梗 概
リアル・サイボーグ
ヒロトはもちろん、1年4組の生徒は皆、ケイと出会った入学式の朝のことを忘れないだろう。
その日、登校した新入生は、自分のクラスを確認して教室で待つよう指示された。教室では、高校での友だちを作ろうと、ぎこちない会話があちこちで繰り広げられている。しかし、内気なヒロトは誰とも話せずにいた。
ある生徒が教室に入ってくると、徐々に熱を増していた教室が一瞬静寂に包まれた。その生徒がケイだ。彼女は、全身を機械化したサイボーグだった。彼女の歩く動作は、明らかに機械のそれであり、微かにモーター音もきこえる。遠目にみれば、そのよくできた顔や身体の造形から、生身の人間に見えたかもしれない。しかし、狭い教室の中では、否が応でも造りものの顔に目がいく。その瞳や表情には、生気が感じられなかった。
もちろん、サイボーグ化技術が医療用途で実用化されたことは、皆聞いたことがあった。おそらく、彼女も事故や病気のために、サイボーグ化せざるをえなくなったのだろう。とはいえ、サイボーグが同級生になるなんて、誰も想像していなかった。
ケイが席について少しすると、ある男子生徒のグループから「俺がきいてやるよ」と声がして、見るからに目立ちたがりで軽率な男子がケイに近寄って尋ねた。
「“あなたはロボットですか?”」
それは、〈確認の問い〉と呼ばれる質問だった。法律によって、自然言語を扱うAIやロボットはこの質問に必ず“Yes”で答えねばならないことが義務付けられている。しかし、それをサイボーグに問うのはあまりにデリカシーがない。
「私がロボットだと思った?」合成音声がケイの口の辺りから発せられる。予想外の強気な返事に、男子生徒が少し戸惑う。
「いや、一応確認しておこうと思って」
「そう。じゃ、君は童貞?」間髪入れずケイがきいた。男子生徒が答えに窮する。
「確認のためなら何でもきいていいと思うな」彼が口を開く前にケイがいった。
ヒロトは、ケイをかっこいいと思った。
入学式の帰り、ヒロトは幼馴染みであるミノルにケイのことを話す。ミノルは聞き終わると、ヒロトにまだサイボーグになりたいと思っているか尋ねた。「彼女のように強くなれるなら」とヒロトは答える。
ヒロトは、生まれつき病弱だった。幼い頃から何度も入退院を繰り返し、自分の思い通りにならない体に嫌気がさしていた。いつしか、映画やアニメのサイボーグのように、体を取りかえて強くなりたいと思うようになっていた。
数日後、ヒロトが体育の授業を見学していると、同じく見学のケイが彼に話しかけてきた。
「君、サイボーグになりたいの」
その後、ケイは機械の体の不自由さを説明し、それでもいつか生身の体と同じように動かせるようになりたいと話す。逆に、ヒロトは病弱な体の不自由さとサイボーグへの憧れを語る。
「サイボーグになれば強くなれる?」ケイがきいた。
「映画やアニメの中ではね」
「……サイボーグって、もとは軍事目的だったの。実は、私が体育を見学してるのも、皆にとって危険だから。放課後、私の本当の力をみせてあげる」
その日の授業が終わると、学校から一駅ほどの河原でヒロトとケイは落ち合った。
「全力で走るからみてて」ケイがいう。ヒロトは、少し離れた高台からその様子をみる。
ケイが短距離走用の制御ソフトを起動する。プログラムされたスタートの構えに隙はない。ケイが走り出す。初速は人間ほど速くない。しかし、徐々に加速していく。――と、そこでケイが派手に転倒した。
ヒロトが慌てて駆け寄ると、倒れたままケイがいった。
「どう? これがサイボーグの本気。室内で平面ならまだしも、こうして風が吹いたり砂利があったりするとまともに走れない。それに、この体勢からだと起き上がることもできない」
ヒロトが手を貸して、ケイはなんとか立ち上がった。
「私は弱い。本当は他人の助けなしに生きられないのに、一人で全部やろうと強がってるだけ。周りの反対を押し切って普通の高校に入ったのも、私の強がり。クラスの何人かは助けになろうとしてくれてるのに、私のこの性格がそれを阻んでることもわかってる……」
「そうだとしても、僕はそんな君に勇気をもらったんだ。それはきっと僕だけじゃないよ」
「ありがとう」そういってケイが笑みをこぼす。いや、人工皮膚の表情は変わっていない。しかし、ヒロトには機械の体の奥で彼女が笑っているのがわかった。
文字数:1798
内容に関するアピール
入学式の朝の男子生徒とケイ、体育見学時のヒロトとケイ、そして、放課後の河原での二人。この三回を魅力的なやり取りにするつもりです。これらの会話を通して、最初期のサイボーグが一体どんなものか、ケイはどういう人物で何を考えているのかを明らかにしていきます。また、ヒロトとケイの会話では、サイボーグになりたい気弱な少年と、サイボーグにならざるをえなかった気丈な少女とが、はじめすれ違っていたところから、徐々に互いを理解し合っていく様子を描きます。
映画やアニメのサイボーグは、多くの場合、超人的な能力をもっています。しかし、現代の義肢技術や二足歩行ロボットの延長を考えたとき、最初期のサイボーグは、むしろ一人で生活することすらままならないのではないでしょうか。そうした疑問が、この作品の発端になっています。
ケイの容姿については、大阪大学の石黒教授によるジェミノイドを念頭に置いて書きました。
文字数:400
サイボーグ・クラスメイト
今のぼくがあるのは、ケイとの出会いがあったからだ。もう十年以上が経つけれど、初めて彼女を見た入学式の日のことは鮮明に覚えている。あれは、二〇三二年のことだった。
一
教室では、どこの中学出身だとか、何の部活に興味があるといった、あたりさわりない会話があちこちで繰り広げられていた。初対面の相手にわるく思われないよう、あるいは、少しでもよく見られようと、どの会話もなんとなくぎこちない。そんな中、ぼくはまだ誰とも話さず、一人そわそわと教室を見まわしていた。
