ひとりが祈る、ふたつに割れる

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梗 概

ひとりが祈る、ふたつに割れる

火星の植民だけでは飽き足らず、いまだ無数の船が何年もかけて宙をゆく時代。メインベルトに浮かぶ小惑星で落盤事故が発生し、宇宙開発で有名な巨大企業F社の社員一名が巻き込まれた。薄れゆく意識で彼が最期に思い浮かべたのは、故郷の火星で自分の帰りを待つ妻、ウナの微笑む姿だった。

そのころ、火星地表にはりつく繭状の居住区、社宅のキッチンでウナは立ち尽くしていた。目の前で、触れてもいないのにグラスが縦に割れたのだ。それは夫が愛用していたグラスで、火星のような低重力環境でも使えるように奇妙な形状をしていた。真っ二つに割れた今、ますます奇妙な形に見えた。

「そのときは変なのって思っただけでした。でも、夜に夫の上司から連絡が来て、夫が事故で死んだって聞かされて。ああ、このことだったんだな、って」

そう、集団セラピーでウナは語る。殉職した社員の家族に対するF社のケアは手厚い。セラピストのシズカに促され、他の参加者も同様の体験をしたと口々に語った。みな、グラスなどが不意に割れたことで遠く離れた配偶者の死を知らされたというのだ。「虫の知らせですか。お互いに想い合っていたのでしょうね」とシズカは言った。

実際、シズカはその現象を信じていた。それどころか解明しようとしていた。硬い骨を作る、低酸素濃度に耐えるなど、火星居住者は過酷な環境下で生きるために何世代も前から人為的に遺伝子が改変されている。その影響で限定的なテレパシー能力(伝達速度が光より速いことになるので、予知能力とも言える)に目覚めたというのが、本職はF社の研究員である地球出身のシズカの見立てであった。社宅は密かにモニタリングされており、いつどこで何が壊れたかも完全にデータ化されている。この現象を解明できれば、超光速通信だって夢ではない。

ところが、セラピーから数週後、シズカはF社へ疑念を抱きはじめる。開発現場で不審死が増えているのだ。ウナの夫の件もそうだ。あんな微小重力下で落盤事故などそうそう起こらない。もしや、既にF社がこの現象を利用しているのでは。「こいつ殺したらこういう意味ね」とか示し合わせておいて、人間ひとりの命と引き換えに、宇宙から火星本社へ超光速通信しているのでは。

この疑念を共有しようとシズカはウナたちを探す。社宅にはおらず、以前セラピーに使った会場を借りて何かしているようだった。会場を訪れるとドアの向こうから声が聞こえた。「そう。そうやってグラスを相手だと思って念じるの。死ねばいいのに、死ねって……」

シズカは自分が誤解していたことに気づいた。時系列が、因果関係が逆だった。夫の死が超光速でウナに伝わったのではなく、ウナによって超光速で夫に死がもたらされたのだ。火星居住者が目覚めたのはそういう能力だったのだ。

気づくとドアは開いていて、ウナたちがシズカをじっと睨んでいた。

ウナたちと同じ数だけあるグラスが、一斉に真っ二つに割れた。

文字数:1200

内容に関するアピール

「Aが死ぬ」→「同じころ、まだAが死んだことを知らないBの周りで不吉な現象が起こり(不意にグラスや鏡が割れるなど)、Aの死が暗示される」というようなシーン切り替えから着想しました。「小惑星で夫が死ぬ」→「夫のグラスが割れるのを妻が目撃する」という流れから想像されるものと、実際の因果関係が逆だった、というような仕掛けです。

