梗 概
五反田2017
高校の頃、生物の実験が好きだった。
窓から差し込む柔らかな午後の光。酢のような薬品の匂いと、ひやりとした黒い天板の机。白衣を着たクラスメイトがじっと手元の顕微鏡を覗き込む。
プレパラートの中では、酢酸カーミン液に漬けられたタマネギの細胞が佇んでいる。前期、中期、後期、終期。細胞分裂の様々な様子を見せる彼らは、ここで死んでしまうだなんて思いもしなかったのだろう。それぞれの細胞が生きていた瞬間を切り取って、そこだけ保存したような静謐は、フェルメールの絵画と同じ匂いがした。
だからきっと、私はこの五反田という街が好きなのかもしれない。
※
「私」は最近、よく五反田に遊びに行く。遊ぶと言っても特に何をするわけでもない。駅前の大きな道路をふらふらしてみたり、一本裏の道に入って大福の美味いせんべい屋に立寄ってみたり。大きなショッピングモールに寄って冷やかしをすることもあれば、タクシーに乗って運転手と話をしてみることもある。今日話をした運転手は、TOCとかかれた大きな建物を指して、昔は大層な悪ガキだったもんで、派手な喧嘩をやってここの屋上でフクロにされたことがあると笑っていた。
「私」は今日も一通りの散策を終え、ひとつひとつの部屋に番号の付けられた集合住宅に帰ってくる。仕事帰りの住人の一団とすれ違い、少し話をする。
「実習はどうだい、エラーは起きていないかい」
「今どき睡眠学習もメモリーチップの譲渡も行わない学習だなんて、どうかしてるとしか思えないけどね」
そう言って彼らは「私」たちへの義務に対して難色を示す。「私」は一瞬「楽しいわ」と口を滑らせそうになるが、そっと口を噤んで「そうね」とだけ返すのだった。
【背景】
時は西暦2191年。
物凄いスピードで発達する科学技術に、大衆の倫理がついぞ追いつくことはなかった。行き過ぎたグローバル化と、それによる「人類皆平等」という世界規模で制定された信念により、貧富の差や身分の差はもとより、個性という人間個体の差異がなくなって久しい世界。制定150周年を目前に迎えようとしたあるとき、人々は基本に立ち返ろうと文献をあさってみるが、彼らに「個性」「差異」といった概念は理解できなかった。
自分たちの失態に気付き、それではいけないと考えた人々は委員会を設立、「標本」の作成を決意した。
各地域に点々と「標本」を作成するため、タイムマシンによる時間遡行を実行。要所要所で歴史介入を行い、「国」やそれに伴う制度、指標となる年代の価値観などを保存することに成功する。
極東地域元日本国における標本指定座標の一つは「2017年五反田」。
かくして、2191年に「2017年の五反田」が保存されることになった。元日本、関東地域に住居を振り分けられている者は、メモリーチップの譲渡でも睡眠学習でもなく、実地に足を運んで差異を体感することを義務づけられている。しかし差異を学んだとしても個性の所有は認められていない。
文字数:1223
内容に関するアピール
課題を出されたときに真っ青になりつつ「もうこれっきゃない」と盲目的に考えはじめた、
我々の日常をにやにやしながら観察(観光?)している人の話です。
「唯一変わったのは、その全て」という某A社のキャッチコピーではありませんが、
自分の日常が何一つ変わらなくても、それを取り巻く環境全てが変わってしまっていたら、
それは果たして我々の知っている「日常」なのだろうか、と。
私の日常は誰かの非日常で、誰かの非日常は私の日常なのだというのは、
きっとどこの地域どこの時代でも言えることなのじゃないかなあと、
そういうところから妄想を膨らませてみました。
実作ができたらコミカルに、でもなんだか不思議な感じ、後味は奇妙な感じに、を目指したいです。
文字数:310