ひかり降る部屋

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梗 概

ひかり降る部屋

漂流潜水艦で生まれ育った女の子は、深海に降り積もるプランクトンの白さと光を愛して育った。

潜水艦内は育つにつれて物資が逼迫し、餓死者を出しながら漂着した国に保護された。

 

入国管理局に保護された女の子は、小さな窓から降り注ぐ光とチンダル現象の白い塵を愛した。

管理局は暴動に巻き込まれ、何人かが死んだが外国人研修生として雇われることになった。

 

農業研修生として東北の寒村で働くことになった女の子は、ビニールハウスの天井に降っては溶け流れる雪とその光を愛した。

ひどい待遇と酷使で閉じ込められ、過労死する者が出て発見され、保護されて教育を受けることになった。

 

学校で学ぶことになった女の子は、黒板消しとチョーク粉を愛した。

体罰が横行する教室で数少ない卒業生となり、原子力技術者となった

 

軌道上の原子力研究所で働く女の子は、すべてを貫く白い光と灰を恐れた

宇宙船の中で光を受けながら、なんて遠くまで来たんだろう、なんて綺麗なんだろうと想い続けた。

 

 

文字数:412

内容に関するアピール

実作ぎりぎりで梗概にてをつけられませんでした。失礼いたします。

文字数:31

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ひかり降る部屋

【あの子の思い出】
   § 証言その1・雪の教室
 私の田舎って、高校で人生の明暗が分かれるんじゃないかなって思う。私は姉がいて、同じ高校に進んだからなんとなくわかってることが多かったんだけど、ほかの子は高校に入ったばかりの頃はびくびくして見えたな。
 ううん。私の高校、怖いとこじゃないの。まったく逆。中学まで、みんなそりゃ苦労して苦労して怖い子に目をつけられないよう、自分がいじめる側に加わったりしないようって三年間終えた子がほとんど。お利口さん学校って冷やかされるような所だったけど、生徒の大半は勉強ができるっていうより、大人が要求することに無理しないで応じられる子ばっかりだった気がする。そういう意味じゃ“お利口さん”だったかな。わかってるつもりの私だって、入学式には驚いたもん。中学で怖かった子達が一人もいなかった。あの子達はどこに行っちゃったのかと思うと、ね。
 世の中やっぱり歪んでるんだと思う。多分あの高校にいた私たちは、一生で一番平和な三年間を手に入れてたんじゃないかなって思うもの。
 笑わないでね。もしかしたら私の田舎ってひどいとこだったのかな。大学入ってから滅多に帰らなくなっちゃったし。でも高校時代の友達とは今でも何かと理由つけて会ったり話したりするよ。多分一生友達づきあいする。
 卒業してから会ってない友達、一人だけだな。
 多分外国から来た子だったから、今は日本にはいないのかもしれない。時々思い出す。すっごく可愛い子だった。見た目とかじゃなくね。うん、多分、あの子は火傷かな? 皮膚が違ってた。
 私は入学した時には高校のことをかなりわかってて、先生たちの噂も知ってたからうまく立ち回れたんだよね。で、あの子は話す言葉もカタコトだし、多分自分の見た目を気にしてすっごい内気なんだと思ったからいろいろでしゃばって世話焼きしてたの。
 昼ご飯一緒に食べようとか移動教室一緒に行こうとか。
 あの子はいっつもおどおどして見えて、中学だったら野獣みたいな奴らにひどい目に合わされそうだった。でも一緒にいるうちにわかったの。あの子すっごく他人のこと理解してた。
 なんかね、いい高校って言ったってやっぱり大きな顔したい人はいるわけね。私もそう見られてたかもしれないけど。でも、例えば休み時間になった途端に先生の悪口言い始めるなんて私はしなかった。自分のことが嫌になるもん。
 人によって態度をコロコロ変えたり人がいなくなった途端に悪口言うなんて自分が嫌になる。他人の悪口をがまんできずに言っちゃうことだってあるかもしれないけど、ワザとはやらないでしょ?
 それが楽しい人には近寄りたくないな。
 高校の更衣室って、男の子達がいないから急に態度を変える子がいたの。その場にいない人たちの悪口をそりゃ楽しそうに言うグループがあって、私たちはその子達を無視してやった。多分中学では受けたんだろうと思うよ。でもみんな高校の居心地良さを大切にしたいもん。
 そしたらさ、あの子、すごく心配そうな顔して、お弁当の時間に小さな声で私に言ったんだよね。
「あの人たちはヒトのことが気になるだけで、ホントは親切なのに」カタコトの発音で。涙こぼしそうな顔してた。
 自分のことがわからないだけで、他人のことはすごくわかっちゃう人っているよね。あの子はそれだった。周りに気を使いすぎだと思ったな。「アンタ、ほんとにいい子だよね」って私は言ったと思う。そしたら小さな声で、
「ワタシは嘘つきで、いつも猫をかぶっています」そんなこと言ったな。“猫をかぶる”じゃなくて、“仮面をかぶっています” だったかも。
「ああ、あたしもかぶってるよ、けっこう」
「そだねー。あんた学校の掃除当番は誰よりよくやるのに、自分の部屋は汚いもんね」仲のいい子が混ぜっ返した。
「あー。ひどいけど否定できない。あれでも友達来るときには掃除してんの。いつもは汚部屋おへや
 あんなに正直でいられた時間、宝物だったな。正直でいればいるほど人とうまくやれるんだって思えた。
 あの子が自分の過去や身元を隠してたのは嘘とは違う。あの子が言うことはみんな正直に聞こえた。私たちのことを今でも友達だと思ってくれてたら嬉しいんだけど。
 一年生の終わり、クラス替えも近い頃に雪が降ってみんなでベランダで遊んでた。
「雪が降るとなんでも綺麗に見えるよねー」
 雪が積もってる場所だけじゃなくて、雪のせいで光が教室に入って、教室じゅうが光ってたもの。
「夢みたい」そんなこと言ってたら、
「ここはみんな、夢のようにいい人です」
 そんなこと言われるなんて思ってもいなかった。
 でも私もそう思ってた。
 あの子の顔も忘れちゃったけど、でもあの子のこと忘れないな、私。
 あの子はどこから来てどこに行ったんだろう。今も日本にいるのかな。言えないような難しい国から来たんなら、いっそ国なんか関係ない世界に逃げてるといいな。うんと遠くへ。

