神の褶曲

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神の褶曲

 エラム

 村の焚場たでばが、青白い光に染まった。次いで、大地の底から突き上げるような爆発音が巻き起こった。
 光と音の中心では、一人の子どもが右腕を押さえてうずくまっている。その横には、巨大な鉄鍋が横倒しになり、中身の液体が土の上にぶちまけられ、黒煙をあげている。鉄鍋の底はといえば、下から強い衝撃を受けたかのように、内側に向かって破れている。
「おいおい、鍋がダメになっちまったよ」向かいのあばら屋から、腕組みをしながら現れたのは、焚場たでばの管理人であるセントだ。首には、職位を表す、炎を模った木彫りの首飾りが揺れているが、この焚場たでばでは、長らく炎は使われていない。
 腕組みしながら足踏みするセントの巨躯を恐れてか、あばら屋からバラバラと現れた人々は、慌てて爆発の後始末に掛かる。ある者は鍋を新しいものに代え、ある者は怪我をした子どもに手当てをし、ある者はどこかへと走り去っていった。その後ろ姿をセントの怒鳴り声が容赦なく追い立てる。
「できるだけ生きのいい〈焚奴タド〉をもらってこいよ」
 うずくまった姿勢を解かれた子どもは、仰向けに地面に寝かされた。右の肘から先はちぎれ、通りの向こうまで吹き飛ばされている。
「あれ、どうするよ」手当てにあたった三人のうち、小柄な男が怯えた声を上げる。
「どうするって、犬の餌ぐらいにはなるんじゃない」低い声の女が、臆病者の相手は御免だと言わんばかりに、男の方を睨み付けた。
「とりあえず、包帯でぐるぐる巻きにしておけばいいんだろ」もう一人、頭に火傷痕のある男は、包帯の当て方を、ああでもないこうでもないと、試行錯誤している。
「包帯を使いすぎると、後でセントにどやされるよ。いいから、とりあえず血を止めるんだ」女が溜め息をつき、袋から細く縒った紐を取り出し、右肘のすぐ上の部分を縛った。「あそこに持っていくまで、死なせなきゃいいんだから」
 女が顎でしゃくった先には、山しかない。裾野が広く、背の高いその山の頂上付近には、たいてい紫色の霧が掛かっている。この日も、相変わらずの毒々しい色を陽光に輝かせていた。
「そうだ、エイダの言うとおり。そいつを死なせたら、山向こうの墓地まで埋葬に行かなきゃならん。埋葬には金もかかる。その金は、誰の懐から出るんだ」セントの問いかけに、エイダは鼻を鳴らして答え、あとの二人はポケットの財布に手をやった。「その小さな財布の中身を減らしたくなけりゃ、死にかけの犬っころを、とっとと紫霧の中に埋めてくるんだな」
 エイダの指示で、男二人は担架を組み、右腕を失くした子どもをその上に横たえた。
「途中で棄ててこないように、しっかり見張っててくれよ、エイダ」セントは大きな一枚布の衣服を三着、エイダに向けて放り投げた。エイダは二枚を担架の二人に投げ、自分もそれを頭からすっぽり被った。目だけがくりぬかれていて、これを着てしまえば、誰が誰だか分からない。
奉賜衣ほうしいはしっかり締めないと、紫霧で死ぬよ」エイダは言いながら、額、鼻の上と下、首、手首、腰、と順繰りに革紐を縛っていく。終わると、あばら家の外に立てかけてあった大きなシャベルを背中に括り付けた。男二人もそれにならう。
 山に入ってしばらくの間は、木も草も元気に生い茂っているが、中腹に差し掛かると、急に生き物の気配が失われる。踏み固められた地面は土とも石ともつかず、所々割れた大地からは紫色の霧が湧いている。三人は、エイダを先頭に、小柄な男を前、火傷痕の男を後ろにして担架を持ち、霧が少しずつ濃くなっていく中を進んで行く。エイダは時々担架の子どもの様子を見て、止血した紐を締め直した。
「いつもながら、妙な傷口だね」子どもの容態を確かめるエイダが目を細める。腕の断面は鋭く、そこに掛かった力が非常に強かったことを示す一方で、他に目立った外傷は見られない。鍋を右腕で混ぜていたか、鍋の底の「火」力を確かめていたかしたのだろう。指向性の強い熱源――それが化碩かせき燃料の特性だ。
「でも、そんなものを村のあちこちで利用してるなんて、俺は怖いけどな」小柄な男が肩をすくめる。
「化碩は劣化するまでは、安定した回転力を提供するだけだって。怯えるのは何も知らないバカだけさ」エイダが男の頭をはたきながら、再び先頭に戻った。
「そうそう、劣化した化碩は〈焚奴タド〉しか扱わないんだから、俺たちに危険はないさ」
 火傷痕の男がエイダに同調すると、小柄な男は小さく舌打ちした。
 休憩を挟みながら三時間も登ると、紫色の霧は更に厚みを増す。三人は奉賜衣ほうしいの紐を締め直し、口数は減っていった。
 さらに三時間もすると、霧は一層重苦しく辺りを覆い尽くし、三歩先の地面すらも見えない。
「今日は、ひどいね」思わず呟いたエイダは歩みの速度を落とし、後ろの二人が迷わないようにする。こうなってしまえば、担架の子どもが生きているか否か、確かめるのも困難だ。とはいえ、この辺りに棄て置くのも気の毒に思える。その程度には、この山登りは子どもへの同情を呼び起こす。これまで何度も棄奴きどを経験しているエイダですら、この感情には慣れない。土やゴミを棄てるのと同じように、人を棄てることはできない。
 傾斜は少しずつきつくなっていく。担架の上の子どもが転げ落ちないよう、火傷痕の男は、何度か足を押さえてやる必要があった。しばらくすると、霧が少しずつ晴れていき、急に頂上への視界が開けた。
 そこには、大人の一抱え程もある大きな灰色の石が置かれていた。よく見れば人の頭の形に似ている。エイダが飛び乗って、石の上から眼下に広がる大地を見晴るかす。分厚い紫霧のずっと先に、村の様子がうっすらと窺える。反対側を見ると、霧が黒々と凝っている場所がある。廃場すてばと呼ばれ、村で出た廃棄物は全てここに棄られる。
「ここに棄てられたものは、セド様が霧にして浄化してくれるんだ」言いながらエイダは、自分が乗っている石をペタペタと叩いた。「なあ、セド様」
 セドはエイダの言葉に応えるように、少し身じろぎをした。大地が揺れ、波打ち、男二人は担架を取り落としそうになる。
「ちょっと、エイダ。セド様を怒らせるようなこと、しないでよ」
「怒ってないって。ほら、その子を埋めやすくしてくれたんだよ」
 エイダが指差す方向を見ると、ついさっきまで深い窪地になっていた廃場すてばが盛り上がり、霧は晴れかかっていた。
「ほら、シャベルを持って。掘ってる時は、自分が何を掘ってるか、決して見ないし考えないこと」
 エイダが奉賜衣ほうしいの中で目を閉じる。男二人はその意味を考え、えずくように咳をした。
 三人は作業を終えると、再びシャベルを背に、担架をばらして抱え、山を下りていった。その背を追うように、再び霧が深く立ち籠め、山の頂上は再び紫霧の中に沈んだ。
 土の中にいると、三人の足音の違いがはっきり分かる。エイダは粗野なようで山に対する敬意を忘れない、柔らかい音。小柄な男は慌ただしくて落ち着きがない、小刻みな音。そして、最後の男は、攻撃的で荒々しくも、用心深く抜け目のない音――いや、この男はほとんど音を立てない。狩りをする時の獣のような音だ。
 この人は、ここに戻ってくる。
 焚奴タド〉は、化碩を燃料に、液体から金属まで、様々なものを加熱加工する仕事をしている。村人との交流を禁じられているがゆえに、仕事を持ってくる人たちは、他の人に言えないようなことを――愚痴、不満から、人に言えない欲望や犯罪まで――〈焚奴タド〉に語っていく。だから、最後の男のような人間が、どんな欲望を持ち、どこまで酷いことをやってのけるか、よく知っている。
 土の中の子どもは、目を閉じてその時を待つ。どうして、そんな気分になったのかは分からない。ただ、ここで一人で死ぬのは、なんだか淋しく感じられたのだ。あるいは、ここで一人で死なせることを、申し訳なく感じたのかもしれない。
 戻ってきた足音は二つ。一つはあの男。後ろからついてくるのは、小刻みな音。だが、こちらは脚を引きずっている。二つの音の間には、人ひとり分横に寝かせた距離が開いていて、そこに広げられた担架と、その上に寝かされたエイダの体が、真っ暗な視界の中にもはっきりと見えるようだった。
 担架が下ろされ、殺し屋の足音が石の上に乗る。セドが嫌がるように身じろぎし、子どもの体が土の中から押し上げられた。汚泥まみれの頭を風がなで、鼻から入る酷い臭気で、生き埋め状態から解放されたことを知った。目を開けると同時に、どさりという音がし、エイダの体がくの字に折れ曲がって転がっているのが見えた。
「埋めないの……ですか」
「もう一度、死体の山を掘り起こしたいと思うんだったら、お前が一人でやれよ。それとも、もう一回戦か」押し殺した笑い声。「俺は生きてる女がいい。好きにしな」
 殺し屋の足音は、再び静かに霧の中に消えていく。小刻みな足音がその後を慌ててついていった。
 子どもはエイダの首に手を当てた。そして、奉賜衣ほうしいの紐に手を掛けた。綺麗な結び方だったおかげで、左手しか使えないにもかかわらず、簡単に解くことができた。
 奉賜衣ほうしいの中のエイダは、怒りと驚きを目に浮かべたままの形で固まっていて、子どもはその左手でエイダの目を閉ざした。奉賜衣ほうしいを被ると、シャベルを手に持ち、エイダが入れるだけの穴を掘る。そこには、人の死体だけじゃなく、病気になった獣、肥料にも資源にもならない汚染された汚物、使えなくなった道具類や廃材、ぼろ布や汚泥の類までが渾然一体となって、柔らかな土壌を作り出していた。
 穴を掘っていると、右腕を止血していた紐が緩んできた。包帯から血が滲み、滴り落ちた雫が奉賜衣ほうしいを濡らす。紫の霧に覆われていたはずの視界が、白い靄に取って代わり、膝から力が抜けて尻もちをついた。立ち上がろうとするが、体に力が入らない。もたれる場所を求めて手を伸ばすと、セドの石に手が触れた。いざり寄って背中をもたせ掛ける。少し休めば、もう一度穴を掘れるだろうか。
 緩慢なはずの死が、突然目の前で足を止めたように感じた。エイダを襲った死と同じだ。だが、僕の死は暴力的ではない。最後まで、誰かのために行動することができてよかった。それが、〈焚奴タド〉を命じられた僕の、生きた価値だと信じたまま死ぬことができるから。
 ――左手を、後ろに向かって、ありったけ伸ばせ。
 死が、僕に向かって語り掛けてきた。あまりにも優しく温かな声に、真っ白なはずの視界が赤く色づいたように見える。
 ――いいから、早くしろ。
 言われたとおりに手を伸ばすと、掌にちょうど収まるくらいの球体が、半分だけ土の中に埋もれた状態になっている。ありったけの力を込めて握りしめ、引っ張ると球体の中で何かが回転し始めるのを感じた。
 これは、化碩球だ。
 子どもは、声の命じるまま、その球体を右肘の傷口にあてがった。化碩球の回転は、内から外へ、動力を伝え、血に染まった包帯を巻きこみながら、肘に吸い付くようにはまった。血が止まると同時に、失われた体温が化碩球から腕に伝わり、子どもの全身に染み渡っていく。
 再び頂上付近の霧が晴れていき、奉賜衣ほうしいにくるまれた子どもの体を太陽の光が包み込んだ。子どもは目を閉じ、深い眠りの中へと落ちていった。

 子どもが目を覚ますと、紫の霧は遥か眼下に広がり、セドの石を取り巻く山頂付近は、広範囲にわたって晴れ渡っていた。村と反対の方角に広がる廃場すてばの様子も一望できる。そこには、エイダが変わらぬ姿のまま、あるいは変わり果てた姿のまま、腐臭を発する土の上に横たわっている。
 子どもは、自分の体が自由に動くことを確かめ、おもむろに立ち上がった。腰を伸ばして右腕を回してみる。痛みはあるが、動けないほどではない。それどころか、出血は完全に止まっていたし、失われたはずの血も、そのために下がっていたはずの体温も、元通りになっているような気さえする。そこに埋め込まれた化碩球は、奉賜衣ほうしいの中で静かに息づき、耳を近づけるとかろうじて聞こえるほどの駆動音を保っている。
 これは、セドの――神の石の力なのだろうか。
 村の廃棄物と汚染物を浄化しながら、自身はそれらの不浄物の中に埋もれ続ける、聖性と邪性、双方の力を併せ持つ山の神、セド。
 ――そんな、いいものじゃない。
 子どもの頭の中に、再び声が聞こえてくる。ふくよかな反響音を含む、豊かな音声おんじょうは、自分の頭の中が荘重な雰囲気を持つ礼拝堂へと変容してしまったかのようだ。思わず跪いて石に向かって頭を下げる。
 化碩は、山の恵みだ。セドの身じろぎに合わせて起きる地震、その時に大地がうねり、古い地層が露わになることがある。ずっとずっと昔――憶えている者はもちろん、言い伝えさえも残っていない遥かな昔――セドの山に埋められた不思議な遺物。山が受け止め、抱きしめ、守り続けてきた古遺物が、地層の褶曲によって村人にもたらされる。
 中でも、完全な球体を為す化碩球は、外から何の力も得ることなしに、回転し続ける力を持っていた。村では、化碩球を動力として、臼を挽く動力や、資材を運搬する動力として利用している。ただ、化碩球は少しずつその回転の力を失っていく。劣化がある程度進行すると、回転の力は弱まり熱を発し始める。それも一定の熱量を過ぎると、爆発を引き起こす。村では、その時の熱の力――石炭や木炭の十数倍もの熱を発する――も余すところなく利用する。結果として、事故が起きるのは折り込み済みだ。だから、〈焚奴タド〉をはじめとした奴隷の存在が欠かせない。
 焚奴タド〉が死ぬのも、折り込み済みだということ。
 それなのに、僕は死ななかった。
 エイダの下の土を見る。これまで化碩球の犠牲となった奴隷たちの声が聞こえる。どうしてお前は、化碩球にのか。
 ――お前が生きているのは、たまたまだ。エイダが殺されたのも、偶然の産物に過ぎない。
 子どもはエイダの所に戻る。シャベルを手に、穴を広げていく。ひと掘りごとに奴隷たちの声が蘇る。お前も入れ、お前も入れ。足元からゆっくりと紫の霧が立ち上ってくる。死の臭いが、奉賜衣ほうしいの中に入りこむ。左手一本では、霧を防ぐための紐を結ぶことはできない。
 ――人は意志を持って行動する。しかし、その結果は、いつでも偶然だ。だから、人の行動は結果ではなく、意志に従属する。
 そう。この行動が何をもたらすのか、そんなのは知ったことじゃない。ただ、僕の腕を止血し、ほんの少しの同情を掛けてくれたこの人を、野ざらしにしておくことなどできない。
 ――だから、人間は面白い。
「次は、あなたです」
 セドの声が止まる。子どもは、エイダを埋葬すると、セドの石に向き直り、おもむろにその周囲を掘り始めた。
 ――なぜ、石の周りを掘るのだ。
「セド、あなたがここに棄てられているように見えたから」
 ――奴隷のお前が、神に同情か。
「〈焚奴タド〉は、あなたからの恵みを使い切るための存在です。だったら、そんな僕があなたという存在を使い切ろうとしても、おかしなことではないでしょう」
 地面が少し揺れ、霧が震えた。山の奥底で、セドが身震いでもしたのだろうか。
 ――タド、というのがお前の名前か。
「僕に名前はない」
 ――名前は、何にでもある。
「誰も僕を呼ぶことはない。それなら、名前は必要ありません」
 ――それなら、私が呼ぶための名前を、私がつけよう。
 子どもの手が止まった。シャベルは土に突き立てられたまま、セドの石に並んでいる。
 僕に名前。
 役割だけじゃなく、僕だけの名前。
 ――エラム。その衣の穴からのぞく強い双眸にちなんで、エラムと呼ぼう。
 エラム。
 シャベルは左手に従い、一層力強くセドの石を掘り起こしていく。土の中に充満していた紫の霧が自由を得て、空に広がった。太陽はどこまでも高く、一人の働き手を祝福していた。

