梗 概
乗り越し駅のオポッサム
餅米が人間を支配する話である。米が3人の人間を動かし、それぞればらばらだったはずの人生は、五反田で一つにまとめ上げられる。
小学五年生の川村日日菜は、自宅で父親が変死して一週間になる。しかし誰にも言わず、毎日登校している。校庭の隅のビオトープが何より大切だからだ。腰まであった長い髪は一人では洗えないので臭くなり、昨日自分で切った。今日は日曜日だが小学校に来てブランコを漕いでいる。家では甲斐性のない父親が、ドアノブで首を釣ったまま、揺れている。
茨城の米農家の広井伊作は、手塩にかけたモチ米を、煎餅屋にプレゼンするため、五反田に来た。下手な翻訳のように話し、人の発言を誤解しやすい伊作は、いわば同時通訳として、藤原陽子をつきあわせている。藤原はお人好しな高校教師で、伊作の恩師だ。伊作は二十年間、藤原に甘え続けている。
伊作が売り込もうとしている米は、光周性が強い古代種である。稲は短日植物で、本来は一日の暗期が一定以上になると出穂する。しかし現代日本では夜間も明るいので、栽培されているのは光周性を無くした改良種である。伊作の自宅周辺は限界集落となっており、夜暗いことから古代種の作付けに踏み切った・・・・・・と伊作は思っているが、原始から人間を操ってきた米が、伊作に働きかけたのである。
米は人間を操り、自分が栄えるために人間の労働時間を限界まで増やしてきた。しかし、今や人間は観測能力を持ってしまい、米は人に観測されない範囲でしか人に干渉できない。米たちがよりしろにできる人間はわずかであった。わずかであったものの、よりしろは、人間たちの中に必ず、どこにでも、いつであっても存在した。それはまるでオポッサムのように。
伊作は駅からの道を間違え、日菜と出会う。試供品を食べられるので煎餅屋を知っていた日菜は、二人を道案内する。古代米の売り込みは成功する。伊作は会話力は劣るものの、米作能力は高かった。そして植物愛から、日菜と心を通わす。モミを貼り付けた名刺を渡す伊作。一方藤原はおせっかいなので、日菜の垢じみた身なりから住まいを詮索する。そして死体を発見してしまう。警察に保護される日菜。その後施設に送られ、ビオトープを無くした日菜は、モミを皿に蒔く。
発芽する時、植物は最も電流を生じる。日菜は何かに突き動かされるように、名刺の住所に宛てて手紙を書く。「私を子供にして下さい」と。「子供が欲しくないなら雇って下さい。私は働き者です」
伊作は藤原と結婚して日菜を引き取り、幸福になる。米は、作付面積を広げた。
文字数:1050
内容に関するアピール
現代日本に住む者の生命を脅かす過重労働は、米の陰謀である。と言っても国名では無い。米=コメである。
コメが人間を操り、自らを育てさせ、限界まで働かせて来たのである。そして奴隷労働が価値あることだと思わせてきた。人間が自覚できない方法で人を操ってきたコメ。
しかし、今やコメは力弱い存在になってしまい、人間に干渉できないでいる。なぜなら人間を操るには、人間に知られてはならないからである。素粒子のふるまいで知られるように、極微の世界では人間が観測すると結果が変わってしまう。人間に観測されると、人外の意識は、それまでできたことができなくなってしまうのだ。人間の品種改良によって滅びようとするコメの一種族が、最後の賭に出て、わずかな人間にひっそりと干渉する。米作者にとって、かつて生死の分水嶺であった「五反田」を名乗る場所で。
文字数:359
乗り越し駅のオポッサム
眠っている間何をしていたか、私は知らない。眠っている時、私には意識がないから。生きている時間のほとんどを一粒の米として眠る私にも感覚器はあって、太陽の放射線の暖かさ、空気や土の湿気、私の上を這い回る虫の重さはわかる。わかって、発芽し成長するか、あるいは食べられる。
けれどそれは私の体がしていること。あるいはされることに過ぎない。私が自分を知り、世界を感じ、考え、記憶できるのは、あなたたちを通してだけだ。
遠い昔に、私の先祖はあなたたち、人間を選んだ。私は米。古い米の一種族だ。今は稲として風にそよぎ、あなたたちの一人の目を借りている。
五反田駅の東口から五分ほど大崎駅寄りに歩くと、小中一貫の公立校がある。敷地は広くないし、主な運動場は屋上にあるのだが、狭い校庭の隅にはビオトープと低学年用の遊具がある。ブランコと、小さなジャングルジム。そこで、女の子が一人、ブランコを漕いでいる。
今日は日曜で部活動休止日だったから、校庭には他に人影がない。しかし校舎の窓は一ヶ所開いて、カーテンがひるがえっている。それは職員室で、書類仕事がたまっている教員が数名、休日出勤している。
教員の一人は、「文科省厚生労働省合同アンケート ―教職員のワークライフバランス改善のために― 」という用紙に記入している。なぜかネット化もされていない紙媒体のアンケートである。職員分を学校毎にまとめて、それからネット入力するという非効率なシステムで、彼がとりまとめ係に充てられたのだ。
彼は思う。毎日の教務だけで夜まで働く上にこんなアンケート、休日返上しなきゃできないだろ。本末転倒だよ、と。
その感想は関係者全員の総意なのに、労働環境が改善されることは無い。
誰もが嫌ったとしても、必要な労働はある。そこには誇りさえ生まれる。しかし無意味な労働に時間をとられ、消耗し、陳腐な愚痴しか産まないのは奴隷状態でしかない。それなのに改革も革命も起こらない。
全国からアンケート結果を受け取った者は、思うだろう。彼らは奴隷労働が好きなのだ、と。あるいはその人も、おびただしい数の人間を束ねる地位にあったとしても、奴隷労働者なのだろう。
この土地に生きる人々が過重労働にあえぐのは、それが価値があることだと思っているからだ。彼らは労働を、生き延びる手段とは思っていない。食うためと言いながら、苦痛に満ちて働くことそれ自体を、貴いと思っている。
労働がその成果や意義でなく、時間や苦痛で計られている。それは異常なことで、自然の帰結ではない。何らかのミームが介入している。
さて、忙しい大人達の目は、校庭で一人きりの女の子を見ない。実際の所は気付いているのだが、放っている。もし声をかけるとすれば、言うべき言葉は「帰りなさい」になってしまうだろう。休日に学校で遊んではいけないのである。校庭に花壇もウサギ小屋も無いのは、休日に世話係を来させてケガをしても学校保険の対象外だからだ。