学校に着いたとき、玄関の掲示で自分のクラスを確認して、教室で待つよう指示された。一緒に登校した幼なじみのミノルとは、別のクラスだった。教室に入ると、すでに八割方のクラスメイトがそろっているようだった。入口近くの席に座っていたスカートを履いた長い髪の生徒が、黒板に出席番号で席の指示があると教えてくれた。
ぼくの席は――不運なことに――廊下側一番うしろの角の席だった。話しかける相手の選択肢が、前と左の二つしかない。前の生徒は、さらにその前の生徒とすでに話し込んでいる。左の生徒とその前の生徒は、クラスの女子を一人ひとり取り上げては、アリだとかナシだとか話していた。二人とも制服をかなり着崩していて、左の生徒にいたっては、入学初日というのに校則違反のピアスまでしている。あまり関わりたくない感じだ。
そういうわけで、ぼくはまだ誰とも話せないでいた。後ろから全体を眺めると、同じように一人できまり悪そうにしているクラスメイトがポツリポツリといるのがわかる。そのうちの一番近い生徒のところへ席を立って話しかけにいこうか、と考える。どうやって話しかけるのが自然か、頭の中で何パターンもシミュレーションした。なかなか第一声が決まらずに、時間だけが過ぎていく。
一人で考え込んでいるうちに、いつのまにか教室がしんと静まり返っていた。何があったのかとあわてて周りを見渡すと、みんな教室の入口の方を向いている。その視線の先には、新しく入ってきたクラスメイトがいた。
それが、ケイだった。
はじめ、なぜみんなが黙り込んでしまったのか、ぼくにはわからなかった。彼女が何の変哲もない普通の生徒に見えたのだ。しかし、彼女がドアを閉めようとして、違和感に気づく。その動きは、人間のそれではなかった。機械特有のなめらかさに欠けた動きだったのである。静寂の中で、低くうなるモーター音だけが響いていた。
一瞬、ロボットが教室に入ってきたのかと思った。けれど、すぐそんなはずがないことに思い至る。いくらロボットが生活圏にも普及してきたとはいえ、公立の学校に導入されるほどではない。何より、これほどまで細かく人間を模したロボットが、学校なんかで必要になるはずがない。
きっと、彼女はサイボーグだ。この十数年で、サイボーグ技術は驚くほど進歩した。二〇二一年に〈悪魔の研究〉と呼ばれる膨大な論文や研究資料がインターネットに突然現れ、脳科学や神経科学といった分野を中心に、人間の身体に関する理解が大きく進展した。そして、ソフトウェアやハードウェアの技術発展とあいまって、サイボーグが現実のものとなったのだ。今では、ほとんどの身体機能は人工物で代替できるらしい。じっさい、義肢や義眼の人を見かけることは、それほど珍しくなくなっていた。
しかし、彼女ほど体の多くをサイボーグ化している人は見たことがない。ドアを閉める動きから、両手両足が義肢であることがわかる。服の内側はわからないが、顔も造りものだった。いや、遠目にはほとんどわからない。それでも、どんなに精巧な人形の顔も人間のものでないと分かるのと同じように、彼女の顔が自然のものでないことがわかる。その瞳や表情には、なにか生気のようなものが感じられなかった。
彼女はドアを閉めると、ぼくらの方を振り返った。ぼくは、さっと目をそらした。彼女が全身サイボーグであるなら、それは重度の身体障がい者であることを意味する。何か重い事故や病気ために、サイボーグにならざるをえなかったのだろう。そう思ったとき、じろじろと見つめていたことが、なんだか気まずく思えたのだ。他のクラスメイトも同じなのだろう。多くがさっきまでの会話の続きに戻っていた。
とはいえ、話し相手のいないぼくは、教室を様子をうかがうくらいしかすることがない。顔をあげると、さっき席について教えてくれた髪の長い生徒が、サイボーグの彼女にも同じ説明をしていた。じろじろ見ないようにとは思っても、好奇心には勝てず、ぼくは視界の端で彼女の動きを追っていた。
彼女は、黒板を確認すると、教室の真ん中の方へ歩いていった。彼女の席らしい空席の前で止まると、その形を確かめるようにしばらく席を眺める。そして、ゆっくり椅子を引いて、何度も自身と椅子の位置関係を確認しながら、慎重に席についた。
「なあ、あれってロボットじゃないよな?」斜め前の席の生徒が、左のピアスの生徒に小声で聞いた。
「わかんねえ。本人に聞いたら?」ピアスの生徒が面倒そうに答える。
「いや、そんなの聞けるわけないだろ……」斜め前の生徒が笑いながらいった。しかし、ピアスの生徒は冗談のつもりではなかったらしい。
「なら、おれが聞いてやるよ」
いたずらを思いついたようにニヤッと笑って、その生徒はケイの方へ歩いていった。そして、彼女の正面に立って薄笑いを浮かべたままいった。
「“あなたは、ロボットですか?”」
それは、〈確認の問い〉と呼ばれる質問の一つだった。自然言語を扱うAIは、この問いに必ず“イエス”で答えなければならない。これは、国際規格で定められていて、AIをつくる企業はこれを守ることが義務付けられている。近年のAIは、カスタマーサポートや予約受付といった内容が決まった会話であれば、人間と同じ、あるいは、それ以上にうまくこなすことができた。そのため、電話の相手がAIか人間かを判別することは容易ではない。しかし、区別できないと困ることもあるため、そのような規格が定められたのだ。
とはいえ、それをサイボーグに問うのはあまりにデリカシーがない。
その生徒の質問によって、ケイは再び教室全体の注目を集めることになった。面白がるように彼女の返答を待つものや、眉をひそめてピアスの生徒の質問をとがめる様子のものもいる。ぼくを含め、多くの生徒が、好奇心半分、非難半分といった感じで二人の方を見ていた。
「私がロボットだと思った?」ケイの口が開いて、合成音声が口付近から発せられる。彼女は、コントロールの難しい人工声帯ではなく、合成音声を発するスピーカーを採用したらしい。
「いや、一応確認しておこうと思って」予想外の強気な返事に、ピアスの生徒が少し戸惑ったようすでいった。