 セドの石に向かう足音が聞こえたのは、エラムが命を拾ってから十五日後だった。霧の深みに身を潜めるエラムの前で、奉賜衣ほうしい姿の二人が汚泥と混じり合ったエイダの体を引っ掻き回し、新しい奴隷をその中に放り投げた。彼らが去るのを待って掘り出したが、右脚を失った体は衰弱が激しく、手当ての甲斐もなく死んだ。
 次の奴隷は二十三日後だった。彼の顔は、痛みよりも怒りで強張っていて、エラムよりずっと年かさに見えた。厚い胸板から伸びる筋肉質の両腕は、手首から先が無くなっていた。傷の位置と傷口の鋭さからして、エラムと同じ〈焚奴タド〉だと思われた。
 エラムはセドの石の上で乾燥させておいた革紐と包帯とを取りに戻った。左手と口を器用に使って傷口を手当てしていく。エラムの時のように都合よく化碩球が見つかったりはしなかったが、幸い一命をとりとめた。セドによってホーヤと名付けられた彼は、エラムの名前を呼ぶ、最初の人間となった。エラムの一つ年上だったが、よく話を聞き、よく働いた。二、三日もすると、その筋肉に見合った力強さを発揮し、手首の痛みをこらえながら、掘り出したゴミを廃場すてばの先の斜面に棄てに行くのを手伝った。
 眠る時には、交代で見張りに立った。村人の中には、人目を盗んで化碩を探しにくる命知らずが絶えなかったからだ。
 化碩は簡単には見つからない。その上、山には廃物が発生させる臭気と瘴気が立ち込めている。奉賜衣ほうしいを着ることができるのは、正式に廃棄と採掘に訪れる時だけ。それでも、顔を布でぐるぐる巻きにして、褶曲を起こした地層を求めてやってくる。
 エラムはその理由を、この場所で初めて知った。
 セドの石の上に立って村を眺めていると、霧が大人しい時には、村外れにある街道まで視界が得られた。異国の人々が馬車で乗りつけ、重そうな長持ちを地面に下ろす。その代償として、村人は化碩を渡していた。はっきり見えたわけではない。しかし、右腕の化碩球が、村人の手の中の物を、この山から得られた古遺物であると知らせてくれた。
 ひと財産作ったところで、こんな辺鄙な村では裕福な生活を望めるはずもない。それでも、得られる物は得ずには済ませられないのが人の業。
「愚かだな」
 その話を聞いたホーヤは、どこか嬉しそうにも見えた。
 やがて、セドの石に首らしきくびれが現れた。その頃には、エラムの左腕はホーヤに見劣りしないほどになり、頂上に暮らす人々も十人に達していた。廃棄と採掘に来る奉賜衣ほうしいの目も、紫の霧とセドの身じろぎだけではごまかしきれなくなってきていた。
 これ以上、セドを掘り返そうとするなら、次の戦略が必要になる。

 人手が十分に得られるようになると、ホーヤがゴミを運ぶ必要はなくなった。新しく名前を与えられ、エラムの集落の住人となった人々は、ホーヤの指示に従って動いた。ホーヤの体格は、どんな言葉よりも人を動かしたし、何より、ホーヤの人を見る目は正確だった。
「どうしてドーラに掘る作業を。彼女には運ぶ仕事の方が向いているように見えるけど」
 エラムの問いかけに、ホーヤは右の手首を振りながら答える。
「あの足の開き方、内股の筋肉のつき方は、〈溝奴〉だった証拠だ。それに、あの足の親指。地面を強くつかんで離さない。いい掘り手になるに違いない」
「だが、脇腹に負った爆発の傷は。あの部分の痛みは、掘る仕事の邪魔になるんじゃない」
「あの顎を見なよ。これまで、歯を食いしばって耐えてきた顎だ。俺なんかより、ずっと頑固でまっすぐだ。ああいう人間には、期待をした方がいい。力がありながら、期待されなかったがために、力を失っていった輩をたくさん見てきた」
「まるで、外から来た人間みたいな物言いだね」
「さあて、どうだか」
 腕組みしながら遠くを見る目には、どこまでも続く青空が映っていて、エラムの頭には疑問だけが広がっていく。
 ある日、エラムは思い切ってホーヤに切り出した。
「僕たちは、この山のことを、もっとよく知る必要がある」以前から考えていたことだ。いつまでも、村から隠れ続けることはできない。だとすれば、僕たちには武器がいる。「何も、村を侵略しようというんじゃない。でも、今のままこちらの独立を主張したところで、対等の関係を築けるとはとても思えない」
 右肘で化碩球が低く唸りを上げる。傷口が疼く時には、必ず化碩球の回転が激しくなる。そしてその分、冷静にならなくてはと思う。
 エラムの言葉を背中で聞きながら、ホーヤは何人かに作業の交代を命じた。
「同じ作業を続けることで、その作業に習熟する一方、謙虚さを失うことで、一つひとつの動きは雑になる。だが時々、他の仕事の視点から自分の作業を見つめ直すことで、改めて自分のできていることとできていないことを発見することができる」
 ホーヤは振り返り、エラムの目を正面から見据えた。
「エラム、あんたの目は強い」ホーヤの言葉に、胸が熱くなる。セドにかつて言われた言葉だ。「多くの人々を、正しい道へと導くことになる。だが、人を動かす経験に乏しい」
「まるで、軍の隊長みたいな言い方だね」
「否定はしないさ」
 立ち上がったホーヤの眼差しには、珍しく暗い影が差している。
「エラム、あんたはただ命じればいい。俺の命を拾ったのはあんただ。だったら、思うように使ってくれればいい」ゆっくりと目を閉じ、首を振る。ホーヤにしか聞こえない声とやりとりをしているかのように。「だが、無駄死には御免だ。俺以上に、うまく人を使ってくれ。うまく人をいかしてくれ」
「誰か、他に一緒に行く人を」
奉賜衣ほうしいは、一着しかない。あの霧の、一番濃い場所に行く必要があるんだろ。司令官が、隊員の命を縮めるような命令を出すんじゃない」
 ホーヤはドーラを呼び、自分に奉賜衣ほうしいを着せるように言った。額、鼻の上と下、首、手首、腰、と上から順に紐を強く縛っていく。
「エラム。ホーヤはどこかへ行くの」
 ホーヤに聞いたところで、何も答えないと分かっているドーラは、エラムに尋ねた。奉賜衣ほうしいの中から、ホーヤの目が返答の言葉を見張っている。僕は今、この集落を導く人間としての資質を試されているのだ。
「ああ。僕たちを守る武器を探しに行ってもらうことにした」
 ホーヤは、エラムの短い答えが終わらないうちに、背を向けて歩き出した。ドーラの戸惑いを置き去りに、エラムもまたホーヤの背中を信じて、霧の中へと消えていくのを見守るしかなかった。

 セドの石の頭頂部は、気づけばエラムの身長を僅かに越え、一人で上ることが難しいほどの高さになっていた。
「セド、どうですか。少しはすっきりしましたか。そこからなら見通しが立ちますか」
 ――エラムよ。お前たちの目に見えないものまで、私に見えると思っているなら、買いかぶり過ぎというものだ。少なくとも、私の頭の上に乗っている彼の方が、私よりも遠くが見えているのだから。
「エラム」セドの頭の上から、甲高い笛の音のような声が届いた。ネリは背が高く、集落の誰よりも遠目が利く。今では、監視の役目を担うことが最も多くなっている。
「どうしたんだ」
「街道沿いに奉賜衣ほうしい姿の村人が、おそらく、二十人……いや、二十四人。化碩車が三台、普通の荷車も四台。あの速度だと、ここに来るまでに、あと六時間もかからないかと思われます」
 廃棄と採掘の一団……それも、エラムがここに来て、最も大規模な集団だ。これだけの人数で来る理由は一つしかない。
 化碩球の不足。
 だとすれば、大がかりな採掘が行われる。指揮は、何度も登頂している有力者が行うだろう。どれほど霧が深かったとしても、この場所の変化に気づかないはずがない。
「エラム」再びネリの声。だが、今度は高い声が細く震えている。恐怖にではない。「反対側から、一人だけ、奉賜衣ほうしいが登ってきました」
 廃場すてばの先、紫の霧がさらに暗く立ち込める彼方から、奉賜衣ほうしいを被った輪郭が浮かび上がった。ネリの言葉を聞いて集まってきた全員から、安堵と歓喜の吐息が漏れる。
「ホーヤだ」
 いくら感激したからといって、霧の中に飛び込むような無謀は、誰もしない。それでも、風が霧を吹き消しでもしようものなら、すぐに飛び出しそうな様子で、全員がホーヤの登場を待ち構える。
 ただ一人、エラムを除いて。
 エラムは、奉賜衣ほうしいに包まれたホーヤの輪郭を、数日前の後ろ姿と重ね合わせていた。あの時とは、肩に入る力が違う。
 肩を落とすなら分かる。何の収穫もなかったというだけのこと。
 肩に力が入るのも分かる。何か収穫が得られたということ。
 しかし、ホーヤの肩に入った力は、そういったものとは、何かが根本的に違っていた。そう、それは、エラムがホーヤを助け出した時の力の入り方に似ていた。怒りに顔を強張らせていた時の様子に。
 エラムは、皆が止めるのも聞かず、霧の中に分け入った。正面に立ちはだかるエラムに、ホーヤは驚きもしない。
「何があったの」
「土産だ」
 ホーヤは、エラムの左手を、腰に吊るした袋の中に導いた。その中には、互いに組み合わさって回転する球体が、七つ入っていた。
「化碩球……こんなに」
「こんなもんじゃない」奉賜衣ほうしい越しであるにも関わらず、ホーヤの声は朗々と響く。「すごい地層を見つけたんだ。まだまだ、たくさんある。俺は手がこんなだから、七つしか持ってこれなかった。だが、掘れる人間を連れて行けば、こんなもんじゃない、もっと大量に化碩球が手に入る」
 ホーヤは、エラムの耳元に口を寄せた。
「これなら、十分に勝てる」
 エラムは耳を疑った。頭の中にまで霧が入りこんでくるようだ。
「どういう意味だよ」
「言葉通りだ。化碩球は使い方によっては武器になる。こんな山奥に隠れ住む必要が無くなるんだ」
「守るんじゃなくて、攻めるってこと?」
「こちらの方が資源を多く持っているのに、どうして下手に出る必要がある」
 奉賜衣ほうしいの内側でホーヤがどんな表情をしているのか、知りたい。次の一手を考える手掛かりが欲しい。
 それが不可能なら、こちらから打って出るしかない。
「今、廃棄と採掘の一団がこっちに向かってる。二十人以上――これまで見たことがないほどの大集団だ。僕たちのことは、絶対に隠し通せない」ひと呼吸おいて、ホーヤの様子の変化を探る。かろうじて見える両の瞳にも、力の入った肩にも、踏みしめられた両足にも、変わった様子はない。「ネリの見立てでは、ここに来るまで、あと六時間もない。その間に、化碩球を武器として使う方法を見つけるっていうの」
「だったら、お前はこの化碩球をどう使うっていうんだ。このお宝を奉賜衣ほうしいどもに差し出して、どうか見逃してください、とでも言うつもりか」
 駄目だ。隠し通すことはできない。
「僕たちは、圧倒的に、不利な状況にある」
 エラムは突然膝を折って咳き込み始めた。口元を押さえているが、尋常な様子ではない。ホーヤが慌てて背中に手首を当てて、撫でさする。掌にべったりと血が付いている。
「僕たちは、長くは生きられない」
「紫霧の影響か」
「僕が、ここに一番長くいる。霧が深い時に、山を少し下ってやり過ごすぐらいのことでは、焼け石に水だってことだよ」
「だったらどうする」
「取引をする」
 ホーヤに助け起こされて立ち上がったエラムは、肩を借りたまま、セドの石の元に戻った。集落の仲間は、ホーヤが戻ったことへの歓びよりも、エラムの血まみれの手と口元にどよめいた。ドーラがすぐに水を汲みに走る。エラムは、立ち上がろうとするホーヤの奉賜衣ほうしいを掴んで、口元に引き寄せた。
「僕に任せてくれ。きちんと、みんなを導くから」
 ホーヤはエラムの手を振りほどき、袋を腰から外すと、無言でセドの石のネリと交代した。エラムから聞いていた通り、セドの影が長く伸びた先に、奉賜衣ほうしい姿の一団が見える。
「手の内を全部見せる必要はない。ネリ、そいつら全員つれて、水場の裏の窪地に隠れてろ」
 ネリの透き通った声が、東の斜面へと吸い込まれていく。彼らと入れ替わりでドーラが戻ってくるのを見て、ホーヤは石から飛び降りた。
「ドーラ、奉賜衣ほうしいを脱がせてくれ。全員、向こうに行かせたら、手が足りなくなった」
 ホーヤが両手首を振るのに合わせて、エラムも右肘を振ってみせる。ドーラは肩をすくめた。
「手一杯って感じ」
 奉賜衣ほうしいを脱いだホーヤは、表情こそ硬いものの、肩に込められていた攻撃の意志は和らいでいた。ただ一人、状況に取り残されているドーラは、エラムの血を洗いながら、村にいた頃の話をし始める。ここに来た人間で、奴隷として扱われていた時の話をするのは、ドーラぐらいのものだ。
「〈溝奴〉の何がつらいって」ドーラの昔語りは必ずこの話からだ。「臭いんだよ。――何がって、もちろん、溝場の管理人ロデーンの吐く息がね。首にぶら下げた木彫りの職位章も、腐り落ちるか、跳んで逃げるか、どちらかさ」
 エラムは、セドの石に背をもたせ掛け、ドーラの表情の移ろいを楽しむ。こんな風に、普通の人間みたいに話を楽しめるなんて、考えてもみなかった。
 ――どうするつもりだ。
 石の中からセドの声が伝わってくる。大地震でも起こしてくれそうな、心配げな声色だ。
「大丈夫だよ。ホーヤの収穫を、最大限に活かすつもりだ」
 ドーラの話は、いつの間にか、〈溝奴〉になる前の――化碩球とは関係のない仕事をする――普通の奴隷だった時の話になっていた。ホーヤが合いの手を入れながら、話がどんどん大きくなっていく。最後には、村長の息子の尻の穴に、鶏の卵を入れて、夜鷹を孵した話に落ち着いた。
「で、村長の息子は、夜な夜な大きく開いた尻の穴で、夜鷹をしたってのか」ホーヤが手首を打ち合わせて笑うのを、ドーラは鼻で笑ってあしらった。
 その時、突然、風の流れが変わった。大きな人の波が風を変えた。
「これは驚いた。死んだはずの奴隷どもが、墓穴を広げてやがるぞ」
 先頭で現れたのは、奉賜衣ほうしいの上に炎の職位章を下げた焚場たでばの管理人セントだった。巨大な体を揺すって、笑い声を立てる。後に続く奉賜衣ほうしいの上に、ざわめきが広がった。
「おいおい、まじかよ」
 セントの後ろで、化碩車を引いている男の声に、エラムは戦慄した。忘れもしない。この声は、自分を棄て、エイダを殺した男のものだった。奉賜衣ほうしいの奥で光る目が、睨み付けるエラムの眼差しを捉えた。言いたいことは、それだけで十分に伝わったようだ。男はセントにすり寄り、一言二言耳打ちした。セントは喉の奥を鳴らして笑い「若いうちは、そういうこともあるだろうさ」とだけ語った。
 そういうこと――その一言だけで、エイダの死は済まされた。右肘の中で化碩球が低く唸りを上げている。どうしてだか知らないが、化碩球はエラムの感情の昂ぶりに反応する。そして、そのことが自分の正しさを証明してくれているようで、安堵を覚えるのだ。
 ホーヤも見ている。ホーヤがああいう言い方をするということは、化碩球をどう使えば武器として有効な道具になるか、結論が出ているということだ。だとすれば、この交渉は失敗できない。自分の恨みや怒りに任せて、言葉の選択を誤れば、その瞬間に戦端が開かれることになる。
「過去、何があったか、何をしたか――そんなことは、どうでもいい」足元の汚泥を踏み締めて、二歩、前に出る。紫の霧が、うっすらと辺りを覆い始めた。「僕たちは、ここで、一度死んだ。その前の人生で何があったか、とやかく言うつもりはない」
 セントらの後ろで、身じろぎする影がいくつか見える。僕らの姿を見て、後ろめたさに駆られる人間もいるということか。
「だが、今の僕たちは、ここでこうやって、普通に暮らしている。だから、一つだけ提案をしたい」
「何を要求する、死せるさだめの子どもらよ。さぞかし、霧との暮らしは辛かろう」セントの声には余裕が混じる。「これを普通の暮らしと呼ぶならば、我らの暮らしは幸福そのものだな」
 この地に長く住むのは、むしろ彼らの方。それを忘れれば、失敗する。エラムは自分を戒めた。
「それでも、僕たちにはこれがある」エラムは右腕を奉賜衣ほうしいたちに向けて突き出した。肘に埋め込まれた化碩球に視線が集まる。
「ほう」
「だから、あんたらが思っているほど、短命というわけではない」霧が足元から忍び寄ってくる。今は、やめてくれ。セド、今だけは抑えてくれ。
「化碩球に、そんな使い道があったとはな。それなら、お前らが死んだあとは、死体を漁るのを忘れないようにしよう」
「僕たちは、この周辺を採掘した。でも、化碩球はほとんど発見されなかった」
「そうだろうな。お前らには情報がない。俺たちには、化碩球の採掘場ほりば所について、過去の蓄積がある。簡単には見つかるまいさ」
「嘘だね」
「ほう」セントの声色に迷いが混じる。
「セドの石を見れば分かるだろう」左手で、背後の石柱を指差す。奉賜衣ほうしいたちの視線が上方へと誘導される。「僕たちは、露天掘りを試したんだ。その結果として、ある結論に達した」
 ホーヤが持ち帰った袋の中身を、地面の上に空けた。七つの化碩球が複雑な軌道を描きながら、互いに距離を取り合い、安定する位置を探っている。再び視線を下げた奉賜衣ほうしいたちから、強い飢えを感じた。彼らは、こちらが思っている以上に、化碩球を欲している。
「化碩球が出土する地層には、共通する特徴がある」
 セントの首に掛かった炎の印が揺れた。「それで、お前らの提案というのは何だ」
 かかった。
「僕たちは、化碩球を採掘し、村の生活に必要な量を提供しよう。その代わりに、奉賜衣ほうしいが欲しい。奉賜衣ほうしいさえあれば、僕たちは化碩球を霧対策に使う必要がなくなる。安心して、採掘に専念することができる」
 奉賜衣ほうしいは、特殊な溶液に浸した絹糸を、普通の織物の何倍もの密度で織り上げた、特注品だ。この緊密な織りの技術があって初めて、濃密な紫霧の中でも、呼吸を阻害されることなく活動することができる。逆に言えば、村が持っている奉賜衣ほうしいの技術が化碩球の専有を可能にしているとも言える。
奉賜衣ほうしいを、そうやすやすとくれてやるわけにはいかん」一団の最後尾からしわがれた声が上がる。長老会の人間だろうが、セントのように階級章を外に掛けていないので、素性が分からない。「こいつらが採掘して気づいたことなら、我々にも気づけるはずだ。これからは、もっと頻繁に採掘団を派遣して――」
「このひと月の間に、どれだけの化碩が村外に不正に流出しているか、ご存知ですか」エラムは声を張り上げる。もしかしたら、この中にも化碩を求めて、違法な登山をした経験がある者がいるかもしれない。「三つです。たった一か月の間に三つですよ。セドの石の上からは、村外れでの取引の様子がはっきり見えます」
「そいつらは、どんな連中だった」
「セント!」先程の老人だ。「管理人風情が。分をわきまえろ」
「分、と言いましたか。化碩の管理もできない長老会が、管理人風情、と」セントが振り返り、奉賜衣ほうしいたちが道を空けた。真っ直ぐ、声の主の所まで詰め寄る。体格差がまるで大人と子供だ。
「まあ、いいでしょう。長老会の判断を仰ぐことにしましょう」セントが再びエラムに向き直る。「それまで、死なないように」
 咳をこらえていたエラムは、唾を飲み込んだ。この男、どこまで分かっているんだ。
 こうして、廃棄と採掘の一団は、廃棄も採掘もすることなく、山を下りていった。ホーヤはセドの石の上から、その様子を無表情で眺めている。セドの影が短くなる時間帯、紫の霧は抑えるべくもなくなっている。それでも、エラムは深呼吸せずにはいられなかった。ホーヤがどう評価したか聞くのは、ひと眠りした後にしよう。
 ドーラに肩を借りて、水場に向かう。
「いい交渉だったと思うよ。お疲れ様」
 北の空が赤黒く染まり、ドーラの横顔は言葉とは裏腹に苦しそうに見えた。

