梗 概
ムーンヴィレッジの子どもたち
月面開拓基地に住む子どもたちが月の裏側で停止した探査ローバー霊亀を見にいく話。
月面開拓基地には5人の子どもたちがいて、そのうちの一人、山田咲夜をはじめ、それぞれの子ども視点で物語は語られる。
わたしの名前は山田咲夜。月生まれの9才です。お父さんは国連の国際農業連合で働いていて、月でおいしいお米を作る方法を研究をしています。お母さんは栄養士で、月でおいしいごはんを作るのが仕事です。
劉浩宇は11才の男の子。ハオのお父さんはヘリウム3を掘る仕事をして、お母さんは低重力の病院で研究をしています。ハオには妹がいて、名前は雨婷。まだ5歳なの。わたしの一番の仲良しで、妹みたい。一番小さいけど無重力で動くのがすごくとくいで、大人の人たちもおどろきます。
ヒマンシュ・ソニはハオと同じ11才の男の子で一番あたまがいいです。ヒーマンのお父さんは私のお父さんと同じ国連からやってきた人だけど、お仕事はぜんぜんちがいます。彼のお父さんは月面開拓基地にあるいろんな区画をどの会社がどれくらい使うかコントロールをしているらしいです。ヒーマンのお母さんは月の方言を研究する学者さんでたまに通訳もしています。ヒーマンもいろんな言葉が話せて、私が苦手なチャイニッシュやロシア語でおしゃべりができます。
あとわたしと同じ9才のラジャット・ラストギ。お父さんはランダー使いで、お母さんはローバー運転手です。ラジャは自分もローバーを運転したことがあるってしょっちゅう自慢するの。でもほんとうはゲームや映画が大好きで、大人になったら地球に帰るってこの前こっそり教えてくれました。
ある日の登校中に咲夜はハオとヒーマンに月の裏側まで行ってみないか誘われる。月面博物館に寄付する月面遺品を探しに行くのだ。観光区画の月面博物館に遺品を寄付して、もしそれが飾られたら寄贈者の名前入りのプレートも一緒に飾られる。
前の日にハオとヒーマンはシェルターにあるプレートや部品を引っぺがして月面博物館に持って行ったが怒られてしまった。それで外に落ちてるものを探しに行くことにしたのだ。
学校でラジャ、ユーチンも誘って月面表裏境界線まで行こうと決める。ラジャが月の裏側付近で乗り捨てられた探査ローバー霊亀があると父から聞いたことがあったからだ。
一行は基地の端まで移動用シャトルでのんびり移動する。学校付近の研究区画からヘリウム3集荷区画、食堂が集まる日常生活区画…。移動用シャトルは大人たちが仕事で使っているもので、注意されたりしたら一旦降りる。そうして次に基地を周回してきたシャトルになに食わぬ顔でまた乗り込むのだ。
一行はシャトルの道中でベテランローバー乗りのゲオルギー老人と仲良くなる。
基地の先端からはゲオルギーの案内で、みんなで歌いながらモスクワの海沿岸を進む。
やがて乗り捨てられた探査ローバー霊亀の輪郭がライトに照らし出される。ハオとヒーマンはアームを伸ばして霊亀のパーツを取ってくれとゲオルギーにせがむが、しぶるゲオルギーと真面目な咲夜とラジャにたしなめられてあきらめる。代わりに写真を取って一行は帰路についた。帰り道、ゲオルギー老人は実は霊亀に乗っていたことを教えてくれるのだった。
家庭用居住胞に帰って咲夜は今日の冒険を親たちに話す。
それを聞いたらお父さんとお母さんは大笑いしてました。
「まったく、まさに月のど田舎村だな」
わたしはそれはすてきな名前だなと思いました。基地なんかよりもずっといい。ここはわたしたちのくらす場所なんだもの。
文字数:1565
内容に関するアピール
