処刑台のセヴンティ
■1―1 2049年1月4日 熱海 【少年】
十七歳になったばかりの僕が腿にいっぱいの力を込めてペダルを漕ぎ、海を背に長くくねった急坂の通学路を登りきりようやく空を仰いだのと、視線の先、校舎の屋上から少女が自分を投げ墜としたのは同時だった。君との出逢いを誰かに訊かれる度、僕はそんな風に切り出し驚かせ、相手の浅薄な好奇心に復讐してやらないと気が済まないんだ。
毎年僕の誕生日はきまって凍えるように寒い。時代から取り残されたデザインの学校指定のダッフルコートが、綿を目一杯に凝縮したその重たさで、上気する全身の熱をじっと保ってくれていた。校庭を横切る靴の下で、よく育った霜柱がざくざくと上げる悲鳴を面白がっていると、幾つかの窓が開き、幾つかの視線が新しい死を見下ろした。白い息を吐きながら僕はそこに映る感情を数える。好奇心の輝きが2つと同情の涙が1つ。しかしその大半は、大きな音に反射的に振り向いただけの無感情だった。何にせよ、汗が滴るほど暖められた居心地のよい教室へと侵入してくる寒気への不平が飛んで、傍観者たちは合図したみたいに一斉に窓を閉じた。
みんなもはや慣れきっていた。二学期初め、夏休み明けの気怠い午後に最初の投身があって以来、落下地点となった園芸部の花壇は放棄され、腐るものでもないだろうと、弔いもされないままに積み上がるセーラーとブレザーの白と紺は層状のケーキに見える。
よく人の消える冬だった。それも、僕たちが将来にこのように在りたい、同じ生を生きたいと指標にし熱望し憧れていた成功者たちが、突如変貌しのっぺり平坦な表情で(それは「悟りスマイル」なんて流行語として人々の口に上ったが、まあ実際は彼らがメディア出演時のメイクを止めたことが実際だろう)引退を口にして、その度彼ら彼女らに心酔していた追従者連中は泣いたり怒ったり忙しく、結果屋上からの投棄は、時折飛んでくる野球部のホームランボールの落下より珍しくなくなった。
例えば誰かの顔をじっと10分間見つめれば、ただの一声を発さなくてもその相手について分かることは多い。人はひっきりなしに内側で思考を喚起させているものだし、それが顔の微細な筋肉の動きとなり感情を匂いたたせるもので、どれだけ記録芸術が幅を利かせても、劇場に通う足音が途絶えない理由もそこにあるのだろう。僕もそうして、とりどりの表情で人を魅惑する劇役者を目指していた。
けれど、屋上に佇む君の表情からはそうした揺れが一切排除されていた。偶然の入り込む余地もない完成品。十七歳の僕は天賦の演技力で、フォルスタッフからハムレット、桃太郎から村人Aまで、どのような役のどんな表情でも写し取れることを自慢にしていたけれど、君のデッドフラットな無表情はまねようとしても、模倣しようというその意図自体がたちまち邪魔をする。それで僕は、ぐにゅぐにゅうと柔らかな死者の丘を踏んで、熱可塑性エラストマー複合素材で出力された二分の一サイズの君の半身を拾い上げて屋上へと向かったんだ。
「誰がいなくなったの?」
「おじいさん」
そうして僕らの物語が始まった。
●
「それで、演劇部に誘ってみたんだけどさ、断られた」
「いったいどうやればその状況でそんな話になるの」
「一人いなくなったのなら新しいのを一人育てれば良いと言った」
「カスガくんだけだよ、そんな風に考えるのは」
秋ごろまでは悪友として罵り合ってた演劇部部長の彼女が、このところ距離が近く、狭いベンチの上で身体を摺り寄せてくる。
「カスガくんの考えていること、わたしにもよく分かるんだ。素晴らしい役者になるためには、たくさんの人といろんな関係を築いて、演技の幅を広げることが重要だよね。カスガくんのことは尊敬しているよ。この学校のほとんど全校生徒みんなと知り合いで、信頼されて尊敬されて期待されて愛されている。でも、アイに構っても何の利益にもならないよ。あの子は誰にも興味がないんだもの。アイはカスガくんとは正反対。友達は一人もいないし、誰とも話さないし、憎まれてさえいない」
役者らしく活舌よく捲し立てる声はまるで戯曲のセリフ合わせで、その抑揚は舞台上においては、『わたしは今役を演じていますよ』というシグナルを客席に伝え、それはそれで悪くはないのだけど、普段の会話の中までそれではわざとらしさが際立ってしまう。
「ありがとう、部長」
僕はうきうきと立ち上がる。僕の十七歳の瞳は、紫外線の混じる午後三時の日光を映して輝き、僕のきっぱりとした長身が、部長の顔を斜めによぎる濃い影を落とした。
「そうかそうか今分かったよ完璧に分かった! 反対そう正反対だからこそ、僕はあの子とつながりたいんだ! アイキャンコネクト!」
唐突に訪れた理解。その一方で傍らでふくれる少女については全く分かっていないところが十七歳らしい愚かさだった。無言で立ち去った彼女は帰りがけに半身をプリントし、翌日屋上から投げ墜としてから僕とは二度と言葉を交わさない。芝居めいた退場。
●
ここは住宅地含め直径僅か2キロメートル程度の狭い町で、僕の協力者となる暇な友人にあふれているから、情報を募って君の居場所を把握することは簡単だった。「やあ、偶然だね」夕暮れの中かけた言葉が、僕が君についた最初の嘘だ。僕は今までついた嘘は一つ残らずすべて覚えていて、複数の嘘同士が矛盾をきたす下手な真似もしないし、当然罪悪感も感じたことがない。「嘘はつき通せば現実だ」十七歳になった息子に送る言葉としては疑問を感じるが、僕の父親らしい意見ではある。