「ホーヤ。ちょっと、歩きませんか」
 ネリが村の方角を顎で示す。廃棄と採掘の一団は、麓にたどり着く頃だろうか。
 ホーヤはネリの細い目を見つめ返す。笑っている顔の形を作っているようだが、本当の感情らしきものは読み取ることができない。祭りで使う仮面のように、ただ笑顔の形をなぞっているだけだ。
 その点、エラムはわかりやすい。わかりやすい分、信用するか否かの判断もしやすい。
 ホーヤは、ネリに前を歩かせながら、周囲の地形を観察する。村に向かう道は、土が踏み固められていて、廃場すてばのように腐敗性の物質が棄てられていないため、紫の霧はほとんど発生しない。その代わり、セドの身じろぎにもびくともせず、地割れ一つない。逆にこういう地層を掘り進めると、何か発見があるのかもしれない。
「実際のところ」前を向いたまま、ネリが口を開く。「化碩球の爆発を制御することなんて、できるんですか」
 ネリの問いかけに、ホーヤは目を剥いた。「聞いていたのか。――いや、聞こえたのか……あの距離で」エラムと化碩球の話をした時、ネリはセドの上にいたはずだ。
「耳はいい方なんです」ネリが立ち止まってしゃがみ込んだ。この辺りから草の繁殖が見られる。霧の影響が全くない証拠だ。草を引き抜いてホーヤに見せる。固い土壌にもかかわらず、白い根は力強く大地を掘り進む。
「山の上は――霧の土は、命が根付く場所じゃないってことでしょう。俺たちは、ずっとそこに住み続けなきゃならないっていうんですか」絶望の入り混じった言葉に対して、その声色はあくまで高く澄みわたり、鐘の音のように、青い空に吸い込まれていく。「俺たちに力があったなら――化碩球の価値を最大限に活用することができたなら、地元の権力闘争や小銭稼ぎの道具なんかじゃなく、国を取ることだって不可能じゃない」
「そんな簡単な話じゃないさ」
「難しい任務の方が、燃えるたちなんですよ」両手を合わせて草を揉む仕草をする。そのまま両手の膨らみを大きくしていき、ぱっと開くと、その中には一つの化碩球が回転していた。「さて、兵器の開発といきますか」
「試してみたいことが、いくつかある。手を貸してくれ」
 ホーヤの頭の中は、霧が吹き払われた後のように冴え冴えとしていた。

 ひどく悩んだ時、エラムはセドの頭に腰かけて考える。彼方に広がる地平線と水平線がひとつの大きな輪になって、自分たちとこの世界を一括りにまとめ上げているのを見ると、どんな悩みも所詮はこの輪っかの中でのことに過ぎないと思える。
 村へ向かう道に、ホーヤとネリが語り合っているのが見える。ネリは、誰と係わる時でも一線引いて、必要以上に親しくならないようにしているようなところがあった。その彼がホーヤと二人で語らっているのは、少しく安堵を覚えることだった。
 だが、エラムの悩みはそんなことではない。腰袋から、ホーヤの持ち帰った化碩球を一つ取り出し、左手で握りしめる。掌に伝わる振動が、化碩球の中心の回転を感じる。耳に近づけると、小さな音がチリチリと途切れなく聞こえる。それをそのまま右肘の化碩球に近づけると、磁石のように引き合い、手を放すとくっついて回転が止まった。音も聞こえない。右腕を回すと、くっついたまま動きに従って回転する。
 僕たちは、化碩のことを何も知らない。知らないままに、その力の一端を利用している。
 そもそも、これらの化碩は、なぜセドの周りに埋められていたのだろうか。昔の人々が、今の僕たちと同じように、これらの道具を廃棄したということなのだろうか。
 だとするならば、資源として、動力として、十分に有用であるはずの化碩球が埋められていたのは、なぜなのだろう。
「セドは教えてくれないの」頭を撫でながら、疑問を口にする。
 ――教えるも何も、私は何も知らない。
「神様のくせに」
 ――君らが勝手に神様呼ばわりしているだけだ。私は、昔から、ここに突き刺さっているだけの存在でしかない。
「柱、みたいな」
 ――そうだな。柱には、支えることはできても、教えることはできない。
「それでも、柱には歴史が刻まれるでしょう」
 ――そう言うなら、見て学べばいいだろう。
「また独り言?」
 廃場すてばの方角から、ドーラが戻ってきた。エラムは右肘に付けた化碩球を袋に戻すと、地面に飛び降りた。目の前のドーラが、奉賜衣ほうしいを脱ぎ捨てる。
「これ、暑くってしょうがないんだけど」
 下着同然の姿に、エラムはたまらず自分の上掛けを投げつけた。「そういう格好をしないでくれよ」
「かわいいな」耳元に囁きかけられて、エラムは慌てて飛びのいた。廃場すてばの腐臭が混じっているはずの吐息が、まるでさわやかな香気のように感じられる。
「で、ホーヤの言っていた地層っていうのは」
「正確なところは分からない。でも、怪しい場所はいくつかあった。そこに、こんなものも埋まってた」ドーラが腰ひもに直接括り付けていた棒を差し出す。「ホーヤは多分、単なる廃材だと見過ごしたんだと思うけど、これ、多分、化碩だよ」
 細い棒だ。一見、木目のような模様もある。しかし、触ってみれば、それが木とは全く異なる材質のものだと分かる。化碩球と同じ、鉄のように冷たく滑らかな表面。それでいて、軽くてしなやかさを持ち合わせている。もしも、鉄のなる木があるのだとして、きっとこんな質感を持っているに違いない。
 そして、この棒を左手に受け取った瞬間から、右肘の化碩球が激しく唸っている。まるで、それをよこせと主張しているようにも思える。エラムは、右肘に細い棒を近づけた。
 化碩球は棒を引き寄せ、ガチリと音を立てて連結した。球の内部が急激に回転を始め、それに連動した棒もまた高速回転を始めた。エラムの右腕の血管が浮かび上がり、筋肉が紅潮する。暴れまわりそうになる化碩の力を、すんでのところで抑えつけている。
「これは、すごい力だ」食いしばった歯の間から、声と一緒にうめきが漏れる。「試してみよう」
 エラムは化碩の棒を地面に突き立てようとした。しかし、棒が地面に接する前に、微細な砂粒のような、土煙のようなものが巻き上がり、棒の細さに全く見合わない、大きな穴が開いた。そのまま、棒を挿し入れていくと、同じ太さの穴が大地に真っ直ぐ穿たれていく。まるで、高濃度の酸を垂らしたみたいに、土が溶けて消えていく。
 慌てたドーラが背後から右肩に手を置いた。我に返ったエラムは、右腕を引っ張り上げ、肘の化碩球を押さえた。棒の回転が止まって外れ、地面に音もなく落ちた。
 動悸がおさまらず、体を折って咳き込む。背中にドーラの掌を感じながら、力に対する興奮と、その興奮に対する恐怖に、目を閉じた。
「村との交渉、どうするの」ドーラが尋ねる。
「どうするって」
「その力なら、化碩球の爆発なんて不安定な力を使わずに、こちらの力を見せつけられる」
「……だめだ。かえって交渉の邪魔だ。ただでさえ、僕たちは化碩球を握ってる。だから、僕はあえてこちらの弱みを見せたんだ」血が付いたばかりの左手を改めて示す。「もしも、僕たちの持つ力が、村との間の力の均衡を破るようなものなら、そもそも交渉自体が意味を持たなくなる。だって、奪えばいいんだから。そして、奪われる可能性があると少しでも思わせてしまえば、村人たちは交渉の卓につく意味がなくなってしまう」
 ――それなら、侵略すればいいだろう。
「馬鹿言うなよ。戦わなくていい方法をずっと探ってるんじゃないか」
「誰がバカだって」ドーラが仁王立ちで見下ろしている。慌てて言いつくろおうとすエラムを笑い飛ばす。「よかった。ちゃんと冷静だ。侵略戦争は御免だよ」
 ドーラは、化碩の棒を拾い上げて穴の中に放り込んだ。立ち上がって伸びをする。
「さあ、この穴を埋めちゃわないとね」

 その時、村への街道の方角から、爆炎が上がった。
 エラムはセドによじ登ろうとするが、咳が邪魔をしてうまく力が入らない。ドーラが代わりにセドの石に手を掛け、一気に頭に上った。
「多分、街道沿い、少し道から外れたところから、煙が上がってるみたい。でも、分からない。ここからじゃはっきり見えない。――ああ、いけない。最悪」
「何が見えた?」
「街道の向こう、村の人たちがもうこっちに向かってる」
 エラムは爆発の方角に向けて駆け出した。
 紫霧が肺の中に入り込んで息が詰まる。しかし、ホーヤとネリが何をしていたのか、はっきりさせなくてはならない。
 村からの一団が、この爆発を目撃していたら。化碩球は、劣化しなければ爆発することはない。こちらが化碩球を使ったと知れるだけで、交渉に亀裂が入る十分な理由になる。
 喉に溜まった血を吐き捨てながら、道を走るエラムの前に、けたたましい笑い声を上げながら霧を割って登ってくるホーヤとネリの姿が目に入った。
「ホーヤ!」かすれて声にならないところを、無理やり言葉をひねり出す。「何やってんだよ」
「エラムじゃないか。すごいぞ、これは。考えてみれば、当然のことだった。劣化した化碩球で、あれだけの威力を持っているんだ。劣化する前の、エネルギーに満ちた化碩球で同じ爆発を起こせれば、もっとすごいことになるなんていうのは、火を見るよりも明らかじゃないか」ホーヤの声は、興奮のあまりうわずっている。
「何を言ってるんだ」
「化碩球の、使い方が分かったんですよ」ホーヤの後ろのネリが、細い目をさらに細める。
「集落を危険にさらさせはしない」
「どうぞ、お好きに。俺たちは、俺たちで、好きなように戦いますから」
「勝手は許さない」
「許さない?」エラムの横を通り過ぎようとしていたホーヤが、エラムの胸を右手首で突いた。エラムが咳き込むのも構わず、繰り返し突く。「何の権限があって、そんな口を利いている。お前はいつから俺たちのリーダーになった。他の奴らより先に棄てられたというだけだろうか」
 ホーヤの激昂した様子を見ながら、ネリが口元を歪めている。ネリは、あまり感情を表に出す方じゃない。まさか、こんな野心を秘めていただなんて。
「ホーヤ、お願いだよ。協力してくれ。村の一団が、既にこちらに向かってきているんだ。こないだの提案が飲まれたなら、僕たちが安全に暮らせるだけの奉賜衣ほうしいが手に入る」
「俺は、あの布っきれが、大嫌いだ。どうして、お前がそんなにもありがたそうに奉賜衣ほうしいのことを話せるのか、まるで分らない」
 エラムの脳裏に、奉賜衣ほうしいの中から現れたエイダの無念の表情が蘇る。これは、僕の個人的な復讐なのだろうか。
「俺は、奉賜衣ほうしいを被っていると、自分を棄てた連中のことを思い出す。俺のことを、ゴミ同然に扱って、廃品と汚物と死体の山の中に埋めた、あの連中のことを思い出す。奉賜衣ほうしいを着ている間は、俺たちは、絶対に自由にはなれない」
 ネリがホーヤの肩を叩く。ホーヤは深く息をついて、再びエラムを正面から睨み付けた。
「これ以上、邪魔はしない。その代わり、俺たちは俺たちで、勝手にやらせてもらう」
 切り替えなくてはならない。いつまでも一枚岩というわけにはいかない。
 それでもエラムは言わずにはいられなかった。
「いつでも、戻ってきていいから」
 耳の後ろで、草が風にざわめいている。それに呼応するように、セドの石の先で、紫の霧が空に向かって散っていった。