中心となる人物が変わることでものの見方が変わったり、新事実が判明したりと、他のシーンの切れ目でも意識的にサプライズ要素を盛り込んでいます。

文字数:230

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ひとりが祈る、ふたつに割れる

ヴィクトル・フランコが死のまぎわに思い浮かべたのは、愛するパートナーの微笑む姿だった。故郷の火星に残してきたパートナーを、彼は心から愛していた。
 いま、洞窟内部は大量の瓦礫で埋め尽くされようとしている。地面に横たわるヴィクトルの真上にはひときわ巨大な岩が浮かんでいる。正確には腹の上にほんのすこしだけ大岩の表面が触れている。そのひと触れだけでもうヴィクトルは動けない。
 微小重力のもと、上部から与えられた力を受け、ゆっくりと大岩は落ちている。
 三百年前、ようやっと火星の植民が完了すると、すぐさま人類はメインベルトに浮かぶ小惑星群に次のねらいを定めた。今このときも無数の船が、何年もかけて宙を航っている。そのうちの一隻に乗船していたのがヴィクトルだ。彼は宇宙開発分野で名高い巨大複合企業フィルオルソゥル社の社員だった。主な仕事はレアメタルの自動採掘作業に使われる重機のメンテナンスで、本来なら採掘現場には立ち入ることのない立場だった。それが、たまたまの一回で落盤事故に巻き込まれるだなんて。
 ちょっとした不運と横着が招いた結果だと、ヴィクトルは悟ったように自身を俯瞰している。口の中で血の味がする。右脚を痛めている。着用していたスーツの危機管理機能により、すでに船内本部へ連絡は入っていたが、救助が間に合う見込みはゼロだった。
 だから、彼が最期に思い浮かべたのは、残りわずかな時間を費やしたのは、愛するウナ・フランコの笑顔だった。
 できることなら彼女にもう一度会いたい。お別れの言葉を伝えたい。謝りたい。薄れゆく意識の中で、ヴィクトルはただただ強く願った。目の前が真っ暗になっていった。やがて血の味も分からなくなった。
 
 ウナ・フランコの目の前で、音もなくグラスが割れた。
 それも縦にまっぷたつ。
 それはウナのパートナーが愛用していたグラスだったが、ここしばらくは使われる機会もなく、ずっとキャビネットに仕舞いこまれていた。部屋の掃除中に、何かの気まぐれで引っ張り出してみたのだ。そのグラスは、この社宅が建っている火星のような低重力環境でも飲みやすいよう、飲み口のところが奇妙な形をしていた。なんとかという理論に則って設計されているらしいが、ウナにはよく分からない。まっぷたつに割れた今、ますます奇妙な形に見えた。
 奇妙というか、不吉というか。
 ウナは、B棟のエイミおばあさんがいつだったかに話してくれたことを心に浮かべていた。火星生まれ火星育ちのデザイナーベビーであったウナにとっては異星情緒的な印象を抱く話だが、地球ではこのような状況を示す迷信というか、おまじないというか、非現実的な言い伝えがあるというのだ。
 いやでも、そんなまさかね。
 そう頭の中でつぶやいてから、ウナは自分がテーブルの前でずっと立ち尽くしていることにふと気づいた。グラスが縦にまっぷたつになってから今まで、グラスから目を離していない。指先ひとつとして動いていない。動かせていない。呼吸も止まっていた。
 思い出したかのように息を吐く。
 頬を汗が流れていった。
「……ファシリティに連絡しなきゃ」
 ウナはわざと声に出した。それは自分を落ち着かせるためでもあったし、室内のスマートスピーカーに聞かせるためでもあった。すぐにスピーカーが反応し、いくつかのやりとりののち、ゴミ処理の手配と新しいグラスの購入が完了したことを知らせた。スマート家電から防犯設備まで揃っているし、共用スペースの管理もしっかりしているし、フィルオルソゥル社製品のテストも兼ねているとはいえ、こんなに恵まれたおうちに無料で住んでもいいのだろうか、とウナは申し訳なくなった。
 もう一度割れたグラスに目をやると、今度はただのゴミにしか見えなかった。あとでヴィクトルにごめんなさいのメッセージを送らなきゃとウナは思った。
 