僕は既に、自分が君を救う主人公だという確信を強めていたし、「ずっとこの時を待っていた」ことを示す前日譚をエクセルシートを用いて捏造することに午後の授業を捧げていた。無口で無表情なヒロイン(君のことだ)が、苦難の末、閉ざした心を主人公(僕のことだ)へと開き、最高の笑顔で締めくくるという十二話完結のシナリオ。多少の嘘は、ドラマティックな展開を生むための手段として最終的には正当化される。ここ数年の景気の上向きのせいか、そんな脳天お花畑ぱっぱらぱーのトレンディドラマが次々リメイクされていた。日本は豊かさを取り戻し始めていて、海辺の町で若者たちは希望に満ち、もはや路上でひからびて倒れる者も見ない。
「何を読んでいるの?」
もちろん僕のシナリオは根本的に間違っていて、君は主人公どころか誰一人必要としていなかった。
「おじいさんがくれた本です」
「どんな話?」
夕暮れを頼りにベンチに積まれた本の題名を調べれば、どれも昔のSF小説。君は断片的に言葉を並べてくれたけど、要領を得なくて、僕はにこにこと頷き相槌を適当な戯曲から引っ張り出す。夜には君の手にあった真っ白い表紙を買い求めてみる。それらのフィクションたちはどれも2000年前後に書かれたもので、たぶん時代の流行だったんだろう、自我の消失を欲望する人々が右往左往しており、結局その欲望がかえって激しい自我を浮き彫りにしているように見えた。
「君もきっと同じだ、そうなんだ!」
もちろん僕は間違っていた。
■1―2 2050年1月1日 東京郊外 【老女】
5…4…3…2…1…ゴーン、ゴーン、新年あけまして、おめでとうございます。2050年、21世紀も折返しという一区切り。1月1日は私の誕生日だったりもして、70歳、1980年生まれの、セヴンティ。ゴーン、ゴーン、わたしもそろそろ、おばあさん、の呼ばれ方を受け止めなければいけないような、自分にとっても区切りの年である。ゴーン、ゴーン、同じ抑揚、同じ間隔で鳴らされる電子合成された鐘の音は、味気ない。最後に鐘を撞いたのはいつだったかしら、もう数十年前か、小さい頃近所のお寺に詣でて、父に撞き方を教えてもらった思い出がある。
「いいかいレン、ロープを押し出しちゃだめだ、しっかり後ろに引いて、あとは慣性に任せるんだ」
慣性ってなあに? 訊き返した私に説明できずに、慌てた父の姿はおかしく、かわいらしく、よく覚えている。その通りに私が試したら、鐘は大きな音で鳴った。父が撞くと、もっと大きな、それまでいちばんの音で鳴った。他の参拝客がざわめき私は誇らしかった。
今からでも、どこかに撞きに行こうか? うそうそ、そんなことをしても、どうせ独りでは寂しいだろうし、まあ良い、風情もないけど今年は機械に任せよう。私は諦めが良い。ゴーン、ゴーン、ゴーン、百八回鳴った後、自動で止まるらしい。
「特別な日には、何か特別なことをしましょう。ささやかなことで構いません。あなたがそれを特別と思えることが大切ですよ」
私は本に書かれた文章を読み上げる。この手の「生き方本」は、私の若い頃にたいへん流行っていた。大きなお世話、と言いたい内容も沢山ある。シンプルな暮らしを心がけましょう、ものは沢山持たず、良質なアイテムを少しだけね。いまの若い人には奇妙に聞こえるだろうか? 私も当時はバカにしていたけれど、今読み返してみるとやたらと沁みるのだ。
私は、長年を経て萎びたバッテリーのせいで二時間も点灯できない、擦り傷だらけのスペースグレイのスマートフォンを取り出し、もう数十年繰り返してきた仕草で小さな四角へと順に触れていく。mixi、Twitter、Facebook、LINE、どれも公式の運営は終了してしまったけれど、有志が引き継いだり、複製したりでどうにか維持され続けてきた、私たちのインフラ、私たちのプラットフォーム。一たび開けば、どんな些細な、幾百回も反復されてきた他愛ない日常のパタンに向けて、細やかな配慮と愛情をもって「いいね」を返すのだった。誰かの庭に花でも咲こうものならもう熱狂! ときおり、誰も更新をしない空白の数分間があったとしても、私たちはmixi、Twitter、Facebook、LINE、閉じて開いてぐるぐる巡れば何かが新しくなるような記憶喪失を受け入れて、スクリーンのガラスフィルムに指紋跡をつけ続けた。
気が付けば除夜の鐘は鳴りやんで、代わりにびいびいとうるさい警告音に気づいてしまった。就寝推奨時刻はとっくに過ぎていた。私の健康を考えて作られたスケジュールなのだろうけど、今夜は特別な日、ちょっとの夜更かしくらいは許してほしい。そのほうが心の元気、ひいては身体の健康にも繋がるのだから。なにかと窮屈な時代である。
「おやすみなさい」
そう告げれば、アプリの合成音声が返事をしてくれる。
「おやすみなさい、[鈴道恋(レン)]さん、良い夢が見られますように」
●
