梗 概
セレーネの娘
西暦1908年、地球軌道に接近してきた小惑星があった。
小惑星は地球近傍で砕け、その一部分は落下し、シベリア、ツングースカ上空で大爆発した。
残った小惑星は地球に捕獲され、第二の月と化した。ジャガイモのようないびつな形をしており、直径はおおよそ20キロ。静止軌道の内側約3万キロの高度を周回し、公転速度は地球の自転速度より速いので、1日に2回西から上り東へ沈む。
第二の月になった小惑星は、ギリシャ神話に登場する月の女神セレーネの娘である「パンディア」と名付けられた。
その有様を目撃していた、ロシアのツィオルコフスキーは、雑誌に論文を発表し、ロケット開発を提唱する。論文は評判になり、異端の学者でしかなかった彼に脚光が当たった。革命を経てロシアは宇宙大国、ソ連に変貌した。
世界大戦に突入すると、ドイツ帝国は巨大な大砲を作り、パンディアへ向けて撃った。しかし砲弾は届かなかった。
1920年代、世界的にロケットブームが起こり、パンディアを目指した宇宙開発競争が勃発する。世界恐慌からの脱出手段、あるいは現実逃避の手段として、世界中のひとびとはパンディアを見上げ、そこを目指して飛ぶロケットに熱狂した。
ナチスドイツはパンディアへのレースに勝利することをぶち上げた。スターリンのもと工業化に邁進していたソ連、ゴダードによる液体ロケットの開発に成功したアメリカがそれに続く。
1936年、オーベルト、フォン・ブラウンらによって製作されたナチスドイツのロケットが、いちはやくパンディアに到着する。表面にはハーケンクロイツの旗が立てられ、リーフェンシュタールによる記録映画が世界中で公開された。
1939年、第二次世界大戦が勃発するが、いまだにパンディアにたどり着けたのはナチスドイツだけだった。
ナチスドイツはパンディアの領有を宣言し、軍事基地化が進められていた。
基地を作られると、全地球が攻撃範囲になる。さらに開発中と噂される原子爆弾が配備されたら、全世界はナチスに支配されることになる。それを阻止するために、米英ソの合同で攻略する計画が練られた。
ソ連製のロケットで打ち上げられた部隊は、レーダーをかいくぐり、パンディアの反対側に着陸する。
基地にはヴァルター機関を搭載したパンター戦車が配備され、鉄壁の防御を誇っていた。
攻撃法を議論する中で、イギリス軍のアーサー・C・クラーク少尉が「地下から攻め込む」案を提唱した。重力が小さく、内部がスカスカのハイドレートであるパンディアは、トンネル掘削が極めて容易である。
掘り進んでいくうちに、奇妙なものを発見した。金属製の物体。クラーク少尉曰く、地球外生命体の残したものではないかという。内部に入り、一行は棘皮動物のような地球外生命体――パンディアンとのコンタクトに成功する。
かれらは自らの星系の小惑星を改造し、恒星船として太陽系にやってきた。そして自らは休眠して小惑星帯を周回していたが、19世紀の産業革命で地球上に工業文明が本格化したのをキャッチし、地球軌道に移動してきたという。さらに、レーダーの実用化で電離層を超えて電波が届くようになり、目が覚めたのだ。
ナチスはパンディアンの遺跡を発見していた。しかしコンタクトに失敗し、ナチスの基地は滅ぼされる。
パンディアは静止軌道に移動する。そして、カーボンナノチューブが二本、地球表面と宇宙空間に向かって反対方向に伸ばされた。
軌道エレベータを建造することが決定された。廃棄物は軌道エレベーターのアンカーウェイトとして使われることになった。
かくして、1945年。第二次大戦が終結するとともに、パンディアは人類の宇宙への階段になったのだった。
文字数:1502
内容に関するアピール
人類が月に最後に訪れたのは1972年。それから46年経つのに、なぜ、月に行けないのでしょう。予算などの問題はあるでしょうが、最大の問題は、月までの距離が「遠すぎる」ことにあります。
対して火星は、表面からほど近いところにフォボス、ダイモスという小さな衛星が回っています。とくにフォボスは静止軌道の内側を周回し、地球の月よりもはるかに「手が届きやすい」存在です。地球にもこのような「足がかり」があれば、宇宙開発はもっと発展したのではないでしょうか。そのような思いを持って書いてみました。
登場するのは、ツィオルコフスキー、フォン・ブラウン、はたまたクラークなど実在の人物です。そこにファーストコンタクトも織り交ぜて、「もうひとつの歴史」をリアルに書いてみたいと思います。
文字数:332
セレーネの娘
歴史が始まってから、人類はずっと月を見上げてきた。地球の唯一の衛星であり、最も身近な天体である。
これは、空にもうひとつの月が加わった、もうひとつの20世紀の物語である。
1908年6月30日、そのとき現地は朝だった。
中央シベリア、エニセイ川の支流であるツングースカ川の上空で、突然大爆発が起きたのだ。
それは当時、火山の噴火以外では、人類が経験した最も巨大な爆発だった。
爆発に伴う爆風と衝撃波で、約2,150平方キロメートルにわたってタイガの樹々がなぎ倒され、半径数十キロにわたって山火事が発生した。衝撃波は千キロ離れた家屋の窓ガラスを粉砕した。シベリアの人口希薄な地帯だったので、人身の被害は報告されなかったが、おびただしい数のトナカイが衝撃波で死んだ。
大都市を直撃しなかったのは、幸運でしかなかった。
空にはもう一つの異変が起こっていた。
地球上のヨーロッパから大西洋を挟んでアメリカ東海岸に至る地域、地球の1/3のものは見た。夜空の一点に見慣れないひとつの星が輝いているのを。
偶然、フランスの天文台がそれを観測していた。
その光点はパリから見ると南南西の方向に、35度の仰角を持って、空の一点に制止しているようだった。
それは、小惑星が地球の自転とシンクロする軌道――静止軌道に乗ってしまったからだった。ツングースカ上空で大爆発したのは、その小惑星の片割れであることも判明した。
1801年にケレスが発見されて以来、小さな惑星が火星と木星の間を周回しているのがいくつも発見されたが、この星もそのひとつらしかった。
小惑星から一部分が離れ、軌道を外れていくのも観測されていた。
その年の夏は、例年になく明るかった。白夜地帯から外れているロンドンでも、深夜に戸外で新聞が読めたほどだという。ツングースカで爆発した隕石の微粒子が大気中に漂って、太陽光を乱反射し続けているからだ、と言われた。
その明るい空のなかでも、新客は南東の空にひときわ明るく輝いていた。
可視地域にある天文台は、こぞってこの、第2の月を隅々まで観測した。