「――そのときは、変なの、って思っただけでした。触ってもいないのにいきなりまっぷたつに割れるなんて……って、それだけです。でも、もうそろそろ眠ろうかという時間になったころに、急にヴィクトルの上司から連絡がきて。それで、彼が落盤事故で死んだって聞かされて。それがちょうど、グラスが割れたころのできごとだったらしいんです。だから、ああ、このことだったんだなあ……って」
 ウナ・フランコはそこでいったん口を閉じた。
 自身でまだ整理のついていないことを話すのは難しい。だが、整理をつけるために言葉にすることこそがこのセラピーの役割なのだ。
 ウナはフィルオルソゥル社が用意したグループセラピーに参加していた。殉職した社員の家族に対するフィルオルソゥル社のケアサービスは手厚い。グループセラピーは、火星地表にはりつく繭状の居住区のはずれにある、コミュニティセンターの一室を借りて行われた。
 ウナたちセラピー参加者は、背もたれがふっくらとした椅子に腰かけて輪になっている。ちょうどウナの対面にあたる位置に、セラピストのシズカ・アマナカが座っていた。彼女と目が合い、「続けていいんですよ」とやさしく声をかけられる。思わずウナは足元の支えにぐっと爪先を引っかけた。重力の弱い火星では、こういった支えでからだをある程度固定していたほうが居心地がよい。
「続けるって、あの、何を話せばいいんでしょう……」
「そのとき思ったこと、不思議に感じたこと、なぜか気になっていること、今でも受けとめられないこと、なんでも」
 ウナの問いに、シズカはすらすらと返す。何度も繰り返している台詞なのだろう。
「そう言われましても、ただただ、パートナーを失った悲しみが」
「吐き出してみてください。みなさん、それぞれつらい別れを経験しているのです。分かち合いましょう」
「うーん……」
「ひょっとして、ちゃんと悲しむことができていない気がして、それが自分でも許せない、とか?」
 ウナが言葉に詰まっていると、隣の席から助け舟が差し出された。助け舟にしては容易に頷きにくい意見ではあったが。
「ケイティさん。今はウナさんの話す時間ですよ」
「はーい」
 案の定、進行役のシズカにたしなめられる。ケイティと呼ばれた女性は、ウナよりも年上に見えたが(おそらく三期ほど前の火星生まれだろう、とウナは予想した)、ぺろりと舌を出す仕草はだいぶ子供っぽいものだった。ウナの知らない顔だ。フィルオルソゥル社の社宅は何十棟もあるから、知らなくても別に不思議な話ではないが。ちなみに、フィルオルソゥル社の本社も火星にある。
「でもでも、私もおんなじ気持ちなんです」ケイティはウナの気持ちを代弁するかのように語りはじめる。まだ肯定も否定もしていないのだが。「だって、ただスピーカー越しに事故で死んだって言われただけなんですよ。あとは紙切れが一枚。それではいそうですかシクシクってなるわけないじゃないですか。実感も悲しみもわきようがありませんよ。まだあいつに会えてもいないのに!」
「それは……いえ、お気持ちはわかります。リオさんは、たしかスカイフックの改修プロジェクトで地球に赴任していたとか」
 シズカはケイティのパートナーの名前を出す。
「そう。あいつのからだよりも溺れ星の物資のほうがよっぽど優先順位が高いってわけ! ウナさんとこもおんなじでしょ?」
「え、あっはい」
 蔑称に気を取られてしまい、ウナは適当な返事をしてしまった。すこし遅れて、地球から火星まで遺体を運ぶというのはどれほど時間がかかるものなのだろうか、と思う。火星・木星間に浮かぶ小惑星にて事故死したヴィクトルのなきがらも、まだ火星には届いていない。
「おんなじってのはそれだけじゃなくてね」ケイティはさらに続ける。「私とリオのときも、ふたつに割れたんです。リオの使っていたマグカップが」
 