   § 証言その2・海の遺物
 あの子が乗ってきた救命ボートは対紫外線強化だけはされていたもののゴム筏で、漂着できたのは偶然だと思った。陸に至る海流が小舟を捕まえてくれたのは何日目だったんだろう。あの子は夜のうちに浜に上がったけれど、朝日が昇るまで動けなかったらしい。
 私は生き物が好きでたまらない。けれど人を好きだなんて思えたことは無かった気がする。自分が誰か人間を助けることができるなんて思ったこともなかった。
 私は夏が終わると、毎朝浜を散歩する。ビーチコーミングなんて言葉が流行る前からそうしている。
 海中の季節は、地上と逆に移ろうのだ。波の下は夏と冬が逆さま。夏の海では植物は枯れ、小動物は眠っている。地上が秋に向かう時期になると、水中では胞子が芽吹いて、細胞が膨らむ。海の中は秋こそが春。水面に触れる大気が冷えるほどに、海底との温度差が開いて、海水が対流する。水はかき混ぜられて、無機物と有機物を溶かし込んで濁る。その濁りはプランクトンを養って、海の生物は肥え太る。真冬になれば海は最も豊かになる。水が濁るからこそ水中に届くわずかな光を捉えるために、冬の海草は葉緑素を増やし、かぐろくなる。あるいは極彩色に伸び、広がる。
 赤く、青く、白く、紫に。
 夏が終わると海の遺物を波が岸辺に届けだす。人が足を向けなくなるから、なおさら波に打ち上げられた断片が残される。私は波打ち際に転がる見知らぬ生命の痕跡が好きだ。
 あの朝、私はあの子を遠目に見つけて、流木にしては色が濃いから大きな魚かと思った。近づくとそれは次第に人間の形になって、それからすっかり何なのかわかるようになった。
 私はあの子が死体だと思ったから、多分腐り乱れた死骸だと思ったから、近寄るのが怖かった。警察に電話しようとポケットを探って、(でも人形かもしれない。確かめてから)そう思って近づいた。
 動いたの。腕が。
 朝日の中で腕は上に伸びて、それはまるで弱々しい動きなのに生きた植物のツルのようだった。私はそれまでおずおずと歩を進めていたけれど、浜に横たわる体に向けていっさんに駆け寄った。自分の体があんなに動くなんて思わなかった。それからあの子になんて声をかけたのだろう。あの子に何をしたのだったろう。
 あの子に触れて、なぜか濡れていなかった気がするし抱き抱えたら暖かかった気もする。握った手の指先まで暖かくて、私は多分、
「大丈夫。大丈夫だから、大丈夫だからね」
 そんなことを繰り返していた気がする。救急車を呼んで、警察に連絡して、私は病院まで一緒に行った。
 そこで、あの子は入院しないのだと聞かされた。
 あの子は人間どころか、むしろ魚のほうが人間に近いのだと言われた。
 あの頃でも知ってはいた。並行世界からやってくる存在があるって。あの子はこの世界の生き物とは組成が違うのだって。病院ではなく、警察でもなく、入国管理局に保護されるのだと聞いた。
 でもやっぱり私は人を助けたのだと思っている。あるいは私の好きでたまらない生き物を助けたのだ。
 秋の終わり、今も海岸を歩く。今朝もハマヒルガオを見た。
 ハマヒルガオは葉の緑も花の赤みがかった筋も薄い色で、海砂には耐えられないように見える。けれどそのツルは波の方角、朝日の方角へと這い伸びて、その稜線の先には新芽があって、葉の間から薄赤く覗く花も精一杯に花弁を広げている。この季節では新芽は葉になる前に枯れるだろうし、花も実を結ぶ前にツルから枯れるのかもしれない。
 けれどそれでも花も葉も、乾いているのに朝日に光って、命はただその光を求めていた。

