劇団ふたり

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梗 概

劇団ふたり

エムとパンは女の子。宇宙空間に浮かぶ小さな小さなスペースコロニーに住んでいる。そしてそのコロニーは、舞台と客席が合わせて4畳半ほどの小さな劇場で、ふたりはそこで衣食住すべてを行なっていた。一応その他に、トイレと【舞台裏】とよばれる、人ふたりがギリギリ入れるスペースがあった。
 ここでは毎日演劇が上演される。いつもエムは作・演出件役者、パンはお客さんであった。
 エムはパンを楽しませるためにあらゆる劇をやった。現代劇。時代劇。アクション。SF。ホラー。ラブコメ。
 パンは、エムの劇が終わると常に惜しみのない拍手を送り、大絶賛の言葉を送った。

あるとき、ふたりの4畳半の劇場にひとりの宇宙人がやって来る。彼はエムの演劇が是非観たいと言う。
 エムはなかなかいないパン以外のお客様に、喜びながら準備のため【舞台裏】に消えていく。
 パンは、ここでやってきた宇宙人と話す。宇宙人は実はひとりに見えて1万人の小さな宇宙人の集合体であることがわかる。パンに急に緊張感が走ったその時、パンはエムに【舞台裏】に呼ばれる。
 エムはパンに言う。せっかくだからここで自分の最高傑作であるラブコメを演じたい。そしてそれはひとり芝居でなくふたり芝居なのでパンにも出て欲しいと告げる。
 実は観客がひとりではなく1万人であることを知っているパンは顔を真っ青にしながら断るが、エムはどうしてもパンに出て欲しいと食い下がる。
 最終的にパンは、実は観客が1万人であることも、出たくないとも言えずに、首を縦に振ってしまう。

ノリノリのエムとガチガチのパン。
 幸い劇は観客の宇宙人に大ウケであり、エムは上機嫌、パンも徐々に緊張が取れてくる。
 しかし、ふとエムは宇宙人の笑い声が多重奏のようであることに気づき、幕間に【舞台裏】でパンに尋ねる。
 パンはここで宇宙人が実は1万人の集合体であることを白状する。途端にエムはガチガチに固まってしまう。 
 その状態で幕間は終わり、出番となったエムは舞台上に出るが、緊張と戸惑いで何も喋れない。
 ワンテンポ遅れて舞台に出たパンは、アドリブを交えながら、エムを激励し、なんとか劇を持ち直させる。
 勇気を取り戻したエム。劇はクライマックスを迎え、ふたりのキスシーンで幕が閉じる。
 カーテンコール、1万人の宇宙人の万雷の拍手。エムとパンははにかみながらお辞儀をした。

宇宙人が去った後、エムはパンに役者にならないかと誘うが、パンは首を横に振る。
 パンは、自分はエムの劇の観客でいる方が楽しいと言う。
 エムは、でもたまにこういうことがあったときだけでいいからパンに劇に出て欲しいと言う。パンはそれには静かに首を縦に振るのだった。

文字数:1103

内容に関するアピール

「小さな世界」というお題なので、真っ正直に小さく可愛いお話を書いてみようと思いました。
 主人公のふたりの女の子ができるだけキュートに動く実作を書きたいと思っております。
 よろしくお願いいたします。

文字数:98

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劇団ふたり

 客入れの音楽がフェードアウトし、照明がさらに暗くなる。
 パンはこの瞬間が一番好きだ。
 メロンパンを頬張り、口中に甘みが広がるその直前の喜びの数千倍の喜び。それがこの瞬間にある。
 幕が静かに上がる。照明が差す。舞台の上に立つのは西洋風の甲冑を身につけた人物。
「さぁさぁ東軍たちの大軍勢がやって来たぞ!!その数1万、対する軍勢は我ひとり、絶望?そんなことはない。我は一騎当千、天下無敵、千客万来の騎士、エムなりぃ!!」
 舞台上の役者は意気揚々とセリフを読み上げる。パンはスカートをぎゅっと握りながら、キラキラとした目でそれを見つめた。