 ケイティ・ブロズナハンがグループセラピーに参加するのは二回目だった。一回目ではもちろんケイティの話す時間が設けられていたのだが、そのときにはマグカップの話は伏せていた。こういった場で話すべきではない話題だとケイティなりに考えていたからだ。
 だが、グラスがまっぷたつに割れた件についてウナが語りはじめるのを聞いて、打ち明けるのなら今しかない、とケイティは思い直した。
「リオのマグカップ。ふたがついていて、ストローで吸うんです。ちゅーって。そのときのリオの顔のおかしいことといったら! まあ、今となっては、もう一度あのみょうちくりんな顔を見てやりたいと……いや、思わないかな。それで、私ってビーズでアクセサリー作るのが趣味なんですけど、ビーズ入れるのに使おうと思ってマグカップを何個かリビングに持ってきたんですね。小分けするのにすっごく便利なんで。色やかたち別に違うマグカップにいれて、さあ作るぞってなったとき、いきなり割れたんですよ。ウナさんと一緒で縦にまっぷたつ。おんなじ。リオの交通事故の知らせがきたのが翌日のことでした。地球と火星じゃあ時計の針の進みかたが違うらしいですけど、さっき言った紙切れ、報告書? に火星標準時換算も載ってて。それがほとんどぴったりだったんですよ、マグカップが割れた時刻と!」
 ひととおり話しきったケイティはたいそうすっきりした心持ちだったが、そこでようやく自分が場を独占しすぎていることを自覚した。おそるおそるセラピストの様子をうかがう。幸いなことに彼女もケイティの話を興味深く聞いていたようだったので、ケイティはほっと一息ついた。
 驚いたのは、さらにもう一人、似たような体験をした者がセラピー参加者内にいたことだ。彼の名前はイーダン・ライツ。パートナーのハイケはメインベルト上の小惑星で働いていた。ヴィクトル・フランコの勤務地とは異なる星だったが。
「鏡だ」イーダンは言葉少なに、淡々と語った。「そういえば、ハイケの手鏡が、割れていた。いつのまにかだ。その日、おれは、ハイケの死を知った」
 イーダンのパートナーが死んでから火星暦で一年が経とうとしており、今回が最後のセミナーとなる予定だった。近々、イーダンは社の社宅を離れることになっていたからだ。そのような時期になってはじめて明かされた事実に、ウナやケイティだけでなく、他の古参のセラピー参加者も衝撃を受けた。
 グラス、マグカップ、それに手鏡。
 パートナーの私物が不意に割れたことにより、遠く離れた持ち主の死を知らされる。
「それは、虫の知らせ、ですね」
 ざわつきだしたセラピー参加者たちを静めるためだろうか、なんでもないことのような口ぶりでシズカは断言した。
「ウナさんとヴィクトルさん。ケイティさんとリオさん。イーダンさんとハイケさん。みんなお互いに想い合っていたからこそ、最期に心でつながることができたのでしょう」
「虫の知らせ……、聞いたことがあります。でも、それって、一種の迷信なのでは?」
 そう疑念を口にしたのは、一連の奇妙な現象について最初に話しはじめたウナだ。
「迷信。たしかにそうかもしれません」シズカは一転、曖昧な態度を示した。「でも、そうやって何かを信じたり、何かにすがったりすることも、ときには必要なんですよ。特に、悲しみに打ちひしがれて何もできないでいるようなときにはね」
 
