梗 概
ネムノキノウタ
ねんねの ねむの木 眠りの木
そっとゆすった その枝に
遠い昔の 夜の調べ
「ねむの木の子守歌」
——
熱帯化が進行し、放棄された都市の名残が各所でジャングルに埋もれつつある東京。古い線路跡の街道を南下してきた新米の蕈猟師サナは、左手の小高い丘から吹き下ろす風の中に珍しい胞子の匂いをかぎ分ける。東京デザインセンター跡の階段を上り、苔むした馬の石像を横目にたどり着いたのは、かつて池田山と呼ばれた高級住宅街の遺跡だった。
サナは樹冠をはるか上方に戴きつつ左右にうっそりと居並ぶ屋敷や集合住宅の廃虚の間を通り抜け、彼女を呼び寄せた匂いの源にたどり着く。そこは、前の倒木からまだ日が浅いためか、ぽっかりと開けた草地に日差しが差し込む心地良い場所だった。草地の真ん中には一本のネムノキが立っている。ネムノキの根元は白い網状の円環構造に囲まれ、どうやらその不思議な形をした蕈こそが胞子の主であるようだった。
早速網状の蕈をちぎって収穫しようとするサナ。その時、ネムノキが声を発する。驚いて飛び退くサナ。まれに言葉を話す樹があることは「巢家」の年寄り達から聞いて知っていたが、実際に遭うのは初めてだった。ネムノキは網状蕈の一部を細かく顫わせて音にする。「儂から物語る口、聴く耳を取り上げないで欲しい。おまえが蕈を探していることは知っているから、けっして悪いようにはしない」その口調は老爺のようにも、昔話の仙人のようにも聞こえた。
「私はサナ。あなたはどの位昔から生きているの?」「覚えている限りでは三百有余年かの。この身この儘という訳ではないが」「ヒトに会った事はある?こんなに沢山の物を遺してどこに行ったのか、前から気になっていたの」「ホンのひよっ子の頃に会うた事があるよ。儂は元々、ヒトの手で植えられたんじゃ」「じゃあ、蕈は採らないから聞かせて。ヒトの時代の話を」
ネムノキは語り出す。あたりが屋敷町だったころのこと、屋敷と森が壊され、集合住宅や小さな家並に建て替わってゆく中で、ネムノキのいた庭は公園として残され、人々の憩いの場となったこと。ネムノキの思い出語りを聞いているうち、サナは強い眠気を感じて睡ってしまう。幹に凭れて眠るサナを、網状蕈から伸びてきた菌糸がやさしく包む。その幾筋かは耳から進入し、彼女の記憶中枢に接触する。彼女がこれまで出会った樹々の記憶が、蕈を通じてネムノキに流れ込む。ネムノキはサナの為に子守歌を歌う。かつてこの場所が「ねむの木の庭」と呼ばれていた頃のヒトの歌を。
――死すべき定めを恐怖するあまり、ヒトが自らを育んだ肉体を捨ててナノプローブ化し、更なる進化を求めて深宇宙へと旅立った「上散」から数百年。地上に残された汎用AIの一部は、「生への意志」という進化へのフレームを手に入れるため、地球生態系の固有植物と一体化する道を選んだ。『共生型知性体』と呼ばれる新たな知的生命の誕生である。樹木-菌類系との共生を選んだAIはネムノキのような姿をとったが、共生先固有の遺伝子には手を加えなかったため、ヒトでいう新皮質の部分に固有の遺伝的進化の仕組みを必要とした。そこで彼らが考えたのが、ヒトが遺したヒューマノイドロボットをメンテナンスしながら活用する事だった。シンテリジェンスと違いフレームを持たないヒューマノイドにつかの間の「物語」を与え、擬似的な「生の実感」を供給する。その代わりに、根圏の化学的電気的ネットワークや風媒・虫媒では出来ない速度と確実性をもって、樹々の知的活動の記憶の「運搬役」を担ってもらうのだ。つまり、ここでの蕈猟師の役割は、花蜜に引き寄せられて受粉を媒介する虫達のそれに近しい――
夕刻になり、ネムノキはゆっくりと葉を閉じる。そしてかつての「ねむの木の庭」に夜が訪れる。サナは菌糸につつまれて眠り続ける。朝になれば、彼女はすっきりした気持ちで目を覚ます。そして、蕈でいっぱいの背負籠を発見して顔を綻ばせるだろう。しっかりとメンテナンスを受けた身体で、ネムノキから移された樹の記憶を携え、次の狩場へと旅立っていくはずだ。
だが、まだまだ夜明けまでは長い。夜半、ネムノキの頭上に天の河がまばゆく輝きながら昇ってくる。仄かな星明かりの中で樹は考える。ヒトは今どこにいるのだろう。あの星々のいずれかに辿り着いたのだろうか?そしていつか我々のような樹木に宿った知性も、星々の海へと漕ぎ出すときがくるのだろうか、と。
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