 日が巡り、街道にセドの影が落ちる頃、奉賜衣ほうしいの一団は現れた。
 先頭には、焚場たでばの管理人セントが肩で風を切る。そのすぐ横には、背を丸めた小柄な人物が杖に寄りかかりながら、にもかかわらず力強い足取りで歩いている。セントですら、その人物の奉賜衣ほうしいの隙間から覗く眼光の鋭さには、頭が上がらない様子だ。
 集落の皆はセドの石の前に集まっている。エラムは、今回は全員の姿を見せることを選択した。ただ、ホーヤとネリに加えて、数人の姿が見えない。仕方がない。とはいえ、彼らの動向は気がかりだ。
 やがて、村の一団が静かに姿を現した。先頭に立つ杖の人物は、初めにセドの頭を見上げ、感心した声を上げた。
「これはまた、短い間に随分と広く掘り進めたものだ」老木の樹皮のような、ざらついた、それでいて力強い声だ。次いで、周囲をゆっくりと見回す。大地からうっすらと紫の霧が湧き上がってくる。おもむろに腰を下ろした一団を振り返った。
「紫霧を恐れる我々には、為し得なかったことだな」セントが抗議の声を上げようとするが、即座に杖を振り、その態度を制した。
 エラムが一歩前に出て、頭を下げる。
「前回、集落を代表して話をさせていただいた者です」
「たくさん、生き延びていたのだな」
「僕の前には、この何百倍もの人が死んでいるんですよね」
「そう。その犠牲の上に、我々の村は発展してきた」
 静かだ。誰も、口を差し挟むことはできない。エラムは、自分が代表しているのが、今ここにいる仲間たちだけではないのだ、という重みを、初めて感じた。
「名前は何と言う」沈黙を破ったのは、杖の方だった。
 エラムは躊躇いを感じた。「いや、私たちは名前を頂いておりません」
「それは、村にいた時の話だろう。君らが君らとして暮らす中で、互いが互いをどう呼んでいるのか、呼ばせているのかを知りたい。その名前で、私たちとやり取りをするのだからな」
「……エラムです」
「いい名前を付けた」
「いえ、自分で付けたわけではないんです。いただいたんです。この」石柱に手を触れる。「セドに」
 奉賜衣ほうしいの一群から、戸惑いのざわめきが湧いたが、杖の一振りで静まった。
「私の名は」
「オーセン村長……ですよね」
「私を知っているのか」
「知っているも何も、〈焚奴タド〉になる前は、村の外壁を建てていたので」
「村長になる前の私を知っているということか」村長が、膝を折る。セントが慌てて立ち上がらせようと手を出すが、杖に打ち据えられた。村長はそのまま片膝を付き、顔の革紐を解いた。奉賜衣ほうしいの目の部分を引き裂き、顔の部分を露わにする。現れたのは、エラムもよく知っている顔――ただ、右頬から首にかけて走った深い傷跡は、建場を仕切っていた時のオーセンにはなかったが。
「私は、お前の顔を知らない。知らないままに、随分と酷い要求をしたことだろう。済まなかった」
「村長!」
 見かねて立ち上がったのは、背後に控えていた三人の奉賜衣ほうしいだ。そのうちの一人、前回の交渉の折に、セントと言い争った老人が村長に掴みかかる。
「そんなことのために、ここに来たわけでは」
「分をわきまえろ!」村長の脇に控えたままのセントが怒鳴る。老人の手が止まった。「……と前回、言ったのは、あなたでしたよね」
「そう。私は――いや、我々は、今日は対話をしに来たのだ。これからの、お互いの関係を見直すために。なあ、エラムよ」
 エラムは、一瞬、自分が名前を呼ばれたことに気づかなかった。そして、そう気づく前に、胸の中に温かいものが流れ込むのを感じた。異なる世界を生きる相手から名前を呼ばれるということが、互いの心の間に橋を架けるために欠くことのできないことなのだと、実感した。
 そして、名前のないままに死んでいった仲間たちが、紫の霧となってこの地を呪っていることの意味を、初めて理解した気がした。
「はい、オーセン村長」
 その歴史を、今、ここで断ち切るのだ。
「ふざけるな、オーセン! 貴様が、俺からを奪ったこと、そんな詫び言の一つや二つで、贖えると思うな」
 集落の皆の並ぶ後ろから、怒号が飛んだ。仁王立ちになったホーヤが、失われた両腕を大きく振りながら、ゆっくりと前に出る。
「オーセンだけじゃない。エラム、そいつが、セントが、俺とお前の右手を奪ったんだ。お前らも、目の前のあいつらに、傷つけられて棄てられて、危うく命を落とすところだったんだ。それなのに、どうして平気で話ができるんだ」
 集落の皆が、それぞれの自分の傷ついた体を見つめる。
「だから、私たちみたいな人を、これ以上増やさないようにするために、話をしようとしているんじゃない」ドーラが立ち上がって、ホーヤの行く手を阻んだ。しかし、ホーヤは右腕で一突きし、ドーラをはねのけた。
「何してる!」今度はエラムが声を荒げた。
「お前らの家族ごっこに付き合うつもりはないんだよ」そのまま真っ直ぐエラムの前に歩いてきたホーヤは、左手でエラムを胸を突いた。エラムは抵抗して踏みとどまる。
「邪魔はしないって言っただろ」
「信じるから裏切られるんだ」左手に力を入れ、無理にエラムを押しのけると、ホーヤは奉賜衣ほうしいたちに向かって腕を振り上げた。
「今度は、貴様らが、俺たちの下で働く番だ。化碩球を、あんな幼稚な器械の動力としてしか使えん貴様らは、俺たちの、ずっと、ずっとずっと下だ。それを今から、直々に教えてやる」
「駄目だ! ドーラ、みんなを水場に。村のみんなも。オーセン村長、こちらへ」エラムが村長の手を取って引き寄せる。突然のことに、杖を取り落とした村長は、その場に倒れ込んだ。
 その時、どこから現れたのか、素早く動く人影が、奉賜衣ほうしいの間を駆け抜けた。風のように奉賜衣ほうしいを巻き上げながら、四度、方向転換して、再び消え失せた。
「貴様らに、三人だけ、思い出す時間をやろう。これまで、自分が傷つけた人間を、三人、思い出せ。そして詫びろ。詫びながら、死ね」
 エラムが力の限り村長を引き寄せると、突然、村長の体の重さが消え失せた。同時に、光が高波のように襲い掛かり、村長の体引っ張られて、エラムは吹き飛ばされた。次いで、大地を揺らす轟音が四度、立て続けに巻き起こった。最後に、炎が奉賜衣ほうしいたちを飲み込み、断末魔の悲鳴が一帯を支配した。紫霧が熱風に巻き上げられ、黒煙に取って代わった。
 セドの石に叩きつけられたエラムは、左手の先に、村長の手を感じて安堵した。しかし、次の瞬間には、左手を踏みつけられた痛みで、思わず手を放していた。
「なんだ、一番いらないのが生き残ったな」
 左手の上から足が消えると、今度が顔面を蹴られた。口の中に血の味が広がり、赤い唾を吐き出した。
「村長には、ぜひ、この化碩球の衝撃を味わってほしかったんだがな。ほら、見てくれよ、この破壊力を。くだらない器械にエネルギーを割いたりしなければ、これだけの威力を持っているんだ。な、ワクワクするだろ」
 ホーヤは、倒れ込んだ村長の頭を手首で抱え、炎に巻かれて絶叫する奉賜衣ほうしいの方を向かせる。
「どうだ、人の焼ける臭いは。俺たちは、ここで毎日ひどい臭気と一緒に暮らしているせいで、あれがどんな臭いか分からないんだ。どうだろう、じっくり解説してくれないか」
 村長は、地面に叩きつけられた衝撃で、とても話をできる状態ではない。それが分かってか、ホーヤは村長に言葉を要求し続けた。
「なあ、対話をしに来たんだろ。さっきから、俺しか話してないじゃないか」
 炎を逃れたセントが、村長の杖を手に、ホーヤの背後に立った。「お前とは話したくないってさ」杖を勢いよく振り下ろす。
「お前には聞いてないよ、セント」
 ホーヤの余裕の表情を叩きのめそうとするが、セントの手の杖は、振り下ろされる途中で止まっている。躍起になって力を入れるが、杖はセントの手から離れ、その後ろに立つネリの手の中に納まった。
「化碩のことを知りもしないのに杖なんかに使うから、いざという時に逆手に取られるんですよ」
 ネリの右手に握られた化碩球に、杖が吸い寄せられていた。
 ――これで分かっただろう。間違った人間に力を与えると、どういうことになるのか。
 エラムは首を振る。「だからって、僕が正しいかどうか、分からないじゃないか」
 ――それなら、これ以上の殺戮を、彼らに許すのか。それを防ぐ力が、すぐそこにあるのに。
 石の脇に、埋めたばかりの穴がある。急いで埋めたせいで、土が柔らかいままだ。
「化碩は、こうやって使うんですよ」ネリの持った化碩球から杖に回転が伝わり、杖は巨大な槍と化した。
 エラムが右肘を土に叩きつけると、地面の中で化碩の棒が肘に吸い付くのを感じた。回転の振動が右腕全体に感じられる。
 もっと、もっと激しく強い回転を。
 化碩の棒の回転は、周囲の土を塵に変え、煙のように吹き飛ばした。エラムはそのまま右腕を振りかぶり、セントに迫る杖に向けて投げつけた。空気を切り裂いて飛ぶ化碩の棒は、回転の勢いをそのままに、杖に激突した。杖は回転の力を失い、土と同じように塵になって風にさらわれた。
 皆が呆気に取られて動けない中、エラムとネリだけは次の一手を理解していた。化碩の棒を手にした方が勝つ。
 しかし、二人の取った行動は、全く逆だった。
 エラムは一足で村長とホーヤを飛び越え、地面に転がった化碩の棒を掴んだ。
 ネリは、化碩球を握りしめたまま、水場の方へ向けて駆け出した。あの先には、村もなく、あるのはただ、どこかで国境にたどり着く道だけだ。
 一手遅れで動き出したのはホーヤだった。エラムの背後から左手に握られた化碩の棒に掴みかかろうとする。
 しかし、右肘の化碩球への接続は、一瞬だった。
 棒の回転は、ホーヤの左右の上腕を、血の霧に変えた。衝撃に吹き飛んだホーヤは、セドの石の横で肩から血を吹き出しながら痙攣し、しばらくすると動かなくなった。
 エラムは肘の化碩球を押し、棒を外した。真っ直ぐ落ちた化碩の棒は、そのまま地面に突き立った。エラムは、その棒と同じ姿勢で、ホーヤの体を見ていた。自分がやったことを見据えていた。
 セントに助け起こされた村長が、犠牲になった人々に視線を向ける。黒くくすぶっている奉賜衣ほうしいの塊と、赤く地面を濡らしているかつての奴隷――いずれも、化碩によってもたらされた死だ。
「恐ろしいな」
 セドは知っていたのだ、こうなるしかないことを。
「僕は、ずっと、どうしてこれがこの場所に埋められていたのか、考えていました。僕たちの先祖は、知っていたんだ。こうならないように埋めたんじゃない。こうなったから、化碩の力で血が流れたから、埋めたんだ」
「しかし、我々は化碩の力を既に知っている。知っている以上、再び山を高くしていくことはできない。歴史を後戻りすることができないように」
「後戻り……。山を掘り起こすことは、ある意味では、歴史を後戻りすることかもしれません」
「それなら、同じことを繰り返さないために、我々は、もっとよく知る必要がある。この山のことも、セド様のことも、そして化碩の力のことも」
「そのために、僕たちは協力しなくてはならない。約束してください。この石碑を、セドを中心に据えた山を、一つの村として認め、今後は対等な協力関係を築いていくことを」
「エラム、お前のような者を長として選び続ける限り、この関係は安泰だと誓おう」
「それなら、この先は僕たちの問題、ということですね」
 エラムは、膝をついて体を折り、激しく咳き込んだ。喉を鉄の爪で引っ掻かれたような咳だ。左の掌が血でべったりと濡れ、唇が赤く光っている。
「僕は、もうそれほど長くは生きられない。紫霧を吸い込みすぎました。この霧も、きっと化碩を僕たちの手から守る防衛機構だったんじゃないかな、と思うんです。セドに浄化の力があるっていう伝承を生み、ここに廃棄物を集めれば、誰もここから収穫物を持ち帰ることはできない。誤算だったのは、セドが大人しくしていなかったことかな」
「地震か」
「そう。セドがじっとしていたら、地震も褶曲も起きなかった。そうすれば、僕たちは化碩の存在を知ることもなかったんです」
 はじめ、廃場すてばとされていた方を見る。それは、セドの石からはいくらか離れた北の斜面にあった。それが、掘り進めるほどに、広く拡大していく。今では、セドを中心とした一帯、全てが廃棄物の土壌だ。紫の霧も絶えない。
「この地層は何十年前のものでしょう。もしかしたら、何百年も前のものかもしれない。でも、この土壌を掘り尽くした時、紫の霧は消える。消えた時、そこに現れる地層には、化碩が何をもたらしたのか、歴史の秘密が隠されている。もちろん、セドの身じろぎによって、それが先に分かってしまうかもしれませんが」
 水場から人々の声が戻ってくる。先頭のドーラが、くずおれたエラムを目にして斜面を駆け上ってくる。
「持ってきた奉賜衣ほうしいは、全て焼けてしまった。新しいものをすぐに用意することを約束しよう」
 ドーラがエラムを抱きしめ終えるのを待って、オーセン村長は言った。セントは、自分の奉賜衣ほうしいを脱ぎ、村長に被せようとしたが、村長は笑って断った。
「その代わりと言っては何だが、一つ欲しいものが。杖の代わりになりそうな、廃材か何かは落ちていないだろうか。できれば、材質は木だと安心なのだが」
 ドーラに助け起こされたエラムは、セントに助けられながら山を下りていくオーセン村長と、数名の生き残った奉賜衣ほうしいたちを見送った。山を取り囲む地平線と水平線が、金色の輪っかのように、彼らの勝ち取った権利を祝福していた。それは、エラムの胸の奥に宿った強い思いと響き合って、いっそう美しく輝いた。この地に埋められた無数の死者に対する責任の思いと。