 実際、シズカ・アマナカは虫の知らせを信じていた。
 自らの言い分に反して、彼女自身はけっして悲しみにうちひしがれてなどいなかったが、それでも虫の知らせを信じ、虫の知らせにすがっていた。それどころか、シズカはその現象を解明しようとしていた。遺族をケアするセラピストというのは副業のひとつ、仮の姿みたいなもので、虫の知らせ現象の解明こそが彼女の本当の仕事だったからだ。
 たとえウナ・フランコがグラスが割れた件についてセラピーで話さなかったとしても、シズカはそのことをすでに知っていた。ケイティ・ブロズナハンが語ったマグカップの件も、イーダン・ライツの語った手鏡の件も、ずっと前から分かっていた。実はあのセラピーの中には、ウナたちと同様の奇妙な体験をしておきながら黙っていた者たちもいたのだが、そのこともシズカは把握していた。
 なぜなら、フィルオルソゥル社の社宅は監視されているのだ。
 居住区に何十棟も並ぶ社宅は、すべてフィルオルソゥル社の製品でできている。家具や電化製品、食器や衣服、キッチンやユニットバス、スマートホームシステム、壁や天井の建材、焼却炉や防犯設備、管理室の小さなベルに至るまで、何もかもがフィルオルソゥル社製だ。社員やその家族は無料で社宅に住める代わりに、常にフィルオルソゥル社の製品を実生活でテストしていることになる。
 製品のテストである以上、利用状況の観測が必要となる。そのため、共用スペース・専有スペース関係なく、さまざまなところに監視カメラや各種センサーが仕込まれている。それだけではなく、スマートスピーカーなど各種機器のログも記録されている。そうして社宅内部の様子は密かにモニタリングされており、いつどこで何があったかがかなりの精度でデータ化されている。
 フィルオルソゥル社は、入居契約書の片隅に記された細かい文字で「これらの計測データが社外に漏れることはない」と保証しているが、逆に言えば社内では様々な研究に使い倒されているということだ。たとえば、フィルオルソゥル社の研究員であるシズカ・アマナカの超心理学研究に。
 モニタリングされているのは社宅だけではない。宇宙船も、ステーションも、小惑星の仮設キャンプ地も、フィルオルソゥル社の事業が関わっているところはすべて記録されている。社員ひとりひとりのバイタル情報までも、着用しているスーツによって計測されているのだ。
「ねえ、音楽かけて」
 ディスプレイから一旦顔を上げたシズカは、スマートスピーカーに命じた。
 グループセラピーをつつがなくクローズしたシズカは、自宅に戻ってひとりで報告書をまとめていた。彼女は社宅には住んでいない。スマートスピーカーも他社製品だ。それは、なんでも記録されてしまうことへの抵抗感というよりも、プライベートでまで会社に縛られたくないという考えがあったからだった。そのわりによく仕事を持ち帰っているのだが。
 虫の知らせは存在する――これまでのデータから、そう、シズカは確信している。
 では、どうしてそのような現象が起こっているのか?
 シズカの見立てはこうだ。火星に住む者たちはみな、地球外という過酷な環境下で生きるために何世代も前から人為的に遺伝子が改変されている。たとえば、硬い骨を作るとか、低酸素濃度に適応するとか、太陽エネルギー粒子線に耐えるとか、より『生き抜く』方向へと改造されているのだ。その『生き抜く』改造の影響で、火星居住者は、死に際にパートナーへメッセージを送るという能力に目覚めたのだ。
 死に際になってようやくメッセージを送るのでは全然生き抜けていないのではないか。その反論はある程度正しく、しかし最終的には間違っている。
 たしかに、現状の限定的なテレパシー能力はほとんど意味がない。送ることのできるメッセージは『私物が割れる』なんてお粗末なものだし、しかも相手にメッセージが伝わったときには送り手は死んでいるから、虫の知らせと言いつつも実際は虫ほどにも役に立たない。
 だが、その伝達速度は驚くべきものだ。なにせ、遠い小惑星から火星までほとんどタイムラグなしに通信できているのだ。伝達距離を考えると光より速いスピードで伝わっていることになるので、一種の予知能力とも言える。
 もし、この虫の知らせ現象を完全に解明することができたら。どうにかメカニズムを突き止めて、汎用的な通信技術として確立することができたら。
 そうしたら、超光速通信だって夢ではないのだ。
「もちろん、そんなのは遠い未来の話だけどね……」
 報告書の文章に熱気が入りすぎたと思い、シズカは数行デリートした。現状、一回のメッセージ送信でひとりが死ぬ計算になるのだから、おいそれとは公にはできない話である。今のところは自然発生したケースを記録するので精一杯。人体実験などもってのほかだ。
 それでも自分の生きているうちには、何ステップか研究を進めたい。
 そう、シズカは思うのだった。

 ロー・クローバーは、地球の高度百キロメートル付近を周回するスカイフックの改修プロジェクトに参加していた。内部機構の自動運転テストの際、彼女の固定ベルトだけが不調だったのはとても不幸なことだった。他のメンバーは完璧に固定されていたので、彼女の首がすこしずつ絞まっていくのをただ見ていることだけしかできなかった。テストが終了したころには、すでに彼女は窒息死していた。

 クェンタ・クローバーの住む火星の社宅では、ローが置いていったガラス製のイヤーカフが割れた。クェンタが試しに自分の耳につけようと、鏡の前でイヤーカフを取り出した最中のできごとだったという。

 タイタス・ウィルキンソンは明らかに飲みすぎていた。彼もまたスカイフック改修プロジェクトの一員だったが、そのときは休みのローテーションに入っており、自室に大量の酒を持ち込んで、ひとりでひどく酔っ払っていた。遺伝子改変でアルコール耐性は身につけていなかったのだ。バイタルの急激な変化をスーツが感知し、タイタスはすぐに病院に運ばれたが、やがて死亡した。死因は急性アルコール中毒だった。

 スーザン・ウィルキンソンの住む火星の社宅では、タイタスが大事に取っておいていた生まれ年のワインが割れた。瓶が縦にまっぷたつに割れたので、隙間から赤黒い液体が一気に溢れ出してきた。
 
 プルート・グッドマンは、月面にて自らのこめかみに銃口を当て、自殺した。遺書のたぐいはどこにも見つからなかった。職場の同僚の証言によると、近頃かなり思いつめている様子をしていたとのことだった。後日、彼が株式投資で大損していたことが判明した。

