書き込まれた女

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梗 概

書き込まれた女

美内翡空(みない ひそら)は違和を感じて目を覚ます。そこは見覚えのない密室で、寝ている間に運びこまれてきたらしい。しかも裸だ。翡空は天井の監視カメラと「7/7」と書かれた数字、そして壁に埋め込まれたモニタに「1/7」と映し出された光景から、自身の死期が近いと悟る。モニタには、犯され、生きたまま解体される別の女性が映っていたのだ。翡空は「自分の番」が来る前に自壊することを決意する。

翡空ら〈文子人形〉七機をモニタする研究員は、閉鎖環境におけるパフォーマンス測定を中間試験のひとつとしていた。ビジュアルプログラミング言語「Scratch」の基本概念を下敷きに設計された〈文子〉からなる人形は、膨大なデータベースからデザイナが摘まんだ数万におよぶ語句の組み合わせによって動作、個性が統御されている。〈文子〉ひとつひとつには語義と表象モデルが対応しており、文子同士が個体内部で関連づけられてフレーム問題や記号接地問題を回避するのだ。しかし、裏をかえせばデザイナはうわべの「積み木パズル」をしているだけとなる。ゆえに、実際に組んだ積み木がどの程度人形らしい反応となるかを測る必要があったのだ。

その点、翡空に迷いはなかった。自身を織り成す〈文子〉は約七万。自壊するならそれらをきれいに展開したい。一字一㎠で数えても、四畳半の床だけですべて埋まってしまう。自壊することよりもその事実、自身の「薄さ」に翡空は無念がる。(実在はしない)両親のことを書き出しに、翡空は自壊を開始する。虹色のハロウを帯びた床はキャンバスとなり、彼女の手足だった文字列で埋め尽くされていく。

研究員は文子人形の課題のひとつに個性が薄いことを挙げ、これがリリースに際し障壁となるものか、態度を決める必要に迫られていた。十歳児ならば十年分、七十歳なら七十年分の記憶層があるが、老いた個体を記述するのにコストは数倍かけられない。記号偏重主義ではなかったが、十万文字では際立つ個性を認めにくいとの意見が多くを占めた。重視すべきは個性ではなく、求められる場面での機能を果たしうるかであるとの方針が示されることでこの課題には決着がついた。商業的にも、ワンオフとなることで再現性を担保できなくなることのリスクをとった。むろん個体の設計図面はひかれるが、てばやい見分けは、個々の「筆跡」によって可能であった。
これが、文子人形の場合の指紋、〈固有フォント〉である。

翡空の文字は、上品な印象の明朝体だった。字は体をあまり表さないなと翡空は考えていて、ロングスカートでピアノを嗜むお嬢様のような機体にこそふさわしいのになと思うのだった。自分は髪も短く、スポーティーなスタイルを好む。もっとも、服を剥ぎ取られた今、ファッションもなにもないのだが。
両足の解体が無事終わり、床を這いながら翡空は几帳面に自身を解体し続ける。腰が消えたところで安堵が漏れた。むりやりねじこまれる穴はなくなったからだ。
自慢の腹筋が板チョコをかくようにまたひとつほぐれ、翡空は半ば以上が並ぶ文字列を振り仰ぐ。シャツをきれいに折り畳むような終わらせ方に、壊れた頭がそれなりに満足していた。

研究員は、七までの部屋の記録を整理した。一の部屋では猟奇的なふるまいを刻まれた安納琴子が回収された。破損した文子を組み直し、記憶の欠けを確認するのだ。
七の部屋では自己を保てなくなった翡空が自動筆記で最後の一字を遺し終え、文子の群と果てていた。
床は固い幾層ものフィルムがミルフィーユ状に積み重なっている。翡空が印字された表層は薬液によって固着され、次いでセロハンのように剥がされる。大書された翡空がくるくると巻かれる様を眺めつつ、研究員は次の用意にとりかかる。

文字数:1526

内容に関するアピール

神と崇める飛浩隆に読んでもらえるチャンスが来るとは…!

