梗 概
「観測者」と僕
はじめての北海道旅行で僕は奇妙な出来事に出くわした。
コンドームを忘れたことに気が付き、ホテルに彼女を残して近くのコンビニまで歩くことになった。西から来た台風が運んだ雨が折りたたみ傘を打ちつける。豊平川を駆け足で渡ろうとしたとき、「おい」と声をかけられた。みすぼらしいつぎはぎのテントの中に男がいた。長く伸びた白髪と髭を生やした男は、使い古した茶色のジャンパーと擦り切れたジーンズをはいていた。無視して先を行こうとするが、男は「丸井戸武夫だろ?」と僕の本名を言う。
「警戒するのも無理はない。詐欺だと思うか?ほかのことを言ってやってもいいんだぜ」
男は、僕の生年月日、家族構成、初めての恋人の名前、初体験の年齢などをすらすらと答え始める。「今は来年結婚予定の彼女と旅行中。これから、コンビニでコンドームを買うんだろ」と言う。僕は混乱する。僕のような一般家庭に生まれた人間にここまでのリサーチをして、この男は一体、何を得ようというのか。
「深く考えても答えはでないさ。答えはシンプルだ。つまり、俺はお前なのさ」
この薄汚いホームレスが僕?未来の僕が現在までやってきて、将来こんなことになるから気を付けろとでも言いに来たというのか。
「未来の自分が目の前にいると思ったかい?それにしちゃあ、この男は、お前に似てない。この男はただの「媒体」だ。俺とお前をつなぐ電話機みたいなもんだ。俺はお前の未来ではない。俺はお前の「可能性」にすぎない」
「それは、パラレルワールドみたいなことか」
「そうだ。ありとあらゆる無数に存在するあり得たかもしれない世界に俺はいる。俺は俺の世界では「観測者」と呼ばれている。いつも、俺はあり得たかもしれない「俺」を観測しているんだ」そういうと、男は、しばしうつろな目をして黙りこくり、目の前にいる僕の顔を見て驚き、逃げ出すように雨の道をかけていった。
それは、僕の見た幻覚だったのか。しかし、その後も、人生の節目、節目に、奴は現れたのだ。そいつは、僕のことをよく聞くわりに自分のことは話そうとはしなかった。「観測者」というものの決まりなのだろうか。僕には奴が僕のところにくる理由がわからなかった。
「よお、どうやら、最後のお話になりそうだな」
病室で点滴を打たれた僕に、見舞いに疲れて眠っていたはずの妻が語りかけてくる。外は雨が降り出して、冷たい風が閉め忘れたカーテン揺らし、僕はあの日の北海道を思い出していた。
「どうして、あんたが、俺に何度も会いにきたのか、今になって分かった気がする」
妻は微笑し、「答えを聞くよ」と言った。
「あんたは俺だ。俺の捨てた「俺」だったんだ。俺はどこか、いつもこの人生が正しかったのか疑問に思っていた。些細なことでも、二つの選択肢、どちらかを選べばどちらかを選ばないことになる。その捨て去った「可能性」の集積、それが、あんたなんだろ。あんたは、ずっと、俺を見てくれてたんだ。ありがとう。俺は幸せだった。あり得たかもしれない世界があるって知ることが、この道を選んだ俺自身を肯定することになったんだ」
奴はにっこりと笑った。
文字数:1289
内容に関するアピール
あり得たかもしれない世界にいるもう一人の自分と会話をすることができたら。その着想を得て、この作品を書き上げました。
最後の主人公の台詞は、現在の「なろう系異世界転生モノ」に対してのアンチテーゼ的なものを自分なりに出したつもりです。
トラックに引かれて死んだ世界で無双してヒャッハーみたいな世界もいいけど、今の現実を選んだ自分にもっと自信を持ったほうがいいんじゃないか、そんな偉そうなことを今書きながら考えました。
まだ今一つSF感が足りない気がしますが、実作には、可能世界のディテールを広げ、よりSF感を強く出していきたいと思っています。
余談ですが、北海道旅行は実際に最近行ってきたので、単純に書きたいなと思い舞台設定にしました。雨が降っていたのも残念ながら事実です。
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