マーシャル・テオの分解

選評

  1. 【山田:5点】
    はじめの文章の読ませどころで意味の取れない言葉が多い。ただし造語の言語感覚はかっこよく、ぱきっと説明もできている。センスはいいので、そのぶん最初の文章でつまずいてしまっているのがもったいない。好きな作家の文章を一度写してみると、ヒントが掴めるのではないか。また、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』のようなバックトーンを貫く感情がないので、背景を作って書き込むと、より奥行きのある作品になるだろう。加えて一人称を徹底すれば、より感動が高まるのではないか。気取らなくていいので、自分のセンスを貫くことをすすめたい。

    【井手:6点】
    とても楽しく読んだ。梗概のときに曖昧だった部分が実作では軌道修正できていたので、前回の講義の誰かのアドバイスが効いているのかも。物語の背景にある「人類の進化にまつわる巨大な罪を個人に負わせること」を是とする社会や、その文化的価値観が透けて見えるとなおよかった。また、ラストについては、SF的なアイデアで刑を終えてくれたら既存の同テーマ文芸作品ともっと差別化できたのだが。登場人物は饒舌すぎるきらいがあり、あまりに様々なことを説明してしまっているので、もう少し読者に叙情的な想像の余地を与える工夫がほしい。

    【大森:5点】
    ハーラン・エリスン『死の鳥』を思わせる長いスパンの話だが、この枚数でちゃんと読める作品になっていることに感心した。一方で、梗概からの伸びしろという観点では、あまり驚きがなかった。一番の問題は、「こんな刑罰、あるわけないじゃん」という読者からのツッコミを回避するアイデアがとくになかったところ。また、主人公の女性の口調(とくに語尾)がひと昔前の翻訳調(いわゆる女言葉)なのも気になった。物語で果たす役割上、不適切に感じられるので、もう少し気を遣ってほしい。

    ※点数は講師ひとりあたり8点ないし9点(計28点)を、2つの作品に割り振りました。

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梗 概

マーシャル・テオの分解

「私」の手元には古い写真がある。凡庸な先祖の顔が写っている。とてもあんな悪事を働いとは思えないほど凡庸な老婆の顔だ。まるで、悪そのものだ。

「私」は長い間、裁かれ続けている。そもそも罪を犯したのは8世代、900年前の「私」だ。かつての「私」は中脳変異に関する機能低下疾患の治療法を確立したことによって、結果的に人類の進化へ大いなる劣化をもたらした。その刑罰として課されたのは2,000年の禁固刑である。器質的に異なる存在へ記憶を転移することによって同一人物と認められた宇宙飛行士マーシャル・テオの裁判以降、あらゆる罪は緩慢な時間をもって贖われなければならなくなった。これまでの「私」は何度か脱獄や自殺を試みている。詳細はほとんど覚えていない。転移する記憶容量が増えるたび、苦しみと痛みの記憶だけが残るような仕組みになっている。

ある日、「私」に対して北アフリカ連邦更生局の研究員カミーユ・マンソンが接触を図る。長期反復形囚の釈放プロジェクトが始まったという。「私」が課されている刑の根拠は、別個体における同一人格の認定とともに、ピークアウト定理があった。地球の可用性——技術的および経済的発展——は人口増加によって支えられているが、地球表面積という限界によって人口増加がピークアウトしたことで可用性の増加は見込めず、せいぜい微増して平均を保つ程度、最終的には地球の高温化によって死滅するという宇宙理論。「許し」はあくまで可用性の増加が見込めた時代の遺物というわけだ。

カミーユの伝えるところによれば、そのピークアウト定理が覆る仮説が生まれたという。同一の人格を転移させ続けるよりも、あらたな人格を生んだ方が、魂の総量が増えるというのだ。「魂?」と、「私」は驚くが、カミーノは生真面目な金色の眉をひそめてうなずきかえす。カミーノは海洋生物への人格転移を提唱した。水産資源の増加は喫緊の課題であり、なおかつ、群れに対して人格を転移することははじめての試みだからだ。「私」は複数個体への人格転移という馬鹿げたアイデアに同意する。失敗に終わったとしても、罪からは逃げられる。

イワシの群れに人格を転移された「私」は使命であるペルー海流深海域での繁殖に邁進する。明確な意思と呼べるものはない。ただぼんやりとした原初的な使命感だけで、寒流の下を目指す。その後、20世代に渡って人格を転移され続けた「私」は再び人間へと戻る。結局のところ、何十年かでカミーユの仮説は失敗の判断を下されており、再び当初の長期反復刑に戻ったというわけだ。魚にまで堕ちた囚人を人間に戻すというその官僚的な努力に辟易しつつ、「私」はほの明るい記憶が残っているのを感じる。何度も経験した群れの絶滅が、これまでの苦しみを違った形に変えていたのだ。えも言われぬ恍惚。あまりにも優れていた故にそっくりそのまま生まれ変わったマーシャル・テオはこうはならなかっただろう。一度魚の群れに分解された「私」は、もう許されたようなものだ。罪は消えないが、許しは増えるのだ。「私」はふたたび放り込まれた独房の中でほくそ笑む。

やがて「私」は2,000年の刑期を終える。たまたま、凡庸な老婆の顔で、「私」は呟く。罪は贖われた。

文字数:1326

内容に関するアピール

罰と許しというテーマを選びました。私は昨日、アメリカ旅行から帰ってきて、その日は妻の誕生日でした。私は人の誕生日を覚えないたちなのですが、妻はそうではなく、私がプレゼントを用意しなかったこと、そして、「おめでとう」と言わなかったことを「それはそんなに難しいことなの?」と責めました。私は私で、参加すべきイベントを中座してフィラデルフィアを駆け回ったこと、帰ってきた日は時差でフラフラになっていたこと、フィラデルフィアの美術館でフリーダ・カーロの靴下を「つなぎ」として買っておいたことなどを理由にあげましたが、妻の怒りは収まらないようでした。私は今日、あらためて3時間ぐらいかけて妻のプレゼントを探し回り、挙句散財しました。

罰を与えることは結局のところ、許していないのと同じです。さりとて、すべてがあらかじめ許されているということも想像しがたい。そんなわけで、今回は罰すべきか許すべきかという対立を軸にしてみました。幸いにいたる道はありません。

フリーダ・カーロの靴下
フリーダ・カーロの靴下

文字数:432

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マーシャル・テオの分解

——息がつまりそう。そう思わない? ねえ、リカ、ほんとうにここから出る手立てはないと思う?

——わかるわけないじゃない、そんなの。誰もやったことがないんだもの。それにそんなことをやろうと思ったことさえないわ。

——わかってるわ、ここが私たちの国だってことぐらい。でも本当に手立てはないと思う?