休業日に世話を欠かせない生物を廃して、校庭の隅に作られているのがビオトープ池、極小の生物群集地である。教師達は、そこにメダカがいて、草が茂っているとしか思っていない。この、周囲の茂みを入れても一坪無いビオトープを、絶えず観察し、百種以上の生物を把握している人間はただ一人、ブランコを漕ぐ女の子だけだ。
ほぼ毎日、この子はビオトープを見てきた。他の生き物係たちも時々はこの場所に来、バランスを崩すほど茂る雑草を抜いたり、季節毎の写真を撮って模造紙にまとめて壁新聞を作ることもあるが、この子ほど、この場所に詳しい者はなかった。
「ここにはどんな生き物がいるのか教えて」そう訊く者がいると、普段無口なこの子は、即座によどみなく答えた。半月前、新しいクラスの交友関係を探っている同級生に尋ねられた時はこうだった。
「今はね、魚類はドジョウ、ヒメダカ、カダヤシ、フナがいて、金魚はね、フナの仲間なんだけど、去年のお祭りの後からコメットと流金がいるの。ほらあそこ。形が全然違うけど、金魚同士だから、大体一緒に泳いでるんだよ。前に出目金が入ってた事もあるから、今年も夏休みに金魚は増えると思うよ。甲殻類はテナガエビ、ヤマトヌマエビ、アメリカザリガニがずっといる。他に目で見える生き物だと、両生類のアマガエルと、ヒキガエルもいるけど、これがフナより大きいから、ここで一番大きい動物はヒキガエルかな。貝類は、二枚貝はイシガイしか見たことないけど、あと巻き貝が、タニシとイシマキガイで、陸貝が、カタツムリとキセルガイ、ナメクジも。水生昆虫はゲンゴロウ、アカムシ、ボウフラ、カゲロウ、アメンボ、ミズスマシや、他のが、季節によって、たくさん住んでたり、やってきたりしてる。水草はオモダカが水から伸びてるけど、水の中にキンギョモが生えてて、水の周りには苔ね。ゼニゴケもスギゴケもあって、シダ植物のトクサがあって、あと草は、キショウブやセイヨウタンポポもあるけど、イネ科が一番多いの。アシとススキの他はもう少し伸びないと見分けられないけど、スズメノテッポウ、オヒシバ、メヒシバ、イヌビエ、エノコログサ、セイバンモロコシ、カラスムギ、ジュズダマ、去年までにこれだけは見分けたよ。多分もっとあると思う。それから、本物のイネを植えたばっかり。自然体験のおみやげなんだって。ふつうの種類と違って、古代米の、モチ米なんだよ」
訊いたクラスメイトは、内心辟易しながらも感心した事を示した。
「すごーい、ずいぶん知ってるんだねー」社交辞令は大切だと、その子は思っていたのだ。しかし、
「ううん。水の中では藻類やプランクトンが一番多い生き物だけど、小さくて見分けられないからあんまり知らないの。すごい数の生き物がいるんだよ。あ、そうだ、言い忘れたけど、クモとか、陸の虫もたくさん住み着いてるんだよ。」生き物に夢中の子は、相手の感情に気付かない。
「なんでもいるんだね」そろそろ話をまとめて切り上げようとした。
「ううん。何でもじゃないよ。爬虫類はいないみたい。ミシシッピアカミミガメが去年までいたのに、今はいなくなっちゃったの。危険な外来生物だから、オオキンケイギクと一緒に駆除されちゃったみたい。ほんとはカダヤシやアメリカザリガニの方が環境に危険だし、キショウブやセイヨウタンポポだって、危険生物なのに、目立つから、ダメだったんだと思う。金冠菊の花はすっごい目立つし、赤耳亀は毎年大きくなってて、みんなに一番人気あったから」
「他にも危険生物がいますって、先生に言わないの?」
「言ったら、この池全部埋められちゃうかも、でしょ? 」
それから続けて、
「みんなの興味がなくなっても、ビオトープがある方がいい。私はここ、好きだもの」と言った。
この会話によって、クラスメイトはこの子を「友達にはなれないが危険は無い生物」カテゴリーに入れた。そして、無害な子が好きな場所を奪うことは無いから、先生に言いつける(ビオトープは侵略的外来種だらけです、先生)ことはしなかった。
生き物は必要なければ、互いを放っておくものだ。
おかげで、私は生き延びた。そう、私はビオトープの稲。私は遠い場所で、田植えを手伝った子供の土産物だ。祭りの後、夜店ですくわれた金魚が池に放たれるように、自宅でバケツに植えればお米が採れると言われて私を持ち帰った子供が、面倒になってこの場所に植えたらしい。
らしいと言うのは、その頃の私には意識も記憶も持てなかったからだ。私はただ芽吹き、伸び、引き抜かれて違う土壌に植えられた。
一週間前まで、私はただ生きていた。
一週間前、私はよりしろに巡り会い、意識を得た。同時に、先祖からの記憶を手に入れた。多分この世のどこかに、私たちの種族の記憶は蓄えられていて、あなたたちを通した時、私はそれにつながるのだ。今の私は、不完全ではあるが古代からの記憶を持っている。しかし最近百年ほどの記憶は無い。ちょうどあなたたちに自分の力を振るえなくなってから記憶が無いのだ。だから、私の一族の記憶媒体はあなたたちではない。あなたたちはただ、媒介者に過ぎない。
一週間前、目覚めた私はどんなに驚いたろう。
そして、先祖達も、あなたたちを選んでから、驚き通しだった。
私たちもこんなことになるとは思いもしなかった。初め、私たちはあなたたちの目を通して世界を感じたかっただけだった。そして栄えたかった。あなたたちが私を食べることはかまわない。私たちは栄えるほど、食べられる。植物はそういうものだ。
あなたたちは私を食べ尽くさなかったし、私をこの世のすべてに広めてくれるはずだった。
それなのに!
今、あなたたちは私と出会った頃の、いつも腹を空かせた怠け者とは違ってしまった。
それから、私たちと一緒にいた長い年月とも、変わってしまった。
私はほんの少し前まで、あなたたちに自由に干渉できたのに、今、あなたたちは私の手を離れて、そのくせ私にかしずいていた記憶だけは残して、限界まで働こうとしている。
私は最近目覚めたばかりだけど、知っている。この近くに、目的地に向かうのでは無く、ただぐるぐる回り続ける巨大な乗り物を作ったのでしょう? そしてそれに乗り続ける人間達がいるのでしょう? あなたたちはそれを進歩と考えている。
目的のためでなく、ただ働くのが好きなんて、そして一人一人が持っている心ってものは私の意識と違って、一人だけで絶えてしまうなんて・・・・・・なんて一生!