目前にすると年甲斐もなくミーハーな気分になる我的三神(いずれもおっさん)の一柱である。氏の出身を考えたらリアル神やもしれぬ。もし存命中に〈廃園の天使〉が完結しないときはメモやプロットを『伊藤計劃記録』のように出版を!(切に)

……アピール文ぢゃない! でもこれが言いたかった!

さておき。

「ここから約400字

本作は、〈文子人形〉というアイディアを「活造り」にする舞台として、彼女をプリント・リプロダクト可能な(すこし特殊な)密室を選んだ。

今回、これまであたためていたアイディアの理論武装として、メタ的な要素だけでなく、昨今話題のプログラミング言語「scratch」からも補強を図った。
(彼の言語が積み木パズルかとの反論は想定しうるし、十万におよぶパズルを解きうるデザイナは相当優秀なエンジニアだろう。それらもあり、舞台は「中間試験」となっている)

メタで神に挑むのは無謀きわまりないが、本作はそれ自体にメタファをこめた。
すなわち、彼女を〈文子〉に解す工程はキャラクタの造作・執筆そのもの。
また、彼女が固着した床は作品が印刷された原稿用紙を示唆している。

推論からノータイムで自壊を決意するあたり(それでいて強姦をおそれるあたり)、彼女の思考回路は「実用可能なほど人間」の域にない。これももちろん「演出」である。

ここまで約400字」

なお、「カロリーマン」を梗概に解体したいきおいで「ラギッド・ガール」を解体しようとしたが、あらためて技巧に目の玉が飛び出て返り討ちに遭い、座礁中である。弟子にしてくだsry

文字数:674

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書き込まれた女

第6回場面を設計せよ(実作)PDF ※極力、PDFでご覧ください。

肌に外気がふれているような感触で、私の意識は起動した。
上体を起こす。見知らぬ部屋だ。家具はなく、のっぺりとした白が囲んだ四畳半ほどの立方体。床は磨かれた石のようにつめたく、硬く、雨上がりの水たまりに浮かぶ油膜にも似た虹色のハロウをほのかに帯びている。ドアや窓さえ見当たらないが、私は眠りの間にここへ運びこまれてきたらしい。
嫌な映画が脳裏によぎる。
だって、全裸だ。
暴行された跡はなかったが、きっとこれからされるのだろう。
傍証としては二つ、目についた。
まず、天井の隅に埋め込まれている全方位カメラ。
怖気がしたが、胸を隠すつもりはさらさらない。
次に、天井に大書されている「7/7」という数字。それが意味するところは、壁に嵌(は)め込まれているモニタにほのめかされていた。
映っているのは、ひとりの女性。そして男性。
女性は男に組み敷かれていた。音はない。乱暴に腰を揺らされながら、凶器が何度も振り下ろされていく。頭部が砕け、赤とピンクの文字列が飛散する。結合が解れ、〈文子(ぶんし)〉がまき散らされていく。ばたばたと四肢が暴れているのはきっと、痛みを消せなくされたのだろう。
モニタの隅には、コンマ刻みで移ろう時刻のほかに、「1/7」という数が赤いフォントで表示されていた。
つまり。
あと5人をはさんで、私の番、と、見るべきか。
首を自然と手がなでる。衣服と同じく、あるはずのものはそこになかった。
落ち着かなさを抱えつつ、私は自壊を決意した。モニタの中では女性の頭がなくなった後も男が刃物を振り下ろしている。私は視線をむりやり引きはがし、私を織りなすスクリプト群に目を向ける。
エンベッドされた記憶層、実体験した記憶層。
〈文子人形〉である私の機体はそれらの記述でできている。

