蝶を追う少年 素足傷付けり

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梗 概

蝶を追う少年 素足傷付けり

舞台は拳法大会会場。現在と二年前の大会における主人公の体験を主軸とする。

主人公は少林寺拳法の全国大会でエキジビジョン演舞に指名され、盆(ステージ)に上っている。二年前の同大会会場で爆発事故があり、主人公は全身火傷の上失明した。しかし大会スポンサーである医療コングロマリット「総美研」は、自社提供の先進医療によって、完全な健康体に回復したと広報している。主人公はその一環としての模範演舞に指名されたのである。

治療内容は、①蛆虫治療による皮膚再生、②全身の痛覚遮断、赤外線可視眼球移植、点滅光を使った記憶の客体化による心的外傷の軽減 である。これにより主人公は①体表を蚕食される恐怖を経験し、②格闘における限界感覚が消失し、③暗視能力を得、④記憶の一部を書き換えられた。

つらい治療中、心の支えになったのは、「事故現場から自力で這いだして助かった。それができたのだから治療であきらめない。自分は特別な存在だ」という自負である。これを総美研役員に言われた記憶は強く心に刻まれ、感謝から将来も研究に協力する契約を結んだ。そのため現在盆上で舞うことになったのである。種目は組演舞で、主人公の他にもう一人盆に上っている。
組演舞の相手は身体の反応速度を極限まで上げられると信じ、脳の光制御実験に協力している。実際はステージを囲む席に座っている総美研役員が、組演舞の相手を完全に支配し、プログラム通りに体を動かされている。

主人公は主治医にほのめかされた言葉から、恣意的に体表と内心をいじられたのだと考えるようになっている。治療に使われなかった記憶や、拳法仲間の言葉を継ぎ合わせると、役員への疑惑を抱かざるを得ない。盆に上がる前に、役員に問いただし、否定されるが、金銭と不正な勝利を提示され、役員への感謝や自負の感覚を失う。
記憶が作られた物であるとすれば、自分を支える意志のよりどころは無い。更にこれからも、記憶や脳を改変されるに違いない。次の治療では脳の改変が為されるだろう。
しかし主人公は、演舞が自分を支えることだけは確かなものと知っている。主治医は選手復帰を止めるが、主人公は盆に上ることを選んだ。
演舞半ば、模造刀を持つ相手が刀を胸に刺そうと迫る。その瞬間、会場の照明が全て消える(主人公は知らないが、主治医のわずかな救援手段である)。
急な暗さに、主人公は閃輝暗点の感覚を得る。めまいと光点の幻視。時間が引き延ばされる感覚。

主人公の記憶は遡る。

幼い頃の夏の森。木の間から降り注ぐ光に舞う蝶。ふくらはぎは珪素植物で傷つき、血を流しても気付かずに、木立の中を追い続けた自分。
動くこと、感じること、存在という不思議。
この場から遠のく記憶だけが、しかしこの場に自分をつなぎとめると実感する。

暗視によって刀を叩き落とす主人公。制御プログラムから脱した相手。

非常灯が灯る。相手は刀を投げる。刀は役員の首をかすめ、血が噴き出す。

照明が戻る。

主人公は演舞終了の礼をし、盆を降りる。

文字数:1227

内容に関するアピール

拳法の演舞大会という、見る見られるに特化した場を舞台とする。それによって、光と闇を強調し、視覚的な美醜を表現したい。そのビザールな世界で、情念に支えられる個人を描く。

作中の光を使った治療について補足する。
組演舞の相手が施されているのがオプトジェネティクス(光遺伝学)応用の行動制御である。
人間の脳中に、光反応微生物の遺伝子を組込んだウイルスベクターを入れ、そのタンパク複製能力により、脳内に光反応細胞を生成させる。頭蓋内に埋め込んだ光源を照射・暗転させることで、生物個体の行動と情動を制御する。従来の頭蓋に電極を埋め込み生体の行動を制御する手法より繊細多様な制御が可能となる。
これによって、機能行動と情動もコントロールされている。

主人公は眼球や皮膚感覚の治療の負担から中枢神経に手を付けられず、光反応細胞を埋め込まれずに済んだ。しかし光点滅治療によって記憶と感情を改変されている。
軌道を往復する点滅光を眺めながら辛い記憶を言語化すると、体験が客体化され、苦痛の実感が薄れる。この時テキストに事実と異なる事物を混入させると、記憶が容易に上書きされてしまう。催眠治療のように記憶がねつ造されるのである。

身体改変と意識の支配を背景とする物語の舞台を、拳法大会の会場とするのは、身体感覚と感情を描写するためである。
内心への侵害を受け、欠損する自己を抱えながらも、自己を再生させる物語を一つの舞台上で語る。
意識と感情の不確かさと、それに頼らなければ生きる実感を持ち得ない人間の姿を描きたい。

文字数:640

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