梗 概
新曲
根城にしているサントリーホールで演奏されたブラームスの交響曲1番。熱烈な拍手が鳴り止まぬうちに、ホール一階中央にぬっと立ち上がる東堂の姿は暗がりにも目立った。東堂はバイオリンの列を指差し、何事かを口走っていた。
「一人増えただろう。第四楽章のトゥッティで、一人増えたよなあバイオリン。」
東堂は演奏終了後には楽屋に乗り込み、バイオリン奏者が一人増えた件を問いただしたため、コンサートホールの係員が必死になってメンバー表で説明し、とうとう点呼までする羽目になった。指揮者の井上は苦笑していた。
新聞社は一小節を費やしてバイオリン奏者の「増加」を書き立てる東堂の演奏評をそのまま掲載。それまでの過激な論調が祟り、音楽評論家東堂が発狂したとあげつらう向きもあったが、ファンは新鮮な書き方でバイオリンの熱演を褒めているのだと却って喜んだ。
東堂の奇行はそれにとどまらなかった。ベートーベン交響曲12番について「こんな曲は初めて聞いた」などと書いてみたり、ブラームスの交響曲5番オルガン付きを「ブラームスにオルガン付きが!」などと驚いてみせるような評を書いたりした。東堂一流の諧謔かあるいはボケたかと、それまで東堂を嫌っていた者たちすら、もう批判する気も失せて、童心に帰ったかのような東堂の原稿を喜んだ。
ブラームスのピアノなら最高と東堂も認めるポゴレリッチ久々の来日に正装で臨んだ東堂は、その日の演目を見つめながら独り言ちた。
「何が起きているのかはわからん。だが、俺はこの歳まで生きていて本当によかった。」
ブラームスのピアノ曲、ラプソディ2番、そして3番。
2番は東堂がもっとも愛するピアノ曲であった。一人ブランデーに酔いながら防音室のピアノにかじりつき、ゆっくりとラプソディ2番のつまびきつつ、もし3番があったならと妄想しない夜はなかった。
ラプソディ3番。何かの冗談だろうか。誰もそれをいぶかしむ者は周りにいない。
終演後、感動の涙で頬を濡らしながら放心する東堂。左隣の座席の見知らぬ女がそっとハンカチを差し出した。
「ブラームス、本当にお好きなんですね。なんなら、ご案内しましょうか?」
どこかで見たことがある。井上が率いる楽団のソリストだ。
「あのとき増えたの、わたしなんです。」
女は東堂とともに楽曲に”変調”して、1889年、フェリンガー家の居間に移動した。エジソンの蓄音機に史上初のピアノ演奏録音を行うブラームスがいる。東堂は劣化したひどい再生音を思い出した。史実ではその後いくつかのクラリネット曲しか書いていないはず。
女は蓄音機に細工し、明瞭な再生音をブラームスに聞かせた。
「おお、こんなすごい発明をなさったのはあなたですか?」
東堂は感動したブラームスに手を握られた。暖かくやわらかい手だった。
東堂とブラームスは意気投合し、その後ブラームスの創作意欲は再燃した。翌年には交響曲5番の作曲に着手し数年後に完成をみた。
「ブラボー!」
初演が終わり、東堂は立ち上がって拍手した。
指揮台から顔を上げたのは井上だった。そこは久しぶりのサントリーホール。隣にブラームスはおらず、笑顔で拍手をする女の横顔があった。
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内容に関するアピール
クラシック音楽の新曲が存在する世界に行ってみたいという妄想を小説にしたくて書きました。東堂のモデルは敬愛する宇野功芳さんです。舞台はコンサートホール。現代のサントリーホールを振り出しに、ブラームス存命中の色々なホールで東堂は当時の演奏を聞き、評論を書きながら相棒の女とともに彼らに影響を与えて”新曲”を生み出させていきます。現代人がリスト、シュトラウス、ワーグナーなどの生きた時代を経験する感動を描きます。”新曲”のすばらしさについても東堂の評の形式で描いていきます。
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