馬鹿河童大神人ばかのかっぱおおかみじん

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梗 概

馬鹿河童大神人ばかのかっぱおおかみじん

山間の村にある寿旅館の一人娘芳江のもとへ婿入りした栄二郎は、寿家には何か秘密があるのではないかと思うようになった。理由は二つ。一つは、旅館の奥に鍵のかかった使用禁止部屋があること。もう一つは、義父三岳と義祖父寛次が交代で家を空ける理由がわからぬこと。

ある日栄二郎は、寿家には旅館経営以外にもう一つ重要な家業があることを知らされる。三岳は栄二郎を、村外れにある今では使われなくなったトンネルへと連れて行く。
 トンネルを抜けるとそこは、江戸時代の遊郭だった。三岳から「仕事は明日からだ、今宵は思う存分遊べ。私は神社横の家にいる」と言われた栄二郎は、芳江のことを気にしつつも、夜が更ける頃には酒も回り、それなりに楽しんだ。

しかし翌朝栄二郎が目を覚ますと、辺りの様子は一変していた。そこは寂れた村落であった。
 背後から足音が近づいて来る。現れたのは、下半身が馬、上半身が人間の半人半獣であった。その向こうには、鹿の角を生やした猿人がいる。行けども行けども、出くわすのは謎の半人半獣ばかり。昨日通ったトンネルは崩れており、逃げることができない。栄二郎は三岳のところへ駆け込んだ。そこで栄二郎は、三岳から事の経緯を聞く。

その昔、この村は金の採掘で栄えていたが、やがて金の産出量が低迷し閉山、人々は村を出て行った。他に行く宛てのない五十五人の遊女をもてあました抱え主は、自分だけ村を出、村を出る際の唯一の通り路であるトンネルを崩して埋めた。村は四方を狼のいる崖に囲まれ、他に逃げ道はない。村に閉じ込められた遊女たちは、動物たちと交わり子孫を残したという。
 トンネルを入ると一旦は江戸時代に通じ、一夜が明けると時は現在になる。あのトンネルは、入ることはできるが出ることはできない。出口は別にあるが、その場所は、栄二郎がこの村の存在を受け入れられるようになったら教えるとのこと。それまではここで暮らし、仕事を覚えてもらう、と三岳は言った。寿家のもう一つの家業とは、この村の神社の神主であった。

この村の神は、馬鹿河童大神人という。下半身は馬、上半身は人間、河童の顔に鹿の角と狼の牙をもつ。肉食と草食、陸上と水中という種の壁を越えて誕生した、奇跡の生物である。
 またこの村には、人間も少数ながら暮らしている。大概が寿旅館の宿泊客で、自殺しそうな人を死ぬくらいならとここへ連れて来る。彼らの精神的なケアも、仕事のうちであった。

幾月かの後、栄二郎はついに出口の在処を教えられる。鎮守の杜の奥にある洞窟で、それは旅館の使用禁止部屋の炬燵の下へと繋がっていた。
 以降、三岳と栄二郎は交代で村に泊まり込み、神事を務めた。村に入る時は必ずトンネルを通り、一晩を江戸時代の遊郭で過ごす。この村の起こりを見届けるのも仕事のうちだと三岳は言う。しかし、遊郭に何度も通ううち、栄二郎はお藤という遊女と懇ろになってしまう。

やがて金山は閉山。ある晩栄二郎は、自分たちが見捨てられるらしいという噂を聞きつけたお藤から、助けてくれと懇願され、洞窟の存在を教えるかどうかで悩む。遊女たちを村外へ逃せば、半人半獣たちは生まれ得ず、寿旅館も消えてしまうかもしれない。芳江という妻がありながらお藤に惚れてしまった後ろめたさから逃れたい栄二郎は、これですべてをリセットできるならと考え、お藤に洞窟の場所を教える。

ある日栄二郎がトンネルを抜けると、村には一切の人影がなくなっていた。無事遊女たちが脱出したということは、一夜が明ければ、半人半獣のいない現在に行くことができ、寿旅館も消えているかもしれない。
 しかし、彼がほっとしたのも束の間、神社にはお藤を含む八人の遊女たちがいた。驚く栄二郎にお藤は、栄二郎の子を身籠ったのだと言う。他の遊女たちも、三岳さんの子を、寛次さんの子をと、それぞれに名を挙げる。いずれも寿家へ婿入りした/する代々の男たちであるらしい。栄二郎が事態をのみこめずにいると、八人の遊女たちが姿を変えた。馬二頭、鹿二頭、河童二匹に、狼二頭。
 この村で人間に虐げられてきた獣たちが、地位の向上と生き残りをかけて人間と交わることを目論み、遊女に化けて紛れ込んだのだと言う。残る四十七人の遊女は人間で、無事に洞窟から逃げた。彼女らも人々に虐げられ苦しんできた仲間だから、助けてあげたかった、と。

寿家へ婿入りした代々の男たちと四獣八頭の間の子孫が、馬鹿河童大神人となる。栄二郎は自らの逃れられぬ運命を悟る。
 四獣八頭の腹は順調に大きくなっていった。やがて村には、半人半獣の産声が響き渡る。時を同じくして、芳江の腹からは元気な女児が生まれた。

文字数:1894

内容に関するアピール

先日訪れた旅先の村で、こんなことがあった。特に目的もなく、住宅が並ぶ一本道を歩いていると、寂れた商店がぽつんとあった。棚の半分以上が空で、インスタントラーメンやポテトチップスなど、日保ちのする食品だけが並んでいた。店の奥にあるガラス戸の向こうの部屋から、女の人がじっとこちらを見ていた。なんだかちょっと怖ろしい感じで、私はその店の敷居を跨ぐことができなかった。
 その後すぐに入った近くの喫茶店で、私は村の地図を広げて眺めていた。その村には、商店が十一店舗しかないようだった。そういえばさっきの商店は何ていう名前だったのだろうと思い、地図で探すと、その店は載っていなかった。一緒にいた友人に、あの店載ってないね、と言うと、その会話を聞きつけた店主のお爺さんが、どこの店? と訊いてきた。そこの角を右に曲がって少し行ったところの左側です、と私が場所を説明すると、そんな所に店なんかないよ、と言う。その時は、あれ、そうですか? ととぼけた感じで引き下がったが、喫茶店を出て車に乗ってから、友人と、なんか怖いね、と話した。確かめに行くことはしなかった。

ないはずの世界の入り口が、すぐそこにあったかもしれないという、あるいは、あるはずの世界が、村の人には見えていないという、あの時の、ぞっとする感覚を、小説にしようと思いました。それ自体で完結した小さな世界というのは、閉じているがゆえに、人々から見えていなかったり、今まではなかったはずなのに、何かの拍子にぼっと出現してしまったり、そういう、ちょっと怖いものだと思ったからです。
 それからもうひとつ、モチーフとなったのは、黒川金山の「おいらん渕」と呼ばれる場所にまつわる民話です。当時そこに遊郭があったという証拠は出てないそうですが、民話では、閉山で村が廃れても行き先の決まらない五十五人の遊女が、抱え主に騙されて、空中に吊った宴会桟敷ごと渕に落とされ亡くなったと、語られています。私は多分、この遊女たちを死なせたくなかった。

文字数:833

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