梗 概
鬼のいる理想郷
都ではときどき住人が行方不明になる。つい先週もひとりの老人が早朝に散歩に出かけたまま消息を絶った。住人たちはもの忘れが激しく、そんな失踪の噂話も三日と経たぬうちに聞かなくなったが、みなどこかモヤモヤした不安は抱えたままで、道路脇に住むいかにも凶悪そうな中年の男にごみや石を投げつけることでそれを解消していた。彼は住人たちから鬼と呼ばれている。
豆太郎少年は両親の顔を忘れて久しい。彼もまた昼寝中の鬼を見るなりその禍々しい印象を与える巨体に妄想が膨らみ、勇ましく気持ちが高ぶるので、拾った小枝を遠くから鬼にぶつける。だが鬼は何をされても動じず、抵抗するようすもない。たとえ体に火をつけたとしても翌日また何食わぬ顔で戻ってくるので、住人たちはますます彼をおそれた。
やつさえいなけりゃここはなんて平和な都だろう、豆太郎はそんな理想を思い描くたびに幸せで胸がいっぱいになり、それはほかの住人たちにも伝わった。人々は第六感を用いて互いの気分を把握し合えるため、どれほど疎遠な地区の住人が失踪してもみんな一緒に心配してくれる。豆太郎の記憶はおぼろげだが、彼の両親が消えた時もそうだった。そんな都で唯一何を考えているのかわからないのが、あのいかにも凶悪そうな鬼なのだ。
豆太郎は友達の福助と計画を立てて鬼退治に出かける。普段は規則正しく夜は寝ているので、真夜中に都の道路を歩くだけで妙な興奮があった。鬼はいつも暗くなると起きて都の徘徊をはじめる。二人は鬼の行動を探ろうと尾行するが、鬼は警戒するようすもなく後ろをふりむきもしない。二人がお互いに相手の目と注意力を信頼しながら歩き続けていると、都の端に近づくにしたがって鬼から注意が逸れていく。やがて鬼は都の景色に溶け込み、記憶も曖昧になり、二人は目的を見失ってしまう。
豆太郎がふと福助にどうやって家を抜け出してきたのか尋ねると、福助の親兄弟もすでに都にいないことを思い出す。二人は都の住人が度々失踪する原因について話し、もしかしてみんな何者かに連れ去られたのではないかと福助がいいだすと、彼は鬼への積年の恨みを思い出し、前方にふたたび鬼があらわれる。
二人は背後から襲いかかるが、鬼はその場に立ち止まって無抵抗のまま動かないので、そのまま一気に前方へまわりこむ。するとどういうわけかその地点を境に都の道路は途切れ、辺り一面は見たこともない荒地に変わってしまう。鬼はふたたび動きだし、いまにも目の前で困惑する彼らの眼球をえぐり取りそうな感じの顔で接近してくる。二人は勇気をふりしぼるが、なぜか全身の痺れに襲われ、意識も朦朧としてくる。急いで逃げようとするも足はふるえて動かない。豆太郎は眼球をえぐり取られないよう必死で地面に顔を伏せて祈る。この安全な都で丁重に育てられた彼らは人間の死を知らない。残虐な仕打ちを受け続けた先に何があるかなんて想像もつかない。
二人が絶望しかけたそのとき、鬼が彼らを抱えて道路まで連れ戻す。都の敷地に入ればもう大丈夫。二人は体が回復するとともに去っていく鬼の背中を見て、これまでにない奇妙な魅力を感じてしまう。それが都の住人に第六感を通じてじわじわ伝わり、やがて都中が鬼を讃えはじめる。いつしか鬼に対するわずかな不信感であれ、それが第六感に伝わってくるなり住人たちはその発信者を特定してごみや石を投げつけるようになった。
数年後、とうとうひとりの住人が殺され、都から鬼がいなくなる。殺されたのは福助だった。彼はかつての怨恨を心の奥に隠蔽しつつもなるべく鬼を避けて暮らしてきた。だが鬼の魅力を熱心に語る豆太郎との口論をきっかけに、親兄弟が一斉にいなくなった日の光景を鮮明に思い出す。湧き上がる鬼への強い怨恨に豆太郎がいくら鬼の無実とかっこよさを主張しても聞く耳をもたない。
押し寄せた住人たちに襲われて福助が息絶えると、彼の全身は謎の光に包まれ、いかにも禍々しい――鬼よりもはるかに不吉な風貌に変化してふたたび立ち上がった。
数百年前より地球を支配しているこの都の管理者たちにとって、ホモサピエンスは新たに発見した珍味のひとつだった。その飼育は難しく、過度なストレスを溜め込ませると一気に味が落ちてしまう。彼らは地球上の各所に人間の住む街を収めるドームを設置しており、最も人間にとって快適でなおかつ高い品質を保つ育成環境を整えることに心血を注いだ。人間が知的生命である以上、創造性を野放しにすると品質が安定しないのだ。そのためドーム内の養殖人類は冒険心や好奇心を取り除かれ、意識は外の世界を失い、代わりに個体同士の内面が共有しやすくなる第六の感覚器が遺伝子に組み込まれた。しかしそれでも仲間の採取による喪失感のケアは難しく(生後四十年未満の個体は採取が禁止されている)、試行錯誤の末にダミー個体を入れる方法が採用された。当初ダミーは人間の攻撃性を自身のもとに吸い寄せ、人間にはその姿が見えない採取担当飼育員の代わりに仇役を務めることで食材の品質と安全を保ってくれるはずだった。だが飼育員の彼がダミーを信頼しすぎて注意を怠ったせいで、貴重な若い個体が死んでしまう。そこで彼は慌ててダミーを取り除き、人の群がる中心に斃れた死骸を再利用すれば一時的にダミーの代わりになることを思いつくのだった。
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内容に関するアピール
最近アイデアが便秘気味なので、2月の節分から連想してひねり出しました。
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