Glorious Heart ~報復への序曲~

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梗 概

Glorious Heart ~報復への序曲~

医療法人国際移植医療センターの会議室で、医師と看護師が翌日の移植手術の打ち合わせをしている。執刀医の進藤健太郎は、米国の専門病院で研鑽を積んできた気鋭の心臓外科医。その腕を見込んで、国内最大手の医療機器メーカー、ハイパレスメディカル社会長・高宮豊が執刀を依頼してきた。高宮の移植手術と同時に、先天性重度心奇形の若者も移植手術が予定されている。高宮の手術に使用される人工心臓は、自社製品の最新型グロリアスハート。改良型の1号機で、直前まで調整が続けられたため、高宮の後継者で社長の高宮大輔が持参し、当日の手術にも立ち会うこととなった。

人工心臓は、改良に次ぐ改良で、開発当初より品質が大幅に向上している。術後の生存期間も最新型であれば十年はくだらない。

打ち合わせのあと、病室で診察をする進藤に、失敗は許さない、と高宮は高圧的な態度で接する。そして、埋め込み予定の人工心臓はドナーにくれてやる、と。黙って話を聞き、部屋を出る進藤。

実は、同時に手術をする患者の病名は偽りで、健康な若者の心臓を大枚をはたいて買っていた。高宮だけではなく、裕福な高齢者が金に物を言わせて臓器を買うことは、少なくなかった。若者と高齢者の世代間の貧富の格差が、それを後押しした。

手術当日、準備が整い、高宮とそのドナー、そして手術に立ち会う高宮大輔が手術室に入った。高宮は大輔に、依頼通りに手術が行われるように確認しろと命じる。すべて打ち合わせ通りに、と大輔は答える。

手術の前に、と進藤は高宮に話しかける。十三年前の心臓移植で使った心臓は、どう手に入れたのか、と。脳死患者が出るまで、長いリストに名を連ねて待った、と答える高宮。しかし、進藤は話を続ける。

「その頃、僕の弟は拡張性心筋症と診断されて、人工心臓の埋め込み手術をしたんです。だが、それは嘘の診断で、弟の心臓は何一つ悪いところはなかった」

進藤の視線が、高宮の胸に移動する。

「誰かが大枚をはたいて買った」

高宮はうろたえる。

「それが私とどういう関係があるんだ」

「弟に埋めた人工心臓は、三年も持たずに止まった。あんたの会社が作ったやつはね」

進藤が、手術室のスタッフに目をやる。看護師が、

「進藤さんだけじゃない。私は姉を」

もう一人の心臓外科医が、

「私は婚約者を、同じ手口で失った」

進藤は続ける。

「だから、これは復讐さ。生活に困った若い世代から、金に飽かして臓器を買いあさる、そういう年寄り連中に」

「待て! そうやって手に入れた金で、お前たちは教育を受けたんだろ。同じじゃないか」

高宮は大輔に助けを求めるが、

「自社の人工心臓も十数年の間に高性能になっていますから、余生を送るのには十分でしょう」

と、とりあわない。そして、大輔も真実を告げる。

「私も兄の心臓をだまし取られましてね。高宮の家に養子に入るため、いただいたお金は使わせていただきました」

進藤の合図で、報復の手術が幕を開ける。

文字数:1198

内容に関するアピール

人工心臓の性能がもう少しよくなった近未来を舞台としました。世代間格差がテーマで、裕福な高齢者が健康を維持するために貧しい若者の臓器を買います。

特に、作中で移植手術を受ける高宮は、自社の人工心臓を代わりに若者に与え、そのデータをもとに、自社製品の改良を進めました。いわゆる人体実験ですが、表向きは承認取得後の市販後調査です。多数の人工心臓を同じ手口で移植したため、他社の製品に比べると抜群の性能を持つようになる、という設定です。

近しい人をお金のために失った主人公たちは、秘密裏かつ綿密に復讐の計画を立てます。その無念さや執念を、実作ではきっちり書き、彼らに溜飲を下げてもらいたいと思います。

文字数:294

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Glorious Heart ~美しき終曲~

「始めます」

進藤の声が遠くに聞こえる。麻酔が効き始めた。意識がなくなるまでのほんの一瞬。視界の片隅に入ってきた、きらめくメスを目で追いながら、私は思った。

――いったいどこで、間違ってしまったのだろう。

 

