梗 概
死神の夢
病棟にゾーイの麗しい歌声と機械を運ぶ音が聞こえると、病人たちは「死神が魂を抜き取りに来たよ」と囁き合う。あの患者はもうすぐ死ぬんだな、と他の入院患者は知ることになる。
ゾーイは巨体の大酒飲みで、毎晩酒場で飲んでは記憶をなくす中年女性であり、葬儀屋の経営者兼、研究者だった。二十年かけて開発し特許を取得した「永遠の魂」は人気商品だった。生前の人の意識と記憶を機械に移植し、肉体が死を迎えても、機械の中で意識は生きながらえるというサービスだった。
まず、死期が迫った患者の意識を移植する。患者の脳半球と移植先の機械の脳半球を接続し、すり合わせが成功すると、両者の半球にまたがって一つの感覚意識体験が生まれる。次に記憶を転写するが、接続される前の記憶を移すのは困難で、夢を見ている最中か、過去を思い出している最中でないと取得できない。
よってゾーイは死にゆく顧客に、死後に持っていきたい記憶を一つ、思い出してもらうことにしていた。
しかし世間では、死の定義が曖昧になる、生への冒涜だという批判が根強く、一定の条件で営業を許可された。移植先の機械は人間の形にしてはいけない、墓地の敷地から出してはいけない、というものだった。
仕方なくゾーイは機械の形を球体にし、墓地内の芝生を自由に走り回れるようにした。ただの球体だと味気ないので、生前の顔をホログラフィーで見せるようにし、感情に応じて喜怒哀楽の表情もつけられるようにした。発話するときはスピーカーから音が出るようにし、深夜には充電のためコードに繋がれて、魂が光った。ゾーイの墓地には幾つもの小さな月が揺らめいているように見えた。
ある日、ゾーイの仕事場に探検家がミイラを持ち込んだ。中央アジアの砂漠でミイラを発見し調査をすると、約四千年前のものだが保存状態は極めて良いという。しかし毎晩夢にミイラの主と思われる男が出てきて「月に運んでほしい」と懇願してくる。地球から月への定期便に乗せることはできたが、奇妙に思った探検家は、ミイラの脳を解析し「永遠の魂」として再現してほしいと頼んだ。
ゾーイは断った。死者の脳から意識や記憶を移植することはできないからだ。「意識は脳の電子回路に生じるものだから、死んだら消えるよ。あたしたちはニューロンの塊にすぎない」
しかし気味悪がった探検家は、金を支払ってゾーイの元にミイラを押し付けて帰っていった。
ゾーイは好奇心に負けてミイラを開頭し脳を培養液に浸した。するとわずかな電流が認められた。時間がたつにつれ電流の量が増え、思考しているかのような動きを見せた。ゾーイは信じられない思いでミイラの脳と機械をリンクさせて移植させた。ミイラの「永遠の魂」が、スピーカーを通してゾーイに話しかけた。「また私は生き返ってしまったのですね」
ミイラの話は次のようなものだった。昔、ヤルダンのそびえたつ砂漠に腕利きの鍛冶屋がいた。評判を聞きつけた王が訪問したが、鍛冶屋の娘に心を奪われ、通い続けた。やがて王と娘の間に美しい男の子が産まれた。その子の名前はアーリフといい、この話をしているミイラのことだという。うたた寝をする王の前に、三人の白い服を着た老婆が現れ、アーリフを取り囲み、こう告げた。
「この子は今の王を殺し、次の王となるだろう」
「私は三つの不幸を与えよう。人の心が読め、一度見聞きしたことは忘れられず、永遠に生き続けるだろう」
「しかし、愛を知ったときに死ぬだろう」
これを聞いた王は暗殺者を送り込む。鍛冶屋と母親は殺したが、赤子を不憫に思った殺し屋は虚偽の報告をし、アーリフを自分の子として育てた。