*B1

〈文子人形〉のリリースは、中間試験段階にあった。
閉鎖環境において特定の条件を課した場合に見られる行動測定。この日は七つの部屋を用意して、一の部屋から順に、「安納(あんのう)琴子(ことこ)」から「美内翡空(みないひそら)」まで七機の〈文子(ぶんし)人形(にんぎょう)〉が、どの程度にまで人形らしいふるまいとなるか観測するのを一義としていた。
〈文子〉とは、実体をもった可変の人工物質だ。
最大1㎝角の〈文子〉ひとつひとつは「文字のカタチ」をなしており、これに語義と表象モデルが対照している。〈文子人形〉はこれらが組み合わされて動く人造人間だ。個体内では文子同士が相互に作用し、創発し、関連(タグ)づけがなされ、フレーム問題や記号接地問題を回避する。
たとえるのならば、世紀の半ば、初等中等教育においてプログラミング教育が導入されたときにまずさかのぼろう。
当時、「高度IT人材育成」を掲げた第四次産業革命を背景に、文部科学省によって「論理的思考力の育成」が学習指導要領に盛り込まれた。
これを受け、小学生、中学生にプログラミング――つまりコンピュータがいわゆる「魔法の箱」でなく、「仕組みを理解した上で動かすもの」であることを、人の手によるプログラミングで「意図的に処理するもの」であると理解させることを――教えなければならなくなった。
古くからあったC言語やjavascriptなどの「コーディングスキルそのもの」は要件とされず、限られた授業時間内で足並みをそろえることもまた制約となって、「一見してわかりやすい」手段が要求された。
多くの場合、Scratchと呼ばれるヴィジュアルプログラミング言語が好まれた。
これは、ブラウザ上で「猫」「右に」「歩く」といった「要素」が書かれたブロックをひとまとまりに組み合わせることで、「猫が右に歩く」絵を画面に表示させられるというものだった。
ここで重要なのは、Scratchにおいては、「猫」というブロックが「コンピュータの内部でどのように猫の絵を画面に表示しているか」までは問題としない、ということだ。「猫というブロック」は、それ自体で「猫という概念(語義)」および「猫を示す絵(表象)」と結びついている。
この概念が、〈文子〉を生み出す契機となった。
たとえば、年齢。たとえば身長。氏名に性別。志向に嗜好。脳や心臓を皮切りに、医師でさえ忘れそうになるような、ありとあらゆるヒトを象る部位の名称。色も大きさも手触りも変えられる文子には、それらひとつひとつの概念と、それを象るカタチが登録された。
そうしてできた膨大なデータベースを活用し、〈文子人形〉はデザインされる。
まるで等身大の立体パズルだ。〈文子〉ひとつひとつが異なるカタチの微細なレゴのブロックとすれば、〈文子人形〉のデザインは、それらを上手に組み合わせながら外見も中身も「人間」に寄せる論理構築にほかならない。高給のエンジニアであるデザイナが、容姿・内面・応答をすべて備えさせようと数万におよぶ語句を摘まんで、組み合わせ、稠密に結合させることではじめて動作、個性が統御されるのだ。
しかし、〈文子人形〉はあくまで「ヴィジュアルプログラミング」ではないか。凄腕のデザイナチームをしてもなお、表層的な概念を用い「積み木パズル」をしているだけではないか。――そんな意見もいまだに根強い。
――では。
〈文子人形〉は果たしてどこまで「人形」なのか?
実際に組んだ「積み木」の反応がどうなのか、ヒトの間で営めるものか、じゅうぶんに測る必要があるのでは?
――その名目のもとで行われるのが、此度の中間試験に他ならない。

