ヤーヤのエコロガリウム

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梗 概

ヤーヤのエコロガリウム

「わたし、ともだちなんて、いらないわ。にいさんは幸せな結末を期待してるんでしょう? わたしがまた学校に通い始め、皆と仲良く、陽に焼け良く笑うようにもなって。ばかね、そんな風にはならないわ。にいさん以外をあいしたりしない。だからこんな世界、ぜんぶ壊しちゃうわ」

10歳の女の子ヤーヤは、大好きな兄がいなくなってから、いつも頭がぼんやりしている。医師の勧めた箱庭療法だけは気に入って、部屋は緑で溢れた。わたし、植物の声が聴こえるの。秘密を両親に明かしたのは失敗で、植木鉢の森は取り上げられる。ある晩こっそり訪ねてきた兄は、不思議なおもちゃ「エコロガリウム」を与えてくれる。げんこつほどの透明なボールの中に、小さな大地と森と海。空には豆粒のような月と太陽も巡る。じっと覗き込むうち、ヤーヤはその中へ吸い込まれてしまう。

「さあヤーヤ、美しい世界を創ろう!」

広大な世界を望むままに操れる。そういえば、兄が似たようなゲームを遊んでいた。アドバイザーの精霊「ナフィ」と共に、ヤーヤの世界創りが始まる。気温や湿度、絶妙な地形配置、熱帯低気圧で降雨量を増やし、時に環境を急変させ種の変異を促す。何億年という時間の早回し。円いエコロガリウムの大地には、砂漠もあれば草原や氷河もある。あちこち飛び回り、水と大気、化学物質とエネルギーの循環を整備して、微生物から大型動物までが暮らす安定的な生態系が栄える。その片隅に、いつか兄妹が育った場所によく似た美しい森。

森の豊かさとリンクして、不鮮明だったヤーヤの意識は整然とし、失われた感情や記憶が戻る。そうして、本当は兄がずっと以前、故郷の森が消えるのと共に死んでいたことも思い出す。森と繋がっていた二人。兄は妹が同じ運命を辿らないように森から切り離し、より人間へ近づけようと考えた。そのために遺したエコロガリウムだった。けれど。

「ともだちなんて、いらないわ!」

ヤーヤは、兄が自分を遠ざけようとしたことに反発する。兄は全ての価値への入り口。それを失えば、どれほど豊かな世界も意味を無さない。怒りに任せ世界を創りかえる。ウジと蝿が生れては死に循環するだけの醜悪な世界。エコロガリウムにリンクした彼女の心は、今度は冷たく、自動的な思考に支配されていく。だがそのとき、微かな兄の声を聴く。

ヤーヤの意識はエコロガリウムの大地へと溶けていく。最初は兄との再会を願ったけれど、やがて自我や執着は弱まり、世界との境界が薄れていく。今回は内側から世界を創り/世界として育っていくヤーヤ。一度目の合理的な豊かさとは異なり、混沌と秩序、偶発と目的が混在する複雑な生態系が生成変化を繰り返す。

ふと気づけば、彼女はもといた部屋に戻り、胸には緑輝くエコロガリウムを抱いていた。

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大人になったヤーヤが、街の緑地計画の責任者としてスピーチをしている。講演が進むにつれ、人々は森のざわめきを自身の内側に聴く。演題を離れ、自らについて語りだすヤーヤ。彼女は脳に棲みついたある粘菌を通じ、動植物種の系へと自己の境界を拡張することができた。都市の隅々に粘菌種のネットワークを巡らせることで、人と植物、やがては動物や鉱物との間にも連続的な意識を築けるだろう。変化に怯える人々に、優しい声が降り注ぐ。ヤーヤは微笑みスピーチを締めくくる。

「おかえりなさい、にいさん」

文字数:1398

内容に関するアピール

舞台装置は「エコロガリウム」、一種の生態系シミュレーターです。物語は少女ヤーヤの一人称、童話風のタッチで描き、この装置も魔法の道具として登場します。SF要素は、この箱庭内での「生態系づくり」に注ぎ込みます。梗概ではストーリーを追いましたが、実作では動植物はもとより、土壌、気候、微生物、地形などの詳細なシミュレートを見どころにします。動植物が独特の認知を持ったキャラクターとして登場し、彼らとの奇妙な会話や、ときに進化のため絶滅へ導くといった判断もしつつ、ドラマが進んでいきます。

舞台装置=エコロガリウムは、最初は生態系の重要さを説く知育玩具、少女を快復させる箱庭療法というモラル的存在として登場します。中盤以降はそれが崩れ、役割を変化させていきます。①「地球創りのゲーム的面白さ」というモチーフ、 ②「生物多様性の豊かさとは?」というテーマ、③「主人公の世界との関わり方」というドラマを重ね合わせ、複合的に描く効果を期待しています。

ラストのスピーチは「一つの場面」をはみだしますが、ここでファンタジックな舞台の背景にあるSF的ロジックを示し、全体が異なる姿で顕れる結末にします。エコロガリウムは④「SF的ギミック」でもあり、その生態系の配列が、外部的な思考補助コンピューターとして働いていたことが示されます。

生物多様性のテーマ、SF的驚きを盛り込みつつ、なにより描きたいものは、「寂しがりやの女の子が、再び微笑めるようになるまで」の幸福を擁護する物語です。読者が寄り添いたくなるような、魅力的な主人公像を第一の目標とします。

文字数:663

課題提出者一覧