人の世の終わり

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人の世の終わり

 言葉とは祈だ。
 言葉とは呪だ。
 言葉とは銘であり、令だ。
 つまるところ、言葉とはわざだ。
 かたち無きものに姿かたちを与え、束の間のときを与えるための術だ。
 草葉に置かれた白露も、花に鳴くうぐいすも、苔むしたいわおであっても。
 すべてが、無常の風に攫われゆく定めを持つのであれば。
 この世にあるものは、みな言葉によって編まれているのだろう。
 だからこそ、僕はいま語らなくてはならない。
 他でもない――三苗さなえのことを。
 此の世から消えゆく妻のことを、言葉をもって封じるために。


 
 語るならば、せめて美しいときから始めたい。
 たとえ、それが一時のことであったとしても。

 忘れもしない続紀元しょくきげん1182年のこと。僕と三苗が、一七歳になる年のことだった。
 温かな春だった。
 代々木神宮の回廊を歩いていると、中庭に咲く山桜が目に入った。
 花の盛りを少し越え、朱みの強い桜花と芽吹き始めた青葉がよく混じり合っていた。老木と見えるその桜の樹皮には、深い緑色の苔がびっしりと茂っていた。折からの風に散らされた大ぶりの花びらが、紋白蝶のようにひらひらと飛ぶ。
 しゃん、しゃん、しゃん、しゃん。
 鈴の音が響いていた。
 先導する巫女が神楽鈴を振っている。その音に導かれるようにして、僕は本殿へと続く長い廊下を歩いていた。かぶり慣れない巻冠を頭から落とさないようゆっくり、ゆっくりと。それでも、ももが膨れた袴を履いているせいで、ときおり足がもつれそうになってしまう。
 ふらふらした足取りの僕を見て、
「情けねえ。そんなへっぴり腰だったら、野良犬だって追えねえぞ」と兄貴分の環汰かんたがけたけたと笑った。
 面倒を嫌う環汰が介添人を買って出てくれたのは、そばで僕のことをからかいたかったからに違いない。
 ちらりと睨むと、
「前を見てさっさと歩かねえと、向こうさんを待たせちまうぜ」僕の視線をかわすようにして環汰は言う。
 確かに、三苗とその一族を待たせるわけにはいかなかった。
 僕は頭の位置を動かさぬよう、一歩ずつ歩を進める。身繕いに手間取りすぎた。気が急いてきて、冠など打ち捨てて駆け出したくなる。けれど、そんなことをするわけにはいかなかった。
 婚礼には、型というものが重要だからだ。
 三苗はとても楽しみにしていた。
 宇洞家の次子である僕――宇洞青次うどうあおじ
 外部家の長女である――外部三苗そとべさなえ
 僕たちが祝言をあげる、今日という日が訪れるのを。
 そして、長い歴史のなかで初めて両家が手を取り合う、この瞬間のことを。
 だから、少しでも早く彼女のもとへたどり着かなくてはならないのだ。僕は身につけた婚礼用の束帯を乱さぬよう気をつけながら、急いで彼女が待つ代々木神宮本殿へと足を運んでいった。
 
 宇洞家と外部家とは、鬼祓師おにばらいしの一族である。
 世間には、後大和朝廷における鬼祓頭おにばらいのとうの座をめぐる、長年に渡る諍いによって広く知られていた。
 鬼祓頭は朝廷内の役職としてそれほど高位にあたるわけではない。昇殿を許されていない、いわゆる地下人と呼ばれる職のひとつに過ぎなかった。穢悪しきことに触れる仕事であり、光の当たる華々しい仕事でないことは間違いない。
 だが、鬼祓頭が朝廷内に及ぼす影響は、決して小さいものではなかった。
 鬼祓師とは、その名のとおり日ノ本をうろつく鬼碼羅きめらを祓う者である。鬼祓頭とはその鬼祓師たちを統べる役職であり、つまりは朝廷の武力を一手に掌握する者というわけであった。
 代々、この鬼祓頭の役職を預かってきたのが、宇洞家と外部家の何れかの当主である。鬼祓頭の座をめぐる諍いは、いつも熾烈なものとなったという。
 外部家の嫡子が毒殺されたかと思えば、宇洞家の継嗣が切り刻まれ多摩川の河原に躯を晒した。両家に多量の死者がでて、争いにほとほと疲れ果てたあとに、転がり落ちるようにして次代の鬼祓頭が決まるというのが常であった。
 であれば、両家で協議して交互に役職に就いたほうが賢かろう。そう考えるのが普通というものだ。
 だが、そうはゆかなかった。
 宇洞家が鬼碼羅を祓うために使う術は陰思反閇いんしへいばい
 対して、外部家が使う術は陽刀身固ようとうしんご
 それぞれが築き上げてきた術の体系は、水と油のように対極的なものであり、それはそのまま家の気質と結びついている。それゆえ、両家がこれまで混じり合うことはあり得なかったのだ。
 僕と三苗が祝言をあげる、今日を迎えるまでは。

 式が執り行われる本殿に入ると、とうに両家の参列者たちが揃っていた。
 右に顔を並べていたのが宇洞家の面々。
「おそいぞ」
 神前に近い上座にいる大叔父が口をぱくぱくとさせ、声を出さずにそう言った。大叔父は、父を早くに失った僕の面倒をこれまで見てくれた人だ。
 宇洞家の参列者たちは束帯姿ではなく、動きやすいように略礼装の紋付をまとっていた。たとえ祭事の途中であろうと、鬼碼羅が現れれば対処できるようにするためだ。親族たちの紋付には、細輪に髑髏を象った家紋が染め抜かれていた。凶紋であるが、鬼碼羅を祓ってきた一族の歴史を示すものとして、長きにわたり受け継がれている。
 反対側の壁沿いには、外部家の面々がずらりと並んでいた。
 上座にいるのが、三苗の父親であり、現在の鬼祓頭でもある外部応龍おうりゅうであった。応龍の肌は、びっしりと黒光りする龍鱗で覆われている。外部家が操る、陽刀身固の術のためであった。
 陽刀身固とは力を持った禽獣と同化し、鬼碼羅を祓うという術である。嘘か真か知らないが、外部応龍には龍の力が宿っているのだと聞く。彼以外にも、外部家の面々はそれぞれが宿した禽獣のために、祭りの仮装さながらの多種多様な外見をしていた。
 そして、両家の間に十二単姿の三苗がいた。
 美しい。
 僕は素直に、そう思ってしまう。
 緋色の長袴が床にふわりと広がっていた。羽織った唐衣は淡い鶯色で、臥蝶の丸模様が刺繍されていた。唐衣の上には、艶のある長い髪が腰まで滑らかされてる。外部家のなかでも異色の術者である三苗は、その身にどんな禽獣も宿しているようには見えなかった。
 急いで横へと並ぶと、三苗は少し俯いて眼をとじていた。ゆるやかに弧をえがくまつ毛と、すらりと伸びた鼻梁。その周りだけ時が止まったかのような、凛とした静けさをまとっていた。
 太鼓が打ち鳴らされ、大幣おおぬさを持った宮司が入ってくる。
 宮司は神前に向かって、深く頭をさげる。
 御簾のかかった神前棚には、二振の刀が供えられていた。
 宇洞家が護ってきた、旧き世から伝わる神刀――三日月宗近みかづきむねちか
 同じように、外部家が保管してきた――一期一振いちごひとふり
 はるか昔、鬼碼羅を祓う力の象徴として、両家がそれぞれ御門みかどから授かったものだと伝えられている。
 宮司はしゃん、しゃん、と音を立てながら、大幣を大きく振ってこの場を清める。
「枝を振っただけで穢が祓えるのなら楽なもんだがな」
 僕のそばで頭をさげていた環汰が、小声でぼそぼそと言う。
「今日だけは、頼むから大人しくしてくれよ」
 僕も小声で返す。
 宮司は僕達のことをじろりと睨んでから、祝詞を奏上しはじめた。
かしこみかしこみ申します。八十日日やそかびは有れど今日を選び定だみて、大神に仕え奉る宇洞環汰と外部三苗の両人を、大前にして婚礼の式儀いやわざを執り行わんとします」
 どんな効果があるのか分からない呪言、というか言葉の羅列を訊いていると、どうしても眠たくなってきてしまう。僕はあくびを噛み殺して、三苗の横顔を盗み見た。三苗は先ほどと変わらず、黙って眼を閉じたまま身じろぎもしない。
 型どおりの婚礼が進み、やっと僕の出番がきた。
 誓詞奏上。
 つまり、僕たちが夫婦になる契約をする儀式である。僕は繰り返し練習してきたその台詞を、親族たちに聞かせるよう大声で、
「謹んで代々木神宮の大前、並びに両家の皆様に申し上げます。家門の隆昌をはかり御神恩に応えるため、今より後は千代に変わらじと、死によっても分かたれもせぬ、固い夫婦の絆を結ぶことを、ここに宣誓いたします」と一息で言った。
 あとは自らの名を述べるだけ。
「夫、宇洞青次」
 そして――しばらく間があった。
 続くはずの名前が聞こえない。横を見ると、三苗は眼を見開いて呆けたように天井を見つめていた。
 おもむろに三苗は口を開いて、

頓悟とんご
 
 そう言った。
 平静な表情を取り戻した三苗は、あっけに取られる僕達を尻目に、つかつかと神前へと歩み寄ると、御簾を剥ぎ取って供えられていた神刀・一期一振を手に取った。くるりと振り向き、白木の鞘をその場に投げ棄てる。
 誰よりも早く反応したのは環汰だった。
「三苗さんどうしたんだよ、巫山戯ふざけるのはよしてくれ。もし夫婦喧嘩をしたいのだったら、婚儀が終わってからのほうが良い」
 だが、止めにかかった環汰に向かって、三苗は距離を詰めると躊躇うことなく袈裟懸けに剣を振り抜いた。あの環汰が反応できないほど、凄まじい剣戟だった。通り抜けた刃からすこし遅れて、環汰の胸から上が斜めに滑り落ちた。
 ばしゃり。
 環汰の臓物のこぼれる音が、本殿の高い天井に響いた。
 三苗と眼が合う。その眼差しには何の怒りも、狂気すらも宿ってはいなかった。
「どうして」
 僕の呼びかけに応えたかのように、三苗は打突を繰り出してくる。早い。とっさに上体をよじったが、すでに切先が肩を貫いている。肺だけは避けられたようだが、その衝撃に僕は崩れ落ちる。
「っ―――――――」 
 周囲の参列者から、怒号とも悲鳴ともつかない声が轟いた。
 普通の婚儀であれば恐慌をきたすところであろうが、ここに集っているのは鬼祓師の面々。短刀や匕首あいくちなど、懐に忍ばせていた各々の獲物を取り出すと、素早く三苗のことを取り囲んだ。
「血迷いでもしたか。三苗よ、刀を置くのだ」
 声をかけたのは、父である外部応龍。
 すると、三苗は構えていた刀を、くるりと切先を地面に向けるように逆手さかさでに持ち替えると、高く掲げて自らの胸元へと突き降ろした。
「よせ」
 僕は声を振り絞って叫ぶ。
 だが、三苗は自裁しようとしたわけではなかった。着物の合わせにそって刃を滑らせ、結ばれていた小紐を断ち切っていく。それから三苗は纏っていた衣をすべて空蝉のごとく脱ぎ落として、陶器のように白い肌を晒した。豊かに膨らむ胸が、ほっそりとくびれた腰が、顕になる。
 取り囲む者たちに、一瞬の隙が生まれた。
 三苗はそれを見逃さず、
「創発」
 短く呪言を唱える。
「上傳――大赤熊」
 すると、三苗の両肩から若葉が芽吹くように小さな爪が生えたかと思うと、みるみるうちに六尺(1.8m)はある赤毛がみっしりと生えた大熊の腕へと成長していった。
 これが、三苗の術であった。
 外部家の歴史のなかで最も優れた術者であるとも言われた三苗は、禽獣の特徴を身体に同一化させるのではなく、自らの裡にある獣の因子を、意のままに芽吹かせることができたのである。
 異形の者となった三苗は刀を構え直し、獣の腕を振りかざし爪を光らせた。
「もはや、これまでか」
 外部応龍は苦渋の表情を浮かべ、「宇洞家は手出し無用。一族の落とし前は、我らでつける」
 応龍の身体を覆う龍麟が、ざわざわと逆立っていく。
「者ども、かかれ」
 勝負はすぐについた。
 いや、それは勝負と呼ぶべきものではなく――一方的な殺戮であった。
 周囲から飛びかかる外部家の者を、三苗は人の手で斬り殺し、獣の腕で次々と薙ぎ払っていった。驟雨のように血しぶきが辺りへ飛び散り、細切れになった人体が音を立て板張りの床に転がった。
 それを見た僕の大叔父は、力の差をすぐに悟ったのだろう。
「ここは退け。とにかく逃げるのだ」青褪めながら、周囲へと声をかけた。
 だが、三苗は見逃さなかった。
 背中を向ける宇洞家の者に刀を突き立て、獣の腕で頭を掴んでそのまま握りつぶし、屍を積み上げていった。
 あっという間だった。
 宇洞家の者たちが、外部家の者たちが、分け隔てなくいちように死んでいた。臓物を撒き散らし、身体を引き裂かれ、皆が死んでいた。目の前に広がる光景を、僕はにわかに信じることはできなかった。
 しんとする本殿のなかで、三苗は一期一振についた血をていねいに拭き取っていた。刀を鞘へと収めると、三苗は僕に眼を合わせほころぶように笑った。
 それから、こう言ったのだ。
「青次、先で待ちます」
 三苗は獣の腕を自らの身体へと戻し、脱ぎ落とした唐衣を纏いなおすと、何事も無かったかのように、一期一振を抱えたままゆっくりとした足取りで去っていった。
 三苗の声は、僕の耳のなかにしばらく残り続けていた。

