこの付近に残っている団員たちは多い。香田はポケベルを取り出して警戒するようにメッセージを送っていると、木下がおもむろに自分のリュックから野球の硬球を取り出す。

「まさかお前……当たるわけないだろ。ビル風だって吹いてるんだぞ」

「まあ、見てろって」

 木下はそう言って腕を振りかぶり、ダイナミックなフォームから白球を宙へ放る。糸を引いたように一直線で進んだ球は、黒いフルフェイスへと吸い寄せられた。鈍い音がして黒い破片が周囲に砕け散り、ハンターが勢いよく道路に倒れた。香田が言葉を失っていると、木下が振り向いてニカっと笑みを浮かべる。

「俺、ピッチングも得意なんだぜ」

「はは……記者よりもプロ野球選手の方が向いてたんだじゃないか」

「なあ、溜池記念病院の件、知ってるか」

「ん? 今日の会議で話題になってたとこか」

「そうそう。あそこに俺、ここ最近は毎週1回は配属されたんだよ」

「じゃあ、今週もか?」

「いいや、3週ぐらい前から外されてる」

「へえ、人数が足りないのに……もしかして、またやらかしたのか?」

 木下は香田と同じ34歳で、10年前にはもう結婚をして子供ももうけているが、女関係にだらしないところがあった。

「いやいや、今回は違うって」

「本当かぁ? どうせ入院してる美人患者にちょっかいかけたんじゃないか?」

「惜しいな。美人じゃなくておじいさんの患者だよ」

「ってことは、お偉いさんを怒らせたって訳か」

「いや、それがお偉いさんかどうかも分からないんだ。病院に勤めてた医者に話を聞いても知らない患者らしくてな」

「んん? じゃあ元々入院していた人じゃなくて、どこからか避難してきたのか?」

「そういう訳でもなさそうなんだよ。ちゃんとループの開始時にはベッドで寝てるんだぜ」

「へぇ……一体どういう事だろうな」

「ふふ、お前ものってきたな。記者魂に火をつける患者だろう?」

「あるとすれば、ループが始まる前に別の患者の見舞いとかで病院を訪れていた人が空いてたベッドで寝てしまった、みたいなケースかな?」

「もちろん、そういった線も探りを入れようとしたんだけど、ほかの団員がつきっきりで肝心のおじいさんと直接話せないんだよ」

「団員の誰かの親とか恩人か、いずれにせよ事情がありそうだ」

「そうそう。で、これは面白そうだと本格的に調べようとしたら、急に病院の警備から外されちまったんだよ」

「ほう……今日の会議でも人手不足を嘆いていたのにおかしな話だな」

「一人、物好きなナースがいてな。未だに病院にきて患者の世話をしてるんだよ。で、そのナースが言うには、その老人が一回だけループの始まりから終わりまで寝っぱなしの時があったんだってよ。その週が、例のループの時と重なるんだ」

 木下がにやりと笑う。記者時代にスクープを掴んだ時と同じ顔だ。

「えっ……例のループって、あのことか?」

「おう、お前が言ってた3秒だけループの瞬間が長かったって週だ」

 香田が思わずのけぞる。自分でもそのループの時のことはよく覚えていた。めったに自分の希望を言わない青海が、珍しく最終日に遊園地へ行きたいと話していたので護衛としてついていった時のことだ。もっと大人数で行った方がいいと助言したのだが、自警団の人手も少ないからと青海は断られて、結局二人で行くことになった。今思えば、ずっと携帯ゲーム機でばかり遊んでいる自分を見て、青海の方が気を遣って誘ってくれたのかもしれない。

 あの時は、何も乗り物が動かない遊園地を、それでも楽しそうにまわっていた青海を見て、香田は胸が張り裂けそうな寂しさを覚えた。まわらなくなったメリーゴーランドに乗った青海のために、香田が白馬を押してやると、こちらが驚くほど楽しそうにしてくれたので、年甲斐もなく張り切って汗をかいた。

 結局、夕方まで遊んでくたくたに疲れ、最後の方は二人でベンチに座り、特に何か喋るでもなくぼんやりと景色を眺めていたら、青海がこちらの手を握ってきた。一瞬、何が起こった分からず、香田が固まっていると「あの……迷惑ですか?」と青海が口をひらく。「め、迷惑ではないかな……」とだけ答えて、香田は再び押し黙った。倍も年上なのにまともに対応できない自分の情けなさと、心の中で渦巻く感情の制御に精一杯で、相手に意識をさく余裕が全くなかった。何とか口を開こうと思案していた時、後方から微かな物音を感じ取る。振り返ると、10人近いハンターが物陰からこちらの様子を窺っていた。