もし月面基地が建造されてそこで働く人々が月で家庭を築いたら、そこでの生活は子どもたちにとって超絶ど田舎でウルトラ牧歌的なんじゃないかと想像してこの話を考えました。ハイテクノロジーを駆使して月面労働者たちが働くなか、子どもたちが手作り凧を飛ばそうと四苦八苦したり、とんでもない方向に独楽を飛ばしたり。月面で子どもを生むくらい超楽観的な月移住者に囲まれた宇宙の田舎暮らしをいきいきと描けたらと思います。
また、子どもたちの親が様々な分野のスペシャリストで、子どもたちの性格にもそれが反映されるようにしたいと考えています。子ども視点から彼らの親について語ってもらい、単なる子どもだけのユートピアではなく地に足ついた月の村の魅力を作り出すつもりです。
なおヒーマンとラジャはインド名です。基地ではインド、中国、アメリカ、ヨーロッパ、日本の順で人口を想定しています。
文字数:379
ムーンヴィレッジの子どもたち
わたしは咲夜、年は九つで父さんと母さんと月面開拓基地で暮らしています。
たまに観光でやってくる地球の子どもたちに退屈じゃないのかって聞かれるけど、そんなことはありません。
毎日がいそがしくって退屈してるひまなんて少しもないんです。
朝は学校がある研究区画までシャトルに乗っけてもらいます。わたしの父さんは国際農業連合で働いていて、農業区画でおいしいお米を作る研究をしています。私が住んでる居住胞は農業区画のすぐそばにあって、学校まで少し遠いのです。
ローバーからは農業区画でつくられてる田んぼを眺めることができます。ドームの屋根から突き出た送風装置が風を送ると、まるで水面に一滴の水をたらしたみたいに波が立ちます。わたしはこの景色が大好きなんだけど、地球から来る子どもはめったに農業区画まで来ないので見せられないのが残念です。地球から来る子は観光区画しか回らないので月のほんとうに面白いところを知らずに帰ってしまうんだとヒーマンがよく言います。
学校に着くと、雨婷がまっさきにわたしのところにやってきます。月面開拓基地に住んでる女の子はわたしとユーチンだけなので、私たちは大の仲良しです。6才のユーチンはわたしの妹みたいなものですから。もちろん、男の子とも仲良しだけど、それでもたまにうんざりするときがあるんです。だって男の子たちはしょっちゅうわけの分からない遊びに夢中になって、わたしたち女の子をのけものにしようとするんだもの。
「お兄ちゃんたちがまた仲間はずれにするの」
私に会うなりユーチンが私にそう言うので、わたしはまたかとため息をつきながら教室に入りました。
教室ではハオ、ヒーマン、ラジャがぼろぼろのラップトップを囲んでこそこそ話し込んでいます。
「なにしてるの?」
私が聞くと、ハオがしかめっ面をこちらに向けました。
「ミーティングさ、見ればわかるだろう?」
劉浩宇はユーチンのお兄さんで11才。馬鹿げた遊びを思いつくのはいつだってハオです。
「もちろん、秘密のミーティングだよ」
にやにや笑いながらヒーマンも調子を合わせます。ヒマンシュ・ソニもハオと同じ11才で、私たちの中では一番頭がいいのに一番いたずら好きな男の子です。
ラップトップをばちばち叩きながらラジャもくすくす笑います。ラップトップは私と同い年のラジャット・ラストギの宝物で「これはもともと宇宙ステーションで使われてたんだ」といつも自慢しています。でも私たちはその宝物にゲームやアニメばっかり詰め込まれているのを知っているのです。
「ふん、どうせメモ帳くらいしか開いてないんでしょ」
私はそう言ってやって(前にラジャたちがあまりにネットワークに入りっぱなしだったからラジャのお父さんがネットワークインターフェースカードを引っこ抜いてしまったんです)、興味ないそぶりを見せました。
「いこう、ユーチン」
ちょうど先生が入ってきてその日の授業が始まってしまったのでハオ達のくやしそうな顔を見れないのがちょっと残念。