 僕は屍のなかに独り残された。
 だが、絶望に沈んでいるわけにもいかない。まだ為すべきことがある。
 僕は傍らにある環汰を見るが、確かめるべくもなく既に事切れていた。だが、今なら間に合う。
「繋根」僕は唱える。
 陰思反閇の術。
 僕は眼をつぶり、自らの裡に潜る。
 昏い。
 淡白く発光する人型の鬼火が、尾を引きながら辺りを漂っている。
 その鬼火を、宇洞家の者は<霊意群れいむ>と呼んでいる。
 宇洞家の者は、自らのなかに空間を抱えている。天地はなく、東西もなく、ただひたすらに昏いだけの場所を。そこには、幾千もの<霊意群>が棲みついている。永きに渡る年月の果てに人格が擦り切れ、残った経験情報だけで自らを編む、死から見捨てられた魂たちの群れが。
 僕はその亡霊たちに向かって呼びかける。
「引擎――開頭手術」
 すると、漂う数多の<霊意群>のなかから、ただ一人がこちらへ振り向く。顔を見るとそこには何も無く、がらんどうの闇だけがぽっかりと開いている。その暗がりを覗き込むようにすると、彼方から見返してくるのは――己の顔であり。
 気がつけば、僕はその<霊意群>と一つになっている。
 眼を開ける。
 僕は這いながら神前へと向かい、供えられていた三日月宗近を掴んで、環汰の傍らに戻る。
 刀の棟を押さえて短く持ち、環汰の頭に刃を当てる。正中線に沿って、額から後頭部まで深く切れ目をつけていく。傷口から指を差し入れて、頭の皮を左右に捲りあげるようにして剥ぐ。
 現れた頭蓋に、三角形の頂点の位置となるよう切先を突き降ろして穿うがち、そこを繋ぐようにして骨を割っていく。三角形に割れた頭蓋を剥ぎ取ると、まだ血が引けきっていない薄桃色の大脳が見える。左右の大脳半球の間に指を突っ込み、脳梁線をぷちぷちと断ち切りながら、奥を探るように指を動かしていく。
 すると、脳の中心付近に固くゴツゴツとした感覚があった。
 記憶きこんだ。
 これが、宇洞家の者にとっての命だ。
 僕は環汰の記魂を握り、周囲の脳組織ごと一気に引き抜いた。どろりとした血液がまとわりついた、胡桃のような外殻を持つその器官を――僕は大きく口をあけて、飲み込んだ。
 それを最期に、喉の奥へと嚥下される記魂に引きずられるように、僕の意識も深く沈んでいった。
――ここはどこだ、やけに昏いところだな。
 頭のなかで、環汰の声が遠く響いた。


 
 歴史の話をしよう。
 宇洞家が語りついてきた伝承によれば、いちど世は滅んだのだという。
 千年以上も昔の、旧き世ふるきよのことである。
 白鷲王しらわしおうという、三つの海を治める帝王がいた。その王は、高度な文明を築いていた。巨大な船が空を飛び、文を出せば風よりも早く相手へと届いた。命令のままに人を殺める幾万の傀儡人形を従え、そして空を飛び相手を穿つ神槍をも持っていたのだという。
 離れたところに、同じく三つの海を治める紅旗王こうきおうという帝王がいた。彼の王も、白鷲王と同じくらい偉大であり、また同じくらい尊大でもあった。
 自然、両者は争うことになる。
 長く激しい争いの果てに、どちらかの王か分からないが神の火を使った。太陽を地上へと落とし、多くの人びとが瞬く間に消し炭のようになった。その報復として、もうひとりの王も神の火を使った。地上は劫火で焼き払われ、おおかたの人々が死んだ。
 僅かに残った人びとも、その後に降り注いだ毒の灰によって、苦しみながら次々と斃れていった。
 そして歴史は振り出しへと戻った。此の世の歩みとは、旧き世の道程を少しだけ変えながら、大方同じように繰り返しているということなのである。
 だが、旧き世の一切合財が、全て消えてなくなったというわけでもない。
 滅びを前にした旧き世の人間たちは、智慧を振り絞り自らが生きた足跡を残そうとした。
 その名残が、宇洞家と外部家に引き継がれている術であるという。両家の術は対極的ではあるが、それゆえに構造として似通っているところも少なくない。
 宇洞家の者は「記魂」という分子機械を宿している。
 記魂を一口で表せば、旧き世の文化情報を保存した、情報集合体データベースということになる。文化の最小単位は、それを構成する人々に蓄積された経験である。記魂には、旧き世を生きた人間たちが蓄積した経験情報が、人の姿を持った<霊意群れいむ>として封じられている。舞踊に長けた者の所作が、医学に通じた者の手さばきが、人格を削ぎ落とした経験情報塊として。
 <霊意群>は、人の魂を材料として作られるものだとされている。宇洞家の者が死ぬときには、記魂内の世界を拡張させていくため、自らも<霊意群>となってその裡へと収まるのが定めだ。
 つまるところ、宇洞家の者が操る陰思反閇とは、記魂のなかに<霊意群>として保存されている経験情報を、一時的に自らに同一化させる術なのである。
 一方、外部家の者には「種心しゅしん」という分子機械が埋め込まれているという。
 種心とは、旧き世に生きた動物の遺伝子ジーンを保存した、いわば種子貯蔵庫のようなものであるという。外部家の者が操る陽刀身固とは、種心に保存された禽獣の遺伝子を、長い期間をかけて自らに融合させていき、獣のような強さを得る術なのである。三苗の術だけは例外で、時をかけなくとも自らの身体の一部に、禽獣の遺伝子を発現させることが可能だった。
 また、外部家でも種心に篭められている遺伝子を多様にすることが家是とされているという。なんでも、鬼碼羅であろうが新たに発見した生物があれば、それを捕食して種心のなかに封じているのだというが、真偽のほどは知らない。
 これが、両家の術である。
 このように、宇洞家と外部家は旧き世からの授かりものを己の力とし、鬼碼羅を祓っているわけであるが。だからといって、むやみに旧き世に対して感謝を捧げる必要はないと思っている。
 なぜなら鬼碼羅自体も、旧き世から押し付けられたもということなのだから。
   
 鬼碼羅とは、複数の獣の特徴を併せ持った怪異のことで、たいていが凶暴で人のことを好んで襲う。日ノ本に現れない土地はなく、その被害は数知れず。ただの弓や刀では倒すことができず、特殊な術を持った、僕たち鬼祓師だけが相対することができる。
 なぜこのような怪異が生まれたのかは定かではない。
 旧き世で、二つの王が争った際に作り出された兵器であるという説もある。神の火の毒に耐える生物を作ろうとした際にできてしまった、失敗作であるという話もある。
 どれが本当のことかは、伝承として残されていない。不都合な事実は、足がつくようなかたちでは記録しないということなのであろう。それは、いつの世であっても変わらぬことである。
 いずれにせよ確かなことは、鬼碼羅というのは人間にとって、もちろん僕にとっても祓うべき敵だということだけだ。

●◯ 

 あの祝言の日から三年が経った。
 続紀元しょくきげん1185年の、暑い夏だった。
 僕は山を登っていた。
 相原村の裏手にあるその草戸山は、小山とはいえど傾斜がきつかった。背丈の高さにまで伸びた笹竹をかきわけ、腰を折りながら急坂を登っていく。汗が滴るように落ちる。草いきれで、息が詰まりそうになってくる。体力が削られ、背負った荷物の重みに潰されそうになる。
 僕が担いだ背負子しょいこには、檸檬草や蓬菊ヨモギギク、綿杉菊などの植物をすりつぶし、珪藻土をつなぎとして丸め、乾燥させた土団子が積まれていた。
――従五位に叙された宇洞家の第二継嗣が、都から追われ木樵にまで身をやつすとはな。
 疲れているときに茶化さないでくれ。別にそんなものになったわけではない。
 とはいえ、都から追われたということは事実だった。
 外部応龍が仕組んだことである。
 三苗が手心を加えたのか、それとも奴の鱗が硬かったのか。外部応龍は三苗の一撃を受けても、かろうじて命を取り留めることができた。三苗から斬られた腕は、しばらくすると再生してきた。その様子を見ると、本人は自らに宿った禽獣が龍だと言っていたが、どうやらトカゲというのが本当のところだろう。
 僕たちの祝言のせいで、両家は立ち直ることが難しいほどの傷を負い、関係はこれまでになかったほどに悪化した。
 その収拾にあたったのが、命をとりとめた外部応龍であった。
 奴は、婚儀の当事者である両名を追放し、いわば痛み分けということで手打ちにしようと提案してきたのだ。三苗は自ら出奔しているのだから、要は僕だけが都を追われるということである。理不尽な提案ではあるが、一族の主だった者を失った宇洞家は唯々諾々と従うしかなかった。
 したたかな応龍は、娘が起こした前代未聞の不始末をも利用して、宇洞家を弱体化させる機会として使ったわけだ。僕としても腹立たしいことは腹立たしいが、自分の目的を果たすためには、そう悪いことでもない。
 それに、都から追われたとはいえ、僕は鬼祓師を辞めたわけではなかった。

 草戸山の山頂が近くなると少しだけ坂がゆるやかになり、自生する植物の様子が変わってくる。このあたりまで来ると村の者の手が入っていないように見え、小楢や椚の樹が、身を寄せ合うようにして茂っている。太陽の光は遮られ、夕方になったように暗くなる。
 僕は身を屈め、視線を低くしてみる。
 風が吹いて、頭上の枝が揺れる。差し込む光の位置が変わると、樹々の間にキラリと光るものがあった。
 糸だ。
 狼蜘蛛おおかみぐもが糸を張っているのだ。
 そろそろ、目的の場所は近い。
「繋根」僕は唱える。
「引擎――山立」
 僕は猟師の<霊意群>を自らに降ろす。
 糸に触れないよう注意しながら、小走りで樹々の間を抜けていく。いちど狼蜘蛛の糸に捕まってしまうと、大きな獣でも逃れることができない。身体を捩るほど糸に絡め取られてしまい、後は喰われるのを待つだけになる。獣ばかりではなく、相原村の者も幾人も食餌とされてしまった。
 狼蜘蛛とは鬼碼羅の一種。その名のとおり、狼と蜘蛛の性質を併せ持った怪異である。
 狼のごとく集団で行動し、各地を流れ渡って縄張りを探す。いちど定住する場所が決まると、その周囲一帯の樹々の間に蜘蛛の巣を張り獲物が掛かるのを待つ。夜になると、巣穴から這い出してきて、糸に掛かっている餌を喰うという習性を持つ。
 僕が目指しているのは、狼蜘蛛の巣穴であった。
 山頂付近に到着すると、ひときわ大きい椚の大樹が見えた。その根本の辺りには、人の背丈ほどの洞穴がぽかりと口を開けているのが見える。事前の観察で、あそこが狼蜘蛛の巣穴であることを突き止めている。
 狼蜘蛛は夜行性であるから、昼間は巣穴の奥で眠っている。僕は風下へと回り込み、気配を消し足音を立てないように巣穴に近づいていく。洞穴の入り口まで来ると、背負子をおろして土団子を積み上げていく。そして、懐から火打ち石を取り出す。
 着火。
 土団子は瞬間的に燃え上がり、爆発的な勢いで煙を発生させる。目の前が真っ白になる。僕は口元を袖で押さえながら、風上へと向かって走る。布越しでも、酸味を帯びた刺激臭が鼻の奥を刺激する。
 少し離れて振り返ると、椚の大樹は完全に煙で包まれていた。この様子だと、きちんと洞穴の中まで煙が充満していることだろう。僕が土団子に練り込んだ植物は、殺虫成分ピレトリンを多く含んでいる。蟲種の鬼碼羅であれば、その煙を吸い込んだだけで神経が麻痺し死に至る。
――だが、狼蜘蛛は蟲種であると同時に、獣種でもあるからな。
 言われずとも、分かっているさ。
 しばらくして、煙の奥でかさかさと動く影があった。その数は一、三、五まだ増える。やはり、煙だけでは斃しきれなかったのだろう。
――だったら、ここからは俺の出番だな。
 陰思反閇は、一口に<霊意群>を自らに降ろす術とはいえ、それぞれの術者によって得手不得手がある。僕は旧き世の「技術」を用いることが得意で、環汰は「技能」を宿すことに長けていた。
 僕は、頭のなかに潜り――環汰と交代する。
――宜しく頼んだ。
 俺は、大きく息を吸う。
 煙の臭いが気になるが、肺に空気が貯まる感覚は悪くない。頭の中にいては、味わえないものだ。だが、感慨にふけっている暇はない。
 煙が晴れてくると、そこに見えてきたのは狼の身体よりはひとまわり小さく、蜘蛛にしては足の数が二本ほど少ない、狼でも蜘蛛でもない怪異であった。
 すなわち、鬼碼羅「狼蜘蛛」。
 頭部は完全に蜘蛛のそれであり、八つの眼が並んでいて口からは鈎状の鋏角が飛び出している。胴体は狼のような体毛で覆われているが、下腹は蜘蛛のようにぷくりと膨らんでいる。足にも毛が生えてはいるが、その数は六本あり蜘蛛のように長く関節が多い。
 煙で斃しきれなかった狼蜘蛛の数は、全部で七体。
 六本の足ですばしこく這いまわり、統率が取れた行動で俺のことを取り囲もうとしてくる。狼の狩りの習性を引き継いでいるのだろう。
「繋根」俺は短く唱え、
「引擎――示現流」と、<霊意群>を降ろす。
 このように集団行動を取ってくる鬼碼羅への対処法は決まっている。
 せんを取る。
「いえええぇぇぇぇぃっ」
 気合、一閃。
 間合いを詰め、身体の大きい先頭の狼蜘蛛をめがけて刀を振り下ろす。
 カツリ、という手応えがあり、蜘蛛の頭が真っ二つに割れる。
 飛び散った血液の色は朱。
 群れの頭を斃され、狼蜘蛛の隊列がにわかに乱れる。こうなれば、後はそう難しいこともない。俺は順番に刀を振り降ろし、狼蜘蛛の数を減らしていく。
 転がった躯の数はきっちり七匹。
 終わったぞ。
 俺は声をかけて――また青次と交代する。
――あとは頼む。
 僕はまた洞穴の入り口へと戻り、枯れ木を集めて燃え残った土団子と合わせて火をつけ中へ放り込む。これで、もう狼蜘蛛の子が生まれることもないだろう。
 最期に、僕は眼を閉じて印を結び、
「天、休を下す。彼に有りてにくまるること無く、以って終世を永うせよ」僕たちが屠った鬼碼羅のために祈った。
 此の世では怪異として修羅の道を歩んだとしても、向こうでなら多少の救いがあって良いだろう。あって欲しいものだ。
 立ち上り天へと吸い込まれていく煙を見つめ、僕はそう願った。 

●◯ 

 夜更けだというのに、まだ祭囃子の音が聞こえてくる。
 相原村では、狼蜘蛛を祓うことに成功したかどで、祝宴が続いているのだ。
「喰えるのか」
 僕が狼蜘蛛を斃した証拠として躯を見せると、最初に訊かれたのはそのことだった。内臓には毒があるから、それを除けば大丈夫だろうと応えたのだが、本当に食べるとは思わなかった。村人のなかには、狼蜘蛛に家族を殺された者も少なくない。狼蜘蛛を食すことは、礼の作法としては間違ってはいないので、止めまではしなかった。腹でも壊さなければよいのだが。
 僕は独りで、村はずれにある番匠(大工)の作業小屋に居た。
 小屋の入り口には、白紙が貼られている。狼蜘蛛を斃し穢に触れた僕は、村人と火水を交えてはならなかった。そのため、こうして酒と肴を与えられ、村外れの小屋に押し込められているというわけだった。
 もっとも、僕にとっては村人と交流を持たない方が気が楽で良い。
 報酬を貰って、鬼碼羅を祓う。相原村とはそれだけの関係だった。都を追われてからというもの、僕は鬼碼羅を祓いながら各地を巡っていた。それは、暮らしを立てるためでもあり、もちろん消えた三苗の行方を追うためでもあった。
 僕は、村人から貰った酒を飲む。 
 えたかのような酸味があり、酒精だけがやたらと強い。
 ひどい味だが、酔うためにはこれで良い。
 久々の荒事に疲れたのか、環汰は僕のなかで眠っているようだ。
 三年前の祝言の日、環汰の記魂を飲み込んで以来、その魂が僕のなかに棲みついている。普通であれば、記魂に封じられた魂は人格が削られ、経験情報だけを残した<霊意群>の|姿となるはずであった。
 だが、環汰は記魂のなかにあっても、嫌というほど己を主張してくる。
 これまでの宇洞家の歴史にあっても、僕のように二つの記魂を裡に持つことになった者はいなかった。二つの記魂が干渉し、何らかの混乱をきたしているということなのかもしれない。
 ただ単に、環汰の魂が他よりしぶといだけという可能性もあるが。