「長く苦しい闘いであった。しかしそれであるがゆえ得たものも大きい。我は勝った!!やった!!大勝利なりぃ!!!!」
 騎士役の役者は剣を高々と上げる。感動的なBGMが流れ、やがて幕が閉じる。パンはぱちぱちと拍手を送った。
 カーテンコールの幕が上がる。役者は兜を脱ぎお辞儀をする。その役者の髪の毛はサラサラとなびく美しい金髪だった。
 パンの拍手は鳴り止まない。一度閉まった幕はダブルコールでもう一度開く。役者はもう一度深くお辞儀をした。
 幕がもう一度閉まってから客席の電気がつく。そこは座布団ひとつだけが置かれた2畳ちょっとの客席だった。幕が開く、そこには2畳ちょっとの舞台があり、金髪の役者がぴょこっと幕から現れた。彼女はパンに抱きつき、背中をぽんぽんと叩きながら聞いた。
「どうだった今日の劇は?」
「最高!!」
「ほんと〜?」
「うん、エムと大軍勢の戦い、本当にエムが人の波に飲まれていっちゃいそうでハラハラしたもん」
「そう。よかったー」
「エムの劇はいつも最高だよ」
「パン、気持ちはマジ嬉しいんだけど……あんまり褒めないでくれる」
「え?」
「実は今日の劇、気に入らないところが3箇所ほどあってね」
 彼女は、ぎゅっと渋い表情を見せた。
「まずは脚本として、敵の大臣がワンカップ一杯目当てに誘いださせられるって展開はあまりにご都合主義。これ、厳しい客だったら絶対突っ込んでる。2つ目は照明。実は自動照明装置オートイルミネーションへの指示をちょっと失敗して、主人公の騎士が穴の中にいるシーンなのにめちゃくちゃピンクの光が当たって、なんか変なお店みたいになってた。そして最後に役者として。主人公は歴戦の騎士という設定なのに、主演俳優の私が『たくましい』よりも『可愛い』に寄りすぎてて、これ違和感覚えちゃうと思うんだよね。可愛すぎて」
「だいじょぶだよ。ちゃんと可愛くて強そうな騎士になってたよ」
「でもなぁ、ちょっと可愛さが勝ちすぎてた感はあったなぁ。そこツッコむお客さんはツッコむと思う」
「エムは完璧主義者さんだなあ」
「そうじゃなきゃ、面白い劇なんてつくれないよ。製作者は常に自分に厳しくあれがモットーです。いやあキャスティングミスかなあ……」
「キャスティングミスっていっても……、この劇場、役者さんエムしかいないんだからさぁ」
「うーん、そうだけどねえ」
 1時間半の劇、舞台にいたのはエムと呼ばれた役者がひとり。客席にはパンがひとり。そこはたったふたりの劇空間だった。
「エム、明日も公演やるの?」
「もちろん!!今日の反省も踏まえて【騎士ロード物語】。マチネもソワレも飛ばしていくよー」

