梗 概
揺卵歌【lul-la-bye】
直径1mはあろうかという巨大な≪卵≫たちが、揺れ合いながら浮遊する、とある病院の≪揺卵室≫。各々の≪卵≫は人工羊水に満たされ、孵化する日を待つヒトの子らを、優しく抱いている。
その≪卵≫のひとつに、ツグミはいた。人工羊水中を漂うナノマシン群、胎教AIの≪カナリア≫が、ツグミの意識に直接語りかける。
「ツグミ、眠れないようなら、わたしのレパートリーを披露しますよ」
「君のヘタクソな子守歌は、こりごりだよ。それよりさ、なんでツグミの親たちは、会いにこないのかな」
ツグミが物心ついたときから、≪カナリア≫はツグミの尽きることない質問に答え、その知性を育んでいる。≪卵≫によるヒトの人工生殖と、胎教AIの登場は、こうした胎児の知性の早熟を可能にした。
「もしかして、ツグミのこと、嫌いになったのかな」
「ご両親の愛着形成に問題はありませんでした。その可能性は低いかと」
両親の義務である愛着形成研修は、≪卵≫との間に確実な愛着を育む。ツグミの両親も例外ではなかったようだ。
しかし、その後暫くたっても、やはり両親は訪れない。≪揺卵室≫の窓の外に、琵琶の実が揺れる。この時季に、ツグミは孵化することになっていたはずだ。ツグミは疑念を深める。
「ねえ≪カナリア≫。ツグミのカラダ……何か問題があるのかな?」
「いいえ。病気は≪卵≫が治してくれますからね」
≪卵≫は、ジェンダーを問わず、あらゆるヒトが子を安全に作れる夢の技術だ。どんな病理も遺伝子レベルで即座に治療される。ヒトの自然妊娠が不可能となった今も、適正人口を維持できているのは、ひとえにこの≪卵≫のおかげである。
繰り返される問答と学習。その果てに、とうとうツグミは答えに辿り着く。
「そっか。ツグミは、生まれない子なんだね」
≪卵≫は完全であった。ゆえに≪卵≫から孵化する子の数は、やがて適正な出生数を上回るようになった。そこでヒトは、ランダムで生まれない子を選ぶことにしたのだ。残酷な決定を受け止めきれず、その後病院から足が遠のく両親も少なくない。
≪カナリア≫は、生まれない事が確定した後、当該の胎児の羊水に注入される。そして胎児の自我を強制的に目覚めさせ、高度な胎教を施し、知性を早熟させる。自らが生まれないことを、十分に納得させた上で、終末医療を施すためだ。「胎児の人権」に配慮しつつ人口調整を実現する、苦肉の策である。
結局、その後も親が姿を現すことはないまま、窓の外の琵琶の実は、木鼠たちにかじり尽くされた。
≪カナリア≫は、ツグミの合意のもと、最終プログラム≪ゆりかごのゆめ≫を起動する。親の声から合成された、優しい揺卵歌に包まれながら、ツグミは果てない夢に微睡む。
文字数:1197
内容に関するアピール
童謡「ゆりかごのうた」から物語の着想を得つつ、「胎児と胎教AIの間で繰り広げられる問答」という形で、お題への応答を試みました。表題は「揺籃歌(子守歌やララバイと同義)」をもじったもの。ちなみに英語の「Lullaby」の語源には諸説あるようですが、「Lulla」の部分を「Lu-lu(ルルル、と子供を寝かしつける擬音)」に、「by」の部分を「Good-bye」の「bye」に結びつける説は興味深いです。この説に従い「Lullaby」を「眠りに落ちる者への、別れの歌」と捉えるなら、それは「Requiem」と本質的には同じ役割を果たすもの、なのかもしれません。
文字数:296