梗 概
蒼い音、紅い音
トルクメニスタンにある砂の谷の景色が一変したのは5年前。科学者ハラショの手で、蒼い風車が幾つも立ち並んだ。隕石で出来た六合ジャム(サッカーボール状炭素の潤滑剤)で塗装した風車の羽は、村中に優しい美音を響かせた。
母ハラショの作るチュリョク(郷土パン)を、息子ヤジェは愛した。味ではなく、焼きたての音を。7年前の事故で、聴覚過敏症になったヤジェにとって、美音が流れるこの村も、心地よい音を奏でる朝食も、居心地が良かった。
『早ク帰ッテネ』
「はいよっ!」大袈裟に手を振り母の顔で応えるハラショ。
昼時、地面がグラリ揺れた。咄嗟に腹を庇ったハラショは、すぐ異変に気付く。美音は止み、代わりに錆びた車輪を力ずくで引き回すような音が村中に響いていた。
ギャゴォオン…
蒼い風車達を、無数の紅い菟葵(イソギンチャク)が埋め尽くしていた。
憶測が飛交う中、ハラショは2つの真実に辿り着く。
一つは、菟葵は六合ジャムを舐め廻していて、24時間後に致死量の放射性物質を排出する可能性が高いこと。
もう一つは、菟葵を殲滅するには、相当量の電力を風車に流さねばならず、村では賄えないこと。外から獲る時間も経済力もない。
唯一の解決策はヤジェの「原子心臓」だった。
7年前、或る街の原発でハラショは若き所長を務めていたが、暴発事故で街は壊滅。原発の託児所に居た息子は被災。「関係者より街人が先だ」と後回しになり、医療が間に合わず心臓停止。ハラショは禁忌とされた原子力の生物応用を駆使し、ヤジェに「原子心臓」を宿していた。
気鋭の科学者は、不快音を立て蠢く無数の紅い化物が「世界で最も安心」と称された動力源を這う様を、ただ眺める事しかできない。
村を棄て逃げるか?それとも…。選び得る選択肢にハラショは苦悩した。
結論を出せぬまま自宅に着くと、耳を塞ぎ寝込む息子が居た。
ハッと慌て寄る母に、笑顔で『生キルトハ、死ヌトイウ事カモシレナイネ』と息子。
「そうじゃない。生きることとは、生き続けることよ」擦れ声で答える母。
『去年ダッタカ、記録冊子ヲ見テネ。勉強ガ追付カナイ部分モアッタケド…7年前ノアノ日、キット一度死ンダンダヨネ?鈍イ音デ胸ガ痛ムノハ心ノ病気ナンカジャナイ。胸ノ機械ノセイ』
驚き紅らむ顔を隠し、母は毅然と「何かが変わるわけではないでしょ」と返す。
『イヤ。僕ニデキルコトガ飛躍的ニ増エルサ。僕ハ過去、コノ村ハ希望』
「そうじゃない、貴方こそ私の希望、これからも続く現実よ。2人で、また新天地で始めま…」
『ダメダヨ。生キル勇気モ希望モ、僕ラハ村カラモラッタンダ。コンナ汚イ音ハ聴キタクナイ。イイヤ、聴カセタクナインダ。僕ニハ役割ガデキタ、デショ?』息子はそう言うと、母の膨らむ腹を庇いつつ、優しく抱きしめた。
外が明るい、もう時間はない。
手を繋ぎ研究所へ向かう2人は、震えながらも、真っ直ぐ前を見ていた。
母が息子の胸を開け、希望を取り出すその直前、彼は呟いた。
『嗚呼、これで世界は、僕の大好きな母さんの蒼色だ。
嗚呼、妹かな弟かな、何でも嬉しいや。』
文字数:1286
内容に関するアピール
古い技術が何かしらの大事故によって否定され、新技術が登場するというシチュエーションでは、その新技術は「過剰な救世主」像を背負いがちになる。それ故に不都合が生じて、また次に…。そんな不のループ構造が世界に蔓延しているのでは?と、感じていました。例えば、原発事故以降のクリーン電力。巨大マネーを巻き込むエネルギー開発には、危険性の議論は手薄に感じます。
そんな時こそ、「これからの科学を語り得るSF」が新技術のリスクや希望、議論されていない可能性といったものを描くべきでは?と思いました。ただし科学論文のような事実考察ではなく、空想ドラマの中に生まれるスキットを通じて。文学の力による感情の動きを通じて。
そんな想いの下、原発事故を契機に田舎に移り住んだ科学者とその子を主演に、自ら推し進めたクリーン電力装置がトリガーとなって、絶望的な状況に追い込まれる田舎村を舞台にしました。
文字数:385