 エムとパンは宇宙のどこかに浮かぶ小さな劇場に暮らしている。
 客席と舞台が合わせて四畳半の小さな劇場。あとは小さなトイレと【舞台裏】という小さなスペースだけ。
 お風呂はないので、ふたりはいつも、劇場の近くに浮かぶ銭湯へ宇宙船をてくてくと飛ばす。 
 パンは、シャワーが流れキラキラと光るエムの金髪に見惚れながら、うっかりシャンプーを目に入れてうぎゃあとなったあと、エムと一緒に湯船に浸かって、うーとうなった。
「今日の劇もすごく楽しかったよ」
 パンは言う。
「ありがと、私も楽しかったあ」
 エムが答える。
 エムの劇はほぼ毎日上演される。脚本はありものを使うこともあるが、エムは自分で脚本を書くのも好きである。
 衣装や道具づくりもエムは大好きであり、公演のない日はパンと一緒に少し遠くの『スペースユザワヤ』や『コスモダイソー』で布や材料を揃え、ふたりで数多くの衣装を作り上げる。
 【舞台裏】に置いてる衣装&小道具&大道具ボックスには、圧縮された数千もの舞台道具たちが詰まっている。
 エムは作曲はできないが、この宇宙のウェブ上に無数に落ちているフリー曲から舞台音楽を選ぶ。音響も選ぶ。音声と照明の操作は劇場に備えられたAIに指示をして任せる。
 こうしてエムひとりの劇は出来上がる。
「うーん、私って凄いよね。しかも可愛いし」
 こうやって胸を張るエムの言葉が実は本心でないことをパンは知っている。
 元々、エムとパンは、大きな宇宙都市オーキッドに住んでいた。ふたりはよく劇場に通っており、そこで出会った。エムは金髪が印象的な美人だったので、彼女を覚えていたパンが声を掛けた。
 そのときのエムは、「え、あ、」と元来の人見知りさを出しておろおろとした。そのあとふたりでカフェに行って話をすると、びっくりするほどふたりはウマが合った。実はお互い観ていた演劇の多くが被っていて「あれ、あなたも劇場にいたんだ!?」とふたりで大騒ぎをしてしまった。
「エムさん。演劇観るの本当に好きなんだね」
 パンはチーズケーキを頬張りながら言った。
「うん、小劇場もオペラも、ミュージカルもね。でもね……」
 エムは少し口ごもってからそっと言う。
「本当は、私自身が劇をやりたいの」
 パンは間髪を入れずに「いいね」と賛同した。
 それからふたりは何度か会ううち、宇宙の片田舎に浮かぶ小さな小さな劇場が安い家賃で売りに出されていることを知った。そしてふたりは貯金をして、その劇場にふたり暮らしをすることを決めた。
 エムは少しだけ尻込みをしたが、パンの「人生は勢いで動くものだよ」の一言に後押しされて劇場でのふたり暮らしを決めた。
 パンは言う。
「私はどんなときでもどんなことがあってもエムの劇を見るから」
 エムは、その言葉に勇気付けられ、パンの喜ぶ劇をつくろうと決意した。こうしてエムとパンの演劇生活がはじまったのだった。

 パンは知っている。
 エム、彼女は実はすごく自分に自信がない。実は自分が全く可愛いと思ってないから自分で言葉に出さないと押しつぶされてしまう。でもパンは、エムは可愛いし、エンターテイナーとしての才能も凄いと心の底から思うのだ。だからこそ、毎日彼女の劇を見ても飽きない。
 今でも湯船に浸かる彼女の姿を見ていると、すらりとした身体が綺麗で、女優さんだなーとため息が出てしまう。
 エムがふとパンの方を向いて言う。
「いやあ、でもふたりとも女のコでよかったね」
「なんで?」
「男のコと女のコだったら、壁の向こう側に別れて、で片方が片方を待ってなきゃいけないじゃん」
「そうだねー。でもさ、普段劇場ってそんな感じじゃない。エムは幕の向こうの舞台で私は観客席。幕が閉まってお互いが見えなくて。ちょっとの間エムとは別れ別れになるけど、その瞬間、なんかどきどきして好き」
 パンは手にすくったお湯にふうと息をふきかけてみる。
 エムとパンはお風呂を上がると、2人でドライヤーで髪の毛を乾かし合う。
 エムの髪はサラサラ金髪。パンの髪の毛は赤い癖っ毛。それをお互いでとかしあう。
 エムはさらっとパンのお尻をなでる。パンはきゃあと小さな声を出す。
「ちょっと、エム」
「ごめん、パンのお尻の形大好きなんだよね、ツンて上のほう向いてて」
「もぉー」
 パンは赤面してお尻を押さえる。「ごめんなセクハラ大好きで」とエムはぺろりと舌を出す。
 そしてそのあと、ふたりでフルーツ牛乳を飲んで宇宙船に乗った。
「ねえエム」
「何パン?」
「エムの演劇さぁ、もっとたくさんの人に見てもらいたいね」
「……うん」
 エムは曖昧に頷く。パンは、エムの曖昧な頷きに、本来の自信のなさが出ているのをちょっと可愛いと思った。
「エムは、どの劇場でやるのが夢?」
「……ん?」
「夢、ほら、夢だから」
「んん……」
「やっぱ、アンドロメダ劇場?それとも大宇宙帝国劇場?」
「劇場は今の劇場でいいんだけどね」
「……え?だとするとキャパ10人くらいだよ」
 オールスタンディングで、なおかつちょっとお客さん舞台にはみ出すけどと。
「うーん、でも私は今の劇場好きだからなあ」
「じゃあ増築する?」
「それも手だけど、今の雰囲気は残したままがいい。今の感じのまま広くならないかなあ」
「広くなったら変わってしまう気がするけどねえ」
「うん、それで観客席には1万人くらいのお客さんがいてくれたらね」
「……え!?」
 パンは少し絶句する。
「夢は大きく1万人だよ」
「いやエム。大宇宙帝国劇場でも、収容数2000人なんだから、そんな劇場ないって」
「いや、だってパンじゃない。夢を言えって言ったの」
「そうだけどさぁ」
「今のままの劇場で、観客1万人くらい入ってくれるのが理想かなあ」
「いや、無理だって」
「超小型宇宙人とかなら可能じゃない」
「それ単純に畳にダニが大量発生しているがごとくにしか見えないよ」
「じゃあ目に見える形でここに1万人敷きつめよう」
「どんな雑技団!!」
 パンのツッコミにガハハとエムが笑ったことで、パンも今のやり取りが冗談であることに気づき、ほっと息をついた。だけど、エムが自分の劇を多くのお客さんに見てもらいたいという気持ちは垣間見えたので、それはとても嬉しかった。