「しまった……」と思った時には、すでに囲まれてしまっていた。急いで青海の手をひいて駆け出し、アトラクションの死角になるように位置取りをして逃げ、何とか時間を稼いでループの終わり際まで粘ることは出来た。しかし、結局あと一歩というところで捕まり、青海がハンターの一人が持っていた猟銃で胸を撃たれたのだ。ただ、あれは本来であればハンターが発砲する直前に、ループが終わっていた時間のはずだった。

 青海の手から力が抜けていく感触を、香田はいまだに覚えていた。あの日以来、一度も手を握っていない。

 「本当に、あの時のループで間違いないのか?」

「おうよ。確証を取るために、その週に起こった事をナースに聞いたんだが、正月特番で喉に餅をつまらせた芸人が、その週はADに助けられて無事に生き残ったって言ってたぜ。たしか、その週だったろ?」

「……いや、木下。それは一つ前のループだ」

「ええっ!? まじでか」

「ああ、残念だったな」

「そうか……まあ、お前の記憶力だ。実際に

違うんだろうな……はあ、何かあるんと思ったんだが」

「スクープを逃したみたいだな。どうせ、今は載せる媒体もないんだから気にするなよ」

 肩を落とす木下を香田は慰める。しかし、香田は嘘をついていた。

 

 ◆

 

 翌日、香田は自警活動を終えた後、かつて勤めていた新聞社の前に立っていた。目的は、自分が取材の際に使っていた道具を回収するためだ。

 香田が木下についた嘘は、例のループの時期について。あの芸人がADに助けてもらったループと、例のループは同じだった。つまり、溜池記念病院の老人が延々と眠りについていたのは、ループの終わりが3秒長かった時だ。木下に悪いなと思いつつ、香田は例の老人について一人で調査をする事にしていた。理由としては、すでに自警団から目を付けられている木下が下手に動き回れば、木下が自警団にいられなくなったり、老人へのガードが強くなるかもしれないこと。そしてもう一つ、木下には家庭を大事にしてもらいたいと香田は思っていた。

 このループが始まってから、木下は奥さんと育児方針を巡って喧嘩が絶えないらしい。奥さんの方は、このループが終わった時に備えて今の内に小学生の息子へ英才教育を施したいと考えていた。同じ考えの主婦同士で私塾を開き、その塾の小学生たちはすでに高校卒業程度の学力が備わっているらしい。それどころか、語学学習にも力を入れており、木下の息子は今では五か国語を流ちょうに操っているそうだ。

 これだけならプラスの要素しかないが、問題なのは私塾に通うために頻繁に外出をしなければならない事だった。塾の小学生たちは、教師が住んでいる自宅や近くの公民館などに足を運ばなければならないため、外出をすることになりハンターに襲われる危険に子供が身をさらす。

 たいていの市民は、自警団の守る小学校などの施設に固まっているか、どこかで食料をかき集めてバリケードをはった家に立てこもったり、人の立ち寄らない隠れ家的な場所に身を隠してループをやり過ごしている。だから、木下は息子を心配して、ループの時に一回木下が近所の図書館で本を大量に持ち帰って息子に読ませる程度で勉強は構わないのではと意見しても、奥さんはガンとして譲らないらしい。

 子供の付き添いとして奥さんが一緒について行くのも気になるという。ハンターに襲われる危険はもちろんだが、木下としては何故私塾の教師たちは慈善事業で子供に勉強を教えているのかが気になっており、どうも不貞を疑っているらしい。ようは、子供に勉強を教える代わりに奥さんが教師と寝ているのではないかと考えているのだ。それで、一度木下が私塾の調査をしたのだが運悪くバレてしまい、それ以降ほとんど奥さんと口をきいていないらしい。

 奴が自警団の活動に力を入れたり、寝たきりの老人を熱心に調査しているのは、正義感や記者魂だけでなく家庭の問題から目を背けるためではないかと香田は勘ぐっていた。

 そういう訳で、香田は木下に嘘をついて、一人で老人について調べることにした。香田が確認している範囲では、青海が一度死んだあのループ以外で、ループするタイミングが少しでも変わった事は一度もない。あのループの時に何かがあったはずだ、と香田は前々からずっと考えていた。

