梗 概
月に舞う枯れ葉
主人公のSは月に暮らす最高齢の人間。いまは月で彼だけが地球の暮らしを知っている。
昨日、Sと同じように地球を知っていたSの妻が亡くなった。
Sは、老衰で1週間前から寝込んでいた妻と地球の思い出を語りあっていた。
かつての地球には山があり、川があったこと。それが海と砂漠だけの星になったこと。
四季があり、それぞれの季節で花粉症や汗疹の問題、霜焼けなどの困った問題が起きたこと。
月の上では海面上昇の恐怖もなく、煩わしい病もない。虫が嫌いな妻は、昔はよく虫を見て恐怖の声をあげたものである。
妻との会話は、彼女が亡くなる8時間前に終わった。昏睡状態に入ったのだ。
その日は彼女は250歳の誕生日。
彼女はこの日に死ぬと意識し、科学者たちと相談していたのである。
そのため彼女はこの1ヶ月、死を意識し続けてきた…。
「人間って死ぬんだな」と206歳の息子が無神経に言い、思わず席を立つS。
しかし無理もない、Sですら、月へ来てはじめて直面する人の死である。息子や孫たちには死を教えたことがなかった。
施設から窓の外を眺めると、青々とした地球がくっきりと見える。
「なぜ私は死を選ばなかったのだろう?」とSは思った。自分も妻のように、なにか良い節目で死を選んでも良かったのではないか?
枯葉が木から落ちて朽ちていくように、人の死はベストなタイミングがあるのかもしれない。地球では人間も草木と同じように、自然と死んでいったものだ。だがいま、我々は死を選ばなければ死ぬことがない。死を選ばないのなら生き続けるしかない。ちょうどこの月にいるほかの人間たちのように。
妻がいなくなっても、この月の上の風景には何の変化もない。息子や孫たちはもういつもどおりの生活をはじめている。
妻の遺体はすぐに粉砕され、宇宙のもくずとなっていった。妻の骨が地球の手前を浮遊していく。
それを眺めながら彼は、地球を知っている人間がもはや自分1人になってしまったことを、改めて認識した。
文字数:809
内容に関するアピール
大江千里の和歌「月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど」を詠むような気分を、月で味わうという話です。
ただし、大江千里は「自分ひとりの秋ではないのに」と歌いますが、
今作の主人公のSは、妻を失うことで、月面でたった1人地球の自然を知っている人物になってしまいます。
また、未来に月に住むようになった人類は自然死を忘れて永久の命を手にいれているため、
Sは彼らとも悲しみの心情を共有できません。
Sと妻が経験した地球の自然は決して美しいものではなく、環境破壊された末期状態の地球なので、地球の自然は美化されずに語られます。
文字数:266