——どうかしらね。もし仮によ、ここではないどこかへ行ける人がいるってんなら、それはもう人ではなくて、神様か悪魔みたいな代物に違いないわ。

ススム・ソザイ『草魚の眠る沼』

私は写真を眺めた。写っているのは年老いたマーサ・ジョウで、プールサイドのデッキチェアに腰かけている。白と黒のボーダービキニは少し見苦しいが、当時の流行だったのだ。隣には同じく年老いた男がいて、東洋人だ。細身だが、筋肉質で日焼けもしている。禿げ上がった頭もサカヤキのようで、極東的な男らしさが感じられる。そして、彼のその男らしさと老婆の女らしさの証左として、デッキチェアの手前に広げられたレジャーシートの上には四人の男女がいる。それらすべてが、年老いた夫婦の子供だ。まだ結婚はしていなかったろうが、それはその時代の習慣だった。野生と文明の間を取るような年齢で慌てて子を成すのが当時の流儀だった。四人の子らはそう遠くないうちに子供を持っただろう。家族は自信に満ちていた。子を産み、地に満ちよ――聖書的傲慢さが、家族団欒の温かみをまとって輝いていた。

その写真は、五千年の時を経ても色褪せない写真技術と謳われたヌーテロタイプが開発されたばかりの頃に撮られたものだ。まだ五千年経っていないので、本当に色褪せないのかどうかはわからないが、ちょうど揮発性の記憶保存に疑義が呈された時期だ、わざわざ印刷する手間を人々が粋だと感じたのだと思う。そんなものは酔狂だと笑い飛ばしたいところだけれど、私がこうして九百年経った今もその写真を見ることができているのだから、ヌーテロタイプもそれほど悪い筋の技術ではない。少なくとも、いまのところは。この部屋には死んだものしか持ち込むことができないのだ。

そう、九百年も経っていた。家族の多くはみんな死んでしまったし、子孫たちはあまりに縁遠かった。残ったのはただ一人、この写真の中でボーダービキニを着ている老婆だけだ。厳密に言うと、生き続けているわけではない。あの英雄、マーシャル・テオがごとき再生を医療的に行なっているだけだ。そしていまもこうして写真を眺めている。写真に写る年老いた自分の顔を眺めていると、とても不思議な気分がする。だって、この老婆は――八世代前の私は――とても平凡な顔をしているから。

転移を行うごとに記憶の劣化が進んでいることは明らかだ。私を観察した実験結果について、私は知らない。それに、私がかつてなしたと言われている罪についても知らない。もう私には有罪判決を受けた時の知識はないのだ。私は自分の成し遂げた学問的功績についても、なぜ自分が長期反復刑を受けなければいけないのかも、あまり深く考えることはできない。感情はかなり薄れていた。私にとっての人生は標準分布のグラフほどにしか意味を持たなかった。ただ裏切られたという感情だけが冬の興り火のように暗闇でちらついていた。

こうした感情全体の悪化が果たして償いにつながるのかどうかについて私は懐疑的だ。私はあらゆることに麻痺している。人格の転移は第二次性徴がはじまる時期に完成するとされているが、最初からすべてを完全に覚えているわけではない。記憶は常にデジャビュとして再習得される。あらゆる出来事が驚きや怒り、喜び、悲しみといった感情をもって受け止められ、そういえば自分はこれを知っているという納得をもたらすのだ。事実、いまの私は少女の頃、男を知ったように生きてはいなかった。つまり、反省や悔悟の深化などない。転移されるたび、私は新しい人生を生き直している。そして、私が昔にしたことは私からどんどん遠くのものになっている。何世代も前の私が犯した罪を償わなければいけないと考えているのは人間ではなく、生命のない制度だった。

老婆になった自分の写真を眺めているときだけ、私はほんの少しだけ私のことを好きになれた。かつて私は優秀な脳神経学者だった。同じく学者の夫と四人の子供を持ち、人生に求められるほとんどすべてを手にしていた。そろそろ孫の顔を見たくなった頃、人類史上はじめて中脳変異疾患の臨床手法を確立した廉で人類進化上の罪に問われた。私は統計的な罪と呼ばれるものによって断罪された数少ない人類の一人だった。考案されたばかりの長期反復刑が適用され、すべての自由(死ぬことも含めて!)を奪われた。私の身柄はアジアから遠く離れた北海の上、かつて海上石油プラントだった場所に拘束されることになった。私は刑期を終えるまで、釈放されない。減刑を求めた夫や子供も、転移によって私が生きながらえているうちに亡くなった。自分のものではないように思えるこの私の人生を、この写真に写る老婆は確かに全うしかけたのだ。二千年に値する罪過を生んだとは思えないほど平凡で幸福そうな顔をしている。まるで、悪そのものだ。

私はカミーユ・マンソンの命により、太平洋プランに従事する。それに伴い、いまの気持ちを率直に書き残しておこうと思う。とりわけ、私にとって思い出深い四人の人物について。

エマ・シムは私が二十歳の頃から十五年間にわたって専任刑務官だった。特に思い出として深く刻まれているのは、彼女の配慮によって出張書店が来てくれるようになった日! とても嬉しかった。この三世代というもの、私は新しい本を読むということがなかった。投獄当初は服役囚への人権意識が高かったため、自由に外部との連絡が取れたようだが、二世代目に社会情勢はより管理的に変わっていた。ネットワーク接続が断たれた当初はカリフォルニア症候群になったらしいが、どんなものにでも人は順応する。私は大昔の人類がそうであったように、環境を飛び越えてまで人と接したいという激しい欲望を持たなかった。

手に入れることのできる書籍は古びた人文書が主で、自然科学に類するものは児童書以外読むことができなかった。人文書のうち、臨床心理や心理作用に関する書籍がごっそり抜け落ちていることから、おそらくは私が刑務官と接する際に心理的なコントロールを用いることを避けようと思ったのだろう。このフル・ヤーハト刑務所が北海の只中にあるのも、脱獄を物理的に不可能にするためとのことだ。物理的な距離だけが未知の可能性に挑むための唯一の武器だということを証明したシュトムンゼンの限界定理以降、およそ例外的な存在は辺境の地に追いやられていた。