今日の先生はトニーで私たちに算数を教えてくれました。
月面開拓基地の研究区画の中の1つの部屋がわたしたちの学校です。研究者の人たちがかわりばんこに私たちの先生をしてくれます。たいていは教えるのが好きな人や、さぼるのが好きな人が私たちに色んなことを教えてくれます。さぼるっていうのはヒーマンが言っていたことで「だって俺たちに教えるなんてここの人たちにしたら楽ちんすぎるだろ」うから、私たちの教室に来る大人は自分の仕事をなまけてるんだそうです。
たしかに、たまに変なことを教えにくる大人もいるので、ヒーマンが言うことも少しは正しいのかもしれません。この前は無重力下での結晶生成について教えにきてくれたおばあさんがいましたが、誰もおばあさんが言っていることが分かりませんでした。「頭がいかれちまったんだな」、「気の毒だけどあのばあさんは地球送りだな」なんて男の子たちはおばあさんのことをばかにしてたけど、おばあさんはほんとに私たちが分かると思って授業に来たのかもしれません。たまに月に住んでる私たちは天才児だって思い込んでる人がいるので。
トニーの授業は大人気です。なぜならトニーは授業にタブレットを使わず紙を使わせてくれるからです。トニーは折りたたみの研究者で、ローバーにアンテナやロボットを折りたたんでたくさん載せる実験をしています。トニーは紙に書いた方が脳にしげきがあるって言って、自分の研究用にもってきた紙とペンを私たちに分けてくれます。トニーには内緒ですが、私たちはその紙で紙ひこうきを作るのが大好きです。低重力区画で飛ばすとどこまでも飛んでいきます。今、私たちはすごく大きい紙ひこうきを作ろうと計画中で、トニーの授業のたびに紙をできるだけたくさんもらおうとせがんでいるのです。
「紙で勉強するとなんかちがうよね」
「ねー」
私とユーチンでこうやっておしゃべりしているとトニーは喜んで紙をたくさんくれます。
「紙で筆算、クールだぜ、なあトニー」
ヒーマンが言うとどうもいじわるを言ってるみたいに聞こえてしまいます。トニーもヒーマンにはあまり紙をくれません。
学校が終わるといよいよ男の子たちが何をたくらんでいたのか聞かせてもらうことにしました。
「どこに行くの?」
ハオが意味ありげにヒーマンとラジャに目配せして答えます。
「ちょっと一儲けに」
ハオのお父さんはもともとは地層学の研究者だったけど、月のヘリウム3ビジネスを見て転職して月面開拓基地で会社を立ち上げちゃった変わり者です。そんなお父さんがハオの自慢で、ハオのちょっと馬鹿げたいたずらはいつだって彼にとってはビジネスの種なのです。彼の「ちょっと一儲け」はとても楽しいことを思いついた証拠です。
「観光区画の博物館さ」
ハオが得意げに話し出します。
「またそれなの?」
わたしはあきれておおげさにため息をつきました。
観光区画の月面博物館には基地や宇宙ステーションの古い部品や記念品を飾っています。わたしにはめずらしくもない基地の部品や、ローバーなんかが飾ってあります。月面開拓基地で暮らしている人で観光区画に遊びに行く人なんてあまりいません、ハオをのぞいて。ハオはしょっちゅう観光区画に顔を出して、なにか商売ができないかたくらんでるんです。
「月でお金持ちになったってしょうがないだろ」
ラジャはそう言いますがハオはすぐにこう言い返します。
「そうかい、じゃあ俺は将来は月に豪邸を建てるけど、ラジャはクレバスにでも住むんだな」
「オーケー、じゃあ俺はクレバスでバーフバリの月面上映会を開いてみんなを招待するよ(※バーフバリは21世紀に大ヒットしたインド映画)。お前はひとりさびしく豪邸で暮らすんだな」
月面映画館はラジャとハオの将来の夢のひとつで、もし実現したらふたりは共同経営者になるんだそうです。