夢は見なかった。私は毎晩熟睡する。私はスチームルームで丁寧に身体を洗う。私は私の身体が好きだ。私について私が最も好きなのが、私のこの身体、喜びが湧いてくる。クリスマスのオーナメントの色ガラスのように、固くなめらかで光沢のある私の肌を見て、七十歳と看破する人はいないだろう。弾力ある飴色の皮膚をチェリーピンクに輝かせる血管が熱い湯でほぐされ元気よく脈打つ。たるみなんて全く無い胸から腰にかけてのラインが好きだ。腋を洗う時にすっと掲げた二の腕はピンと引き締まり、二頭筋、三頭筋も上品なバランスでついていて、その衰えない筋肉を見て私は微笑み、このセヴンティの身体にうっとりとした。簡易スキャン診断、スマート体重計、私のためのエクササイズ、加圧トレーニングメニュー、食事管理に睡眠管理、私のくたびれたスマートフォンが精一杯に働いて、私を把握し、作り上げてくれるこの身体。昨夜の私は元気がなくて、「おばあさん、を受け入れなくては」そんな思いがよぎったけれど、ちょっと考え直して、これならあと5年は先でいいのではないかしら。私は高齢者とかシニアとか呼ばれるのが嫌でたまらないし、「そうした呼び方があなたを老けさせるのです。意地っ張りと言われても、簡単に許してはだめよ」、と昨日の本にも書いてあった。
脱衣所からアラームが聞こえ、はいはいただいま、いやだわ、無機物に向けてお返事するなんて、ババくさい。短い歓びの時間は終わり、やれやれ、私は勤労女性だ。くすんだグレーの作業着に着替えたらもう鏡を見たくない。私はもちろん、特定の職業を差別するつもりはないのだけれど、どうしても清掃員というのが好きになれない。それは私の問題というよりも、社会の中でその仕事がどう見られているかに原因があるのだろう。汚れたものに触れることが忌避されるのではない。機械によって自動化され得る作業というのはなんでも軽視の対象となるのだ。よく売れた新書にそんなことが書いてあった。
父が病気で亡くなった後、私の母は私の嫌いな清掃の仕事を始め、私は美しかった母のねずみ色の作業着を悲しく見つめたものだ。そういえば様々な運転手たちが自動化によって消えてしまったのも、淋しいことの一つだ。私は既に私を待っていた無人の通勤車に乗って仕事場へと向かう。新型の丸い車体は全面が一つながりのガラスで、風景をたっぷりと楽しめることが嬉しい。そういえば、次の角を曲がったところにある梅が、もうつぼみをつけているだろう、私の素敵なInstagramにアップしよう。私は頼りない充電池を早朝から失うことも構わずに、カメラアプリを起動しっぱなしにしたスペースグレイを構え、うふふ、今夜はきっと通知音が鳴りやまないだろう、承認が強く満たされる夢想に動悸を激しくてして交差点を待った。
梅は知らない間に伐られていた。
■1―3 2000年 【男】
シドニー、ニューサウスウェールズ美術館の入口ロビーを夥しい木製の棺が埋め尽くしている。一瞥した衝撃から逃れて観察すれば、そのニスも塗られていない、ざらつく無垢の平板を組んで乱暴に釘留めしただけの簡素な直方体には、幾つかの異なるサイズがあり、最も小さい箱は長さ僅か70センチで、胎児かあるいはせいぜい2歳程度の幼児しか納めることが出来ないということに気づき、俺はまたじっと立ち止まる。箱の上端、顔のあたりには掌を広げたほどの大きさの覗き窓が開けられ、その四角い闇から細い樹の幹がちょうど人間の背丈くらいの高さににゅっと伸び、堅く光沢のある葉が午後の光をちらちらと反射している。棺の形式こそ無個性だが、当然ながら樹々はその幹の曲がり具合、枝葉のつき方にそれぞれ大きな違いを持って茂り、気づかないほどゆっくりと、しかし確かに成長を続けていた。
繋がれていた右手にぐうう、と力が込められてようやく傍らの彼女の存在を思いだし、デート中に茫然自失していたことを謝ろうとそちらへ目を向ければ、俺の恋人はその美しい横顔を僅かに歪めて俺以上にその墓地あるいは林を凝視している。
●
「ヨーコ・オノの作品群はどれも二項対立を混乱させるという身振りが共通しているんだ。多くは常識とそのルールの範囲外にある世界。合間を貫通するために用いる武器は想像力。あの出口にあった棺もその点から解釈することが出来るよ。棺という死と、樹木という生、棺の素材が木材すなわち死んだ樹であることも加えて良いかもしれない」
「でもね、ゴホンギさん」
赤と青のストライプのノースリーブは少し肌寒そうに見えるが、そこから伸びる恋人の腕の素晴らしい輪郭線に俺は感銘を受けていた。ウォーターフロントのレストランからはオペラハウスが見えたし、テーブルに並ぶ蟹のパスタとグラスワインが十分に赤く鮮やかで俺は饒舌になった。けれど美術館を後にして以来、彼女は思い詰めた様子で口少なだった。
「あの作品には、いいえ、あの場所、あの空間には、そうやって概念で捉えられる以上の何かがあると感じたんです。それがずっと私を離さない」
その言葉に、俺は衝撃で気を失いそうになる。春休みのアルバイト代をつぎ込み恋人と訪れた海外旅行、一日の締めくくりに待つ性交の予感にテーブルの下で勃起しかけていたペニスが痛いほどに腫れほとんど射精しかけたが、それは性的欲望によるものでは決してなく、もちろん俺もあの空間に畏敬を感じていたからだ。それを小賢しい枠に当てはめ理解したつもりになっていた愚かさを根っこから暴き出してくれた。なんてことだ、この恋人は俺の欠けたものを満たす俺の半身だ!