書店員はノルセンといって、故郷のライデンからドローンを飛ばして私に本を届けてくれた。ラップを解くと、中にはいつも手紙が入っていて、その本をなぜ私が読むべきなのかについて書かれていた。ある時、地球の人種が収斂しつつあることについて書かれた『新しい離散』が届いたのだが、そこには彼の写真が同封されていた。私より少し年若く、わずかな褐色の肌を帯びたユーロ・アフリカ系の若者だった。彼は手紙の中で、こう書いていた――この本は巨視的な問題意識で書かれていますが、人類の均質化に警鐘を鳴らすというより、地球全体がある意思によって調和へと導かれていることを楽観的な視野で描いています。ほら、同封した私の写真をご覧ください。この世界のどこにでもいるような顔をしているでしょう? この本はこうした現実を予見した本なのです。

ノルセンの写真をそっとボックスにしまうと、次の日、私は自分の写真を送る申請を出した。刑務官によれば、ノルセンが支援者として通信の監視を受け入れるのであれば送付自体は可能だったが、私には送るべき写真がなかった。手元にある一枚は老婆の私だし、せめて送るなら今の三十二歳の私(できればもう少し若い頃の私)の写真を送りたかったのだが、画像データを外部に送ることは保安上の理由から禁じられていた。私はひどく落胆した。そう、恋に落ちた私は、太古からそうしていたように、自分の写真を見てもらいたかった。そして、素敵だね、と言われたかったのだ。

たぶん、転移を繰り返すたびに恋に落ちていたのだとは思う。そんな記憶がある。でも、いまの私は転移してから一度も恋をしたことがない。職員はすべて女性だったし、もしかしたら、一度も恋に落ちることなく、敬虔な修道女のように生涯を終えたこともあったかもしれないが、私には確信があった。きっと、誰かを好きになれば、私はその喜びをかつて知っていたものとして学び直すはずだ。

私はなんとかしてノルセンに写真を送る方法がないかどうか、エマに相談してみた。エマは「あなたは熱心に絵を学ぶべきだったのよ」と答えた。二世代目以降、服役中の義務として、私はなんらかの身体的技能の習得をしなければならなかったのだが、当時の私はビリヤードやダーツといった手先を使うスポーツを選んでいた。

「技術習得の継承が転移でも有効なことはわかっているのだから、絵を学べばよかったの。そうすれば、鉛筆でもなんでも、あなたの絵を送ることはできたわ。鉛筆で写真のような絵を描くことはできるんだから」

「でも、それは結果論」と、私は反論した。

「それはそうね。でも、なんらかの芸術的なことを習得していれば、そのノルセンとかいう彼もあなたのこと素敵だと思ったはずよ」

私は反論しようと思ったけれど、やめた。二世代目の私がスポーツを選んだのは、ただ単に得意だったからだ。それにそのときはまだ、いまほど芸術的なものの価値が高くなかった。人類史において、いまほど芸術の価値が高いのは中世以来のはずで、そんなことを当時の私が予見できるはずはなかった。

「そんな実らない恋より、アーディのことはどうしたの?」

エマはからかうように言った。アーディは、私が幼い頃、転移の完成を待つ前に恋に落ちていた絵本の中の主人公だ。インドのお話で、人食いヒョウから村を守る勇敢な少年。

「たしかにずっと長い間、私はアーディに夢中だった」と私は答えた。「口の周りに産毛を生やしてる年齢ぐらいまではね。でもね、ある日突然、そんなものは偽物だって思う日が来たの」

「マーサ、それはたぶん転移のせいね。だって、想像上の人に恋をするのはちっとも変じゃないし、偽物でもないもの。そうやって想像上のパートナーに恋い焦がれたまま一生を終える人はたくさんいるじゃない」

「それは知ってる。でも、私はそうじゃないの。恋に落ちればすぐにわかるのよ」

エマは不服そうだった。私は彼女が信仰に生きていることを知っていた。何度か、信仰に勧誘されたこともあった。しかしいつも、「古い人は違うわね」と言って、私に譲るのだ。エマは他者の心をけして侵そうとしなかった。たぶん、自分がそうしてほしくなかたからだろう。

私はその後、ノルセンに長い手紙を書いた。エマはそれを渡してくれたが、返事はなかった。たぶん、追跡を拒否したのだろう。私の恋は終わった。この人生で最後の恋だった。エマは私を慰めるためか、「どうせ大した男じゃなかったわよ」と言ってくれた。

ススム・ソザイという、さして有名でもない人間のためにも、私はこの文章を捧げたい。というのは、彼に会ったことがあるからだ。その確信が私にはある。

ソザイはそれほど著名な人物ではない。生まれたのは千年も前で、三十歳まではとるにたりない日系中国人の法学徒だった。学問の世界でそこそこの業績を残した彼は、三十五歳(ちょうどいまの私と同じ歳!)のときに、小説家としてのキャリアをスタートさせた。彼の最初の商業的な成功をもたらした作品は、多くのベストセラーがそうであるように、いまではもう誰にも読み継がれていない――ちなみにタイトルは『草魚の眠る沼』で、ドグマティックな成長小説だ。中国の国民的作家と呼ばれるようになったソザイは、創作よりも世論形成に没頭した。具体的には、上海道徳集体の設立である。当時、帝政ローマ以来と言われるほどの権勢を失いつつあった中国は、炭鉱のカナリアさながら、その後世界的な問題となる食糧危機に直面していた。いまでこそ考え辛いが、ほとんど動物的な生活を送る貧しい人と先進的な生活を送る富裕層が高い緊張状態の中で同じ国家に生活していたのだ。生物として譲ることのできない飢えを内包した社会を変革するために、当時の人々が歓迎したのは、科学技術の進展による飢えの解消ではなく、倫理的なコントロールだった。その全世界的な合意の形成プロセスにおいて、ソザイは中心的な役割を果たした一人だった。科学が倫理に敗北した歴史的転換点がどこであれ、ソザイが中心となって作り上げた上海道徳集体の心理的な骨子は国際倫理規定の中心部へと深く入り込んだのである。

長期反復刑囚に許可された年間三十クエリの大半を注ぎ込んで私は有罪確定当初の時代資料を集めたことがある。その中にあったソザイの画像は、保存期間が切れるまえ一瞬目にしただけだったが、私に深い確信をもたらした。私はこの人を知っている。会ったことがある。それも、あまりよくない状況において。一目見て、私はソザイを憎んでいたことを思い出した。その憎しみには侮辱されたときの絞るような痛みが混じっていたから、正面から憎しみを出せるような状況でもなかったのだと思う。おそらく、私がはじめてソザイに会ったとき、彼は十分に偉くて、私は彼にへつらいながら侮辱されたのだろう。優秀な学者として自立した女性を体現していた私も、お追従の一つや二つ、述べたかもしれない。ソザイの顔を見たときのデジャビュ、そして、そのデジャビュ自体にも再帰感があったから、おそらく私は何度もソザイを思い出してきたのだろう。