 エレン

 それは、巨大な紫色の結晶だった。
 幾重にも折り重なった堆積層の壁面――それは血なまぐさい歴史を美しい模様の中に圧縮して保存している――を見上げる採碩場の一画に見つかった、巨大な空洞の中に発見された。
「堆積物からの相対的年代測定によれば、おそらく、五百年ほど昔のものなのですが」採碩場の管理官が口ごもる。「この空洞が、よく分からないのです」
「分からない?」報告を受けているのは、鮮やかな藍色のコートに身を包んだ、長身の人物だ。襟には交易官であることを示す翼の徽章が輝いている。管理官と同じく奉賜幌ほうしほろを被っているが、目の部分には、管理官のような透明のレンズは入っていない。
「ラスタン管理官。採碩の現場管理者が、分からないってことはないでしょう」
 交易官は、空洞の壁を指で撫でながら、時々首を傾げたり頷いたりしながら、ゆっくりと紫の結晶に近づいていく。
「六方晶系の結晶で、C軸の長い錐体が多数。その上、周囲には楕円形の空洞がある。この空洞はもともと何かに満たされていた」
「エレン次官、いくら何でも、この規模で、そんなはずは」
「ラスタン管理官。全ては観察と観測に基づいて、でしょう。はなから可能性を排除していては、正しい理解の邪魔になるよ」
 エレンは、空洞の広さを感じとるように、おもむろに両手を広げた。次いで、自分の奉賜幌ほうしほろに手を伸ばし、一気に脱ぎ去った。幌の中にまとまっていた長い黒髪が、滝のように流れ落ちる。
「次官! 奉賜幌ほうしほろはかぶっておいてくださいって。もし、万が一、この結晶が霧になったりしたらどうするんですか」
「ほら、君はちゃんと、この空洞が何なのか分かってるじゃない」
「しかし、こんな規模の虚洞化、聞いたことないですよ」言い募るラスタンの正面まで、つかつかと歩み寄ると、額に向かって人差し指を弾いた。「痛い! 何するんですか」
「最近発掘された書物の中に説明されていた、親愛の情を表すコミュニケーションだよ。『でこぴん』と言うらしい。おで、『でこぴん』だとさ」エレンは腹を抱えて笑っている。「私たちのご先祖様は、なんてかわいらしい感性の持ち主なんだろうね」
「分かりましたから、奉賜幌ほうしほろを」
「大丈夫だよ」エレンは結晶へと手を伸ばした。エレンと同じぐらいの高さの錐体が、壁面に掛けた火の光を受けて、赤紫に揺らめいている。内側には晴れた日の雲をそのまま閉じ込めたような靄が掛かり、表面にはエレンの子どもような笑顔が反射している。「これだけ安定していれば、破砕は起きないよ」
 地層の内部に、廃棄された腐敗物から発生した特殊な霧が溜まる場所がある。この霧は、百年単位で圧力がかかると、結晶化するという性質を持っている。その時に、元々霧が存在した場所は、空洞になって残る。
 エレンは紫の結晶に頬を寄せ、その冷たさに肩をすくめる。目を閉じると、その内側に包み込まれた過去の風景が目に浮かぶ。紫の厚い霧に覆われて、山が神聖な神の依代であると信じられていた時代、人々はどんな生活を営んでいたのだろう。
 結晶の中の時間を肌で感じながら回り込んでいく。背後に回ると、正面から見た時よりも細かな錐体が乱立していて、頬を寄せることはできないが、揺れる火によって描き出される複雑な光の反射に、エレンはうっとりした。
 その時、足元の地面が沈み込むのを感じた。しゃがみ込んで足の下の地面を確かめる。叩き、耳を当て、少し掘る。
「コートが汚れますって」ラスタンが止めようとするが、そんな注意を聞くはずがないこともラスタンは分かっている。
「この下も、空洞じゃないかな」
 エレンは左右のポケットからそれぞれ化碩かせき球と化碩棒を取り出し、球に棒を組み合わせる。球を握りながら棒の回転を調整し、そのまま地面にあてがった。土は煙も立てずに破壊され、すぐにエレン一人が通れそうな穴が開いた。
「ラスタン、光源、持ってるでしょ。貸してよ」
 エレンが手を差し出すと、ラスタンはポケットから半球の覆いのような物を取り出した。これらの球面を持つ化碩は、化碩球のように源となる動力こそ持たないものの、その他の化碩とは違ってそれぞれ独特な機能を持っている。ラスタンが放り投げた半球面の化碩を、先程の化碩球にはめると、半球面の部分が青く光った。エレンは、光を穴の下に向けて内部を確認すると、底に放り投げた。
「ちょっと! やっと手に入れたのに」
「大丈夫大丈夫。少し、下見てくるよ。何かあったら叫ぶから、そこにいて」エレンは、奉賜幌ほうしほろを拾い、洞内に飛び降りた。
 地面はしっかりしていて、沈み込む様子はない。化碩球の駆動音が壁に反響して、少し気分が悪くなったが、奉賜幌ほうしほろを被ると、多少低減された。
 高さは、エレンが手を伸ばして上に届く程度。卵型の空洞は、紫霧の結晶化による虚洞化の特徴だ。巨大な結晶の根元に当たる辺りを探ってみると、堆積岩の所々に、結晶質が露わになっている。どうやら、二つの霧溜が隣接していて、その両方の紫霧が結晶化した、ということらしい。
「それにしても、すごい量の霧が結晶したんだな。道理でこれだけの大きさになるわけだ」
 光を放つ化碩球を拾うと、壁面の細部を観察する。
「セド。今は絶対に動かないでよ。今、地震が起きたら、生き埋めになっちゃうからさ」
 エレンの腰の高さの層が一番厚く、これまで最も多く化碩が出土している層だ。赤黒い堆積岩は脆く、先端の鋭い道具で突くとぼろぼろと砕ける。一方で、それより上の層は全体に明るい色の地層が多く、比較的粘度が高い。
 ところが、膝の辺りから下を見ると、地層の繋がりがおかしい。赤黒い層はほとんど水平に分布しているのに対して、その下の地層は斜めに傾いていて、その上が切断されたようになっている。
 地層の不整合だ。
 エレンは目を輝かせ、膝をついて子細に見ていく。不整合面の下には、大きな褶曲の痕も窺えるが、それも同じ高さで削られている。様々な地層的特質が、全て同じ高さの所で、暴力的に均されていた。
 何かが起きたのだ。この時代に。
 エレンはこめかみの辺りにざらりとした感触を覚えた。発見の予感がする。コートの隠しから、小さなシャベルを取り出す。この壁面から、この地層の中から、新しい化碩や書物の雰囲気を感じる。
 ――掘るのか。
 土を震わせて、卵型の空洞の中を声が満たす。体を直接振動させる、そんな声色だ。
「とりあえず少しだけ。掘りたいよね。知りたいし。セドも、そっちの方が、体がすっきりするんじゃない」
 ――私の体のことに言及したのは、エラム以来だな。さすがは、同じ血を引いているだけのことはある。
「祖神様と同じか。血って言われても、遠すぎて実感が湧かないよ」
 セドの石を頂くセデラムの地と、山の麓、リーンソンと呼ばれるようになった都市との境には、エラムの石像が立っている。セデラムが都市として独立するきっかけを生んだ功労者として、祖神エラムと呼称されている。それに相対するのが、始神セドである。
「いけない。リーンソンに行かなきゃいけないんだった」
 溜め息をつくような風が卵の中を旋回し、天井の穴から出る時に口笛のような音を鳴らした。呼ばれたと思ったラスタンが心配そうな顔をのぞかせる。
「そろそろ、僕の化碩、返してもらえませんか」
「うん、あとちょっとだけ」
 土を削る音に続いて、歓声にも似た小さな叫びがエレンから漏れた。

 採碩都市セデラムから、技工都市リーンソンへの道は、立ち並ぶ木立を抜ける風が気持ちいい街道と並走して、鉄線を太く編み上げた綱が二本張られている。〈係振ケイブル〉と呼ばれるこの綱には、〈箱巣バッコス〉という三つ連なった箱が、何箇所かに据え付けられており、〈係振ケイブル〉の両端に据え付けた化碩球を動力にして、〈箱巣バッコス〉が前後に移動する仕組みになっていた。リーンソンに向かう〈箱巣バッコス〉に乗り込んだエレンは、戦利品を小脇に抱え、風になびく髪でこのちょっとした移動を楽しんでいた。
 やがて、木々がまばらになると、少しずつ道は平坦になり、開けた視界の先にエラムの石像が見えてきた。石像は右の肘から先が失われており、その代わりに肘に埋め込まれた球体から伸びた杖が大地を捕らえていた。石像を前に減速した〈箱巣バッコス〉から降りたエレンは、まず祖神エラムに頭を下げた。セデラムに暮らす人々は、必ずエラムに頭を下げる。二つの都市の関係を安定させ、セドを中心とした集落を生み出した昔話は、子ども達にも人気の物語だ。
 街道を歩くエレンの前に現れたのは、兵士の服装ではなく、文官特有の、地面に付こうかというほど長い裾を持つ上着を瀟洒に着こなした青年だった。境界には、一人の兵士もいない。それは、二つの都市の関係が安定していることを示している。
「ソーヴル! 待たせてすまなかったね」
「エレン、遅かったな。その顔は、何か面白いものでも見つけたのか」
 二人は共に、歴史を、とりわけ化碩が生み出されていた時代の、失われた技術と文明の謎を探求する学徒だ。
「不整合な地層を見つけたんだ。化碩が出土する層よりも、古い地層だ」言いながら、脇に抱えた土まみれの四角い物を手渡した。「多分、書物だと思うんだけど、ページが癒着しているみたいで開けないんだ」
 受け取りながら、ソーヴルはその奇妙な造本を矯めつ眇めつした。
「これは、使っているインクのせいか、あるいは、地層内部に充満した化学物質がページに浸潤したせいか。いずれにしても、しばらく薬剤に浸ける必要があるな」
 エレンが主に、セドの山の地層から、過去の歴史を繙いていくのに対して、ソーヴルは文献資料の研究によって歴史の秘密に迫っていた。その対象には、山から出土したものばかりでなく、リーンソンから隣国へと流出した貴重な資料も含まれている。結果として、ソーヴルもエレン同様、隣国との交渉の任に当たる外交官を兼任していた。
「最近、ソモから手に入った資料に、よく似た革装の書物が混じっていたんだ。この表紙は、同じく仔牛のなめし革を用いたものだろう。これまで発見された書物の中には、革装のものはなかったはずだ」
 リーンソンの大通りを並んで歩く二人の姿は、人目を惹いた。藍色のコートを纏った長身のエレンの長い黒髪が、通りを時折吹き抜ける埃っぽい風に巻き上がる様子には、英雄めいた魅力があったし、その横を歩くソーヴルも負けず劣らずの美丈夫で、エレンのものよりも緑がかった浅葱色の上着は、その爽やかな表情をいっそう明るく見せることに貢献していた。
「やけに、人に見られているな」しかし、ソーヴルには、自覚がない。かつては武官だったソーヴルは、人に見られることに慣れていないのだ。「警戒を怠るなよ」
 そんなソーヴルの反応は、いつでもエレンを笑わせた。
「まったく、君という人は。誰も襲ってきたりはしないよ」
 大通りには多くの店が立ち並び、どこも人だかりができて賑わっていた。その生活の諸所に張り巡らされた〈係振ケイブル〉と、そこに接続された多種多様な〈擬骸ギムック〉が、人々の活動と産業を支えている。あるものは購入した品々の運搬を補助し、あるものは在庫管理の計算を行い、またあるもは商品を加工する。限られた化碩という資源を、可能な限り有効に使うことを目的に生み出されたのが〈係振ケイブル〉だ。この画期的発明のおかげで、化碩のエネルギーを分散して、共同利用することが可能になった。
 リーンソンの街並みを見ていると、エレンは感心せずにいられない。セデラムの人々は、化碩の利用に対しては消極的だ。始神セドからの授かりものだとして、毎日の礼拝の対象にしている人もいる。
「だって、すぐそこにセドの石があるんだよ。拝みたいなら、そっちを拝めばいい。どうして、それ以外に偶像が必要になるんだよ」エレンの苛立ちに、ソーヴルは深く頷いて応える。
 その一方で、これだけ便利に使われている化碩が、なぜセドの山に廃棄されたのか、その謎は未だに分からなかった。その端緒を得ることすらできていなかった。だからこそ、不整合な地層への期待感は大きかった。
「その書物が出てきた場所なんだけど」エレンが話を戻す。「こないだ見つかった結晶化した紫霧があるでしょう。そのすぐ地下にも、虚洞化した空間があって、そこで見つけたんだ」
「見つけた、って。また、無茶な採掘をしてたんじゃないのか。ラスタンを困らせるのも大概にしないと、そのうち現場に出られなくなるぞ」
「ソーヴルまで同じ心配をするんだ。大丈夫だよ。採碩場での事故なんて、私の祖父の時代の話じゃないか。そもそも、化碩の爆発自体、何十年も起きてないでしょう」
「それはそうなんだが、あまり危ない真似はしないで欲しいんだ」
「どうして」ソーヴルの目を覗き込むエレンの黒髪が、ソーヴルの頬を掠めた。薄荷の香りがした。奉賜幌ほうしほろは通気性が低いため中が蒸れるので、エレンはよく薄荷の精油を利用している。
「化碩は」目を逸らしながら、ソーヴルは言葉を探す。「化碩球に過剰な制止力を加えない限り、あるいは、回転体である化碩球の核の運動を妨げない限り、爆発の原因となる熱膨張は発生しない。結果として、〈係振ケイブル〉という伝達機構の発見が化碩球への負担軽減を実現し、爆発事故の飛躍的減少に繋がった」
「私相手に歴史の授業? 何、突然。そんなことより、外のことで何か新しい話はないの」
 ソーヴルの咳払いに、道行く人が振り返る。うつむいてもう一つ、小さく咳払いすると、話を続けた。
「リーンソンに隣接する三つの国――ソモ、タパンタパン、ソトナテン――のいずれにも、一定量の化碩が流出しているが、中でもソトナテンにだけは、化碩球の分解を試みた記録が残っているらしい。交渉のカードに使われるのは癪だが、この話は捨て置けない」
「でも、仮にソトナテンが化碩球をばらしてたからって、何だっていうの」
「化碩球の爆発を制御する鍵が、そこにあるんだとすれば、っていう話だ」
「あるの?」
「化碩球を兵器化する研究は行われている、という報告は上がってきている」
「まあ、あそこの国は、ずっと好戦的だからね。化碩の研究云々とは別に、脅威であることは変わらないでしょ」
 大通りから脇道に逸れ、路地をしばらく行くと、真っ白な二本の柱に挟まれた扉が現れた。柱には大きく〈化碩研究所〉と銘打たれており、中に入る。研究員たちがエレンを見て、我先にと挨拶するのに、エレンは笑顔で応えた。ソーヴルは、何人かの研究員に声を掛け、エレンから受け取った書物を渡す。
「内容の解読も含めて、半月もあれば、はっきりするだろう。さて、何が出てくるか」ソーヴルが楽し気に言った。
 いくつかの部屋を通り過ぎ、やがて、奥まった場所にあるソーヴルの私室にたどり着いた。壁面は全て書棚で埋め尽くされ、それが高めに作られた天井まで続いている。机は中央に一つ置かれ、その上には書類が整理されて積まれている。そして、その傍に円錐状の物体が立てられている。ソーヴルは、注意深くその錐体を手に取り、エレンに手渡した。
「新しい〈擬骸ギムック〉の試作品だ。〈係振ケイブル〉を間に挟まずに、化碩球に直結させられるように、干渉壁を入れてみた」円錐の底面には、〈係振ケイブル〉と同じ金属質の糸が細かな網の目のように織り込まれている。「掘削用の〈擬骸ギムック〉だ。化碩棒よりも、はるかに抑えた力で回転するから、誤って古遺物を傷つけてしまうこともない。安心して使える」
「名前は」
「〈泥具デイグ〉――というのはどうだろう」
「いいんじゃない。ありがとう」エレンが満面の笑みで言った。
 部屋中に薄荷の香りが広がった。

