未来銀行ブラジル・五反田支店

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梗 概

未来銀行ブラジル・五反田支店

ぼくは目黒川沿いの小洒落たイタリアン・レストラン兼バーでピアノを弾く。無名なので出演料はない。川をわたる風に吹かれて庭に出したピアノを奏でるのは心地よい。客は食事とおしゃべりに夢中だがぼくは気にしない。ぼくは紗織ちゃんのために弾いているからだ。シャンプーの宣伝に出られそうなほど美しいうなじと黒髪ポニーテール。女子大の学生で、バーテンのバイトをしている。ささやかながらも満ち足りた日々だったが、ある日エミリオという男が現れ、店の常連になる。浅黒い肌のイケメン、日本語が達者なブラジル人でボディー・タッチが多い。紗織ちゃんに積極的にアプローチをかける。彼女は困ったそぶりながらも気になる様子。ぼくは、エミリオのアラを見つけようと、客がまばらになった深夜、エミリオにカイピリーニャをしこたま奢ってあれこれ話を聴きだした。

「テンポ・エ・ディニェーロ」

「?」

「タイム・イズ・マネー、ですよ」

エミリオは、未来銀行ブラジル新規事業推進部から五反田支店に出向し時間貯蓄タイム・セービングサービスを試験運用している。間主観的時間を操作し、貨幣と同様な経済システムに組み込んで、預入と引出ができるらしい。単位は、1時間が1時レアル(real)、0.01時が1時センターボ。いくらブラジルがBRICSの筆頭とはいえ怪しい。とは思いながらも巧みな話術にのせられ、紗織ちゃんもぼくもオンラインで口座を開設した。

時間貯蓄は悪くなかった。ふれあいK字橋、池田山公園、ねむの木の庭など、五反田に6か所あるセーブ・ポイントがATMとして機能し、時間の出し入れができる。客の少ないコンサートに呼ばれることもあるが、ぽっかりとできる暇な時間をぼくはこまめに貯蓄していた。

ある夜、紗織ちゃんの顔が暗いことに気づく。取り返しの付かない過ちをしてしまい、過去に戻りたいのだと。貯めた時間で過去のセーブ・ポイントまで遡行できるらしい。だが彼女の時間貯蓄は1時レアルしかなく、遡行には足りない。個人間取引の時間為替相場では、紗織ちゃんの2時レアルはぼくの1万7千レアル、2年間に相当した。ぼくは、自分の人生2年間を前借りして紗織ちゃんの口座に振り込み、彼女の時間を2時間巻き戻した。しかし、次の日も彼女は笑顔を見せなかった。

これ以上前借りもできず、ぼくは時間銀行強盗を決意した。途中でエミリオに見つかるが、紗織ちゃんのためと丸め込む。時間庫を施錠する「白く輝く馬」の彫像がある「時の祭壇」の前に立つと、エミリオの制止を振り切り、手綱をもぎとる。馬は時間流の中に消滅し、蓄積されていた時間がだれのものでもない自由時間となって流れ出した。沙織ちゃんは時間を26時間巻き戻し、ぼくもその過去の時間に巻き込まれる。だがK字橋の上で、ぼくは沙織ちゃんがエミリオに告白して受け入れられるのを目撃する。

あふれた時間で、五反田の時の流れが少し緩やかになった。

文字数:1198

内容に関するアピール

拙作では五反田の日常の改変を「通貨ではなく時間を取り引きする銀行」とした。仮想通貨ならぬ時間通貨である。ブラジル銀行、川沿いのレストラン、「白く輝く馬」、K字橋などは実在する。これらの日常を一皮むけば異文化などの非日常が脈動している。してみると日常とは、極めて脆い、一種の幻想だろう。

本作は、トラジコメディーである。沙織は「ぼく」を利用し翻弄するファム ファタルである。銀行強盗はよくあるファルスの一パターンである。彼女の告白シーンまでは「ぼく」にもチャンスがあるように盛り上げ、その後に一気に生き地獄に突き落としてあげたい。そのカタルシスは、美味なものとなるだろう。だが絶望で終わるのではなく、沖縄のカチャーシー的カオスで締めくくりたい。

SF的な読みどころとしては、時間貯蓄と時間旅行の概念を組み合わせることにより新味を出したい。だが本作の性質上、あまり理屈っぽくならないようにする。

文字数:393

課題提出者一覧