「戻りましょう、そうして、閉館時間まで、あの場所で、あの場所の意味について感じ、語り合うんだ、レンさん!」
俺は恋人の手を乱暴に掴んで立ち上がる。二度と離さない強さで。
■2―1 2049年8月31日 熱海 【少年】
またもや空に樹脂製の人形が舞って、その墜落には単純に儀式以上の意味はないのだけれど、データベース上ではまた別の事態が進行していて、昨日まで舞台上で共演していた仲間が別人のような笑顔を見せてもう振り向かない。
「ディヴ墜としは癖になる」
小ホールの最前列に浅く腰掛け苦笑するスキンヘッドは、毎週演劇の指導をしてくれる「あたみパブリックシアター」の演出家で、僕たちはただ「先生」と呼んでいた。だがその「僕たち」もずいぶん少なくなり、裏方を除けば舞台上で脚光の熱に汗をかいているのは僕一人。定期公演の演目は、イッセー尾形の独り芝居に変更せざるを得ない。
「昔も『ケータイリセット』ってのがあってさ、こんぐらがった人間関係を端末と一緒にぶち折って投げ捨てていたんだ。今はもうちょっと洗練されてるんだろうが、その分やっかいかもな」
分人(ディヴ)はもともと、フランスの思想家ドゥルーズの概念だが、日本で広まったのは作家、平野啓一郎の著作の影響が大きい。近代に発達した分割できない個人(individual)という概念に対し、ある相手や共同体の中で生成される個々の人格を分人(dividual)として捉える。一つ一つの人格はその場でのみ生成される独立したもので、中心的人格、いわば『本当の自分』を想定しないという点が例えば様々な人格を「演じる」ペルソナの考えとは異なっている。
「社会関係を切り捨てるのは気分が良くて、新しい可能性が広がるような期待感を与えてくれる。ただ、ハマって快楽を得るようになるとまずい。やがて全部を無くすまで消し続けたくなる。可能であるなら、親や恋人に至るまで」
そういえば、と僕は思い出す。墜とされたディヴの残骸の中には、同じ顔をしたものも数組あった。
●
「アイ、何か欲しいものはない?」
僕はまた幾つかの嘘と引き換えに君とのデートを仕組む。君は無口などという次元を超えていて、出会いから半年以上も経つのにエクセルシートに描いた僕のシナリオは3セル分も進まない。
「アイ、何でもいいよ、何かしたいことはない?」
話しかければ応答がないわけではなかった。君は僕と二秒ほど視線を合わせると、分からない程かすかに首を横に振ってから視線を離す。ゆっくりと滑らかな動作は、その短い、手入れのされていない髪を僅かにも揺らさない。けれど、厭わしさや拒むような様子もなかったから、僕は君を連れまわし、過去に友人やグループで行ったあらゆる交流を試し、君との絆を打ち立てようと涙ぐましい努力をする。今日こそは、とスニーカーを弾ませて出発し、今日もまた、と肩を落とすことを何度繰り返しただろう。夏休みを君ルートの攻略に捧げても、少しも君とのディヴが育った実感が得られない。
「アイ、昨日配信された映画は見た?」
僕はなるべく君の名前を呼ぶ。それは今だって変わりはしない。そうじゃないと、その短い名前さえが君から剥がれてしまいそうに思えたから。大体、君は名前を必要としていたのだろうか。
「見ていません」
君は本当に何も見ていない。祖父から贈られたという本も、読み終えた後には二度と開いた様子がなかった。
「アイ、神様を信じている?」
「分かりません」
価値判断を求める問いにはそう答える。最初に感じた恋の電撃ショックは薄れ、次第に気味悪さが取って代わり、やがて僕は君が人工知能を搭載したロボットが人に擬態しているのではないかと疑い始める。だが君の仕草、べたつく海風に煽られた髪を押さえるときの指の小さな震え、アイスクリームを舐めとるときの舌のなめらかな動きとか、海岸の鋭い石で右足首を切ったときには顔をしかめ涙を浮かべさえした、それらの瞬間のコレクションに、僕はいちいち衝撃を受けた。僕の演技は文字通り劇的に変化した。
「僕はこれまで、戯曲というものは作者の抱いたメッセージを観客に伝達する、いわば意味のコード/デコードの装置だと考えていたんだ。けれど今では、物語と舞台の流れとか、台詞や動きその全体が、役者たちのある表情、数値に還元できないアウラに満たされた特別な『顔』を作り出すために存在しているように思えるんだ」
君はうなずきもしない。精神疾患あるいは脳機能の損傷を疑い、診断プログラムを試してもらいさえしたけれど、結局僕は、君が単に、欲求をほとんど何も持たない、ただそれだけなのだと結論付けた。傍から見れば、もはや僕が君にこだわる必要はないように思えただろう。けれど、僕は既に引き返せない地点まで来ていた。
●
夏休み最後の夜。僕はシアターから大型の台車を拝借し、ひと夏の体験やら魔物やらの儚い終焉を飲み込んでさらに高く積もり、既に二階の窓にまで届くほどそびえたディヴ人形の丘を崩しにかかった。
三日月の薄明かりの下で、僕はすぐ、誰もがその作業を回避してきた理由を知る。この行為の本質は死骸の埋葬だ。半分サイズとはいえ、三次元的にスキャンされ高分子材料で出力された人体は不気味なほど持ち主に似ており、知り合いの顔を見つけるたびに僕は吐き気を蓄積させていく。悪いことに僕はこの学校にとても多くの知人を持っていた。
いつか先生に見せられた、百年も昔の民族虐殺の記録映画で、大量の遺骸をブルドーザーが建物の瓦礫とともに搔き集め穴に落として焼くシーンが思い出された。おそらく、これは正しく死体なのだ。ある精神が絶えて、その痕跡としてモノ=肉体が残るという点で人体と人形は変わりがない。落下自体は儀礼に過ぎなくても、それを契機に、彼らはクラウド上に保存されていたあらゆる痕跡、グループチャットの交信や交わした音声データ、ライフログの積み重ね、お互いの理解を着実に深め、豊かなディヴを育て上げるため蓄積されたそれらに、修復不可能な消去を与える。そうした関係性の電子情報を一種の「心」とみなすのであれば、分人が死んで残されたこの人形の定義は、死骸と区別できない。