【あの子の記録】 
   § その1・深海の光
 この世界で私の一番古い記憶は艦内音です。潜水艦の中では絶えず空気が振動していた。駆動音、換気音、そして海流のざわめき。場所を変えると音は変わったけれど、振動が絶えることは無かった。
 波の上が嵐の日には、まわりじゅうすべてから押し寄せる音におびえた。けれどいつも存在しているものを、誰も忘れてしまう。荒れた水のうねりにさえ慣れて、その響きを感じなくなって、体だけがそれを受け取り続けていて、悪天候への怯えを思い出すたび、音は蘇った。そのよみがえりを、全身にわきかえるざわめきを、私は覚えています。
 それから特別好きだった音はクジラの声。それさえも聴き続けて慣れると消えてしまうから、私は鯨の歌をのがさないようにあちこち動きまわり、壁や配管に体を押し付けて音を受け取った。
「鯨は良いよな」乗組員が通りかかって私を見下ろしたことがある。「シロナガスクジラの鳴きは、地球最高の音波なんだ」
 音響ソナー技師でした。私に聞かせるために言ったというより独り言だったのかもしれない。私に用もなく語りかける人はほとんどいなかったから。きっと言いたい思いがあって、私が居合わせただけ。あの頃の私は返事ができなかったから。私は人の言う用件をただ聞けばいいモノだったから。
 音響技師は私の方を見るでもなく続けた。
「シロナガスの音は凪ぎた海なら一万キロ先まで届いたんだ。人間がエンジンをつくるまでは」
 一万キロ。地球一周は四万キロだから、世界で一番遠いところは二万キロ。その半分まで鯨は声を響かせていたのだと聞いた私は、シロナガスクジラが二頭いれば海のすべてに歌が届くのだと思い、鯨を尊敬しました。
 深度や海流で変わるあの音を、私は振動そのものだと知らなかった。ただ振動が音を運ぶのだと思っていた。体が心を運ぶように。
 水も空気も常に振動しているのに音を聞きとらなくなってしまうように、心は体の中に必ずあるのに、人の心が見えることは時折しかありません。
 私は潜水艦の中で、放熱処理の役割をしていました。私が初めにいた世界に熱を逃がすのです。
「アレが熱を移すんじゃない」
 機関部にいる時、私は「あれ」とか「2号羅針盤」と呼ばれていました。「排熱の絶対座標」が私なのだそうです。
「羅針盤てより、灯台みたいなもんだね。アレを目印に並行世界に放熱できるからこの艦はこれだけ小型化できたんだから。なけりゃ艦内は高温になりすぎて乗務員全員が茹で蛙になる」
「別世界と行き来できるって、量子的不安定存在なんすか、アレ」
「お前さ、それ意味わかって言ってる?」
「いやさっぱり」
 私にもわからない。あの人たちも分かっていなかったけれど、わからなくても私を利用することはできた。向こうの世界でもこちらでも、わかっていない人を利用する人はたくさんいる。
 そして私は、ただ利用されるだけだから、いつも逃げる準備をしていた。
 潜水艦が浮上しなければならない時があります。計器や動力部が故障した時だけではない。例えば藻類がひどく茂った海域で、視界もソナーも利かなくなった時。私が逃げたのはエチゼンクラゲが群れをなす場所に入った時です。小さな舷窓から私は外を見た。暗闇の中、触手を数十メートルにも伸ばすクラゲが何体も何体も浮かんでいるのが見えたのは、触手の一本一本が光を放っていたから。雷の稲光りにも似ているけれどずっと怖い光景でした。陽の光も無いのにクラゲの傘は触手の光を受けてほの白く揺らいでいた。
 暗い白さ。
 外部動力が触手を巻き込んで潜水航行は不可能になり、艦は緊急浮上した。私は逃げました。大切な物ひとつだけ持って。
 他の乗組員は一人も逃げることを選ばなかった。私があの国から所有権を主張されなかったのはそのためです。

