二輪の歌

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梗 概

二輪の歌

はっきり言ってわたしの家族はかなりギスギスした関係だ。
7つ離れた妹に知的障害があると分かってからママは何だかおかしくなってしまった。
パパとしょっちゅう喧嘩をするようになり、そのうちに妹にまで手を上げるようになった。
大変なのはわかるし、わたしだってママを精一杯に手伝ったけれど、大好きだったママがそんな風に変わるのはとても悲しい。
そして世界でいちばん大切な宝物だと思っている妹を打ったり殴ったりするのはやっぱり許せない。
ついには見かねたジィジとも喧嘩して、お前など娘ではないええあたしもあなたを親とは思ってないと縁を切ってしまった。隣同士に住んでいるのに。
そしてパパは家に帰ってくることが少なくなった。

ママと妹との3人だけ(わたしが学校へ行っている間は2人きりだ)の時間が増え、ますます妹への暴力が激しくなり、そんなママと向き合うことを中学受験を控えたわたしも諦めはじめるようになってしまった。
そんな終わった生活に変化が訪れたのは、ジィジの突然の死がきっかけだ。

結局ママはジィジとの関係を修復することなく、ほとんど口を利かないまま別れを迎えることになった。
直後はそれまで以上に陰鬱な空気の漂う日々が続いたのだけれど、ある時におもむろに妹が絵を描き始めたのだ。
それは随分と鮮明な、というよりは写真と見紛うような出来のものでわたしはとてもびっくりした。
前にネットで読んだサヴァン症候群というやつで、テレビか何かの映像を描いているのかしらと思ったりもした。

けれどもそうでないことがわかったのは、線香を手向けに来たジィジと同期の戦友たちが驚きの声を上げた時だ。
「ここ学徒動員してた芝浦の工場の河口の所じゃんね」「これ!白菊の飛行訓練してた高知の航空隊の海の丘!」
そう、妹は祖父の古い記憶にまつわる光景を描いていたのだ。

そして妹が絵を描くのに必要な条件は、わたしたち家族のみならず友人などジィジとの強い思いの時間を共有した過去を持つ人と一緒にいることでも満たされると分かった。
遺伝子に眠る記憶の承継か、それとも共感覚的な何かか、とにかくこんな事例は聞いたことがないと病院の先生も戸惑いの色を隠せなかった。

それ以降、ママは何かに取り憑かれるように妹を連れてジィジの旧友を訪ね歩くようになった。
居間は妹が描いた絵で埋め尽くされ、少しずつ家に活気が戻り始めた。
パパもまた帰ってくるようになった。

けれどもそんな奇跡の日々がいつまでも続くわけではもちろんなかった。
ある日を境に、熱が冷めたかのように、妹は描くことを止めてしまったのだ。

ママはまた気落ちするようになってしまった。
このままじゃいけない!
そう思って、今度こそ諦めず、わたしはある行動を実行に移すことにした……!

文字数:1124

内容に関するアピール

試行錯誤を重ねた梗概の中で、いわゆるSFとはもっとも縁遠い立ち位置に心を置いて書いたこの文章を提出すべきかとても悩みました。
けれども物語を書くことと本格的に向き合う初めての機会である以上、何かを失ってでもこの主題を選択すべきと決心しました。

僕たちが送る日常の生活はとても微妙な平衡の上に成り立っています。
そしてそれは何かの出来事をきっかけとして唐突に崩れてしまうこともままあります。

多くの場合、困難に対して奇跡は起こりません。
自分で自分の道を切り開く必要があります。
しかし必ずしもそれができる状況を迎えらるとは限りません。
特に限られた世界と手段としか持ちえない少年少女にとっては。

だからこそ、現在の世界では起こりえない奇跡による一時の救いを物語の装置として与えつつ、それをきっかけに自己で新しい歩み進んでいく。
そのような物語を書き進めていきます。

文字数:373

課題提出者一覧