 翌日、エレンは再び、巨大な紫の結晶の前に立った。口やかましい管理官ラスタンを置き去りにして、奉賜幌ほうしほろを被り、早速、虚洞の中に降り立った。
 カンテラを洞内に置き、視界を確保する。所々、露わになった紫の結晶が、火の光を受けて、怪しく揺れている。エレンは、床面を子細に調べていった。廃棄された資材や書物の間を埋める堆積物を削り取り、携帯式の拡大鏡で組成を確かめていく。
 不整合の下の地層は、所々は大きく歪み、しかし基本的には綺麗な斜めの模様を描き出している。床面にも縞模様が現れ、これまで見てきたどんな地層の特徴とも異なる様子に、エレンは興奮を隠し切れない。
「やっぱり、ここが歴史の分かれ目みたい。ねえ、セド」
 ――私は何も教えてやれない。
「大丈夫。自力で観察して、理解してみせるから。ついでに、もっと身軽にしてあげるよ」
 エレンは化碩球を取り出し、ソーヴルから受け取った〈泥具デイグ〉を装着する。回転の力が金属の網によって弱められ、〈泥具デイグ〉本体がゆっくりと回転を初めた。
 同時に、卵型の虚洞内部に化碩球の駆動音が反響し始めた。今日は、昨日よりも強く音が響いていて、奉賜幌ほうしほろを被っていても、それほど緩和されない。耳というより、全身に音の振動が伝わってくる。
「何かが、化碩球の回転と共振を起こしている」
 泥具デイグ〉を装着したままの化碩球を、そっと地面に下ろし、壁面を触診し、共振しているのが何か探る。この虚洞では、不整合の上に三つの地層が確認できるが、どの層の堆積岩を触ってみても、強い振動は感じられない。
「いや、違う。この共振は、もっと深い所で起こっている」
 巨大な結晶の底、所々紫の結晶の露わになった部分に手を置くと、ほんのり熱を持っているのを感じた。共振によるものかははっきりしないが、何らかの反応が現れていることは確かだ。
 コートの隠しから、小さなシャベルを取り出そうとして、くすりと笑う。〈泥具デイグ〉を装着した化碩球を拾うと、化碩球の側も少し温かくなっていた。回転する円錐部分を、そっと壁面にあてがうと、岩石部分だけが削れて砂になり、中に埋もれた紫の結晶が露出した。
「この〈泥具デイグ〉、すごいぞ! つるはしとブラシを一緒にしたみたいな道具だ」
 興奮したエレンは、次々に結晶質を削り出していく。結晶は削れないが、岩石は削れる。絶妙の力加減だ。
 三十分も掘っていると、上方の虚洞で発見された結晶よりも、遥かに広範囲に渡って広がっていることが分かってきた。紫の内側では、カンテラの火を受けて、霧状の曇りが渦を巻いている。それは、結晶構造の核のように赫々と輝いている。
 ――エレン、逃げた方がいい。
 セドの声が聞こえた直後だった。貫くような痺れがエレンの全身を襲った。それが、空気の振動だとわかったのは、頭の中を直接揺らす轟音が鳴り響いたからだ。両手で耳を覆ったが、両掌からも同じ音が聞こえてくる。
 この場を離れなくてはならない。手を放して天井を掴もうとするが、思うように体が動かない。
 ダメだ。何が起こっているのか、把握するんだ。
 エレンは奉賜幌ほうしほろの目の部分に両手を掛けて、両側に引き裂いた。視界が一気に広がり、虚洞中が微細に振動していて、二重に見える。燃えるような赤紫に染まった結晶は、周囲の岩を振るい落とし、六角錐の先端は血に濡れたように輝いている。
 エレンは地面に転がった化碩球を拾い上げようとしたが、〈泥具デイグ〉と結びついた化碩球は、なぜか異常な重さで大地にしがみついている。いや、地面と直結している。世界がぐるぐると回転しているように感じる。いや、そんなはずはない。混乱しているだけだ。とにかく天井を掴んで――
 その時、部屋中を赤い光が満たしたかと思うと、可聴音域を超えた音波がエレンの体を吹き飛ばし、背後の壁面に叩きつけた。
 ああ、コートを汚すとラスタンに叱られるな。
 次の瞬間、結晶は破砕し、霧の塊となってエレンに吹き付けられた。
 行き場を失った紫色の霧は周囲の地層を破壊しながら吹き上げ、それはリーンソンのみならず、その周辺諸国からもはっきり目に見える程だった。霧は空を紫色に染め上げ、リーンソンの人々は季節はずれの夕焼けが訪れたと勘違いしたが、セデラムの人々は、紫霧に覆われた空に世界の終わりを感じ取った。
 一方で、爆発と時を同じくして、セデラム、リーンソンで稼働中の化碩球が高熱を発し、数分後に爆発した。空の異変とこの事故とを結びつけた者は決して多くなかった。
 セデラムでの被害は、死者八名、重軽傷者五名に及んだ。重傷者の一人はエレンだったが、ラスタン管理官の迅速な応急処置により、一命をとりとめた。幸い、〈係振ケイブル〉に繋がっていた化碩球は爆発していなかったため、三連の〈箱巣バッコス〉の壁を壊して繋ぎ、その他の怪我人と共に、リーンソンの医療施設に搬送された。エレンが昏睡状態から意識を取り戻したのは、それから一週間後のことだった。
 最初の感覚は、痛みだった。血の中にガラスの破片でも流し込まれたような痛みが、全身に隈なく行きわたっていた。
 次に、その痛みが届かない場所があることに気がついた。歯を食いしばって、感覚の流れを追っていくと、右肘の所で見失う。道があると思って走っていったら、突然崖が現れたかのように、真っ暗な谷に向かって堕ちていく。
 そして、叫んだ。声にならない叫びをあげた。いや、声にはなっているが、耳が壊れているのかもしれない。
 人の気配がした。直後、再び意識が遠のいた。
 そんなことを繰り返してさらに三日が経った。痛みはいつの間にか、当り前の感覚の中に溶け、ふとベッドの横を見ると、同じように横たえられた同胞が何人も連なって寝かされていた。
「気が付いたか」
 頭の後ろから声がする。振り返ることができない。
「ソーヴル。何日経った」
「十日だ」
「何人死んだ」
「セデラムでは八人……」
「リーンソンは」
「七十二人」
 エレンは唾を飲み込んだ。灼けるような痛みが走ったが、もうそれを痛みと感じることはできなくなっていた。それでも、胸の奥底には釘を打ち込まれたような感覚があった。
「真っ暗な意識の海で溺れながら、なんとなく聞こえていたんだ。……結晶の爆発が原因?」
「それは、質問か。それとも……確認?」
「ソーヴル。それはどういう意味?」
「こんなこと、言いたいわけじゃない。誰より、生存者の中ではエレンが一番重傷なんだ。でも、生きてる。エレン、お前はあれがどういうものか知っていたんじゃないのか」
 エレンは、ソーヴルに向き直った。そこには、鉄の仮面でも被ったような冷たい表情の人間が、傷ついたエレンを見下ろしていた。
「誰」
「議会も民衆も、納得できないんだよ。今回の事故は、事故として済ませるには、大きすぎる。人々は、あれがセデラムからリーンソンへの反逆ではないか、と考えている」
「ちょっと待って。反逆って、セデラムとリーンソンは、祖神エラムにかけて、対等の関係を築いてきたんじゃなかったの」
「セデラムでどんな認識かは知らないが、リーンソンはセデラムを対等の都市だとは考えていない」
「それは、ソーヴル、あなた自身もそうだっていうこと? 私のことを、属国の研究者と見てたっていうこと?」
「ソーヴル外交官。被疑者が意識を恢復したら、すぐに連絡するように言ったはずだが」
 エレンの頭の上から、新しい声が入室した。ソーヴルが敬礼の姿勢で、畏まる。メリテラ法務官だ。過去に、化碩球の配分問題で何度か接見したことがあった。
「これはこれは、法務官殿。横のままで失礼します。その上、どうやら私は今後一切、敬礼ができないようで」
「これだけ減らず口を叩ければ、十分だ。エレン交易次官、貴方の体の状態を慮って、この場でリーンソンの決定を申し渡すこととする」
「ちょっと待ってください」ソーヴルが割って入る。「エレン次官は、まだ動けるような状態では」
「動けないところを、ここまで搬送できたんだ。それを送り返せないわけがないだろう」
「ああ、つまり強制送還、ということですか」
「加えて、今後一切の入国を禁じる。それ以上の処分については、セデラムで考えているだろう」
 ソーヴルを見るが、ソーヴルは固く目を閉ざしている。
「セデラムが、何をもって私を処分すると?」
「運び出せ」
 メリテラの命令で入室してきた集団が、エレンをベッドごと運び出す。抵抗しようとして、腰が縛られていることにはじめて気が付いた。
「ソーヴル! 何とか言って! ソーヴル!」
 ソーヴルは、エレンが運び出されるまで目を開くことはなかった。
 病室はすぐに静かになった。残されているのは、未だに目を覚まさない意識不明の患者と、エレンと同じ送還の憂き目には会いたくないと考え、狸寝入りを決め込んだセデラムの生き残りだけだった。

 エレンは、セドの石に背中をもたせ掛けて、天井を見上げた。
 石柱を中心にしてくみ上げられた足場と、布と板だけで作られた無数の〈単居ユニット〉が層をなし、エレンの視界から空を隠している。セドが少し体を揺すると、〈単園ユニオン〉全体が木の葉の葉擦れのように音を立て、木漏れ日のような光が降り注ぐ。
 あの、三層目の南の〈単居ユニット〉が、私の部屋だったのに。
 見上げたまま焦点を合わせる場所を変えると、木材で作った格子の屋根が見えてきた。
 セデラムに牢獄はない。これまで、必要なかった。
 だから、結晶の爆発跡に、木製の格子と檻を嵌め込んで、即席の牢獄に仕立て上げた。
 セデラム初の犯罪者が、エラムの直系の子孫だなんて。
「セド、聞いてるかい」
 返事はない。薄暗い空洞の中に、残響が巡るだけだ。セドの石まで及んだ爆発の爪痕――そのせいで、私は見捨てられてしまったのだろうか。
「私は、何のために、研究をしてきたんだろうな」
 頬を拭おうとして、右腕がないことを思い出す。
「ぜんぶ、なくした! なにもかも、ぜんぶだ!」
 何日前だったか、もう思い出せない。セデラムの長老会からの声明文を読み上げにやって来たのは、長老会の代表でも、会員でもなく、そのうちの誰かの孫だった。
「今回の事件によって、リーンソンからは、セデラムの化碩管理事業全般に対する疑問が提示された。セデラムがこれまで通り化碩管理の任に留まるためには、今回の責任の所在を明確にし、今後このような事態が起こらないための万全の対策を、法的な制度として確立することが条件として出された。これを受けて、セデラム長老会は、エレン交易次官兼地層研究室研究員の地位の剥奪と、リーンソンとセデラム双方の境域における公開処刑を実施することを決定した」
 十歳にも満たない子どもだ。自分の語った言葉がどんな意味を持つか、分かるはずもない。
 あどけない表情は、檻の中の片腕の人間を目の前に、見る見るうちに曇っていった。ただ、大切な頼まれごとをした誇らしさだけで、そこに立ち続けている様子だった。
 だから、吠えてやったんだ。
 これで、二度と、子どもを寄越そうなんて考えは、しなくなるだろう。

 咳に血が混じるようになってきた。それと共に、体の内側から切りつけるような痛みがやってくる。
 セデラムが、まだセデラムという名を冠していなかった頃、この辺り一帯は深い紫霧に覆われていて、そのために村人は皆、若くして命を落としていた。そんな、伝承が残っている。
 公開処刑まで、あと何日あるのか知れないが、その前に私が死亡するようなことになったら、どうやって事態の収束を図るのだろう。
 そう考えると、妙にすがすがしいような気分になって、深呼吸などしたりする。
 そして、時々様子を見に来る連中や、食事の世話に来る奴らの、ちょうど奉賜幌ほうしほろの目のところに向けて息を思い切り吹きかけてやったりすると、彼らは慌てふためいて目を掻き毟り、大騒ぎして逃げ去っていく。そんな後ろ姿を見て、溜飲を下げたりするのだ。
 本当にそうだろうか。
 そんなことで、気分は晴れない。
 頭の上で〈単園ユニオン〉が揺れる音を聞くたびに、結晶の崩壊で吹き上げた紫霧は、〈単居ユニット〉にどんな影響を与えたのだろうと思う。
 エレンの隣に起居し、水場で働いているサネも、あの霧を浴びたのだろうか。すぐ上の〈単居ユニット〉で、ことあるごとに口説いてくる技師のディパンは。小さいころに同じ仕事場で出会い、偶然〈単園ユニオン〉に割り振られた二層下のレーナは、どうなった。
 結局、私は私の罪から目を背けようとしているだけなのだ。
 私がやらなくてはならないのは、自分が救われることではなく、セデラムのみんなが、化碩の恩恵の下で生きるリーンソンを含めたみんなが、安心して生きていけるようにすることだ。
 紫水晶は、あれだけじゃない。大きさこそ劣るものの、採碩現場ではこれまでも数十の紫水晶が見つかっている。それらが、今のまま、結晶構造を維持するかは、分からない。もしも、きっかけさえあれば、巨大水晶と同じく、霧を吹き出して爆発するのだとすれば、今後も同じ事故は起こりうるということだ。
 爆発の原因を知らなくては。そのためには、私がただ、セデラムのために死ぬというのは、なしだ。
 ――そういうことなら、まず、自分の周りをよく見てみることだな。
 ここに幽閉されて以来、聞こえなくなっていたセドの声が耳に届いた。エレンは、その声に従って、次第に心が平静を取り戻していくのを感じた。
 自分がどこにいるのかさえ分からないほどに混乱した状態にあったということに、今更ながら気が付いた。
 セデラムの人々は、ここを、単なる爆心地程度にしか理解していない。研究は、地位や施設によって行うものではない。研究対象と探求心、そして何より――
「全ては観察と観測に基づいて、ですよね」
「ラスタン……。どうして」
「何度か姿を見に来てはいたんですが、どうも周囲が見えていない様子でしたので」そして、両手を広げてくるりと回る。「せっかく、この場所に幽閉するように、暗躍しましたのに」
奉賜幌ほうしほろは」
「被っていては、ここに来ると気取られるかもしれない、と思いまして。そもそも、結晶はきれいさっぱり、なくなってしまいましたし。爆発によって、ここに残っていた紫霧も、完全に吹き飛ばされましたし」
「紫霧は残っていない」
「いいえ、可能性は否定できません」
 しばし睨みあった二人は、同時に噴き出した。
「落ち着かれたようで、何よりです」
「ごめん。本当に。やるべきことが見えてなかった。できれば、灯りが欲しいんだけど」
「と思いました。新しい化碩を手に入れたんです。こないだのより、もっと大きく広がっていて、傘みたいになっているので、安定性も高いですし、何より明るい。〈星頭セイド〉と名付けてみました」
 檻の間を通して、化碩球と〈星頭セイド〉を受け取り、二つを組み合わせる。〈星頭セイド〉の広がった傘の中心から、ゆっくり光が広がっていき、最後には傘の縁まで、鮮やかな白色の光に満たされた。
「これはすごい。借りてしまっていいの」
「もちろんです。僕は僕で、まだまだ暗躍しなくてはならないので、光はいりません」
 去り際、ラスタンは振り返り、「生きていてくれて、よかったです」と鼻を啜った。
 エレンの目に光が宿り、周囲の壁面に現れた地層を捉えていく。爆発前よりも大分高い位置に不整合の境目が現れている。這いつくばって地面を見ると、三箇所だけ、不自然に盛り上がっている場所がある。〈星頭セイド〉を回して外し、盛り上がりの一つに化碩球を近づけると、左手の中で暴れるような振動が起こった。
 紫水晶が破砕する前の音を思い出す。
 無くなったはずの右腕が――身を守るために、あの時とっさに突き出した右腕が――存在しないはずの感覚を伝えてくる。
 この土の中に、ある。
 左手の化碩球から手を放し、盛り上がりの頂点に落とすと、その位置に留まったまま回転を初めた。耳鳴りのような甲高い音に、思わず左手と右肩で耳を塞ぐ。だが、目は離さない。観察と観測だ。
 堆積岩が削れ、砂になってまき散らされていく。回転は、化碩球が化碩と接触した時の正常反応だが、それにしてはスピードが速すぎる。それに、やはりこの音――。
 エレンはたまらず、音源から距離を取った。すると、他の盛り上がりからも、同じ音が聞こえることに気が付いた。共鳴しているのだ。
 天井を振り仰ぐ。いくつかの〈単園ユニオン〉が揺れているのは、寝るか起きるかした人間がいる証拠だ。気づかれるかもしれない。音か、あるいは誰かが化碩球を持っていたら。しかし、その揺れはすぐに収まり、〈単居ユニット〉から顔が覗くことはなかった。
 これは、この付近でだけ起こっている共振なのか。
 その時、薄暗かった洞内が、ほんのりと明るくなっていることに気が付いた。〈星頭セイド〉が遠隔で起動したのかと思ったが、丸い傘は沈黙したまま転がっている。明るいのは地面だった。共鳴する化碩球の一つかと思われたが、そうではなかった。
 観察と観測――観測だ。
 三つの盛り上がり。そこにはおそらく化碩球が眠っている。そして、その重心に当たる地面が薄明るく発光している。セドの石のすぐそばの地面だ。エレンは慌ててその場所の土を掘る。左手の爪が割れて血が滲むが、構ってなどいられない。
 削れた土は光っていない。光源はこの中のようだが、何かが埋まっているという感じではない。右手も、三つの盛り上がりにあるような違和感は何も感じない。その代り、左手には熱を感じる。
 ――エレン、離れた方がいい。
 セドの声を聞いたような気がしたのは、私が聞きたいと思っているからか。
 それでも、今度はその声を信じて飛び退った。
 その時、ドロドロに融けた土が、赤熱して吹きあがった。セドの石に巻き付く蛇のように、一気に駆け上る。慌てて〈星頭セイド〉を拾い上げ、回転する化碩球に向けて投げつけた。乾燥させた木材のような高い音がして〈星頭セイド〉が粉砕し、ラスタンの化碩球は回転の軸をずらされ、ふらふらと小山を転げ落ちて止まった。
 同時に、耳鳴りのような音も消え失せた。砂の山となった〈星頭セイド〉を足で払いのけ、崩れた岩の中を見ると、化碩球が煙を上げて止まっていた。
 尋常じゃないエネルギーだ。それも、直接にも間接にも繋がっていない部分に、どうやってあれだけの熱量を発生させたのだ。
 失われた技術だとでもいうのか。不整合な地層が、化碩球の技術に、どんな断絶を生んだというのだ。
 そもそも、技術は進歩するものだ。それなのに、古い地層の方がより強力な技術を抱えているだなんて。
 あるいは、やはり、化碩球は廃棄されたのではなく、土の中に封印された?
 いや、封印されたと考えるには、あまりに不完全過ぎる。化碩球の技術は、不整合以降の地層でこそ見つかり続けてきたのだ。封印されたのなら、化碩は発見されてはならないはずだ。
 エレンは回転で空いた穴に左手を挿し入れ、古い化碩球を取り出した。
「大きい……」
 口を突いて出た言葉の通り、順に拾い上げた三つの化碩球は、これまで出土してきたものよりも、一回り大きかった。手に持った大きさの感触は、ラスタンの半球面の化碩を装着した状態に非常に近い。一方で、その手触りは、革装の書物を手にした時の感じに似ていた。
「これは、外側にもう一つ層があるんだ」
 その時、頭の上で、何かが砕けるような音が鳴り響いた。
 見上げると〈単園ユニオン〉の下層部分に火の手が上がっている。エレンは頭を抱えた。また、私のせいで、仲間が傷ついてしまう。
 虚洞の外に足音が集まり、中へと行進してくる。奉賜幌ほうしほろを被り、首には長老会直下の護衛兵であることを示す杖と剣の交差した職位章が揺れている。先頭には、両腕を後ろで交差させられた男が歩いている。ラスタンだ。
「ラスタン管理官。お前が、エレンに何らかの化碩武器を与えたということでいいんだな」
 無言のラスタンを、後ろに立っていた護衛兵が、持っていた杖で打ち据えた。膝を折って倒れ込むラスタンは、エレンの目を一瞥したが、そのまま視線を逸らして、口を噤んだ。
「何とか言え! 裏切者が!」
 体を丸めて身を守るラスタンに、何本もの杖が降り注ぎ、洞内は荒い息と暴力の音に満たされた。それでも、ラスタンはうめき声一つ漏らさない。それに対して、虚洞の上では救援を求める声が増えていく。
 エレンは静かにその場に座った。
 一人の護衛兵が、足元に転がってきたそれを拾い上げる。振り返ると、エレンが抜け殻のような表情で、こちらを見据えている。
「なんだよそれ」
「化碩球、か」
「大きすぎるだろ。それに、なんだよ、そのカバーみたいなやつ」
「外したら分かるんじゃないか」
「ちょっと貸せよ」
 一人が、腰帯からナイフを取り出し、木の実の殻を剥くようにして、外殻に切れ目を入れていく。最後に、切れ目に刃を挿し入れ、親指で殻を押さえて、一気に剥いだ。
「見た目は、普通の化碩球だけど」
「待て、おかしいぞ、この化碩球。何も接続されてないのに、駆動音がする」
「おい、貴様。これは何だ。どこにあった」
 エレンは俯いて座ったまま、二つ目、三つ目の化碩球を転がした。その方を見ていないにもかかわらず、二つの化碩球は、一つ目と同じ軌道をたどった。
 三つの化碩球が、同じ間隔を置いて並んだ瞬間、転がっていた化碩球がその場に止まり、横回転を始めた。ナイフの護衛兵が叫んで、化碩球を取り落とした。掌が傷だらけになっている。一直線に並んだ化碩球の二つ目――真ん中にあった化碩球――がそのまま赤熱し、周囲の土を溶かし始めた。
「何だ、これは。貴様、何をした」
 溶けた土が溶岩のように吹きあがり、天井の土に穴をあける。そのまま、熱せられた土塊が奉賜幌ほうしほろの上に降り注ぎ、そのうちのいくつかには引火して、燃え上がった。恐慌に陥った護衛兵たちはお互いの状況が見えるような状態ではなかった。ラスタンは仕方なく起き上がり、火のついた奉賜幌ほうしほろを順に剥ぎ取っていく。革紐は焼けて外れるので、引っ張るだけで簡単に脱げる。一方、奉賜幌ほうしほろは特殊な薬剤をしみこませた糸で織り上げた布を使っているので、熱や火が中まで回ったりしない。かつて起きた事故を教訓に、火に強く作られている。五つの奉賜幌ほうしほろは、地面に放り出され、しばらくすると自然と火が消えた。
 エレンの方を見ると、淋しそうな笑顔で、ラスタンの活躍を眺めている。
「ラスタン管理官。助かったよ」奉賜幌ほうしほろの下の護衛兵の表情は、落ち着きを取り戻した。
「誤解して済まなかったな。てっきり、俺たちはお前が――」
 ああ、なるほど。そういう意味ですね。ラスタンはエレンの意図を理解した。敵の敵は味方だ、というわけですね。僕だけを彼らの味方に仕立て上げようと。どちらも自分たちの味方だった、なんていう結論は、彼らには考え付きもしないでしょう。
「この虚洞内部は、不可視の紫霧に満たされている。炎で焼け死ぬなど、生温い。紫霧が体の中を引き裂く苦痛に苛まれて死ぬがいい」
 ラスタンの言葉に、奉賜幌ほうしほろから解放された五人の安堵の表情が、一気に凍り付いた。我先に虚洞から逃げ出した。残った護衛兵はラスタンを地面に組み伏せた。
 エレンの方を見ると、不満げに眉を寄せていたが、口元がわずかに緩んでいたのを見逃さなかった。