「そう。じゃ、きみは童貞?」間髪入れずに彼女がきいた。
突然の質問に、ピアスの生徒だけでなく、教室の全員があっけにとられた。その質問の意味が理解されるとともに、教室の注目はケイからピアスの生徒へと移っていく。教室から非難の空気は消え、好奇心一色になった。ピアスの生徒は口をもぐもぐさせて何か言おうとしていたが、言葉になっていなかった。
「確認のためなら何でも聞いていいと思うな」ピアスの生徒が口を開く前にケイがいった。
こうして、タツオというピアスの生徒が童貞であることと、ケイという生徒がロボットではなく人間であり、それもかなり肝がすわっていることが、クラスの共通認識となった。
ぼくは、彼女をかっこいいと思った。
二
「――その後はどうなった?」幼なじみのミノルがいった。入学式が終わったあとの帰り道、駅のホームでベンチに腰かけて電車を待っているときだった。
「ちょうど時間になって先生がきたんだ。だから、そこで終わり」ぼくが答える。
校門で待ち合わせてからここまで、今朝教室で起きたことを話していた。サイボーグの生徒が不良の生徒をやり込めた話は、あっという間に噂になっていて、会うなりミノルがその話を聞きたがったのだ。
「そっか。殴り合いのけんかとかにならなくてよかったな。相手の生徒、けっこう柄悪かったんだろ」それまで前のめりぎみに聞いていたミノルが、ベンチにもたれかかりながらいった。心配しているかのような言いぶりだけれど、本心では殴り合いになった方が面白かったのに、なんて思っているに違いない。
「やっぱり、サイボーグはけんかも強いのかな」ふと思いついたように、ミノルが続けた。
「たぶん、弱いと思うよ。椅子に座るだけでもかなり大変そうだったし、あまり機敏な動きはできないんじゃないかな……」教室での様子を思い出して、ぼくはいった。
「サイボーグっていっても、そんなもんかあ……」ミノルが伸びをしながらいう。少し間をあけて、ぼくの方を横目で見ながらきく。
「ヒロトも昔、サイボーグになりたいってよく言ってたけど、今もそう思う?」
意外な質問に、ちょっと驚く。たしかに、小学生くらいの頃、ぼくはサイボーグにあこがれていた。今思えばたわいのない話だけれど、ミノルがそれを覚えていて、さらにそれを真面目に聞いてきたことがおかしくて、ぼくはふっと笑う。
「そういえば、そんなこと言ってたっけ……」
そういって、ぼくは少し考える。いまもサイボーグになりたいと思うだろうか。
ぼくがサイボーグになりたかったのは、病弱な体を頑丈な機械の体に取り替えたかったからだ。ぼくは、幼い頃から病気がちで、入退院を繰り返していた。何度も苦しい思いをするうちに、この不自由な体ごと取り替えてしまいたいと考えるようになった。そんなとき、サイボーグ技術が急速に進歩しているというニュースを聞く。小学生のぼくの頭の中にうかんだのは、映画やアニメに出てくる超人的な強いサイボーグだった。近い将来、そんなふうになれると思って、サイボーグになりたい、なんて言っていたのだ。
しかし、現実のサイボーグはそんなに強くない。身体機能を代替できるといっても、ほとんどはかろうじて日常生活が送れるという段階だ。ましてや、人間の能力を完全に上回るなんてことはありえない。
「病気になるのもいやだけど、現代のレベルのサイボーグとなると、それはそれで大変そうだな……」
そう言いながら、ぼくはケイのことを思い浮かべる。彼女にとっては、椅子に座ることも、階段を上り下りすることも、人と会話することも、実はとても大変なことのはずだ。それでも、今日一日、彼女は誰の助けも借りなかった。人工皮膚の表情からは何も読み取れなかったけれど、かなり無理をしていたに違いない。にもかかわらず、ちょっかいをかけてきた生徒を撃退するなんてことをやってのけたのだ。改めて、すごいな、と思った。サイボーグになれば、あんなふうに強くなれるのだろうか。
「でも、彼女のように強くなれるなら、考えてもいいかもしれない」思っていたことがつい口に出て、すぐにしまった、と思う。横でミノルが声を上げて笑っていた。
「それは、サイボーグと関係ないだろ」
「そりゃそうだけど……」そんなに笑わなくてもいいだろ、と頭の中でつけ加える。
「まあ、いくらやり返すためとはいえ、いきなり『童貞?』なんてきくような女子、なかなかいないよな」ミノルはそういうと、ふと迷ったようすで続けた。
「――そのケイって子、女子、でいいんだよな……?」
「スカートだったし、そうだと思うよ……」ぼくはちょっと口ごもる。
「そっか……。全身サイボーグって話だから、ちょっと気になって」ミノルはそういって、なんでもない、というふうに肩をすくめる。
「うん……」ぼくは、なんて言えばいいかわからなかった。サイボーグの性というのは少し気になるけれど、それを話題にするのは避けたかった。
ミノルは、もともとミノリという名前で、生物学的には女性だ。しかし、性自認は男性で、ものごころついた頃からミノルと名乗っている。今もズボンを履いているし、はたからみてミノルを女性だと思う人はいないだろう。普段はそれを意識することはないけれど、こうして性が関わることが話題になると、どういう態度で接すればいいのか一瞬わからなくなる。そうやって変に意識することこそが、ミノルに気まずい思いをさせると分かっていても、どうにもできなかった。
ミノルも、ぼくがこの話題を苦手に思っていることを知っていて、あまりその手の話を振ってくることはない。ただ、そうやって気を使わせていることも、ぼくには申し訳なかった。ミノルにとって大事な話を、友達としてきちんと聞いてやれない自分が嫌だった。
少し気まずくなった空気をなんとかしようと、互いに次の言葉を考ているうちに、もうすぐ電車がくるというアナウンスが流れた。
三
入学式以降も、サイボーグの新入生は注目の的だった。あの朝の出来事は、上級生にもまたたく間に広まっていた。しかし、注目の的とはいえ、事件の内容もあって、下手に彼女に話しかけるものはなかった。