病弱な子どもだった。生まれつき心臓が悪く、度々入院もした。小児科の担当医は患者には優しく、だが、きびきびと立ち働く医師たちで、子ども心に将来は自分も医者になろう、と思ったものだ。それとは裏腹に、私の心臓は、大人になるまで持たないかもしれない。そう言われていた。自分の夢はかなわない……。あこがれだけが大きくなる。誰に言うこともできず、孤独だった。

時折外れる心臓の拍子が、毎日になり、そして、薬で何とかしなければ止まってしまう、それほどひどくなった時。主治医が、小さな提案をしてくれた。

人工心臓に、してみない?

躊躇しなかったというと、嘘になる。何度も何度も考えた。だが、それ以外に選択肢はなかった。

私の心臓が取り除かれ、代わりに機械が取り付けられた。ポンプで血液を送り出す機械。拍動もしない。ただ、血流を止めないだけ。

心臓がないのに、生きている。不思議、というよりは、怖かった。心臓は、命の象徴だったから。機械はいつ止まるかわからなかったから。

その恐怖が消えぬ間に、人工心臓の中に発生した血栓が脳に飛んで、脳梗塞を起こした。ごく軽度の脳梗塞だったが、何者かわからない何かが、――見えない敵が寄生しているようで、とにかく、気持ちの悪さだけが残った。

初期の人工心臓は補助人工心臓と呼ばれていて、心臓移植までのつなぎだった。しかし、待てど暮らせどドナーが現れない。臨床使用の限界を極めるような、綱渡りの日々。そして、とうとう、私の中の機械は止まった。

目覚めた時、新しい人工心臓が埋め込まれていた。主治医が、枕元で優しく笑っていた。美人で、激務にもかかわらず、いつもきれいにしている人だったが、目の下のクマが、生半可ではない危機があったことを物語っていた。ダメもとで、と、ずっと後になってから聞いた。

二個目の人工心臓は、かなり改良されていて、日常生活も格段に楽になった。

そのころ、医療機器の開発競争は激しく、短期間に新しい製品が続々と登場していた。薬より医療機器のほうが、抜本的に病気を治せる。私の印象だった。

入退院を繰り返しながら、医療生体工学を学んだ。完璧な人工心臓を作りたい。日常生活に不自由しない、そして、生涯止まることのない人工心臓を! その思いが、私を動かした。

懇意になった大学の教授と人工心臓のメーカー「ハイパレスメディカル」を立ち上げた。寝食を惜しんで開発にあたり、人間の心臓に引けを取らない完全埋め込み型の人工心臓を作り上げた。動物実験も継続していて、三年間は不具合なく動くことを確認していた。あとは、臨床で使ってみるだけ……。

私が一番に使いたかった。一番必要としているのは、私だったから。

他人には使わせられない。万が一、何かがあったら……。と教授を説き伏せ、第一号機は自分に埋め込んだ。驚くほど、体が軽かった。自分の望みがかなったことも、その感覚を後押ししたのかもしれない。

その人工心臓は、QOLの向上と安全性が買われて、驚くほど早く承認された。もちろん、学会からの強力な後押しがあっての優先審査。医療経済性にも優れていたから、保険適用もとんとん拍子に決まり、万全の船出だ。プレスリリースで自分の症例報告をした。社長自らが使用者というインパクトは大きく、製品は爆発的に売れた。

大人にはなれないかも、と言われていた私は、人工心臓の改良と交換を続け、そのころ半世紀を生きていた。ハイパレスメディカルは国内でも有数の医療機器メーカーになり、資産もかなりあった。その資金を、なにか人道的な活動に使いたいと思っていた。かつての私のように、何かになりたいと切望しながら環境が許さない、そういう子どもたちのために、使いたい――。

当時、世代間の貧富の差が激しく、社会問題になって久しかった。その生涯では使いきれないほどの金を手元に残した老人が欲しいもの。それは、健康だ。若々しい体だ。そういう金持ちに、度々相談されるようになった。――どこかに、健康な臓器を、心臓を売ってくれる若者はいないか、と。