私は学者としてのキャリアの最晩年に、国際倫理規程の一つ、人道および調和に対する罪に触れ、有罪を宣告された。私がほんとうに若かった頃に発見した中脳変異疾患の治療法は、三十年の時を経て人類の調和に対して看過できない悪影響をもたらしたというわけだ。私を断罪した法的概念によれば、治療の発見によって人類は劣化した。本来であれば淘汰されるべきだった器質が温存され、悪しき棘として残されたのだ。地球の表面積には限りがあり、二百五十億の人類を支えるためには人類の性能限界をいたずらに試す進歩よりも、全体の量的調和を尊ぶべきであるという倫理が、もうそろそろ孫の顔も見ようと老婆を罪人にしたのだった。

我々は自らの領分にとどまる努力をしなければならない――ソザイは自著で繰り返し「領分」について主張している。この言葉は、少なくとも私が知る限りでは、新しい言葉だ。ソザイ以前にも存在していたが、あまり一般的な用語ではなかった。私はこの「領分」という言葉に抵抗を覚える。控えめのようでいながら、とても傲慢な響きを持っている。それは与えられた人々の言葉だということを、みんなすっかり忘れているのだ。人類の数千年におよぶ歴史において、領土を保つことだけで進歩した試しはなかった。その進歩への意志こそが悪だとするこの世界では、困難を抱える人々を治療することによって人類に寄与したいという私の願いも余計なお世話だったということだ。ソザイの主張はいまではピークアウト仮説として、かなりの正しさを持って受け止められている。たしかに、この五百年というもの、地球の人口は増えていないどころか、減少しつつある。そして、相対技術発展率は十三世紀の水準まで低下している。これらすべてが私の悪をよく語っている。

もし叶うのならば、私はソザイともう一度話してみたい。そして、私が抱いた素朴な正義が、彼の正義とどのように異なっているのかについて、議論を戦わせたい。

そして、この文書を残すよう私に命じた友人、カミーユ・マンソンについて。

はじめてカミーユに会ったときは、いけすかない女だと思った。彼女は自分の肩書き(北アフリカ連邦更生局特別研究員)を名乗ったあと、私がマスターべーションをするかどうか尋ねてきたのだ!

「単純に興味があるのよ」

そういって、ニヤニヤしながら、彼女は私の返事を待った。当時の私はまだこの研究員とどう付き合って良いかわからなかったので、なんとかしてはぐらかそうと、鈴製のグラスに入ったマテ茶のストローをしきりにかきまぜたりしたのだが、だんだんなんだこのマテ茶とかいうわけのわからない飲み物は、などと段々と怒りが募ってきて……そもそも私のような特殊な状況に置かれた人間にとって性的な事柄を話されてもどうしようもない。そう、彼女は典型的なシフターだった。この人類がひしめき合う星で子孫をなすことを早々に無意味と断じ、十九歳より前に子宮を摘出し、整理痛とも更年期障害とも無縁の体を手に入れて、思う存分自分の好きなことに人生をシフトしているのだ。

「私はそういうことを人に話したいと思わないわ」

私は答えた。カミーユは白衣の襟を両手でつまんでおどけたような表情を作ると、「ウプシッ」と息を吹いた。

「ごめんね、私、無遠慮なの。インテリだから。でも、あなたも同類だと思ったから、怒らないと思っちゃったわけ」

「私はインテリじゃない。昔はそうだったのかもしれないけれど」

「だめよ、嘘ついちゃ。見たんだから、チェイナーの数字」

私はこのとき、この軽薄な女科学者の地位が思ったよりも高いことに気づかされた。遺伝型深層学習機チェイナーにアクセスできるということは、彼女はこの長期反復刑という法体系において、全権を委任されているのに等しい。

「あなたのコネクトームの複雑さと再現性は、転移者の中では群を抜いているわ。ということは、ほとんど前世の知的能力を保っているといえるわけ」

「私は嘘をついているわけじゃありません」

「ええ、わかるわ。私も転移者だもの。まだ二世代目だけど」

「そうなんですか?」

「ええ、でもあなたと違って私は自分の選択として転移したから、当然シフトしてるわよ。それに、転移スコープも寿命じゃなくて、自分の子供への譲渡だし」

「何歳ぐらいのときに譲渡したんですか?」

「あら、ずいぶん興味あるのね。レズビアン? いいわよ、私は」

カミーユはそういうと、椅子の上で両足をぱかっと開いた。真っ赤なスカートの奥に、彼女の下着がのぞいている。なんて下品な女なんだろう。この刑務所で会う他の人間とは凄まじい違いだ。でも、こういうものなのかもしれなかった。自分の意志で転移したということは、かなり裕福な家庭の出なのだろう。しかも、その裕福な家庭で子供を残さない決断をしたということは、研究者としての強い野望を持っているか、家庭に不和があったかのどちらかだ。そうしたエリート中のエリートにとって、露悪的な冗談をすることなんてなんでもないのかもしれない。外の世界と隔絶された私には、あらゆる社交が想像の埒外にあった。

私が黙ったままでいると、カミーユは広げた足を元に戻して「ごめんなさいね」と舌を出した。それからテーブルに載せられたマテ茶のストローをすすると、ノートパッドを取ってそれを覗き込んだ」

「一応、私の態度を表明しておくわ。お察しのとおり、私は研究者よ。それも、人間再現学のね」

「ということは、私はラットということになりますね」

「そうかしら。私も自分で転移しているから、ラット同士ってところじゃない? まあ、いいのよ、それは。本題に入るわ。私の研究テーマはまさにコネクトームなんだけど、神経回路がまったく同じであることによって人格が再現されたとするというテーゼに懐疑的なのよ。部屋の配置がまったく同じでも、同じ家に住んでいるわけじゃないからね」

「それなら、もう私という存在が結論づけているんじゃないですか? 神経回路を再現しても、人格は再現されない。かつてインテリだった私も、いまでは弛緩した脳を持つだけの囚人。以上、QED」

「そうなんだけど……テーゼは社会が決めるものだからね。私はなにも、再現学を転覆させてやろうとか思ってるわけじゃないのよ」と、カミーユはスタイラスで金髪の頭を掻きながら続けた。「私の研究テーマは連続性なの。つまり、神経回路の再現を肉体的に行ってそれで人格再現完了っていうのはともかく、普通の人間は連続した人生を生きるわけじゃない? その連綿とした繋がりが、人格を人格たらしめてる。でも、普通の転移者の人生は、転移後大きく変わるわ。だって、生まれ変わっちゃうわけだからね。その点、あなたのような長期反復刑囚は違うわ。あなたなんて、もう八世代も似たような場所で転移を続けている最古参よ。そういう意味で、このフル・ヤーハトは最良の場所なの。私たちの学会では、ヤーハトに行くなんていったら、カジノで大勝ちしてモルジブにバカンスに行くより羨ましがられるのよ」

