梗 概
鏡の中を
シャンプーの泡を流し、なんだかボリュームもなくペタンと濡れた髪型を見て、お前も随分老け込んできたものだと、人ごとのように思う。鏡に映っているこの貧相なオヤジは、まあ、多分俺の姿なのだろうし、こちらが舌を出せばそいつも間抜け面にベーっとやるし、ウィンクしてみると、俺とは反対側の目でパチリとくる。ま、普通に考えれば俺の鏡像であることに間違いはない。しかし、そうは言ってもどうにも信用ならなくて、例えば素早く瞬きを繰り返し、大口を開けるふりをして極端なドヤ顔を作ったとしたら、こいつはうっかり追従できずに、適当に辻褄合わせのドヤ顔をするのではないかと、俺はうっすらと考えながら髭を剃る。
シェービングフォームを口の周りにデコレートして、何だかパティシエの作ったケーキを作ったパティシエみたいな俺だな思っていると、鏡の俺が、何が面白いのかも分からぬが、絶妙なタイミングでのニヤニヤ笑いを始める。俺は多分憮然とした表情のままで剃刀を使っているはずだ。右の頬、左の頬、あごの下、鼻の下、ん? 鏡の奴の左上唇の上、俺からすれば右の鼻の下、見る見るうちにぷっくりと膨れ上がる紅い珠、痛くもないけど無意識に、そっと指で拭っても、傷口もなく血も出てない。鏡を見やると鼻の下、真っ赤に膨れたイチゴのようで、妙竹林なショートケーキだとたまらず吹き出すと、あいつはつまらなさそうに、左の眉を剃り落とした。
左右反対、本当は前後が反対なのだともいうが、とにかく反対野郎に遅れを取るわけには行かぬので、フォームをゴルフボール大、右の眉に塗りつけ、俺はゆっくりと剃刀を動かした。上から下へ、下から上へ、左から右、右から左、手触りがつるっつるで、はじめっからそこには毛根的な物などなく、ただおでこが南下したのだと言わんばかりにあいつは頷いている。うん、俺もそう思う。
眉毛にしろまつ毛にしろ、顔面にある毛という毛を見逃すわけには行かず、言い出せば鼻毛もとキリがない。おでこを北上すれば髪の毛へとぶつかり、そこにはまだまだ豊富に毛根やらアデランスやらが、あー、少ないながらももじゃもじゃしている。
おい、どうする? 北極の方まで開墾するかとあいつが誘い、望むところだと俺は応える。何だかすっかり面倒になったので、シャンプーを手に取り、素早く激しく猛々しくあわ立て、そのクリーミーな巨大なキノピオの頭のようなシャボンを髪の毛に刷り込んだ。何だか白いアフロだな。俺はアイツに微笑んだ。一度くらいアフロにしてみたっても良かったな。アイツがおどけてジャクソン5。
二人して何故だか、『セイ・ユー、セイ・ミー』を歌いながら剃りまくり、気付いた時には鏡の中に途方にくれたハゲ頭が居た。すっかり湯冷めして、風邪までひいたハゲオヤジだった。
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内容に関するアピール
すみません。
タイトルをつけて、あ、これは反感を買うかもと思いました。
ある晴れた日の一人想いです。
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