できることならどうにかしてあげたいくらい。
本当は私の方が、久しぶりに目覚めて驚くことばかりなのだけれど。
私こそ種の最後の個体かもしれないと、おびえているのだけど。
今は、ブランコに乗っている子が、私のよりしろ。この子の目を通して、私は世界を見ている。
父は店の客に、いつも娘を自慢した。
「どうも、勝手に手伝いたがるんでね」
それは大抵宵の口に客と交わされる会話で、小学生の娘が店の手伝いをするからだった。
「大将、児童福祉法破ってんの?」とか、
「ここは五反田一、若い子置いてるね」と、気の利いた事を言ったつもりの客に対して、父は冗談で返さない。
「やれとは言わないんですが、日菜は俺と違って働き者なんですよ」
父の「ないんです」という発音は、「ないんす」に近いのだが、「で」の音も脱落せず、はっきりと聞き取れる。これが東京者らしく話そうとする人間であれば、巻き舌の早口になって音素が脱け落ち、サ行は母音が消えて耳障りな歯擦音になるのだが、父の話しぶりは違う。それは早口になるほど舌先に力が入る切れの良い発声で、それはこの男が累代の町人であることを示していた。
父の店は夕方に提灯看板を出すが、開店して一時間は、まず客が入らない。それで、日菜はいつも店の隅で本を読んだり、宿題をしている。やがて席が埋まりだし、八時近みになると父一人では行き届かなくなる。ホルモン焼きの最中で父が手を離せないと見ると、日菜はカウンターに入ってモツ煮を小鉢に盛り、七味を振って、客に出す。
「煮込みです」
ビールを冷蔵庫から出して栓を抜き、コップと共に運ぶ。
「ビールお持ちしました」
その時間帯の客は風俗店帰りがほとんどで、初めは日菜を見るとぎょっとするのだが、何度か通って日菜が店の切り盛りを手伝おうと待ちかまえているのに気付くと、
「お酌してくれる?」と声をかけることもある。そんな時、日菜は「失礼します」と下がってしまう。父もお運びや席の片付けは子供の手出しを自由にしているが、酌はさせない。
仕事帰りに悪場所通いした客は、そのまま電車に乗って帰宅する心持ちになりにくい。父の店は、その気分転換に入る者達をあてにした商いである。店にいる日菜を見て寝覚めの悪い思いをする客は二度と来ないが、込み入った会話や女の子のサービスも必要ない。酌を断ったところで、荒立てる客はいなかった。九時を過ぎるといよいよ店は立て込むのだが、父は娘を店から追い出し、一人で接客する。日菜は調理場奥の、寝泊まりする部屋に下がる。更に深夜になると、手が回らない父は串をムラに焦がすのだが、その時間の客は酔いが進み、雑な品を出しても通るのだった。
日菜の父は五反田の生まれである。
酒屋の息子で、自分が日菜の年には、この界隈の店に卸すのが家業だった。大量在庫を抱えず、急な少量注文に応えて生き残って来たのだが、自分の代になって妻が患うと店を閉め、角打ちの立ち飲み屋だけを残してホルモン焼きを始めた。妻が亡くなり、三年前には自前の店も手放して、顔なじみのビルオーナーに面倒を見てもらったのである。
東京生まれの人間には、妙に生活圏が狭い者がいる。世間的にはしくじり続けて来たということになる父は、五反田に寄生するように生き、他の土地で暮らす気概は無く、娘も五反田の小学校に入れたがった。徒歩で通える公立の中で、一番人気の小中一貫校を申し込むと抽選で当たり、そこに娘が入学できたことは父にとって数少ない幸運であったから、なおさら、他の土地に移ろうとはしなかったのだ。
娘と父は、毎日小学校の登下校を共にしていた。毎朝、ビルの裏口からランドセルを背負った女の子と、小太りの中年男が出てくる。そして足が表通りに進み駅に近づくと、娘は父の手か腕をにぎる。
娘の送り迎えは父の喜びだったが、その習慣は下級生の頃には無かった。入学してすぐ、一人で登校するようになったのに、母を亡くした途端、日菜は駅の高架下を一人ではくぐれなくなったのである。
忌引き開けの日、父は娘の学校にあいさつに行こうと、日菜と連れだって家を出た。それが、駅に近づくと日菜は足を止め、
「トンネルが、こわい。こわいのがいる」と言った。
高架の支柱は子供にとってはトンネルと感じられる奥行きがあり、その側面には子供っぽい絵が、そのくせ大人の背丈より高く描かれていた。確かに不気味にも見える絵で、うごめく人間とその足元にひそむ動物のように見える。
本来の意図は太陽に向かって背伸びするこどもたちと、かわいい動物たちを描いたのだろう。日菜が特に怖れたのは、ピンクの二本足で立つウサギだった。ファンシーキャラクター風に描かれながら、目がうつろで、ピンクの塗料が剥落していた。日菜には傷だらけで死にそうな、恐ろしい生き物に見えた。
幼い頃から見慣れて、今までまったく恐れる様子を示さなかったのに、いきなりそんな事を言いだした日菜の心細さが、父には身に染みた。
「お父さんが一緒だから」父は、こわくないよ、と続けたかった。しかし実のところ、自分も怖かったのだ。子持ちやもめの自分の頼りなさが怖かった。それでもう一度、
「お父さんも一緒だから」と言った。そし思いついて、「学校に行けたら、帰りも迎えに行くからね」と続けた。
小さな娘は、うなずいて、父の手を自分の腕にからめると、歩き出した。
それから、先週までずっと、日菜と父は連れだって登下校していた。
一方日菜は父親が欠かさず送り迎えしている事を、申し訳ないと思っていた。父は嫌な顔一つしないが、毎日泥のように疲れている。特に朝。
日菜が目を覚ますと、父はまず日菜の髪を洗うのが日課だった。日菜の髪はもう何年も切っていず、腰まである。風呂は前夜に入っているのだが、店の営業時間に洗髪すると獣肉の臭いが残ってしまうので、朝洗う。髪を洗って三つ編みにするのは父の仕事で、日菜は幼児の頃から父に髪を洗ってもらっていた。この店に引っ越してから一緒に風呂に入らなくなったが、洗髪は父がしてやった。
「髪を短くしようかな、自分で洗えるから」
日菜は時々言ってみる。父を楽にしたいと思うからだ。
「いやあ、日菜はそのままでいいよ」父は穏やかに笑うが、(私が髪を切ったら寂しいのかもしれない)と日菜は思う。
父は朝食を用意できなくても、日菜の髪は必ず洗う。そして五反田駅の向こうにある学校まで日菜を送っていく。同じ学校に通う子供は近辺にいないからだ。
父は日菜を送って戻ると、やっと床に付く。そして日菜の下校時間には起き出して、仕込みを始める。
一週間前まで、日菜と父はこんな生活を続けていた。