形は地球や月のような球形ではなく、でこぼこしたジャガイモのような姿。その直径はおよそ20キロ、月の170分の1しかなかった。
表面は月を縮小したような感じで、あちらこちらにクレーターが出来、所々が欠けたようにへこんでいる。ツングースカ上空で爆発したのは、その小惑星から分離した破片だったのだ。剥がれた後は新しく、望遠鏡で一目見て判別が可能だった。
現在は92時間の周期で自転していた。しかし、やがて潮汐力によって自転と公転の周期が一致してしまい、第一の月のように、同じ面しか見せなくなることが予想された。
天文学者の国際会議でつけられた名前は、パンディア。ギリシャ神話に登場する、月の女神セレーネと最高神ゼウスの間に産まれた美貌の娘だ。
ギリシャ神話の月の女神はアルテミスでは、という意見もあったが、彼女は処女神。娘はいないのだった。
天文台はパンディアの表面を精密に観測し、山――出っ張り、海――凹地、それにクレーターの一つ一つに、名前がつけられた。
夜空はほんの少し、賑やかになった。
星を愛する者たちは空を見上げて、言葉を交わした。
「不思議なものだな。空の一点で動かないとは」
「自転速度と、パンディアが軌道を周回する速度が、同じなんだよ」
人類ははるか昔から、夜空に浮かぶ月に行くことを夢観ていた。現実にそれが叶わないことだと知ると、空想の世界で月に旅立った。
フィクションで描かれた月旅行は、古代ギリシャの詩人ルキアノスが書いた『本当の話』がその魁だと言われている。『竹取物語』、あるいはシラノ・ド・ベルジュラック『月世界旅行』など。洋の東西を問わず、書かれ続けた。
科学技術がひとびとに新たな知見を与えると、月が地球の周囲を回る衛星だと言うことが判明してから、現実的な手段で月に行くことが構想されるようになった。
突然現れた第二の月を見上げて、H・G・ウェルズのあの小説を思い浮かべたものもいた。
「火星人の宇宙船ではないか」
たしかに、パンディアの大きさは、推測されていたフォボスのそれに近似している。じつはフォボスは火星人の宇宙船で、地球軌道まで移動してきたのではないか。
しかし、フォボスはまだ存在していることが確認された。
パンディアの故郷は小惑星帯であることが、軌道から推測された。
あるいはジュール・ヴェルヌの有名な小説を思い浮かべた。『月世界へ行く』。フロリダに巨大な大砲を作って、ひとの乗った砲弾を月に向かって撃ち、周回して地球に戻ってくるという作品だ。
ヴェルヌは3年前に世を去っていたが、この物語は、世界の人々を魅惑し続けてきた。しかし月――第一の月はあまりに遠く、実現可能な手段で行くことが困難だった。
そこで唐突に、もっと近い距離に「第二の月」が出現したのだ。我々が今持っている科学技術力を使えば、そこなら手が届くと考えるのは、あまりに自然ではあるまいか……。
パンディアが現れた直後、革命前夜のロシアで、ひとつの論文が注目された。
著者はコンスタンチン・ツィオルコフスキー。ロシア中央、ペテルブルグでは無名の田舎教師だった
それまでの彼の人生は、苦難に満ちていた。
ロシアの田舎に生まれ、子供の頃の病気で難聴に陥り、ラッパ状の補聴器を手放せない身体になった。正規の教育を受けず独学し、黒パンをかじりながらモスクワの図書館で万巻の書をひもとき、物理学や天文学、数学を勉強した。その中で彼は「ロシア宇宙主義」という思想に接近していった。
その草分ははニコライ・フョードロフという図書館司書で、自然を制御することによって重力の克服、さらに人間を不死化し、死者を復活させる。それを実現するために全人類は一体になるべきだ、と唱えたのだ。彼の思想はドストエフスキーやトルストイなども影響を受けたとされる。そして孤独の中にいたツィオルコフスキーは、その超越的な思想に強く惹かれたのだ。
彼は宇宙へ行く方法を真剣に考えるようになった。ジュール・ヴェルヌが空想したような、巨大な大砲で打ち上げる方法では無理なことは、わかりきっている。
彼はロケットに着目した。大砲ではなく、ロケットを使って推進していけば、宇宙に行くほどの速度を出すことが可能ではないか。
それも中世からある、筒に火薬を詰めて火をつけるロケットではなく、液体の燃料と酸化剤(酸素そのもの、あるいは酸素を発生させる物質)を混ぜて火をつけ、高い推進力を得る液体ロケットを構想した。
仕事の傍ら研究を重ね、彼は1897年にひとつの公式を導き出したのだ。
噴射ガスの速度が大きく、ロケット点火時と燃焼終了時の質量比が大きいほど、ロケットはより大きな速度を得られる。のちに彼の名前をとって「ツィオルコフスキーの公式」と呼ばれた、宇宙旅行には絶対の基礎になる公式だ。
しかしその時点でも、中央アカデミズムは彼を黙殺し続けた。ただの難聴の田舎教師に過ぎなかった彼は、今回の事態によって思いもかけない脚光を浴びたのだ。
論文は『反作用利用装置による宇宙探検』といういかめしいタイトルで、パンディアが第二の月となる5年前に出版されていたのだが、その内容は刺激的だった。宇宙へ進出するための、空想ではなく科学的な根拠を持った方法が書かれていたのだ。
宇宙には酸素が存在しないので、酸素を持っていく。火薬を燃やすよりもはるかに大きな推進力が得られ、推力の調整も出来る。
さらに彼は、燃焼の終わった下段を切り離し、上段のみが飛んでいく多段ロケットを構想した。多段式のロケットはロケットの質量比を大きくするのに最適だった。
章題で、彼は高らかに宣言した。
「今日の不可能は、明日可能になる」
ツングースカ大爆発の起こった国で、宇宙への興味は激しくなった。その熱気の中で、たちまちのうちに、彼は寵児となったのだ。
そして第一次世界大戦のさなかの1917年、帝政ロシアは崩壊し、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦が誕生したのだ。
ロシア宇宙主義は、ボルシェビズムと合流することになった。革命成就後、レーニンはこういった。
「ツィオルコフスキーこそ、新生ソビエト連邦が誇る科学の星である。我々は近い将来、星の世界に進出することになるだろう。それは共産主義ソビエトの、資本主義に対する優位性の証明である」
ツィオルコフスキーは、科学アカデミーの会員になり、ソビエト連邦最重要人物のひとりになった。
帝政ロシア時代は「異端」であったロシア宇宙主義は、新生ソビエトの「国教」になった。レーニンが死に、スターリンがその跡を継いでも、国教は護持された。
ソビエトの科学技術は飛躍的に進歩し、巨大なロケットが試作されるようになった。