初めは気が進まなかった。というよりも、断固反対した。臓器売買は非人道的だ。法にも触れる。だが、人を介して秘密裏に探ると、臓器を売りたい人は、実に簡単に見つかった。おそらく、人工臓器の性能が格段に良くなって、日常生活に不自由を感じなくなったことも一因だろう。子どもの教育資金として億単位の金を受け取ると、惜しげもなく臓器が提供されてきた。もちろん、公にすることはなく、事情を知る医療機関と裏で手を結び、非合法の移植手術が続けられた。

わが社の製品が、大量に使われた。臨床使用される数が増えれば増えるほど、機械の不具合報告も上がってくるが、すべて開発にフィードバックして、さらに改良を続けた。その結果、他社製品の追随を許さない、高品質の人工臓器を提供することが可能になった。いつしか、臓器あっせんに対する後ろめたさが薄れ、この事業は世の中のためになっている、と傲慢にも思うようになっていった。

そんな折、私の人工心臓が不調になった。想定した年数を超えて動いていたが、時々、調子が悪くなるのが自分でもわかった。

いよいよ、私も心臓と引き換えに、将来のある若者のために資金を提供しよう――。

提供者は簡単に見つかった。おそらく、貧困にあえぐ人たちに、この事業のうわさが流れているのだろう。ひょっとしたら、臓器提供リストも作られているのかもしれない。

滞りなく移植手術が済む。ずいぶん久しぶりに、心臓が私の胸で鼓動していた。温かい、本物の心臓――。胸の鼓動を聞くだけで生身の体に戻ったように感じた、その時の安堵感を、私は忘れることができない。機械の心臓は、もう二度とごめんだ……。

 

心臓移植を受けてから、十年が経った。

その間、わが社では臓器移植の際の拒絶反応を引き起こさない処理が可能となっていた。優秀な開発スタッフが、専用処理液の開発に成功したのだ。移植用の臓器に処理液を循環させるだけの、非常に簡単な処置で済む。一生涯飲み続けなければならない免疫抑制剤が不要になる、画期的な技術だ。

その処理が可能になってから、免疫抑制剤の服用が面倒になり、再度の心臓移植を望む人々が増えた。もちろん、私もその一人だ。そして、新しい心臓を移植したら、もう事業からは手を引こう。そう考えて、優秀な社員を養子に迎え、社長を退き会長に納まった。

少し時間に余裕が出てきた私は、執刀医の人選にも時間をかけた。そして、慎重なリサーチの結果、心臓移植を依頼したのが、進藤健太郎。三十代と若いがアメリカの専門病院で研鑽を積んだ、優秀な心臓外科医だ。

しかし、私の依頼は思いがけず、拒絶された。ハイパレスメディカル社の会長という立場に、恐れをなしたか。それでも、病院の上層部がなんとか収めてくれていた。

医療法人国際移植医療センターは、国内で断トツの移植実績を誇る。その中でも、進藤が所属する心臓外科は、移植を待つ患者が一番多い。二、三年は待つ覚悟でいたが、とんとん拍子に準備が進み、かなりの患者を追い抜いて、移植手術が行われることになった。

 

「進藤先生、いらっしゃいますか?」

心臓外科のナースセンターに、本を小脇に抱えた、小さな女の子が訪ねてきた。暇を持て余して、フロアを歩いているときだった。

「陽菜ちゃん? いつもいつもごめんねぇ。進藤先生ね、たぶん病院の中庭で、男の子たちとサッカーしてるかも。こんなにいい天気だからって、さっきお誘いが来てたよ」

陽菜ちゃんと呼ばれた女の子は、わかりました、と言ってエレベーターホールに消えた。答えた看護師は桐生沙織。その後ろから、心臓外科医の八神舞が声をかけた。確か、進藤と同期の女医だ。