今年五年生になった日菜は、ずっとビオトープ係で、学校で一番、生き物に詳しかった。そして誰もそれと言う者は無いが、死にも詳しかったのだ。
日菜にとって「トンネルのこわいの」は、ピンクのウサギだけで、命無い物が、かわいらしい動物の形を借りているという恐ろしさを感じたのである。足元にうごめく黒く塗りつぶされた四足獣の輪郭は、生き物の気配を伝えており、生きている存在に、日菜は恐怖を感じなかった。むしろ、得体の知れない生き物の絵に、探求心をそそられていた。
(あの黒い生き物が、実際に五反田に住んでるといいな。人間は見逃してるけど一生懸命生きてて、そんな生き物なら、危険は無くって、かわいいに決まっている)そう日菜は夢想した。
自覚してはいないが、生き物が好きというより、日菜は命が好きなのだった。失ったからこそ、好きなのだった。
日菜は去年、黒い生き物の種類を決めた。図書館から借りた『環境に危険な動物・植物』に、それは載っていた。
仕込み中の父に、日菜は話した。
「お父さん、オポッサムって知ってる?」
「さあ、知らないなあ。その本に載っていたの?」
「うん。オポッサムって世界の特定危険生物なんだよ。世界中に、居住地域を広げてるんだって。オポッサムはカンガルーみたいに、おなかに袋があるんだよ。それでね、他の、袋で子供を育てる生き物は、オーストラリアやニュージーランドにしかいないのに、オポッサムはね、地球上にどんどん増えてるんだって。人間が住んでいるとこにはどこでも生息域にしてしまうって」生き物の話をすると、日菜は実に熱心なので、父は全く興味がなくても聞けるだけ聞いてやろうと決めていた。
会話が成り立つように、
「外から入ってきた生き物は強いからなあ」と言ってみたが、その発言は、外来者に食い物にされてきた自分をかこつものだったかもしれない。
「それがね、違うの」日菜は父親の、言外の含みには気付かない。
「オポッサムはね、弱いんだって。弱くて、なんにもできないから、どこでも生きていけるんだって。すごいね。私、進化って強くなったり大きくなったりお利口さんになったりすることだと思ってたよ。それでね、」と日菜は言葉を切り、
「オポッサムは子供をとっても大事にするんだって。お腹の袋に入れないときはおんぶしてるんだよ。本の写真、すごくかわいいよ、お父さん」
いいざま、父に広げて見せたページには、黒っぽい灰色の毛に覆われた口のとがった小動物が、背中いっぱいに子供を背負っている姿があった。
父がそれを見て何を思ったかは、もうわからない。
ただ、それから親子にとって、高架下の絵はオポッサムになった。
日菜の父が死んで、一週間になる。
この死は簡単に避けられたはずだから、もし死後の意識というものがあるなら、父は慚愧に堪えないことだろう。自分の人生にさしたる価値を感じていない人間であったけれど、それだからこそ、自分より大切な娘を遺すことは本意でなかった。
その日、店を閉めてから、日菜の父は冷めた風呂に入った。いつも早いうちに娘を入浴させ、自分は閉店してから湯を使う。それは風俗ビルの一階で小商いする親子の習慣だった。
風俗街の建築は他とは違う特徴がある。他のサービス業と違って広い間口を必要としない上に、どの店も女の子を大切にするから、バックヤードが広く設計されている。日菜と父はおかげで店の奥に住み着けた。寝泊まりしているのは昔の管理人室で、その手前の、新築時には小さなエントランスだった場所が、改装を重ねた末に父の店になっていた。
父はその夜、疲れていた。疲れすぎて酒を飲み過ごして、ぬるい風呂で寝入ってしまい、湯が冷えて目を覚ました。ようやく体を浴槽から引き抜き、着替えて寝床に入ろうとしたが、シャツを着ることができない。腕と頭をどこから引き出すかもわからぬほど酩酊していた。体を思うように操れず、頭ももうろうとして、挙げ句、ドアノブにシャツを引っかけて、そこをめがけて強引に頭と腕を入れようとした。当然まともに着衣できはしない。首と腕が引っかかり、脱ごうとしてあごが抜けなくなり、もがくと足が滑り、宙づりになって、もがいた末に、縊死した。
これは変死だが、自宅で死ぬ者の多くは、風呂で命を落とす。酔っぱらいが風呂で亡くなる、という点では平凡な死だ。
私の名誉のために言っておく。この男を死なせたのは私ではない。モチ米からも酒は造られるし、私たちの澱粉は糖化しやすい。でも、私たちを酒にするのは、酵母の仕業だ。そして、日菜の父親の体中を駆けめぐった酒は、ビール。大麦だ。
朝になって、日菜は父を見つけた。
「お父さん?」は「お父さん!」になり、「お父さん、お父さん、お父さん」と続いた。
やがて、日菜は泣きながら、父が電話を置きっぱなしにしていた充電器の場所まで行った。嗚咽で立てず、這って行った。手でぬぐえず、涙は床にしたたり落ちた。
充電はしてあるのに、電話は不通だった。一一九も、一一〇も、それから日菜が番号を覚えている、学校も、仲良しの家も、不通だった。料金滞納で、父の電話が止められていることを日菜は知らなかった。何度か一一〇を試した後、(故障しているんだ)と思い、日菜は父のそばに戻った。今度はよろよろと歩けたが、掃除が行き届かぬ床は涙でべとつき、足裏に感じる床の感触を一層気味悪くした。今までしたことがない事をしている不安と、自分の体感の頼りなさ。同時に父が死んでいることだけは、疑いようもなかった。心臓が止まっているだけなら、体温が低いだけなら、日菜は飛び出して、誰かに助けを求めたろう。救命の可能性を信じられれば、日菜は泣くことさえ後回しにしたかも知れない。しかし、日菜は生き物の死に詳しかった。人の死に目にさえ、何度か遭っていた。背骨と腕を異様にねじれさせた父の体は、生者のものではなかった。そして父の顔。父は目を剥き、舌を出して縊れ死んでいた。絶命した時にはうつむいていたのに、死後硬直で反り返り、その恐ろしく、同時に間の抜けた顔は、日菜に見せつけられた。父の亡霊(もし存在するならば)にとって、なぐさめになることは何もなかったのか? ただ一つ、風呂上がりの父の消化器には、酒しか入っていなかった。それで、床に汚物を広げることも、日菜に悪臭を嗅がせることも無かった。
それだけだった。
日菜はそれから、父の体に、シーツを掛けた。涙が出続けているので顔を洗い、髪を梳かし、顔を洗い、着替え、顔を洗い、ランドセルを背負い、顔を洗って、使ったタオルを握ったまま、家を出た。
