『世界で最も美しい道』概要

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梗 概

『世界で最も美しい道』概要

今年で三十四歳になる私(根津南帆)が、結婚十五年目にして夫との離婚を決心するところから物語は始まる。

 

私が夫と別れることを決めたのは、5年に及ぶ妊活と不妊治療が全く上手くいかなかったからだった。

「妊娠という共通の目的のために夫婦二人で5年間も全力で努力をしたけれど結果が出ない」。この失敗体験は協力で、私は夫と暮らしていても、何もかも上手くいかないように感じてしまう。排卵周期を意識した妊娠のための性生活はなんだか昆虫みたいで、夫に生理的嫌悪感を抱くだけだった。そもそも、私は子供が好きではなかった。

 

離婚を決意してから、めっきり笑顔の減った私は、一刻も早く夫に離婚のことを話そうとするが、切り出そうとするたびに、私から非日常の空気が滲み出るのだろう。何かを察した夫は非常に上手く立ち回り(私が何かを言おうとするタイミングで昔話を始めたり、コンビニに行って私の好物のアイスを買って帰ってきたりする)、私はいつまでも夫に離婚を切り出すことができないまま、夫のどこが嫌いなのかを整理する日々を送る。

 

膠着状態が続くなか、先手を打ったのは夫だった。夫は「今度のゴールデンウィークで五反田に旅行に行こう」と私に提案をする。

五反田は、笑いの沸点が下がり、どんな些細な事でも捧腹絶倒してしまう場所として知られる観光名所だ。

古くは菅原孝標女の書いた『更級日記』にも『一度足を踏み入ると誰もが思はず笑ひぬる、草も生えざるあやしき一帯ありけり。その笑ふ人のけしきより地団駄と名付く。』と、五反田の名前の由来が登場する。

夫は五反田旅行で私に笑顔が戻ると信じているのだろう。同じことで一緒に笑う共通の体験を通して、冷え切った私たちの関係がもとに戻ると本気で夫は思っているのだ。

しかし、それでいいのか、と私は思う。五反田に行けば、私は笑い、幸せだと感じるだろう。それによって結婚生活の延長を検討しはじめるかもしれない。しかし、それは五反田という土地によって生まれる偽りの感情だ。磁場か何かの影響で感情が狂わされているだけにすぎず、夫と私が幸福な感情を共有したとしても、問題の根本的な解決にはならないのだ。

 

私は悩むが、夫から出るこの世の終わりのような雰囲気にあてられて五反田行きを承諾する。

 

笑い声の電車のアナウンスにつられ、私と夫は数週間ぶりに一緒に笑う。五反田に着き電車のドアが開いた瞬間、目に飛び込んできたのは湖だった。有史以来、五反田に訪れた多くの生物が笑いすぎて流した涙。それが集まって湖となったのだろう。

夕日を反射し、きらきらと輝く五反田湖。そのしょうもなさに、私と夫は笑い転げ涙を流す。地面に流れ、一筋になって五反田湖へと注がれる私と夫の涙。

それを見て、私は思う。

大好きだった人と笑いあい、涙を流す。涙はコンクリートを叩き、音楽のように響きあっている。夕陽だってきれいだ。こんなに幸せなことって、あるだろうか?

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