   § その2・かがやく水
 向こうの世界から逃げて入国管理局に保護されていた私は、あの台風と洪水で施設から逃げ出した一人です。私はいつでも逃げる用意だけは出来ていた。そうして私はこの国の言葉もわからず何もできないモノと思われていたけれど、水に浮いて移動することはできたのです。保護施設に泥水が流れ込む中、それまで私を殴って動かしていた職員を助けました。丘の上で一晩、私の火の周りには何人かの人間と一匹の犬が集まって、人間たちは震える手を私にかざしていた。犬は私に寄り添っていたし、人間の両手はおびえながらも私の熱に頼っていた。けれど私は、何より大切な表皮培養槽を置いてきてしまって、モウドコニモイケナイと、覚え始めたばかりのコトバの振動を震わせ続け、悲しくて火を漏らし続けていました。皮は数日しか保たないのです。
 でも夜が明けるころ、私が泥水からひっぱりだして連れてきたあの職員が姿を消して、腕に培養槽を抱えて戻ってきた。
「黙ってろよ。俺が盗ったのはこれだけじゃないから」事務室から手提げ金庫も持ってきていた。
 それから私は解放運動の人たちに預けられ、この世界から逃げた子の戸籍をあてがわれて人間になって生活することになりました。水が引いたあと、入国管理局は保護とは名ばかりで監禁していた不法滞在者を見殺しにしたとずいぶん非難されて、あの保護施設は閉鎖になった。だから私はあの施設で私を殴った職員たちのことも、私にこの国の言葉を教えようとした外国人研修生のことも、その後どうなったか知りません。遺体が発見されなかった施設の収容者は私ともうひとり、あの研修生だけです。あの人は毎日辛抱強く、私にコトバを教えてくれた。私は命令を受けるために育てられたから、ここに来ても人間の出すいろんな信号を聞き取ることはできました。でも音を出すことを知らなかった。あの人は私もここを出たら働くことになると知った途端に、コトバを教えだした。
「体だけありゃ雇う奴は必ずいる。言葉がわかればいつでも逃げ出せる」どんなにうまく立ち回るより、うまく逃げることのほうが大切なのだとあの人は言って、それから「自分の言葉があれば逃げずに済むこともある」呼気と一緒に音を吐き出した。それは私にぴったりの、どんなコトバよりもぴったりの考え方でした。
 ずいぶん後になって見た、解放運動の人たちが録った記録映像の中にあの研修生がいました。「施設を出たら何をしても稼いで、送金したい」笑顔で語りだしたのに「この国に必要だからおれを呼び寄せたんだろ。なぜ閉じ込める」そう言う声は震えだして、「あんたらはなぜ同じ人間の方を助けようとしないんだ。あいつら人間じゃないだろ」そう息巻く声は怒りにも怯えにも聞こえました。私にその映像を見せた人は「あなたこそが人間」そう大げさに言ってあの人を軽蔑していましたが、私は今でもあの人が願いを叶えていて欲しいです。この世界のどこかで、何をしようと。
 あの朝、丘の上から見る町はすっかり水に沈んで、ところどころに樹冠や屋根が覗いていました。あたりじゅう泥水で濁った水は少しも光を通さず、日の出前の薄明かりではすべてが汚れて見えた。それなのに太陽が昇り始めたとたん、目に入る限りの世界は変わりました。陽の光をすべて反射させる泥はただ光って、点在する木や屋根はその反射に消え失せて、なにもかもがただ白く、光っていました。
 世界の全てが。