 ある日、パンは客席に掃除機をかけていた。とんとんと扉を叩く音が聞こえたので、はーいと扉を開けた。目の前には、これといった特徴の見つからない人間の男性型の宇宙人がいた。
「あ、いらっしゃいませ」
「ここで演劇をやっているときいてやってきました」
「あ、はい。そうです。よくいらっしゃいました。ありがとうございます。今日の公演は2時間後なので、もう少しお待ちいただければと思いますが」
 パンは基本エムの演劇の観客であるが、他のお客様が来たときは会場係も兼ねる。
「はい。とは言っても時間をつぶす場所がないので、ここで待たせてもらうことはできないでしょうか」
「大丈夫です。すみません、とても狭い劇場でして」
「いや、素敵な雰囲気の劇場ですよ。ありがとう」
 宇宙人はそういって座布団に座った。
「お客様あ!?」
 幕の後ろで劇の準備をしていたエムがひょっこりと顔を出す。何か作業の途中だったのか、髪の毛は後ろでひとつに束ねてあって、珍しくおでこが全開になっている。
「どうも。俳優さんですか?」
 男性宇宙人が聞く。
「はい!!俳優件、制作件主催です」
 エムはにっこりと言う。もう少しお待ちくださいと幕の裏に引っ込み、パンも幕の裏へと行った。
「いやあ、お客さん、2ヶ月ぶりくらいかなあ」
 エムはウキウキしているので、パンも嬉しい。
「そういえば、今日は何の劇をやるの?」
「うん。本当は【ひとり蒲田行進曲】やろうと思ってたけど、せっかく久しぶりのパン以外のお客様だから、一番の自信作をやろうかなあ」
 エムは、舞台裏の衣装&小道具&大道具ボックスをガサゴソと漁り始める。このボックスには、無数の衣装と小道具が圧縮してつまっており、中の衣装をひょいひょいと取り出し、狭い舞台裏はすぐに衣装で埋まってしまった。
 エムが熱心に準備をし始めたので、パンは邪魔をしないように舞台から観客席に出る。そして、お客様の宇宙人に声をかけてみる。
「お客様はどちらの星系から来られたんですか?」
「ふたご座の星系からです」
「へぇーあちらのほうから。遠くからわざわざありがとうございます。そういえば、ふたご座系はひとりに見えて複数の意識が混じった【複数人】という方がいらっしゃるそうですね」
「私がそうなのです」
「はい?」
「『私たちがそうなのです』と言ったらいいかな」
「そうなんですかあ!!初めてお会いしました」
 パンは感激した。思わず声のトーンが高くなる。
「で、何名様なのでしょうか?」
「一万名です」
「はい?」
「正確には一万と203名ですね」
「ちょっと待ってください……」
 パンの首すじに汗がつたる。
「……え?本当に……ですか」
「こんなことで嘘を言ってもしょうがないので」
「え、あ、え、いちまん……え?」
 彼らは名をラムダと名乗った。それは個人の名であるというより、集合体の名。いわば我を国家と思って考えてほしいと彼は言う。ひとりの人物として話したり動いたりしているようで、国家のように合議を行い動いている。その合議が他の種族から見れば凄まじい速さで終わるため、一個の生物として生きているように見えるのだ。
「今回の観劇は、我々ほぼ満場一致で決まった結論なのです。楽しみにしていますよ。よろしく」
 ラムダは手を差し出す。パンは自分の手が手汗でべとべとだったので、こっそりパーカーのすそで拭いてから手を出した。
 目の前に現れた一万超を超える大観衆。パンの眼は床屋の軒先の看板のようにくるくると回転を始める。
「パン〜〜!!」
 幕のすきまからエムが顔を出した。
「な、何っ!?」 
「ちょっと来てー」
「うん」
 パンは真っ青な顔で、幕をかき分け舞台へ上った。
「いやあ、今日の演目なんだけどさあ、私の最高傑作をやりたいと思ってね」
「うん」
「実はそれってさぁ、ひとり芝居じゃなくて、ふたり芝居なのよ」
「うん」
「だからさぁ、今日はパンにも出てほしいの」
「うん…………えっ!?」
 パンはぎょっと目を剥いた。
「だめだめだめだめ、そんなの無理だって」
「大丈夫。ほとんど動かない役で、セリフもそんなに多くないし。あ、そもそもセリフは【ノーホン】で全部パンに送るからさあ」
 【ノーホン】は、役者の脳に電波で直接台本を送るシステムのことである。これで人類はセリフ飛ばしやセリフ忘れから解放された……と思いきやそれでもセリフ飛ばしをする役者がこの世にいるのだから、人類は不可思議だ。
「いや、私が舞台になんておこがましすぎるよ」
「なんで?あ、容姿のことならパンはすごい可愛いよ。パンが俳優になったらパンのこと好きになっちゃってパンのブロマイド買うお客さん多いと思うけどなあ」
「それはありがとだけど、そう言う問題じゃなくて、ちゃんと演技の練習もしてない私が舞台に、しかもいきなり一万人の前でなんてダメだよ」
「一万人?」
「あ、……うん」
 パンは口ごもった。それは本当はめちゃくちゃ緊張しいのエムにこのことを伝えたら、彼女こそおろおろしてしまうのは確実だ。
「ごめん。無理言ってるってわかってる。でも、この劇にパンは出てほしいんだ」
 まっすぐな瞳。キリッとした眉毛。パンはエムの頼みが軽はずみではないことを理解した。
「……うん」
 パンは静かにうなづいた。