今や国家的大プロジェクトのリーダーとなったツィオルコフスキーは、晩年、有能な愛弟子を得た。
彼の名は、セルゲイ・コロリョフ。
ツィオルコフスキーが思想家だったのに対し、彼は技術者だった。彼の元で、ロケット開発は、着々と進展した。
しかし、ソビエトロシアは建国時から敵に囲まれていた。生まれて間もない国を守るため、すべてを秘密主義のヴェールの奥に隠そうとした。他国がロケット開発の全貌を知ることはなかったのだ……。
1925年。
ヴァイマールにある寄宿制の学校に、ひとりの生徒がいた。
彼の名はヴェルナー・フォン・ブラウン。
名前に「フォン」が入っていることから分かるように、彼の生まれはポメラニアの名門貴族の家だった。父親は男爵で、母親はこの時代の女性には珍しく、科学や数学に対する理解があった。
じつは、彼がこの学校に入れられたのには、ロケットが関係していたのだ。
12歳のときだった。ロケット動力の自動車が素晴らしいスピードで走るというニュースに興味を持った彼は、自分でも試してみたくなった。ゴミ捨て場にあった手押し車を修理して、ロケット花火を大量に買い込み、載せた。
子供らしい思いつきかも知れないが、あろうことか、彼はその「実験」をベルリンのど真ん中、人々で賑わう繁華街であるティーアガルテン通りで行ってしまったのである。
「実験」は兄と二人で行った。ヴェルナーが花火の一本に火をつけると、火花が吹き出し、すべての花火に火が燃え移った。手押し車はすごいスピードで、大通りを炎を曳きながら暴走した。果物屋の店先に飛び込み、商品の林檎が大量に転がった。往来の人々は叫び声を上げて逃げ惑うだけだった。
ふたりは警察に連れて行かれ、こってりと油を絞られた。引き取りに来た父には自宅謹慎を命じられたが、ヴェルナーのロケットへの情熱は消えることはなかった。親の目を盗んで、こっそり実験を繰り返した。
それも露見し、父親は決断をした。彼の性根をたたき直すべく、厳しい規律で有名な寄宿制の学校に放り込んだのである。
しかし、彼は学校の図書館で一冊の本に出会うのだった。ヘルマン・オーベルトというルーマニア生まれのドイツ人が書いた『惑星間空間へのロケット』。
宇宙へ旅立つことは現在知られている技術で実現可能であり、数十年のうちに実現できると書いてあった。少年はそのヴィジョンに興奮した。しかし他の部分は専門的な数式が並んでいて、彼の手に負えるものではなかった。
「なにが書いてあるのか、教えて下さい」
教えを乞う少年に、教師はこんな有益なアドバイスをしたのだった。
「わたしがこの場で説明するよりも、ヴェルナーくん、自分自身で理解することが大事だと思う。そのためには、数学と物理学をうんと勉強しすることだね」
フォン・ブラウンは素直にアドバイスを実行した。すると、本の内容を理解することができ、たちまちのうちに理工系科目の優等生になった。飛び級で学校を卒業し、ベルリンの大学に入った。
パンディアが第2の月になって脚光を浴びたツィオルコフスキーの論文は、直ちに各国語に翻訳されて、宇宙への旅立ちを夢観る者たちに広く読まれた。
フォン・ブラウンが読んで感銘を受けた本の著者、ヘルマン・オーベルトもそのひとりである。彼も幼少の頃、ヴェルヌの小説を読んで月旅行に憧れ、ツィオルコフスキーの影響を受けて宇宙旅行に関する論文を著した。
論文はアカデミズムには無視されたが、『惑星間空間へのロケット』として出版すると反響を呼び、「宇宙旅行協会」が設立された。
ドイツはこの頃、大戦後のハイパーインフレを克服し、相対的な安定時期にあった。
1927年。
ドイツ映画『パンディアの少女』が製作された。フリッツ・ラング監督作品。ロケットがパンディアに着陸し、原住民の娘と恋に落ちるというファンタスティックな筋立てだ。
オーベルトは映画の宣伝として液体ロケットを製作することになった。実際に打ち上げて、パンディアまで届かせようというのだ。
壮大すぎるそのもくろみは、映画の宣伝のレベルを超えるものだった。結局オーベルトは失敗したが、名前を売ることには成功した。
1929年。ウォール街の株式市場暴落をきっかけに、世界は大恐慌に陥った。失業者は街にあふれ、炊き出しに列をなした。会社は倒産し、株券は紙くずになった。
ドイツの政情はふたたび安定になった。
クーデター未遂で一時規制されていたナチスの活動は再び活発化し、突撃隊は街頭で左翼勢力と激突を重ねた。
しかし、ひとびとがパンディアを見上げる眼差しの熱っぽさが失われることはなかった。
宇宙旅行協会の活動は拡大していった。その中で、ヴェルナー・フォン・ブラウンは宇宙旅行協会に加入した。
さらに新たなパトロンになったのは、軍部だった。
ドイツはヴェルサイユ条約で大型火砲の製造を禁じられていたが、条文にある「火砲」にはロケットは入っていない。その抜け穴をつき、砲弾を遠くへ飛ばす方法としてロケットを活用しようともくろんだのだ。人材を引き抜かれた「宇宙旅行協会」は解散を余儀なくされた。
軍の助けを得て打ち上げられるロケットは、次第に大きくなった。
1933年。ついにヒトラーは首相になった。
国会放火事件に関与していたとして共産党を非合法化し、「長いナイフの夜」でナチス内部の不満分子を粛清。ヒンデンブルクの死により大統領を兼任、ヒトラーを「指導者(フューラー)」とする支配体制が確立したのである。
ナチスは再軍備に邁進すると同時に、国威発揚のプロジェクトをいくつも立ち上げた。その最重要課題が、パンディア探査計画だったのである。
パンディア探査計画をナチスが推進した理由はほかにもあった。
パンディアの存在こそ、ナチスが支持する「宇宙氷説」の証明ではないかといわれたのだ。
「宇宙氷説」とは、20世紀初頭にドイツの学者、ヘルビガーが唱えた異端の学説である。
月をはじめとする宇宙の天体は氷で覆われており、地球に次第に近づいて落下している。その有様は神話などに残っており、現在の月は5代目だというのだ。
当時ですら異端の学説だが、パンディアの組成の多くが氷であると言うことは、この理論に何らかの真実性があるように思わせた。
そしてヨーロッパから大西洋を挟んだ向かい側のアメリカには、ロバート・ゴダードという人物がいた。
彼もまた、子供時代にヴェルヌやウェルズのSF小説を読みふけり、宇宙へ行く夢を見た。
大学教授になったが、中央アカデミズムとは独自に実験を行い、液体ロケットを、ツィオルコフスキーやオーベルトに先んじて成功させたのだ。
しかし、ゴダードはアメリカではなかなか報われることはなかった。「高高度に達する方法」という題でロケット推進の可能性を説く論文を発表したとき、ニューヨークの有名な新聞に「ロケットは後ろの空気を押して進むのだから、宇宙を飛べるはずがない」と書き立てられたのだ。