夏バテ気味の死体処理人が、長い時間をかけようやく地面に近づいた頃、ふと手を止めてひとつの影をより分ける。少し掘り進めてまたひとつ、次第にその間隔は狭まり、選別された屍が別の小山を造りはじめ、二十を数えた頃、遂にグラウンド・ゼロである小さな花壇が姿を見せる。干からびて色のくすんだ花に埋もれるように葬られていた最初の一体は、温暖化進む強烈な夏のにわか雨の襲撃からも、亡骸の屋根に守られて清潔を保ったままの、やはり、君の顔だった。それは誰とのディヴだった? 今の僕にはわかる。それはただ一人で在る時の君、アイ、私。
■2―2 2050年1月1日 東京郊外 【老女】
私が今でも働いている、と私のことをよく知らない人へ話す機会があると、えーっ! と驚かれてしまう。それを可哀想だと同情してくれる人もいる。その度に、私は望んで働いているのに、と居心地の悪い思いをしてしまう。いろいろな考えの人がいるのは分かる、けれど、歳をとっても仕事ができるというのは、私は幸せなことじゃないかと思う。「仕事を持っている人は強い、仕事とは、経済的報酬を得るだけでなく、生活の『核』となるものだと私は呼びたいのです」先月読んだ本にも、そんなことが書いてあった。それに私はまだまだ元気だし、簡単に疲れたりもしないし、移民のミドル・エイジたちにだって負けていないと思う。
私の仕事を説明することは、少し難しい。団地の清掃員というのが実情に合ってはいるだろうけど、それよりはまだ、介護士とか、園芸家と呼ばれたいのだ。「ほんとうの園芸は、やむにやまれぬ一つの情熱だ」なんて、ステキな一文が本に書いてあるのを見つけたけれど、私も情熱をもって仕事をしたいものだ。
けれども、この森には小鳥の一匹もいなくて、寂しい。私は口も利かずに一人セラミックの樹々の間を歩き、小動物の代わりにあちこちうろつく自動掃除機が掃き残した狭い隅を覗き込み、温度計や湿度計や、その他何を示しているのかも分からないような、壁を埋めている計測機械が正常な値を指しているかを確認したりする。実際はそれも、どこかの制御室で自動的に管理されていて、本当は人間の手なんて要りはしないのだ。私の仕事の大半は、だから、すべてが滞り無く行われるのを見守ることだけだ。
それでも、柔らかなモノを扱う以上、堅い自動機械だけでは無理なことだってある。作業端末に通知が届けば私の出番、両手をぎゅうと握りガッツポーズを作ると、私にしかできない仕事にやりがいを奮い立たせ、エレベーターを乗り継いで、老木を診断しに向かう。樹のお医者さん、と私の仕事を呼んでみるのはどうだろうか? 今夜にでも同僚たちに提案してみよう。ほとんど顔も見たことがないが、ちゃんとお友達なのだ。
この辺りはもともと、もう百年も前に、田畑には向かない湿地を拓いて大規模なベッドタウンとして開発されたのだそうだ。もちろん幾度か改修の手が加えられてはいるけれど、建物は昔のまま、くすんだクリームの住宅棟がドミノ板のように地平線まで連なっている姿は、じっと見続けていると気が遠くなる圧巻の風景だ。
私も幼い頃、小さな団地に住んでいたのだけれど、たとえ同じ形式の玄関先だって、家族みんなのカラフルな傘が軒先にぶら下がっているとか、格好いいサンタクルーズのスケートボードが立てかけてあったり、子どもたちが学校の技術家庭科の授業で造ったのだろう、動物キャラクター入りの可愛らしい表札が掲げられていたりと、それぞれの個性がにじんでいた。ここではそうした生活の匂いは残らず削り落とされて、ループしていないかと疑うような無限回廊、方向音痴の私なんかは、作業端末がなければすぐに自分の位置を見失ってしまうだろう。部屋番号を頼りに暗い森に分け入り、私にしかできない私の仕事に取り掛かる。
汚れたお尻を抱え上げ、詰まっていた自動排泄装置を所定の方法で清掃し、しっかりと拭き取り、消毒し、それから口元にも身体にも皺がひどく、筋肉はたるみ、きっと私よりも年下なのだろうけれど、でも私以上にお年寄りに見えるその彼女の両脚を広げて、丸見えになった陰部を見ながら肛門を拭き取る。私の仕事について、介護士、といったのはこういうわけだ。そういえば、若いころに本当に介護の仕事をしていたことがあった。その頃お世話していたおばあちゃん、おじいちゃんたちは、愚痴やら他愛ない世間話やらいろいろとうるさいときもあったけれど、お風呂で気持ちがよければ笑ってくれたし、私の目をまっすぐに覗き込み話しかけもしてくれた。
でも、ここは本当に静か。
「キレイになりましたよぉ、気持ちいいですか?」
返答を期待せずに声をかけてみると、彼女はぷぅ、と小さなおならを返した。
●
それからまた通知が来て、枯れたものを処理する。
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午後にはまた通知。やれやれ、お正月からどうにも忙しい。けれど、それが特別棟での作業だとわかり、私は少し緊張してしまう。外が見えない通勤車は不安になるし、ようやくドアが開くのも地下駐車場と、やたらに機密保全が厳重なのだ。窓一つない玄関ロビーは大理石とシャンデリア、こんなに豪奢にする必要ってどこにあるのかしら? 私の冴えない作業着姿は、その景色のどこに置いても場違いに感じられて、隅っこの方で縮こまり時間を待った。でも、そこに現れたのはさらに場違いな、夏空の入道雲のように白いセーラー服。
驚きはしたけれど、実はこれが初めてではない。最近はこうした子どもも多いのだ。それでも私が立ちすくんでしまった理由は、若さではなく、彼女のその美しさだった。迷宮のような廊下を進んで個室へ案内し、一切言葉を交わさないまま衣服を脱がせ、悠々と裸で腰掛ける姿はまるで女王さまのようだ。代謝物をすっかり落とした身体をふわふわのタオルで拭いていく。その肌のテクスチャは、私がこれまで手にしてきたどのような布地よりもなめらかで、ほとんど内側から輝いているように錯覚され、私は少し泣きそうになる。私は嫉妬なんてしたりはしない、ただあんまりに尊く思えて、手を合わせてお祈りでもしそうになったのだ。
子どもたちはここで、幸せになるのだろうか?