人の心を読めるアーリフは全てを知り、家族を殺された復讐を誓う。やがて成人すると育ての親である暗殺者を殺し、次に家臣となって王に近づき、王も殺した。王妃は賢く妖艶なアーリフを気に入り、夫にした。彼の能力から人を操るのは容易かった。こうしてアーリフは王になった。
復讐を終えたアーリフは殺された者たちの悪夢に悩まされた。この国では月への信仰があり、死後、魂は月へ行き、永遠の命を得ることができるというものだった。しかし死者たちは夢の中で「月に行けない」と訴えていた。不眠が続き衰弱する彼の前に、あの老婆が現れて告げた。「『燃える湖に泳ぐ山』へ行きなさい。そこで弔い、怪鳥に魂を月まで運んでもらうのだ」
アーリフはカラブランが吹き荒れる砂漠を彷徨い「燃える湖に泳ぐ山」を見つけるが、死期の迫った者のみが渡れるという湖を越えることができなかった。そこへ老婆が現れアーリフを山へ導いた。山頂には怪鳥がおり、自分の寿命は九九九年で今日が最期の日だ、自分の代わりに魂を運ぶ役割をしてほしいと言い残して絶命する。アーリフは男の真似をして鷲の皮を剥ぎ頭に被った。死期の迫った者たちが、彼の元を訪れ、最期の懺悔をした。心が読め、見聞きしたことを忘れられない彼の脳には、砂漠の民たちの生涯が読み解かれ、記憶されていった。死者の記憶が二万を超えた頃、遂にアーリフは耐えきれなくなり、自らの身体に重しをつけ、燃える湖に身を投げた。焼かれながら湖の底に沈み、砂漠の民から身を隠した。
やがて数千年の時が流れ、砂漠の中の干上がった湖から、アーリフのミイラが発掘されたのだった。
ゾーイはアーリフに同情した。彼女は自分がなぜ毎晩酒を飲み、記憶をなくすのかを理解した。毎晩記憶を無くす、それは小さな死を意味していた。彼女はあまりにも多くの人の死を汲み取っていたのだった。
ゾーイはアーリフの苦しみを取り除きたいと願った。砂漠の民一人一人を思い出してもらい、「永遠の魂」に移植した。アーリフの記憶を全て移植し終わったとき、ゾーイは百歳を超していた。アーリフはゾーイに礼を言うと動かなくなり、永遠の命を終わらせることができた。人々は彼女をミイラに取り憑かれた狂人と噂した。
死期が迫ってきたことを知ったゾーイは、自らの意識を「永遠の魂」に移植し、アーリフと会話した幸福な日々を、移植する記憶に選んだ。
彼女は二万に及ぶ砂漠の民と自らの「永遠の魂」を梱包し、定期便で月まで運ぶよう運送業者に依頼した。ゾーイは夢想した、月に放たれた二万の球体が月面で弾み、彷徨い、この地球を見上げるのを。
老いた身体をベッドに沈め、ゾーイは息絶えた。しかし彼女が最後に見た夢を、誰も知ることはなかった。
文字数:2616
内容に関するアピール
この物語は、月をめぐる「救済」をテーマにした、大人のボーイミーツガールです。人の意識を機械へ移植する箇所は、脳神経科学者の渡辺正峰氏著『脳の意識 機械の意識』を参考にしました。終章「脳の意識と機械の意識」のSF続編を書いたつもりです。
私には不思議な友人がいます。飲みに行く度に記憶をなくすのですが、なぜか家に帰宅でき、翌朝ちゃんと子どもにご飯を食べさせてから出社します。非常に明るくチャーミングな女性なのですが、その意識と記憶の断絶が、私には小さな死に見えました。この話はそこから着想を得ています。
実作ではゾーイの心の変化と、ミイラとの交流を丁寧に描きたいです。さらにミイラの回顧録は色彩豊かに、幻想的に演出します。
参考文献:『脳の意識 機械の意識』渡辺正峰著(2017年11月発行、中公新書)
文字数:352