 オリーヴ・グッドマンの住む火星の社宅では、プルートの予備のメガネが割れた。メガネスタンドから転がり落ちたレンズの破片が、絨毯の上に涙のようにこぼれた。
 
 繭状のドームに覆われているので、火星の空はいつも暗い色をしている。シズカ・アマナカは、研究室の窓から外を眺めてはため息をついた。
 この一ヶ月の間に、人が死にすぎている。
 それも、シズカの思うところでは、みな不審な死ばかりだ。特に、ロー・クローバー、タイタス・ウィルキンソン、プルート・グッドマンの死にはおかしなところがありすぎる。
 ロー・クローバーの自動運転テストでの事故。他のメンバーは完璧に固定されていたというが、それでも緊急停止ボタンを押すことくらいはできたはずだ。なぜ、誰もテストを中止することができなかったのか。あまりの事態にとっさに動くことができなかったのか。それとも、誰も中止する気がなかったのか。
 タイタス・ウィルキンソンの急性アルコール中毒。スーツには、非常の場合に備えて薬を自動投与する機能があったはず。アルコールくらい対応できていてもおかしくない。タイタスが管理を怠って、薬がスーツに装填されていなかったのか。それとも、装填されていてもスーツが起動しなかったのか。
 プルート・グッドマンの拳銃自殺。不可解なのは、どうして宇宙船の自室で死なず、わざわざ月面に歩いて行ってから自殺したのかということだ。とってつけたかのように投資に失敗した情報が流れるのも怪しい。プルートは自殺したのか。それとも、何者かに殺されたのか。
 そして、何よりも不審なのは、ロー・クローバー、タイタス・ウィルキンソン、プルート・グッドマンの三者の死が、ほとんど同時刻に起こったということだ。すなわちそれは、火星の社宅にて、虫の知らせ現象が同時に三度起こったということでもある。
 ――ひょっとして、フィルオルソゥル社が社員を殺しているのか?
 ――虫の知らせ現象を乱発させようとしているのか?
 ――すでに、この現象を利用しているのか?
 シズカの疑念は深まっていく。
 現状でも、虫の知らせ現象を使って超光速通信する方法がある。それは、あらかじめ対応表を用意しておくことだ。事前に「こいつ殺したらこういう意味ね」などと示し合わせておけば、人間ひとりの命と引き換えに、宇宙から社宅を経由して火星のフィルオルソゥル社本社へと超光速通信が可能となる。メッセージの種類は限定されてしまうが。
 三人の命と引き換えにすれば、多重化だってできる。ひとりだと何かの間違いかもしれないが、対応表で同じ意味を持つ三人が同時に死ねば安心だ。
「いったい、そこまでして」超光速で伝えたい情報があるのか? と言いかけて、シズカは口をつぐんだ。研究室はフィルオルソゥル社のテリトリーだ。どこで盗聴されているとも限らない。
 三人の死は、どれも地球付近で起こっている。これは地球から火星にメッセージが送られているという意味ではないだろうか? もし送信主が他の星だったら、その星から地球付近の三人を殺す指示を送るために別途余計な通信時間がかかってしまうことになる。
 地球で旧人類の反乱でも起こったか。
 はたまた、会社の存続を揺るがすような大発見でもあったが。
「……何にせよ」許されたことではない、とシズカは言いたかった。無関係の人を殺してまで超光速で伝えなきゃならない情報なんか、この世には存在しない。
 とにかく、この疑念を誰かと共有しなければ――そう思った矢先、目の前のディスプレイがアラートを表示した。
 それは、社宅のベランダから女性が転落したという情報だった。
 その死が何をもたらすのか、すぐに思い至ったシズカは口を滑らせる。
「返信してやがるのかよ……」
 
