梗 概
メビウスの砂時計
サラは船の上で産まれた。父は海賊船の船長で、母親はサラを産んだその日に死んだ。悲しんだ船長は、妻の遺骨を砂鉄に混ぜ、職人に砂時計を作らせた。砂時計は死のシンボルであり、上から下に落ちる砂は、生の時間が減っていくことの暗示だった。船長は妻の魂が永遠に生きることを願い、砂時計の受け皿となる真鍮製の円盤にメビウスの輪を彫った。螺旋状の柱三本で支えられた本体では、丸底のガラスが垂直につながっており、〈蜂の腰〉と呼ばれるくびれを通って、砂が落ちていった。こうして五百年に渡り、代々受け継がれていく砂時計が完成した。
当時、砂時計は航海中に時間を計り、経度を知るために必要な装置だった。サラの役目は時を読むことだった。今日も砂時計はサラの琥珀色の瞳に見つめられていた。この猫のような琥珀色の瞳は、死んだ母親譲りだった。砂時計の砂が全て落下すると反転され、三十分ずつ時を刻んだ。サラの指で螺旋状の支柱を持たれ、サラの体温が真鍮へ移動した。一日に何度も天地を逆にされ、サラの瞳と海原に囲まれながら、砂時計はさらさらと砂を落とし続けた。夜はサラの枕元に置かれ、寝顔を見守った。
ある日、船は敵対する海賊船に襲われた。サラは闘って致命傷を負い、目の前で父の命が奪われた。敵の剣に貫かれた父が、天を仰ぎながら倒れる様が、スローモーションでサラの目に映った。父が倒れたところで、周囲の動きが止まった。怒号も波の音も聞こえない。砂時計を見ると、〈蜂の腰〉で砂が止まっている。サラには砂時計が時を止めているように見えた。サラは剣を手に取り、父を殺した男に近づいて残りの力を振り絞り首をはねた。見開いたままの父の目を閉じさせ、祈った。そしてサラは母の形見である砂時計を手に持ち、海へ飛び込んだ。
再び砂時計が砂を落とし始めた。砂時計はサラの手に握られたまま、海底に沈んでいった。サラの肉体が分解されるのにそれほど時間はかからなかった。砂時計はサラの手から離れ、海を漂流した。砂時計は海の冷たさに触れ、サラの体温を想った。
東北地方のとある村で捕鯨を生業としていた男は、解体した鯨の体内から美しい砂時計を見つけた。それを妻へ贈ったところ喜ばれ、大切に使われた。
この後、砂時計は「死に際に時を止める」不思議な力を持ったものとして、代々引き継がれた。砂時計は持ち主の死の直前に砂を止め、最期の想いを遂げる手伝いをした。それぞれの瞳に映る想いの断片を、砂時計は一人一人、記憶していった。
砂時計を受け継いだ、糸川ぬいは東北地方の海辺にある〈ぬいの家〉の主人で、ぬいぐるみの修理をしている。夫と別れたものの得意な裁縫だけで生計をたてるのは難しく、夜も働いた。ぬいの娘レイカは、ぬいが仕事の合間に縫った、琥珀色の目をした猫のぬいぐるみ〈トラ〉を肌身離さず抱いていた。しかし中学に上がる頃から母と娘は衝突することが多くなり、レイカはぬいの目の前で〈トラ〉を切り裂き、ゴミ箱に捨てた。怒ったぬいは、レイカの頬を叩いた。これが決定打となった。母と娘は衝突することが多くなり、レイカが東京の大学へ行くと、それ以降ほとんど帰ってこなくなった。
一方、ぬいの丁寧な仕事ぶりはネットの口コミで評判になり、全国から修理を依頼する者たちからぬいぐるみが送られてきた。いつも仕事場には母の形見である砂時計を置いて横目で見ていた。三十分計である砂時計で仕事のペース配分をしていたのだった。ぬいは依頼者たちの思い出がつまったぬいぐるみたちを、次々と生き返らせ、砂時計はその奇跡を見守った。
ある雪の日の朝、ぬいは強烈な頭痛に襲われ気を失った。目をさますと、砂時計が止まっている。昔母から聞いた言い伝えを思い出した。砂時計が止まると、もうじきお迎えがくるんだよ、と。時が止まっているように見えた。
ぬいは思い残すことが一つだけあった。押入れの中から茶トラ柄の布と、琥珀色のボタン二つを取り出した。ひと針ひと針、丁寧に、素早く縫った。綿をつめ最後のひと針を縫い終わると、再び砂時計が砂を落としはじめた。ぬいは気を失い、そのまま亡くなった。
母の訃報を聞いたレイカは〈ぬいの家〉に帰った。昔捨てたはずのぬいぐるみ〈トラ〉が窓辺に置かれていた。レイカはぬいぐるみを抱きしめて泣いた。
レイカの娘、沙羅は砂時計に気づき手に取った。砂時計は沙羅の手のなかで、かつての記憶を蘇らせた。その晩、沙羅は夢を見た。琥珀色の眼をした少女が海原に髪をなびかせ、航海する姿を。
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内容に関するアピール
紅茶をいれるときに使う砂時計。砂が落ちるのを見つめていると、様々な思いが心に浮かんできては消え、気づくと全て砂が落ちており、はっとします。実は砂を見ているようで見ていないのです。砂時計の視点からそれを捉えたとき、人の瞳にはとりとめのない記憶や思考の断片が浮かんでいるのではないでしょうか。
五百年ほどの時をかけて、一人の母親から産まれた砂時計が娘に、そして海を超え再び母から娘へ何代も受け継がれていく砂時計。砂時計は生物のように呼吸をしたり脈打ったりするわけではありませんが、長い時間をかけてそこにあるという存在自体が、何か目に見えないエネルギーのようなものを保有し、輪郭を得ていくような気がします。そんなモノのもつ存在感を描きたいと思いました。
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