「研究には協力しますが……そんなに有意義な結果は出ないと思いますよ」

私がそう言うと、カミーユは「あなた、二回自殺してるわね」と意地悪く笑った。

「まず二世代目で一回、続いて四世代目で一回。でも、その後はまったく自殺をしていない。これは永遠に続く人生に慣れたと言えるわね。それとも、いまでも死にたいと思う?」

「死にたいというよりは、このまま生きていてくはないですね」

「でも、あなたの刑罰はずっと生きていることなわけ。苦しんだまま。そうじゃないと償いにならないのよ」

「そうですが……転移のたびに感情は薄れていってます。忘れるのは脳の機能ですから」

「それはそうね。あなたと同じぐらい生きているのは、マーシャル・テオぐらいしかいない。あなたはこの地球の誰よりも、過去を振り返る能力に長けていなければいけないわけ。囚人なのにね。これはおかしなことだと思わない?」

私はどう答えてよいかわからなかった。おかしいに決まっている。だが、それを正直に伝えたらどうなるだろう。そんな私の不安を見越してか、カミーユは「かつてはね」と続けた。

「長期反復刑とはいかなくても、禁錮一万年なんていうバカみたいな刑罰はあったのよ。でも、それは終身刑が最大の刑罰だった時代の話ね。人を二人殺そうが、十人殺そうが、同じ終身刑じゃ八人はどこいったってなるでしょう。もっと昔は残酷に殺す死刑があったし、一部の国ではまだ銃殺が残ってるけどね。とにかく、転移をしてまであなたに刑罰を与え続ける法学的な根拠はなに?」

「なにって、社会がそれを許さないからでは?」

「半分正解。もう半分は……そうね、専門用語になるけれど、ピークアウト仮説は知ってるかしら?」

「いいえ、すみません。なんの用語でしょうか」

「価値計算学というのがあってね、これはなんていうのかしら、ある価値体系がなぜそのような価値体系を持つに至ったかを超越的な視点から眺めるための計算機科学なんだけど。これがなかなか優れててね、学問としてやることはデータのインプットと、中間言語への変更ぐらいしかないんだけど、思いもよらなかったような発見が見つかることが多いの。そうね、遺伝病の発見なんかではよく使われてるわ。でね、それによると、人類の科学知識の発見が停滞している理由が耕地面積の不足と相関にあることがわかってるの。これは有名だから知ってるわよね?」

「はい。それは知っています」

「そう、さすが物知りね。でも、その価値計算学っていうのは、いきあたりばったりな学問だから、わけのわかんない相関を大量にストックしているの。気候と妊娠しやすさの関係とか、猿の身長と人間の身長の相関とかね。で、その中の一つとして、刑事罰の厳罰化と耕地面積の減少に相関があることがわかってるわけ。要するに、ある社会における許しの許容度を社会計量学者なんかはソーシャルバッファって呼ぶんだけど、要するに、耕地面積が増えなければ人口も増えないし、人類も増えない、そうなると社会の発展性が低下するから、ソーシャルバッファは低下するわけ。だって、発展しないんだったら現在のミスを将来に取り返せる見込みもなくなるでしょう」

「それはそうでしょうけれど……この世界が技術的に停滞していることは長い間変わってないですよ。これから変わるとも思えません」

「あら、あなた、ここから出たくないの?」

カミーユの目には冗談めいたところは少しもなくて、もしかしたらこの人は私を助けてくれるのかも、と信じさせる真摯な輝きを帯びていた。本来なら、私が正直なことを言ってしまえば、処遇が悪化する可能性はあったのだけれど。

「できれば、私は刑期を終えることなくこの刑罰が終了することを願っています」

「それはつまり、罪を償いたくないといういことからしら」

「罪を償いたくないというより、私にはそもそも罪を犯したという認識がありません。仮にあったとしても、九百年も前のことですから」

カミーユはスタイラスを動かさなかった。私の告白が意味のあるものとして記録されなかったことに深い安堵を覚えた。いつわらざる私の告白だ。それからしばらく、私はカミーユと自認について話しあった。これまでもの面接でもあったように、私が私の罪をどのように認識しているかという質問だ。一通り終えたあと、カミーユは席を立った。そして、面会室を出るときに「私にいいアイデアがあるのよ」と年かさの少女が秘密を共有するようにウィンクした。

最後の一人はマーシャル・テオについて書く。私は一度もマーシャル・テオに会ったことがない。私が読んだ情報が間違っていなければ、彼はいまもコペンハーゲンの自宅で過ごしているはずで、エコール・シューペリウールの名誉教授としてときおり教壇に立っているはずだ。国際的な行事にもときおり顔を出し、世界的なアイコンとして存在し続けている。威光という点ではローマ法王ピョートル十五世でさえ彼には及ばない。

これは私のごく個人的な感想だが、いまも生き続けているマーシャル・テオはペテンのようなものだ。なるほど、英雄的な冒険旅行から帰還し、その後悲劇に見舞われた宇宙飛行士、しかもそれが美男子となれば、ぜひその生命を存続させなければならないというのもわからないでもない。しかし、彼は特別だった――つまり異常だったわけだ。異常な例から始めざるを得ないのが、医学の絶望的に愚かな点だ。美しく、賢く、強いマーシャル・テオを難病から救おうという、その市民的な感情によって、マーシャル・テオ判決は下された。器質的に異なる存在へと人格を移すことによって同一人物と認められるようになった。私から言わせれば、シャルリオン学派の唯一性定理や「排斥者の義務」など単なる言い訳に過ぎない。

マーシャル・テオ判決がなかったとしても、きっと健康はお金で買うものになっていたと思う。長く生きること、そして子孫を残すことは贅沢品になった。ある哲学者が言ったように、一人一人の人間の地位は人口が増えるほど低下しているのだ。お金がなくて生きることを諦めのはとても自然なことだ。これは千年以上前から自死の習慣はあったし、ノルウェー鼠のように、自死を集団維持のメカニズムに取り込んでいる生物種も存在する。宇宙進出の夢を断たれ、地表を耕地として覆い尽くしてなお人類が飢えている状況を考えれば思想的に縮小あるいは維持を志向するのも無理はない。子を成し、地に満ちよ——聖書に刻まれたその言葉は、人類がこの星にとって取るに足りない存在だった時代のおまじないだ。