 社員証と暗証番号を入力して、香田はビルの裏口から中に入る。

 4階の報道部にあがって自分のデスクを見つけると、引き出しの中から取材道具をかき集めた。引き出しの中には、自分の書いた自信のある記事をファイリングした資料があり、何気なく開くと止まらなくなった。新人時代の若々しい記事から、今でも自分の拠り所となっている記事、そして青海の家族が巻き込まれた事件を扱った記事もあった。

 その事件があった時、青海はまだ小学生だった。塾から帰ると家がもぬけの殻となっており、1ヶ月後に家族は死体として発見された。当初は大量の証拠があり、犯人逮捕は時間の問題だと言われていたが、初動捜査の不備があり、予想外に難航していた事件だった。自分がこの事件に興味を持ったのは、おそらく家庭環境が影響している。自分が中学生の時に、父が殺人犯として逮捕されたのだ。

 父は二十代の時に、幼少期から付き合いのある知人をひどく暴行した上で殺害し、死体をバラバラにして山に遺棄した容疑で捕まった。それまでの父のイメージは穏やかで優しく、気性でいえばむしろ母の方が荒い印象すらあった。自分が粗相をしても決して怒らずに諭してくれ、嫌な事や辛い事があったりするといつも父に泣きついていた。そんな父が大好きだったから、逮捕の事はずっと受け止められなかった。今でも事実としては認識しているが、気持ちの整理がついていない。

 その父の事件と、青海家の事件は犯人のやり口が似ていた。半ば父の気持ちを理解するためのように事件にのめり込み、気がつけば捜査員に意見を求められるほどに詳しくなっていた。 青海と親しくなったのも、この事件にのめり込んでいったからだ。

 あまりにも入れ込みすぎて、当時結婚を約束していた彼女には愛想をつかされてしまったが、懲りるどころか失恋のショックを忘れるためにさらにのめり込んでいた。取材をする内に捜査員と仲良くなり、こっそり内部の資料も見せてもらっている内に、警察側の思い描く犯人像と自分の中で膨らんでいく犯人像にズレができていき、素人の一意見として話した推理が、後の犯人逮捕につながった。

 そのせいか、一時期青海には会う度にひどく感謝され、現人神のように扱われていた時期もあった。それが気持ちよくなかった訳ではないが、元々の取材の動機は自分の父が犯した犯罪にあり、一発大きなヤマを当てたいという新人記者としての巧妙心もおおいにあった。だから、彼女に対してはどこか後ろめたい気持ちを抱えており、あのループの際に手を握られた時も、嬉しい気持ちが全くなかった訳ではないが、それよりも自分は立場を利用して彼女を洗脳してしまったのではないかと罪悪感がつのった。そして自分を恐れた。

 香田は思春期の頃から、何よりも自分自身を恐れていた。殺人犯の父を持つ自分。あんなに優しかった父が、残忍な事件を行っていた。その事が、呪いのように意識にとりつき、いつか自分も同じように人を殺すのではないかと怖かったのだ。そのせいか香田は、自警団には入っているがハンターを殺した事が一度もなかった。どんなに許せないおぞましい行為をしていた者でも、体が動けないように拘束するだけであった。

 そのせいで、自分が捕まえたハンターが別のハンターによって解放され、犠牲者が出たこともある。青海と一緒に遊園地へ行った時も、実は香田は元々警察官だった自警団員から護衛用として拳銃を貸してもらい、事前に試し撃ちまでしていたのだが、あの場面で発砲する事が出来なかった。

 幼少期は警察官になりたかったのに結局記者になったのも、自分が力を持つ存在になるのを恐れていたからだ。けれど、記者として犯罪について調べていると、同僚の誰よりも熱中している自分がいた。それが父の事件の悔恨によるものなのか、それとも自分の隠れた暴力衝動によるものなのか……。

 心が闇へと引きずり込まれそうになるのを感じて、香田は資料を閉じる。そして、リュックに忍ばせていた携帯ゲーム機をひらいた。ストレスがたまると、香田はゲームをすれば心が静まったので、常日頃持ち歩いていたのだ。ただ、ゲーム会社を取材した際に、発売間近の試作機を記念にもらったもので、ソフトは一つしかなかった。

 香田はあまりゲームには詳しくないが、シューティングと呼ばれるジャンルで、恒星船を操って次々と現れるエイリアンという設定のモンスターや敵の恒星船を撃墜していくというもので、純文学やヨーロッパのいわゆる作家性が強い映画などを好む香田の肌にはあまり合うものではなく、ループの前は一度さわったきりで放置していたのだが、青海との一件があった後にしばらく気が滅入ってしまい、気晴らしに手にとってから思いの外はまってしまった。10分ほどプレイして一面をクリアすると、心から余計な雑念が消えていくのを香田は感じる。