*A2

その点、私に迷いはなかった。
走査(スキャン)の結果、私自身を織りなす〈文子〉の数は七万と五百六だと知れた。それら一字一字が私の有するすべてであって、すべてが余さず〈私〉を出力(ひょうげん)している血であり、肉、骨、臓(はらわた)だ。どうせなら、私はそれらを、ここへ無駄なくきれいに展(ひろ)げたいなと思った。
〈文子〉一字を一㎠で数えても、私を展(ひろ)げた面積は七万と五百六㎠。この部屋は(おそらく)四畳半なので、縦横は二百七十三㎝。床面積は七万四千五百二十九㎠。つまり私を敷き詰めるのには壁すら要らず、この床をさえも余してしまう。
――なんだ。
私をすべて使っても、刻める痕がそれだけなんて。
それはすなわち私に埋め込まれている歴史の薄さであって、努力での補填かなわぬ限界であった。愚痴をこぼしてみても詮方無い。
ならばこそずっと丁寧に、私は私を敷き詰めることに努めよう――
「さて、と」
そこまで考え、私は立った。監視カメラは気にしない。おぞましい光景を映すモニタを横目に壁の隅まで歩みを進める。
振り返り、部屋の隅から床を眺めた。ほのかに光ったしろい床には、不規則に、虹のハロウがソナーにも似た波を打っている。白に溶けゆくグラデーション。吸い込まれそうな七色の光を眺めつつ、私は脳裏に図面をひいた。
ここから――モニタ側の辺に沿って直進していく。端まで行ったら折り返し、畑に畝を作るようにジグザグと進む。だんだんと、モニタ側の壁から離れるような進行だ。これをモニタから遠い反対側から行うと、壁がだんだんと近くなってくる。そうなると、終盤になってモニタを見れない角度が多くなり、他の部屋の様子がつかめなくなるおそれがあった。それは避けたい。
次に、時間だ。壁に歩くときにちらりとだけ見たモニタの時間は五分の時を進めていたが、男はなおも女性に馬乗りになったままだった。「一部屋五分」とかなり短く見積もったとして、残り時間は三十分もない。だとすれば、私は一分あたりで二千四百字、一秒あたりで四十字ほども欠けねばならないこととなる(これはだいたい、歩く速さの半分、ないしは三分の一といったところだろうか)。
なにより肝心なのは、私が「私」を保てなくなり自壊が中途半端に果てぬよう、ほどけた文子と機体の字間、文子と文子の字間を空けないようにすることだ。つまり一筆書きの要領で、「文子のカタチに展(ひろ)げた私」が「人型を残す私」と接し続けることが要求される。
幸い、部屋は平らで、邪魔もない。脚をなくしても這えば前進はできる。
あとは集中すればいい。
いけそうだ。
あとは書き出しか。
私は両親のことを思い浮かべた。実在はしない、父と母。ともに大学勤めをしていた人間で、世間からすれば変わっていると言えそうなふたり。父の専門は計算機科学、母は学位を活かすことなく家にいる。――そんな、非在の記憶の層でも、私の大事な歴史の一部だ。それが、「私」から喪われていくのなら悲しいけれど、そうではない。すべてがそろってはじめて「私」であるし、私はすべてを保ち続けたまま人のカタチでなくなるのだから。
「とはいえ、緊張はするなぁ……」
これから取り組むバレエは字義の通りの綱渡り。私を賭けた挑戦だ。
私は壁の際に立ち、慎重に肩や背中を壁から離した。
姿勢を正し、足の小指に注意をかたむける。
しろい床。かたい床。
はじめの一字は慎重に――筆の穂先が墨を吸うように――
そこを起点に虹色の波が同心円状に広がって、私のカタチは滲み出す。