 シズカ・アマナカはフィルオルソゥル社の社宅へと向かった。転落した女性はすでに病院へ運ばれているが、ほぼ即死で間違いないだろう。シズカが会いたいのはその女性ではなく、ウナ・フランコたちセラピー参加者だった。虫の知らせ現象を知っている彼女たちならば、すでにパートナーと死別しており超光速通信に利用される心配のない彼女たちならば、フィルオルソゥル社の悪事を暴く味方になってくれるかもしれない。
 今にして思えば、ヴィクトル・フランコの死にもすこし不審な点があった。本来なら、あんな微小重力下で落盤事故などそうそう起こらないはずだからだ。もっと早く疑いを持っていてもよかったはずだ。そんな後悔を抱きながら、シズカは社宅のゲートをくぐった。たしか、ウナが住んでいるのはC棟だ。部屋の番号も分かっている。
 しかし、インターホンで呼び出してもウナが出てくることはなかった。ウナは社宅にはいなかったのだ。ウナ・フランコだけではない。ケイティ・ブロズナハンも、イーダン・ライツも、他のセラピー参加者たちも、誰一人として社宅にはいなかった。
 そのとき、携帯端末に通知が入った。研究室を出る前にセットしておいたものだ。その通知は、またも社宅のどこかで人が死んだということを示していた。警察と救急に連絡するくらいしかできない自分が悔しくて、シズカは言葉にならない叫びを上げた。
 いったい、ウナたちはどこへ行ったというのか。
 社宅の前でしばらく考えると、思い当たる場所がひとつあった。グループセラピーにも使用した、コミュニティセンターだ。
 コミュニティセンターに辿り着くまでに、二回通知が届いた。今度はどちらも社宅ではなく、小惑星で誰かが事故死したようだった。これが本当の事故死なのか、それとも超光速通信の生贄なのか、もはやシズカには何も分からなかった。
「ウナさん!」コミュニティセンターに入るや否や、シズカは大声でセラピー参加者の名前を呼ぶ。受付ホールの中で呼びかけは空虚に響いた。「ケイティさん! イーダンさん! 誰かいませんか!」
 誰からも返事はなかったが、その代わりに、遠くのほうで話し声がしているのをシズカは聞き取った。声の方向からして、おそらくセラピーに使った部屋に誰かがいるのだ。わざわざ受付に利用者を確認するのも時間が惜しく、シズカは勝手に部屋の方へと向かっていった。しだいに話し声は大きくなっていった。近づくほどに、なんだか聞き覚えのある声色のような気がしてきた。そう、これはケイティ・ブロズナハンの喋り口によく似ているような。
 扉の前まで来ると、向こう側にいるのはセラピー参加者で間違いないと思われた。明らかに今聞こえているそれはウナ・フランコの声なのだ。
 シズカは扉の前でじっと耳をすました。どうしてだか、話の内容が気になるのだ――
 
 ――ケイティさん、貴重なお話をありがとうございました。
 今度はわたしのきっかけについて、お話しさせていただきますね。せっかくの機会ですから。
 エイミさんというおばあさんが社宅のB棟にいるんですけど、あるとき、その人が教えてくれたんです。なんでも、世の中には虫の知らせというものがあるんだとか。迷信や、おまじないのたぐいなんですけど。
 それでわたし、あの人のグラスを取り出してみて、それを見つめながらこう思ったんです。
 もし、このグラスが割れちゃったら、あの人が亡くなったということになるのか。
 割れたら、死んだことになるんだ。
 はやく割れないかな。
 割れればいいのに。
 割れろ、割れろ、割れろ。
 割れろ、割れろ、割れろ、割れろ、割れろ、割れろ……そうやって念じていると、本当にグラスはまっぷたつに割れました。その結果、あの人は落盤事故で死にました。
 祈りが通じたのです。
 だから、みなさんも祈りましょう。
 いろいろ試してみたんですが、実のところ相手の私物であるかは関係ないようです。今回は、みなさんと同じ数だけグラスを用意させていただきました。
 そう、そうです。いい調子。
 そうやって、グラスを相手だと思って祈るんです。
 割れればいいのに、死ねばいいのに、死ね、死ねって――
 
 そこでシズカは、自分が完全に誤解していたことに気づいた。
 時系列が、因果関係が逆だった。ヴィクトルの死が超光速でウナに伝わったのではなく、ウナによって超光速でヴィクトルに死がもたらされたのだ。火星居住者に芽生えたのはそういう能力だったのだ。生き抜くための、殺しの能力だったのだ。
 殺したのはフィルオルソゥル社ではなく、社宅の人々だった。あれらはメッセージでもなんでもなかった。三人同時に殺されたのは、きっと社宅側の三人が、ウナたちに教わった直後に各自の部屋で実行したからなのだ。先ほどの転落事故も、何度もあった通知も、今まさにこの部屋で能力の指導が行われていたせいだったのだ。
「あっ」
 気づくと、目の前の扉は開いていた。ウナたちがシズカをじっと睨んでいる。
 そして、手にしているグラスが、一斉にまっぷたつに割れた。

文字数:10846

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