 答えのでない問いに身をゆだねるよりも、今は例の老人について調べることに意識を集中するべきだ。新聞社を飛び出た香田は、老人の入院する溜池記念病院へと向かう。

 溜池記念病院の敷地数百メートルまで近づくと、付近の高層マンションへと侵入して屋上まで上がり、リュックから組み立て式の望遠鏡を取り出してちゃちゃっと完成させ、病院の様子を窺う。溜池記念病院はコの字型をしており、それぞれの辺が、診察棟、リハビリ棟、入院棟と役割が分かれており、自警団員は入院患者のいる入院棟――コの字でいうと真ん中の奥まった部分を重点的に警備しているようだった。かつては見舞い客を迎え入れていたであろう中央の入り口は、大型トラック三台をつかったバリケードで封じられていた。

 香田は迂回をしながら反対側にあった高層マンションに移動して、入院棟の裏側も確認してみる。こちらは表よりも手薄であったが、自転車が屋根にくくりつけられた軽自動車を複数台つかって裏口までのルートを人が一人ぎりぎり通れる幅で限定しており、さらに裏口付近で二人の自警団が監視をしていた。彼らのズボンにショルダーのようなものが取り付けられており、おそらく拳銃を携帯しているだろう。今まで見たどの自警団の施設よりも念入りな警備が施されていて、香田は軽い衝撃を受けた。木下の話を聞いて、何かあるかもしれないとは思っていたが確信に近づいた。

 しかし、入り口だけでこの念の入りようでは、中に入るのは一苦労だ。もし警備が手薄だったら、近くを通ったから助っ人として病院の警備に混ざり、老人について調べようと思っていたのだが、同じ自警団員とはいえしっかりとした理由がなければ、おそらく中に入れてもらえないだろう。香田は計画を改めるために帰路に就く。

 翌日、警備が手薄そうな他の二棟から侵入する手も考え、香田はかつて取材したことがあり、今でも居場所が分かる人物――地下鉄の線路内で暮らしているホームレスのよっさんにお願いして、溜池記念病院の診察棟を調べてもらうことにした。香田自身は、国会図書館に侵入して溜池記念病院についての資料を集めた後、都内のとあるビルへと向かった。そこは海外で美術館を建てた経験もある某有名建築家の建設事務所が入っており、溜池記念病院もその建築家が建てたものだ。溜池記念病院を観察していた時、外壁のモザイク状のタイルに見覚えがあり、いくつか香田の好きな建築家の出版した本をめくっていたら、案の定、溜池記念病院の写真が出てきた。その建築家のファンだった香田は、以前目にした事があったのだろう。

 ビルの一階にある窓を割ってトイレから中に侵入し、事務所のあるフロアへとあがる。売れっ子だけあり、膨大な案件を扱っていたのか、資料室には設計図をおさめたファイルだけでも数十個あったが、几帳面な設計でしたら建築家だけあって建物の種類ごとにファイルがきちんと整頓されており、ものの数十分ほどでお目当ての溜池記念病院の設計図を見つけることが出来た。何度もの改稿や専門用語が入り交じる資料の読解は中々骨が折れたが、記者時代に鍛えた経験で食らいつき、何とか読み解いていく。すると、溜池記念病院は元々戦時中の軍事用医療施設の跡地に作られたもので、避難用に作られたトンネルが、病院から数百メートル離れた位置にある、今は公園として利用されている敷地へと今でもつながっているらしい事が分かった。思わぬ発見に興奮する香田は急ぎ足で建築事務所を後にする。

 

 ◆ 

 

 溜池記念病院から数百メートルほどの地点にある公園の、防空壕跡地で現在は滑り台が設置されている小山の前に香田は立っていた。そして、周囲の地面を探って金属製の扉を見つけ、有毒ガスの危険性を考慮して自宅近くの化学工場から取ってきたガスマスクを装着し、地下へと降りていく。ところどころ木の根が侵食して途中の通路が極端に狭くなっており、香田は身に着けていたプロテクターを外して何とか通り、一時間ほどかけて設計図にあった通り溜池記念病院の地下にあるボイラー室に侵入することが出来た。

 目的である老人には一歩近づいたが、ボイラー室の外に出れば、病院内を巡回しているであろう団員に見つかるかもしれない。言い訳はいくつか用意していたが、当面の間は自警活動の停止、もしくは自警団から追放されるかもしれない。