私の父は戦後まもなく生まれ、高度成長期をがむしゃらに生きて、自分たちは日本という国を豊かにはできたけれど、お金だけで子どもは幸せになれるのだろうか、そういつも悩んでいた。私の母も、その父が亡くなった頃に、ちょうどアメリカでの大きなテロが起きて、すぐ後にも戦争や様々な問題が噴出した世界を眺め、この国はどこへと向かうのか、子どもたちはどうなるのか、とよく心を痛めていた。私はどうかといえば、若い頃には「ロストジェネレーション」なんて呼ばれ、本当にひどかった。せっかく命を授かったのに、生まれたときから「不幸になる」と聞かされて育つ子どもは、かわいそうだ。私の世代はそれが身に染みているから、自分の子どもたちに「良い時代に生まれてきたね」と言えるようになりたい、そう願って頑張ってきた。
たぶん、私のこの仕事は、誰にでもできる、機械にもできてしまうような些細なものだと考える人もいるだろう。けれど、私やこの森は、やっぱり若い人たちの活躍を支えていることも確かだ。そう思えば、私にもやりがいと大きな責任感が湧いてくる。私はいま、未来への不安に心を痛めていた天国の両親に、胸を張って言えるだろう。お父さんとお母さんのおかげがあって、私は、私たちの世代は、若い人たちに幸せな未来を用意してあげられたました、と。赤ん坊たちに、生まれてきてよかったねと、誇りをもって微笑みかけられるのだ。
赤ん坊。もう何年も見ていない。
「でもあなたはどうなの本当に幸せなの若いのになんなのよねえどうなのどうなのよどうして何がどうなってここにいるのよあなたはなんなのよ」
「いまの若い人の行動に苛々することもあるでしょう、けれど怒ったりするのは禁物です。あなただって自分の若いころにはうんと愚かで、何も知らなかった。そして、それを見守ってくれた人もきっといたはずですよ」そんなことが、数週間前に読んだ本に書いてあった。書いてあったのに、私は気づけば両腕を痙攣気味に震えさせ、その無防備で小さな生き物をゆさゆさ前後に揺すっていた。だがこれは生きているのだろうか。
私はやがて遠い未来に、イソギンチャクとミニブタあたりの遺伝子を掛け合わせて作った人工の筋肉の塊に電極を張り巡らして動くようにし、3Dプリントした人間の皮をかぶせて永遠に性欲を満たすためにあらゆる前後左右反復運動をプログラムされた肉人形がもし生まれたとしたら、こんな存在かもしれないと想像し、ぐうらぐうら、少女を揺すり続ける。痩せて平坦な胸の丘の上、ああ、切り落された梅のつぼみはこんなところにあったのだ。
伝導液に手が滑り、裸身が宙に投げ出され大地に激突する。そういえば、私も大学生の頃、吉祥寺の路上で交通事故にあって、ちょうどいまの彼女のように半回転してから地面に激突し、ちょうどいまの彼女のように口元を切って、買ったばかりの無印良品のブラウスに血の染みを広げたことを思い出した。幸いそのときの私のケガは大したことはなかったけれど、ああ、この弱々しい少女は壊れはしなかっただろうか。私はコミカルな漫画に出てくるそのままに両腕をばたばたと動かし、慌てふためいて、ごめんなさい、ごめんなさいねえ、ごめんなさいねえ、大丈夫よ、こんなの全然平気よね、大丈夫よ、ごめんなさいねえ。骨ばった裸身を抱き起しなおも呪文のように謝罪を繰り返し続けていた私の頭の上に、彼女の手が載せられて、なで、なで、なで。優しく動く。
許されたのだ!