 ブザーとともに幕が上がる。
 舞台上には椅子に座るパンがひとり。彼女は、スエードのハット、ジャケット、ショートパンツを履いている。顔には二筋の線。それは彼女が人形の役であることを示していた。
 そこにやってきたエム。エムは豪勢なドレスに全身キラキラの衣装に身をやつしていた。
「ああ退屈ぅ」
 エムは地べたに寝そべって身をバタバタと動かす。
「私はエム。一国の姫。産まれてからお金と宝石には困ったことがないわ。美貌においてもこの世界におけるどんな造形物よりも美しい。今日も舞踏会。東西古今から王侯貴族たちが押し寄せ、私の美貌に目を輝かせる。ああ、なんと満ち足りた我が人生。……けれど、なんて退屈なのかしら」
 エムは起き上がる。
「ああ、そんな私の心を癒してくれるのはパン。あなた1人だけ。私が幼きときから心を許せるのはあなたひとりだけ」
 エムは人形のパンの膝に顔をたずさえる。
「私の願いはただひとつ。あなたと言葉を交わせたなら……」
 そのとき、人形のパンの身体がぴくりと動いた。
「やあ、ひめ、ごきげんよう」
 無機質でたどたどしい声が響く。
「わっ!!しゃべった!!」
 エムは後ずさりする。
「どうしてそんなにおどろくのだい。ぼくはきみののぞみどおりしゃべっただけだよ」
「いや、驚くわよ。昨日まで毎日話せていたのならまだしも。いきなりなのですもの」
「そんなにおどろかないでくれ、ひめ、ぼくもずっときみとはなしたかったのだから」
「……そうね。驚くことはなかったわ。私はずっとこのときを求めていたのだから」
 エムはパンの手を取る。音楽が流れ、ふたりはワルツを踊る。
 鮮やかな足さばきのエムとは対照的にパンはほぼ棒立ち。
 その滑稽さがラムダの笑いを誘い、彼らからゲラゲラと笑い声がこだました。