「進藤くんも罪作りねぇ。あんなかわいい女の子、夢中にさせちゃって~」

「陽菜ちゃんだけじゃない。小児外科に行くたびにファンが増えるんだから。男の子も女の子も、ね」

「だけど、あの子、この間心臓移植したばっかりでしょ。ずいぶん元気に歩き回ってるけど、大丈夫なの?」

「進藤先生にかかったら、日帰り手術でもいけますよ」

そう言って、桐生は中に消えた。

なるほど。進藤は患者に慕われるいい医師だ。同僚の評判もいい。それなら安心。信頼されない医師や、人間関係の悪いチームに手術をされることほど、危険なことはない。

残された八神は目を細めて外を見ている。やがて、

「おいてかれないように、私もがんばるか!」

と、一人宣言をし、中に戻っていった。

廊下から外を見ると、芝生が青々と茂る中庭で、進藤は子どもたちを相手にサッカーボールを追いかけていた。木陰のベンチには、進藤のものだろうか、白衣が脱ぎ捨ててある。その隣に女の子が来て静かに腰かけ、手にした本を広げながら、走り回る進藤と少年たちをまぶしそうに見ていた。

進藤が足を止めて、ベンチに向かって歩いていく。あの子は、看護師の話からすると、先週心臓移植をした小児科の患者だろう。回復は順調か。さすがにいい腕をしている。

「高宮さん、体に障りますから、どうぞお部屋にお戻りください」

ためらいがちな看護師の言葉が背後から聞こえた。気分はいいから心配はいらない、と答え、部屋に戻った。進藤の、医師ではない顔を見て、満足していた。

国際移植医療センターには、高級ホテルと見まごうばかりの特別室がある。各界の重鎮や、ときには外国の要人も利用する、一般人には知られることのない部屋だ。入院すると、頼んだわけでもないのに、その特別室が用意されていた。

革張りのソファと大理石のテーブル。その上には豪華な花が活けられていて、心臓外科学会や人工臓器学会などと書かれたカードも添えられている。ひっきりなしに見舞が来る。世間に顔を知られた政治家が何人も来たが、ナースセンターに、内密に、と心づけを渡して帰った。いずれ、あいつらもここの世話になるつもりだろう。

ベッドの背を高くして寄りかかりながら本を手にすると、部屋がノックされた。

細身の体にビジネススーツをきっちり着こなした、高宮大輔が入ってきた。高宮家の養子でハイパレスメディカル社の現社長だ。優秀な再生医療の研究者で、現在も研究室で最先端の人工臓器を研究している。IPS細胞を利用した人工心臓だ。開発が間に合えば、今回のドナーに使わせることも考えているが、果たしてどうか。

大輔には、進藤の身辺調査を依頼した。人選は慎重に越したことはない。もし問題があれば、手術直前にでも交代させるつもりだ。

「進藤は、両親と弟の四人家族。父は難病で、母は看病しながら働いていたようで、かなり厳しい経済状況だったようです。ですが、非常に成績優秀な学生で、奨学金をもらいながら医学部を卒業しています」

「父の病気を治したい、ということが、医師を目指す動機か?」

「それもありますが、弟も心臓を患っていたようです。小さいころにはとても活発な子どもで、二人でサッカーを毎日のようにしていたらしいのですが」

「だから、サッカーをしていたのか」

大輔がいぶかしげな顔を向ける。

「ご存じだったのですか?」

「いや、先ほど進藤を中庭で見かけてね。男の子たちとサッカーをしていたよ」

「そうでしたか。自分で心臓移植をした子どもたちとサッカーチームを結成していまして、確か、チーム名が、……サッカーチーム・進藤移植、とか」

なんだ、そのネーミングセンスは。

「子どもたちが、心臓と進藤をかけたようで……」

苦笑しながら大輔は続ける。

「それにしても、まだ三〇代ですが、心臓移植の症例数は国内トップクラスです。症例数が、サッカーチームどころか、男女混合のバスケチームにも足りないような外科医がぞろぞろいますから」

「人数合わせだけじゃない。あれだけ過激な運動をしても大丈夫な回復ぶり。恐れ入る」

「会長の手術には、進藤を置いてほかに執刀できる医師はおりません」

その進藤が、どうも私の手術に乗り気じゃないようなんだがね。口に出さずに、心の中でつぶやいた。結果が良ければ、すべてよし、だが。

「話を元に戻しますと、進藤の卒業前に父が他界、母も過労で倒れ、すぐ後を追うように亡くなっています。二つ違いの弟は、両親の死後、新藤の通う医学部の附属病院に入院しました」