それでも、私には納得がいかない。コーエン経済学派が主張するように、人類の進歩は長い間人口の増加によって支えられてきた。この世界には優れた人間の密度を上げようとする優生思想がはびこっているが、それは私たちを退歩させている。その象徴がマーシャル・テオだ。彼という個人を存続させることこそが人道および調和に対する罪だ。

私はいまでも不思議に思う。これほど自然科学が退化し、ほとんど宗教的といってよい倫理学があらゆる学問に蔓延していることを。人々が自らの可能性を諦め、閉じた世界の中で自らの奴隷になっていることを。

もしこのような世界を作った犯人がいるとしても、マーシャル・テオは捕まらない。彼は空っぽの偶像だからだ。二〇四八年のニューフォボスステーション建設事故から帰還したテオは、実のところ大したことはしていない。無謀な建設計画と、それに起因する労働災害から生き残っただけだ。しかし、だからこそ彼は偶像足り得ている。宇宙開発という分野で無能であり続けていた人類の汚点を隠すために、困難の象徴として崇められているのだ。彼が英雄であり続ける間は、いまも人類は宇宙開発を続けようとしているが、この五百年というもの、目覚ましい進化はなかった。ステーション建設という観点からは八〇〇年前よりも退化しており、ほとんどロストテクノロジーだ。誰もこの星から外に出られることを信じていない。

マーシャル・テオが死ねば、人々は気付くだろうか。人類だけが自ら種を作り変える潜在能力を持っているということに。人口増による食糧難もいずれは解決可能だろう。そして、解決をもたらすのは選ばれし英雄とは限らない。思いもよらない解決策が、考えてもみなかったところから提示され、歴史は大きく書き変わるのだ。

以上で、私マーサ・ジョウが書き残しておきたい人々についての記述は終わりだ。私はこれから寒流プランに参加することになる。長期反復刑が執行されてから、はじめての——そして、おそらく最後になる——外出だ。

寒流プランについてはじめて聞いたときは、カミーユの頭が狂ったのかと思った。それか、もともと完全なバカだったのか、と。でも、彼女の提案はあらゆる意味で魅力的だった。

まず、外出できる。どんな形であれ嬉しい。きっと私はそこで色々なものを思い出すだろう。

次に、失敗しても自由になれる。かりに寒流プランにおいて人格の分散が失敗に終わったとしても、私という人格が消滅するだけだ。

そして最後に、成功すれば人類は再び進歩することができる。

こうしたことどもをすべて合わせて考えても、悪くないプランだ。

明日、朝の九時になったら、私は白く長い廊下を通って複合型医療室へ移動する。普段はけして訪れることのない、転移ぐらいでしか使わない医療施設だ。先日、はじめて中を見せてもらったが、分散手術のために巨大な水槽が横付けされていた。そこには私の人格を転移される予定のマイワシが群れになって泳いでいる。私はそこで凍結される。すべての循環器系を止められ、生きても死んでもいない状態になるのだ。

その後、このヤーハトが誇る医療スタッフたちの手によって、私のコネクトームが転写される。この量子データを減算してコネクトーム・マップが作成される。コネクトームマップはイワシの脳に分割されてコピーされる。イワシ一匹の脳でも二テラバイトもの情報を保存できるというのだから驚きだ。そして数千匹のイワシが群れとなって私の人格を転写する。

カミーユの説明によれば、イワシを始めとする魚類には群れの意思疎通を測るテレパシーのようなものがあるらしい。専門的にはよくわからないが、ここに私の意志を司る部分が相当するようだ。群れとして行動する秘訣があるのかカミーユに尋ねたが、「わかるわけないでしょ、やったことないもの」と笑顔で一蹴された。たしかに、固体集団への転移ははじめての試みだ。

「世代交代はどうするんですか?」

私が尋ねると、カミーユは「一応考えてるわよ」と前置きして答えてくれた。なんでも、イワシの群れはコネクトームマップを上書きするナノマシンに感染されるらしい。名前はチーヌイ。フィンランドの方言で「魚の脳」転じて「バカ」という意味だ。チーヌイは自己複製こそできないものの、個体間を移動してコネクトームマップを読み書きすることができる。鰯の体内に入ると、まずは脳幹を目指し、その次に別の個体への感染を繰り返す。自分以外のチーヌイに出会うと、お互いに情報を交換する。この情報は酢酸データベースに圧縮して蓄積されるので、最終的には一体でもチーヌイが残っていれば、コネクトーム・マップが再現できることになっている。鯨に襲われて群れが全滅することも考えられるので、私の凍結時の情報を持つチーヌイを撒き餌に練りこんで鰯の群れに定期的にばらまくそうだ。「問題は無限に近いバージョンが生まれてしまうことなんだけどね。まあ、なんとかなるでしょう」と、カミーユは嬉しそうに話していた。

太平洋に広がったマイワシの私は、うまくいけば複数の群れとして存在する。使命は個体の数を増やすことだ。一生懸命プランクトンを食べて、卵を産む。オスの個体なら精子を卵に向けてに放出するのだろう。ときには鯨の群れに食べられ全滅することもあるだろう。また、這々の体で逃げ延びたところ、同じく私が転移したイワシの群れを見つけて「やあ、助かった」なんて仲間入りするだろうか。いちばん興味をそそられるのは、果たして私は意志を持ち続けられるか、という点だ。チーヌイのネットワーク機能がうまく働かないこともあるだろうし、そもそも私が意志を発露しない可能性だってある。私がカミーユと交わした約束は、個体数を増やすことだ。いや、彼女の言葉を借りれば、「魂の総量を増やすこと」だ。イワシでもヒトでもかまわない、魂の総量が増えることで、この星の力は増していく。ほとんどオカルト的といっていい彼女の仮説だったが、たしかに、その考えは私とも一致していた。

手術がはじまると、すぐに意識はなくなる。仮に私の意識らしきものが残っても、もうこうやって物を書いたりするほど明瞭なものではないだろう。この文章を書き終えたら、私は眠りにつく。そして、朝六時に目を覚ましたら最後の朝食を取る。メニューはハムエッグと玄米パンだ。コーヒーは飲んでもいいらしい。その後、シャワーを浴びて手術着に着替える。一時間ぐらい間があるので、カミーユと話をしようと思う。そして、あの年若い友人に対して「最後に一発ヤラせてあげもいいですよ」とジョークを言おうと思う。それでなくても、抱き合うぐらいはさせてもらいたい。もうこれで私はこの世を去るのかもしれないのだから。