はっと私は私の撫でられている頭を上げて、いま私の胸で鳴り響く悔恨と感謝の鼓動をどのような言語情報にして彼女へ伝達しようかと迷いながら、しかしすぐに気づいてしまう。私が顔を向ければ、その顔を構わず撫で続け、私の鼻水が付着したその指の隙間から覗く、彼女の眼前をすっかりと覆う、仮想ゴーグル前面のサブディスプレイは彼女の視界を示しており、そこで私は可愛らしい二足歩行の羊として認識置換され、私の深い胸の奥から湧きだした誠心誠意の謝罪の言葉も変換されて、
めぇ、めぇ、めぇ。
羊はとてもかわいいと思う。確か私が5歳くらいのとき、夜に大きな地震があって、私はそれから眠るのが怖くなってしまった。すると母が、レンちゃん、羊を数えると眠れるよ、と沢山の羊のぬいぐるみをプレゼントしてくれたのだ。私は大羊(めいちゃん)を抱き、小羊(ちびちゃんたち)を枕元に並べ、布団に頬杖ついて数えたものだった。牧場で生きた羊に抱き着いたときは感動した。めぇ、めぇ。私はかわいいだろうか。私は本当に羊になってしまった自分を想像し、猛烈におかしい気持ちが込み上げてきた。めぇ、めぇ、めぇ。私が羊だとして、それにかしずかれているお前たちは一体なんなのだ?
■2―3 2018年―2020年 【男】
「ねえ、レン、怒らないで聞いてほしいんだ。高齢者というのは、労働を介して社会との接続を行えないし、未来においても行う見通しがない、古い概念でいうならルンペンプロレタリアートだよ。それは近代的な『人間』のカテゴリにさえ入ることができない。もちろん俺がそう考えてるってわけじゃない。ただ、経済合理性の観点からすれば、彼らは負債としてしか捉えられないんだ。昨日のニュースを覚えているかい? 振り込め詐欺の大規模グループがようやく逮捕されたんだけど、彼らの新人詐欺師養成マニュアルにはこんな風に書いてあったらしい。『福祉費用と高い年金で若者の将来を圧迫し、経済を悪化させている老人という連中は日本のガンだ。やつらが溜め込んだものを再分配することは、社会的貢献であり、罪悪感を感じる必要は全くない』
今はまだいいよ、高齢者たちにはどうにかやっていける貯蓄があり、俺たちにも良識が残っている。でも、あと20年もすれば悲惨な事態がやってくる。高齢者人口は4000万人を超えるし、就職氷河期やデフレ期を過ごした世代は年金も低く、生活保護が必須になって財政のパンクは必須だ。そうなれば、高齢者への悪感情だって歯止めが利かなくなる。
俺たちにだってお金が必要なことはわかってるよ。マイをいい英語塾に通わせてやりたいし、車だって買い換えたい。でも、挑戦してみたいんだ。思い付きで言っているわけじゃないよ。アイディアもずっと温めてある。ほら、覚えているかい、結婚する前に行った、あのシドニーでの展示……」
●
その会話から数年が経ち、俺は自宅兼オフィスでの取材を受けていた。新製品のテストが佳境で時間は惜しかったが、海外とも連携した有名メディアだ。融資につながると思い依頼を快諾した。
「ゴホンギさんは、現場から介護機器の開発に転身されて、短期間で大きなイノベーションと売り上げを達成され注目されています。まずは看板製品の『だいち』について聞かせてください」
俺は手元のタブレットを操作し、広告写真を引っ張り出す。【最先端の介護テクノロジー ユニット交換式全自動浴槽『だいち』】
「全自動浴槽自体は、既に多くのメーカーさんも製作されていたんですけれど、まずはコンパクト化と、メンテナンスしやすさを中心に改良を加えました。需要増の背景は、独居の高齢者人口の増加や、介護施設での人手不足がありますね。みなさんの第一の悩みってね、『面倒をかけたくない』なんですよ。だから、たとえ寝たきりに近くても、自分でできることを増やしていこう、っていうのがコンセプトです。『だいち』で画期的なのは、外部ユニットの規格を全部公開して、他社製品も含めていろいろと機能を増やせるようにしたことです。技術が盗まれちゃう危険があるので、会社にとっては冒険でしたけど、そのおかげで政府支援も受けられたので、結果的には成功でした。自動排泄処理装置とか、筋肉マッサージ機能の良いものを別会社さんが製作してくれて。それからベッドとも連結させて、低コスト化も進めました。IT会社から健康診断機能の連携の話も来て、医療データの収集にも一役買いました」
そのデータの権利関係で相当儲けさせてもらったことが喉まで出かけたけれど、どうにか胸の内に留めておく。
「今回発表された新型の『だいち』ですが、ヴァーチャルリアリティを楽しめる仮想ゴーグルが標準装備となっているのが特徴ですね。浴槽機能を使いながら温泉の風景を楽しんだり、ベッドモードでは世界中へのヴァーチャル旅行にも出かけられます。ただ、他社製品でも同じことは可能だと思うのですが、あえてここにこだわった理由は?」
「VR技術に目が向いたきっかけって、実はあるSF作品がきっかけなんですよ。幼い頃にHIVに感染してしまった女の子が登場するんですけど、彼女は人生のほとんどを、病院の狭い無菌環境の中で生活せざるを得ない。そこで、VRの仮想空間が文字通り彼女の現実となっていくんですね。高齢者にも少し似たところがあります。現実世界での行動範囲や可能性が狭まったとき、いえ、狭まったからこそ、仮想空間を新たな現実として捉えることが出来るようになる……ただ、もう一つの世界と言い切るには、まだまだ技術不足です。やがては、『フルダイブ』――現実と見間違うくらいの、五感全てで体験できるものを提供したいと考えています。そうしてはじめて、そこが彼らにとっての『世界』そのものと言えるようになると思います」
