ここにあって、どこにもない街

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梗 概

ここにあって、どこにもない街

五反田の街を初めて訪れた人は、「この街を知っている」と思いはしなかっただろうか。
五反田で働き、暮らしている人は、「気がつくと何年も過ぎていた」ということはないだろうか。

ITエンジニアをしている西田昌一(34)も、その違和感に近い既視感を感じたひとりだった。
西田が五反田の企業に月に一度顔を出すようになって、五年が経つ。
五年通っている間に西田も年を取り、エレベーターのないビルの三階に上がるのすら息が切れるようになった。
これもすべて年のせいか、と思っていたのだが、どうもおかしい。
取引先企業の社員たちは、年を取っていないように思えるのだ。
若い世代ならわかる。だが、自分よりも年上のはずの社員たちも、出会った頃から何ひとつ変わっていない。
不思議に思い、ある日社員のひとりに冗談混じりに聞いてみた。
「何か時間を止める仕掛けでもあるんですか?」

その日の仕事を終えて企業の入ったビルをあとにした時、西田は不思議な体験をした。
五反田にある企業にいたはずなのに、大崎にいたのである。
振り返ると、そこには大崎にある取引先企業が入ったビルが建っていた。
「いや、今日はこっちに来てたんだったかな……?」
そうだ、間違えていた。と西田は自分のうっかりを笑う。

一ヶ月後、また五反田の企業を訪れる日がやって来た。
その日は飲み会も兼ねており、随分とはめをはずしてしまった。
気がつけば見知らぬ女の子と、五反田のラブホテルに一泊。
翌朝には女の子は万札の束と共に消えていたが、気分はいい。
さていざ帰ろうと表に出ると、そこは渋谷だった。
「どういうことだ? 五反田にいたはずなのに」
不思議に思いはするものの、西田は酔っぱらって忘れているだけだと思い込む。

そしてまた一ヶ月後、五反田の企業を訪れる日がやってきた。
しかしその企業は田町に引っ越したらしい。
引っ越し祝いを手に田町の新オフィスに顔を出した西田は、見知った顔ぶれを見て驚いた。
随分と、老けている。
これでは、この一ヶ月で五年もの月日でも経ってしまったかのようだ。
唖然とする西田に、取引先の担当者は言う。
「これで、よかったのかもしれません。当面の間は当たりのきついのがいるかもしれませんが、若いのは目先のことしか見えてないだけなんで、大目に見てやってください」
まるで、西田のせいで何か悪いことが起こったかのような口ぶりだが、意味がわからなかった。

西田はこの違和感の正体を突き止めるために五反田駅へと降り立つ。
見知った街並、でも知らない街。
通っていたはずのビルはあるのに、看板だけが架け替えられている。
──ここは、本当に五反田なのか?

寒気を覚えて慌てて駅へ戻ろうとしたが、山手線の緑のラインに囲まれた駅名が歪んでいて読めない。

──ここは、どこだ?

五反田はすでに、西田という男の意識から消失していた。

文字数:1154

内容に関するアピール

実際に課題が出たあと、五反田を訪れてみました。
言葉は悪いかもしれませんが、他の街から各場所を「寄せ集め」たようだなという印象を受けました。
調べていくうちに、「五反田」駅はあるのに、住所表記としては「五反田」は存在しないということも知りました。

この物語は、街を形成するパーツが個々で存在し、その集合体が五反田になっているという仕組みを現したいと思い作ったものです。
五反田というその空間に存在している間は、「あるのにない」ので時間が止まっている。
ひとたびそこを離れてしまうと、日常に戻り止まっていた分の時間も流れ出す。

課題のただひとつの非日常は、「五反田という空間」にしています。

気づく人にしか気づけない不思議
それこそが、SFなのではないでしょうか。

文字数:324

課題提出者一覧