ロケットの飛ぶ原理を全く理解していない社説を書かれたことに心底失望した彼は、実験結果を公表することに非積極的になったのだ。
悪いことは続いた。成功したロケット実験を「失敗」と地元の新聞に書き立てられ、それが原因でマサチューセッツ州内でのロケット実験を禁止されてしまったのだ。
しかし、彼に転機が訪れる。太平洋無着陸横断飛行の英雄、リンドバーグが彼の実験に興味を持ったのだった。
「あなたの研究は素晴らしい。今度は、あのパンディアに行こうじゃないか」
彼の後押しでグッゲンハイム財団からの資金を得て、ロケット開発に邁進した。ニューメキシコ州の砂漠に射場が作られ、ロケットは次第に大きくなった。
ゴダードの研究は、オーベルトの知るところになった。オーベルトはゴダードを自分のチームに呼ぶことを提案したが、ゴダードはそれを断った。
あくまでもアメリカで
1930年代も半ばに入ると、ゴダードのロケットは宇宙空間へ届くようになった。
「周回軌道に乗せられる――人工の月を作ることが出来る。そしてパンディアに手が届く日も近いだろう」
ゴダードはそう確信した。
ツィオルコフスキー、オーベルト、そしてゴダード。20世紀の初頭は、宇宙を夢観た科学者たちが脚光を浴びた時代だった。
ひとつの天体が地球の周囲に迷い込むことさえなかったら、かれらは在野の変人研究者として、報われることなく生を終えていただろう。
かれらのささやかな研究は大企業や国を巻き込み、巨大なプロジェクトになっていったのだ。
それは1936年に、ひとつの成果をもたらすのだった。
1917年12月。イングランドの田舎、マインヘッドにひとりの男児が産まれた。
彼の名はアーサー・C・クラーク。
農家の息子として育ちながら、少年時代に読んだSF雑誌で宇宙への夢を膨らませた。 1936年にグラマースクールを卒業して公務員になると、英国惑星間協会に入会する。世界的なロケットブームに呼応して設立された団体で、宇宙旅行についての技術的な検討を行っていた。
そしてこの年、アーサー・C・クラーク青年は、一本の映画を見る。
レニ・リーフェンシュタール監督の映画『パンディアの征服――民族の勝利』。パンディア打ち上げ計画を扱ったドキュメンタリーだ。
タイトル映像に続いて、宇宙飛行士の選抜試験と訓練の有様が映し出される。陸海空軍、そしてナチスの親衛隊、突撃隊から志願した精鋭たちが、厳しい選考でふるい落とされていく。
飛行士たちを面接するのは、自らも大戦のエースパイロットだった空軍総司令官、ヘルマン・ゲーリングだ。
遠心分離機にかけられてぐるぐる回される。急降下する飛行機内で無重力を体験する。不時着時のサバイバル訓練。
場面は変わって、宇宙船「マーナガルム」(北欧神話に登場する、月を追いかける狼)の開発、建造の一部始終が語られる。
ドイツ南部に広がる黒い森、シュワルツヴァルトを切り開いて造成された宇宙基地。
ロケット発射台と、ロケットを整備するための施設が、広大な敷地に立ち並んでいる。
その中でもひときわ大きな建物はロケットの格納庫だ。「ケルン大聖堂より高い」とナレーションが入った。内部ではロケットの調整が行われ、スタッフがかいがいしく働いていた。
その作業を主導するのは、フォン・ブラウンだ。まだ20代の若さで、このときまだ大学院生だったが、軍にスカウトされてロケット開発の要職に就いた。今回のロケット開発において指導的役割を果たす彼は、現場でもひときわ目立った。
「われわれがアグレガード(集合体)と名付けたロケットの開発を始めてから、6年が過ぎようとしています。
はじめはおもちゃのようなもので、何度も失敗を重ねました。1933年、A4ロケットがはじめて大気圏を突破し、宇宙空間に達しました。そのデータを元に、順調に機体を大型化させていきました。今回いよいよパンディアへの着陸に挑みます」
彼の説明はよどみない。
「1935年。われわれは地球を回る軌道上に人工衛星を打ち上げることに成功しました。しかし乗ったのは低軌道で、パンディアの軌道に乗るにはまだ推力が足りません。A11ロケットは、その問題を解決するために付け加えられる最下段です」
フォン・ブラウンは模型の前に立つ。
「これが、人類をパンディアに送ることが出来る、A11ロケットです。
みなさんもご存じの通り、地球には重力があります。この重力を振り切って宇宙へ行くためには、飛行機や鉄道の比ではない速度を出さねばなりません。具体的には秒速7.9㎞。じっさいには空気抵抗などを考慮しなくてはいけませんが、この速度を出すことが出来れば、物体は地球の重力に打ち勝って宇宙空間へ到達し、地球を周回する軌道に乗ります。あくまで最低限のもので、この速度で打ち上げても軌道はせいぜい高度数百㎞。軌道の高いパンディアにたどり着くには。もっと大きな速度が必要です。それは秒速10.2㎞。これだけの速度を出すには、未曾有の大きさのロケットが必要になりました。
ロケットシステムは4段からなり、第一段のロケットシステムはいちばん巨大で、前兆は33m、胴体の直径は11m。その内部は殆どが燃料のエチルアルコールと液体酸素――宇宙では空気がないので酸素を持っていきます――のタンクで占められています。
第一弾はロケットエンジンが50基取り付けられており、ぜんぶ合わせた推力は1万2千トン。打ち上げてから385秒後、燃料と酸化剤の全てが燃焼しますと、切り離して二段ロケットに点火します。
二段ロケットの噴射によって、地球を周回する楕円形の軌道に乗ります。地球から遠い地点がパンディアの軌道です。マーナガルムが遠地点に達し、パンディアと接近したとき、第3段ロケットを噴射してパンディアとランデブーします。表面を観測して着陸に適したところを定めると、着陸船を切り離して着陸。パンディア表面に飛行士が降り立ちます。
帰還するときは着陸船が上昇して周回中の宇宙船とランデブーします。近地点に達したときに残りの燃料を噴射して地球の大気圏に再突入します。
大気圏再突入時は大気の断熱圧縮で高熱を発しますが、表面に施した特殊処理で飛行士を保護します。大気が濃くなったら、パラシュートを展開、地球表面へ軟着陸します」
そして、発射の日を迎える。
格納庫から引き出され、発射台に据え付けられたロケット。
巨大な紡錘形のフォルムに、矢羽根のような尾翼。白と黒の市松模様に塗られた胴体。巨大さを殊更強調するようなアングルで映されている。