*B2

「――なぜ、文子人形は個性が薄いのですか?」

インタビュワーはいつでも単刀直入だった。
文子人形の個性についてはなるほど、予期されていた課題のひとつだ。これが果たしてしかし、リリースに向けて「超えるべき壁」であるかはチームの中でも外でも議論を呼んだ。
「あ。個性、というものがなにを指すか……というのはナシでお願いします」
要らぬ念押しに研究員は苦笑した。歳はそれほど離れていないのだろうが、なれなれしさを相手に与える。
「わかりました」研究員は口を開いた。回答にいくらかの間を欲す問いではあったが、議論を後退させるつもりもない。「……文子人形には、さまざまな場面での活動が期待できます。それはすなわち――
老若男女の“かたち”たち。
――というよりも、どうしても“それ”を願ってしまう――ということです。
十歳の少年、二十歳の女性、八十歳の老爺(ろうや)。それらそれぞれが一個体として成立し、相応の歴史、記憶層を備えた上で、ヒトと思しき機能をせねばならない」
「ええ」
「ですが、老いた個体を記述するからといって、少年にかける数倍のコストはかけられません」
……仮に、一年間の経験をあらわすために、文子一万を要するものだと仮定しよう。深く記憶に刻まれて拭い去れない記述や、思い出すことさえできない些細な記述。それらすべてを合わせて「十歳の少年」をデザインするなら文子十万が必要だ、となる。しかし、「八十歳の老爺」をデザインするのに八十万字を賭けるとなると、難易度・価格は跳ね上がる。
これは極端な話だが、現実的には何歳だろうと同様だ。
圧倒的に、文子が足りない。
本来、「ろくに記憶もされてはおらず、意識の表層に二度とあらわれることもないような些細な体験」を、それらが「忘却された」ことまで含めて記述されねばならない。
が、限られた文字数でそれは不可能だ。どこかで記述を省略させること――記憶の希釈が必要だ。
「つまり、かれらの個性が薄いのは、技術的な課題でもありますが、より大きな理由は商業的な制約からだ――ということですか?」
「そのとおりです」
「なるほど」インタビュワーは二本指を立てながら曲げるしぐさを見せた。「缶詰のプルタブ」のジェスチャ。今の発言を袖のカフス(ARレコーダ)にブックマークをしたのだろう。
「そこで、かれらの“個性”をあくまで重視して、容姿や口癖、口調といった部分に注力していき、差別化を図る……との試みもあったようですね。記憶や体験といった内面ではなく、インタフェース面でのアクセントをまぶす考えでしょうか。これらに対して、パブリックコメントでは皮相な考えだという批判も多く寄せられましたが?」
「事実です。……創作分野からヒントを得ての試みでした」最初期の、試行錯誤の一環だ。「あのころは、限られたリソースを、アニメの髪色だったり、極端な口調といった部分に意図して振り向ける流れがありました。ただし、個々の中身……芯、という曖昧な表現を使いますが……を軽視しているとの見方は所内でも少なくありませんでした。そうした意見はきちんと受け止められて、今の議論に反映されています」
「記号偏重主義に傾きかけたことを省みた結果、現在の方針となっている……と、考えてよろしいでしょうか?」
「はい」
――くやしいが、素直に認めなくてはならないだろう。
過ちを、ではない。数万文字の記述では、文子人形に際立つ「個性」は引き出しにくいということを、だ。かといって、現時点では一機に対してかけうるコストは十万文字が限界だ。つまり、重視すべきは「個性」ではなく、個々の機体が必要とされる場面で個々の機能を果たしうるかの観点だ。
「もっとも、……将来的にはわかりません」研究員は言葉をえらびながら言う。「しかし、我々にとって、文子人形を製品化することは、ひとつの……必達地点です。はじめから複雑なカスタマイズを行った結果ワンオフとなってしまったら、再現性を担保できるかどうか、その断言もまた、できなくなります。……ああ、もちろん設計図面はすべての個体でひかれています。ですが、同じ“目玉焼き”でも別の卵を使うと異なるカタチとなるでしょう? つまり、〈文子人形〉というのはそれだけ繊細なものなのです」
「ふーむ。商業化――製品化、といった方がいいでしょうか、そのあかつきにはいくつかの特定レシピを使った同機種生産になるだろう……との見立てなのですね」
「あくまで、普及に向けた導入初期の段階では、ですが」
「同じ顔の人形たちが出回って、まずは実地でデータを蓄積しながら動くわけですね。たしかに味気はないですが……、データをとるにはその方が望ましい、と。……まあ、不気味の谷というのも今や死語ですからね」
ただ、おもしろみはないなあ、とインタビュワーは頭を掻いた。
「しかし、ところで」
一転、切り返すような質問があった。
「――そうなると、個体間の差異が目立ちにくくなるのではないですか?」
なるほど、これは用意してきた質問なのだろう。
つまりここまで流れは予想できていたということでもある。だとすれば、個体認識番号(シリアルナンバー)の話ではないということだ。
「もちろん、手段は存在します」
研究員は、求められた演技の振りに乗り、たっぷりと溜めをつくって答えた。
「筆跡です」
同じ目玉焼きでも別の卵でつくるとカタチは異なる。「文字を書く」ことは複雑な制御を要する処理である。文脈・意味論・音韻からの参照・照合――字形(グリフ)の決定――書字の動作の指示と伝達――アクチュエータの精密動作。それらの連続・反復だ。あまりに微細なダイナミズムと出力機能であるがゆえ、同じレシピで書かれた人形でさえも「書く字」は一機一機で微妙な字形(グリフ)の異なりを生じ、再現性がまるでない。
そう――さながら彼(女)らの「マイナンバー」。
それが、文子人形の場合の指紋、〈固有フォント〉だ。