それでは、誰であれ、この文章を読んでいるあなたへ。さようなら。

3082E:12M:11D:12報告書

私、マーサ・ジョウは寒流プロジェクトの結果について以下のように報告します。

まず最初に私の命を救ってくださったスタッフの皆様に感謝を。

さて、目覚めてからしばらく、私は混乱状態にありました。医療報告書にある通り、呼吸を上手くすることができず、あらゆる不随意運動が不完全でした。あとになってから冷温保存されていた私の肉体の不具合だということを知りましたが、当時はほとんど意識がなく、ただ自分の身体がどうなってしまうのだろうという不安だけがありました。

その後、神経適当への治療がうまくいくと、私は徐々に記憶を取り戻しました。説明を受けた限りでは、六十九・九八パーセントの記憶しか戻っていないようですが、いまのところ違和感はありません。記憶の欠落については、私自身思い出しようがないので、それが復元の失敗だったのか、私が単に忘却しただけなのかについては説明しようがありません。

マーサ・イワシだった頃の記憶についてはほとんど残っていません。何を見たとか、何を食べたとか、そういった記憶がないのです。おそらく、そうした思い出は人間ぐらい高度な生物ではないと存在しえないのだと思います。チーヌイに不具合があった可能性もありますが、それは私に認識できることではありません。ただし、捕食されるときの恐怖については強く残っています。具体的に覚えているわけではありませんが、その恐怖の種類には大小があり、小さい方は個体として襲われる時のもの、大きい方は群れ全体が襲われた時のものでしょう。ただ、私がそうした感覚を知っているというだけで、恐怖は蘇ってくるわけではありません。そういえばそんなことがあったな、という程度のものです。

私が寒流プロジェクトに協力しようと思ったのは、嫌疑をかけられている反省の欠如というより、その方が人類に寄与すると思ったためです。プロジェクトの提案自体はカミーユ・マンソンから受けたもので、私がそのように仕向けたということはありません。そもそも、私は転移を集団に対して行うことが可能だというアイデアさえ持ちませんでした。私が魂について言及していることも、群体転移からの人間への感染を目指していたわけではなく、人口を増加させることが私の罪に対する償いとしてもっとも適していると考えたからです。

ぜひ査問委員会の方々には、すでにマイワシになってから四十三年が経過していることを酌量していただければ幸いです。また、太平洋部におけるマイワシの個体数は五万トンにまで増加しており、これは乱獲されていた時代から倍するものです。もちろん、私の意志によってマイワシの繁殖が成功したと主張sルウ根拠はなにもないのですが、食糧難に寄与するところが多少あったと認識していただけると幸いです。

カミーユ・マンソンに対しての怒りなどはありません。彼女の提案が脱法的だったとも思いませんでした。実際にこうして私がマイワシに転移してから元に戻ったことを考えても、プロジェクトの副次的な目的は達成されています。群体転移を悪用することが技術的に可能なのかもしれませんが、それは別の問題だと私は考えています。マンソンが研究に対して真摯に向き合っていたことは素人目にもわかりましたし、もうすぐ七十歳を超えて老齢にさしかかり、あとは孤独に死を迎えるだけの彼女に対し、どうか慈悲深い決断を下していただけますようお願いいたします。

それでは、繰り返しになりますが、魚の中に散らばっていた私の人格を再び戻し、このフル・ヤーハト刑務所に戻してくれたスタッフの皆様に感謝を。そして、私のこの報告に査問委員会がより感情を抱いてくれますように。

マーサ・ジョウ

* * *

フル・ヤーハトから出所した朝、ホバーカーが迎えにきてアムステルダムまで運んでくれた。欧州連邦裁判所で幾つかの手続きがあったので、私はしばらく滞在した。動物園の近くにある、二つ星のホテルに泊まった。朝食はヨーグルトとオートミールだった。私は入所してから以来はじめて乳製品を食べた。ああ、私はその味を知っていた。爽やかな酸味となめらかな舌触り。ウェイターにイミテーションかどうか尋ねたが、彼は気分を害したような顔をして、「当然天然ですよ」と教えてくれた。世界は変わったのだろう。牛一匹を育てるための耕地がどうたらという議論はきっとしていないのだ。

私はアムステルダムの街を歩きながら、自分がこの街に来たことがあるのを思い出した。たしか、アムステルダム自由大学で夫が講演をする機会があって、家族全員でついて行ったのだった。そのときはメリッサが生まれたばかりで、お腹の中にはアレスがいた。当時のアムステルダムはもっと雑然としていて細い通りなどに危険を感じる街だったが、いまでは随分清潔になっていた。ただ、町の表情は何年経っても変わらないもので、運河の流れる石畳の道を歩いていると、若かった頃を思い出した。私はカフェに入り、少し泣いた。ウェイトレスは黒人で、ずいぶんと背が高かった。彼女は私が泣いていることに気がつくと、メニューを置いて「マダム、用意ができたら教えてね」とオランダ語で声をかけてくれた。私はひとしきり泣いてから、カフェイン抜きのカフェラテを注文した。出所時に支給されたカードは会計に使えるようで、さきほどのウェイトレスが使用方法を教えてくれた。ついでにカフェラテの牛乳について尋ねたのだが、当然天然ものだということだった。オランダは酪農がさかんなの。みんな身体が大きいでしょ?

私はアンネ・フランク博物館に行って午後を潰した。四時にはホテルに戻って休んだ。私はもう六十歳だった。寒流プランは刑期に加算されなかったので、出所が四十五年遅れてしまった。あれがなければ私は十五歳で世に出られたことになる。世にでるには若すぎるかもしれないが、もうどうでもよかった。長く生き過ぎた。

夜中、私の後見人だという若い青年が訪れた。ジョン・オングというオランダ政府に雇われた非営利組織の従業員で、私の居住地が決まるまで面倒を見るということだった。私はオランダをはじめとする大陸欧州および日本、アメリカ、カナダの中から好きな場所を選べるということだった。私はアメリカを希望したが、ジョンは日本かドイツを進めた。私の資産がかなり多いため、移動に時間がかかるということだった。ジョンの説明によると、私には入所前の資産があり、それが利息によって劇的に増えているというのだ。私はすべての資産を家族に譲渡していたはずだが、末っ子のマルグリットが私の出所後の生活費として残しておいてくれたらしい。アメリカやスイスに分散させた資産は紙切れ同然になっていたが、日本の銀行では一度もリデノミネーションが起こらなかったので、〇・三パーセントの超低利預金でも五万ドルが二千万ドルまで増えていた。これは私が残りの生涯を過ごすのに十分すぎる額だった。