その胴体には燃料のケロシンと液体酸素を満載し、酸化剤のタンクは極低温で白く煙が立っている。ヴァルター機関を動力とするタービンで、50基ものロケットモーターに送り込み、最大10万トンもの推力を出す。
管制室で見守るのはフォン・ブラウン。
栄えある飛行士はヴィルヘルム・シュミット中佐とジーグフリード・ラグーゼ大尉。国防軍から選抜されたエリートであり、無論国家社会主義ドイツ労働者党の忠勇なる党員だ。
飛行士は手を振って乗り込む。キャットウォークが外され、準備が整った。
発射場近傍の丘や農場には、この壮挙をひとめ見ようと無数のひとが群れ、その一部始終はラジオでドイツ国内に生中継されていた。全ドイツの家々では、国民ラジオの前に一家が集まり、固唾を呑んでいた。
カウントダウンが始まる。
「3分前」
作業車が離れ、乗組員以外のスタッフは万一の事態に備えて待避壕に隠れる。
空は快晴だ。
いよいよ、ロケットに点火する。
「5(フュンフ).クライナー・ガンク」
小規模運転。種火を点火する。
「1(アイン).グロッサー・ガンク」
大規模運転。エンジンを本格的に始動させる。
「0(ヌル)! ロケット離床」
ノズルから火の玉が吐き出され、盛大に煙が上がり、巨大なロケットも煙に隠される。
「1……2……3……4……5……」
地響きのような轟音とともにロケットはゆっくりと発射台を離れ、液体酸素タンクに張り付いた氷をバラバラと落とし、バリバリと空気を引き裂く音をばらまきながら上昇していく。
「10……20……30……」
火の玉の後ろに白い煙を引いて小さくなるロケット。
飛跡に残る白い雲は、イタリアやフランスからも見えたという。
カウントが終了し、一定高度に達すると、まず固体燃料のブースターロケットを切り離す。燃料が尽きた下段を切り離し、中段に点火する。
マーナガルムはいったん、地球に近い低軌道を周回する。赤道上空でロケットを噴射し、遷移軌道に乗る。
重力と遠心力が釣り合う自由落下――無重力状態。詮無いでは水が玉になって浮かび、人間もふわふわ浮いて移動する。食事はチューブ入りだ。
そしてマーナガルムは遷移軌道に乗る。パンディア付近に遠日点を持つ、細長い楕円状の軌道だ。周回するうちにパンディアに近づいていく。
ランデブー軌道に乗る。着陸船を分離し、そろそろとロケットを噴射してパンディアに近づいていく。
着陸船は、背の低い六角柱の形をしている。下部に4本の足と離脱用のロケットを備えている。乗員ふたりは宇宙服を着込んでいる。着陸船内は気密構造になっていないのだ。地球に帰還するまで、生活のすべては宇宙服を着たまま行う。
バーニアをふかし、速度を調整する。徐々に表面が近づいてくる。ついにパンディアにランディング。
アンカーを放出し、固定する。
降り立った場所は表側クレーターの内壁だった。
扉が開く。宇宙服姿の飛行士が顔を出し、足を踏み出す。人類がはじめて地球以外の星に足を降ろした瞬間だ。
引力の殆どないパンディアでは、歩こうとしても表面から浮き上がってしまう。着陸船とのあいだに命綱をつけてふわふわと跳ねるように移動する。
飛行士はざくざくした表面にハーケンクロイツの旗を立てた。仕込まれていたワイヤーがはじけ、はためくように見える。
宇宙飛行士は右手を伸ばし、ハーケンクロイツに敬礼を捧げた。
「この偉大なる一歩を、我らがフューラーに捧げる。我らが祖国の勝利に万歳!(ジーク・ハイル) 我らが指導者に万歳! ハイル・ヒトラー!」
そしてふたりは、表面の石を採取し、観測を行った
飛行士の背後には、地球が大きな青い球になって映っている。
1日後、かれらを乗せたパンディアがちょうど地球を一周したとき、着陸船はパンディアを離れる。
軌道上の宇宙船とランデブーして、トランスファ軌道に乗る。近地点に達したとき、ロケットモーターをふかして大気圏に再突入する。
宇宙船の部分は燃え尽き、釣り鐘型の離脱ポットが切り離され、高熱に耐えてパラシュートを展開する。
そして宇宙船は西太平洋に着水したところを偵察ヘリコプター、フォッケウルフFw61に発見され、ポケット戦艦「ドイッチュラント」に引き上げられる。
ドイッチュラントはキール軍港に入港し、飛行士はナチス党大会が開かれているニュルンベルクへ、特別列車で向かう。沿線は英雄を迎えるひとびとが鈴なりだ。
会場に到着した。
すでに祝福する音声はパンディアの上から届けられていたが、飛行士の凱旋は党大会のクライマックスに用意されていたのだ。
会場は熱気に溢れていた。
ナチス党員。親衛隊。ヒトラーユーゲントの若者たち。
ひな壇の下には、技術者陣が居並んでいる。
プロジェクト責任者のオーベルト、隣に立つ若い男はフォン・ブラウン。
居並ぶ党の高官たち。シュペーア、ゲッベルス、ヒムラー、ヘス、ゲーリング。そして総統(フューラー)、ヒトラーが現れる。
飛行士は登壇し、ヒトラーにパンディアから採取した石を渡した。そして敬礼。
「ただいま、帰投いたしました。パンディアの石をわが総統に捧げます。ハイル・ヒトラー!」
割れんばかりの拍手。
ヒトラーは、興奮もそのままに、党員に向かって演説をぶった
「偉大なるゲルマン民族の優位性が今、証明された。偉大なる足跡を天に印したのだ! 遠からず、われわれはすべての星々を手中にするであろう! ドイツ民族の生存圏は、無限に拡がっていく。祖国の栄誉のために! 国家社会主義万歳! ジーク・ハイル! ジーク・ハイル! ジーク・ハイル!」
ヒトラーは感極まって叫んだ。
暴風のごとき歓声と拍手。紙吹雪。ひとびとが連呼する「ハイル・ヒトラー!」の響き。
ヒトラーとふたりの飛行士を乗せたオープンカーのパレードを映しながら、映画は終わった。
クラークは打ちひしがれたように映画館を出た。
(あいつらは、ここまで進んでいたのか……)
振り返って、われわれの協会はどうだ。ただディレッタントとしてサロンで話し合うだけで、なにも前に進んでいない。七つの海を制覇した大英帝国は、宇宙には興味を持たないようなのだ。
それに、ヒトラー政権のきな臭さと言ったら……。
しかし、この映画を最高潮にして、世界のパンディア熱は急速に冷めていったのだ。
この頃には、パンディアはその殆どが水や炭素、それに石質が集まって出来たゆるい塊で、金属の鉱物資源は殆どないことが確認されていたのだ。到着前に期待されていた資源的価値は、ほぼない。
さらに着陸をドイツが大々的に宣伝したこともあって、宇宙旅行とはファシズムのプロパガンダでしかないと見なされた。
決定的だったのは、世界がしだいに戦雲に覆われ、それどころではなくなったことだった。