 場は暗転し、ふたりは舞台裏に下がった。
「いやあ、パン、いいよ。人形らしいぎこちなさがすごくよく出てるよ」
 エムはそう声をかける。パンは密かにうなだれて、おぇっとえづいていた。
「パン、どうしたの?」
「あ、ありがと」
 パンは何とか背筋を伸ばす。
「パン、滝のような汗。人形からこの汗はだいぶリアリティがまずいよ。拭いてあげる」
「あ、ありがと」
 パンはなされるがままにタオルを顔に押しつけられる。
「立ち上がりは上々。さ、頑張ろ」
 エムはもう一度舞台へ歩いていく。パンの表情はすでに疲れ切り、泥人形がごとくになっており、糸が何本か切れた操り人形がごとくふらふらと歩いた。

 劇は進む。 
 エム姫にもたらされた結婚の話。彼女はそれを断固拒否する。彼女はパンとずっといたい、さらにはパンと結婚したいという。
 しかし、周囲がそれを許すわけがない。轟々と批難をぶつける。
 エムはパンが動き、しゃべれることを周囲に見せようとするが、どうやらパンが動きしゃべっているように見えるのはエムだけらしい。
 エムの思惑とともに、彼女は頭がおかしいと思われ、それを覆い隠すように結婚の話は進んでいく。
 絶望に嘆くエムの涙、それにあくまで優しく寄りそうパン、そのシーンとともに幕が降り、第1幕は終了。
 ラムダは満足げに大きな拍手を送った。

「お疲れ、パン」
 幕が閉まり、観客席と分かれた舞台上でエムはそう声を掛けた。パンはインターバル中のボクサーのように、舞台道具の椅子に座っていた。
「ありがと、エム」
 そう答えるパンの肩を、エムは満面の笑みで揉んだ。
「いやあ、予想以上。ホント予想以上。やっぱパンに役者の才能があるって私の目論見は間違ってなかった。最初こそぎこちなさが、人形の役作りにしても過剰かなって思ったけど、劇が進むにつれてカドが取れてきて、それが劇中のパンの、徐々に人間の心を持っていくって筋とリンクしていて。なんかスッゲエいいなあって、演じながらなっちゃった」
 パンはエムに褒められて心がふわふわした。確かに最初は緊張でカチコチだったが、劇が進むにつれ、緊張は段々とどこかに押しやられた。いい劇をつくりたいという責任感と、エムと共同でそれをつくりあげているという心地よさに塗り替えられていった。だからパンは今は自然に笑顔を浮かべることができる。
「そうだね。最初は一万人の前でどうしようかと思ったけど……」
「一万……?」
「あ、『イッチマエー』って感じの出演だからうろたえたけどねえ。ははは」
 パンは苦笑いで誤魔化す。エムはそれを気にもかけず首に立ち売り箱を掛ける。
「幕間の物販行ってくるね。パンは休んでて」
「その姿で行くの?」
 エムはドレス姿で立ち売り箱を首から下げていて、ちょっとアンバランスに見える。
「うん。実は貧乏なお姫様は必死にはたらかんとねー。生活費稼いでくるよー、パンは休んでて」
 エムは腕まくりをして振り向き、パンに微笑んだ。