クラスで行われた自己紹介から、彼女の趣味が読書ということと、車で南に三十分くらいのところに住んでいるということがわかった。彼女は、どうやら車による送迎で通学しているらしかった。
みんなが聞きたがったのは、彼女がどういう経緯でサイボーグになったかや、サイボーグであることを僕たちにどう捉えてほしいかということだったが、彼女の口からそれが語られることはなかった。
授業がはじまっても、彼女に特別な配慮がなされるということはほとんどなかった。彼女は、当てられれば質問に答えるし、黒板に回答も書きに行く。先生たちも、意識的に彼女を特別扱いしないようにしているようだった。彼女が思ったより普通だということがわかると、何人かは彼女に話しかけるようになった。毅然とした態度は第一印象のままだったけれど、クラスメイトと話す気がないということはないみたいだ。ただ、教室移動なんかのときに、ある生徒が気遣って教科書を持とうとしても、彼女がそれを受け入れることはなかった。また、彼女から他の誰かに話しかけるということもなかった。
昼休みに、彼女は教室から姿を消す。あとをつけたというクラスメイトの話によると、職員室の横にある生徒の立ち入りが禁止された部屋の中へ入っていったとのことだった。その部屋は、外から中の様子がわからないようになっている。その生徒は、さらに先生の目を盗んで、ドアの隙間からのぞき見しようとしたらしいが、鍵がかかっていてできなかったらしい。彼女は、そこで充電しているのではないか、という噂だった。
まだ謎の多い彼女について、他にもさまざまな憶測がなされ、根も葉もない噂も流れた。彼女はやはりロボットで、ここにいるのは、ロボットを学校に通わせる社会実験のためだという話や、彼女はある秘密機関の被検体で、一般には知られていない特殊なパーツが使われているといった話だ。じっさい、彼女の体は、見たことないほどリアルで繊細だった。他にも、実は何十歳も年上のばあさんで、それを知られたくなくてサイボーグになったのだというものもある。誹謗中傷に近いものもあったが、その多くは、あの事件を根に持ったタツオがクラスの外で流したものらしかった。
そういった話の中で、唯一信憑性があるのは、彼女が六年前の航空機事故の被害者というものだった。その根拠は、死亡者リストに彼女の両親とおぼしき男女の名前があったことだ。二人とも彼女と同じ姓で、それは決してよくある姓というわけではなかった。記事には、当時まだ実験導入だった緊急生命維持装置が用いられたという記述もあった。それは、サイボーグの中核となる技術を応用したものだった。
普段から彼女を気遣っている生徒――入学式の朝、席について教えてくれた髪の長い子だ――が、一度だけ、ごくごく遠まわしに、彼女がサイボーグになった経緯を聞こうとしたことがあった。しかし、ケイがきっぱりと「話したくない」といってその話は終わった。それ以来、誰も彼女にそれを聞くことはなかった。
ぼくはというと、四月が終わろうという時になっても、あまりクラスになじめずにいた。席の場所の悪さと、気弱な性格があいまって、まだ大半のクラスメイトと話せていない。中学の時、休みがちで迷惑をかけた経験から、部活にも入らなかった。休み時間は基本的に一人で過ごしている。また、体調もだんだんと悪くなってきていた。
その日、ぼくは体育の授業を見学していた。クラスメイトがハードル走の練習をしているのを、運動場の隅の木陰に座ってぼんやり眺めているときだった。
「きみ、サイボーグになりたいの」と、横から突然声がした。
振り向くと、そこにケイが立っていた。彼女はいつも体育を見学している。サイボーグが生身の体の生徒と一緒に運動するというのは難しいのだろう。ぼくは体操服に着替えていたが、彼女は制服のままだった。
「なんで知ってるの」突然話しかけられたこともそうだけれど、何より質問の内容に驚いた。
「そう言うってことは、本当になりたいんだ」
ミノルが話したんだろうか、ということが頭をよぎるが、ミノルと彼女に接点があるとは考えにくかった。
「一応言っておくと、ミノルくんから聞いたわけじゃない。だけど、誰から聞いたかいうつもりはない」ケイが、ぼくの考えを先読みしたように付け加えた。彼女の口からミノルの名前が出たことで、ぼくはいっそう混乱する。
「答えたくなかったら、答えなくていい」ケイがさらに言葉を重ねる。それ以上ぼくの疑問にこたえる気はなさそうだった。
言うつもりがないというのなら、まあいいか。ぼくは諦めてはじめの質問に答える。
「小学生の頃の話だよ。物語のヒーローにあこがれるみたいなものさ」
そう言ったあと、事故や病気でサイボーグにならざるをえない人もいる中で、サイボーグになりたいなんていうのは、あまりに無神経で失礼なことだと気づいた。
「気を悪くしたのなら、ごめん」ぼくは目を伏せていった。
「私こそ、ごめん。そんな気にさせるつもりはなかった」ケイがいう。ぼくが何も話さないのを確認すると、彼女が続けた。
「それじゃ今は、サイボーグになりたいとは思わない?」
こないだのミノルの質問と同じだった。ただ、あの時みたいに「きみのように強くなれるなら」なんて言えるはずもなく、ぼくは言葉をにごした。
「どうだろう……」そう言って彼女の方を見る。彼女は、立ったまま座るつもりがないようだった。考えてみれば、地面に座るというのは椅子に座るより難易度が高そうだ。彼女は、ぼくの方を見すえて、次の言葉を待っている。
ぼくは、また目をそらす。ざっとあたりを見回したけれど、僕とケイが話していることに気づいている人はいなさそうだった。ケイが別の誰かにここでのことを話すこともないだろう。ぼくは意を決して、気になっていたことをそのまま聞くことにした。
「きみは、サイボーグだからそんなに強いの?」ぼくは、目をそらしたままそういった。
「面白いこと言うのね」ケイがいう。合成音声の調子はいつもと変わらなかったけれど、心なしか笑っているように聞こえた。
「答えたくなかったら、答えなくていい」ぼくは目を背けたまま、彼女の言葉をまねる。