 今の自分の心を支えているのは、自警団としての活動が大半を占めているのを香田はよく分かっていた。正義の側に立つ事で、精神を保っていられるのだ。ならば、どうしてこんな事をしているのか。香田は自問自答する。ループの謎を解くため? 今まで自分よりも遙かに賢い連中が解明を試みて、ことごとく散っていった謎に挑む? 馬鹿げた考えだ。けれど、わずかな可能性であろうとこのループの謎に迫れるのであれば――止めることが出来るのであれば、その可能性を見いだしてしまったら香田は止まることができなかった。

 この世界は、あまりにも人を暴力へと駆り立てる。香田はずっとそう感じていた。ループの以前では善良なはずであった知り合いが、ハンターに変わったのを香田は何回も見ている。好青年として近所で評判で、香田と大した知り合いでもないのに道で会うとさわやかに挨拶をしてくる大学生が、ワイドショーを騒がせた凶悪犯も真っ青になるような蛮行をループの度に繰り返している。

 その事が恐ろしくてたまらない。自分もいつか、ハンターになってしまうのではないか。今までの自分は仮の姿で、特定の条件がそろえば暴力に身を任せてしまうのではないか。誰にも言った事はないが、ずっとその事が不安でたまらなかった。

 思わず携帯ゲーム機に手を伸ばしそうになるが、さすがに今はそんな場合ではない。深呼吸を何度かして心を落ち着け、香田はボイラー室を出る。

 病院の廊下に出ると、院内は静まりかえっていた。ナースや医者はもうほとんど来ていないのと、病室にいる患者はほとんど寝たきりであるため、物音が聞こえるとすれば巡回しているであろう団員のはずなので、当然といえば当然かもしれない。香田が慎重に移動していると、時折十数メートル先から足音が響きわたってきた。団員だろう。これほど遠くから聞こえるなら、近くのトイレや給湯室に身を隠すのも簡単で、思いの外苦労せずに移動できた。木下から聞いた老人のいる病室は最上階の五階だったが、案外楽に行けるかもしれない。

 そう思った矢先、複数の走ってくる足音が聞こえてくる。近くのトイレや給湯室に逃げ込む時間はない。とっさに真横の病室へと逃げ込んだ。しかし、逃げ込んでから後悔する。中には寝たきりの老人と――ぽかんと口をあけているナースがいた。慌てて彼女の口をふさぎ、耳元でシーっとささやく。ナースは香田をハンターだと思ったのか、すぐに抵抗をやめて大人しくなった。襲われ慣れているのだろう。無駄に反抗をしない事が、苦痛を少しでも減らす術だと知っているのだ。その姿を見て香田は心を痛めるが、今は状況を説明する余裕はない。

「……すみません、親父に会いたくて勝手に入ってしまったのですが、身を隠せる場所はありますか」

「……え?」

 一度覚悟を決めたはずのナースは一瞬きょとんとするが、すぐにベッドの下を指さした。香田は急いで下へと潜り込む。その数秒後、病室の扉が勢いよく開かれた。香田の視界からは、四人分の足が見えた。香田が病室の扉を開いた時の音を聞き逃さなかったようだ。

 この病室にはナースがいたので、とっさについた嘘をナースが信じてくれれば、団員をやり過ごせるかもしれない。香田がベッドの下でじっと祈っていると、シュパッという空気がすばやく抜けたような音がして、床にナースが倒れた。

 突然の事に香田は言葉を失ってしまう。皮肉な事に、その事が結果として香田にとって幸いして悲鳴をあげる事はなかった。

 何発か同じように空気がすばやく抜けるような音がして、ナースが人形のように床で跳ねた後、病室に入ってきた四人の内の一人が屈み、ナースの手を取って脈を確認する。

「死んだよ」

 まるで興味のなさそうな素っ気ない言い方に、香田は背筋が凍りそうだった。相手の顔は、ベッドの下の香田からは微かに見切れる程度であったが、フルフェイスをしているのが分かった――ハンターだ。しかも、サイレンサーの銃を使っている。一体この日本のどこで手に入れたのか。

 病室からハンターたちが出て行った後も、香田はベッドの下にいたままうずくまり、数分後に芋虫のような速度で這い出てくる。

 病室の扉に耳をあて、物音がしないのを確認してから香田はおそるおそる扉をあけた。廊下には誰もいない。それを確認してからまた病室へと戻り、そしてベッドの下に潜り込む。このまま寝てしまいたかった。しかし、倒れたナースの虚ろな目と視線が合い、慚愧の念にかられる。彼女は俺が殺したようなものだ。