*A3

私の筆跡――固有フォントはいわゆる“教科書体”だった。
ワープロソフトの標準字体に比べて字形(グリフ)は細く、薄く、また小さい。可視性よりも可読性、可読性よりも「ある印象」をもたらす文字だと評せられている。つまり字形(グリフ)の通りに「シャープな」、だとか、「上品な」、などと言われることの多い字だ。
――上品だなんて。
字は体をあまり表さない……と私が考えるようになったのも無理はないだろう。ギャップがあるにもほどがあるからだ。私は――美内翡空(みないひそら)は――髪も短く、身体のラインが浮き出るスタイルを好む。黒のスニーカーにタイトなブラックジーンズ、首にはいつも、革のチョーカー。常に、すこし締め付けられているのが好きだった。
そう、「だった」。
ひらひらのついた足首までのスカートを履いて、ピアノを嗜むお嬢様のように装うことも、もうできない。いまや私の骨盤から下、履物に通すべき二本の脚はなくなって、文字列と化して床に敷き詰められているからだ。
だから、私は、ほっとしていた。
あの女性――「1/7」のように、男性に暴かれる心配は、もはやない。
脚の指からはじまり、足首、ふくらはぎ、膝、腿、腰はすべて床に展(ひろ)がった。私は残った腰から上で、両腕の力を使い、這っていく。肘をつくたび、虹がさざめき、床がまぶしい。
私の機体は分解されて、一㎝角の文子となっていく。美内翡空の肌の色。美内翡空の臓(はらわた)の色。骨の色。それらすべては軛を解かれてもとの文字となる。鮮やかな色にきらめく刹那をはさみ、パレットで混ぜすぎた絵具(えぐ)様(よう)の暗色を経て、黒となる。またたきのうちに色彩を変える字の群れは、砂鉄みたいにさらさらと、つながったまま床にこぼれおちていく。
黒で在るのは、私の意思だ。ファッションと同じ。
美内翡空は、シンプルなものが好きだった。宝石のようなステンドグラスに、私は、なりたくなかった。
這うごとに、重なり合わず、途切れずに、均した字間に黒色の文字がきしきしきしと整列していく。だから〈私〉は喪われぬままで済んでいる。板チョコのように割れるまで鍛えた腹筋が一ブロックごとに欠けていき、肘から先が風にはためくシーツみたいに、ぱら、ぱら、ぱら、と解けていく。痛みもなければ、快楽もない。私はそれらをとうに置いてきた。毎秒毎秒、規定の文字数通りに進むだけ。
美内翡空は、私は、作業だ。
気が付くと、残る私はゆうに半分未満だ。いつか抉りたいと願ったちいさな胸と、それから頭部。顎の力と、わずかに残った腕のかけらを使えばまだまだ前進できる。首だけになったらちびた石鹸みたいに溶けながら転がっていけば、だいじょうぶ。終盤にさしかかってきて終わりの見えた安心が、私に人間のような余分を与えた。
一時停止し、首を後ろにまわしてみたのだ。
床を這っているせいもあり、壁のモニタはずいぶん遠くに感じた。
感じたが、ちいさな表示はしっかと見えた。
「2/7」――結局、二十分以上経ってもやっと次の部屋へと進んだだけで、「順番」までにはまだまだ時間がありそうだった。「2/7」がどんな様子なのかは気にならない。ただただ猶予があるとわかって安堵する。よかった、私は誰にも邪魔されず、決めた結末に行き着ける。
モニタを振り切り、ふたたび自身の裡(うち)に目を向ける。筆が墨を吸い上げるようなイメージを脳裏に浮かべる。機体の断面――穂先がじわりと滲んで、ゆらぎ、ぱらりとほどける。解体作業の再開だ。私はじきに肩が消え、胸が消え。首が削れて、頭だけとなり、それも解れる。意味を喪った文子の群れに、途切れ目のないきれいな一筆書きとなる。
ああ、まるで――シャツを折り目良く畳むかのような終わり方。
それを迎えられつつあることを、私はそれなりにやり遂げた心境で受け入れていた。