月面博物館では基地の部品を寄付してくれた人に記念になるように、その寄贈品と一緒にその人の名前を刻んだプレートを飾ってくれます。もちろん博物館のそういったプレートには有名な宇宙飛行士や月面開拓者の名前が刻んであるものです。ハオは自分は将来月で一番有名になると決めているので、今から博物館に自分の名前が入ったプレートを飾らせたいのです。
この前ハオたちは月面開拓基地中を探し回ってこれは記念品になりそうだと思うちょっと変わったかたちのパイプやら、部品やらをひっぺがして博物館にもっていったのですがこっぴどく怒られてしまいました。当然です。だってその部品たちはまだしっかり動いていたんですから。
「もちろん同じ失敗は繰り返さないよ」
ヒーマンがうなずきながら説明してくれました。部品を基地からはがそうとハオに吹き込んだのは実はヒーマンで、わたしはヒーマンが変なアイデアをしょっちゅうハオに教えなければハオはもっとうまくやれるんじゃないかと思っています。
ラジャがお父さん(ローバーの運転手です)が教えてもらったのですが、ちょうど月の表側と裏側の境目、月面表裏線の近くに停止したままの重量級の探査ローバー霊亀があるそうなんです。
「活動してない部品なら博物館も文句はないだろ」
ハオが得意そうに言い放ちました。
ラジャも嬉しそうに付け加えます。
「霊亀はサイズが桁違いの実験作だから他のマシンと規格が合わないんだって。だから再利用されずに放っとかれてるんだ」
「わたしたちが少し分解したって誰も困らないってことね」
話はきまりました。これはとっても面白そうです。
月面開拓基地の区画はそれぞれの役割ごとにかたまっていて、その中を何本もシャトルが通っています。全部で何本あるかわたしたちには分かりません。月面表裏線まで行くには基地の北側の端っこに行けばいいとラジャが言うので、みんなでシャトル・ステーションに向かいました。
学校のある研究区画では研究者たちが色んな研究をしています。私たちがかたっぱしから部屋に出たり入ったりするのでみんな警戒してドアをロックしていますが、それでもたまにロックを忘れている人もいます。
「セキュリティーチェックだ」
そう言ってハオがドアのボタンを順に押しながら通路を駆け出しました。
わたしたちもあわてて走り出します。実はわたしは一番足がおそいので必死です。ユーチンはわたしよりも運動神経がよくってラジャもヒーマンも抜かしてしまいます。
運わるくドアが一つ開いてしまいました。
走りぎわに「セキュリティーチェックです!」と声をかけて駆け抜けました。月では誰が何をするかはっきり言わなきゃ事故につながるので大事なことです。きちんと伝えれば失敗したって笑って許してくれるさ、と父さんも言ってたし。
振り返るといかつい男の人が顔を出して大声でどなっていました。
ステーションまでたどりつくと先に着いていたハオとヒーマンが大笑いしていました。
「サクヤのことアホタレって言ってたぜ」
ロシア語が分かるヒーマンが笑いながら言いました。
「あんたのことでしょ」
息切れしながら言い返しました。
ヒーマンのお父さんは国連の月面開拓基地区画整備の担当者で、世界中からやってきた基地の人たちがどこにどんな区画を作るのか調整したり手助けしたりしています。ヒーマンのお母さんは通訳者で世界中の言葉が話せるかっこいい人です。ヒーマンも英語だけじゃなくって中国語やロシア語も話せます。
月面開拓基地ではだいたいの人が英語を話しますが、その次に多いのが中国語とロシア語です。
こうやって基地でいたずらすればまっさきにヒーマンの父さんに話が伝わるし、真っ先に怒られるのはヒーマンなのに、彼は全然気にならないみたい。