すると、彼女もぼくから視線を外して、運動場の方をみながらいった。
「これからいうことは秘密にしてくれる?」
あるクラスメイトがサイボーグになった経緯を聞いたときのように、きっぱり断られるだろうと思っていたので、意外だった。ぼくはうなずく。それを確認して、彼女は口を開いた。
「わたしが強いかどうかは、わたしにはわからない。でも、きみが今のわたしを強いと思うのなら、その強さはきっと、わたしがサイボーグになってから手に入れたものだと思う」
ケイが自分のことを話していることに気づいて、ぼくは驚いた。ぼくの知る限りでは、これまで誰も彼女から彼女自身の話を聞いたものはいなかった。なぜぼくなんかに他の誰にもしないような話をしようとしているのかわからなかったけれど、わざわざ秘密にしてと前置きして話そうとしているのだ。彼女がぼくを信用してくれていることを感じて、それに応えようと思った。
「サイボーグになってから、何があったの?」ぼくは、彼女の方を向いてたずねた。
「そうね……。たとえば、サイボーグの体でようやく歩けるようになったころ、こんなことがあった。一人で病院やリハビリ施設を歩いているとき、目の前にゴミを投げられたの。それも、なんの害もなさそうな老人や子どもが、平気な顔でそうしていた。まだうまく喋れなかった私は、なんでそんなことされるのかわからなくて、怖くて、ただ立ちすくむしかなかった。あとからわかったんだけど、彼らはわたしを掃除ロボットだと思っていたんだって。当時そういう場所にいるロボットといえば掃除ロボットくらいだったし、わたしも今よりずっと機械らしい見た目だった。彼らは、ロボットが掃除しやすいように、親切心でゴミをわたしの前に投げていたわけ」
おかしいでしょ、というように彼女は自虐的な微笑の表情をつくる。ぼくはとても笑う気にはなれなかった。
「それを知ったとき、最初はやるせなかった。タツオみたいに悪意があれば怒ることも簡単だけど、その時は怒りをどこに向ければいいのかわからなかった……」
ぼくは、あの入学式の朝、悪意のある言葉に全く動じない彼女を見て強いと思った。でも、それは間違いだった。きっと、彼女は傷ついていたのだ。ただ、あの程度の言葉でつけらるる傷なんかよりずっと深い傷をいくつも負っていて、目立たなかっただけにすぎない。
「つらかったね……」何かもっと気の利いたことが言いたかったけれど、月並みな言葉しか出てこなかった。
「ううん、本当につらかったのはその後だった……」彼女は、そういながら首を振った。
「その後も、そういう出来事は何度もあった。そうやって、何度も何度もロボットに間違えられるうち、やるせなさや怒りはどこかへいって、ある疑問が生まれた。わたしは本当に人間なのかって。わたしは自分を人間だと思い込んでるロボットかもしれないって。一度そう考え始めると、そうとしか思えなくなった。鏡を見ても、そこにいるのは機械仕掛けの人形でしかない。胸に手を当てても、心音を感じることはない。生身の心臓もなければ、鼓動を感じる皮膚もない。医者に頼んで、外部カメラの遠隔視野から自分の生身の部分を見せてもらったこともある。でも、その目は、わたし自身の目じゃない。その目で見たものが本当かも、その体が本当にわたしのものかもわからない。自分が何者かわからなくなって、生きている心地がしなかった……」
彼女の言葉を聞いて、ぼくは知らず知らずのうち自分の胸に手を当てていた。そこには、たしかに心臓があり、その鼓動を感じることができた。しかし、彼女はそれを感じることができないのだ。その感覚を想像しようとしたけれど、うまくいかない。自分が人間であるなんて、あまりに当たり前すぎて、そうでない可能性なんて考えることができなかった。
「そこから、どうやってきみは今のようになったの?」そんな頃があったなんて、目の前の彼女からは想像できなかった。
「自分が人間であるという根拠を探して、医者に聞きまわったり、いろいろな本を読んだりした。無我夢中で自分が人間だという証拠を調べ回った。でも、そうやってわかったのは、そもそも『人間』の定義が曖昧だということだった。――それに気づいたとき、わたしは、人間であることの定義を、わたしの外側ではなく、わたし自身の内側に求めることにした。つまり、わたしは、わたし自身が人間だと思うから、人間である。そう考えることにしたの。それ以来、わたしは自分が人間であるということを強く意識してきた。それが、今のわたしを形作ってる。わたしに強さがあるとすれば、それはそこからくるものだと思う」
彼女は、そういってぼくの方を見た。微動だにしないその表情は、何かを読み取るにはあまりに難しかった。
「きみの強さは、その体によるものじゃなくて、きみ自身の意識や心からくるものだったんだね……」ぼくは、彼女の言葉を咀嚼しようとする。
「ぼくははじめ、病弱な体を変えるために、サイボーグになりたいと思った。でも、今はそうじゃない。きみのように強くなるために、サイボーグになりたいと思っていたんだ。それは、ぼくの体の問題じゃなく、心の問題だった。心の弱さを体の弱さのせいにしていたのかもしれない……」
ぼくがそう言うと、彼女がかぶりを振りながら、さえぎるようにいった。
「それは違う。心の問題と体の問題は、そんな簡単に切り分けられるものじゃない。わたしは、わたしが人間であると強く意識するために、体の方も変えてきた。体の部品を交換する時は、機能性を犠牲にしてでも、できるだけ見た目や感覚が生身の体に近いものを選ぶようにした。そうしないと、自分が人間であるという意識が揺らぎそうだったから。きみは、心の問題を体の問題にすりかえることが間違いだと思っているようだけれど、そんなことない」
ぼくは、あらためて彼女の体を見た。はじめてみた時、ぼくは一瞬彼女のを何の変哲もない生徒だと思ったことを思い出した。彼女がさらに言葉を続けた。