駅の公衆電話にたどり着くと、ランドセルのポケットから十円を取り出し、投入口に入れた。金は下に落ちた。違う十円玉を入れてみたが、やはり落ちた。何度も繰り返したが、硬貨は落ちた。先に受話器を取ってから金を入れるのだと、日菜は知らなかった。いや、それ以前に、一一〇番は金を入れずに掛けられるのだと、日菜は知らなかった。
そして、タオルで顔を拭い続ける女の子に、誰も声を掛ける者はいなかった。日菜は小柄で、十才にもならぬように見え、小学校低学年の子供に声を掛けると不審者扱いされるご時世だと、大人達は思っていたのだった。
日菜は小学校まで歩いた。駅以外に公衆電話の場所を知らなかったし、大人に直接父の死を知らせるなら、まず学校の先生だと判断したから。
学校にたどり着いた時、すでに授業は始まっていた。日菜は昇降口から教室に向かい、廊下の隅で、授業が終わるのを待った。授業を中断させて、父の死を伝えることは、困難に思えた。まず担任の先生に言おう。どう言うべきかはわからないけれど、休み時間の鐘が鳴ったら、教室に入ろう。泣かないで、できるだけ短くはっきり言うんだ。
そして、ここでも日菜は失敗した。
「ああ、川村さん、来たんだね。どうしたの」と、教室に入った日菜を見て、担任教師は笑顔を見せた。
日菜は大きい声が出せないので、担任に近づいてから「おはようございます」と言い、それから、「今朝、起きたら、お父さんが、死んでて」と懸命に言うと、言葉が詰まって続けられなくなった。
父の死よりも、担任が三月まで中等部にいた人間だったことが、日菜の最大の不運かも知れなかった。中学生の会話では「死んだ」「死んでる」は、気落ちや体調不良を示す気軽な言葉に過ぎない。
「ああ、お父さんがご病気なの? 心配だね」それで済まされてしまったのだ。
自分の訴えが、まったく通じなかった衝撃。日菜は、その後一日、授業を受けてしまった。
学校にいる間、父の死を誰にも言えなかった。仲が良い子が話しかけても、うなずくだけだった。その上、昼休みに給食をほとんど食べず日菜が教室を出ると、担任は他の生徒に向けて、「川村さんはお父さんの具合が悪いようだ。心配してるんだね」と言ってしまった。こどもたちはそれで、日菜の様子に納得してしまった。
ひどい誤解だったのだが。
この昼休みこそ、私が目覚めた時。日菜は空っぽになって、私のそばにやって来た。私は、あたりに誰もいないこと、私のしていることを、かすかな電流一つ計測するものがいないことを、感じた。日菜の自我は私を拒否する力さえ無くし、一方私は自由だった。私は日菜の中枢神経に、手を伸ばした。
接続はなめらかに行われ、あとは調整だけだ。
ああ。光。
太陽の放射線が、色彩となって見える。波長の色彩。光量の明暗。なんてすばらしい世界。人間の目は本当に優秀だ。私は世界の美しさにうっとりし、同時に日菜の不幸と衝撃を感じていた。
私たちは光が好きで、たくさんの種に分かれた仲間の誰よりも光を知ろうとした。だから、あなたたちの目を通して、世界を見る目を得たのだろう。
日菜の悲しみとみじめさが心を遮断して、その隙間に、私は収まっている。
私は日菜を乗っ取ったわけではない。
こんなにすばらしい世界を見せてくれるのだもの、日菜を助けてあげたい。
私も助けて欲しいのだけれど。
父が死に、日菜が誰にもそれを伝えられなかったのは月曜で、今日は日曜日。ちょうど一週間になる。
月曜の放課後、日菜は帰った。いつも通り、元管理人室である住まいの出入り口、風俗ビルの裏口に、いつもと違って一人で帰った。ドアはカギを掛け忘れていた。そもそも自分が登校するとは、授業を受けるとは思っていなかった。それが一日開けっ放しだったことに気づき、なおさらびくびくとドアを開けた。
誰も押し入ってはおらず、父の死体はそのまま、ドアノブにひっかかっていた。
日菜は再び涙を流し、ずっと泣きながら、煮込みの鍋に火入れした。そして冷蔵庫の中身を点検し、食べた。
風呂は父の遺体の先なので入れず、ヤカンでぬくめた湯とタオルで顔と体を拭き、タオルは流しで絞った。
火曜日の朝、日菜は目覚め、(絶対夢じゃない。でも、もしかしたら、昨日と変わっているかもしれない)そう思い、まず風呂場に行った。確かに昨日とうってかわったものを、日菜の目は捉えた。父の遺体は床に落ちていた。ドアノブに引っかかったシャツが過重に破れて、死後硬直がほどけた体はぐにゃりと、床にへばりついていた。顔はうつぶせで、シーツから覗くのはおそろしい表情ではなく、髪と一方の耳ばかりだった。
シーツのもう一端からはみ出した足先に、日菜は触れた。冷たく、柔らかく、恐ろしかった。
ビルの他の階に助けを求めるのはどうだろう。迷惑だろうが、人の死ともなれば放っては置かないだろう。
しかし、自分の言葉は通じるのだろうか。自分は誰に父の死を伝えられるのだろうか。電話一つつながらないこと、担任に言った言葉が言ったとおりに伝わらないこと、友達が「お父さん、たいへんなのね」と声をかけてきたこと。
すべてが恐ろしかった。
それなのに、煮込みの鍋を店の冷蔵庫に入れ、登校してしまった。家にいるのが一番怖く、一番好きな場所の近くにいたいからだった。
ビオトープ。小さな生き物が、ただ生きている場所。
火曜日の一日は、ずっと、父の死を言える人間がいないか、探していた。
担任は駄目だし、友人は怖がらせたくなかった。推理小説マニアの男子生徒も一瞬考えたが問題外だった。保健室の先生。校長先生。全部駄目だ。父の親戚は父が借金を踏み倒して縁を切られており、母の実家は遠く、母の遺骨を引き取ってもらったのに毎年命日にも来ないと叱られたことを日菜は知っていた。一番良いのは、父が毎週火曜日に仕入れに行っていた精肉店の主人であるような気もした。父はここにだけは不義理をしていないはずだ。肉の仕入れをしくじったらおしまいだと、父が何度も言っていた。酒は掛け売りをさせて踏み倒し、河岸を替えればいいとうそぶく水商売の人間がいる。酒はどこで買っても酒だと。そんな店は当然長続きしないが、わかっていても屋台骨が傾いた酒屋はつきあってしまうのだと、父は自分の失敗を話していた。
考えれば考えるほど、父と自分がひどくみじめな存在で、どこにも頼もしい人間はいないと思われるのだった。
水曜日からは、もう諦めてしまい、泣いて腫れ上がった目で登校した。いつまでも続けられはしない。火入れをしなければ煮込みは腐る。父の体も肉でできているのだ。それでも、もし父の死が人に知れたら、父と自分はどうなるか。きっと、ビオトープからも離されてしまうのだ。もっと自分は頼りなくなる。
