梗 概
Spector
インド宇宙研究機関の施設で初めて高次元生命体の存在を観測されてから十年、人類は彼らとの共生を始めていた。始め人類は目に見えない知的生命体の存在に警戒していたが、彼らに攻撃の意思がないこと、そもそもお互いに物理的に接触できず攻撃することも地球から追い出すこともできないことから共生の道を選んだ。フェルミオンと名付けられた彼らは肉体も寿命もなく生殖もせず、個体としての意識と群体としての意識を持ち並列思考できる。彼らは人類の住む世界を観測することができ人間は生身では彼らを観測できないが、人類側の交信装置によるアプローチでのみ両者は交流することができた。好奇心旺盛なフェルミオンは気に入った人間の家に棲み付き、人々は電話機型に小型化された交信装置を介して見えない隣人との交流を楽しんでいた。
冷たいコンクリートで囲まれた部屋で、ヘスは受話器を取る。ヘスの今の仕事は、デスクと椅子だけが置かれた部屋で壁いっぱいに張られた資料を眺めながら45口径の拳銃と弾倉の手入れをすることだった。そんな彼の唯一の楽しみは、家に棲み付いたレイスという名の一体のフェルミオンとの通話だった。
「おはよう、遅くなって悪い」
「べつに待ってないさ、こんな清々しい朝には暗くてカビ臭い部屋にいるより屋根の上で太陽風を浴びるに限るよ」
能天気なレイスはだらだらと世間話をし、ヘスはそれを聞きながら復讐の準備をする。彼の妻子は居眠り運転のトラックにより轢き殺された。裁判で運転していた男と、長時間労働を強いていた雇用主の運送会社から多額の賠償金が支払われたが、ヘスは家族を失ったショックから仕事も辞め家に引きこもり復讐の計画を練った。希望を失いこれ以上失うものの無い彼は、妻子を殺した男の家族を殺すことに対し戸惑いはなかった。そして犯人の男が執行猶予中で家にいる今は絶好のチャンスだった。レイスはそんなヘスに興味を抱いたのだった。
「どうして君は復讐なんかするんだ?彼らを殺したところで君の家族が墓から帰ってくるわけじゃない」
「そんなことはわかってる」
ヘスは続ける。
「気持ち良いからだよ、きっと最高にね」
レイスは驚きで変な声を出す。死という概念を持たない生命体にとって、身を危険にさらしてまで復讐という非合理的な行為をする彼の行動は理解し難かった。
「死ぬのは怖くないのか、良くて絞首刑、最悪警官のショットガンの的だよ」
「このまま何もせず死ぬほうがずっと怖いさ」
「自分の命より仇の命を選ぶとは、殊勝なことだね」
数日後の夜、ヘスは計画を実行に移した。男の家の裏庭側の窓から侵入しリビングへ近づく。食事中のようだが男の怒号と女性の絶叫、そして子供の泣き声が聞こえてくる。男の犯した罪によって家庭崩壊に陥っているようだった。ヘスは座っている男の背後から近づくと躊躇なく引き金を引く。背中から後頭部にかけて数発の銃弾を受けた男は力なくテーブルに倒れこむ。ヘスは震える手で上着の内ポケットから新しい弾倉を取り出す。その瞬間、警察がドアを蹴破り突入してくる。ヘスは地面に組み伏せられながら、レイスが直前に他のフェルミオンに呼びかけ警察に通報したことを察する。視線を上げると恐怖に満ちた表情の男の妻子が視界に映る。ヘスは深く息を吐き目を閉じる。彼の顔は苦悶に満ちていたが、安堵しているようにも見えた。
文字数:1373
内容に関するアピール
昔ネットで見かけた『本当は地球に知的生命体はたくさんいるけど小さすぎて見えない』という説から着想を得ました。話さずとも仲間内で相互理解が可能で死という概念が無い生命体と、いわゆる『無敵の人』の関係性を書こう、と思ったのですがあまり設定を活かせなかったので次回は頑張りたいです。タイトルは目に見えない生命体と、悲しみで化物になってしまった男を表しています。
文字数:178