「とすると、進藤が心臓外科を志したのは、その弟のために、だな」

「そうです。進藤は、授業の合間に必死で看病をしたようですが、その甲斐なく病状は悪化。進藤は弟に、世界一の心臓外科医になると誓っていたそうです」

世界一の心臓外科医、か。進藤らしい。

「ですが、懸命の看病の甲斐もなく弟は亡くなりました。弟の死後、進藤は、約束した通り、卒業後に渡米、移植の専門医として研鑽を積んでいます。そして、ここ、国際移植医療センターの院長の招きで帰国、着任した、というのが、これまでの経歴です」

苦労を絵にかいたような話だ。悪くはない。むしろ、ここまでの逆境を跳ね返してきた進藤の精神力に感服した。大輔も、養子に入るまでは相当苦労したようだが、苦労をすればするほど、人間はできてくる。そして、私はそういう若者に、未来を託していきたいと思っている。

「それから、IPS細胞から作っている人工心臓ですが、今回の手術に間に合うかどうか、ぎりぎりの状況です。まだ実験動物の体内に入ったままで、最終的な調整をしていますが、念のため、従来の改良型も用意させました」

再生医療分野での競争は激しい。どこのメーカーも製品開発を急いでいる。世界的に競合同士の鍔迫り合いが繰り返されていて、わが社もそれに名乗りを上げていた。

十中八九、間に合う。私は確信している。大輔は直前まであきらめない。今まで何度も土壇場の逆転劇を演じてきた。

「今回のドナーにつけた病名は何だったかな?」

「先天性心奇形です」

そうか。それは移植が必要だ。日本で初の人工心臓が使えるとは、ラッキーなドナーだ。

「言うまでもないが、手はずは万全だな。ドナーの健康状態は良好か?」

「もちろんでございます。まったく健康な、二十歳の青年です」

彼もまた、心臓を売り払った金で、輝ける未来を手に入れることができるのだ。何に使うのかは知らないが、億の金が入るとは、健康に育った甲斐があったというものだ……。

安堵したからか、少し眠くなった。進藤に会って当日の打ち合わせをする、と大輔が出て行った後、少しまどろんだ。ああ、そういえば、臨床研究としてIRB(倫理委員会)を通していたが、新しい人工心臓が間に合うとなると、製品が違うな。――まあ、何とかしてくれるだろう。心配はいらない。ハイパレスメディカルの会長が困る事態には、絶対にならないはず……。

 

手術の前日、新藤が桐生を伴って部屋に入ってきた。いつ会っても、患者の私にいい顔はしない。ベッドに横たえた恰幅の良い体と、心臓病とは名ばかりの血色の良いこの顔のせいか。だが、もう少し、大人になったほうがいいな。

桐生がベッドサイドに歩み寄って声をかける。

「高宮さん、気分はいかがですか」

型通りのセリフ。ちらりと見て、いいわけなかろう、手術の前に。とそっけなく答えた。

気に入らない。新藤の目はそういっている。

名指しで執刀医に指名した私を、進藤は毛虫のように嫌っている。言葉や態度の端々にそれは見て取れる。一度は断った執刀医の話も、病院の経営層から断固として反対されたのだから、よけいだろう。病院に対する有形無形の利益を考えろ、どれだけの金が動いていると思っているのか、とかなんとか、進藤の嫌いそうなことを言ったに違いない。その気持ちを表出しないだけの理性は持ち合わせていそうだが、まだまだだ。世の中には逆らっていいことと悪いことがある。

誰に対しても優しく丁寧な対応をする桐生が、取り繕うように答えた。

「でも、明日移植が済めば、もっと元気になりますよ」

「そうだな。軽いうちに活きのいい心臓と取り換えておけば、あとは楽だ」

あえて言ってみた。進藤の正義感を、揺さぶってみたかった。喉元まで出かかった怒りを、すんでのところで飲み込んだ気配がする。桐生が心配そうに進藤を見た。わかっている、そんな目配せをして、進藤はベッドサイドに歩み寄った。桐生は私の寝巻の前を開けて待っている。