「お客様、可愛い可愛い女優さんのブロマイドはいかがですか?」
 エムはラムダに声を掛けた。立ち売り箱に入ったあらゆる衣装のエムの写真をラムダに見せる。
「お、それではいただこうかな」
「残念ながら今は私のしかなくて、もう一人の彼女のはありません。ご希望ならば、後ほどとってお送りすることもできますがあ」
「そうですか。ここでは普段からおふたりで劇をやっておられるのですか?」
「いえ、彼女は普段は観客で、私ひとりでやっております。今回は彼女に無理をいって出てもらいました」
 エムはラムダに自分のブロマイドを一枚渡す。
「なるほど、それにしては彼女はいい演技をする」
 ラムダはそっと自らの電子サイフを差し出す。エムはそれを端末で受け、ぴろりんと音が鳴る。
「でしょう。実は私、パンは俳優としてもやっていけるほどチャーミングで、すっごい度胸があって気も効いて、実はこの可愛い私よりも全然俳優としてふさわしいって思うときがあるんですよねえ」
「それはそれは」
「いやあ、なので、彼女の魅力をたったひとり堪能できるお客様はめちゃプレミアムですよ」
「……ああ、私はひとりではないのですよ」
「え?」
「私は複数人格の集合体なのですよ」
「ああ!!聞いたことあります。初めて会いました。うわぁ嬉しい。で、何名様なんですか?」
「一万名です」
「はい?」
「正確には一万と203名ですね」
「……え!?」
 エムの眼は点になる。そして首すじに汗がつたっていた。
「エム、そろそろ時間だよ」
 幕のすきまからパンが顔を出した。
「……あ、え、うん……」
 エムはガチガチになりながら舞台へ歩いた。

 ブザーが鳴り幕が上がる。第二幕開始。
 舞台に立つエムにスポットライトが当たる。
 彼女は微動だにしない。それは人形のように。
 観客席のラムダはそれを演出だと思いこみ、じっくりと見ている。が、袖にいるパンには分かっていた。これは緊急事態だった。
 エム、どうしてセリフを言わないの?とハラハラとするパン。
 そういえば、幕間の物販から帰ってきたときエムの様子は明らかにおかしかった。まるで、劇開始当初の私のように……。
「あ。」
 パンは気がついた。エムは知ってしまったのだ。本日のお客様がひとりではなく一万人であることに。
「…………」
 袖のパンからは見える。エムが必死にセリフを紡ごうとして口をパクパク動かしているが、いっこうにセリフが生まれてこないことを。
 エムの表情にはいっさいの自信が抜け落ちている。パンは初めてエムに声を掛けたときのことを思い出していた。
 あのとき声を掛けられたエムは、今のように自信なさげな顔でいたな。それが、私と暮らして、劇をやって、自信が満ち溢れた女優になって……。
 パンはグッと胸の前で拳を握りしめる。そして、そそと舞台へ歩いていく。
「姫、どうしたんだい?」
 パンはセリフを発した。
「〝え?」
 エムは極めてブサイクな声を出してしまう。彼女は驚いた。だって、そこでパンの登場シーンなどない。
「まるで君の方が人形みたいになってしまって……まさか、悪い魔女の呪いにでもかかってしまったのかい?」
 エムのアゴをクイとするパン。パンは幾つもの意味で赤面し、あわわとなってしまう。
「君はどうしてそんなになってしまったんだい?」
「その……私、パン、あなたと離れたくないの。ずっとあなたとふたりでここにいたいの」
 エムの言葉にパンは帽子を押さえて目深に被る。
「ぼくはずっと思っていたよ。姫、君のように綺麗で才能ある人はどこに行っても大丈夫だ。ぼくでなくとも、君のことを知れば、どんな者でも必ず君のことを好きになってくれるはずさ。それなのになぜ?」
「そ……そんなことない!!」
 エムはやっと声を出した。この言葉ももはや筋書きから離れたエムのアドリブだ。
「私はめちゃくちゃ駄目。顔もよくないし、性格も最悪。本当はそれがわかっているから……。だから私のことを好きになってくれるのはきっとパンだけ」
「そんなことない」
「全然、そんなことあるの!!私は、全然可愛くなんかないし!!全然誰にも愛されないコなの」
 エムは思いきり言った。不思議とその瞬間、彼女の喉にこびりついた何かが流れていったような気がした。
「私は怖い。ここ以外の世界に出るのが、パン以外の前に立つのが。だって、私の自信なんて全部嘘で、私は私のこと全然素敵じゃないと思ってる。パン以外の人に見られて本当のことを言われたら、お前なんて全然いなくていいって言われたら、私、もう怖くて仕方ない」
 エムはその場にへたりこんでしまった。
「……じゃあ僕はついていく」
「え?」
「ぼくはいつでもきみの近くについていく」
「でも、それって永遠?」
「え?」
「私、知ってる。世の中の何事にも終わりがあるって。私、今何が一番怖いと思う?あなたが、あなたが目の前からいなくなること」
「私はいなくならないよ」
「そんなのわからないじゃない!!」
 エムは立ち上がって叫んだ。
「ふたりの世界はすごく心地よい。でもねふたりの世界が壊れたとき、そこはひとりの世界になる。それが私は恐ろしい」
「……、いや、ひとりにはならないよ」
 エムは顔を見上げる。
「きみがひとりの世界に行っても私は覚えてるから」
「……」
「きみも、ぼくのことを覚えていてくれるでしょ」
「うん」
「それは永遠とは呼べないかもしれない。でも、永遠にいっしょにいられなくても、ぼくはエムに永遠と同じだけの価値のあるものを残していく」
 パンはぎゅっとエムの手を握る。エムの涙はいつのまにか止まっていた。「よかった」とパンはエムの笑顔に見惚れた。そして、パンは自分でも驚きの行動を起こしてしまった。
 パンは目の前にあるエムの唇に自分の唇を重ねていた。
 パンは驚いていた。何やってるんだと思った。甘酸っぱかった。柔らかかった。幸せだった。
 エムも突然つけられたパンの唇に、一瞬うろたえた。けれど、その心地よさと幸福感に身をゆだねた。
 せり上がる音楽。ラムダの多重の拍手だけが鳴り響いた。