 酒を飲み続けているが、眠りは訪れてくれなかった。
 独りで蝋燭の灯りを見つめていると、どうしても三苗のことを思い出してしまう。
 僕が三苗と最初に言葉を交わしたのは、まだ十歳を過ぎたばかりの、小石川にある学寮に通っている頃のことだった。
 学寮とは、貴族の師弟が教育を受ける場のことである。官位の低い僕は、殿上人の子弟たちから侮蔑を与えられることがあった。位が低かったことよりも、鬼祓師という得体の知れない存在への忌避感もあったのだろう。
「犬が通るぞ」
 僕が歩くと、中納言の次子が小声でつぶやく。
 ちらりと睨みかえすと、そいつは取り巻きの者たちと一緒になって、ニヤニヤ笑いを顔に貼り付けてこちらを見ている。 
 そのときの僕は、亡くなった親から記魂を引き継いたばかりということもあり、心が安定していなかった。空言くうげんだとは分かっているが、そのあからさまな侮蔑をやり過ごすことができなかった。
 どうとでもなれ。
 こぶしを握り、中納言の次子の方へと近づいて行くと、
「さすが中納言のご子息。肝が座ってますね」と、横からそう声をかけてきたのが三苗だった。
 そのころの僕らは、宇洞家と外部家の会合の席で、何度か顔を合わせたことがある程度の関係だった。既に三苗の術の優れた才については宮中に知れ渡っていて、鬼祓師の一族とはいえ学寮でも一目置かれる存在であった。
「確かに、この青次は犬のようなものです」
 中納言の次子は、三苗が自分の加勢をしてくれたのかと思ったのか、ニヤニヤ笑いをいっそう強くする。
 だが、三苗は続けて、
「でも、牙を隠した犬です。ひとたび縄が解かれてしまえば、貴方など噛み殺されてしまうのに」
 そう言われた中納言の次子は笑いを凍りつかせ、だが何と応えたら良いのか思いつかなかったらしく、曖昧な表情を浮かべたまま取り巻きの者たちをつれて、どこかへ去っていった。
「余計なことを」
 僕は三苗に向かって言った。外部家の者に助け舟を出されたことが、悔しく思ったのだろう。
 だが三苗は、
「余計なことだとは、知っています」と認め、
「ただ、自分の正しいと思ったことを言っただけ」凛とした表情を見せたのだった。
 美しい、と僕は思った。
 そこで終われば、僕と三苗の出会いは申し分の無いものとなるのだが、まだ少し続きがある。着物の裾をひるがえし、学寮の方へと歩み去っていく三苗の後ろ姿をしばらく見送っていると、
「己をわきまえよ」と低い場所から声がした。
 見ると、背中を丸めた小男が僕のことを睨めつけるようにしていた。衣から出るその腕は、みっしりとした毛で覆われている。
 男の名前は、狒々丸ひひまるといった。
 三苗の下男として外部家から遣わされた者で、いつも彼女の後ろをひょこひょこと付いてまわっていた。陽刀身固で宿したのは猿の力らしく、すばしこいことだけが取り柄であった。
「宇洞家の者が、姫様に声をかけるでない。汚らわしや、ああ汚らわし」嘲るように狒々丸は言った。
「見ていただろう。三苗の方が、こちらに話しかけて来たのだ」と僕は返す。
 すると狒々丸はかっと眼を開き、
「軽々しく姫様の名を呼ぶでない。宇洞家の一族ごときが」
 すると、その刹那。
 目の前にあった狒々丸の身体が、消えた。
 いや、消えたのではなく横にすっ飛ばされたのだ。
「知らぬであろうが、これは飛翔横蹴ドロップキックという技よ」と、狒々丸を蹴り飛ばした環汰が、ひらりと受け身をとりながら言う。
 一つ年嵩の環汰も、いちおう席だけは学寮に置いていたらしい。ほとんど、通っているところを見たことはなかったが。
 それから、環汰は地面に転がる狒々丸に向かって、
「青次を侮辱するということは、この環汰を侮辱するということと同じ。次は蹴り飛ばすだけではすまぬぞ、下郎めが」
 狒狒丸は、まさに猿のごとくその顔を真っ赤にさせると、
「宇洞家が」
 とだけ言い残し、その場から逃げ去っていった。

 からん、ころん、からん、ころん。
 小屋の周りに張り巡らせておいた、鳴子が揺れた。思い出に浸っていた僕の意識を引き戻すように。
――誰か来たみたいだな。
 分かっている。というか環汰、起きていたのか。
 次第に遠くからじゃり、じゃり、という土を踏みしめる音が近づいてくる。足音を隠すつもりは無いらしい。その歩幅から察するに、大人の男であろう。時おり足を引きずるようにしており、怪我を負っているのか、それともひどく疲れているのか。
 小屋の前まで来て、男の足音が止まる。
「入れ」
 木戸を叩かれるより先に、僕は声をかける。
 姿を見せたのは、大ぶりの衣を着た男だった。顔も服も泥だらけで、歳のころは分かりづらいが三十歳前くらいか。男は僕の顔を見ると、糸が切れたように土間にへたり込んだ。
 僕は瓶から柄杓で水をすくって、男に渡してやった。
「かたじけねえ」
 男は柄杓に齧りつくかのように口をつけ、一気に水を喉の奥に流し込んだ。無造作に袖で口元をぬぐう。男が人心地ついたのを見て、
「それでは、用向きを伺おう」と僕は訊ねた。
 すると、男はいきなり土間に手をついて、
「お願いです。どうか助けてやってくだせえ」頭をこすりつけるような仕草を見せた。
四方岳村しもたけむらからやってきた、二瓶と言います。お宅様は、都から来た偉い鬼祓師様なんでしょう。なにとぞ、なにとぞお願いします」
「落ち着くんだ。何を依頼したいのか、それではさっぱりわからない」
 すると、二瓶というその男はぱっと顔をあげて、
「村が大変なことになっているのです」
「鬼祓師にわざわざ頼むということは、鬼碼羅が出たということか」
 僕がそう言うと、二瓶はきょとんとした表情を見せた。
「鬼碼羅というのは、色々な獣が合わさったような姿をした、怖ろしい怪異のことだ」
 僕がそう説明すると、二瓶はふるふると顔を振って、
「いや、そんなんじゃねえ。そんな恐ろしげな化物が出たというわけじゃねえんです」と言う。
 さっぱりわからない。
「では、何だというんだ」僕が首をかしげると、
「鬼でさ」
 二瓶は言った。
「あれは、人ができることじゃねえ。きっと鬼なんでさ」

●◯ 

 最初は、山で食った桑の実が悪かったのかと思ったのだという。
 二瓶の隣には、茂作という男が住んでいて、その老母が腹の痛みを訴えた。二瓶がやってきた四方岳村とは、その名のとおり山に囲まれた小さな村だという。病を治す方法といえば、ひたすら寝て痛みが過ぎるのを待つか、まじないに頼ることしかなかった。

 茂作の老母が選んだのは、後者であった。
 だが、しばらくすると脇腹がぽっこりと腫れてきて、しまいには小さなツクシのような突起物が生えてきてしまった。茂作がその腫れ物を切り落とした方が良いか、おろおろと思案をしていると、
「その病、癒して進ぜましょう」
 旅の医師くすしを名乗る女が現れたのだという。
 よく考えてみれば、女の身ひとつで供も連れず、こんな山深い所に現れたことを訝しく思うべきだったのだろう。だが、そのときの茂作としては藁にでもすがりたい気持ちであった。
「二日にいちど、この丸薬を飲ませなさい」とだけ女は言うと、どこかに去ってしまった。
 茂作は医師に勧められたがまま、老母に丸薬を飲ませ続けた。
 すると半月が経つころには、すっかり腫れが引いてきたのである。
 これで、ひと安心だ。
 茂作が胸を撫でおろしていると、またその女医師は現れた。
「安心するには早すぎます。これは流行り病の類。病人に接した者は、同じように腫れ物が出来てしまうのです。放っておけば、腫れ物は大きく膨れ上がり、破裂して命を奪うことでしょう」
 小さい村である。老母のもとへは、村人の半数以上が見舞いに来ていたのではないか。このままでは、村は大変なことになってしまう。いったい、どうすれば良いのだ。
 狼狽する茂作に向かって、女医師は慰撫するような笑みを見せた。
「そのために、ふたたび私はやってきたのです。母に飲ませたのと同じ薬を、皆に配ってやりなさい。そうすれば、病など恐れるに足りません」
 女は、たっぷりと丸薬を茂作に持たせてくれた。
 礼を受け取ろうともせず、また女医師はそのまま去っていった。その後ろ姿に、思わず茂作は手を合わせた。さっそく茂作は、村中にその薬を配ってまわった。
 ところがである。
 一ヶ月の後、茂作は老母の脇腹にぽっこりと瘤のようなものがあることに気が付いた。丸薬を飲ませても今度はまったく効き目がなく、どんどん成長していくばかり。さらには、村人の多くに同じような瘤が出来てしまっているのだという。
 良く尋ねてまわると、この瘤ができているのは自分が丸薬を配った者だけで、それを口にしていない者はみな平気であった。
 どうやら、この病とあの女医師から貰った丸薬には、何らかの関係があるようだ。
「さては、たばかられたか」
 茂作は気づいたが、時は既に遅い。
 丸薬を飲むのを止めても、瘤はどんどん大きくなって、ぷくりとした突起まで生えてきてしまった。さらにその突起は、日が経つごとに成長していき、何やら爪のようなものまで出来てしまった。
 いや――それは、ただの瘤ではなく。
 人の手であった。

「こんなことが出来るのは、きっと人の仕業じゃねえ。それでおらは、相原村に偉い鬼祓師が居るという噂を聞きつけて、ここにやってきたんでさ」
 僕はため息をつく。
 鬼など迷信だ。それが、鬼祓師の常識である。
 長い歴史のなかで、様々な鬼碼羅が祓われてきたが、人種の鬼碼羅が認められたことは一度もなかった。人は人で、獣は獣である。呪いのようなものを配ってまわる、人型ひとがたの怪異など、あるわけもないのだ。
 おそらく、瘤が化膿して崩れたのを見間違いでもしたのだろう。
「すまないが、それは鬼祓師ではなく、それこそ医師の仕事であろうな」
 僕がそう言うと、
「いや、そんなわけがねえ。これを見てくだせえ」
 二瓶はおもむろに衣を脱ぎ、自らの上半身を露わにした。
「おらにも、その瘤ができてるんだ」
 確かに。
 見間違いようもない。
 その痩せさらばえた肩からは、骨と皮ばかりの細い腕が下がっていた。そして、その肋骨が浮いた両の脇腹からも――同じく腕が下がっていた。
 これと同じ術を僕は見たことがある。
 人の身体から、腕が生えている。
 三苗が操る、陽刀身固と同じように。
――結論を出すのは早い。
 確かにそうだ。
 だから、その四方岳村に行って確かめなくてはならない。
――逸るな。何かの罠かもしれないぞ。考えてもみろ、いったいどこからそこの二瓶とやらは、俺たちがここにいるという噂を聞きつけたのだ。
 確かに環汰が言うとおり、罠かもしれない。でも、いまの僕たちにどんな失うものがあるというのだ。何のために、僕は鬼祓師という職にしがみついて、諸国を旅してまわっている。
「やっと見つけた、糸口なんだ」
 僕はそう口にだしてしまう。
――ふぅ。
 環汰は、僕の頭のなかでため息をつくようにする。肺を持たない<霊意群>の姿となっても、ため息はつけるようだ。
――好きにしろ。お前の身体、お前の命だ。
「ありがとう」僕は口に出して、礼を言う。
 気付くと、二瓶は目を白黒させて僕の方を見ている。ぶつぶつと独言を呟いているのを、不気味がっているのだろう。
「いやなに。気にするな」
 僕はこめかみのあたりを押さえるようにして、
「明日の朝すぐに発つことにしよう。四方岳村まで案内してくれ」
 そう言うと二瓶はぱっと表情を明るくしたが、次の瞬間すぐに顔を曇らせて、
「その、おらたちは貧乏な集落でして。あまりお礼ができないんですが、それでも大丈夫でしょうか」
 その言葉に、僕と頭のなかの環汰は声を揃えて、
「おぬしの姿なりを見て、どこの誰が銭をせびろうと思う」
――お前の姿なりを見て、どこの誰が銭をせびろうと思う。


 
 朝日が眼にかかった。
 番匠の作業小屋だというのに造りが雑で、板塀の間から光りが差し込んでいる。夜が明けた。まんじりともできなかったが、頭だけはやけに冴えているような気がする。
「おい、いつまで寝ているんだ」
 僕は床のうえで丸くなっている二瓶を揺り起こす。
「もう朝ですかい」
 眼を擦りながら二瓶が上体を起こすと、床に散らばっていた鉋屑まみれになっている。汚れていた衣の色と相まって、体中が見事なまでのまだら模様に染めあがっていた。
 出発前に僕は、蛇腹折りになっている地図を開いて、目的地の四方岳村の位置を確認してみる。それは宇洞家に伝わる善隣ぜんりん堂の地図で、旧き世から遺された奇書だ。日本中の地理が、余すところなく克明に記されている。
 旧き世では紙すきの技術はあまり発達していなかったと見えて、原典は風化してぼろぼろの紙片となってしまっている。僕が持参してきたのは、何代にも渡って書き写されてきた、写本のまた写本だ。
 もちろん、その地図に四方岳村の名前はない。
「四方岳村というのは、どの辺になる」と僕が地図を二瓶に押しやると、
「ええと、甲州街道がこのへんだとすると」
 二瓶は地図を指で追いながら、
「だいたい、このあたりになりますかね」と何もない山のなかを示した。
「ふざけるのはよせ」
 僕が少し凄んで見せると、
「めっそうもねぇ。この地図には書いてないようですが、本当にこのあたりの山ん中にあるんです、おらたちの村は」
 騙すつもりじゃないだろうな。
――だとしたら、大した演技力だな。
 まあ、実際に行ってみればわかるに違いない。