「ちょっといいですか」

胸に聴診器をあてようと、伸ばした腕が、ふと、止まった。

どうした? 怒りのあまり、冷静になれないか。

一瞬のためらいの後、何事もなかったかのように、ゆっくりと胸に聴診器が当てられた。

「かなり重症です。この心臓は。症状が出ないのが不思議なぐらいです」

ふつふつと煮えたぎる感情とは裏腹に、淡々と決まり文句を告げているんだろう。私はなおも圧力をかける。

「アメリカ帰りのその腕を見込んで執刀医にしたんだ。失敗は絶対に許さん」

進藤の冷たい瞳が、私を見据える。進藤の肩が怒りに震えたように見えたその時。

ドアがノックされ、大輔が入ってきた。大輔は、進藤と桐生を見ると、深々とお辞儀をした。大きな荷物を持っている。

「進藤先生、こちらにいらっしゃいましたか。探しました」

抱えた荷物を大事そうにテーブルに置くと、進藤と桐生にソファを勧めた。

「明日使っていただく新型のグロリアスハートです。納品がぎりぎりになり、申し訳ありません。実は、この人工心臓は全く新しいもので、事前に現行品との違いなど、説明したいのですが」

「まったく新しい? 改良型と聞いていましたが」

と、桐生が大輔を見る。

「IPS細胞を使ってブタの体内で作った、まったく新しい人工心臓だ」

ベッドから得意げに言った。進藤と桐生の表情が固まる。

「IRBの資料には、従来の製品を改良した、としか、記載されていませんでしたが……」

心配そうな顔で桐生がささやき、進藤はうなずく。

「進藤先生には、機械よりこっちのほうがやりやすいと思ってね」

思わず会心の笑みがこぼれてしまいそうだったが、こらえて言った。

「わかりました。ここではなんですから、別室でお伺いします」

進藤が席を立つ。桐生と大輔がそのあとに続き、ドアに向かう。まさかとは思うが、明日の手順はしっかり頭に入っているのだろうな。小さな不安が頭をよぎった。

「手筈は、大丈夫だろうな。その人工心臓はドナーにくれてやれ」

進藤が、肩越しにかろうじて振り向き、私をにらんだ。桐生は、小さく肩を震わせてドアに向かい、立ち止まったまま動かない。――大丈夫だな。

「わかっております。会長は何も心配なさらず」

大輔が、ゆっくりとお辞儀をした。メガネのふちが冷たく光った。わが社の社長はこうでなければ。下手に同情すれば足元を見られる。冷徹すぎるぐらいが、ちょうどいい。立派な後継者になるだろう。私は満足して目を閉じた。

 

その日の午後、フリージャーナリストの岩倉徹が面会を求めてきた。手術前日にすみません、いつもはお忙しくてなかなか調整いただけなかったものですから、と弁解する。人工心臓の開発にかける私の人生を記事にしたい、という申し出だ。

インタビューは受けない主義だった。マスコミは信頼できない。会社のことなら最低限のプレスリリースで事は済んだ。岩倉の面会を許可したのは、フリーという肩書が、事実を曲げることなく伝えますよ、と語っていたからだ。事実、岩倉の書く記事は、私も含めて多くの人の支持を集めていた。

インタビューは、人工心臓の開発から始まり、高宮財団に話が及んだ。わが社が運営する財団だ。所得が低い家庭の子どもたちにも最先端の医療機器を、というスローガンで活動しているが、実態は臓器あっせんの窓口だ。臓器の提供者あるいはその家族に、奨学金として謝礼を支払っている。奨学金としたのは、家族の生活のために使うのではなく、子どもたちや若者の将来のために、教育を受けさせたかったからだ。

「奨学金を受け取った子どもたちが、かなりの割合で医療従事者になっているというデータがあります」

「そうですか。それはうれしいことです。いずれは高宮財団の奨学金を受けた先生に、手術してもらうこともあるかもしれませんね」

と私は笑いながら答えた。だが、内心は複雑だ。それほど長く、臓器あっせんに手を染めて続けてきたのか。

そろそろ潮時か、とインタビューを終えて思った。

 

手術当日。

手術室では粛々と準備が進められている。私の乗る手術台の周りでは、手術室看護師や麻酔医が、時々声をかけながら、点滴や硬膜外麻酔のルート確保に忙しい。奥の手術台では、ドナーとなる青年が横になっている。二台の手術台の間には、移植用の処理液が置かれてあった。ドナーから摘出した心臓にその処理液を循環させれば、ほどなく抗原性を失う。そして、その処理済みの心臓が私に移植される。これで、面倒な免疫抑制剤も必要ない。