シャトルがやってきたのでヒーマンが首をつっこんでこのシャトルは基地の北側に行きますかと声をはりあげました。
ああ、いくぜ、と中の大人たちが答えたので私たちが乗り込むとシャトルの中はヘリウム3採掘の人たちでいっぱいです。
みんな水色の分厚い船外作業服をぴっちり着こなしていて、左腕の内側についてるスクリーンにいじくっています。
「水色はフランスだ。珍しいな」
ラジャがつぶやきます。
人見知りのユーチンはぴったりわたしの後ろに隠れていました。
「どこにいくんだ?」
採掘のリーダーの人でしょうか、一番前に座っていた男の人が話しかけてきます。
ちょっと冒険にね、とハオが答えると男の人は眉をしかめて首を振りました。
「北側は君たちが遊べるような区画はないぞ。危ないから居住区画寄りのステーションで降りなさい」
他の大人たちもそうした方がいいとうなずいたり声をかけてきます。
ちぇっ、わかったよとハオが答えて「みんな、次のステーションで降りようぜ」と声をかけました。
次のステーションは生活区画の近くで停まりました。ここからなら生活区画まで歩いていけます。生活区画では日用品を売っていたり、私の母さんが働いてる食堂があったりします。私のお母さんは栄養士と調理師の資格を持っていて、宇宙食の研究をしています。月でおいしいご飯が食べられるのは母さんのおかげだって父さんは言うけど、ほんとはもうちょっとかっこいい仕事だったらよかったのにと思ったりもします。父さんだって全然宇宙っぽくないし。そのことをユーチンに話したら、私の母さんなんていっつも研究で帰ってこないからうらやましいと言われました。
生活区画でおやつにチョコバーを買ってみんなでかじりながら次のステーションまで歩きます。
さっき見た水色の採掘業者たちについておしゃべりしました。
「水色の宇宙服ってなんかださいな」
ラジャが文句をつけます。
「そう?きれいじゃない」
ユーチンが言い返しますがハオに鼻で笑われます。
「わかってないな。宇宙服はかっこよくなきゃダメなんだよ」
「じゃあ、あんただけ雪だるまみたいな宇宙服着てれば?博物館に置いてあるわよ」
わたしが代わりに言い返してやりました。
それからはどこの国の宇宙服がいいかみんなで口々に言い合いました。
決着がつかないまま次のステーションにつき、また乗り合わせのシャトルに乗り込みます。
今度のシャトルは基地のランダー技師たちが乗っていました。
「げ、母さん」
ランダー技師のラジャのお母さんが運わるく乗っていてわたしたちはすぐにシャトルからつまみ出されてしまいました。シャトルの去り際にラジャのお母さんからしっかり勉強するよう小言つきで。
ふてくされたラジャを笑いながらみんなで次のシャトルを待ちます。
こうやってわたしたちは基地の中を行きたいところまで移動するのです。
シャトルに乗ってる大人たちはたいていわたしたちを注意して、わたしたちも次のステーションですぐに降ります。けれどすぐにまた違うシャトルに乗ればどうってことないんです。次のシャトルで同じ大人に会うことはありません。
大人って不思議で、一度注意すればみんな言うことをきくと思ってるみたいです。
ここの大人たちはみんな優秀で、一度注意すればオーケーだと思い込んでるんだってヒーマンが言ってたっけ。
さあ、また次のシャトルです。今度のシャトルでは運よく誰も私たちを注意しません。
基地の北側に近づいてきました。
遠くに地球に向かう離発着所と建設中の外宇宙に向かうための発射台が見えます。
「地球に行ってみたいな」
ユーチンがぽつりとつぶやきます。
わたしたちは月で生まれたので大きな重力にまだ耐えることができません。最低でも18才にならないと地球に離着陸する宇宙船に乗ることはできないそうです。