マーナガルム計画が進行していったのと同じ頃、スペインではフランコ将軍がクーデターを起こし、内戦が勃発した。内戦は「自由社会とファシズムとの戦い」と位置づけられたが、ドイツはフランコ将軍を応援する義勇軍を送り込み、ゲルニカでは大量のひとびとが町ごと焼かれたのだ。
ヒトラーは領土への野望を隠さなくなった。中欧の殆どを併合し、ついには1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻した。世界大戦が再び始まったのだ。
ドイツ機甲師団は「電撃戦」で進軍し、瞬く間に東欧を蹂躙し、パリを陥落させた。ドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)の戦闘機はドーバー海峡を越えた。
ロンドン市民は、空爆の恐怖におびえた。
「パンディアからナチが爆弾を降らせてくるかもしれない」
そんな噂が、ロンドン市民の間を徘徊した。
ナチスはパンディアの軍事基地化を公言した。
「われわれは地上の全てを監視し、打撃を与えることが出来る」
矢継ぎ早にロケットを打ち上げ、恒久的な基地を作った。望遠鏡が据え付けられ、地上を監視することが可能だ。
ドイツの進撃には、パンディアから地上を偵察した情報も大きく役立っていた。偵察機よりもはるかに高い高度をなので、撃墜もされない。
さらに、パンディアからは地球上の雲の動きもすべて見えるのである。正確な気象情報も軍の展開に大きく資した。
遅ればせながら、ゴダードの研究は実り、アメリカも人工衛星の打ち上げに成功した。静止軌道には及ばない、低軌道である。
しかし、パンディアにあるナチスの基地を攻撃することなど、思いもつかなかったのだ。
ドイツ軍はドーバー海峡に展開し、グレートブリテン島を伺っていた。上陸作戦は秒読みかと思われた。
その中で、クラークはある決断を行った。
自らも遠からず徴兵されることになるだろう。その先を読んで、軍に志願した。
はじめはレーダー開発に携わっていたが、ある日、本部へ出頭を命ぜられた。
「きみは宇宙開発の団体に携わっていたそうだね。わが軍も今後、宇宙へ展開することを考えている。きみのような知識を持つものは今後わが国にとって有用な存在になるだろう。これが命令書だ」
クラークは秘密部隊に転属になった。そして密かに訓練を受ける日々が続いた。そうしているうちに、戦局は変化を始めた。
1941年。ドイツの大軍団は雪崩を打って、ソビエト領内に侵攻した。バルバロッサ作戦の始まりである。
はじめこそ破竹の勢いでヨーロッパロシアを進軍したが、やがて、作戦行動が困難になる極寒のロシアの冬がやってきた。
ドイツの誇る機甲師団はモスクワを目前にして、停滞を余儀なくされた。スターリングラードの包囲戦に敗北し、クルスクの戦いでも一敗地にまみれた。以来、東部戦線はじりじりと西に追いやられていく。
1943年には同盟国のイタリアに政変が起き、ムッソリーニが失脚した。1944年6月、ノルマンディーにアメリカ、イギリスの連合軍が上陸。同年にはパリが解放された。
ドイツは次々に獲得した領地を失っていき、ついに空爆はドイツ本国に及んだ。
軍事施設の他にも工場地帯や発電所、市街地までもが空爆された。バイエルンのロケット基地はとくに念入りに行われたはずである。
数ヶ月にわたって、ロケットの発射は確認されていない。
しかし、頭上にナチの基地があると言うことは、ぞっとしないものがある。
「あいつらはなにを考えているか、なにをするか、知れたものじゃないからな」
連合国のひとびとはささやき合った。
1945年には、ドイツの敗北は決定的になっていた。
計画のゴーサインが出たのは、1945年2月、ヤルタで行われた連合国の首脳会談による。黒海沿岸のリゾート地に集ったルーズベルト大統領、チャーチル首相、そしてスターリン議長のトップ会談によって決定されたのだ。
ヒトラーの敗戦は時間の問題だった。今こそ最後の棘を取り除くのだ。
命令が下され、まずはアメリカに渡った。
アメリカで海兵隊から選抜された部隊と合流し、アラスカから船に揺られて対岸のシベリアに渡り、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗る。何日も列車で移動したあげく途中の駅で降ろされ、また飛行機に乗せられた。軍の輸送機で、外は見えない。
着陸したところは、砂漠の真ん中だった。
「どこだ」
「詳細は言えないが……」
目を移すと、息を呑んだ。
「おお」
敷地には巨大なタワーが建てられ、その周囲には建屋が並んでいる。
ひときわ大きな建屋の中には、ロケットが横倒しになっていた。あの映画で見たものと同じくらいの、いやあるいは、それよりも大きなロケットのようだ。
ロケットは下段が大きく拡がった円錐形をしており、第一段は小型のロケットを束ねて大出力を出しているようだ。最後尾には16基ものロケットエンジンが装着されていた。
「おお……」
「いつの間にか、ロシアはこんなものを作っていたというのか」
じつは1940年にソビエトも人工衛星の打ち上げに成功していたのだった。しかし、世界大戦のニュースに紛れ、あまり大きく報じられなかった。
「こんなのは朝飯前だよ。我ら社会主義の優位性を示すものだ」
「プロパガンダが鼻につくな」
アメリカ人はぼそっと言った。
ブリーフィングだ。
「かれらが、今回のミッションのメンバーだ」
「ナサニエル・スミス。アメリカ陸軍少尉」
「わたしは機関士のアレクセイ・イワノフ。赤軍中尉」
ソ連、アメリカ、そして英国の混成部隊になる、偵察部隊だ。
事前の情報で判明していたが、パンディア基地は武装していた。基地の正面には、球形の移動機械が並んでいた。
地上では、見たことがない兵器だ。
「ベースボールに使うボールみたいだ」
「知らんな」
履帯が装備されているが、無重力では役に立たないだろう。機体の要所にはバーニアが並んでいる。
おそらく、空気のないところでも推進力を得られるヴァルター機関を搭載しているのだろう。機体に開けられたスリットからは機関銃の銃身が覗いている。
「飾りじゃなさそうだ」
どうやって基地に近づくか。メンバーを前にクラークはいった。
「内部に穴を掘って、地下から近づこう。パンディアには重力がないから崩壊する心配は少ない。それに内部はスカスカの抱水体(ハイドレート)だから、熱を加えて溶かせば簡単に掘り進められる」
「それで行こう」
時を待たずして、アメリカからもロケットが打ち上げられる。ゴダードの研究が海軍のプロジェクトになり、ようやくパンディアを狙えるだけの推力のあるロケットを打ち上げられるようになったのだ。