 エレンとラスタンは、〈箱巣バッコス〉に括り付けられて、リーンソンに移送された。
 その様子を見るセデラムの人々の表情は複雑だった。エレンの友人たちは、同乗している長老会を睨み付けていたが、傷ついたエレンに視線を向けることはなかった。〈単園ユニオン〉の面々には、怒りを露わにしている人も少なくない。その中には、サネやレーナの姿もあった。これまで何度も口説かれたディバンは、少し離れた木立の中にいて、エレンの姿を見ることはなかった。
 エレンの横に寝かされたラスタンは、しきりに鼻を啜っている。見れば、ラスタンの妻が、〈箱巣バッコス〉の進行を守っている護衛兵に掴みかかっている。
 木立の青々とした葉叢が途切れ、エラムの像が見える頃になると、もはやセデラムの人々は残っておらず、今度はリーンソンの側から歓声と怒号が上がった。
 エレンとラスタンは、リーンソンの監獄に収容されることになった。大罪人エレンの管理は、セデラムには任せられない、というリーンソン法務局の判断だ。
 結果的に公開処刑の決定は反故になったが、それがよかったのかどうなのかは分からない。
 なぜなら、今回の炎上事故で、セデラムの採碩権は、リーンソンによって剥奪されたからだ。
 エレンは、巨大なエラム像を見上げながら、自分と同じく右腕のない姿に、今まで感じたことのない親近感を覚えた。
「ラスタン。あのエラム像の右肘。何で丸いんだろう」
「どうしてでしょう。人間のサイズにすると、ちょうど化碩球と同じぐらいの大きさに見えますが」
「黙ってろ! お前ら、自分がどういう立場か、分かってんのか」長老会の中でも一番の若手で肉体派のゴルが凄んで見せる。「ほら、お前らを歓迎する声が聞こえるだろう。血に飢えた民衆の声がよ」
「そういえば、ラスタン。あの時のセリフはなんだ」
「何がです」
「紫霧が体の中を引き裂く苦痛に苛まれて死ぬがいい! って芝居の口上じゃあるまいし」
「それ、今言います?」
「お前ら! 俺の話を聞け!」
 ゴルが、杖の先端を〈箱巣バッコス〉の底に打ち付けた。
 その時、エレンの体の中に、痺れるような微細な振動が起こった。視界まで震えて、周りの風景が二重になって見える。巨大な紫水晶が破砕した時に似ているが、あの時ほど不快な感じはしない。まるで、全身の血液が震えているような感覚だ。それでも、次第に苦しくなっていく呼吸に、恐怖が募ってくる。
「エレン次官、どうしました」
「黙れと、何度言ったら……」
「エレン次官の様子が」
「おいおい、どうしたっていうんだよ」ゴルが、震えるエレンの体を押さえつけようと肩を掴むが、その分の震えが他に回るのか、頭を大きく振り始めた。後頭部が〈箱巣バッコス〉の底板に叩きつけられるのも、お構いなしだ。床には血が付いている。
 エレンは、激しく震えながら、奇妙なことに気が付いていた。雲も木々も、護衛兵の人々も、もちろん〈箱巣バッコス〉の側板もゴルのひげ面も、どれもこれもが二重になって見えるのに、エラム像だけがはっきりした輪郭でそこに立っていた。
 ――聞こえるの。
 誰の声だろう。セド……ではない。こんなに遠くでセドの声が聞こえたことはない。
 ――聞こえるんだ。
 嬉しそうな声。
 しかし、突然の鋭い痛みに震えが止まると、エレンの意識は遠のいていった。
 ゴルの様子に異変を感じたリーンソンの法務局執行官が、〈箱巣バッコス〉に乗り込んで麻酔を注射したのだ。
 ラスタンは一部始終を観察し、エレンの血族について考えを巡らせ始めた。

 リーンソンの監獄で二人は、旧碩器と名付けられた古層の化碩球について、尋問を受けた。
 答えられることと言えば、その力が、化碩球の外部に及ぶということだけだ。
 だからこそ、二人は口を閉ざし続けた。リーンソンが化碩球を独占し、旧碩器の力を知れば、侵攻への意志は外の国にも及ぶだろう。セデラムがリーンソンに歯止めを掛けられなくなった以上、少しの抵抗でもしないわけにはいかない。
 ただ、その力も、研究が進めば、程なく分かってしまうだろう。
 何しろ、リーンソンの研究所には、ソーヴルがいるのだ。

 これまで、セデラムの採碩場では、化碩球の使用に対して、制限を設けていた。いや、セデラムの生活全般において、化碩球を制限していたという方が正確だろうか。
 それは、祖神エラムがリーンソンとの間に取り結んだ契約による部分もあるが、それ以上に、セデラムの人々の間には化碩球を始神セドからの恵みと取る考え方が根強かった。
 当然、採碩の現場で働く人々や、セドの山の歴史や化碩を含有する地層の研究に従事する人々は、信仰心に対して多少なりとも距離を置いていると言える。それでも、例えば採碩場管理官ラスタンや、地層研究室研究員エレンのような人々も、化碩の持つ歴史性や神秘性に対して畏敬の念を抱いていた。
 だから、リーンソンの採碩方法を目にしたセデラムの人々は、セドの怒りを買うことを恐れ、あるいは化碩の暴発を懸念し、セドの石から離れて暮らそうとした。リーンソンが派遣した採碩隊は、化碩球と大量の〈係振ケイブル〉〈擬骸ギムック〉を持ち込んだのだ。
 セドの山の発掘作業は加速化した。
 その結果として発生した、大量の岩石や砂利を廃棄するためには、人的資源が必要であり、山を離れようとしたセデラムの人々は、それを許されず、奴隷のごとく使役されることとなった。
 そして、セドが自由を取り戻すにつれて、地震が増加した。

 度重なる拷問にもかかわらず、エレンは安堵を感じずにはいられなかった。自分が拷問されている間は、旧碩器の力が未だに発見されていない証拠だと思われたからだ。
 その一方で、地震の増加には懸念を覚えずにはいられなかった。セデラムの過去の記録によれば、セドの石が山から露出している部分の量と地震の頻度の間に、相関関係があることがはっきりしていたからだ。
 セドの石が今どんな状況にあるのか、セデラムの人々はどうしているのか、そして、不整合より下の古層からは何が発見されているのか。
 檻を隔てて隣同士に収監されていたエレンとラスタンは、日を追うごとに危機感を強めていった。

 その日、エレンに食事を運んできたのは、ソーヴルだった。
 エレンは、はじめ、それがソーヴルであることに気が付かなかった。
 頬はこけ、肩は落ち、全身が痩せ衰えていた。浅葱色の上着は酷く汚れているにもかかわらず、目だけがぎらぎらと大きく見開かれている。
「どうして……どうして、お前ら、二人で並んで収監されてるんだよ」
「ソーヴル技官、どうかしましたか」監視官が話しかける。
「ちょっと、外してくれないか」
「いえ、そういうわけには……」
「出ていけ、って言ってるんだ!」振り返ったソーヴルの目に、監視官が怯む。
「ほ、報告を――上官に報告をすることになりますよ」
「好きにしろよ」ソーヴルは、食事の入った盆を、床に叩きつけた。その音に色を失った監視官は、慌てて出て行った。
 ソーヴルは改めて、二人の姿を見据えた。その様子は、まるで拷問を受けているのはソーヴルの側だと言わんばかりだ。
「冗談じゃない。どうして、こんなことになってるんだ。情報が欲しいなら、一人を生かしておけば十分なんだ」爪を噛みながらの独り言には、かつての聡明なソーヴルの姿はない。
「あなたは、何をしにきたの」檻から距離を取りながら、エレンは口を開いた。このまま放っておいてもしょうがない。
「何を……俺は何をしにきたんだ」天井を見ながらうろうろする。エレンはラスタンに目配せし、警戒を促した。
「違うんだよ」突然、エレンの檻に飛びつくと、ソーヴルは涙を流し始めた。「あれは、違うんだ。俺は、ちょっと、難しい立場にあって。ほら、俺は外交官でもあるだろう。だから、リーンソンの立場を第一に考える必要があるだよ。周辺諸国から、特にソトナテンから、あの爆発について説明を求められたら、っていう民衆の心配に最大限配慮した結果、あの場面ではああいう言い方になってしまって。それに、あの時は、扉のすぐ外にメリテラ法務官もいたし、俺たちの関係に気付かれでもしたら、今後、こうやって俺が助けに入るのにも、不便が生じるというか、警戒されてしまうというか」
「ちょっと待って。『俺たちの関係』って、何」エレンが慌てて遮る。
「恋人じゃないか、何を言って……ああ! もしかして、ラスタンか。そこの、うだつの上がらない現場管理者が新しい相手なのか。だから、そらとぼけてるんだ」
「ふざけないで。ソーヴル、あなたのことも、もちろんラスタンも、私はそういう目で見たことはない」
「せっかく、俺はお前を助けに来てやったのに。新しい情報も持ってきてやったのに。もう、どうでもいい。どちらにせよ、すぐに全ての化碩の採掘は終わる。そうすれば、リーンソンはかねてからの計画通り、外の国に対する侵略戦争の準備に入る。研究者で外交官の俺の未来は、盤石だ。その時になって言い寄ってきても、手遅れだからな」
「新しい情報って」
 ソーヴルは腰に下げた鞄から革装の書物を取り出した。「これは、あの古層から出土した品物だったよな。でも、もう要らないな。だって、お前らはもうすぐ用済みになって死ぬんだから」高笑いしながら、ソーヴルは同じ鞄の中から、鋏状の〈擬骸ギムック〉が接続された化碩球を取り出した。「〈郁火イグヒ〉と名付けた。ほら、片手で簡単に火を付けることができるんだ」
 ソーヴルが床に置いた書物に〈郁火イグヒ〉を向け、化碩球に力をくわえると、二つの刃の交差した部分から火花が散り、次の瞬間、それが炎になって書物に襲い掛かった。ソーヴルはすぐに炎を消したが、書物に燃え移った火は、まずはその革装の部分から舐めていく。
「何考えてるの」
「君のこと」
 ソーヴルはそう言い残すと、先程、監視官が去った方とは別の階段を上っていった。
 エレンはどうにか手を伸ばして、炎に包まれた書物を助け出そうとするが、どうしても届かない。ぎりぎり届かない場所を狙って置いていったと考えるべきだろう。
「どいていてください」ラスタンは自分の衣服の中に手を入れると、小さな球を取り出した。その球を手に握って、同じく書物に手を伸ばす。
「何、それ。もしかして、化碩球? 小さすぎない」
「殻を剥いてみたんです」
「種みたいに言わないで」
「どうなんでしょう。これはもしかしたら、種なのかもしれない、なんて考えたりするんですよ」
「どこから取り出したの」
「それは聞かない方が……」絶句するエレンに付け加える。「冗談ですよ」
 ラスタンが思い切り手を伸ばすと、化碩球に引き寄せられるようにして、燃える書物がラスタンの檻に引きずり込まれた。服ではたいて、急いで火を消した。
「背表紙の芯に埋め込まれた化碩のおかげですね。これまでも、何冊かそういう書物に当たったことがありました。製本の際に使われたのでしょう」
 ラスタンは、本をそのままエレンに渡した。炎は、表紙と小口の部分を焼いただけで、本文は無事だった。順にページを繰ると、図版がいくつか見て取れる。言葉は解読が必要だが、図はそれだけで既に情報だ。
「ねえ、これって、化碩球の断面図だよね。中心の核の外側に、七つの殻が描かれてる。一番外側だけ、別の言葉で説明されている。多分、旧碩器にあった革に似た外殻のことだ」床に広げながら、指でたどる。
「ちょっと待ってください。その下の六つの層の殻って、どうして継ぎ目がこんなにたくさんあるんでしょうか」ラスタンが、檻の間から手を伸ばす。確かに、外殻が継ぎ目のない円で表現されている一方、その内側の六つの円には、それぞれ三つから九つの切れ目がある。
「こっちのページ、これは六層の化碩球だ」エレンがページをめくる。「この矢印は何。核の部分から何かが外に出てくるのか。エネルギーじゃない。もし、そうなら、七層の方でも同じように描かれていたはず。これは、核の動力が流出する危険を説明しているんじゃ……」
「それなら、どうして不整合以降の地層から発見された化碩球には、この七層目――外殻の層が欠けていたのでしょう。もし、化碩球の動力を安定的かつ安全に利用するために必要な層なら、必ず作られたはずです」
「作られなかったんじゃない、としたら、どうだろう。大地の中で、これが失われたんだとすれば」エレンの頭の中で、様々な情報が組み上がり、急激に理路が整然としていくのを実感した。「革装の書物は、不整合以降の地層からは発見されてこなかった。それが、作られなかったんじゃなくて、無くなったんだとしたら」
「どういうことです」ラスタンが尋ねた。
「不整合以降、というか、祖神エラム以前は、セドの山に生活で生じた廃棄物や汚物の類を廃棄していた。それが、紫霧を発生させていた――と、考えられていた」エレンは、そのままページをめくり、自分の推測を後押しする図版を探す。「不整合が起きたこの時代に、何が起こったのかは分からない。ただ、セドの山を廃棄場所に変えたのは、この時代なんだ。廃棄物が腐敗し、この第七層を腐食させた。動物の皮革で作られた外殻は、廃棄物にまみれて消えていったんだ」
 エレンの手が止まった。そこには、六方晶系の結晶と、化碩球の核の部分が、矢印で結びつけられて描かれていた。
「紫霧は廃棄物から発生してきたんじゃない。廃棄物によって外殻を失った化碩球から、長い年月をかけて染み出してきたものだったんだ」
 ラスタンが、手の中の小さな化碩球を見つめている。「僕は、この図で言えば、第六層と第五層の殻を破ったみたいです。だから、核の動力が外側に流出して、接触しなくても力を及ぼすことができたんですね」
「それでいえば、三つの旧碩器が生み出した、あの熱の力は何だったんだろう」エレンの手が答えを求めてページを手繰る。「これ、なのかな」
 エレンがたどり着いたのは、いくつもの波の線が描かれたページだった。所々に数字らしきものが書かれており、そのうちの一つが化碩球の中心核に結び付けられている。
「化碩球って、駆動音がするじゃない。あれって、この波の絵と関係があるんじゃ」
「音を水に近づけると、小波が発生するという実験を見たことがあります。複数の場所から波を起こすと、その波がぶつかるところでは、波がより大きくなるという実験も」
 化碩球は音の波を発生させている、ということか。
 エレンは、氷解した謎と、深まった謎の狭間で、右腕を奪った紫水晶のことを思い出していた。あの時〈泥具デイグ〉と結びついて、激しく稼働していた化碩球――両者の間で、共鳴が発生していたのだろうか。だから、セデラムとリーンソンで、〈係振ケイブル〉に繋がっていない化碩球だけが、共鳴の影響を受けてしまったのではないか。
 その時、突き上げるような振動が、監獄全体を襲った。地震とは全く違う。揺れというより、何か巨大な生き物に地面を持ち上げられ、そのまま捻り上げられているかのような強い力が、建物全体に掛かっている。漆喰の壁はひとたまりもなく、みしみしと音を立て、やがて外側から破壊された。
 そんな状況で檻がその形状を維持できるはずもなく、いくつかは折れ曲がり、いくつかは弾け飛び、エレンとラスタンが外に出るのに十分な隙間が生まれた。
 監視官が戻ってくることはなかった。ソーヴルに追い出されたのをいいことに、建物から逃げてしまったのだろう。他の収監者たちも、三々五々、逃げ出していった。
 外に出ると、ラスタンは思わず手の中の化碩球を取り落とした。痛みとも熱さともつかない、鋭く刺すような感覚に、掴んでいられなかったのだ。地面に落ちた化碩球は、その場で回転運動をするのではなく、あちらこちらと転げまわり、拾い上げようとするラスタンの手を逃れ続けた。
 ラスタンから離れないようにしながら、エレンは町の中を観察した。リーンソンは、生活の様々な部分に化碩球と〈係振ケイブル〉〈擬骸ギムック〉を使ってきた。それらが、今は、町の崩壊を助長していた。化碩球の回転が軸を失って乱れ、それに振り回された〈係振ケイブル〉は鉄の鞭と化し、軒先の柱を切り裂き、漆喰の壁を突き破っていた。〈擬骸ギムック〉は勢いよく投げ飛ばされ、街路の上にも屋根の上にも、節操なくその残骸をさらしている。
 だが、エレンが探しているのは、そんなものではなかった。
 生きている人間。
 生きようとしている人間の悲鳴。
 それが、どこにもない。〈係振ケイブル〉の一閃は、人間の体などひとたまりもなく、切り裂いてしまう。上半身と下半身が両断された体や、千切れ飛んだ四肢が、無数に散乱している。
 やっとのことで化碩球を拾い上げたラスタンは、血の海と化したリーンソンの姿を、エレンの横に並んで見ている。できることはなかった。あるとすれば、自分たちが生き延びるための観察を続けることだった。
 町の観察はエレンに任せ、ラスタンは視線を更に遠くへと転じた。首を巡らせ、まずは今いる場所と方角を確認する。そのためには、セドの位置を確かめればいい。
 振り向いたラスタンの目は、霞んだ空の向こうに、異変を捉えた。言葉にする前に、まずエレンの肩を叩かずにいられなかった。それが、先程、化碩球をやっとのことで拾い上げた右手だったことにも気付かず、再び自由を得た化碩球が、暴れまわる化碩球と〈係振ケイブル〉の元へと向かっていくことにも気づかず、ただ、セドの石の姿に目を見開いていた。
 セドの石は、もはや、大人しく大地に刺さってはいなかった。まるで階段を上ろうとする人のように、片足を地面に掛け、力を入れるべく体を傾けた姿勢へと変貌していた。