【旅立つ前に残したことば】
   § ひかり降る部屋
 目が覚めた時、あんまり静かだったから驚いた。
 音はある。一間だけのアパート住まいだから冷蔵庫のモーターは途切れずささやいていたし、壁の内側から給排水管の音だってしていました。けれどそれが際立って感じるほど静か。聞く気にならなければ耳に留まることなどない自分の呼吸音さえ、明瞭に感じられる静けさ。外界の音を伝える振動が何かに漉し取られたよう。そう、振動を伝える空気がいつもと違う。湿度や気温や風速が違うんだろうか。
 そのうえカーテンの隙間から差す光もいつもと違っていました。柔らかい弱い光が部屋に漏れ差して光の帯をつくり、埃をきらきらと輝かせている。太陽の位置からすればこの光は変で、それなのに私は光る埃がゆっくりと動くことに懐かしさを感じていた。
 音と光の原因はこのあたりには珍しい雪でした。カーテンを開けた私はまぶしい反射光に包まれた。
 なんて懐かしいんだろ。

田舎の県立高校に入学して半年、私は周りじゅうを恐れていました。いえ、怖い人なんか一人もいなかった。同級生も先輩もみんな穏やかでにこにこしている人ばかり。それが怖かった。
 先生の怒鳴り声を聞くことなく一日が終わる。信じられなかった。
 掃除当番は逃げる人なく、誰も指図しないのに協力し合ってすばやく終えてしまう。最後のごみ出しを自分から引き受ける人がいる。それも笑顔で。信じられなかった。
 全員が嘘をついてるんだと思っていた。みんな仮面をかぶっていて、いつそれが外されるのか、怖かった。
 四月入学式から七月の終業式までみんな絶対嘘ついてるんだと思い、夏休み明けには変わるんだろうと九月一日始業式にびくびく登校して、その気持ちが九月終わりまで続きました。
 高校の居心地よさになじめなかったんです。
 でも十月になってもみんな同じでした。女子も男子もみんな、夢のようにいい人。そして私はその中のひとりでいられた。私はずっと、自分にとってここは異国で、この世界で私は異物だと思い続けていました。そう、私こそが仮面をかぶった嘘つきなのです。それなのに。
 自分がのんびりしたいい子でいられる。私は高校が大好きになった。
 本当は四月から好きだった。