わが社の新しい人工心臓は、処理液の隣に置かれていた。こちらはIPS細胞から作ったもので、世界初となる画期的な製品だ。初の臨床使用となる。大輔が開発初期から携わっていたものだから、品質も折り紙付きだろう。IRBを厳密にいえば通していないため、公表はできないが。これが移植される青年は幸運だ。

そういえば、今日は大輔の姿が見えない。執刀の準備に余念のない進藤を呼ぶと、手を止めて振り返った。

「大輔を立ち会わせたいんだが。この手術が間違いなく行われるかどうか、証人としてね」

看護師の桐生と心臓外科医の八神が顔を見合わせて、進藤に視線を送った。

「部外者の立会はお断りしています」

相変わらずそっけない物言いだ。進藤の腕がそこまででなければ、即刻交代させてやるのに。

「部外者じゃないだろう。わが社の社長だ。文句はあるまい。それに、今回の手術で動く金を考えてもみろ。断る理由がないじゃないか」

いい加減わかってもよさそうなものだ。余計なことまで言わせてくれる。

進藤は、手術室看護師にあごで指示をする。それを見て、目を閉じた。わかればいいんだ。わかれば。

ドアが開き、手術着を着た大輔が入ってきた。何をもたもたしていたんだ。……手術前で神経が高ぶっているのかもしれない。イライラが収まらない。

「大輔。すべて手筈通りに進めるのが、お前の仕事だ」

「わかっております。すべては打ち合わせ通りに」

大輔が手術台の私に向かって、恭しく頭を下げる。いつも通りのしぐさなのに、今日は妙に癇に障る。

進藤が手術台に近づいてきて、声をかけた。

「高宮さん。今から手術を開始します」

「ああ、よろしく頼むよ」

おそらく苦虫を噛み潰したような顔をしているかもしれない。進藤によろしくというのさえ、我慢ならない。だが、今だけだ。この手術さえ終わってしまえば……。

「一つ、事前にお話しないといけないのですが」

進藤がいつも通りの淡々とした口調で話す。この期に及んで、話すことがあるのか。

「十三年前の心臓移植のことです」

十三年前? それは、私がどこの誰かも知らない青年から、心臓を買って移植した時か。

「それが?」

平然と答えるつもりが、喉から絞り出すような声になったかもしれない。

「あの時の心臓は、つまり、今そこで脈打っているあなたの心臓ですが、どうやって入手したか、覚えていますか?」

どういうことだ。何を聞きたいんだ。

「脳死患者が出るまで、長いリストに名を連ねて待ったんだが……」

私の答なぞ、聞いてはいないのだろう。言葉が終わる前に、進藤は口を開いた。

「その頃、僕の弟は拡張性心筋症と診断されて、人工心臓の埋め込み手術をしたんです」

進藤が私の顔を凝視してくる。その目は冷ややかで、小児科の子どもたちに慕われる医師とは別人のようだ。

「だが、それは嘘の診断で、弟の心臓は何一つ悪いところはなかった」

進藤の視線が私の胸に移動して、止まった。

「誰かが大枚をはたいて買った」

頭に血が上った。カッとなって、叫んだ。

「それが私とどういう関係があるんだ!」

進藤が、にやりと笑う。図られた!

「弟に埋めた人工心臓は、三年も持たずに止まった。あんたの会社が作ったやつはね」

進藤は周りの手術室のスタッフに目をやる。私もたまらず周囲を見回した。看護師の桐生と目が合った。桐生なら、何とかしてくれるはず……。

「進藤さんだけじゃない。私は姉を」

なに?

心臓外科医の八神が私を見て、続ける。

「私は婚約者を、同じ手口で失った」

どういうことだ!

進藤が勝ち誇ったように続ける。

「だから、これは復讐さ。生活に困った若い世代から、金に飽かして臓器を買いあさる、そういう年寄り連中に」

「待て! そうやって手に入れた金で、お前たちは教育を受けたんだろ。同じじゃないか!」

そう言いながら、助けを求めて大輔を探した。目が合うと、離れて立っていた大輔はゆっくり近づいてきた。

「大輔。こいつらを何とかしろ!」

大輔が、静かに笑う。

「お父さん、見苦しいですよ」

目を見張った。

「自社の人工心臓も十数年の間に高性能になっていますから、余生を送るのには十分でしょう」

「なに?」

大輔が、いつものように静かな口調で続ける。

「私も、兄の心臓をだまし取られましてね」

何を言っている?