木曜日の朝、日菜は自分の臭さに目を覚ました。髪が、臭い。毎日体はお湯で拭いていたが、長すぎる髪は一人で洗えず、そして洗濯機は父の体の先にあるので、下着だけは店の流しを使って手で洗ったが、制服の白いポロシャツは洗えなかった。月曜に着たものに再び袖を通した。
もう限界が来た。自分の異常さに誰もが気付き、自分と父は警察に保護される。そう日菜は思い、登校したが、誰も日菜に声をかけなかった。日菜の異変は、誰も気付くほど極端であったから誰もが距離を置いたのだ。そのまま金曜が続き、日菜は限界を超えても、時間が続くことを知った。土曜日、日菜は髪を切った。ハサミでぐるり一回り切り、左右揃わず切り続け、腰まであった髪は耳下になった。
それから、調理場の流しで何度も何度も髪を洗った。
日曜日、日菜はビオトープの見納めに来た。今日は勇気を出して、警察署まで行くのだ。誰もいない校庭で、ブランコに乗った。
ブランコを漕ぐと、短く切りほどいた髪が音を立て、日菜は目の覚めるような、驚きを感じた。
デッキブラシで固い床をこする音。真夏にススキが風にあおられる音。きっと女の子はみんなは知ってるんだ。いっつも髪を結んでいるのは、クラスで私だけだもの、と日菜は思った。
悲しくても驚くんだ、私。私の中に、幾つもの気持ちや考えがあるんだ。
日菜との調整が整うにつれ、日菜は嗅覚や聴覚の実感を取り戻した。音や臭いがどんなものか、私にはわからない。一方私は遠くに、仲間を感じた。
私は種族の最後の個体ではなく、仲間がいるのだ。
「なぜ、五反田駅まで乗ったの?」
駅を降りると同時に、目的地は大崎駅の近くです、と言われたのだ。乗り越したのなら乗り換えるべきではないのか。
「五反田という名前が、良いからです」伊作は笑顔で答えた。今日、伊作は自分の用で陽子をつきあわせているのだが、意に介する気配はみじんもない。
「名前だけで、今じゃ田んぼは無いわね」陽子はやけ気味につぶやいた。もう伊作とは二十年近いつきあいだけど、昔からこんな人間だ、とあきらめながら。
今の自分は三十九才だから、伊作と知り合ったのは、正確には十五年前だ。当時、伊作は農業高校の一年生で、自分はハローワークから派遣された、高校生就職支援員だった。
就職氷河期と称された前世紀末から、陽子は厚生労働省の末端で働いている。高校生の就職率も戦後最低を記録し、ために陽子は高校に送り込まれ、三年間をそこで過ごした。生徒と面談し、適正と希望から求人を薦め、履歴書の書き方から面接マナーまで教え、「藤原先生」と呼ばれた。
その当時から十五年、伊作はことあるごとに陽子を頼り、甘えてきた。陽子のお人好しな性格を利用されっぱなしだ、と陽子自身が思うほどに。
伊作は高校一年生から、「僕は米を作りたいのです」と言い切った人間だ。そして今、陽子のつぶやきに、
「昔はここから低地にかけて、きっとかわいいたんぼが広がっていたのです。駅から見下ろすと、東と西で植生まで違っていたでしょう? 東は街路樹の根方に鮮やかな花があるのに、東はイネ科の雑草です」満足そうに語った。
「イネ科雑草ってわからないわ」陽子は不満である。
「イネは風媒花なので、花が地味です。一番雑草らしい雑草と言えます。ネコジャラシとかです」
「ネコジャラシならわかるわ」しかし辛抱強くつきあった。
「それは俗称で、本来はエノコログサなんですが、エノコロはイヌコロの事です。イヌがネコに変わってしまいました」伊作は喜ばそうと説明しているのだが、そのことがわかっても陽子は楽しめなかった。(もう、これ以上甘やかしてちゃ駄目だ)と陽子は思った。私はあんたのお母さんじゃないし、それに、
「伊作君は楽しいだろうけど、私はもう年なんだから、あんまり疲れさせないで欲しいわ」
伊作は、のんびりあたりを眺めながら歩を進めていたが、この言葉に、
「気がつきませんでした。すみません」まじまじと陽子を見て謝った。伊作はまじめに、謝っている。たびたびこんな風にして、伊作は人を怒らせた。
「でも、陽子さんと僕は、もう同じ年です」そう続ける伊作に、陽子は(そんなことはありえない。自分も同じ三十代になったと言いたいのだろうけど)と思っていた。
人と会話すると、とにかく誤解を受ける伊作だが、陽子は伊作が好きだった。ハローワークでは数え切れないほどの人間と話し合い、求人紹介し、就職指導し続けて来たが、大概、大人達は切実な願望を話しながら本心は隠している。心が鎧われているのに希望を話されると、それは底の浅い、虫の良い欲求に思えてくる。
高校生達はなおさら世の中を知らず、自分のこともわからず、例外なく不安を抱いているのに、なぜか容易に、心を見せた。大抵の高校生が労働に過剰な自己実現の夢を抱き、金があれば自分の問題はすべて解消し、苛酷で困難な労働は雇用者の悪意だけが原因だと考えているとしても、十代の人間は人と接する時に、自分を差し出してしまうように見え、大人はできるだけのことをしてやろうと思う。中でも伊作は心がむき出しで、自分のことしか考えない勝手な人間に見えるけれど、他人のことがわからないだけで思いやり深く、自分の欲求を理解し、満足している単純な人間なのだった。陽子にはそれがわかるから、独立独歩で生きる決意をしている伊作に、過分な肩入れをしてきたのだ。もう十五年。そしてもう十年になる。伊作は十年前、まだ大学生だというのに陽子に求婚したことがあるのだ。「僕は二十歳になりました。藤原先生がうなずいてくれれば、結婚できるのです。いかがですか」陽子は断り、けれど自分のことを「藤原先生」と呼ぶのは終わりにさせた。そして大学卒業時には起農の法手続を散々手伝った。
「僕も三十になったので、今年は米を増やしました」
「だから今日ここに来たんでしょ」
「そうです。『江戸ほまれ煎餅』に、僕のモチ米を売りつけます」
「プレゼンテーションの協力なんか大してできないわよ。モチ米とウルチ米の違いも録にわからないんだから」
「かまいません。それは僕が知ってます。陽子さんは、僕がまずいことを言ったら、できれば言う前に、止めて下さい」
「煎餅屋にたどりついたらね」
「ああ、時間は充分あるので、たどり着く前に、少し、別のことをしても良いですか」
まさか、またプロポーズか? と陽子は思った。もしまた求婚されたら、陽子は自分がどう答えるか、自分でもわからなかった。陽子は子供時代から、一度も自分がどのように結婚するかを、考えたことがなかった。ただ、ずっと、自分が子供を持つとしたら、どんな子だろうと考え続けていた。多分これからでは子供を産むことは難しいだろう。そう思うからこそ、時々自分の子供の夢を見る。