高校で一番好きだった場所は、更衣室です。
 私は今もあの更衣室が好き。学校の他の部屋と違って窓は天窓だけで、光が斜めに差す。あの採光さえ忘れずに覚えています。細い窓から差す光の帯が空中の埃を光らせて、普段見えないもの、空気の汚れに過ぎないものが、輝き踊っていることを私に知らせてくれた。光が舞いながら降るようだった。
 女子更衣室はわたしたちだけの社交場でした。普段話さない子の話も聞き合って男子には聞かれない安心の場。
 狭い場所に同い年の女の子が数十名詰めこまれるとどうなるか? 私は他を知らないし、私の記憶する場所だって何か一つの出来事で変わってしまったかもしれない。けれど、私たちは和やかでした。
 着替える体をじろじろ見たりしない、けれどちょっとは見てて、「わ、そのブラかわいい」「いいでしょ、これ安かったの」そんなあけすけな会話が、特に友達づきあいしていなかった人同士で成立していました。誰かの発言を聞くともなく聞いていて、何も発言しない人も反応してるのは気配で分かった。
 意地悪な子が人の悪口を大声で言ったこともありました。そう、私が自分のいる場所は夢のようにいい人ばかりで、それが嘘じゃないとわかったのはあの時です。
 意地の悪いことを言う人は、たいてい面白く話して笑いを取ろうとする。でもあの時、わが更衣室の仲間たちは素晴らしかった。
 「面白い悪口」は勢いがあるから考える前に笑ってしまう。けれど、その先には進ませないようにさっと笑いは引いて、後は無反応になった。みんなそんな話聞きたくないよって示したんですね。みんなの顔から喜びは消え、怒りや不快も念入りに拭われていた。私は困った顔しかできなかったと思うけれど、みんなは無反応に徹してみせた。
 他の場所では大きな顔をしていただろう、人目を集めるのが得意な子が、更衣室では退場勧告を受けていたんです。次の体育の時間には、その子と友達は様子が変わっていたと思います。でもすぐに元気になった。だってあの子達、本当は人のことが気になるだけのおせっかいで親切なグループだったから。悪口言う必要なんか無かったんだもの。
 私と違う経験をしてきた人たちばかりだったけれど、みんなも中学時代にひどいいさかいを経験したり見聞きしていた。だから今この時、ほんの少しの善意や快活さで手に入る親和こそ楽しいのだと知っていた気がします。でもそんな時がずっと続かないんだとも知っていた。知らない未来、知らない場所に詰め込まれるんだと知っていた。
 ある日ひとりの子が「私五十歳過ぎてまで生きるのヤだ」そうつぶやいた。そしたら「私も」「私も」と大合唱になりました。
「私は四十かな。それ以上無理って気がする。三十歳じゃ近すぎて怖いけど」
 そんなふうに続けた子もいて、「そうだねー」と同意が続いた。
 私はそれまで、みんなは私と違って元気で可愛くて優しくて頭がいい「ステキな女の子」だと思っていたから驚いた。私はどうすれば普通の人間のふりをして生きて行けるのか不安で仕方なかった。でもみんなは私と違う。みんな、どうふるまうのがいいか考える前に正解を知っているような人たちだった。あの子たちはどこに行ったって自然に扉が開かれて、広い自由な世界に迎えられる人たちなんだとばかり思っていたのに。
 あの時、力が無くて醜くて自分勝手でどこにも行けない自分よりも、あの子たちの方が年を取るって怖いのかなと思いました。
 素敵な女の子が年を取る。
 それはひどいこと、ひどい仕打ちに思えた。