時間になった。クラークたちは宇宙船に乗り込んだ。
発射塔の最先端からは基地が一望できる。
第一段からは湯気が立っている。酸化剤は液体酸素のようだ。
発射台の周囲は、かすかにケロシンの匂いがした。
球形の船内は、4人が乗り込めるのがやっとだ。
カウントダウン。
「プスク!」
オペレーターはロシア語で「始動」という意味の言葉を発した。
百メートル下方で液体酸素とケロシンが混合され、制御された爆発を起こした。
激しい振動。カプセル内に轟音が充満する。
「大丈夫なのか……?」
強烈な加速度。シートに押しつけられる。
ロケットは上昇していく。
小さな円形の窓から、外が見える。上昇していくごとに地平線が曲がり、空が暗くなる。地球が青い球体の姿を現す。
100秒後、第一段を切り離して遷移軌道に乗り、船内は自由落下状態――無重力になった。身体が浮き上がり、固定されていない器具が目の前でふわふわと浮いた。
SF小説で読んだ光景が、今目の前にある。感激したが、いまはそれに浸っている間はない。
パンディアが見える。
スミスが言った。
「いざとなったら、ヒトラーはこいつを、ワシントンかロンドンに落とすかもな」
「そんなもんなら、まだいいさ」
クラークはさらに、恐ろしい可能性を口にした。
「あいつらは、核エネルギーを使った新型爆弾を開発している可能性があるからな」
「なんだよ、それは」
「最近発見された、ウラニウムという鉱物の性質を利用した兵器だよ。ウラニウムはある条件を整えると、ラジウムよりも巨大なエネルギーを放出する。マッチ箱ほどの量で、町ひとつが吹っ飛ぶほどの強力な爆発を起こす」
「そんなものが、天から降ってくるのか……」
「最悪の場合、ですよ」
パンディアに一定の距離を保って接近し、ランデブーを試みる。
「基地の影になるようにな……」
着陸船は、パンディアの裏側にランディングした。
化学反応で発熱させる。温度を上げると、機体はじわじわと潜っていった。
奇襲することになるが、こちらがわの武装はサブマシンガンと手榴弾、それに基地を爆破するための爆薬だけだ。
「大丈夫かな」
「大した武装じゃないが」
「連合国がかかれば、ひとたまりもないさ」
クラークたちは先遣隊だ。相次いでアメリカがロケットを打ち上げる。1週間後、総攻撃が行われる予定になっている。そのとき一行は救出される手はずなのだが、可能なのか。
「ナチスの基地はどうなっているんだ」
「おかしいな」
静まりかえっていて、なんの反応もない。
「最初の手はず通りにするか」
着陸船は混ぜると高熱を発する化学物質を使い、パンディアの地面を溶かし、穴を開けた。
シールド工法の要領で、掘り進んでいく。
大きな岩の陰に出た。
「静かだな」
基地は荒れ果てていた。遠目に見ても、異変が起こっているのが分かる。
「……なんだ?」
基地の中で、白旗が掲げられているのが見える。
「投降するのか」
「誰かいるのか」
窓からのぞき込むと、宇宙服を着込んでヘルメットを外した男が、そこにいた。
男はエアロックを操作した。
空気が入る。
「……あなたは」
忘れるはずもない。バイザーを通しても、彼の顔は判別できる。
「わたしはヴェルナー・フォン・ブラウン。親衛隊少佐だ。あなた方に投降する。抵抗の意思はない」
彼の顔かたちはプロパガンダ映画や写真で散々見た。まさか、パンディア着陸計画の最高責任者がここにいるとは。
「あんたしかいないのか」
「そうだ……」
「なぜあなたが、ここに?」
男は目を伏せた。
「総統は、パンディアを地球に落とせという命令を下された。目標はパリでもロンドンでもモスクワでもニューヨークでも、いやベルリンでも構わぬから、と……」
「自国を破壊するのか」
「敗北して偉大さを失い、弱者に転落したドイツ民族には生存する価値はない、と仰せだ」
喉仏が動いた。
「しかし、そんなことはさせたくはない。ここに渡ったのは陣頭指揮のためという名目だったが……サボタージュのためだ。これ以上の抵抗はもはや無意味だ……だが、驚いたよ。わたしにも秘密でこんなことを勧めていたとは」
外を眺めた。
「ここにはなにもない。より遠くへ行くただの足がかりだった。パンディアの基地は、やがてもうひとつの、ほんらいの月に。そして火星に向かうための出発点になるはずだった……しかし」
「しかし?」
そこで話題を変えた。
「きみたちは、どうやってここに来た?」
「ソビエトのロケットで」
「コロリョフのロケットか……」
「知っていたのか」
「ああ。ロシアでも開発が進んでいるという情報は入っていた。こんな世の中でなければ」
「戦争はもうすぐ終わります」
「どうなるのか。戦犯だよ……ぼくは」
「失礼ながら、あなたは利用価値はある。これだけのロケット技術、戦後の世界に役立てられると思う」
「ありがとう」
クラークは話題を変えた。
「なぜ、誰もいないのだ? 何があったのか、教えてくれないか」
「こちらを見るんだ」
足を踏み入れる。
階段になっていた。
クラークたちは基地の地下に達しようとしていた。
降りていくと、周囲は固いものになっていた。岩かと思ったら、違う。金属で出来ている。
「何だ、これは……」
「ここを押すんだ」
のっぺりとした外壁の一部が、不意に開いた。人ひとり入れるくらいの空洞が現れた。
内部は真っ暗だった。スミスが灯りを向けると、迷宮のようだった。
「全体は、細長い円筒のような形状をしているようだ」
「大丈夫か」
「入ってみよう」
うなり声のような音が聞こえる。
ぐちゃ、となにかを踏んだ音がする。思わず足を引っ込めた。
「くそったれが」
スミスが吐き捨てる。
「なんか、やわらかいものがあるぞ」
灯りをつけると、肉塊のようなものがある。
肉質のもので、いぼのようなものがびっしり隆起している。大きさは掌に載るくらい。
「気持ち悪いな、あいつら、なにを飼っていたんだ」
「飼う……まさか。ひょっとしたら」
スミスが声をかけた。
「奥にも、何かあるぞ」
「……
歩みを進めると、それの全貌が現れた。
「なんだ、こいつら……」
クラークと、スミスは絶句した。
見たこともない生き物の死骸が、数体転がっている。
子羊くらいの肉の塊が、折り重なっているようだ。どこが頭か胴体か分からないし、そもそも分離しているのか一体なのかも、ここから見た限りでは不明だ。
ぶつぶつと隆起のある皮膚は、先ほどの肉塊と同じようだった。腕と言うより、触手に近いものが数本胴体から伸びている。腐敗した体液のようなものが流れ、崩壊が進んだ個体は、内部の骨格が露出している。
ここにはかれらの肉体を食べる細菌が存在しなかったので、肉体がそのまま保たれたのか。
