梗 概
マリ&ホウの日比谷ゴーストコレクション
西五反田の一画で乳白色の鉱泉が噴出して池ができる。甘ったるい匂いを放つ池の島なかに建設されたアクアパレスに金持ちのフリークスたちは小舟で通う。アクアパレスの水女たちがいかなるサーヴィスを施すかは彼らだけが知っている。
野田苞は天才だった。まだ学生だったが彼女がファッション界の頂点を掴むのはほとんど運命に思えた。マリは未だ彼女の死を受け入れることができない。ルームメイトが生前仕立てた赤いドレスを着て、深夜に街をさまよい歩く。そして苞の事故現場でアクアパレスの支配人に出くわす。
そのドレス、君が仕立てたのかね? マリはそうだと嘘をつく。男はマリを水女専属の服飾家としてスカウトする。アクアパレス内の一室をあてがわれ、仕事を与えられる。彼自身が描いた稚拙で奇怪なデザイン案が次々降りてくる。
指示を受けて服を仕立てていく。
股間に酸素ボンベがついたプリーツスカート。
腕を通す袖が四十八もある十二単。
多忙な日々を送る間も鉱泉は湧き続け、やがて五反田の街は水没してしまう。カムロという名のマリの監視役の少年が、この水位上昇を「破水」と呼ぶ。甘ったるい水の匂いが被服室にも入り込む。
カムロはマリをアクアパレス最下層〈試着室〉へ案内する。彼は言う、外部から羊水を引いたこの部屋で水女は受肉するのだと。
持参したウエディングドレスの内部に肉体が生じる。受肉した花嫁は体内の全ての内臓を長いスカートと一緒に地面に引きずっている。
羊水の近辺には実体なき幽霊のような生命が漂っているのだ。彼らは「衣装合わせ」ならぬ〈肉合わせ〉を行い、自らを服に合わせて実体化する。美しいデザインときめ細かな縫製により仕立てられた服が、彼らの肉体を規定する。
日比谷公会堂で水女のファッションショーが行われ、秘匿されてきた正体が公になる。ランウェイにまず登場したのは人よりバイクに似た水女、前肢のフロントフォークが光を反射して煌めく。二番手はぬらぬらとした鱗状の生地で編まれた三つ揃いのスーツを着込み、蛸の頭、イカの触腕、蝙蝠の翼を持つ。三人目は宇宙服の水女、一見なんの変哲もないが、左右のアームホールが無限の奈落になっており、仮に誰かが服を開いて体をねじ込めば、死ぬまで宇宙服の中で落下を繰り返すことになる。
最後に深い青の糸で織った巨大な曼荼羅のテキスタイルが登場する。着こなすのは直方体のモノリスである。彼こそは西五反田の地の底で破水を繰り返し、幽霊を出産し続けたアクアパレスの創造主。モノリスがランウェイの先端に辿りついた時、纏ったテキスタイルがうぞうぞと蠢き、無数の衣料害虫が繊維を食い破り飛び出す。すると水女たちは一挙に服を脱ぎ脱皮して、次々とテキスタイルの虫食い穴(ワームホール)に飛び込みはじめる。最後にモノリス自身も自らの生地のほつれに吸いこまれ、舞台は無人と化す。こうして彼らは逗留を終え、この星を後にする。
アクアパレスの一室に隠れて水女の日比谷行きを見送ったマリは、試着室に苞の赤いドレスを持ち込む。肉合わせがはじまり、ドレスに命が宿り苞が蘇る。マリは苞に秘めた愛を告げ、抱きしめようと手を伸ばす。
同時刻、水女たちがワームホールを介して地球を発つ。これにより五反田はモノリスの支配圏からはずれる。
マリの腕は空を切る。苞はたちまち消え失せる。
アクアパレスの巨大建築も夢のように失せる。羊水の海も消失する。
そうして甘ったるい水の匂いさえ消えてしまうと、生前苞が何度も袖を通した赤いドレスの残り香だけが、マリの世界のすべてになる。
文字数:1466
内容に関するアピール
コンセプト
現実と異なる唯一の要素は「西五反田の異形の女郎屋」です。
舞台となる「西五反田の一画」として具体的に想定しているのは五反田駅の西側——山手線、桜田通り、目黒川、首都高速に囲まれた地域です。今でこそ五反田の歓楽街といえば駅東側の有楽街となっていますが、五反田関連の文献に目を通すうちに、戦前には西五反田のこの区画こそが、料亭、待合、芸妓屋が軒を連ねる花街として栄えたのだということがわかってきました。その後五反田地区は東京大空襲で焼夷弾爆撃を被り、池田山、島津山などのわずかな地域を残して大半が焼け野原と化しました。花街もこのとき全焼し、当時の花柳界の様子を記録した書物や写真はほとんど残されていません。
そこで、「異形の存在が物好きな金持ちの客たちを歓待する巨大女郎屋」として西五反田の花街を現代に蘇らせることにしました。
また五反田には、日本の服飾学校の草分けである「杉野ドレスメーカー女学院」がかつて創立され、現在も「杉野ドレスメーカー学院」として存続しています。
この二つを組み合わせて、「ドレメの女生徒が異形の遊女の専属デザイナーとなり奇妙な服を仕立てる」というコンセプトを立ち上げました。
史実とのリンク
「西五反田で鉱泉が噴出する」という筋書きも史実に則っています。五反田花街誕生のそもそものきっかけは、大正のはじめ頃、現在の五反田ポーラビル(西五反田2丁目)付近でラジウム鉱泉が噴き出したことにありました。人々はこれを沸かし湯として入浴を楽しむようになり、以来、近辺一帯に遊興施設が建ちはじめ、五反田花街は生まれたのだといいます。
またたとえば、杉野ドレスメーカー女学院は1935年(昭和10年)に日比谷公会堂にて創立十周年記念ファッションショーをおこないました。これは日本人によって開催された初のファッションショーとして記録されています。作中の「水女のファッションショー」はこの史実を踏襲しています。
もう少し細かいところでは、主人公の監視役の少年の名前「かむろ」は西五反田の実在の地名「かむろ坂」を元にしています。そしてかむろ坂の名称の由来は、遊女の身の回りの雑用をする十才前後の少女を指す呼称「禿(かむろ)」にあります。
実作では
上記のような「失われた五反田花街」ないし「杉野ドレスメーカー学院」の史実と符合したエピソードをさらに散りばめ、物語の奥行きを補強します。
また、異形の女郎屋のディテールについて、どんな内装の部屋でどんな道具を用いてどんな遊びをするのか、人間と水女はどのように愛を交わすのか、あるいは彼女たちに与えられたユニークな源氏名の数々……などの点について掘り下げていけたらと思います。
異形の遊女との愛の育みかたの一例↓
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