あれから時間が過ぎました。時間は絶対に過ぎるのです。あの更衣室にいた仲間たちのほぼ全員が生きて老化してます。そう、何人かは亡くなりました。事故で、病気で。
 一つ言えることがあります。
 あの子達も私も大間違いでした。
 私は今も間違ったまま生きています。悪いこともあるけどそう悪くなかった。そうして今でも未来はわからないまま、失うことは今も怖い。
 でも。
 時間は今をもぎりとっていくのに、贈り物も呉れる。
 時間は過ぎて、それでも自分には大好きな人や場所があったこと、自分が何一つ無理せずにいい子でいられた時間があったことを私は思い出せる。

このあたりで降る薄い雪は、昼にはほとんど溶けてしまいます。私は窓を開けて雪に触れ、あることをしました。雪の届けた光と音を胸にしまうために。
 それから更衣しました。
 この位相に来るまで、私は腐り落ちそうな光触媒膜をまとっていました。でもこの世界では鉛の裏張りをした合成蛋白皮。培養槽から毎日取り出してぴっちりと着込む。目と口のフィッティングに失敗した日にはメガネとマスクでごまかします。高校時代と違って表皮を化粧でなじませることもできるようになって、そして今では皺があっても構わないから身支度はとても楽。
 更衣室で脱ぐことのなかった、体の二箇所を覆う二枚の下着の下に何もないことを、高校の友達は知っていたんじゃないかと思うことがあります。私の全身はあの子達と違って鉛に覆われて艶もなく変に突っ張ったりよれていたはずなのに、何も言われなかった。お弁当を食べるのは大変だったけれど頑張ってみんなの真似をして、トイレは個室にこもって一分きっかりで出ることにしていた。水を流すのを忘れたことがあって、扉を開けたらそこにいた子がきょとんと「何してたの?」そう聞いた。私はばれてしまうと思ったショックで発火しそうになって、口と鼻の穴を手で押さえて両目をぎゅっとつぶった。火が漏れませんように。それしか考えられなかったのに、そうっと私の顔に顔を寄せる体温の気配がして、ささやく声が「つらいよね」そう言ってくれた。
 私のことを何一つ知らないのに、私の全部をわかってもらえたあの時。

どこもかしこも雪に覆われた中、私はいつも通り電車に揺られて出勤して、割り当ての廃炉作業をしました。作業着の胸でハザードブザーが鳴るまで働きながら、私は(帰る頃にはもうどこも白くないんだろうな)そう思っていました。この場所の作業はもうすぐ終わる。私が雪を見られるのは多分最後でしょう。もうすぐ私は地球を出ていきます。もう私は逃げなくていい。けれど軌道上の発電施設では、私の労働がいくらでも必要なのだそうです。そこはきっと、無限に広いのに小さく閉ざされた世界。きっと小さな船窓から、私は無限の闇を見る。そして闇の中からはすべてを貫く光が射すのでしょう。そこでもきっと、私は雪を思い出す。

高校に入学してから一年近く経って雪が降った日のことです。教室のベランダに小さな雪だるまが並びました。誰かが校庭から摘んだヒイラギの実を目にしてクラスのみんなで作ったのです。積もった雪が溶けた後も雪だるまはしばらく残って、赤い目がベランダの欄干から教室の中を見ていました。日が過ぎて雪だるまは跡形もなく消えたけれど、ずっと後になって掃除当番をしていたら、塵取りに履き集めたゴミの中に干からびた実が入っていた。
 目に映るゴミひとつさえ好きだと思えたあの頃。

勤めを終えて帰って、私は冷凍庫を開けました。
 今朝作った小さな雪だるまがあります。目鼻は無くて雪の玉を二ツ重ねただけの雪だるま。私はそれに、今しがた駅からの帰り道で垣根からこっそり摘んだ、ピラカンサの実をつけました。
 赤い目の雪だるま。それはあちらの位相に今もいる私。教室からベランダを見ている私。犬を抱いて陽の光に包まれる私。私はあちこちに自分を置いてきた。
 だからこそ、私は行ける限りに遠くに行きます。

文字数:10451

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