母さんはよく「子どもが宇宙船に乗ってどんな影響があるかなんてまだ分からないのよ」と心配そうにわたしに言います。わたしが18才になったらすぐに宇宙船に乗って地球に行こうとしていることを心配しているんです。父さんは「お前たちで試してみればいいよ」と言ってお母さんに怒られます。これはちょっと変で、観光で月に来る子だっているし、なによりわたしを月で産まなければよかっただけの話なんです。
そう言うと父さんは困った顔をして「まあ、お父さんがあまり考えてなくってだな」と口ごもります。母さんもぷりぷり怒って「そうよ、父さんがわるいのよ」と言います。
でも二人とも心配しなくていいとわたしは思ってます。だってわたしは外宇宙に行ってみたいから。発射台が伸びた先の真っ暗な宇宙を見ていると吸い込まれそうな不思議な気分になります。あの先に何があるのかいつか見に行きます。
「地球じゃ今どんな映画が公開されてるんだろうな」
ラジャが羨ましげに言いました。
わたしはまっさきに地球に行くのはラジャだと思っています。だってあんなにアニメや映画に夢中なんだもの。もちろん月でも見れるけど、ネットワークはもっと他の大事な仕事でいっつも渋滞してるし、わたしたち子ども向けのものはいつだってあとまわしなんです。ちょっとラジャがかわいそうだと思います。
「おい、お前たちどこまで乗って行くつもりなんだ?」
やっぱり注意されてしまいました。せっかくヘリウム3の集荷区画までやって来たのに。基地の北側まであと少しです。
シャトルの中にはわたしたちとおじいさんがひとり。見逃してくれたらよかったのに。
ちょっと外を見に行くんだ、学校の宿題でね。ヒーマンがでまかせを言います。
「君たちだけでか?」
注意したおじいさんはうたがい深くひげをなでながら聞き返しました。
「ローバーに乗ってか?引率の大人はいないのか?」
それはあれさ、現場のプロに連れてってもらえってことなのさ、先生は研究で忙しいから。ヒーマンがねばります。
おじいさんは髪の毛からひげまで真っ白なうえに真っ白な宇宙服を着込んでいて、シャトルの灯に照らされて全身かがやいているように見えました。
「うそはだめだ」
おじいさんはにこりともせずに言い放ちます。
そういうじいさんはどうなのさ、とラジャが小声でつぶやきます。ローバー運転手は二人で行動するきまりなんだぜ。おじいさんにぎろりとにらまれたラジャが縮こまります。
「俺はベテランだから、な」
おじいさんは目をそらしてシャトルの窓をながめながら言いました。
「そういって帰ってこなかったベテランがたくさんいるんだ」
ハオはバカだから。
おじいさんが黙ってぎろりとにらみます。
「俺たち生まれた時から月にいるんだ。もしかしたらじいさんよりももの知りかもね」
「たとえば?」
「たとえば、たいていのローバー運転手はいつでもどこでも二人一組で行動してるし、たとえば、次のステーションで俺たちが管理区画に連絡をとって一人でローバーに乗ろうとしてるおじいさんがいるって言えば止めに来る人がいるだろう、とかね」
おじいさんはだまってハオをにらみつけました。ハオも負けじとにらみ返します。
「こっちが良かれと思って忠告してやってるのに、このガキども」
おじいさんがうなります。
「こっちだってそうさ」
ハオも踏ん張ります。
きりがありません。ヒーマンはダメだこりゃと肩をすくめてため息をつきました。ラジャは縮こまったままです。
ユーチンがわたしのうしろにぴったりくっついたまま顔だけ出して言いました。
「わたしたちとおじいちゃんと一緒に行くっていうのはどう?」
おじいさんがびっくりしてユーチンを見つめます。
「それはいいかも。もしおじいさんがよければですけど」
わたしも勇気をふりしぼってユーチンを応援します。