 それからさらに演劇は元の筋書き通りに進んだ。エム姫と人形のパンが織りなす、嫁ぎ先の王子様の元でのどったんばったんのコメディ。ラムダの大爆笑の中で第二幕の幕は閉じた。
 ラムダは満足そうに一万203人分のチケット代を電子マネーで支払った。
 パンとエムは、端末の画面に浮かんだとほうもない金額に「これはいただけません」と固辞したが、ラムダは「これは我々の総意です」と払って帰っていった。
 ふたりは息をつく。ラムダの宇宙船の音が遠くに消えるとふたりはむふふと笑った。降ってわいた臨時収入に、パフェか肉を食べに行こうと盛り上がった。
「ねぇパン」
「何?」
「やっぱりパンは才能あるよ。俳優やらない」
「いや、いい」
「え?やっぱり……」
 ホントは役者やるの嫌だった?と継ごうとするエムの言葉を否定するようにパンは言う。
「そんなことない。楽しかったよ。エムが固まっちゃったとき思ったことばんばん言っちゃって、演技しているのかどうなのかもよくわからない状態ですんごい疲れたけど、終わったときすごい充実感。生きてるっていうか、フルマラソン走りきったような感じ。……もちろんフルマラソン走ったことないけど……」
 パンはぐたーっと身体を後ろに逸らす。そしてさらに言う。
「でもね、やっぱり私はね、エムの劇を観ているときがいちばん楽しい」
 パンはエムの目をまっすぐに見て言った。エムはじわっと胸が溢れるものがあるのがわかった。
「そう。ありがとね」
 エムはパンに本日幾回目のお礼を言った。そのあとふたりはまたむふふと笑い始めた。
「いやあ、夢叶っちゃったね」
 一万人の観客が来たら、という夢。
「いやー叶った。こう叶うと思ってなかったからあれだけど」
「ちょっとちがう感じ?」
「ちょっとちがう感じ」
「だよねえ」
 ふたりの笑い声は、むふふからげらげらに近づいていく。ふと、エムが言う。
「ねえパン、私がここ以外の劇場で劇をやりたいって言ったらどう?」
「ふふ。どこへでだって私は観に行くよ」
「そこがさ、パンが観にいけない場所だったら?」
「どんなことをしても観に行く」
「でも、無理だったら」
「そのときはそのとき。エムの成功を遠くから祈り続ける」
「そのとき私、例え観客席にパンがいなくても、私はパンのために劇をやるよ」
「ふふ、ありがと」
「じゃあ私たち何も怖くないんじゃない」
「はは、パーフェクトだ」
 そう言ってふたりは思いきりハイタッチをして笑いあった。
 ここは宇宙の片隅。ふたりだけの劇場。

文字数:11402

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