蛸子しょうこ

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梗 概

蛸子しょうこ

日本海に面したとある漁村の西のはずれに、船も人も決して近寄らぬ浜があった。その浜は、高さ百メートルほどの断崖絶壁と、鬱蒼とした森に囲われ、人里からは遠く離れている。

タコ漁が盛んなその村では、その昔、漁に入る前の春先に、豊漁を祈願する祭祀として人身供犠の儀式が行われていたと伝えられる。十二年に一度、村で一番美しい嫁入り前の娘を生け贄として海の神へ捧げる。娘は手足を縛られ、断崖絶壁から海へ投げ入れられたという。西の浜付近の海の底には、何十という年若い娘たちが沈んでいることを思うと、村人たちは迂闊には近寄れまいという心境になった。また、犠牲を強いられた娘たちの怨念によって、若い男女がさらわれるという噂もあった。

春先にひとり、若い男が村にやってきた。彼は断崖絶壁から海に飛び込み、自殺を図った。しかし、結果から言えば、男の命は助かった。
 男は海の中で意識が途切れる間際、女の声を聴いた。
「おめさんが欲しいのはおれだが」
「それともおれだが」
「おれだが」
「おれだが」
 重なり合う呼び声に意識が引き戻され、男は薄目を開けた。そこで男は確かに見たのだ。四方八方に揺らめく海藻のように、長い髪に覆われた女の顔がずらりと並び、男の方へ迫りくるのを。
 男は必死でその場から逃れようともがき、気づいたときには浜にひとり打ち上げられていた。

男がそのことをツイッターでつぶやくと、続々とコメントが寄せられ、過去に同じ場所で同じ経験をした人が何人もいるということが明らかになった。「あれはヤラセじゃないか」と言う者がおり、「地元の人たちが自殺防止対策で仕掛けたのでは?」「実際何人も助かってるし」などと憶測の会話が飛び交い、ツイッターでの盛り上がりに目を付けた週刊誌が、記事に取り上げた。それを受けて、村の役場は真相の究明に動き出した。

村はついに長い髪の女の捕獲に成功し、その正体が明らかになった。それは人面蛸だった。人間と同じ造形の胴体があり、腰から四本の足が生え、胴体の左右にも二本ずつの足があった。呼吸は水中でも陸でもできるようだった。絶句する役人たちの前で、人面蛸が口を開く。
「おらは人間と話がしたかった。んだども、みんなおれどご見ると逃げるから」
 土地の言葉をすらすらと話す人面蛸に、役人たちはさらに面喰らった。けれども、彼女の友好的な態度に、役人たちは徐々に警戒心を解いていった。
 彼女は、人間の母親と蛸の父親との間に生まれた、四姉妹の長女だという。
 役人たちは彼女に「蛸子しょうこ」と名付けた。

「おらは陸で暮らしてみたかった。なにかおれにできることはねか」と蛸子が言うので、役人たちは思案をめぐらし、村の小料理屋で芸妓として働くことを提案した。蛸子はあっという間に芸を覚えた。二本の足で立ち、一本の足で扇子もって踊りを舞いながら、別の二本の足で琴を弾き、また別の二本の足で三味線を弾き、残りの一本の足で鼓を打つことができた。また、八つのお猪口に一斉にお酌をするもできた。蛸は、大脳の他に各足の付け根に計八個の脳をもつため、それぞれの足を自律的に動かすことができる。まさに蛸子にしかできない妙技であった。

いざ「蛸子」のお披露目という段になって、役人たちははたと気づく。蛸子が人間と蛸の間の子だと世間に知れれば、大変な騒ぎになる。そこで対外的には、蛸子はロボットの芸妓ということになった。

役人たちは知り合いのロボット工学者に連絡を取り、蛸子のような芸のできるロボットをつくることは可能かと訪ねた。すると、到底無理との返事だった。そこで蛸子は芸のレベルを下げ、ロボットらしく振る舞う練習をする羽目になった。せっかくの蛸足なのに、少し動きをカクカクさせ、踊りは六本の足で扇子をもつだけのものにした。

それでも、ロボット芸妓「蛸子」の噂はたちまち村の内外に広まった。雑誌の取材や研究者の来訪も度々あったが、蛸子は上手いことやってのけた。

蛸子が村に来てから一年ほどが経ち、段々に客の足も遠のいてきたある日、常連客の一人で七十幾つの男やもめの村人が、蛸子の店にやって来た。その日のお客は彼だけだった。老人は、開口一番こう言った。
「蛸子さん、おめさんを身請けしたい」
 身請けの意味が分からなかった蛸子は訊いた。
「身請けとはなんだが」
「おれと一緒に暮らしてほしい」
「おらはロボットだで」
 蛸子が言うと、老人は少しの間を置いてから、こんな話をした。
「もう二十年も昔のことだがな、おれの娘が行方不明になった。なんげこと精神を病んでいたから、海に身を投げたと思っとった。んだども、しばらくして娘が夢さ出てきて、蛸と一緒さたわむれながら『お父さん、子どもを産みました』としゃべったんだ。……おめさんは、おれの孫じゃねかと」
「……」
「おれの命ももう長くはねから、なんぼがの間一緒に暮らしてくれねか」

蛸子は身請けの話を承諾し、老人と一緒に暮らすことになった。

あるとき蛸子は老人に尋ねた。
「なんでおれがロボットでねと分かったの」
 すると老人は言った。
「おめさん、ロボットじゃなかったのか」

やがて老人が亡くなり、蛸子は海へ帰ることになった。
 車で蛸子を西の浜まで送る途中、役人は蛸子のお腹を見遣って言った。
「海で産んで大丈夫か」
 蛸子は微笑んで答えた。
「おらは蛸だから」

文字数:2170

内容に関するアピール

柳田國男の『遠野物語』に河童の子を産んだ女の話があるが、ならば蛸の子を産んだ女の話があってもいいだろうと思い、これを書きました。そもそもなぜ蛸なのかと言えば、先日ある劇を観ていて、蛸には脳が九つあるということを知ったのがきっかけです。驚いていくつか専門書を当たりましたが、どうやら本当のようです。分散型ネットワークのシステムで動くなんて最先端! と興奮してしまいました。それ以外にも、蛸には高度な擬態能力や遺伝子の書き換え能力、再生能力など様々な特殊能力があり、医療や軍事、ロボット工学などの分野では、その神秘を解き明かすべく研究が進められているようですが、まだまだ分からないことだらけで、私たちの技術は蛸の足下にも及ばない。ならば、蛸のように振る舞うロボットの話ではなく、ロボットのように振る舞う蛸の話を書いてみよう、と思ったわけです。

文字数:369

課題提出者一覧