 僕と二瓶は相原村を発ち、北に向かって中央街道へと入った。
 日ノ本の東西を繋ぐ大街道であり、人の往来が盛んだった。鍋や釜などの鉄物を満載した荷車を押す鋳物師の商隊が、カチャカチャと賑やかな音を立てながら往く。民から税を取り立てるため、国司切符を入れた文箱を肩に担いだ本所の使いどもが、肩をいからせて歩いている。時おり、早馬が僕たちのことを追い越していく。
 街道を西に進んで相模湖に突き当たると、僕たちは湖岸を左回りに折れて支道へと入った。急に人気が少なくなり、道には倒木がそのまま放置されていたりと、足元も悪くなってくる。百姓に曳かれた、米俵を背中に乗せた牛が道端で立ち止まり、ぼとぼとと大きな音を立てながら糞を落としている。
 葛川のほとりの細い道を伝うようにして、上流へと登っていく。猿橋を越えると、二瓶はこんどは九鬼山を目指して道なきところを進んでゆこうとした。
「どこへ向かうつもりだ」
 さすがに僕は、その背中に向かって声をかけた。
「へえ、おらの四方岳村はこっちになりますんで」と二瓶は真顔で言う。
 眼の前には山が立ちはだかり、足元には獣道じみた悪路があるばかり。こいつ、本当に騙そうとしているのではないか。僕は、次第に不安になってきた。
――このままだと、ぼたもちだと行って馬糞を食わされ、あげく肥壺風呂に落とされるはめになりかねんな。
 たとえそうでも、喰らうしかない。
 この先には、僕がずっと追い求めていたものの糸口があるかもしれないのだ。
 そう意気込んで、僕は藪をかき分け奥山へと踏み入れた。
 だが、
「旦那、ちょっと足をゆるめてくだせぇ」二瓶はすぐに情けない声を出した。
「二瓶、おぬしは山育ちだろうに」僕が言うと、
「村からほとんど出たことがねぇもんで、じっさい平らな所しか歩かねえんです」と二瓶はすぐにへたり込む。
 先を急ぎたいが、案内する者を置いていくわけにもいかない。
 二瓶の言う医師くすしの女が三苗だったとすると、なぜこんな寒村というよりも秘境という方が近い村のことを襲おうと思ったのか。二瓶の体力が回復するのを待ちながら地図を眺め、その理由を考えてみる。
 四方岳村はちょうど、相模原、甲州、駿河という三つの国境にあたる。権力の空白地とでもいう場所であり、山に隔てられていてそれぞれの国司から眼が届きづらい。隠れて事を為すためには、うってつけの土地であるといえる。だが、その女医師がやったことといえば、丸薬を撒いて哀れな村人に腕を生やさせただけ。いったい、どんな利益があるというのだ。
 考えがまとまらない。
 僕は、頭を振る。
 いずれにせよ、四方岳村に辿り着いてみなければ始まらない。
 僕が腰を浮かせかけると、
「申し訳ねぇんだが、まだ動けねえです。もう少しだけ、ここで休ませてくだせえ」と言って、二瓶が袖を引っ張る。
「そもそも、誰の用向きだった」
 僕は二瓶をちらりと睨みつけると、弱ったような情けない表情を見せた。
 仕方ない。文句を言う気も萎えた。
 山の日暮れは早い。
 もう、太陽が樹々に遮られている。今日は二瓶を連れて、これ以上進むのは厳しいかもしれない。僕は諦めて、巨木のうろで宿を取ることにした。
 結局、四方岳村へ着いたのは、その翌々日のことだった。

●◯ 

――なんだか、けつのあなみたいな集落だな。
 九鬼山の峰を越えて四方岳村を眼下に捉えたとき、環汰はそう言った。
 身も蓋もない表現だが、そう見えないこともない。こんもりと丸いかたちをした、九鬼山と生出山の間にある僅かなたににこぢんまりと固まる集落は、確かに尻の間にある菊門を思わせた。

 目を凝らすと、集落にある住居のほとんどは三角形の藁葺屋根で、人の往き来する様子も見当たらない。時代に置き忘れられたような、寂しい集落のようだった。
 二瓶も手を額にかざしながら、己の村を見つめている。
「おかしい」
 ぽつりと呟く。
「四方岳村は寂れた村ですが、あそこまで人の気配が無いってことはねぇ。どうにも、様子がおかしいんでさ」
 二瓶はそう言うとこれまでの疲れはどこへやら、つんのめるようにしながら山を駆け下っていった。
――追うぞ。
 環汰が短く言う。
 
 におう。
 それが、僕が四方岳に到着したときに感じたことだった。
 腐りゆく人の臭いだった。
 枝払いされた丸太さながら、人がそこらじゅうに転がっていた。上半身をむき出しにされて倒れ伏す男の背中には、ぽっこり浮腫のように肉が盛り上がり、その先端が平らに切断されていた。切断面を見ると、筋組織は赤黒く変色し腐り始めているようであり、その中心に露出した骨だけが白さを残していた。
 どうやら瘤のように生えていた腕が、何者かによって刈り取られた跡のようだ。
――むごいな。
 環汰もそれだけ言うと、頭のなかで黙り込む。
 これまで多くの穢悪しきことに触れていた僕たちでも、眼をそむけたく鳴るような光景だった。村を歩くと、いたるところに人が転がされてあった。それら屍体のいずれも、切り取られた肉の断面を晒していた。
 十、三十、五十――途中から躯を数えるのをやめてしまった。四方岳村とは、思ったよりも寂れた集落ではなかったのかもしれないが、それも少し前までの話である。今は、村からすっかり人気が絶えてしまっていた。
 それにしても、結構な量になったはずである。
 いったい、刈り取られた腕はどこへ行ったのか。
「――何とか言ってくれ」
 離れたところで二瓶の声がする。
 声のあった方に向かってみると、村の中心から少し離れた、掘立柱に藁葺屋根が乗っかったような粗末な住居の中から物音が聞こえてきた。中へ入ってみると、薄暗い室の隅っこでうずくまる男の姿があり、その肩を二瓶ががくがくと揺すっている。
「茂作、いったい何があったんだ。見たことを話してくれねぇか」
 その男が、女医師から貰った丸薬を配ってまわった、茂作という者らしい。
 二瓶の腕に振り回されるがまま、茂作の頭は力なく左右に揺れる。
「よすんだ」
 僕は二人の間に割って入った。
 しばらく待っていると、
「あれは丸薬なんかじゃねえ」茂作はうなされるように言葉をこぼした。
「種だったんだ」

 それは、二瓶が鬼祓師を呼びに四方岳村を出発してから、すぐのことだったという。
 おおかたの村人の身体から生えた瘤は益々大きくなり、見る間に太い腕へと成長していった。すくすくと育つ腕とは対象的に、その苗床となった村人の身体はやせ細っていくばかり。茂作は、鬼祓師がやってきて皆にかかった呪いを解いてくれることだけを願った。
 だが、村に姿を現したのは鬼祓師ではなかった。
 茂索が老母の看病をしていると、
「よく育ったものじゃ」
 いつの間にか傍らに小男があって、伏せった老母のことを嬉しそうに見つめている。驚く茂作をよそに、筵を剥ぎ取って生えた腕をぺたぺた撫でまわしまでする。奇妙なことに、その男の腕はみっしりと剛毛こわげで覆われていた。
 怒った茂作が、置かれていたすりこぎを握って振りかぶると、
「こわや、こわや」
 おどけるように言い、するすると室の外へと逃げていった。
 その小男を捉えようと追うが、茂作をからかうように腕の間をすり抜けてゆく。老人のように背中が曲がってはいたが、驚くほど身のこなしが軽かった。小男は、逃げ込むようにして無遠慮に他の住居へと入ると、また中から「豊年じゃ、満作じゃ」という嬉しそうな声が聴こえてくる。
 しばらく、そのような追いかけっこが続いた後、
「では、収穫のときぞ」
 小男はその身体に似合わぬ大声をあげた。
 その声に導かれるように、いつの間に近づいていたのか、漆黒の鎧に身を包んだ武者が十数騎、列を組んで村のなかに押し入ってきた。その武者たちが備えているのは、槍や刀などの戦道具ではなく――無骨な大鉈。
「こちらじゃ」
 武者の列を先導するように小男が加わり、こぞって住居に押し入ると、伏せっていた病人を引きずり出してくる。地べたにその病人を転がし、衣を引き剥がす。武者が大鉈を振り下ろし、生えた腕を払い落としてゆく。
 ばつり、ばつり。
 傷口から血が吹き上がり、土の地面を朱く濡らす。
 四方岳村を包む山肌に、叫び声が反響する。
 小男と武者たちは、黙々と腕を刈り取っていった。払った腕を十づつ薪束まきたばのように括ると、次々と荷車に積んでゆく。
「これは、豊作じゃわい」
 満載された腕の山を見て、
「姫様も、きっと喜んでくださるだろうて」小男は躍り上がるようにし、満面の笑みを浮かべた。

 腕を覆った剛毛、丸まった背中に、すばしこい動き。
 狒々丸ひひまるに違いない。
 そして狒々丸は、刈り取った腕を「姫様」へ捧げることを匂わせた。ならば、この村を訪れた女というのは、やはり三苗だということか。
「教えてくれ。その女医師というのは、どのような姿だった」と僕は尋ねるが、
 しばらく考え込むようにしていた茂作は、
「ああ、わからねぇ」と言って、頭を抱え込むようにする。
「おらの頭はどうしちまったんだ。ついこの間のことだっていうのに、ぜんぜん思い出せねぇ。丸薬を渡されたことは覚えているけれども、あの女がどんな貌をしていたのか、塗りつぶされたみてぇに靄がかかって」
 何が起こっている。
 頭を抱えたいのは、僕の方だった。
 この村へやってきたのが狒々丸だったということは、おそらく間違いないだろう。だが、なぜ奴が武者を率いているのだ。そして、狒々丸が三苗の命で腕を刈り取りに来たのだとしたら、二人は一緒に行動しているということになるのか。
 何より、なぜ三苗は罪のない村人に腕を生やし、それを刈り取らせたのだ。
 いったい何のためだ。罪なき人を脅かす鬼碼羅のことを誰よりも憎み、弱き者を助けるため己を犠牲にしていた三苗が、なぜそのようなことをする。あまりに不可解で、あまりに理不尽に過ぎた。
「三苗は――いったい何をしている」僕はそう口に出して呟いた。
 すると、
「そうだった」
 茂作は急に立ち上がって、
「ああ、そうだ。三苗、三苗様だった。あの医師くすし様の名前を、なんでおらは忘れたりしたんだろう」
「思い出したか、三苗のことを」
「ああ、三苗様はほんとにきれいだった。あんな人、これは見たこともねぇ」
「その女医師は、村を去るときどちらの方に向かった」僕は訊いたが、
「忘れもしねえ、忘れるわけもねえ。ああ、三苗様はほんとにきれいだった。あれは、此の世のものとは思えねえくらい。ああ、もどかしい。うまく言えねぇ。ほんとうに、きれいだったんだよ」
――青次、様子がおかしい。口をつぐませろ。
「よせ。茂作、もう喋るな」
 僕は止めようとするが、茂作の口からは言葉が溢れていく。
「そう、三苗様はとてもきれいだったから。おらはどこかで知ってたんだ、貰った丸薬は、きっと薬なんかじゃねえって。毒かもしれねって。でも、それでも役に立ちたかったんだ。おらが丸薬を配って歩くと、三苗様は嬉しそうに笑ってくれて。花みてぇに」
 内側から湧き上がる言葉に膨らまされるように、茂作の身体のあちこちがぼこぼこと隆起してくる。
「ああ、完全に思い出した。あの人は、きれいで、花だった。あんなにきれいなのは、きっと人じゃねえ。どんだけ、きれいだったか。ああ、上手く言えねえ。おらの言葉じゃ伝えられねぇ。ほんとに花だったんだ、こんな風に」
 そう言うと茂作は――花開いた。
 無数の腕が、茂作を貫くようにして内側から一瞬で生え、血しぶきをあたりに撒き散らした。茂作の躯は、あざみの一輪のように見えなくもなかったが、それは彼が表現しようとした美しさとはほど遠く。
 つまりは、ただの肉の塊であった。

●◯ 

 それから僕と二瓶が行なったことは、穴を掘ることだった。
 村人たちの屍を埋葬するために。
 数えてみると、村人の亡骸は全部で六八体あった。丸薬を飲まず腕を生やさなかったおかげで狒々丸の手にかからなかった者たちもいたが、それでも四方岳村の大半が屠られてしまったことになる。生き延びた者たちは住居の隅で震えるばかりで、村人たちの埋葬は僕と二瓶の二人だけで行わなければならなかった。
 人を埋葬するためには、だいたい六尺(1.8m)もの深さの穴を掘らなくてはならない。鋤を握る手は、すぐに豆だらけになってしまった。ひたすらに穴を掘り、人の身体を底に横たえ、また土をかけてゆく。
 無心で作業を行っていると、すぐに陽が傾いてきた。村外れの少し開けた場所に、ぽこりぽこりと並んだ土饅頭が、夕焼け色に染まっていく。
 これとよく似た光景を、以前も見たことがあった。
 
 あれは、僕と三苗が一四歳になり学寮を出たばかりの頃だった。
 海が、溢れるようだったという。
 九十九里浜に、鬼碼羅「陸鯨りくげい」が出た。しかも、群れで。
 陸鯨とはその名のとおり鯨の巨体で、腹に無数の陸亀のような足を持つため、海に餌が少なくなれば陸にあがって生き物を喰らうことがある。地面に直接口をつけ、ヒゲのような歯で地面を掃き均すようにしながら、根こそぎ生き物を濾し取っていくのだ。
 そのような陸鯨が、群となって九十九里の村々を飲み込んでいった。またたく間に十の村がなだらかな平地となり、そこで暮らしていて村人が残らず濾し取られ、鯨の腹に収まってしまった。
 その災害とも呼ぶべき陸鯨による被害を見て、朝廷は宇洞家と外部家の両方に対し、陸鯨の平定を命じた。本来であれば、両家が協力して鬼碼羅を討ち果たすことなど考えられなかったが、このときばかりは手を取り合って――とまではゆかぬが少なくとも表立っては足を引っ張り合うようなことはせず、陸鯨の討伐に当たった。
 環汰と僕もそれなりに活躍はしたのだが、その闘いで最も名をあげたのは三苗だった。
 鬼神のような働きぶりだった。
 三苗は背中から迦楼羅ガルーダの羽を生やし、上空から陸鯨の脳天をめがけて手に持った銛を突き降ろしていった。ときには陸鯨のその巨大な尾で叩き落とされもしたが、三苗は怯むことなく次々と鬼碼羅を降伏ごうぶくしていった。自らの守りを省みることもない、何かに憑かれたのような戦いぶりであった。
 半月の後、残ったのは一つひとつが山のような数十頭の陸鯨の屍体であった。腹を割くと、おびただしい数の村人たちの白骨が出てきた。
 九十九里を見下ろす丘のうえに、土饅頭に小さな枕石を乗せただけの、粗末な墓が作られた。
 三苗は、その無数の土饅頭を眺めながら――泣いていたのだ。
「膏薬だ」
 二枚貝のなかに入れた薬を、僕は三苗へと差し出す。白磁のような三苗の顔には、地面に叩きつけられたときにできたものか、たくさんの朱い擦り傷があった。
 三苗は涙で濡れた顔をこちらへと向け、きょとんとした表情を浮かべた。
 見つめられた僕は、
「身体に悪いものではない。海藻の灰から抽出したヨウ素を主成分にしているから、傷口に塗ると細菌を殺し化膿を防ぐ効果がある。自分でも使ってみて、きちんと確認もしている。僕は、こういったものを作るのが得意なんだ」しどろもどろになって、なぜか言い訳のようなものを口走った。
 すると、三苗は表情をやわらげ、微かに笑みを浮かべた。
「そうだ。そっちの方が良い」
 僕は目を逸らしながらそう言って、「三苗は出来うる限りの、最善を尽くした。泣くことなんてない」
 三苗は少し俯いて、
「確かに、今の私に出来ることはこれしか無かったのかもしれない」
 それから小さく首を振り、「でも、これが最善の方法だったとは思わない。自分がするべきことをしていなかったから、本当の責務を果たせていなかったから、村の人たちは土の下で永遠に眠ることになった。そんな気がする」
「考えすぎだ。村人たちが殺されたのは鬼碼羅のせいだ。三苗はその仇を取った。それだけだろう」
「それだけで済ませていいの? 外部家に宿る種心は、鬼碼羅を祓うために与えられたものだとしたら――過剰すぎる。なぜ、数多の生き物の遺伝子ジーンをそのなかに宿しているの。闘うために使うのは、その一部でしかないのに」
 三苗は、真っ直ぐに僕の方を見すえて、
「青次、あなたにも記魂が宿っているのでしょう。そう思うことはない?」と訊いてきた。
「僕には――まだ、わからない」
 三苗はいつも正しく、そして美しかった。
 でもそれと同時に、儚いものにも見えた。
「今できるのは、記魂に収められた旧き世の智慧を使って」と僕は二枚貝を割って膏薬を指に取り、
「三苗の傷の治りを、少しだけ早くすることだけだ」三苗の顔の傷に触れ、その上に膏薬を薄く塗った。
 自分がするべきは、真っ直ぐな三苗がぽきりと折れてしまわぬよう支えることだ。そのとき、はじめて僕は思ったのだ。
 三苗は少しだけ驚いたような表情を見せ、
「ありがとう」
 傷口にそっと触れ、笑った。