ぼくもそれがいいと思うとヒーマンとラジャもうなずきます。
「太陽線かなにかで頭がいかれたか」
おじいさんがつぶやきました。そうしてしばらくひげをなでて黙りこんでしまいました。でもそろそろ次のステーション、そしてその次は終着駅です。
「さあ、じいさん、そろそろ選択の時間だぜ」
そう言ったハオをみんなでぽかぽか殴りつけ、こいつはしゃべらせないからお願いしますと頼みこみました。
「霊亀のとこまで行きたいんだ、ベテランなら簡単でしょ」
ハオがヒーマンにつかまれたまま言いました。
おじいさんは黙ってひげをなでながら目を丸くしました。
次のステーションです。シャトルのドアが開き、他のローバー運転手たちが乗りこんできます。
おい、なんでこんなとこに子どもらがいるんだと大人たちに声をかけられました。
わたしたちのことを知ってる人もいたのでしょうか。このいたずら小僧ども、という声も聞こえます。まったく、ひどい話でいたずら小僧なのは実際ハオとヒーマンだけなのに。
「いいんだ、俺がこの子らの付き添いだ」
黙りこんでいたおじいさんが突然そう言いました。
ゲオルギーじいさんがそう言うなら、と周りの大人たちが静かになりました。
シャトルのドアが閉まります。
最後のステーションに向けてシャトルが動き出しました。
「ほっほっ!俺たち月の男たちは〜!」
ハオとヒーマン、それにラジャもてんでデタラメに歌います。もう、うるさい!変な歌!
ゲオルギーおじいさんのローバーの中でわたしたちはぎゅうぎゅう詰めです。
「いたい!お兄ちゃんもっとそっち行ってよ!」
「ほっほっ!俺たち月の男たちは〜!」
すっかり浮かれきったハオはてんでユーチンの相手になりません。
「ガキども!俺のローバーの中で騒ぐんじゃあない」
ゲオルギーおじいさんも怒鳴ります。
「ゲオルギーさんはどこに行くんですか?」
わたしが聞くと、ゲオルギーおじいさんはうーむとうなってこう答えました。
「まあ、どこということはない。仕事に行くこともあれば、行けるとこまで遠くに行ったり…」
「不良社員だ」
ハオが笑いました。
「アホガキ、俺はこの月じゃあ大ベテランだ。融通が効くんだよ」
地球には帰らないの?とユーチンが聞きます。ゲオルギーおじいさんは、腰をやっちまったからロケットにはもう乗る気もせんわいとため息をつきました。
月の裏側に入ると、あたりは真っ暗で、ローバーのライトに照らされた灰色の地面と、頭の上の星しか見えません。
月面開拓基地から見る外はずっと遠くまで見えるのに、ここでは足元の地面しか見えません。でもフロントパネルいっぱいに広がる星のおかげで、じっと前だけ見つめているとまるで星の中を進んでいるような気分になります。
ゲオルギーおじいさんがパネルを見ながら言いました。
「ほらガキども、そろそろ霊亀が見えてくるぞ」
どこだどこだとフロントに押しかけたわたしたちでゲオルギーおじいさんがつぶれかけました。
「下がっとれ!今ライトを上げてやる!」
霊亀がいました。はじめは大きな車輪しか見えませんでしたが、ライトが上がるにつれて少しずつ架台やボンベ、配管が見えてきます。
ライトが照らしているずっと先まで霊亀です。見上げすぎて首が痛くなるくらい上の方まで霊亀が続いています。
「でっかーい……」
ユーチンがつぶやきました。
わたしもこんな大きなローバーを見たのは初めてです。
「なんでこんなに大きなローバーを作ったんだろう」
ラジャが小声で言いました。
ゲオルギーおじいさんがふんっと鼻で笑います。
「できる限り遠くに行ってみようってな、ありったけの荷物を積んで出発したのさ。そしたらまあ動きはのろいし、途中で止まるし。乗組員は霊亀に積んであったローバーで泣く泣く基地に帰ってきたってわけだ」