 地面が波打ち、セデラムとリーンソンのあらゆる場所で褶曲が起きていた。セデラムの森の木々は、絨毯でも剥がされるように、いとも簡単になぎ倒され、リーンソンの建物は、叩き潰された模型のように、あっさりと瓦礫の山になった。
 世界の変化に唱和するように、大地の底から唸るような音が響き渡った。それは、化碩球が駆動する時の音と寸分違わず、共振を起こした化碩球が、順に爆発を起こしていった。巻き込まれた人々は空高く吹き飛ばされながら、この時期にはやってこないはずの夜が、空を覆っていく様子を目撃した。
 そして、次の爆発に吹き飛ばされた人々は、沈んだばかりの太陽が、再び昇ってくるのを見た。
 星は、その軸を失い、乱回転を始めたのだ。

 エレンとラスタンは、セデラムを目指すしかなかった。
 人々の多くが、建物の崩落と化碩球の暴走で亡くなっているなら、家を持たず化碩球の利用を制限してきたセデラムの人々が生き残っている可能性は、決して低くない。
 しかし、リーンソンの大通りには〈係振ケイブル〉が張り巡らされている。二人は慣れない裏通りを行くしかなかった。
 崩れかけた家の中に子どもが泣いていた。目の前で母親を両断された子どもが、涎を垂らしながら天を仰いでいた。その度毎に足を止めそうになるラスタンの頬を、エレンはその都度、平手打ちした。エレンは、後で戻ってくるから、後で戻ってくるから、と心の中で叫びながら、頭の中では記憶にあるリーンソンの地図に、現在の様子と生き残っている人の場所を上書きしてった。
「エレン!」
 誰一人、声を上げる者のいない裏通りに、突然響き渡った声に、エレンは応じないわけにいかなかった。
「ソーヴル。生きていたんだね」すっかり変わってしまった関係性を前に、旧友への再会の喜びすらも込めることができない。
「何が起きているのか、分かるかな」塵と埃で白くなった長衣の裾を払いながら、ソーヴルの目は、今にも零れ落ちそうなほどに見開かれている。
「あなたには分かるの」
「俺を誰だと思ってるんだ。リーンソンで最高の研究者にして技師だぞ」
「それは認めてる」
「大サービスだ。これだよ」
 ソーヴルは大仰な動作で何かを放り投げた。それは、エレンが目の前に差し出した左手の中に、吸い込まれるように収まった。紡錘形の一方がつぶれた、ずんぐりした不格好なフォルム。その中心に細い棒が通っている。
「独楽ですね」横から覗いたラスタンが言った。
「よく分かったな。独楽だよ。今、この星は、軸を抜かれて、正しく回転することができなくなった独楽と同じ状態になっている」ソーヴルが、今にも沈もうとしている太陽を指さして言う。「このまま、この星の軸がどこかへ散歩に行ってしまえば」今度はセドを指す。「この星もまた、軸のない独楽と同じ運命をたどるしかなくなるだろう」
「どうすれば……いや、どうにかすることなんて、できるんでしょうか」ラスタンが声を震わせる。
「新しい軸を用意してやればいいんだよ」エレンが、ソーヴルの目を見つめ返した。
 ソーヴルも同じ結論らしく、満足げに目を細め、しかしそのまま黙って背を向けた。
「ソーヴルは一緒に来ないの」
「俺の作った道具が暴れて、人々が死んだり傷ついたりしている。だったら、誰がそのメンテナンスをするんだよ」
 言いながら、ソーヴルは表通りへと消えていった。エレンは、手の中の独楽が、静かに震えていることに気が付いた。これも何かの〈擬骸ギムック〉なのかもしれない。しっかりと握ると、再びセデラムに向けて走り出した。今度は、はっきりとした目標を思い浮かべながら。

 セドの山の麓には、人だかりができていた。正確には、祖神エラムの周りに、と言うべきだろう。セデラムの人々はもちろん、リーンソンの生き残りにとっても、頼ることができるのは祖神エラムしか残っていなかった。
「エレンだ」
 セデラムの人々の目には驚愕の色がありありと浮かんだ。その様子からは、彼らがエレンを死んだものと思っていたらしいことが窺えた。リーンソンのやり口の姑息さに溜め息をつきながら、左手を上げて自分がちゃんと生きていることを主張する。セドの石が歩き出すような状況だ。死んだはずの人間が出てきてもおかしくない。だからと言って、そんな目で見られてはかなわない。
 エラム像に近づこうとするエレンの前に、長老会の面々が立ちはだかった。
「これ以上、何をする気だ」
「これ以上って、どういう意味」
「これは、お前の仕業じゃないのか」
 なるほど。それも相俟って、みんなのあの表情ってわけだ。どこまでも、私を悪者にしておきたいらしい。
「この状況を、どうにかできるかもしれないと思って来たんだけど。みんなは、もうすっかり死ぬ準備、完了って感じね」
 ざわめきが起こり、すぐに静まった。エレンとラスタンを見ている者も、一人また一人と減っていき、しばらくすると、皆の眼差しは、歩き出そうとするセドと、日の出と日没を繰り返す空と、爆発と崩壊が埃を舞い上げるリーンソンに引き寄せられていった。
「二人でどうにかするしかないみたい」
「アイディアはあるんですよね」
「エラム像なんだけど、あれは多分、化碩でできてると思う」
 エレンは、リーンソンに移送されてきた時のことを思い出していた。あの時の振動が、紫水晶と似ていたのは間違いない。紫水晶が化碩球の中心にある動力であることが分かった今、あの振動は化碩球の共振と同じ現象のはずだ。
 ただ、もしもエラム像が単なる化碩なのだとすれば、他の化碩球とも共振を起こしているはずなのに、そんな様子は全くない。つまり、もう一つ、エラムと共振を起こすための要素が必要だということ。
 それは、血だ。
 血の中で痛みをもたらしていたはずの紫水晶の霧が、エラム像と共振してからは鳴りを潜めていた。どうしてだろう、とずっと思っていた。
 エラムから数えて、何代目にあたるのかは知らない。しかし、この血が、紫水晶を媒介にして、エラム像と響きあったと考えるのは自然なことに思えた。
 エレンはラスタンに指示を出した。
「化碩球がおとなしく言うことを聞いてくれるといいんですけど」
 ラスタンは、先程まで暴れまわっていた化碩球が、今は静かに唸っているだけであるのを確かめ、祈るような思いでエラム像に頭を下げた。
「化碩球があと二つ必要なんだけど、誰か持ってない?」
 エレンの呼びかけに反応する者は、誰もいない。絶望した人々に、希望を見据える人間の言葉は届かない。長老会の杖も、地面に突き立てられることはなく、揺れる大地に転がっている。
「独楽は? 貸してください」
 ラスタンはエレンの手から受け取り、構造を観察する。巨大化したどんぐりのような本体を、細くて長い心棒が貫いている。セデラムでもリーンソンでも、子どもの遊ぶ独楽は、本体が平べったい形状のものばかりだ。ラスタンは心棒に化碩球を近づけてみた。すると、心棒はゆっくり回転を始め、ぽんという音とともに、いとも簡単に抜けた。
 すると、独楽の本体は突然、唸るような駆動音を発し始めた。
「エレン次官、これって」
 どんぐりの殻にあたる部分は、その内側で回転する球体に捻じ切られ、中からは化碩球が二つ現れた。
 二人は視線を見合わせると、エラム像が中心に来るように、三つの化碩球を地面に埋めた。この状態なら、突然暴れだして、三角形のバランスが崩れてしまうこともないだろう。あとは、強い干渉が来ないことを祈るだけだ。
 エレンがエラム像に手を置く。体中を巡る血の中に、これまでの長い歴史を感じる。化碩に守られ支えられ、あるいは化碩に破壊され悩まされた歴史。
 向かい合うエレンとエラムを取り巻く化碩球の三角形が、エレンの血の中の紫水晶に干渉しているのを感じる。エラム像に当てた左手だけでなく、失われたはずの右の掌までもが、エラムとの繋がりを感じとっている。目を凝らすと、右肘から先に、青白い炎のような腕が現れていて、それを助けるように、あるはずのないエラム像の右手が添えられていた。
 そして、直観する。
 セドも、こうやって、大地に縛り付けらえていたんだ。
 化碩球は、廃棄されてきたのではなく、セドを星の柱として括り付けるために埋められていたのだ。
 だとすると、今、私がやろうとしていることは、エラムをセドの代わりに、星に縛り付けることなのではないか。
 ――ありがとう。
 リーンソンに移送された時に聞こえた優しい声だ。セドの力強さとは違う、こちらが守ってあげたくなるような。
 ――でも、僕はセドと交代するために、この場所でその時を待ち続けていた。
 どういう意味?
 ――僕はセドを自由にするために生まれてきたんだ。
 エレンの右肘から、エラムの過ごした過去が流れ込んでくる。その物語は、名もなき〈焚奴タド〉が名付けられ、自分の命に意味を与えるところから始まっていた。
 分かった。ご先祖様。セドのために、私たち子孫のために、この星を支える柱になってください。
 エレンは肉を帯びた左腕と、血と意志によって織り上げられた右腕とで、エラムを精一杯抱きしめた。エレンの体を楽器にして、三つの化碩球が奏でる音楽が、エラムの石に旋律となって入りこんでいく。思い思いの終末を凝視していた生き残りたちは、突如として目の前に現れた音の奔流にさらされて、視線を奪われた。
 ラスタンは、その美しく懐かしい旋律がエラムの石に旋回する力を与え、大地を掘り進んでいくのを見ていた。そして、その流れの中で、一緒に消えていこうとするエレンの姿も。咄嗟に駆け出したラスタンは、気が付くとエレンを後ろから抱きしめていた。
 これ以上の犠牲は必要ない。もう、十分です。
 大地を貫くカノンとなったエラムの石は、終わることのない旋律を動力に、破滅に満ち満ちていた世界に、新しい響きをもたらそうとしていた。

 エラムが大地を穿っていく様子を確かめて、セドがもう一方の脚を引き抜き、空へと飛び立った。太陽が天球を巡る中心を、セドは槍となって貫き、無窮の闇の世界へと旅立っていった。
 これが久しく忘れていた、自由というものか。
 お前が私に教えようとした、自由というものの味わいか。
 しかし、この旅も、いつかはどこかの星に突き刺さることで、終わりを迎えることだろう。
 それまでは束の間の孤独を、誰も名を呼ぶことのない孤独を、愉しむとしよう。

文字数:52497

内容に関するアピール

 約一年間、本当にいろいろなことを学びました。すべてを血肉とするには、まだたくさんの時間が必要になるかと思いますが、今の段階でできるすべてのことを(時間的な限界も含めて)出し切ったつもりです。
 そして、梗概・実作問わず、お目通しいただき、ご意見くださったすべての方に、感謝の気持ちでいっぱいです。少しでも恩返しができればという思いから、きっとこのラストシーンが生まれたのではないか、と今は感じています。
 何より、この講座で出会えた仲間たちにありがとうと言いたい。皆さんがいたおかげで、小説を書くことの楽しさを、おそらくこれまでの人生の中で、最も強く感じることができた一年になりました。
 願わくば、これからも切磋琢磨しあえる、よき仲間でいられますように。

文字数:326

課題提出者一覧