 四方岳村にあった全ての亡骸を弔うためには、丸二日もかかった。
「天、休を下す。彼に有りて心休ませ、以って終生を永うせよ――」
 僕は祈りの言葉を唱える。僧の<霊意群>を降ろさなくても、祈りの言葉を諳んじることができるようになっていた。僕はこれまで、あまりに多くの死に触れてきたから。
 傍らの二瓶も、黙って手を合わせたままでいる。
 多くの村人が死んだ。
 いや、殺されたのだ。直接的には狒々丸の手によって。そしておそらく、その背後には三苗の影がある。かつて、九十九里の村人たちの死に触れ涙を流していた彼女が、なぜそのようなことをした。
 僕はその理由を突き止めなければならない。
 だが、どこへ向かえばよいのか頭がまるで働かない。おそらくは怖いのだ――三苗に会うのが。村人に種を植え付け腕を生やさせた、今の彼女に会うことが。
――このまま放っておくわけにもゆくまい。
 分かっている。
 でも、どうすれば良いのだ。既に狒々丸は去った。盲滅法探しまわっても、その足取りを捉えることは出来ない。
――いや、探すのはそう難しいことでもない。狒々丸が黒衣の武者を率いて来たのだとすれば、そのような集団を抱えることができる存在は限られている。悪名高き野盗の類か、そうでなければ山城のひとつくらい持っているのだろう。であれば、村に接した三つの國をまわっていけば、いずれ出くわすだろう。
 そうかもしれないけれど。
 今は、そんな旅を始める気にならなかった。
――考えすぎなんだ、お前は。今は頭より足を働かせろ。 
 でも。
――あぁ仕方ねえ。じゃあ代われ。人捜しなど性に合わないが、今のお前がやるよりはましだろう。
「わかった」と僕は口に出し、頭の奥に引っ込む。
――では、しばらくお願いする。
 表に出た俺は、鼻孔から深く息を吸い込む。臭い。辺りには、まだ腐臭が漂っていた。
「二瓶よ」
 俺は二瓶に声をかける。雰囲気の違いを感じ取ったのか、二瓶は目を白黒させながらこちらへと顔を向けた。 
「俺はこれから山を降りるが、お前はどうする」
「おらはこの村に残ります。みんなのこと放おっておけねえから。それに、他のところに行ったって、どうしたら良いかわかんねえし」
「そうか。では達者でな」
 俺が立ち去ろうとすると、
「ありがとうごぜぇました」と、二瓶の声が背後から聞こえた。
 礼は要らない。
 かんたは、何もやっていないのだ。もっとも、青次の方も穴を掘ってきょうをあげただけで、それほど大したことはしていないのだが。
 俺は前を向いたまま、一度だけひらりと手を振った。
 さて、ではどちらに往こう。少し迷ったが、南へと向かうことにした。
 海だ。
 久しぶりに海が見たかった。辛気臭いのは気が滅入る。俺は背後に漂う死の香りから離れるように、南へと向かって山を下っていった。


 
 旅とは、楽しいものであるべきだ。
 辛気臭い顔をしていたら人が寄り付かなくなり、情報も集まるわけもない。
 日ノ本を歩き回るのは純粋に楽しかった。普段は記魂に押し込められた俺が、こうやって自分の足で土を踏みしめることができるだけで、何事にも代えがたいことのように思われた。
 俺は、此の世が決して嫌いなわけではない。
 鬼碼羅がうろつく物騒な世界だが、そう悪いことばかりでもない。旧き世では、歴史が始まって1500年が経った江戸の時代にならないと、きちんとした飯物屋が現れなかったのだという。だが、俺が生きる今の時代では、既に街道のそこらに飯物屋の姿を見て取ることができる。
 此の世では、鬼碼羅という共通の敵があるせいで、人と人との争いが旧き世よりも少し緩やかなのかもしれない。日ノ本における人の往来は盛んで、宿に着けばそれなりの飯物屋が軒を並べているのだ。
 駿河では海豚イルカを食べ、甲州においては地鶏を食べ、そしてここ小田原ではどうするかはこれから考える。
 だが、飯を食うにも先立つものが必要だ。
 さて、商売を始めよう。
 秋も暮れかけ、冷気が肌を刺す。人通りが多い小田原の街とはいえ、こう寒くなると足早に家路へ向かう者を留めるのは難しくなる。腕の見せどころだ。
「繋根」と俺は唱え、
「引擎――筑波香具師」と<霊意群>を降ろす。
「さあ、さあ皆様お立ち会い。御用の方も、お暇なあなたも、しばし足を止めて聞いておくれ。ここに取り出したるは、宇洞家伝来のガマの油。千年前から伝わる、秘伝の製法で拵えたる、めったにお目にかかれない優れもの。
 ガマと言ってもただのガマではございません。鋸山にて退治したる、鬼碼羅の蠍蟇蛙さそりがまを斬って、絞って、半年かけてじっくり抽出したものが、ここにあるガマの油。その効能は切れ痔、いぼ痔、痔ろうに良く効き、加えてひびわれ、あかぎれでも、どんな痛みもたちどころに止めます。
 そればかりか、刃物の斬れ味をも止めるときた。さあさあ、ここが見どころ。取り出したるは、神刀・三日月政宗。空中にふわりと投げたる紙を、引擎――鹿島新當流、このとおりあっという間に六四枚に切り刻み、ただの紙吹雪に変えたる業物。そんな名刀であろうとひとたびガマの油を塗りたれば、このとおりたちまち切れなくなりました。
 こんな逸品、そうそうお目にかかれるものじゃありません。今日用意したのは、限定たったの百本。さらにさらに、一本買ったらもう一本がついてくる。さあ、この機会をどうぞお見逃しなく!」
 俺のわざにつられた小田原の者たちは、奪い合うようにガマの油を買っていく。その中身は、ただの菜種油だというのに。だが、何事も信ずれば効果は顕れる。旧き世では、それを偽薬プラセボ効果といった。
――おい、環汰。僕の三日月政宗に変な油を塗らないでくれ。というより、そんなことに術を使って良いのか。
 仕事に貴賎はないだろう。
 いや、鬼碼羅を祓うという殺生をはたらくより、むしろ物を売るこちらの方が貴いものだ。降ろされる<霊意群>も、きっと喜んでいるだろう。
 などとうそぶきながら、俺は暖かくなった懐をさする。
――目的を忘れないでくれよ。
 もちろん。
 いや、目的を忘れていないからこそ、俺は各地で山海の珍味を、最も旨いものを味わっているのだ。金と人が集まるところに、自然と情報は集まってくる。狒々丸の行方を追うため噂を拾うには、飯屋が一番適しているわけだ。
――それらしいことを。一番の情報源は、そんな所ではなかっただろう。
 まあそう言うな。
 精をつけなければいけないのだ、俺が情報を集めるためには。
 此の世ではもう一つ、旧き世よりも成立が早いものがあった。
 この小田原には既に、遊郭にも似た、くるわという色街が出来始めているという。
 田舎の宿場女郎とは、一味違う女が集まっているはずだ。

 旧き世とはどのようなものだったか、俺たちは<霊意群>を降ろすことで、その断片を知ることだけしかできない。だが、間違いないのは、その時代に生きた者たちが相当に好色であったということだ。
「死にんす、死にんす」
 俺の身体の下で、うわずった女の声が響く。
 吊橋から第一文字、岩清水を挟んで、時雨茶臼そして抱地蔵。いずれも、旧き世から伝わる交合の智慧だ。
 俺は女と交わりながら、呆れてもいる。
 どこの好き者が、こんなわざを考えたのか。
 ことを終えても、女はしばらく布団のうえで放心したようになっていたが、
「本当に、殺されてしまうかと思いました」とまだ赤みがさしたほてった顔をこちらに向けた。
「俺も同じだ。だが、ここで死んでも良いかと思ったがな、お前とであれば」そう言って女を腕に抱き寄せる。
 しばらくすると、女は色々と話をし始めた。どんな村で生まれ育ったのかや、この廓での生活の愚痴。それから、俺のことについても聞きたがった。どんな仕事をしているのかや、妻はいるのかなど。
 俺は女の質問に一つひとつしっかりと答えていった。妻はいまだ持っていない。先祖から伝わるガマの油を売って生計を立てているが、本当は剣術修行のために各地をまわっていること。修行は終わりに近づき、そろそろこの剣術を使って仕官を考えている。
 全て作り話だ。
 頃合いとみて、俺は切り出す。
「それにしてもこの小田原は、人ならざる者が棲む街のようだな。お前のように天女と見紛うような女もこうして居ることであるし。それに、薪束のように人の手を荷車に積んだ黒ずくめの鬼武者が、夜なよな現れるという噂も聞いた」
「いやだ。そんなものと一緒にしないでください」
 女は布団から手を出して、俺の鼻をぎゅうとつまむ。「それに、その鬼武者というのは、この街のものじゃございません」
「へえ」と俺はわざと気のない返事をする。
 すると、女は俺の耳元へ口を寄せて、
「なんでも大楠山の向こうの三浦の果てに、鬼が治める城があるというのです」
 当たりだ。
 だが、もう少し噂の出処を確かめなくてはならない。
「まさか。意外と生娘らしいところもあるんだな。そんな噂を真に受けるなんて」俺が笑い飛ばすと。
 女はむくれた様子をみせて、「ただの噂じゃありません。だってわたしは相手をしたのですから、その黒ずくめの武者おさむらいと」
「まさか」俺が驚いたようにすると、
「驚くのはそんなところじゃないんです。その武者、腕が四本もあったんですよ」
 でかした。
 それこそが、俺たちの求めていた情報だ。ならば、褒美をくれてやらなくてはならないだろう。
 俺は、女の腰にもういちど手をまわす。

●◯ 

 陽はまだ昇らない。
 寝静まる女を起こさぬように布団を抜け出し、俺は廓を後にする。
――環汰、そのうち刺されても知らないぞ。
 青次は釘を刺してくる。
 まあ、俺はいちど斬られてるからな。刺されるくらいは平気だろう。
 と強がっても少しは心もいたむ。
 俺は廓に向かって小さく頭を下げ、逃げるように小田原を後にした。
 向かうは、三浦半島の先。 
 女が言う、大楠山の向こうにある城とは一つしかない。
 波ヶ島城なみがしまじょうである。
 三浦半島の突端にある、波ヶ島に作られた城だ。古くから豪族の安房家が治めている土地で、漁業によってそれなりに潤っていると聞いたことがある。採れた海産物を各地へ搬送する輸送路も確保しているだろうから、刈り取った人の腕を運び込んでいても、それほど目立たぬかも知れない。
 まあ、行ってみればわかることだ。
 俺は東海道を東に進み、葉山で一泊してから脇街道の浦賀道へ入り、波ヶ島へと向かった。
 波ヶ島の城下町は、意外なほど栄えていた。人の往来が多く、新しい住居が幾つも作られている。今まさに大きくなる過程にある街であった。まさか、怪異によって支配されている土地とは思えない。
 城下町とはいっても、城のふもとに街が広がっているというわけではない。波ヶ島は半島の突端から五十間ほど離れた場所にあり、その間を大きな橋が繋いでいる。街は城から離れた半島側にあった。
 橋のたもとには、左右に漆黒の鎧を来た武者が立っていた。橋の向こうには、ごつごつと岩ばった波ヶ島が見え、丸太の先端を尖らせた逆茂木の防柵が巡らせてあった。見えはせぬが、その奥にあるのが波ヶ島城であろう。
 忍び込むのは、容易いことではなさそうだ。
 船で近づこうにも、切り立った岩場が続いており着岸できる場所は少ない。歩いて橋を渡ろうにも、武者が見張っている。そしてその前に、あの中に狒々丸が、そして三苗が居るのかを確認する必要がある。押し入ってから、人違いであったと詫びて出てくるわけにもゆかない。
 俺は橋に繋がる目抜き通り沿いにある宿駅に部屋を取った。城から出てくる者があれば、見通すことができる場所だ。派手に動き回らず、機を待つのが吉だろう。
 飯を食い、寝ているだけでも聞こえてくる情報はある。
 何でも安房家の投手は、二年前に新しい姫を迎えたらしい。
 悪い評判は聞こえず、むしろそれから家勢は上向きななっているという。城下から取り立てる租を軽くしたことにより、商人が集まり街が活気づいた。蒲鉾かまぼこなどの加工食品の生産を奨励したことで商売の利ざやが増え、日持ちするようになり遠方にまで売り歩くことが可能になった。
 それらの変化に三苗が関わっているのか、結論を出すのはまだ早い。
 待つのは嫌いなのだが。
 俺はじりじりする気持ちをなんとか抑え、時を待った。
 