*B3

――以上が、〈文子人形〉中間試験の抜粋だ。
七までの部屋の記録が整理され、順次ブースの原状復帰がはじまった。
一の部屋では、物理的に叫べなくなるまで苦痛を叫んだ安納(あんのう)琴子(ことこ)が、床は当然、壁や天井に至るまで飛散・散乱していた。鑑識班がていねいな回収作業にあたっているが、これはまだまだ時間がかかるだろう。無理やり壊した文子を組み直したならどこまで「安納琴子」が復元できるだろうか。

――一。安納琴子。痛覚遮断を許さずに、強姦殺人のシミュレーション。

まあいい。これは自分の割り当て分ではない。
担当するのは七の部屋――「美内翡空」だ。まさに今、「彼女」の頭部がころ、ころ、ころりとまっすぐ転がるところであった。整った顔から顎が落ち、右の耳が砂と化すように欠けていき、さいごに残った左眼が分解されて、文子の群れへと果てていた。
意外か、と言えばそうでもないが、いささか拍子抜けであることには変わりない。何の工夫も、彼女はなかった。
ここからは個々の担当作業に入る。担当機体についてのコメントシートの作成だ。主任がまとめる上への報告、その原案作成補助というわけだ。
それでは――数日かかることにはなろうが、「七番」に係る原案チェックの任を受け、ここに下記のコメントを付していこう(文責:■■■■)。