 心が空っぽになり、視線が宙をさまよう。しばらくして、あれほどあった恐怖や後悔がひいていき、覚悟だけが胸に残った。

 おもむろにベッドの下から這い上がり、倒れたナースの体を持ち上げて、空いたベッドへと寝かせる。せめてもの報いだった。そして、病室の扉をあけて廊下へと出て行く。向かうのは五階だ。階段がある中央のフロアへまで耳を澄ませながら一気に歩く。上の階から悲鳴が聞こえた。声を頼りに三階へと駆け上ると、血がにじむ胸ポケットを抑えた団員が廊下に倒れていた。そして、団員から数メートル先にハンターたちがいた。一人は屈んで脈を確認し、他の三人は周囲を窺っている。その中に火のペイントがされたフルフェイスをかぶった男がいた。とっさにある事が脳裏をよぎるが、それよりも先にポケットに忍ばせていた拳銃に手を伸ばして発砲する。

 狭い廊下に密集していたのが幸いしたのか、四人のうち二人に命中した。一人は右足のふとももに、もう一人はわき腹に。どちらもすぐには動けなさそうだ。しかし、床に屈んでいたサイレンサーを持った男には当たらず、こちらを狙ってくる。しまった、と思った瞬間には胸を撃ち抜かれている。つんのめり、うつ伏せに倒れる。

「ひゅ~ナイスショット」

「ふ、当たり前だろ。僕は国の強化選手だぞ」

 香田の死を確信したのか、二人のハンターたちが軽口を叩く。

「で、こいつらはどうする?」

「ああ、いいよ。別にやっちゃって」

「あっそ」

 さらに二発、銃弾が発射された。香田の銃弾が当たったハンター二人を始末したのだろう。なぜ分かったのか……それは、自分の体に銃弾の衝撃が走らなかったのを、香田は認識していたからだった。うつぶせに倒れたのは銃弾の衝撃で転んだだけで、痛みはまったくなかった。ボイラー室にいた時にいったんプレイしようとして取り出した携帯ゲーム機を内ポケットに入れていた事を、香田は思い出す。そして、おもむろに顔をあげ、ゆっくりと狙いさだめてから発砲した。

「へっ……?」

 自分の腹が血に染まっているのを、全く理解できないといった様子で、サイレンサーの男がゆっくりと崩れ落ちる。残るは火のペイントがされたフルフェイスのハンターだけだ。奴は事態を飲み込むと、一目散に香田へと走ってきた。

 香田は一瞬、意味が分からなかった。拳銃を持っているのはサイレンサーの男だけで、あのハンターは持っていないのか? だから、近距離戦を挑んできているのか? 疑問が頭をもたげつつも、ハンターに狙いを定めようとしたが、その寸前にタックルをされて体が吹っ飛ばされた。

 タックルの衝撃で呼吸が出来なくなりながら、香田の脳裏ではある確信が芽生えていた。

「……お前、木下か?」

 それまで全身から殺気を漲らせていたハンターは、フルフェイスの中からくぐもった笑い声を放つ。

 「やっぱり、お前はいい記者だな」

 ハンターがフルフェイスのマスクを取ると、見慣れた顔が現れる。

「ど、どうしてだよ……」

「おいおい、野暮な事を聞くのはやめろよ? せっかくいい記者だって誉めたのに、そんな凡庸な質問じゃボツになっちまうぞ」

 記者時代に香田が失敗をした時、冗談めかして励ましてくれた時の態度のまま、木下は肩をすくめる。

「ま、肝心なところでいつもの悪い癖が出るようじゃ二流どまりか」

  やっぱりそうか……と香田は腑に落ちる。あのハンター……木下がタックルを仕掛けてきたのは、自分が至近距離の相手に発砲できない――殺せない事を見透かされていたからだ。

 「いやあ、いつも律儀にハンターを殺さず拘束してるからさ。最初はよっぽど正義感が強いのかと思ったけど、あれチキンなだけだろ? だってよ、青海ちゃんとデート中に襲われても、結局発砲しないのは流石にないじゃん? 何であの時に男を見せなかったわけ? 俺的には、どっちかというと恋のお膳立てのつもりだったんだけど?」

 木下の告白に、香田は小刻みな体の震えが止まらくなった。今まで自分が見てきた木下は何だったのか。

「でもまあ、正体もバレっちゃったし、こっからはもっと好きに生きようかね。まずは手始めに青海ちゃんを……」

「だ、黙れっ!!」

「お、その調子、その調子。香田もいいハンターになれる素質あるぜ? なんせ、殺人犯の息子だもんな!」

 あまりの怒りに、頭が沸騰しそうだった。こいつは人の事をなんだと思っているのか。拳銃に手をかけようとした瞬間、リュックに入れていたポケベルに着信が入る。青海から専用に設定していたメロディだ。今の自分を見たら、彼女はなんと思うだろうか。一瞬の躊躇が頭をよぎるが、すぐにそれとは別の感情が強くわき上がった。