「体を変えることで心を変えようとするのは何も珍しい話じゃない。サイボーグはちょっと極端だけれど、たとえば化粧や筋トレによる肉体改造なんかもそう。自分に自信をもつため――心を強くするため――に、そういったことをしている人は少なくない」
「きみは、ぼくにサイボーグになるべきだと言いたいの」彼女が何を言いたいのかわからなかった。
「それは、きみ自身が考えること」彼女はまた首を振った。
四
次の日、ぼくは熱を出して学校を休んだ。そして、その次の日にはさらに悪化して、結局いつものように入院することになった。
高熱にうなされながら、ケイに言われたことを考えた。心と体は密接につながっている。たしかに、こうして体が弱っていると、心も弱気になってくる。ぼくはまた、以前のように自分の体に嫌気がさしていた。いまさらサイボーグになりたいなんて言わないけれど、やっぱりこの不自由な体を、丈夫で健康な体に取り替えたいと思う。そうすれば、心も強くなれるだろうか? いや、逆かもしれない。心を強く持たないと、体だって強くならないのかもしれない……。
そんなとりとめのないことを、寝込んでいるあいだぐるぐると考え続けていた。
入院三日目の朝には熱も引いて、安静にしていれば特に問題ない状態になった。メッセージを確認すると、ミノルからいくつか届いていた。
“もう大丈夫。明日には退院予定”とメッセージを送る。すると、すぐに返信が届いた。
“じゃ、今日の夕方、久しぶりにあっちで会おう”
ぼくは、オーケーの絵文字を返す。ちょうど、ミノルに聞きたいこともあった。
夕方、ぼくはミノルに会う準備をする。新しいチャットルームを作成して、ミノルにアドレスを送った。そして、手袋式のハンドコントローラをつけ、VRヘッドセットを装着して、ミノルが来るのを待つ。病室にうんざりしていたぼくは、VRチャットルームの内装を、陽光が入るおしゃれなカフェに設定した。店員や他の客もいるが、それらはすべてNPCだ。
むかしはぼくが入院するたび、ミノルが病室までお見舞いに来てくれていた。けれど、ぼくがあまりに何度も入院するので、いつしかこの形に落ち着いた。物理的な病室ではなく、インターネットに用意したヴァーチャル空間にお見舞いに来てもらうのである。ミノルも病室まで来る手間が省けるし、ぼくもやつれた姿を気にする必要がない。
ミノルが、カフェの扉を開けて入ってきた。ミノルのアバターはアメコミのヒーロースタイルで、ボディビルダーのような筋肉をしている。ぼくを見つけると、向かいに座った。
「今回はどう?」ミノルの声はいつもより少し低い。声にピッチシフトのエフェクトをかけて、男性らしい声になるよう設定しているのだ。
「いつもと同じ。もう大丈夫」ぼくの声は、普段と変わらない。アバターは中学の時に好きだったアニメのキャラクターをモチーフにしたもので、その右腕は機械式だった。
それからは、普段一緒に登校するときと同じように、学校であったことや、最近見たビデオ、ハマってるゲームの話なんかをした。VRチャットの便利な点は、視覚情報をその場で楽に共有できることだ。現実だとモバイルデバイスの小さいディスプレイを一緒にのぞくことになるが、ここでは好きなサイズの画面を空間の任意の場所に広げることができる。
一通りのことを話し終えて、次の話題を探すための間が生まれた。ぼくは、聞こうと思っていた質問をすることを考える。でも、どうやってその話を切り出せばいいかわからなかった。それは、僕が普段避けている話題だったし、下手に話せばミノルをを傷つけることになるかもしれなかった。いつもなら何も考えずに話せるのに、言葉が頭の中で渦を巻いて形にならない。現実世界でぼくはつばを飲み込む。ハンドコントローラの手汗が気持ち悪さが無性に気になった。
「……まだ調子悪い?」ミノルのアバターが首をかしげる。アバターは、声の調子に合わせて、自動で動きをつける。プリセットから動作を選んで、意図的に動かすこともできた。
「いや、そんなことないよ。どうして?」現実世界の様子を見抜かれて驚いたぼくは、反射的に否定した。元気に聞こえるように努めたけれど、かえってわざとらしかったかもしれない。
「なんとなく、うわの空な感じだったから。こういう時、現実だったら顔を見ればわかるんだけど、VRアバターは無表情だからなあ……」そう言いながらミノルのアバターが、両手を広げて頭の高さまで上げ、唇を結び眉間にシワを寄せて顔を振った。〈困った・お手上げ〉のジェスチャーだ。言ってる内容とのギャップに、ぼくは笑った。ミノルもぼくの反応を見て笑う。
「実は、ミノルに聞きたいことがあるんだ……」緊張が途切れると、自然と言葉が出てきた。
「なに?」
ぼくは、一度深呼吸した。その音が聞こえたのだろう。ミノルがインターネットの向こうで身構えるのが分かる。
「ミノルはさ、自分の体を変えたいと思ったことある?」
それは、高熱でうなされている時に頭をよぎったことだった。ケイのいうように、心と体が密接に関わっているなら、体の性と心の性が異なるミノルはどうなのだろう。幼い頃は、ミノルも女の子らしい格好をさせられることがあった。そんな時、彼はきまって弱々しく黙り込んでしまった。彼の親の話によると、その格好になるまでは暴れまわって徹底的に抵抗していたらしい。化粧や筋トレがそうだというなら、服だって体の延長なのだ。それは心に影響する。そう考えたとき、ある疑問が頭を離れなくなった。もしかするとミノルも――服だけでなく――体を変えたいとずっと悩んでいたのではないだろうか。そう思うと、長年一緒に過ごしてきたのに、ミノルのことを何も知らない気がした。
ミノルが、ふーっと息を吐く音が聞こえた。そしていつもの調子で続けた。
「なんだ、そんなことか。あらたまって何を聞かれるのか、一瞬ドキドキした」
その声を聞いて、ぼくはほっと胸をなでおろす。怒られることや拒絶されることよりも、ミノルが無理して話そうとするのが一番怖かった。ミノルが落ち着いた声で質問に答える。