 逗留開始からちょうど一週間が経った夜更けのことだった。
 布団で横になっていると、目抜き通りから土を踏む音が聞こえる。それだけではなく、かちゃかちゃという僅かな鍔鳴りの音が混じっていることに気付いた。俺は布団を抜け出し、格子窓の隙間から通りの様子を伺う。
 外には闇夜が広がり、雲ごしの月明かりが朧に街を照らしていた。
 目抜き通りに列を成しているのは、闇のなかでもわかる漆黒の鎧に身を包んだ集団であった。被った侍烏帽子も、上半身を覆う胴丸も、全て装飾の無い黒一色で染め抜かれている。先頭を二頭の騎馬が率い、その後ろを荷車の周囲を護るようにして歩兵が固めている。荷車には筵がかけられ、何を運んでいるのかは見えなかった。
 その最後尾から、ひょこひょこと飛ぶような足取りでついていく男の影があった。鎧武者の腰くらいまでの背丈しかなく、背中を丸めている。あのような姿の男が、此の世に二人と居るわけもなく。
 狒々丸だ。
 やっと足取りを掴むことが出来た。
――ありがとう。僕では、ここまで辿り着くことができなかった。
 礼を言うのはまだ早い。
 後は、どうやって城に入るかだな。海を往くにも船を寄せるところがなく、陸から往くには見張りを越えなくてはならない。橋を突破しても、逆茂木の防柵が邪魔をする。手を考えなくてはならない。
――その必要は無い。
 どうするつもりだ。
――もちろん、正面から入る。
 馬鹿な。城ひとつを相手にするつもりか。きちんと策を考えてからでも遅くはないだろう。 
――あの祝言の日から、もう四年が経とうとしている。十分に、時は過ぎた。
 そういうところは、昔から変わらないな。
 いつもは慎重なくせに、とんでもないところでやけのように大胆になる。
 まあ仕方ない。では、正面から押して入ろう。中にどれくらい兵が控えているか知らぬが、先ほどの人数くらいであれば何とかなる。
――いや、ここからは僕にやらせてくれ。
 どういうつもりだ。
 荒事であれば、俺がやった方が良いだろうに。
――もちろん分かっている。でも、こればかりは僕が決着をつけなければならないんだ。
 ふぅ。
 俺は大きくため息をつく。此の世で最期のため息になるかもしれない。
 そうであっても文句は言えないだろう。もともとこれは青次の身体で、青次の命だった。
「無駄死にはするな。無理だと思ったら、早めに引き返すんだ」と口に出して言う。
 そして俺は頭の奥にひっこみ――、
「ああ、気をつける」と僕が応える。
 少なくとも、門前で斃されるわけにはいかない。三苗に会わなければ、死んでも死にきれない。
 もちろん、僕も無策で突っ込むというわけではない。商売道具を運んできた葛籠を開け、腰につけた巾着に道具を詰め込んでいく。旅の最中に作り貯めていた得物を使うべきときが来たのだ。
 準備はもう良いだろう。
 いよいよ、山場だ。
 白木の鞘に収められた三日月宗近を手に取り、僕は宿駅を後にした。

●◯

 寝静まった街を歩く。
 潮騒の音だけが、ざばり、ざばりと運ばれてきた。
 これから死ぬかもしれないというのに、不意に笑いがこみ上げてくる。
 僕は思い出した。こうやって、三苗に会うために忍んで往くのは、初めてのことではなかった。
 あれは十五になる頃だった。僕は足音を消しながら、築地塀が作る影のなかを走っていた。胸の鼓動がやけに大きく感じて、寝静まる都に響き渡っているんじゃないかと思ったほどだった。
 思えば無茶をしたものだ。
 三苗が僕のことをどう思っているか分からなかったのに、宇洞家の者にとっては虎の穴に入るよりも遥かに危うい、外部家の邸宅に忍び込もうというのだから。彼女のことが心配で、それがどんなに大変なことかなんて、その時の僕は考えもしなかった。
  
 九十九里浜での闘いがあってから、三苗は当代きっての鬼祓師として広く知られることとなった。
 だが、それが彼女のためになったのかはわからない。
 三苗の親である、外部応龍は鬼祓頭である己の地位を盤石にするためにか、とにかく三苗のことを働かせた。東に毒烏どくがらすが出れば大鷹の足で引き裂かせ、西に蜂蟻はちありが大量に湧けば火竜の炎で焼き尽くさせた。従来であれば宇洞家と手分けして当たらなければならない状況でも、卓越した術者である三苗が東奔西走すれば、事が済んでしまうのであった。
 だがその負担を一身に背負うのも、また三苗であった。
 遠征から帰ってくるたび、疲弊が蓄積していく様子が眼に見えて現れていた。
 彼女の身を案じた僕は、都の玄武小路沿いにある外部家の邸宅に、築地塀を乗り越え忍んで入った。
 三苗の周りをうろうく狒々丸の眼に捉えられぬよう、夜間迷彩に染めた衣に身を包み、気配を消しながら中庭を進む。庭園には遣水が巡らされてあり、中島のある大きな池へと注いでいる。中島では、見たことがない牡蠣殻のような大きなくちばしを持った鳥が、立ったまま眠っているようであった。
 三苗が居るのは、寝殿の西にある対の屋であった。僕は灯の火が揺れている室を目掛け、小石を投じる。
 だが、石が障子に当たる音は聞こえなかった。
 見れば、いつの間にやら室から出た三苗が、透廊すきろうに姿を現し小石を握っていた。
「誰?」三苗が問う声に、僕は叢から姿を現し、
「青次だ」と小さく呼びかける。
 三苗は驚いた表情になり、
「こちらに」と、僕を呼び入れるような仕草を見せた。
「見つかったら、叩き出されるだけじゃ済まないというのに」室に入った三苗は、少し怒ったような様子で言った。
「それは、分かっているけれど」暗い灯台の下でも、三苗の眼には隈ができているのがわかり、頬も少しこけてしまっているようだった。
「なぜそこまでして、家のために尽くす。父の命を断れないためか」
 僕が訊くと、三苗は顔を逸らした。
 だが、そんな理由ではないことは僕自身がよく分かっていた。
「もし三苗が今の半分しか鬼碼羅を祓わなかったとしても、別にどうということもない。残りの半分は、僕や環汰が斃すだけだ。負わなくても良い荷まで、己に課すことはない」
 僕がそう言うと、三苗は小さく首を振った。
「怖いの」
「人々を鬼碼羅から護れないことが?」
「そう――いや、違う」三苗は、自分の裡にある言葉を探すようにした。
「私が預かるこの力は、人々を護るためにある。そのために使わなければならない。でも鬼碼羅をいくら祓っても、間違ったことをしている気がしてならないの。それが怖い。だけど、術を使わないわけにはいかない。私は、鬼祓師だから」
 三苗はいつも正しいことを言う。だから彼女がそう言うのなら、三苗の力は鬼碼羅を祓うためだけに与えられたものではないのかもしれない。
「もし、自分の力が何のためにあるのか探したいのであれば、探すが良い」
 それは、きっと彼女にしかできないことだ。
 でも、独りでしなければいけないというわけでもないだろう。僕は三苗を抱き寄せ、続ける。
「僕だって、三苗を支えることぐらいはできる。三苗がどこへ往こうが、必ず側に居よう」
 しばらく、三苗は僕に身体を預けていたが、
「男が女を支えるというのは、聞いたことがない」ぽつりと言った。
「それは、三苗の方が遅れているからだ。旧き世では、女のことを男が支えるというのは、当たり前であったという」
「だったら、青次の方がふるいということでしょう。そんな千年以上も前の智慧を持ち出されても、困る」
 三苗は僕の腕のなかで、楽しそうに笑った。

●◯ 

 月にかかっていた雲が晴れると、足下の影がいっそう濃くなった。
 波ヶ島城へと続く橋はすぐ目の前にある。
 左右の欄干に立っていた黒武者が、僕の行く手を遮るように橋の中央に寄ってくる。
「止まれ」
 二人は声を合わせて言った。
「この先の城に用があって来た」
 黒武者は互いに顔を見合わせる。
「失せろ」
「では、中に入らずとも良い。待っているので、狒々丸を呼んできてくれ」
「何者だ。名を名乗れ」と、右の武者が訝しげに訊いてくる。
 狒々丸のことは知っているようだ。
「狒々丸に、四方岳村で世話になった者だ。礼が言いたくて来たと伝えてくれ」僕がそう返すと、
「おのれ、亡霊の類か」 
 左右の武者は槍を握り直し、こちらへと向ける。
 四方岳村で何が起こったかは知っているようだ。であれば、かけるなさけはない。
「繋根」僕は唱える。
「引擎――柳生心眼流、選項――武芸十八般」
 帯に挿した鎌を、右手で抜く。腰に巻き付けておいた鎖をじゃらりと外し、左手で分銅を回し始める。此の世ではまだ広まっていない武器――鎖鎌だ。
 左右の武者は初めて目にする武器に怯んだのか、わずかに後ずさりする。
「これの使い方を教えてやろう」
 僕は右の武者に向かって分銅を投げ、槍を握っていた両手の間に鎖を巻きつけると、体重をかけて一気に引っ張る。宙に飛ばされる槍を目でおった武者の眉間に――次の瞬間、深々と鎌が突き刺さっている。
 それを見た左の武者は、己の槍を鎖で絡め取られぬよう、僕に向かって突き立てるように構え直す。
「ついでにもう一つ。鎖鎌とは、なかなかに便利な武器でな」
 僕は分銅をまわすと、今度は真っすぐ顔面へと向かって飛ばす。武者の顔面中央が、ぐしゃりと鈍い音をたて陥没する。
「鎌と分銅、どちらでも殺せるのよ」
 地面に転がる二人の武者からは、鎖鎌の使い方を教えてやった礼はなかった。
――もう、後戻りはできないぞ。
 もとより、そんなつもりはない。
 僕は鎖鎌をその場へ置いて、遮る者の無くなった橋の中央を進む。橋を渡りきり、防柵から内側へと続く門の前まで来る。
 僕は大きく息を吸い込んで、
「猿山は聞いたことがあるが、猿城というのは珍し。宇洞家の青次が、この城に巣食う怪しの猿を見物みものしにまいった」と呼びかけた。
 しばらくすると、内側からかちゃかちゃと鎧の擦れる音が聞こえてきた。
 開門。
 軋むような音をたて開きかけた門の向こうから、黒ずくめの武者が出てきた。
 その数は、五人。
――注意しろ。先ほどの雑魚とは雰囲気が違う。
 上半身には素肌に胴丸だけをつけ、顔面をすっぽりと覆う甲。そして、腰には四本の刀を下げていた。その武者たちは少し前傾になると、うううううと低く唸りだした。すると、爆ぜるようにして背中から二本の腕が突き出してくる。
 これも三苗の術なのか。
 だが、考えている余裕はない。
 四ツ腕となった武者たちは上体を起こすと、それぞれの手ですらりと腰の四刀を抜いた。異形の武者たちは、ゆらりと身体を震わせるようにし、全体でひとつの生き物となったかのように、呼吸を合わせてこちらへと切りかかってくる。
 好都合だ。
「引擎――榴弾投法」僕は口の中でつぶやき、巾着から黒玉を取り出す。僕が手塩にかけて作った獲物。旧き世で言うところの、手榴弾だ。
「ピン引き抜きよし。投げ!」
 僕は腕をまっすぐ伸ばし全身を使って黒玉を投げ、投擲とうてきした勢いのままに武者に足を向けるようにして地面へと転がる。
 ばすん。
 空気を震わせるような衝撃があり、身体を起こすと――仕留め切れなかったか。
 何か知識があったのか、それとも動物的な勘によるものか。四ツ腕の武者たちは、前列の二人が盾となり飛んでくる破片を全てその身で受け止めるようにし、絶命。だが、その後ろに隠れるようにした後列の三名は、無傷のようであった。
 仕方ない。
 僕は、腰の三日月宗近を抜く。
 あまり得意ではないが、僕も環汰の真似をしよう。
「引擎――北辰一刀流」
 剣術の属性を持つ<霊意群>のなかでも、この流派だけは僕の身体に良く馴染んだ。それは北辰一刀流が、会得するのために何の霊験も必要とすることなく、純粋なる「技術」として伝えられてきたからであろう。
 三人の武者のうちの一人が躊躇なく飛び込んできて、左右に構えた四本の剣を一気に振り下ろしてくる。蟷螂が獲物を襲うときのような、獣の動きだ。
 剣術とは、自然のままの暴威を乗り越えるために作られた技術体系。獣の動きは、読みやすい。
 僕は刀を引き、地面と水平になるように構え、半歩足を退かせる。四本の剣は僕の鼻先を掠め、空を斬った武者は僅かに体勢を崩す。僕はそのがら空きになった首元を横薙ぎにする。
 ぽぉん、と首が飛ぶ。
 残りの二人を見ると、右の一人が――刀を棄て、突進してくる。
 捨て身で殺しに来たか。僕は一振りで仕留めるべく、その武者の頚椎中心に突きを入れる。だが、絶命しているはずのその武者は、四本の腕で自らに突き刺さった刀を掴んで離さない。
――来るぞ。
 僕は三日月宗近から手を離し、後方へ飛ぶ。
 刹那、刀を掴んでいた武者の胴丸を貫いて、切先が飛び出してきた。残るもう一人が、仲間の屍体ごと僕を刺し殺そうとしたのだ。その一撃は避けることができたが、僕は刀を失ったことになる。
 残った武者は、四本の刀を器用にくるくると回してみせる。丸腰になった僕を、なぶり殺しにでもするつもりであろう。
 だが、余裕ぶるのはまだ早い。北辰一刀流には、無手にても技がある。僕は体勢を低くし一気に間合いを詰めると、掌底でその武者の顎を打ち抜く。首を抱え、足をかけて武者を投げ飛ばす。
 地面に転がりながら、すかさずたいを入れ替えて武者の上に馬乗りになると、人差指と薬指とを眼窩めがけて突き入れた。
 五人目。
 あとは、開けた門があるばかり。