「それだけのお金があれば、もう一度転移することだってできるわね。やろうと思えばだけど」

私が冗談めかして笑うと、ジョンはぎょっとしたように下唇を突き出した。いまはもう転移を行うことはほとんどないそうだ。十世紀ごろの欧州では宿屋の主人は客に対して娘を同衾させていたかもしれない。でも、そんなことあなたの時代だってやらなかったでしょう。とても野蛮な思想だということになりました。それと同じです——私はこれを聞いて驚いた。それならば、つい六十年前に転移をされた私はなんだったのだろう。

「私たちにはあなたに対する精神的なケアをする用意があります」と、ジョンは続けた。「転移したことによる後遺症のケアや、たとえば、好奇の目に晒されることからの保護などです。大丈夫、心配しないで」

ジョンの説明によると、私に対する長期反復刑は様々なバランスの上に成り立って最後まで執行されたということだ。特にキリスト教系の団体からの圧力が強く、途中で非人道的な刑を廃止することはできなかった。社会は成熟したが、合法的に成立した法律を後から変える力を放棄することを選んだ。それはある面で虐殺の抑止にも繋がったし、ある面では私のような人の不幸を温存させる結果にもなってしまった。私の罪は罪ではあったというわけだ。

「マーシャル・テオはどうなったの? 彼は英雄だということで転移していたじゃない」

ジョンは困ったように笑い、「なんていったらいいのか」と言いよどんだ。マーシャル・テオはまだ生きている——ということになっている。かなりの大多数の人が、そのフィクションを受け入れている。サンタクロースがちょうどそれに近い。たぶん、五百年ぐらい前から転移は行われていない。マーシャル・テオの墓に行ったことがあると主張する人もいる。特に東欧ではマーシャル・テオがまだ生きていると信じる人が多い。ロシアでは怪談のように受け止められており、空から降って来るマーシャル・テオがデュラハンのような幽霊として子供たちを震え上がらせている。英雄の馬鹿げた帰結だった。

私は翌朝、ベルゲンのビーチまで足を伸ばした。海岸には巨大な木の蜘蛛がいて、この海岸の名物になっているということだった。まだ七月で少し寒かったが、海岸は海水浴客でごった返していた。

私は途中の書店で購入した歴史の教科書——といっても、一枚の薄いプレートだったが——を読んだ。中学生向けの英語で書かれたものだ。先史時代の記述が増えており、ホモ・サピエンスによる旧人類虐殺の証拠など、興味深いところは多々あったが、私が熱心に読んだのは近代史、つまり三十一世紀から四十世紀の経済史・科学史だった。この教科書はとても優れていて、情報の粒度を変更する機能があった。期間を指定した状態でプレートに手を当ててぎゅっと絞ると、その部分の抜粋が出て来る。その完結な抜粋によると、その千年紀は、人類にとって拡大の野望が打ち砕かれた時期だった。宇宙開発に着手するほどの技術的発展もなく、理論的には地球という惑星の限界に達するほど数が増えてしまった。当時の人類の営為を眺めていると、それぞれの行為はバラバラのようでいながら、人口調整を志向するユング的意志を持っていた。結果、人口は後半の三百年で百五十億まで減少する。人類の歴史上、これほど大きな現象はなく、それが戦争や災害ではない出生率の低下によってもたらされたのは驚くべきことだった。

私は教科書を読むのをやめ、少し泳いだが、すぐにあがった。イワシになっていた頃の感覚が蘇ってきたからだ。海に入ること自体はとても懐かしかった。だが、たった一人で泳いでいると、寂しくて死んでしまいそうだったのだ。

帰り道、ジョンに教えてもらって銀行によって、私の家族が残してくれたビデオの認証キー登録を行った。虹彩で本人認証をしてくれた。

「きっと、辛い思いをすることになりますが、見ますか?」

ジョンはホテルまで私を送り届けたあと、そう尋ねた。

「もちろん、見るわよ」

「しかし、すでに二千年が経過しています。孤独を深める結果になるかもしれません」

「でも、他に何もないのよ。この世界には」

私がそう答えると、ジョンは諦めて出て行った。

その夜から、私はホテルを一歩も出ることなく、夫や子供たちのメッセージを眺め続けた。食事はルームサービスで済ませ、眠るまで見続けた。何度かジョンが様子を見に来たが、彼を部屋に招き入れたまま、私はメッセージを眺めた。総時間は二四〇時間、二週間連続で見ても終わらない長さだった。

メッセージの最後は、年老いたメリッサの映像だった。ママ、これでメッセージは最後にするわ——彼女はそう切り出した。彼女はもうその寿命を終えようとしていた。映像を眺めている私よりはるかに年老いていた。私が死んだこととか、ママは知りたくないでしょう。ええ、メリッサ、もしそうなら私も死ぬわ——私は思わずディスプレイに話しかけていた。私はメリッサがとうの昔に死んだことを知っていた。だが、彼女の年老いた表情が私をどうしようもなく悲しくさせた。

翌朝、それまで私の自殺を警戒していたであろうジョンが、裁判所から受け取った荷物を持って私の部屋に来た。

「移住先の希望は決まりましたか?」

彼の質問に答えないまま、私は荷物を物色した。中には私の写真が入っていた。それを見つけたジョンは目ざとく「写真ですか」と尋ねた。

「珍しいですね。初めて見ました」

「当時も珍しかったわ。ヌーテロタイプで撮られたから、少なくとも二千年はもつということがわかったわね」

「それは素晴らしい技術ですね。人類が滅んでも残っているかも」

「そうかもしれないわね。あと三千年あるわけだから。そうしたら、みんななんて思うのかしら」

「うーん、幸せそうな家族だと思うんじゃないでしょうか」

そういってジョンは身を乗り出し、写真に写るメリッサを指差した。

「これはあなたの若い頃でしょう。お綺麗ですね」

「違うわ、それは娘よ。メリッサというの。私はこのお婆さん」

「へえ、そうですか。そう言われてみれば似てないこともないけれど……ちょっと違いますね。この写真の方が大胆な顔というか……」

「なにも違わないわ。どっちも平凡な、どこにでもいるお婆さんよ。何一つ悪いことなんてしていない、お婆さん」

私はそういうと、写真をしまい、移住先を告げた。行き先はアメリカ、西海岸。

「なにかご希望はありますか? やりたいこととか、なんでも協力をさせてください」

「やりたいことは決まってるわ。毎日ボートに乗って、イワシの群れを探すの。そして、一緒に泳ぐのよ」

「ええ、でもあまり危険なことは……」

「危険じゃないわ。私、昔イワシだったんだから」

ジョンは困ったような顔をしていた。知らないのだろう。千年ほど前に私がイワシになって太平洋を泳ぎ回っていたことを。でも、私にはもうそれぐらいしか親しいものは残っていなかったのだ。

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