梗 概
球港
「全てのヒトとモノが繋がる世界」を目指して、香港に直径5kmのドーム型都市「球港」が開発された。双角錐の建物がドームの天頂まで犇めく球港は、全ての家電・生活用品・消費財が都市内のネットワークで管理され、あらゆる商品を10分以内に目的地点に届けることが可能となった。21世紀半ばの東南アジアは猛烈な工業発展を続ける反面、大気や水質汚染の深刻化により周辺地域から2億人が球港へ移住している。中学校に上がったばかりのルーカスは、父親の転勤でアメリカから引っ越してきた。
ルーカスが4歳の時に買ってもらったスマートスピーカー、アリシアは彼の相棒だ。仕事が多忙な両親に代わって学校や趣味の話題に花を咲かせ、夜が更けるまで彼の話し相手になった。お願い一つで全ての悩みを解決し、声をかけると明るく答えてくれるアリシアは、ルーカスにとって他の人間の誰よりも近しい存在だ。球港はアリシアの本領を活かせる格好の舞台となり、アリシアがスマート家電に対応する洗濯機や自動炊事器を動かし人力を借りずに家事を全てこなした。
一方で一人世帯を狙った生体証明の流出急増を問題視した球港管理府は、世帯構成員のネットワーク化を提唱する。全ての都市住民に友好的かつ密度の高い相互理解を促すこの政策により、ルーカスの家には日替わりで人種や国籍の違う夫婦が訪れるようになった。食欲をそそらない食事、守られない決まり事、会話の噛み合わない訪問者にルーカスはイライラを募らせた。両親へ帰国をお願いするも、大きなビジネスチャンスを前に二人とも仕事の舞台を変える気が微塵も無い。アリシアの助言をもらいながら、ムシャクシャした毎日をやり過ごすしかなかった。
ある日、英語の通じない老夫婦が部屋の家電や家具をかき集める傍らでアリシアを取り上げる。闇市場に売ることを察したルーカスが必死に阻止しようとするが、老夫婦はルーカスの生体証明も闇市場へ商品登録し去っていった。受け渡し時刻は、翌日の午前6時だ。
呆然とするルーカスに、オンラインのアリシアから着信が入る。
「アリシア、慰めはよしてほしい。家の中身も、両親の面影も、生きた証も失ったんだ」
「いいえ、まだ時間と希望が残されているわ。奪われたもの全てを取り返す方法があるの」
「全て? まさか、都市システムを止めたら君が消えてしまうじゃないか!」
「私の役目はあなたの声に応えること。声を聞くことができれば、私はあなたの側にいるわ。お願い、許可して」
加工された若い男性のボイスメッセージは、球港の全世帯へ送信された。
「球港のネットワークに隠匿性の高い『モノ』随伴型ウイルスを拡散しました。本日24時、ウイルスに感染したモノを持っていた人は生体証明が公に晒され命の保証は無くなります。回避するには、身の周りのモノ全てを誰かに転送してください」
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内容に関するアピール
IoTによってあらゆるモノがネットワークに組み込まれた時、人間関係に費やすコストよりもAIを含めたモノとのやり取りに費やすコストの方が下がる。人々がモノによって充足する世界では、家族や社会という組織の必要性が薄まり孤立した個人の時代が訪れる。
しかし、ネットワークに最適化した社会においては、個人に対して自己責任での行動を要求し、思いもよらぬノイズが吹き溜まり、信頼を人質に取られる。物語では、ルーカスが強くなった自己意識と現実のギャップに葛藤し、信頼の欠如した社会に立ち向かっていく姿を描く。
IoTの特徴であるP2Pネットワークに対する人々の信頼と逆手にとって、物語レベルではルーカスが都市内の全てのモノを管理下に置き、社会レベルではネットワーク社会に最適化した人間の脆さを炙り出します。
文字数:344