 木下に銃口を向ける。引き金を引くと、銃声と共に巨体が崩れ落ちた。

「……おい香田ぁ。あのじいさんが本当に何かあっても、こんな楽しい世界を勝手に終わらせるなよ……?」 

 口から血を吹き出しながら、木下があざ笑い、しばらくして生気を失った。

 

 ◆ 

 

 香田が五階にあがると、目的の病室はすぐに見つかった。中に入ると、何の変哲もない病院の個室だった。中央にある病室には、老人が眠っている。木下から容姿について聞いていなかったが、寝たきりの老人が勝手に移動するとも思えない。おそらくこの老人が目的の相手だろう。しかし、こちらが話しかけても老人は何も答えない。目は開いているので起きてはいるし、呼吸も脈もある。いわゆる植物状態なのだろうか。

 その事をまったく考慮にいれていなかった自分に驚いた。会うことばかりに気がいって、どういう状態なのかまるで想像していなかったのだ。会えば何か分かるのではないか、漠然とそんな思いを抱いていた。しかし、そんな思い通りにはいかない。

 今までの努力は何だったのだろうか。あまりの落胆に目の前が暗くなる。思わず、ポケットから携帯ゲーム機を取り出したが、銃弾がぶち当たったのを思い出す。しかし、老舗玩具メーカーの底力なのか、銃弾のめり込んだそのゲーム機はしっかりと起動した。その事にうっすら感動を覚えていると、スタート画面に見慣れぬメニューが追加されている事に気付く。

「通信モード……?」

 

 あまりゲームには詳しくない香田だが、記者としての勘が働いたのか、ある可能性が思い浮かぶ。しかし、それが事実だとしたら更に別の……。老人の病室を探すと、予想したものがあった。香田が持っているのと同じ携帯ゲーム機だ。

 なぜ、老人がこんなものを持っているのか。疑問に覚えた香田がおもむろに携帯ゲーム機を起動してみる。すると、今度はさらに別のメニューが現れた。

 デバッグモード。一瞬、害虫を取り除くゲームでも始まるのかと香田は思ったが、以前読んだPC雑誌の記憶が蘇る。たしか、バグ――欠陥を取り除く作業を指していたはずだ。

 好奇心にかられてそのモードを選択すると、ログイン画面のようなものが表示された。試しにコウダ ジュンと入力したところ、指紋認証が求められる。ただの玩具にそんな高性能な機能が搭載されている事に驚きつつ、画面に親指を押しつける。すると、ログイン画面からデバッグモードとやらに遷移した。香田の脳裏にある考えがうずく。デバッグモードのメニューをしばらく調べていると、一番深い階層に「RESET」を発見した。何かに導かれるように、香田はAボタンを押す。

 目を覚ますと、そこは一見して病室とさして変わらないように見えた。たくさんのベッドのような装置と、中で眠る人間。一番大きな違いは、視界の端に見える外壁が透明になっており、銀河が見える事だった。呆然と立ち尽くす香田の元に、空中を浮遊する手のひらサイズほどの大きさの妖精が近づいてきて、にっこりとほほえみかけてくる。

「覚醒後の準備ルーティンが整いましたので、リハビリルームへご案内いたします」

 頭の中に、いくつも疑問が浮かび上がる。

 

 ◆ 

 

 一週間がすぎた。

 ここではループは起こらない。RESETはなく、ただ延々と銀河が続いていく。それを眺めながら、香田はこの船での事を思い返していた。かつて、香田がループを繰り返していた世界――それは、シミュレーションゲームだった。

 あのゲーム中にいた時の香田であれば、シミュレーションゲームと言われても何の事だか分からなかったが、現在の香田には耳慣れた言葉である。現実の事象をゲーム内でシミュレーションをするこのジャンルは、脳科学とゲーム技術の発展による精緻な仮想現実の再現によって、他のゲームジャンルをほぼ駆逐していた。人間の記憶が、外部記憶装置に保存できるようになったのは数世紀も前で、人は生命としてあらかじめ規定された限界をはるかに超えた記憶量を手に入れた。それはゲーム産業にも影響を与えており、プレイヤーの没入度をより高めるための記憶移植は多くのシミュレーションゲームに採用されている。香田がかつて自分の過去だと認識していた記憶は、自分が選択したキャラクターの設定に過ぎなかった。もちろん、香田淳という名前も仮初のもので、記憶の同期が済んだ現在では本名は別にある事を認識していたが、あまりにゲームの中で多くの時間を過ごしたためか違和感が強い。