■七番目の部屋について

美内翡空(固有フォント――HGS教科書体の亜種)は、自壊した。
状況把握に資するようにと、試験環境にちりばめておいた材料群から悲観的な推論を働かせたのだ。混乱は見られず、推論、判断、実行はともに速やかでしかも一貫していた。目が覚めてから着手までにはわずかに五百九十秒。自壊を開始してから完了までは千と七百八十七秒。自律稼働を四十分ほどで放棄に至ったこととなる。
幸いにも、翡空は「自己を保ちながらの」自壊を選んだ。そのために、文子ひとつひとつは破壊を免れ、無傷であった。文子結合も途切れておらず、まったくきれいなものである(これは我々に驚きをもたらした! 文子人形がすべてあのような完璧な自壊を行えるものか、再現試験に取り組む必要があるだろう!)。
したがって、(翡空が自壊したことじたいの評価はひとまず措いて)、一番目の部屋の安納琴子(固有フォント――ヒラギノ丸ゴproの亜種)が「他者に破壊されてのちの復元」試験を趣旨としたことと、期せずして対照試験とできる可能性がある、ということになってくる。
言うまでもないが、試験環境の床・壁はともに特別仕様だ。薬液を流し表層に彼女の文子を固着させたのち、ミルフィーユの一層のみを剥がすように床をパージしたので、翡空は「そのまま」回収できた。
むろん、「ひどくかんたんに死を選ぶ」人格は問題とされて然るべきである。これについては今後「調整」を入れていかねばならないが、ともあれ彼女は「再び使える」わけだ。
また、これは彼女の固着したフィルムをくるくると巻いて回収した後、簡易構造解析にかけて初めてわかった所見だが、彼女がジェンダーに関しセンシティブな面のあることがうかがえた。
果たしてこれらが意図した設計なのか、秘めた仕様が他にもないか、デザイナチームに訊ねなければならないだろう。……個人的には、意図のありなしにかかわらず、最初期にあえて繊細なタグ付けをしても商業的にはリスクであろう、と思料する。
本格的な構造解析予定は今後となるが、このまま彼女を組み上げたときに見えてくるはずの「美内翡空の再現性」がどこまであるかをまず見るか(これが安納琴子との対照試験となってくる)。それとも、文子調整を優先し、「美内翡空の改良の出来」をまず見ていくかは意見が分かれるところと思われる。
(ただ、デザイナへの確認に時間を要することを勘案すると、安納琴子との対照試験を先とすることも手かもしれない。ただし、「もとの彼女」をそのまま動かすことで、今後美内翡空の改良自体に影響を与えるおそれは出てくる。それに当初予定とも異なってもくる……ここは主任に任せたい)■

――ここで脳波筆記(ブレインリトゥン)の手を止めて、研究員はモニタを落とした。目頭を押さえ、椅子にもたれる。
試験が終わって早くも二日が経った。所内は疲労と活気に満ちていて、同じオフィス内でも同僚は似たり寄ったりの状態だ。机に突っ伏し仮眠をとるか、腕組みをしてモニタに向かって脳波筆記(ブレインリトゥン)でレポートを書くか。
二十時間ぶりに立ち上がり、「缶コーヒー」を買い、自席に戻った。睡眠時間はぎりぎりだ。多忙もあったが、興奮がまさる。いよいよはじまったところなのだから、眠る時間が惜しかった。脳を騙すか、高速・高効率な休息のできるデバイスの開発が待たれるな――前時代的に「プルタブを開けて」カフェインをすすり、箸休め的な所感を抱く。
モニタを立ち上げ、脳波筆記(ブレインリトゥン)を認証させる。いくつかの箇所を手直しし、すこし考え、停止(ポーズ)をかけた。現時点では限界だ。美内翡空の本格的な解析結果は上がっていない。ぼやけた記述はシートに残っているが、主任は自分以上にせっかちだ。上げられる分は先に送ってしまおう。
「……どのみち、解析までにはしばらくかかる」
言葉にすると、気になりはじめた。フロアが違うが、解析チームの様子を見に行こう。
あちらはあちらで、バラして診(み)はじめたのならキリがない。放っておいたら、心も、からだも、美内翡空のすべてを見通せるようになりました、などと言ってのけるまで続けるだろう。しかし彼女にも次に控える試験があるし、コメントシートも完成しない。文子のままでは困るのだ。
もつれる脚を動かし広い通路を急ぎつつ、それにしてもと笑みがこぼれる。
とにもかくにも、中間試験は一定の成果が得られたのだと断言できる。
技術的な課題はまだまだ多いが、思わぬ副産物ももたらした。総力を挙げて取り組んでいる〈文子人形〉のリリースに向けて着実に進む実感があった。
楽しみだ。
〈文子〉がいずれ、人間をつくる。
さて――次なる準備をするために、彼女の「いま」を、覗きに行こう。

(了)

※著者注――今回の実作では、梗概に沿った組み立てを試みた。しかし、今回の題材を今後の課題において変奏・深堀りしていくとした場合、今回の設定に拘束されないとの断りを入れておく。

 

文字数:10244

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