 僕は武者の首に刺さったままの三日月宗近を抜き、血を拭き取る。少しの間でも、手を離してしまったことが後ろめたく感じた。
 門を抜けて、波ヶ島城の内部へと向かう。
 人の気配はない。
 僕のことを妨げる者は居なかった。まるで、裡へと誘い込むように。
 防柵の中にあったのは、城といっても簡素なものであった。平型のたてが数棟あり、厩や井戸がぽつりぽつりと置かれてあった。板葺きの大屋根がある比較的大きな館が、おそらく当主が住まう場所であろう。
「入るぞ」
 僕が声をかけても、応える声はない。
 正面から館へと入り、外廊に沿って建物を内部へと足をすすめる。すると、奥の広間に人の気配があった。襖障子ふすましょうじを蹴飛ばして中に入ると、闇に近い室内に差し込んだ月明かりに照らされ、ぬらりと身体を震わせる男の影があった。
 小さく、背中を丸めたその姿は、忘れたくても記憶の底にこびり付いている。
「待ちわびたぞ」
 狒々丸がそこに居た。
「猿が城を持つとは、世も変わったものだ」
「そうじゃな、世は変わった。おごれる宇洞家も久しからず、と言ったところか。いまや貴様らは滅びたも同然」
 僕はふぅとため息をつき、
「猿とする話は無い。三苗はどこだ」
 狒々丸は僕の方を睨み、
「その名前を口にするなと言っただろうに」
「人の言葉が分からぬか。貴様なぞに用は無い、三苗はどこにいる」
「お主に用は無くともこちらはあるのだ」狒々丸はけたけたとわざとらしい笑い声をあげ、
「姫様はわしに、ここでお前を殺せと命じられたのだ。いや、本当に首を長くして待っていたのだ――お前を殺す日をな、宇洞青次よ」
 僕は首をかしげ、
「猿に人が殺せるとでも」
「ああ、そうとも。三苗様はわしに誓ってくださったのだ。お前を殺せば、わしのことを下男としてではなく、夫として迎えてくださるとな」
 は?
 猿が血迷ったか。
「はて、動物は耳が良いと聞いていたが」
「聞き間違えることなどあろうか。いかにわしが、猿の頭しか持っていないとしてもな。ああ、今でもこのまなこに焼き付いているわい、忌まわしき姫様とお前との祝言の日――いや、祝言をし損ねた日か。姫様がおはだけになった、あの姿を。大根よりも白き肌に、山のごとく盛り上がる胸、そして血潮をあびてぬらりと光るあの身体。あれが、もうすぐわしのものとなるのだ」
 狒々丸はべろりと舌なめずりし、恍惚の表情を浮かべる。
――青次、挑発に乗るな。
 分かっている。
「もう一度だけ訊く。狒々丸、死にたくなくば三苗の行方を言え」そう言って、三日月宗近を鞘から抜く。
「残念だが、もう狒々丸はおらぬのだ」狒々丸の全身を覆っていた剛毛こわげが、ざわざわと波打つようにして逆立つ。
「その名は棄て、今は鵺丸ぬえまると呼ばれている」
 狒々丸は衣を脱ぎ、四つん這いになった。
 身体を支える四肢が、みりみりと音を立てながら太くなり、毛に縞模様が浮かんでくる。畳に、鋭い爪が突き立てられる。尻のあたりから尾が生え、波打つようにして伸びていくと、その先に現れた蛇頭がぺろりと炎のような舌をつらつかせる。
 猿の頭に、虎の腕、虎の尾を持つその動物は。
 狒々丸ではなく――鬼碼羅「鵺」。
「確かに良い見ものであったことだろう、お前なんぞの冥土の土産としては過ぎたる程の」と猿の頭が言い、
「では、殺して進ぜよう」
 早い。
 鵺の足元の畳が爆ぜ、次の瞬間、目の前に獅子の手が目の前にある。僕は刀の腹で受け止めるのがやっとで、そのまま吹き飛ばされてしまう。
「なんだ、手応えがないのう」
 鵺はくるりと振り向いたかと思えば、蛇頭をこちらへと飛ばしてくる。刀を振るが、蛇はするりと避け、僕の腕へと牙を立てる。振り払うと、ぼたぼたと血液が畳の上へと落ちた。
「心配せずとも良い、毒は入れておらぬ。すぐに死なれてはつまらぬからな」鵺は嘲るように言った。
 強い。
 これまで相対してきた、どの鬼碼羅よりも。
――聞いているか、青次。
 話をしている余裕はない。
――いいから聞け。お前一人の術では、あいつには勝てない。
 わかっている。
 でも、僕が決着をつけなければならないんだ。
――誰が代わると言った。癪だが、俺が変わってもやつを斃せん。
 だったら、どうする。
――降ろすのよ、俺も。<霊意群>を。
 まさか。
 <霊意群>のなかに<霊意群>を降ろすなど、出来るのか。脳が持たず焼き切れてしまうかもしれない。
――だとしても、猿に食い殺されるよりはましだろう。今の俺たちで出来る最高の術を持ってしか、やつは倒せんぞ。
 確かにそうだ。
――二人で降ろすのよ、最強を。
 宮本武蔵。
 彼が記したとされる兵法書『五輪書』が擬似魂の姿を取った<霊意群>は、環汰でも上手く降ろすことができなかった。だが、二人でならどうか。
 やろう。
――やるぞ。
「繋根」
―繋根
「引擎――兵法得道書、選項――地・水」
―引擎――兵法得道書、選項――火・風。
 それから、頭のなかの環汰と声を合わせて、
「空――二天一流」
 見える。
 心を静かに揺るがせて鵺の動きを吟味すれば、その仔細な動きに幾つもの狙いが表れていることがわかる。鵺はつま先に体重を移動させ、目玉をこちらへと向けて瞳孔を広げ、今にも飛ぼうとしている。
 距離を詰めようと畳を蹴る鵺に向かって、半歩歩み寄る。
――俺は刀を構えずに、ただ握る。それから鵺の動きに合わせ、一呼吸で打つ。空中にある鵺の前肢が飛ぶ。脚を切断された鵺は受け身が取れず、畳のうえにどうと倒れ込む。
「何をした」
 鵺は表情を凍りつかせて、そう訊いてくる。
 だが闘いのなかで応える言葉などはない。
 僕はぐるりと回りこみ、鵺の背後に戸障子があるように追い詰める。鵺は堪らず後ろを後ろを向いて蛇を飛ばしてくるが、
――鵺がそうするしか無いことは、俺には分かっていた。つまりは「たいの先」を取ったということ。無念無想の打ち。手はいつとなく、空より後ばやに強く打つ。蛇頭が切り離され、血液が辺りに飛び散る。
 堪らず鵺は戸障子を破って、中庭に転がり落ちるようにして逃げた。
 僕もそれを追う。
「宇洞家が」
 手負いの鵺が僕のことを睨みつける。獣の眼で。
「お前は知らぬかもしれんが、わしが外部家の末流として迎え入れられる三十年前まで、我が一族は宇洞家から追われていた。わしらのことを、鬼碼羅「喋狒々」などと呼んでな。我が一族はすべてお主らに討ち取られ、わしで仕舞いよ」
 鵺は天にある月を見て、たがが外れたような哄笑をあげた。
「だが、もう何も望まん。所詮猿のわしが、姫様の夫となろうなど過ぎたる望みであったは。だが――ここで我が身が朽ちようと、貴様だけは殺す」
 鵺の切断された前脚が、しゅうしゅうと音を立てて生えてくる。
「創発」と叫ぶようにして、
「上傳――百獣総花」
 もとは狒々丸だった鵺の身体が――内側から湧き出した。
 その身体の至るところから、ごぼごぼと音を立てながら、さらに獣が生えてくる。
 鷹の翼が、犀の角が、象の脚が、火蟻の顎が、麒麟の首が、龍の鱗が、蝙蝠の翼膜が、熊の前脚が、猪の牙が、鯱の尾が、大蛸の吸盤が、暴龍の大顎が。
 奇怪な巨獣が、そこにはあった。
 その身体は、館の大屋根と並ぶほどに大きい。百の獣が混ざりあった、まさに鬼碼羅のなかの鬼碼羅と呼ぶべきもの。このようなもの、どのようにして斃せば良い。
 巨獣は躰を震わせると、山鳴りのような叫び声をあげる。
 身体を支える象の脚が動き、予想もせぬ早さでこちらへと突進してくる。踏み殺そうというつもりか。
 僕は、横っ飛びに避けることしかできない。
 受け身をとる間もなく、横薙ぎに振り回された麒麟の首によって、僕は吹き飛ばされる。打撃を防いだ左腕が痺れていて、感覚がない。折れてしまったのかもしれない。
――青次、逃げろ。
 巨獣の躰の前方に、水牛の頭が、羚羊の頭が、犀の頭が、鋭い角を持った禽獣の頭が集まり、その尖端をこちらへと向ける。
 突進。
 避けきれない。
 死。
 三苗よ。
 僕は死ぬのだ。
 覚悟し、眼を閉じる。
 時が凍りつく。
 閉じた瞼の奥にあるのは闇ではなく――明るい。
 辺りは光で包まれていて、ふわふわとした人型の鬼火のようなものが漂っている。どこかで見慣れたような風景だと思えば、それは僕が<霊意群>を降ろす際に訪れる、記魂のなかに違いなかった。
 辺りを漂う<霊意群>を覗き込んでみれば――顔がある。僕のことを見返して、軽く会釈まで返す。なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。それぞれの<霊意群>はまるで似ていない、別々の表情を持っていた。
 天を見上げれば、<霊意群>が渦をつくるようにして、大きく円を描くように漂っていた。それら無数の<霊意群>たちは遥か天の高きまで続き、小さく見えなくなってゆく。
「なんだ、ここに居たのか」
 呼びかける声に振り向けば、環汰が居る。
「どうしたんだ、ぼうっとして」そう言って笑い、先を歩いて行く。
「どこへ往くんだ」
 僕が声をかけても、環汰は振り向かない。
 見失わないように、僕も環汰の背中を追いかけていく。
 気がつけば、渦を描いて漂っているように見えた<霊意群>たちも、どこか一点を目指してゆるやかに進んでいるようであり、僕もその中に混じり歩調を合わせる。暖かく、歩くのにちょうど良い。足を進ませていくだけでも、心地よく感じる。いつまでも、永遠に歩き続けてゆきたくなるほど。
 だが、
「駄目だ」
 僕は口に出す。
 まだ、ここから先へ往くわけにはいかない。僕は三苗と交わした約束がある。その言葉が、僕をここに縛り付けている。
「環汰、この先に行ってはいけない」
 僕は声をかけるが、環汰の背中は遠くなるばかり。走って追いかけようとするが、辺りを包む<霊意群>に阻まれて、先に進むことができない。それでも、僕は環汰と離れるわけにはいかないのだ。
 僕はがむしゃらに<霊意群>をかき分け、足を前にすすめる。 
 身体があることがもどかしくなり、僕の意識だけが<霊意群>の間を抜け、先へと進む。身体から離れた視点が、霊意群たちを追いこして高くへと上り、環汰のことを探す。列をなす数多の<霊意群>の先に、環汰の姿があった。
 ふと――さらにその先が気になり、彼方へと視線を向ける。
 よく見えた。
 なだらかに広がる事象の上を数多の<霊意群>が歩んでゆき、その一点を目指して進んでいる。先へ往けばゆくほど、<霊意群>たちは互いに混ざりあうようになり、事象そのものへと溶け込んで――。

漸悟ぜんご

 世界が、己が、見えた。 
 青次は、世界を見渡す一つの視点となった。
 すぐ先には、巨獣から生えた角獣の頭が迫ってきている。
 刹那、模擬思考シミュレーションを試みる。
 避ければ――避けきれず、巨獣に踏み殺されよう。
 迎え撃てば――ひとつ、ふたつ角獣の頭を切り落としたところで、巨獣に押しつぶされ圧死されよう。
 残る手はこれしかない。
 青次はひらりと飛び、犀の頭を踏み、水牛の頭を踏み、巨獣の身体に乗った。そのまま巨獣のうえを駆け上がると、禽獣の身体のなかに埋もれている狒々丸の顔を探す。
 巨獣の身体のちょうどいちばん高い場所、二本の麒麟の首に挟まれるようにして、狒々丸の顔が肉に埋もれていた。
「問おう。狒々丸よ、三苗はどこだ」
 そう問うても、狒々丸は牙を向いて威嚇するばかり。巨獣の躰を揺らして、振り落とそうとしてくる。
「言葉も失ったか」
 青次は巨獣に乗ったまま刀を振るい、麒麟の首を、鷹の翼を、熊の手を、次々と斬り落としていく。しばらく、つるりとした巨獣の躰を、眼を細めながら観察していたかと思うと、
「ここか」
 小さく呟き、三日月宗近を振り上げ、巨獣の背中にその鍔が埋もるほど、深々と突き刺した。
 巨獣はびくりと大きく痙攣するようにし、脚が萎えてその場に崩れるように倒れる。間を置かずして、巨獣の躰を構成していた多様な獣が、どろどろと溶けだしていった。波ヶ島城の中庭は、臓物を煮込んだ鍋を引っくり返したような有様となった。
 その溶けた肉の中心に、小さく丸まった狒々丸がいた。
 青次は、狒々丸の傍らに立ち、
種心しゅしんを貫いた。もはや、お主は助からぬ。三苗はどこだ」
 再び問うた。
 狒々丸は、濁った眼を青次の方へと向け、
「鈍い男だ。あまり、姫様を待たせるな」と言ったのを最期、動かなくなった。
 三苗は待っている。
 そうだ。
 あの祝言の日に、先で待っていると言ったのだ。
 青次は、狒々丸の遺体に短く手を合わせると、北に向かって猛然と駆け出した。


 
 北へと走る青次の身体は、青次であり、環汰でもあり、だがそのどちらでもなかった。
 意識とは、経験情報を統一する基盤である。
 青次の物理的な脳のなかには、彼の脳が構成する意識の基盤と、環汰の記魂によって構成される基盤とが併せ持たれていた。これまでは、その二つの基盤を切り替えることで、身体の主体となる意識を選択していたわけである。
 だが、狒々丸によって死と直面させられた時、その意識基盤に変化が生じた。
 あえて理由を探すなら「走馬灯を見る」という現象が、その変化の引き金となったと言えよう。
 人の脳は死に面した際、危機的な状況を回避し生に繋がる道を探すべく、記憶のライブラリを参照し打開策を見つけ出そうとする。その検索を行うに当たり、短期記憶を持つ海馬から、長期記憶を保管する側頭葉まで、一瞬にして広域的な神経回路網を構築するのだという。そのような作用により、これまでは別個のものとして機能していた、青次の意識基盤と、環汰の意識基盤の間を横断する、神経回路網が構築された。
 結果生まれたのが、二つの意識基盤を統合する上位存在――視点としての青次である。
 意識・知能の性能とは、意識基盤を構成する情報量の多寡で決まる。ひらたく言えば、意識基盤を構成する脳の神経回路網ワークススペースが大規模であるほど、賢くなるいうわけだ。つまり、青次と環汰、そして記魂に封じられた情報の全てをその意識基盤の下へと収めた今の青次は、人を越える存在となった。此の世と、記魂内に封じられた世界とを見通す、漂白する第三の視点として。
 青次は――人という種の先へ進んだのだ。
   