「あるよ、何度も。小さい頃なんかは、いつか体が勝手に変わると思ってた。この体は、自分の本当の体じゃない。だから、そのうち男の体へと自然に変わっていくんだって。でも、当然そんなことはなかった……」
「そういえば、ぼくも小さい頃、大きくなれば体が良くなると思ってた……」似た経験を思い出して、ぼくがいった。
「うん。そんなだったから、二次性徴がきたときは絶望だった。それに気づいた時ほど、自分の体が嫌だったことはない。それで――ヒロトに話したことはなかったけど――中学に入った頃から二次性徴を抑制する治療を始めたんだ。親や医者と相談して、もうすぐホルモン療法も始めることになってる。――体を変えたいって思うだけじゃなく、ぼくはすでに自分の体を変えつつあるんだ。サイボーグみたいに外科的なものじゃないけどね」
ミノルはあっさりとそう言ったけれど、その内容はぼくにとってショックだった。ミノルがそんな悩みを持っていたことも、そんな治療をしていたことも、何も気づいていなかった。本当にミノルのことを何も知らなかったのだ。たしかに、ミノルの体は、同年代の女性に比べれば、胸も出ていないし体の丸みもない。ただ、ミノルが男であることがあまりに当たり前で、体が女性であることは知ってはいても、そういうものかと思っていた。ちょっと考えればそんなはずないのに、今まで思いもよらなかった。
「知らなかった……」ぼくは、言葉を絞り出した。
「知らなくて当然さ。学校の友達には絶対に知られたくなかったし、知られないようにしてた。特に、ヒロトには気づかれないよう、かなり気を使ってた」
「そうだったんだ……」自分の鈍さがうとましかった。
「――でも、話せてすっきりしたよ」ぼくの暗い声をきいて気を使ったのか、ミノルがいった。
「昔は絶対知られたくないと思ってたけど、最近は何か隠し事してるみたいでいやだったんだ。聞いてくれてよかった……。今さらこんな事言うのもなんだけど、同性の友達として変わらず接してくれるヒロトには感謝してる……」
ミノルの声はだんだん小さくなって、最後は少し震えていた。やっぱり、話しにくいことには違いなかったのだ。はじめは平静を装っていたけど、話し終えて少し気が緩んだのだろう。
「うん……」ぼくはそう言って、自分の声に驚いた。ミノルと同じように、ぼくの声も震えていた。
これまで、こういったことを聞かなかったのは、ミノルに嫌われるのが怖かったからだ。しかし、同時に、友達としてそういう話を聞けないのも嫌で、そのことがずっと胸に引っかかっていた。いま、その引っかかりが取ることができた。声の震えは、その安堵感からくるものだった。もしかすると、ミノルも同じ思いだったのかもしれない。
少しのあいだ、ぼくらは二人とも押し黙った。それは、必要な沈黙だった。
「――でも、どうして急にそんなこと聞こうと思ったの?」ミノルが沈黙をやぶる。その声は、もう震えていなかった。ぼくも切り替えるように努める。
「ケイに言われたことがきっかけだったんだ……」ぼくはそういって、体育見学をしている時に彼女と話したことをミノルに伝えた。
ぼくが話し終えると、ミノルが迷ったようすでいった。
「伝聞の伝聞みたいな話だから、今日はやめておこうと思ったんだけど……」
そう言ってミノルは、その日学校で起きたケイにまつわる事件について話した。それは、ケイがクラスメイトに骨折の重傷を負わせたというものだった。
ミノルが聞いた話によると、それは、休み時間に起こった。はじめは、廊下でタツオとケイが何か言い合いをしていたらしい。内容は定かではないけれど、近くにいた生徒が、「セクサロイド」という単語を聞いたそうだ。その言葉を聞くと、ケイがタツオの腕をつかんだ。驚いたタツオがケイを突き飛ばすと、そこに運悪く他の生徒がいた。ケイが、その生徒の上に重なる形で倒れ込んだ。サイボーグの重量というのはわからないけれど、普通の人間よりずっと重いにちがいない。下敷きになった生徒は悲鳴を上げた。それを聞いて、フロア中から人が集まってきた。ケイが集まった人たちの助けを借りて起き上がると、その生徒はぐったりしていて、すぐに病院に運ばれた。
「わるいのは、タツオじゃないか」話を聞いてすぐに、ぼくがいった。
「ぼくもそうだと思う。でも、彼女がサイボーグじゃなかったら、そんな大けがにはならなかった。きっと、サイボーグとそうでない生徒が一緒に授業を受けることを、問題にする人が出てくる……」ミノルのアバターが首を振りながらそういった。
五
次の日、ぼくは病室でミノルからの連絡を待っていた。あの後も事件について話したが、結局まだ情報が少なすぎるという結論になった。そして、ミノルが学校で情報を集めて報告するということでお開きになったのだ。だから、僕は放課後になるまで暇だった。
昼下がり、時間をつぶすためにベッドでVRゲームをしていたが、あまり集中できず、いつのまにかまた事件の事を考えていた。
タツオがいったという「セクサロイド」という言葉は、ケイを侮辱するために使われたに違いない。セクサロイドは、人間との性行為を目的に作られたロボットの総称だ。ロボットの普及とともに、セクサロイドを売りにした風俗店も一気に広まった。ふつう、人型のロボットは、ひと目でロボットと分かるような見た目をしている。人間らしい見た目が必要になることはまずないし、まぎらわしいだけだからだ。しかし、セクサロイドはそうではない。セクサロイドには、人間らしい見た目や触感が求められる。そのため――皮肉なことに――セクサロイドが最も人間に近いロボットといわれていた。
ケイの体は、可能な限り人間に近いパーツで構成されている。その点は、セクサロイドも同じであり、もしかすると同一のパーツが使われているかもしれない。そうだとすると、ケイが体を人間らしくすることは、同時にセクサロイドの体に近づくことも意味する。きっと、ケイ自身もそのことを気にしていて、それをタツオに指摘されたがために、腕をつかむくらいに怒ったのだ……。
そんなことをぼんやり考えていると、現実世界の方で何か音がするのを感じた。ぼくは、ゲームを止めてヘッドセットを外す。すると、ベッドを囲むカーテンに人影がうつっていた。カーテンの向こうから声がする。