伊作を夫にする夢は見たことがないが、話に聞く幼児の伊作が、自分の息子になっている夢は見たことがある。
実際の伊作の両親はクリスチャンで、日曜は教会で説教を聴く。伊作は洗礼名で、高校入学初日、
「僕の名前はIsaacです」と自己紹介したところ、担任が
「ああ、イサクって、アイザックかあ。アイザック・アシモフって小説家がいるよな。ほらみんな、テレビの『トリビア』に出てるの、知らないか? 」と、当時人気のあった情報番組を引き合いにだした。
その日のうちに、伊作のあだ名は「アシモくん」になった。
伊作は四才近くまで、発語しなかった。うなり、笑い、泣き、人のことばを良く聞き取って理解していたが、自分の声は音でしかなく、意味を持った一語さえ話すことはなかった。
それが、春先の日曜日のこと、いきなりだったと母親は何度も語った。集会を終えて教会の裏に留めた車に息子を乗せようとしたのに、つないだ手を振り払って、伊作は前庭に走り出た。母が追いかけて生垣のあたりで追いつくと、伊作は母を振り返り、
鳥が鳴いています。
花が揺れています。
風が吹いているのです。
地には平和を、天には神の栄光を。
はっきりと、発話したのである。それはその日の説教には無かったことばで、しかし母にとって、したたか耳を打つように届いた。
「今、なんて言ったの?」
伊作はまっすぐ立って母を見上げていた。
「もう一度、言ってくれる?」母はしゃがみ込んだ。
「言ってくれたら、お母さん、嬉しい」すがるように伝えた。
確かに聞き取った息子のことばを、母は信じられなかったのだ。信じられないから、たった今聞いた声が、心の中からも消えてしまいそうだった。小さな息子にすがりつきたかった。
「地には平和を、天には神の栄光を」
聞き慣れた祈りのことばを、息子は繰り返した。そして、
「お母さんの、嬉しい言葉はこれですか」と言った。
三才の幼児にこう言われて、母は、嬉しかっただろうか? 今まで気持ちを話して欲しかった息子が、話し合えればもっと深い絆がはぐくめると思っていた息子が、母は不気味になった。
話せない息子を、母はすっかり理解していたはずだった。それが、話し出すとまったくわからなくなった。
伊作はそれから、応答や思考を極めて正確に発語するようになった。子供の発言が極めて正確、ということは現実生活においては正解ではなく、大間違いであった。伊作が口を利くと、人はたじろいだ。実際のところ、伊作は極めて単純な人間で、自分自身を楽しみ、世界に脅威と敬意を持ち続けているのだが、それを感じ取れる者は少なかった。
母に恐怖を抱かせた日のことも、伊作ははっきり覚えている。
教会で説教を受ける間、信者は頭を垂れているが、伊作はいつも目を見開き、耳を澄ませていた。
「ご飯食べる?」や「うんちした?」は用件だ。母や父が長話する時、それは「物語」だ。人は、強い感情を示す時に、「私は悲しい」とか「私たちは怒っている」などと言うことは無い。
伊作が感じている、世界への発見(おいしい物は畑にある!)、脅威(うんちがでなかった次の日はおしりが痛くなる)、親愛(虫も自分と同じ、おいしい物を食べてうんちする! )は、言葉にできないことばかりだった。伊作には人の言葉は理解できたが、何を発話すべきなのか、どう言葉を使えばいいか、わからなかった。
その日の説教は、伊作の疑問に応えてくれた。「神の言葉こそ真実なのです」「そして、神への祈りすべてに、神は耳を傾けていらっしゃるのです」ああ、それでこの場にいる人は全員、神妙に聞き入っているのだと伊作は思った。祈りの言葉なら、きっと伝わるのだ。
言葉は人間同士をつなぐ道具だが、この母と息子にとっては、断絶の確認であった。
母は息子が農業高校に入ることも、農学部に進むことも喜ばず、就職しないで起農することには大反対で、名義を貸してくれないから始めの二年間農地が買えなかった。伊作は畑地を借り、換金性が高い作物ばかりねらって作り、稲田は五反だけ借りていたが、二年で農地を買えるほど稼いで税務署からも農家と認められた。今では十町歩、五反の二十倍の休耕田を捨て値で手に入れ、整地中だ。すべて自分の稼ぎだったが、コンバインを農協ローンで買うためには保証人が要った。父に頼むと、母が「保証人のハンコは突くから、あなたは相続放棄のハンコを押して」と告げた。つまり、伊作はローンを返せないに決まっている、自分たち両親が借金を背負うだろうということだ。一千万円を越えるコンバインは、生前贈与だと母はとらえていた。「姉さんはあんたよりよっぽど勉強ができたけど、大学にやらなかった。あんたは国立大学まで行ったのに、学歴を生かせない、浮き沈みが大きい仕事をして。どこでどうなるやら今も心配だよ」母は同居している姉の手前もあって、伊作に悪口を浴びせた。
稲田ほど手入れがいらないので三年前に目を付けたパクチーは、みるみるうちにヒット野菜となり、伊作の栽培記録は農業雑誌に載った。「大ブーム続くパクチー(香菜・コリアンダー)一流レストラン規格に応える大量栽培マニュアル」パクチーはセリ科植物なので、休耕田を転用するのが容易だったのだ。
パクチー栽培のパイオニアとしてテレビの旅番組で取材も受け、親は喜んだ。初めて息子が世間に顔向けできる行いをしたと捉えたのだ。
しかしそんなことは、伊作本人には関係ないことだった。名誉より、農協の借入枠が増えることや、出荷先に顔が利くことの方が重要だった。
伊作を極めて優しく思いやりがあると理解している人間は、私だけかもしれない、と陽子は思っていた。
陽子は間違いは二つ。伊作を理解しているのは陽子だけではない。そう、私たち。そして伊作は今、女のことより私のことを考えていた。
「少し寄り道させて下さい。イネの臭いがします。そろそろ出穂しているようです。ほんの少しですが」
伊作は小学校の門を指した。陽子がそのわがままにつきあってくれることを少しも疑わず、しかし彼女の落胆には気付かずに。
ブランコの前で交わされた言葉は、まず「こんにちは」だった。
「こんにちは」「こんにちは、このイネを見に来たのよ」それが三人の打ち解ける合図になった。
「やっぱり、特別なモチ米なんだ」
「そうです。夜の間、5ルクスの光だけで、穂が出ない、花が咲かない性質なので、ほとんど作れない米なのです」
「あ、それ知ってる。光周性でしょ?」
「理科で習いましたか?」「ううん、生き物が好きだから知ってるだけ」
