梗 概
波間に月を見つける
昨日よりも少しだけ欠けた月が少しだけ違う位置に顔を出す。月と地球の正確なダンス。人はそのリズムに無理やり合わせ、孤独で不格好に踊っているだけだとヤマノは思う。
寄せては返す波。これも月の満ち干きが原因だと言ったら太古の人々は一笑に付すだろうか?案外自然に受け止めてくれるような気もする。そのくらい、波音に月の顔はよく似合う。月を見上げ波の音に耳を傾けていると、自分が巨大な何かの一部であるということを強く意識する。
2150年、棄星計画は最終段階を迎える。二度と帰れぬ放浪の旅に出た人類。青い空を失い、海を失い、ほとんど全てを失った人類。残されたのは砂と岩の大地、生きるために必要な最小限の資源だけだった。朽ちた故郷の姿は歪んだ望郷の念を生み、多くの憑き人(ツキビト)が生まれた。
波の無い世界の圧倒的な静けさを思いながら、毎日、毎晩、月を見つめた。いくら本を読んでも先人の言葉を借りてきても、本物にはかなわない、とヤマノは思った。
月が人間にとって特別である理由はその不変性と規則性にあるとヤマノは思う。移ろいゆく社会、移ろいゆく思想、移ろいゆく心。移ろいゆく人界の全てに対して、月は不変性と規則性をもって応えてきた。変わらぬものが何も無い世界では、いったい何が人を支えられるのだろうか?
憑き人たちは命と引き換えの片道キップを手に次々と故郷へ降り立つ。我々は地球で生きるように設計されている。例え母がどんな姿でも乳飲み子の我らはそこから離れることはできないのだ。憑き人たちは口をそろえてそう言った。
月は人間の想像力の源泉だ。今の自分と同じように100万年前の人類も、キリストも、ブッダもマホメッドもヒトラーも、きっと月を見て物思ったに違いない。空を失った穴倉の想像力は、いったい何を生むのだろう?
憑き人になった妻はヤマノと幼い子を残し、地球へ向かった。残された幼子も、原因不明の流行病でその短く家も母も無い一生を終えた。支えるものもつなぎとめるものも失ったヤマノは狂った人々とともに故郷を目指した。
ふと目を落とすと、砂浜に丸い石が転がっていた。空に浮かぶ大きな月と、月光を受けてうっすらと光る小石。周囲が少しだけ暗くなる。「月も雲間なきは嫌にて候」地球が豊かな時代の茶人の言葉をふと思い出す。
不思議なことに、月がないにも関わらず小石はうっすらと白く光って見えた。雲に隠れた月を、砂や小石の文様を水の流れに、小さな箱庭を宇宙に。見えないものを心で見るとはよく言ったものだが、二度と見られないものは、はたして心で見ることができるのだろうか?
ヤマノは小石を見つめ、波音に耳を傾ける。
ふと、空腹感に気づく。そういえば、3日間何も食べていなかった。ヤマノは立ち上がり、小さな丸い小石を拾う。ポケットに手を入れ歩きだすヤマノの指先は月に触れていた。
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内容に関するアピール
月がテーマということで、静かな情景を描きたいなと思いました。
梗概ですら表現も描写も力が追いついていませんが、失われていくもののそばで、絶望し死を受け入れようとしている主人公に対象を別の物になぞらえ、実在しないものをあるように思い描く「見立て」の想像力が気づきを与えます。目の錯覚かもしれない光る小石が鍵となって自分の空腹に気づく主人公の心の動きを、波音と砂浜、月だけの舞台で描いていけたらと思います。
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