「高宮の家に養子に入るため、いただいたお金は使わせていただきました」

そして、感情的になったことなどない大輔が、声を震わせて続けた。

「金に困ってた両親をいいようにだまして、いったい、いつまで生きるつもりだ!」

言葉が出なかった。

進藤が大輔の肩に手をかける。

「後は任せてくれ」

大輔は小さくうなずき、後ろに下がった。

「やめろ!」

私の叫びがむなしく響く。看護師と医師に押さえつけられていた。

「始めます」

進藤の手術開始を知らせる声が、遠くに聞こえた。

「翔。待たせたな」

誰に言うともなく、進藤がつぶやいた名前。それは、進藤の弟。……この心臓の持ち主だったのか。

進藤の持つメスがキラリと光った。意識が遠のいた……。

 

目が覚めるとICUのベッドの上だった。ほどなく病棟の特別室に移った。

進藤をはじめ、手術担当の全員が辞表を提出したという。病棟の担当医も看護師も、すっかり代わっていた。

私の心臓がどうなったのか、何が埋め込まれているのか、わからない。もう、そんなことはどうでもよくなっていた。あの日、手術室に集まった若者たちは、いつか訪れる復讐の日のためだけに、腕を磨いていたのだろうか。そう思うと、激しく胸が痛む。自らの過ちの深さに、気が遠くなった。私の罪は、裁かれて当然だ。遅かれ早かれ、警察沙汰になるだろう。覚悟はできている。

朝刊に、岩倉のインタビュー記事が掲載されていた。傲慢な笑いを浮かべた、手術前の、何も知らない私の顔写真が載っている。目を通すのも嫌だった。テーブルに向けて無造作に投げたが、届かず床に落ちた。

その時、ドアが開いて大輔が入ってきた。いつものスーツ姿ではなく、ラフな格好をしている。こいつも、犠牲者だったか。私はどんな顔をして大輔を見ればいいのだ……。目頭が、不意に熱くなった。泣いて、どうなるものでもないと、わかってはいるのだが。

「お父さん」

まだ、そう呼んでくれるのか……。

「会社のほうに、ひっきりなしにマスコミから問い合わせが入っています」

そうか。そうだろう。世話をかけているな。

「ハイパレスメディカルの会長ではなくて、一人の篤志家として、取材させていただきたいそうですよ」

――意味が、分からない。篤志家、とは、何のことだ。

「その顔では、まだ読んでいないのですね」

そういって、床に落ちた朝刊を拾った。

「岩倉さんの記事ですよ。若者に自らの臓器を与えることを躊躇しない篤志家、と書かれています」

手渡された新聞を広げる。同じ手術室にいた若者の写真だ。満面の笑みを浮かべている。大輔の顔を見た。私は間抜けな顔をしているに違いない。大輔は、いつものように静かに笑っていた。

あの日の移植について、大輔は私に真実を語った。

隣の手術台にいた、計画では私に心臓を提供することになっていた青年は、進藤の大切な患者だった。生まれつき奇形のある心臓を、度重なる手術で何とか持たせてきた。それが、もう限界で、いよいよ移植手術となった。進藤は、私に移植してあった自分の弟の心臓を、その患者に移植した。それが、あの手術での、進藤の唯一の救いだった、と。

そうか。そうだったのか。なぜか、少し気持ちが落ち着いた。

「お父さんには、わが社の誇る最新の人工心臓が入っています。私が手掛けた製品ですから、長持ちしますよ」

そういって、大輔はさわやかに笑った。

お前は、……お前たちは、許してくれるのか。こんな私でも――。

 

今年米寿を迎える私が誇れるものといえば、この心臓だ。この歳になっても、一向に衰えを見せず、毎日規則正しい鼓動が聞こえる。速足で歩いても、息が上がることもない。自慢の心臓だ。

私は、この心臓を作ってくれた息子の大輔と、執刀医の進藤先生を、心から尊敬している。

 

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