「開けてもいい?」聞き間違えるはずがない。ケイの合成音声の声だ。
「いいよ」そう言いながら、ぼくはあわててVRセットを布団の中に隠す。
ケイがカーテンを開ける。逆光のせいだと思うけれど、その表情は心なしか暗くみえた。
「きみが来るなんて思ってなかったから、びっくりした。学校は?」ぼくは、思ったことをそのままいった。
「もう学校に行くことはない」ケイが首を振りながらいう。頭の片隅でその可能性も考えていたから、意外と驚きはなかった。
「……昨日のことがあったから?」とぼくがたずねる。
「そう。もう聞いたんだ」ケイがうなずいた。
「わるいのは、どう考えてもタツオの方だ。なにも、きみが学校をやめなくても……」
僕がそう言うと、ケイがまた首を振った。
「学校に通うことになったときから、何か問題を起こしたらすぐにやめるって決めていたの。全身サイボーグはまだまだ珍しい。今の段階で、サイボーグが危険だという話が広まるのだけは、絶対に避けなければならない」
彼女の言うことはもっともだった。いくら彼女に非はないといっても、サイボーグが一般の学校に通うことの是非が問われるのは間違いなかった。ぼくは、唇を噛む。彼女を説得しようと思ったけれど、うまい言葉が見つからなかった。それに、彼女のことだ。きっと一度決めたことは貫き通すだろう。
彼女がもう学校へ行かないのなら、これが彼女と会う最後の機会になる。そう思って、ぼくはずっと気になっていたことをたずねた。
「……どうして、ぼくにいろいろと話してくれるの?」
それを聞くと、彼女はうなずいた。その質問を予期していたようだった。
「理由は二つ。一つは、きみがサイボーグになりたいと言っているという話を聞いたから」
「どこでその話を聞いたか、いまも話す気はない?」二つ目の理由も気になったけど、まずはそこからきくことにした。体育の授業で話したときは別にいいと思ったけど、やっぱり気になった。もう聞く機会がないかもしれないと思うと、なおさらだった。
「実は、ずっと前に医者がぽろっとこぼしたの。サイボーグになりたがっている同じ年頃の患者がいるって」と彼女は話し始めた。
「はじめて聞いたときは、耳を疑った。この体の大変さを何も知らないくせにって怒りもした。その病院に同年代の患者は多くなかったし、すぐにきみだとわかった。――そう、入学前からわたしはキミのことを知っていた」
それを聞いて、むかし、複数の病気を併発して大きな病院に入ったときのことを思い出した。その病院ではサイボーグ化も行っていて、担当の医者に自分もサイボーグにしてくれと何度も頼んだのだった。
「――もう一つの理由は?」とぼくは聞いた。
「もう一つは、ミノルくんとうまくやっていたから。正直なところ、同じクラスになるまで、きみのことはすっかり忘れていた。顔と名前を見て思い出したんだけど、その記憶だけだったら、わたしから話しかけることはなかったと思う。きみが、ミノルくんと親友だという話を聞いて、興味を持った」
「どうして、そこでミノルが出てくるの?」ぼくは眉をひそめる。
「それは、彼も、わたしと同じで特別な体を持っていたから。そういう特殊な事情のある人と親友になるのは、きみが思っているほど簡単じゃない。……きみなら、わたしの体を特別視しないと思った」
「それは買いかぶりだよ……」そういって、ぼくは目をそらした。
彼女は何も言わなかったが、目の端で微笑んでいるのを捉えた。なんとなく居心地がわるくて、ぼくは話題を変える。
「また会えるかな」
「それはわからない」彼女はきっぱりといった。ぼくは、連絡先を聞こうかと思ったけれど、断られるのが目に見えたのでやめた。
彼女が、再びカーテンに手をかけて、帰ろうとする。もう会うことがないかもしれないと思うと名残惜しくて、引き止める言葉を探す。
「今日は、どうしてきてくれたの」そうたずねると、彼女はふっと笑った。
「クラスメイトのお見舞いにくるのに、理由が必要?」
たしかに、とぼくも笑った。
「来てくれてありがとう」
「さようなら」そういって彼女は去っていった。
六
以上が、ぼくが彼女とクラスメイトだった1ヶ月の出来事だ。あれ以来、ぼくは彼女に会っていない。
数年前に一度だけ、彼女を探そうとしたことがある。けれど、なんの手がかりも得られなかった。学校は個人情報の一点張りで何も教えてくれない。当時は全身サイボーグなんて珍しかったから、インターネットを探せば何か出てくるだろうと思ったけれど、何も見つからなかった。あの時のクラスメイトにいたっては――驚いたことに――彼女を覚えていないものが多かった。彼女が住んでいるといっていた車で南に30分のあたりで聞き込みをしたけれど、サイボーグを見たことがあるという人はいなかった。考えてみれば、両親のいないはずの彼女を送迎していのはいったい何者だったのだろう。
何よりも不思議なのは、彼女の体に使われていたパーツが非常に高価なものだったことだ。あの頃はわからなかったけれど、今ならその価値がわかる。あれは、当時の最先端技術を結集したような体だった。秘密機関の被検体なんて噂があったけど、あながち間違いではなかったのかもしれない。
ぼくはというと、今は医師として働いている。やっぱり自分の体のことを知って、なんとかしたかったというのが大きい。それに、ケイやミノルのような人たちの助けになりたいとも思った。サイボーグ技術はいっそう進んで、今では自らの意思でサイボーグになるものもいる。また、サイボーグは必ずしも無機的な体を指すわけではない。中には、ミノルのような人の助けになるものもある。けれど、まだまだサイボーグが社会に溶け込むには障害も多く、道のりは険しい。
ぼくは、何か壁にぶち当たるたび、ケイのことを考える。今のぼくをみて、彼女ならなんていうだろうか、と。
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