 青次の目的地は、波ヶ島城からちょうど北に70kmほど先。
 代々木神宮だった。
 フラット走法を使い、ひたすらに走った。<霊意群>を降ろすまでもなく、記魂内の情報は既にほどけ、意識の構成要素のひとつとなっている。姿勢を前傾にさせ、重心がつま先にかかるようにし、足裏全体で地面を掴むようにして走る。
 風景が、するすると後ろに流れていった。
 夜が白けてくる頃、葉を落とし静脈のような細かい枝を晒した樫の大木が眼に入ってきた。
 代々木神宮を包む杜が、見えてきたのだ。
 その杜があった場所は、今から1300年ほど前はただの荒れ地だったという。それを、日ノ本の様々な土地や、遠く大陸からも樹木を運んできて、人工的な杜を作ったのだという。
 そのためよく見れば、樫や椎の広葉樹であったり、檜や椹などの針葉樹、楠などの常緑樹など、自然にては同じ場所にあることはない樹々が同居しているのである。あたかも、一つの身体に様々な種を宿した鬼碼羅のように。
 ゆえに、二人がここで祝言をあげようとしたのは、必然だったのであろう。
 青次が杜のなかに足を進めようとすると、腰まで伸びた下草がその行く手を阻んだ。三年前の一件があって以来、代々木神宮は穢所として封印されていた。青次は、草を分け入るようにして杜のなかへと進んでゆく。
 しばらく歩むと、本殿が見えてきた。
 銅葺きの屋根は、緑青ろくしょうが浮いて緑のまだら模様となっている。だが、それ以外は何も変わっていない。草のなかに埋まるようにしてある建物は、時のなかに取り残されたように、あの日のままの姿であった。
 本殿のなかへと足を踏み入れると、きゅうと板貼りの床が鳴る。
 青次は長い廊下を渡り、奥へと進んでいった。
 意識の、感情の集合身体である青次の胸に、遠い日の記憶が蘇る。
 あのとき、青次が感じた胸の高鳴りが、環汰が祝福する浮き立つような気持ちが、泡のように浮かんでは消えていった。
 本殿の手前で、中庭に咲く山桜が目に入った。花はとうに散り、幹だけが残っている。
 だが、ふわりと散る花びらがあった。
 青次はとっさに掌をかざし、その花びらを受けようとする――が、消えた。
 雪だった。霜月だというのに、季節外れの雪が降っていた。湿り気を含む重い雪が、僅かな風にあおられてふわふわと舞っていた。
  
 本殿に入ると、その中心にただ一人。
 美しい。
 また旧い青次の感情が蘇り、身体を満たしてゆく。
 何もかもが同じだった。
 床にふわりと広がる緋色の長袴も、羽織った唐衣の淡く染められた鶯色も、今にも飛び立ちそうな臥蝶の丸模様も。そして、唐衣のうえに滑らかされた、腰まであるその長い髪も。
「待っていました」
 そこには三苗がいた。
 あの時と変わらぬ、美しい姿で。
 この三年が、全て幻だったのではないかと考えたくなる。これから、祝言の続きが始まるのだと。だが、唐衣に散らされた黒い血痕が、つかの間の妄想を打ち消した。
「三苗は見つけたのだな」と青次は語りかけた。
「本当にすべきことは何なのかを」
 三苗は小さく頷き、
「はい。あのとき、悟ったのです」
 そう言うと、三苗はいつの間にか手にしていた一期一振を逆さでに構え、着物の小紐を断ち切っていった。
「私がすべきことは、人という種の先へと進むことだと」
 それから、するりと唐衣を脱ぎ落とし、
「創発」三苗は鈴の音のような透きとおった声で、
「上傳――千手」
 花だ。
 三苗の全身から、無数の手が花弁のように咲き乱れた。しわがれた老人の手も、筋肉質の手も、むっちりとした赤子の手も、全てが調和してひとつの花のように、三苗の身体を彩っていた。
 かつて四方岳村で見たのは、まがい物であった。三苗の姿は異形には見えず、むしろこれまでの人の身体が不完全なものであったように感じる。いや、実際にそうなのであろう。
 なぜなら、人間の脳と身体とはその性能の均衡が取れておらず、歪なものであるからだ。三苗は、その歪みを矯正し、完全なる身体を手に入れようとしたのだ。

 つまるところ、三苗が行ったのは脳の覚醒である。
 人間の脳は、例えば水頭症という病気により、脳内に水が溜まり頭蓋内の95%が空洞になっても十全な知性を発揮できる。むしろ、水頭症患者のなかにはIQ125を越える者もいた。つまり、人間の脳は5%しか使われていなくても、人の知性の要求に足る機能を発揮することができるのである。
 それは、なぜか。
 脳に対して、身体の進化が追いついていないからである。身体に対して、脳は過剰に進化を遂げている。
 脳と身体の不均衡の例としては、イルカがある。イルカの脳は人間の脳よりも大きく平均1500gもあり、さらに大脳新皮質の面積については人間よりも広い。純粋な脳のハードウェアとしての潜在能力は、人間よりもイルカの方が高いことになる。
 だが、知能はイルカよりも人間の方が遥かに高い。
 それは、インターフェースの違いによるものである。コンピュータと異なり、生物の脳というのは、ハードウエアとインターフェースとを切り離して考えることはできない。手や眼という入出力器官による刺激が、脳を刺激しハードウェアとしての進化を促進するのである。
 インターフェースから齎される情報を解析するために、脳は己の性能を高めようと進化する。イルカが持つ尾ビレや胸ビレというインターフェースは、人間の指に比べて遥かに単純なもの。そのため、せっかくイルカの脳は高い潜在能力を持っていても、その機能を十全に発達させる必要が生じなかったのだ。
 ひるがって考えると、人間についてはどうか。
 先に述べたように、人間の脳もその容積のわず5%だけで、人間の知性の要求に応えることが可能だ。では、残り95%の能力を引き出すためには、どうすれば良いか。
 手を増やせば良いのだ。
 三苗は、実際にそれを行なった。
 日ノ本にある生物のなかで最も複雑な身体器官――つまり人の腕を培養し、おそらくは食べ、自らの種心のなかに取り入れた。様々な人の手を必要としたのは、入出力情報にヴァリエーションを齎し、脳の分析能を最大化させるためであろう。
 結果として三苗は――人の先へと進んだ。

「人はすぐに死にます」
 三苗は笑顔のまま言った。「病気によって死に、鬼碼羅によって死に、そんなに死にやすいのに人同士が争ってさらに死にます」
 青次も知っている。
 そんな光景を、何度となく眼にしてきた。
「此の世では、朝廷が人を管理する役割を果たしています。ですが、その結果は見てのとおり。都など一部は栄えても、山間の村は生きるのもやっと。無駄なことに資源を割いてばかりで、鬼払師に頼らなければ鬼碼羅を退けることもできない。なぜ上手くゆかないのか理由は簡単で、それは統治機構が発達途上にあるからというわけではなく、結局のところ人がひとを管理するということに、根本的な無理があるからです」
 そのことは、まさに歴史が証明している。
 旧き世も、些細なことがきっっかけで滅びてしまった。白鷹王の、紅旗王の独善と自尊心により引き起こされた戦によって。どれほど高い文明を築き上げても、人間の愚かさによって瞬く間に崩され、消えてしまう。
「だから、私は人という種を越える必要がありました。此の世を終わらせ、次の世を始めるために」
 青次と三苗の思考は、完全に一致していた。
 だから、彼女が次に何を言いたいかのかも理解していた。 
「その始まりが、この祝言となるわけだな」青次が先んじて言うと、
「はい」三苗は少し頬を赤らめ、
「青次、夫婦めおととなって、子を成しましょう」
 生きとし生けるもの、全ては無常の風に攫われゆく。たとえ人を越えた種となろうとも、その定めからは逃れることができない。
 だから、子が必要なのだ。
 三苗がこれから創る完全なる世界を継ぐ者が。
「青次は約束を果たしてくれました。私がどこへ進もうと――人という種の先へと往こうが、必ず側にいて支えてくれると」
 人を越えた存在の夫となるのであれば、同じく人を越えるしかない。
 だから、三苗はあのとき皆を殺したのだ。
 そうすれば、青次が記魂を飲み込むと。もう一つの記魂を取り込んだ青次が、やがて人を越えたその先へ付いて来てくれると。
 三苗は信じていたのだ。
 嬉しかった。
 今の青次にも、その心が嬉しかった。
 いかなるかたちであれ、三苗は紛れもなく青次のことを愛してくれていたのだ。 
「教えてくれ」
 だが、青次は問う。「四方岳村の者に腕を生やさせたのは、狒々丸をあのように改造したのは三苗だな。何のためにだ」
 青次のなかの、旧き青次がそう訊かせる。
「私たちのために、です。四方岳村の者たちは、私へ腕を提供してくれると共に、良き術の実験台となってくれました。そして狒々丸も良く仕えてくれ、しっかりと己の役目を果たしてくれました――青次に人を越えてもらうための踏み台となるという」三苗は心からの感謝をこめ、そう言った。
 青次は、再び問う。
「では、四方岳村の者のために、狒々丸のために涙を流したか」
 三苗は不思議そうに首をかしげ、
「はて――何のために」
 青次は束の間、眼を閉じた。
 旧き青次の記憶が、瞼の奥に映っては消える。
 三苗の凛とした表情が。
 朗らかな笑い声が。
 眼をはらした泣き顔が。
 その全てを振り払い、青次は振り絞るように言った。
「だったら、今の三苗は――祓うべき鬼碼羅だ」
 人を越えた新たな種と、旧来の人とが混ざりあった――鬼碼羅「三苗」。
 それが、今の彼女の姿だった。
青次ぼくは、あの日の三苗に会いたい」
 青次は、腰に帯びた三日月宗近を抜く。
「とても残念です。それこそ、涙を流したいほどに」三苗は、ぽつりと言う。
 そこで、互いの言葉は尽きた。

「創発」三苗は呟く。
「上傳――神剣・一期一振」
 すると、三苗に接続された無数の手のそれぞれから、一期一振が生えてくる。三苗は、世界の根源と己とを接続しつつあった。今の青次であっても、どのような原理によりそれが可能なのか検討もつかない。
 三苗には、千の腕と千の刀。
 対する青次には、折れた左手と、右手に握られた三日月宗近だけ。
 決着は一瞬だった。
 刀の嵐が襲ってくる。
 四ツ腕の剣士が見せた、獣の動きではない。千の刀それぞれが統制され、全てが必殺の一撃となって迫ってきた。
 青次は、模擬思考を試みた。
 頭を唐竹割りにしようとする刀を弾けば――死ぬ。
 心臓を貫こうと突く刀をいなせば――死ぬ。
 袈裟懸けに振りぬいてくる刀を受ければ――死ぬ。
 剣を躱して後ろへ退こうとも――死ぬ。
 青次に用意されているのは、死の未来しか無かった。
 だが、それで良い。
 彼は死中に活を拾おうとなど考えていなかった。死中に死を広い、さらにもう一つ死を加えることが狙いだった。
 青次は前方に飛ぶ。
 上段から振り下ろされた刀が、ざくりと頭に突き刺さる感覚があり――瞬間、浮遊する第三の視点は消え、己の身体へと意識が引き戻される。それでも、僕は足を前へとすすめる。
 三苗の無数の腕に抱きとめられるように、その胸のなかへと飛び込む。右手にしっかりと、三日月宗近を握りしめながら。
 するりと刃先は、やわらかい三苗の身体の中心へと吸い込まれ。
 コツリ、と固いものに突き当たる。
 種心だ。
 もう少し力を入れると、
「あっ」
 種心が砕け、三苗が短く声をあげた。
 僕と三苗は折り重なるようにして、倒れ込む。
――上出来だ。 
 遠くで、声が聞こえた。
 環汰が褒めるくらいなのだから、きっと上手く出来たのだろう。僕はほっとして深く昏い意識の底へと落ち込んでゆく。

●◯

 夢を見る。
 何も知らない、頭に記魂が埋められていない、子供の頃の。
 だだっぴろい草原で、僕は遊んでいた。
 前を走る、環汰の背中を追いかけていた。
 歳は一つしか違わないが、環汰は足が早くて捕まえることができなかった。
 そうしているうちに、しだいに日が傾いてくる。
 枯れかけた草が夕日を受けて、火がついたように朱く染まっている。
「青次、もう帰る時間だぞ」
 姿の見えない環汰が、そう僕に言ってくる。
 嫌だ。
 もっと遊んでいたい。
「駄目だ、早く帰らないと母さんにどやされるぞ」
 それも嫌だ。
 じゃあ、環汰も一緒に帰ろう。
「それはできない。俺はこっちだから」
 環汰は里と反対側を指差す。
 なんでだよ、一緒に帰ろうよ。
「じゃあな、青次」
 行っちゃ駄目だ。
 そう言うと、環汰は僕をいたわるように、
「最期にお前と旅ができて、俺はとても楽しかったぞ」

「待ってくれ」
 僕は、自分の叫び声で目を覚ます。
 そこは草原の中などではなく、代々木神宮の本殿。
 頭に触れると、ざっくりと額の近くまで割れている。生きているのが不思議なくらいだった。そっと傷口に指を差し入れると――記魂だ。
 刀は環汰の記魂を割り、止まっていた。耳を澄ましても、もうその声は聞こえない。
 環汰は去った。
 僕の腕のなかには、三苗が居た。
 三苗から生えていた無数の腕は溶け、三年前の姿とまるで変わらない。その胸の中心から、夥しい量の血液を流していることを除けば。
 三苗は、僕の腕のなかで眠るようだった。
 いや。
 わずかに、三苗の唇が動き、うっすらと眼を開く。
「――――」
 三苗は、何事かを喋ろうとしている。
 僕は、彼女の口元に耳を寄せる。

「妻――宇洞三苗」

 驚く僕に向かって、
「なんて顔しているの。誓詞奏上の型どおりでしょ」
 それから、
「いろいろあったけど、やっと夫婦になれたね」三苗は安心したように言い――再び眼を閉じた。
 それが、最期に三苗が残した言葉だった。
 僕は、三苗を強く抱きしめる。
 その温もりを、その感触を忘れないように。
 三苗の言葉を、三苗の表情を、すべて自分の記憶に刻み込むために。
「繋根」
 僕は唱える。
「上傳――宇洞青次」
 それは、宇洞の者が操る最期の術。
 己という存在を、記魂の裡へと封じるための言葉だ。
 記魂は脳全体を発火させる。
 広域的な神経細胞回路網を焼き切るように活性化させながら、僕という存在を情報として取り込んでゆく。
 周りの風景はほどけ、僕の感情も、三苗を抱いているその感触も、言葉の連なりとなり、渦を巻きながら吸い込まれてゆく。
 世界が反転すれば、記魂のうち
 そこは、言葉で満たされており、言葉こそが世界だった。
 言葉とは祈だ。
 言葉とは呪だ
 言葉とは銘であり、令だ。
 つまるところ、言葉とはわざだ。
 かたち無きものに姿かたちを与え、束の間のときを与えるための術だ。
 僕の傍らには――三苗が微笑んでいる。 
 自らの存在によって紡がれた僕という言葉も、僕の記憶から編まれた三苗という言葉も、記魂の裡においては等しく。
 僕たちはそっと手を繋ぐ。
 言葉となった僕たちは、互いに絡み、折り合わさりながら、果てしなく広いその地平を編み続けてゆく。

 

文字数:46533

内容に関するアピール

◯前回でアピールを書くのが最期だと思っていたら、もう一回あったのでちょっとあれなのですが。

◯大事なことなので前回に続いて書きます――非常に刺激的で楽しい1年でした。大森先生をはじめ、講師の皆様、編集者の皆様、そしてスタッフの皆様、本当にありがとうございました!

◯梗概選出されていないときでも、実作を読んでいただきコメントをいただけたことが非常に励みになりました。重ねてありがとうございます!

◯その御礼となるかはわかりませんが(なったら良いのですが)、この小説には自分の全力を、睡眠時間を、気力を、あふれ出るいろんな汁を、全て注ぎこみました。楽しんでいただけたら幸いです。

文字数:285

課題提出者一覧