 しかし、本名以上に現実感がなかったのは、この世界の歴史だった。1989年から10世紀以上も離れたこの時代では日本という国は消滅しており、200近くあった国は4つの巨大な超国家へと統廃合されていた。数世紀まで様々な外交問題を抱えていた国々が急速な結束を固めたのは、母屋である地球の寿命が尽きかけていたからだ。科学技術の著しい発展の代償は、環境汚染によって支払われ、大半の動物が医療ナノマシンの助けなしには生命を維持できないレベルにまで世界は破壊されていた。

 地球からの移住計画に関するが活発になったのはここ二世紀ほど前からだ。そして百年以上に渡るトライアンドエラーの末に、この恒星船が出航した。乗客総勢数十万人を超える船は、その乗客数に比較すればコンパクトな大きさであり、最新鋭の技術をこらして極限まで無駄を省いていた。その一番の肝が、人々の眠る生命維持装置のCUREであり、大幅なスペース省略と長期運航に耐えるための老化防止と健康維持、そして娯楽機能までをも兼ね備えていた。体の老化速度は千分の一ほどに抑えられており、ゲームの10年が現実では1ヶ月ほどにしか満たない。

 そのCUREが狂いだしたのは、自動運行をしていた恒星船に小惑星が激突し、船体の損傷によってオペレーティングシステムに支障が出た事が原因だった。小惑星の衝突を回避する技術はとうの昔に確立されていたが、他の恒星船が小惑星の軌道を急激に変化させた事に対応できなかった。衝突は意図的だったのか偶発的な事故だったのかは分からないが、こちらの恒星船にとっては想定外であり、船体の修理に大半のリソースが割かれる事になった結果、CUREは大幅な機能縮小を余儀なくされた。その結果として、ゲームを管理・制御する自律型プログラムであるMASTERが停止した。MASTERは停止の直前にゲームエンジンとの合流を試みたようだが失敗し、代わりに溜池記念病院に入院していたあの老人――攻略に役立つ重要アイテムを入手できるクエストのNPCに一部の機能を移植したが、代償として自由を失ってしまった。そのせいで、香田たちプレイヤーは本来の自分の記憶にアクセスできず、ゲームのキャラクターとして与えられた仮初の人生――しかも、同じ一週間を繰り返す世界で過ごす事を余儀なくされていた。

 香田がシミュレーションゲームから離脱する鍵となった3秒のループタイミングの遅延は、時間が実際に引き延ばされた事に起因していた。恒星船の運航ログを辿ったところ、数ヶ月前にこの恒星船はブラックホールの重力場に入ってしまったようだ。それを察知した恒星船はリソースをかき集めてエンジンにブーストをかけ、重力場から脱出する事が出来たが、その際にただでさえ機能を縮小されていたCUREは一時フリーズしてしまい、それがあのラグを生んだ。

 しかし、それ以上に深刻だったのは食糧問題だった。CUREを使用中でも人体はわずかにエネルギーを消費していくため、生命を維持するために栄養を取る必要がある。それを補給していたフードジェネレーターが小惑星の衝突によって宇宙空間に散り散りとなり、数か月分の食料しか残されていなかった。科学技術の粋を集めて作られた恒星船のAIでも解決できず、じりじりと終わりが来るのを待つのみの状態である。

 香田はその事実を知って打ちひしがれ、いっそ元のゲームの世界に戻ってしまおうとも考えた。実際、同じ行動を取った人物が一人いた。自警団の団長だ。運航ログを調べていた時、衝突の後にも関わらず自分以外にもアクセス履歴がある事に気付いたのだ。彼は香田と同じようにCUREから目覚め、現実を知ったのだろう。そして、元の世界に戻り、秘密を守るために自警団の活動を始めたのだ。多くの乗客の命を危険に晒す行為だが、その行動がよく理解できた。この絶望に対して、真正面から向き合うのは一人の人間には酷な事だ。

 しかし、香田は悩みながらも全乗員を強制的に覚醒させる事に決めた。あの終わりなき仮初の世界で魂をすり減らしていくよりも、せめて真実に向き合っていく方がまだマシに違いない。静かに深呼吸をしてから香田は呟く。

「もうゲームは終わりだ」

文字数:19413

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