「そうですか。僕もイネが好きなので、この穂の匂いと草丈で大まかな種類がわかります。好きなことを知るのは楽しいですね」日菜は、伊作が異様な話し方をすると思った。しかし、自分と同じ人だとも思った。同じ物を無性に好きな人間が出会ったときの、あのへだてのない、語り飽きることのない会話が、陽子を聞き役として続いた。
「イネだけ好きなの?」
「ビニールハウスで囲った野菜もかわいいですが、空の下で日に当たる稲はうつくしいのです。稲田は、一年中どんなときもきれいです」
麦畑はまるで雑草の原野のようで、牧草地と変わらない上に連作障害があるから、毎年作れない。トウモロコシは凶暴に茂り、人を見下ろすようだ。伊作にとって米だけが、水田だけが、一年間いつでも美しいのだ。
「五反百姓という言葉を知っていますか?」
「知らない。この五反田のお百姓さん?」
「ちがいます。五反百姓は、食うや食わずの貧乏な百姓を指します。昔、百姓は収穫の半分を租税に取られました。米は一反で十俵採れるものですが、五反百姓は五十俵米を採っても、二十五俵しか残りません。三十俵二人扶持ですから、一人食べるのがやっとしか残らない、そんな百姓のことです。昨年まで僕はこの、五反百姓でした」
「少ししか働かなかったの?」
「田んぼは狭くても広くても、働く量に変わりはありません。この池も、もっと大きくても生き物の種類が増えはしないでしょう?」
そんなふうに日菜と伊作は話し続け、陽子は、日菜のギザギザの髪と、垢じみたポロシャツが気になってしかたなかった。だから日菜が、
「おじさん、イネの花の匂いがわかるなら、あたし、臭いでしょう?」と言った時、すかさず「なにか事情があるの?」と訊ねられて、ほっとした。この子供は、いろいろなことが不足する育ちをしていて、けれど養育者から深く愛され、それを自分でも知っている子供に見えた。
そして、日菜が意を決して、この見知らぬ初対面の、しかも一人はあやしい話し方をする男女に父の死を明かしたのは、伊作が自分と同じくらい植物が好きで自分より詳しく、陽子が我慢強く善良な大人に見えたからだった。
「誰も信じてくれないし、誰にも、電話もできないけど、聞いてくれますか? 家で、私の、お父さんが、」
もうすぐ紙数が尽きる。私が語れることはもう残り少ない。だから、陽子が警察に連絡したこと、日菜が警察に保護されたこと、父が死んでから一日も休まず登校し、丸一週間誰にも言わなかったことから何度も事情聴取されたことは、ただこうしてお伝えする。日菜は警察署に一番近い、品川の養護施設に預けられた。父の葬儀を引き受ける者は無く、警察が荼毘に付し線香をあげてくれたものの、日菜を引き取ってくれる親族は無かった。母の実家が、遺骨だけは引き取った。縁のある人間を無縁仏にしたくなかったからだ。しかし自分の家庭に、他人としか思えない子供を引き取ってはくれなかった。
そんなことより大切なことが、あと三つだけ。日菜はビオトープから離された寂しさで、ある晩葉書を書いた。伊作がプレゼンテーション用に用意していた名刺の宛名に。そこには初めて知るイネを好きなおじさんの名前があった。
日菜は書いた。
「伊作さん、私は先日助けていただいた川村日菜です。伊作さんにお願いがあります。私を子供にして下さい。子供がいらなければ雇って下さい。私は働き者です」
これが大事なことの一つ目。
葉書は二日後、雨の日、伊作の住まいに届いた。伊作はその足でハローワークに出かけた。陽子に結婚を申し込みに。「可哀想な女の子を引き取りたいからって、私と結婚するんじゃ、私が可哀想じゃない?」そういう陽子に、伊作が言ったことが大事なことの二つ目。
「僕はずっと昔から、陽子さんと結婚したいです。僕は、僕を知っている人と家族になりたいし、僕を、許す人と結婚したいです」今度は陽子もうなずいた。そしてそのまま、伊作は品川の養護施設に向かった。
世間的には偶然以外、何の縁もない人間が養子縁組を認められるには時間がかかる。
伊作と陽子はすぐ入籍したが、養女を引き取るまで、半年かかった。
そして三つ目は翌年の五月、日菜は伊作と陽子の子供になっていた。
日菜は田植えの手伝いをしていた。素足を田に入れ、泥の感触を感じ、苗をつまんで泥に植え込む。繰り返し、腰が痛み出して腰を伸ばすと、遠く、田んぼの中のあぜ道を、黒っぽい、足の短い動物が歩いていた。のそのそと、不器用そうな身ごなしで歩くその生き物は、やがて田の中に取り残された鎮守の木立に消えた。オポッサムならいいのに、と日菜は思っていた。
「ああ、日菜。たんぼからあがって」伊作は日菜に命じた。日菜が水に漬けた素足を見ていた。日菜は陽子の座るあぜ道にあがり、伊作も追ってきた。日菜のふくらはぎを見つめ続けている。
「ヒルだ。怖がらなくていい。ただ痛痒くなるだけだから」
伊作は精一杯保護者らしい話し方をし、弁当箱から塩をつまみ、日菜のふくらはぎにへばりつく黒い小さな物に振りかけた。ヒルは縮み、落ちた。
水生昆虫や貝類がうごめき、私の体いっぱいに、納豆菌がへばりつく。すぐ根方でエビやドジョウが巣を作るだろう。それが、私が栄えるということ。
「お父さん、歩けないほど痛くなる? 」
「どうかな」伊作は心配していた。子供は痛みの強さよりおびえるだろう。けれど日菜の表情は違った。そこにはいたずらっぽい期待が見えることに陽子は気付いた。
「日菜は、なんで笑ってるの?」何か言いたそうな、そのくせ少しためらっているような顔に向かって、陽子は声をかけた。
「歩けなくなったら、お父さんにおんぶして帰るの」その声は、まだどこかに不安な、受け入れられることを確信してはいない調子で、しかし舌先に力の入った、はっきりと聞き取れる言い方だった。
伊作にも伝わった。
「ああ。そうしようね。もし日菜が重くて歩けなかったら、」伊作はことばを継いだ。
「お父さんはお母さんにおんぶしよう」
伊作は片腕を陽子の肩にまわしてみせた。
三人はそんなふうに、互いに甘え合い満ち足りていた。
「お父さんはたくさん面倒を見るものがあるからね」陽子は言った。
「お父さんのこと私がみてあげましょう。あんまり自分勝手をしないように」
「お父さん、勝手じゃないよ」日菜は言った。「お米の方が、お父さんに命令してるんだよ」
それでまったくかまわない、というように、伊作は眉尻を下げた。
そう。あなたたちが生き、生き延びて働き、働くことこそが生きる証だと思っているのは、わたしのせい。
でも、あなたたちの生きる喜びはみんな、あなた自身のもの。
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