「地球の動物のものとは、全く違うな」
「パンディアンというべきか」
フォン・ブラウンはいった。
「しかしこの生き物、まさか、パンディアに生まれたわけではなかろう……」
「他の星から来たのだろう。やっぱり、火星人はいたのか」
「違うだろう」
スミスの言葉に、クラークは容赦なく突っ込む。
「恐らく、太陽系の外から来たんだ……いつかは分からないが」
隅には、数体の人形のようなものが転がっていた。
光を当てると、宇宙服だった。袖にはハーケンクロイツ。ヘルメットの中は……干からびてミイラになっている。
「ナチのやつらか」
「何があったんだ……」
「みんな死んだよ。はじめは友好的だったが、そのうちにこいつらはよからぬことを考えたのだ……愚か者たちめ」
フォン・ブラウンは吐き捨てる。
「おれたちも、やられないか」
「気をつけよう」
そのとき突然、周囲が明るくなった。
「……!」
そこは、広めの部屋だった。生物的な印象を思わせる凹凸が壁に刻まれ、中央に据え付けられたテーブルから、かれらの理解を超える技術で、それは映し出されていた。
スクリーンもなく、立体的な画像が宙に浮いている。
「太陽と……地球?」
中心の大きな球と、その周りを周回する球。8つは大きく、その外側にはもっと小さな球が回っている。
「惑星なのか?」
太陽系を外側から見た模式図のようだ。
「どうやら、かれらは太陽系の住人じゃなさそうだぞ」
画像の太陽系の外側から、ひとつの光点がやってくる。スイングバイを繰り返した後、木星と火星のあいだ、小惑星帯(アステロイドベルト)と呼ばれる空間に軌道を取り、周回を始めた。
「太陽系の外からやってきた、ということなのか」
3つめの惑星――地球が映る。
「……!」
「おそらく、産業革命が起き、地球上で工業文明が本格化したのを確認したんだ」
映像によるメッセージは、おそらくこのようなものを示唆しているのだろう、とフォン・ブラウンは語った。
かれらは自らの星系の小惑星を改造し、恒星船として太陽系にやってきた。そして自らは休眠して小惑星帯を周回していたが、19世紀の産業革命で地球上に、工業文明が本格化したのをキャッチし、地球軌道に移動してきたという。
さらに、レーダーの実用化で電離層を超えて軌道上のパンディアまで、電波が届くようになり、スイッチが入ったのだ。
しかしその前に、かれらは目的を達することが出来ずに、死に絶えてしまったようだ。機械だけが、遺志を継いで動いているのか。
そのとき、激しい振動が起こる。天井が揺れ動き、なにかがきしる音が響く。
「何があったんだ?」
「……動いている!」
パンディアンの遺した機械が、作動をはじめたのだ。原理は及びもつかない。
パンディアの表面を突き破って、正反対の方向に向かって、黒い円筒形のものがどんどん伸びていく。
基地の真横に、大きな縦穴が開いた。崩れて、円筒の内部が表面と繋がった。
大きな根のようなものが、内部に伸びている。この機械は、パンディアから資源を採取してチューブの材質に変換しているようだ。
スクリーンに新たな画像が浮かび上がった。
片方は地球に向かって、もう片方はちょうど反対側、深宇宙の方向に。
おそらく、バランスを取るためだろう。
画像のチューブは、やがて地球表面に到達した。チューブの一部がアップになり、分子が籠のように組み合わさった状況を映し出した、さらにアップになる。原子核の周りに6つの電子が回っている。
「炭素か」
「チューブの材質のことか」
炭素はパンディアにも、地球にもありふれた物質だが、それが特殊な結合をして、まだ人類には知られていない超高張力の材質に変化するようだ。
「これは」
パンディアが周回する運動量を、この「塔」もまた持っている。宇宙に突き出した末端では、太陽系を脱出する速度を得ることが出来る。
動力なしで他の惑星や、さらに遠くへ行くことが可能になるのだ。
地球と宇宙をつなぐ、巨大な宇宙塔が誕生するのだ。
クラークは言った
「パンディアは宇宙と地球をつなぐ架け橋になる」
この「宇宙塔」はかつて、ツィオルコフスキーの論文で予見されていたものと同じだ。
彼がまだ無名だった1895年に書かれた「大地と空のあいだ、そしてヴェスタの上における思索」という。
当時完成したばかりのエッフェル塔を、果てしなく高くしていけばどうなるか。
それは赤道上に建てられ、地球と宇宙を結ぶ宇宙塔になる。地球の自転と同じ大きさの運動量を持ち、頂上の宇宙ステーションから足を踏み出せば、そのまま人工衛星になって、地球を周回する軌道に乗ることが出来るのだ。
さらにツィオルコフスキーは。赤道上の静止軌道――パンディアが周回している軌道だ――に重心をもち、潮汐力で安定する人工衛星についても記述している。
現在作られつつある「宇宙塔」は、その二つを合わせたものと言えるだろう。
「ゴンドラだ……」
映し出された映像に依れば、このゴンドラはチューブ内部を動くようになっているようだ。
扉が開いている。
「乗れ、ということなのか」
「これに乗れば、地球に帰れるのか」
「うむ……」
戸惑うフォン・ブラウン。無理もない。彼以外の基地の面々がどういう仕打ちを受けたか。しかし、クラークは言った。
「フォン・ブラウンさん。あなたは無事だっただろう。パンディアンは人類に積極的に危害を加える意思はないのかも知れない。試してみる価値は、あるかもしれない」
「ああ」
一行は、ナチスの基地に遺されていた脱出用カプセルを動かした。
クレーターの斜面をゆっくりと降ろす。
軌道を回るパンディアのような自由落下状態の中では、重力がないが質量はあるので、質量の大きなものは慎重に動かさなくてはならない。
「気をつけろ。力を入れすぎると止まらなくなるぞ」
運んできたカプセルをゴンドラに載せ、乗り込む。
ぐんと衝撃を感じる。
衝撃は下方への加速度に変わった。下方――地球に向けて動き出しているようだ。
磁力なのか、重力なのか。ゴンドラは、かれらのまったく見当もつかない原理で動いている。何十年か後には、人類もこの原理を知ることになるだろうか……。
ゴンドラはロケットを超える速度で下降していった。窓の外に見える地球は、みるみる大きくなっていった。
一行が大西洋赤道上の海面に到着したとき、持参した無線機で、音声が聞こえてくる。
ヒトラーは自殺し、ベルリンは陥落したという。欧州の戦火は終わろうとしていた。
参考文献
金子隆一『スペース・ツアー』(講談社現代新書)
野木恵一『報復兵器V2』(光人社NF文庫)
的川泰宣『月を目指したふたりの科学者』(中公新書)
アーサー・C・クラーク『楽園の日々』(ハヤカワ文庫SF)
文字数:19752