梗 概
記録の神
「結局、俺らは信用してもらうために、莫大なコストを払ってるわけだ…」
山下は隣に座る女子にそう話しかけた。
「私はこういうものです、っていう肩書とか証明書もそうだし、あなたに好意がありますよ、というのを示すためにこうやってお金をかけてる。」
やめて、という声に聞こえないふりをしながら、山下は上半身を近づけて彼女の太ももに手を置く。
「動物は疑うけど信用はしない。ライオンに食べないよ、って言われて信用するシマウマはいない。このぼったくり価格の飲み物も、対価を払うと出て来るってことが信用できなきゃ頼めない。で、そんな信用の元が、過去の記録や記憶ってわけだ。こうやって毎日指名してるっていう記憶がミキちゃんに貯まることで、いつの日か…ね。」
「山下さんのツケ払いっていう言葉も、もう少し信用されるための努力をなさっても良いんじゃないですか?」
冷たいママの視線も、同じように見えないふりをしてやり過ごす。
ビッグデータによる個人信用のスコア化や、ブロックチェーン型の仮想通貨。これらも過去を信用の理由にするシステムと言える。記録や履歴などのログを正しく残しておけば、取引の正当性も、価値基準も、ログを参照することで正しいことがわかる。そして、インターネットが生まれてちょうど100年経った現在では、日々増大する膨大なログが莫大なコストとして課題になりつつあった。
山下は二日酔いの頭でなんとか言葉を絞り出す。昨晩の事は何も覚えていない…
「我々が発見したのは、圧倒的に堅牢で、膨大なデータを低コストで手軽に保持できる記録メディアです。もはや口承も、石版も、紙も、分散保存された電子データも不要。たとえ人類が死に絶えても記録は残ります。」
山下らチームは、数万年単位で劣化せず、核シェルターよりも安全、世界中の電子データを合わせても1ブロックの容量の数%にも満たないという大容量記録装置を実現したのだった。
「記録や履歴を安全に保管するためのコストから解き放たれれば、我々はもっと未来に向かって自由に生きていけるはずなのです。今までのことは全て過去のデータが知っているのですから…」
完全無欠の記録装置。人々はこぞって取引記録を、作品を、生きた証を記録した。ライフログすなわち自己同一性の証明となった。データベースは世界そのものを飲み込み、拡大していった。
人はもう、信じたり、裏切られたりしない。記録装置に相手の与信を問い合わせるだけでよいのだ。宗教を信じる必要もない。全てはこのデータベースの中に刻一刻と保存されていくのだ。何を不安に思う必要がある?必要があれば信用に足るだけのデータを参照すれば良い。だがもはや、データが必要とされることはない。記録が存在すること自体が正しさの証明なのだから…。記録装置は現代の聖書になった。そう、自分たちよりも信用できる何かであれば、なんだって神になるのだ。
山下は自らが作った記録装置の行く末を見ること無く、プレゼンテーションの1年後、金銭トラブルにより殺害。最後の言葉は「金ならあるんだ。信じてくれ…」だった。彼の存在は誰にも記憶されることはなく、ただ、事件の記録だけがデータベースに残った。
文字数:1303
内容に関するアピール
神の存在は信じることから生まれる。信用したい、信頼してほしい、信じたいと言う人間の気持ちが生み出す神は人の姿をしている必要も、言葉を使う必要もない。人間以上に信用に足るもの、自分の存在を証明してくれるものであれば、それでよい。僕らは神から信託を受けるのではなく、神に信託する。それならば、「記録」に信託し、「記録」を神として崇める宗教もあり得るのではないか?ということで、何も考えず何も提示しないただの膨大なログの集合体が神になるという可能性を考えてみました。作った人が神にならないように山下は技術は凄いけどダメ人間として描き、記録には残らないであろう悲哀みたいなものも描いていけたらと思います。
文字数:298