ローバーにローバーを積んでたなんて変な話です。
「移動基地を作ろうとしてたって噂を聞いたことあるけど、霊亀はそのプロトタイプだったのかな」
ヒーマンが考え深げに言いました。それを聞いてむかし絵本で読んだ亀の上に世界が乗っかってる図をわたしは思い出しました。
さて、とハオが大声を出します。ぶち壊しにするのはいつだってハオなんです。
「じいちゃん、アームを出してよ。お願い」
ゲオルギーおじいさんが顔をしかめて振り返りました。
「ちょっちょっとさ、ほらあそこにあるプレートを剥がしてよ」
なにを!とこれにはゲオルギーおじいさんも怒って立ち上がり、その反動でローバーがぐらぐら揺れました。
ヒーマンが慌てて事情を説明しました。自信がなさそうに。だってこんな立派で大きなものを見て、それを傷つけようなんて気は起こらないと思うんです。
ヒーマンの声はだんだんと小さくなって最後に、やっぱりダメですねそんなこと、と付け足して終わりました。ラジャもうんうんとうなずきます。
「何言ってんだ。これを持ち帰れば博物館の玄関に飾られるぞ」
ハオだけは全然あきらめるつもりがありません。ゲオルギーおじいさんが黙ってにらみつけてる間に、わたしたちで口々にハオにもうやめようと言いました。
最後にはハオもむすっとした顔で、これまでの苦労はなんだったんだとぶつぶつ言いながら黙りこみました。
まったく、たいして苦労なんてしてないくせに。すぐに大げさにするんだから。
「よし、最後によく見とけ。もう戻るぞ」
ゲオルギーおじいさんに言われてみんな慌ててもう一度霊亀を見上げました。
わたしは霊亀が真っ暗な月の裏側を、ゆっくり進んでいく様子を想像しました。背中にはわたしたちみたいな家族がたくさん乗ってるんです。
そうならなかった霊亀がちょっとかわいそうになりました。
帰り道、またばかな男の子たちが歌を歌ってゲオルギーおじいさんにおこられました。
静かなになったところでユーチンがゲオルギーおじいさんに聞きました。
「おじいちゃんは霊亀が動いてるとこ、見たことある?」
「ああともさ。おれは霊亀に乗ってたんだ」
「じゃあ泣く泣く帰ってきたんだね?」
今度こそ、みんな本気でハオを殴ります。
「ああ、あの時は泣いたな」
ゲオルギーおじいさんが静かにそう言いました。
「あいつに乗ってどこまでも旅できると思ったんだ。仲間たち一緒に、許可も取らずに作ったのさ。管理区画の連中も、ちょっとは期待してたんだろう。見て見ぬふりをしてくれてな」
霊亀に乗ってゆっくり月を旅行する。とても素敵だなってわたしは思いました。
ゲオルギーおじいさんとは基地の北側のステーションで別れました。部下どもがしっかり働いてるか見に行くんだそうです。もしかしてゲオルギーおじいさんは偉い人なのかもしれません。
今度は注意もされずに真っ直ぐ移住区画まで戻れました。
居住胞までの帰り道、わたしたちはゲオルギーおじいさんに頼んだら今度は霊亀の中を探検できるか話し合いました。きっとゲオルギーおじいさんは霊亀が好きだから、霊亀が好きになったわたしたちの頼みなら聞いてくれる気がするんです。
そんなことを話しながらわたしたちはそれぞれの居住胞に帰りました。
すっかり遅い時間になっていて母さんがカンカンになって待っていました。
今日おこったことを話すと頭を抱えて、いつか大ケガするか即死するとお説教されてしまいました。でも父さんが「まったく、まさに月のど田舎村だね」と笑ったので、すぐに母さんがおこる先は父さんになってわたしは助かりました。
月のど田舎村ってとっても素敵な名前だなとわたしは思いました。月面開拓基地なんかよりずっといい。ここはわたしたちのくらす場所なんだもの。
わたしは月で生まれてほんとうによかった!
文字数:10836