玄関の方からバタバタと足音が聞こえて、『パパー、ただいまー』ランドセルを背負った娘が飛び込んでくる。そこで記者に気づき、慌ててお辞儀をすると自分の部屋に隠れた。
「お邪魔してしまって、申し訳ありません」
それに続いた声に、記者は、構いません、と笑ってICレコーダーを止めた。
「妻のレンです」
二十年前と変わらず美しい彼女が微笑む。
■3―1 2049年12月31日 熱海 【少年】
初期の仮想現実技術は、人々の期待するほどのスピードでは進歩せず、高齢者たちの楽園とも程遠く、その機能は忘れ去られた。とはいえ、仮想ゴーグルの解像度や反応速度は次第に改良され、やがて仮想オフィスが怠惰な社員を監視できる程度のリアリティを獲得すると、人々は遠隔地から「出勤」することが可能になった。特に若い家族が、貧困化して荒れる東京を離れて、各地に小規模なコミュニティを作りはじめた。熱海もその一つで、これらの小都市には老人がほとんどいない。
またもやよく人の消える冬だった。少し上の世代のアイドルやスポーツ選手、芸能人たちが、人気の火が衰え始めた辺りで、犯罪や不倫、不祥事を起こしては二度と画面に現れなくなる。有名人としてのディヴは歪に肥大しがちで、一たび壊れると他のディヴも巻き込んで潰れやすい。ディヴの激しい喪失は、社会関係資本を著しく減少させる。十数年前に経済破綻しかけた僕たちの国は社会評価にやたらと厳しく、未来の利益予想がマイナスともなると負債持ちとみなされて、ご丁寧に既に生活保護制度が破綻しきっていることの説明と、代わりの選択肢として、世界への招待状が送られる。けれども、故意にディヴを切り落し、内側に閉じようとする人々の増加を、制度の設計者は予想していただろうか?
●
「ようやく許可が下りました。東京に行くので、お別れです」
初めて自発的に君が僕を訪れてくれた朝、いちばん聞きたくなかった台詞がその口からこぼれた。たぶんこれまで聞いた君の声の中で、最も明瞭な一声だった。僕はずいぶん前からこの日を予感していたから、似合わないダッフルバッグを脇に抱え、心なしか足取りもいつもよりしっかりとして見える君を駅まで送る坂の途中、重たいコンクリートを思わせる分厚い濃灰の雲を憎みながら、君をこの町に、僕のもとへと引き留めるためのセリフを次々と暗唱した。ハッピーエンドの幻想は、もはや十七歳の僕の持つ特殊能力であると言ってよさそうだ。僕の甘い妄想の中、決定的なその瞬間に君は振り向いて、僕との新しい社会的関係を始めると宣言するのだ。
「カスガくん。あなたとのディヴ、捨てておいてください」
記憶の限り、君が僕の名前を呼んでくれたのはこの一度限りだ。けれど喜びに舞い上がる暇もなく、寂しい駅のホームで、僕は茫然と奇妙なヒロインと向かい合って、ねえ、確かに交わした言葉はほんの僅かだったかもしれないよ、けれど、二人の過ごした1年間を詰め込んだこの人形は、どうしてこんなにも軽いんだ? 見間違いでなければ、君が僕の胸にそれを押し付けたとき、その指は震えていた。しかし切り落された屍から手を離したその瞬間から、君はもう僕の肉体にも存在にも焦点を合わせず、バッグから取り出した仮想ゴーグルをすっぽりと頭にかぶり、一度も振り向かず電車に乗り込んだ。君の身代わりを抱き茫然とする僕の前で車両は滑りだす。暗いガラス向こうの座席に、僕は君と、君と同じような表情をした幾人かの子どもたちの虚ろな表情を見た。離れていく古いオレンジの車両には、場違いな『ロマンスカー』という文字が刻まれていた。
■3―2 2050年4月7日 東京郊外 【老女】
昨夜の雨に濡れた桜の花びらに滑って転び、脚を打って動けなくなった私を助けてくれたのが、4月から管理職員になったカスガくんだった。
「レンさん、でよかったですよね? レンさんは、スポーツとか、やってらっしゃるんですか?」
ぽってりと厚いまぶたがチャーミング。緩やかな曲線の眼鏡が整いすぎた顔の印象を和らげる。こんなに若い人が職員になるのは、珍しい。なんて立派な若者だろう、私はすぐにこの青年が気に入ってしまった。
「筋トレ、してるんです。習慣で……」
「ああ、やっぱり。シニアの方って、肉離れなんてあまりならないから、珍しいなって。いいですね、筋トレ」
優しい声をかけつつ、アイスパックの位置を脚が冷えすぎないように変えてくれる。
「今日は安静にしていましょう。急ぎの作業は代わります。せっかく晴れたのに、ひどい一日になっちゃいましたね」
それほどひどくもない、と私は思う。暖かさを増す春が、空気を甘く香りづけしていたし、脚はひんやりと気持ちが良い。私は私に触れているカスガくんの手に神経を集中した。内出血の痛みのむず痒さと、触れているだけでどんな先端医療よりも素晴らしい効果のある長い指の温度に意識のすべてを傾けた。カスガくんは私をリラックスさせようと、しきりに会話を続けてくれている。私がどうやって暮らしているかとか、どうしてお仕事を続けているかには触れずに。優しい人だな、と私は心から思う。だから私は、自分から話し始める。
「私はもう50年も一人きりで暮らしてきました。生涯独身の女性は私の時代にはもう珍しくはなく、上昇した未婚率は今では7割です。愛する相手の不在に不自由は感じなかった。溢れるコンテンツは生涯をかけてもやり尽くせない程だし、適度な距離を保てるネット上のゆるやかな承認の共同体は、私たちの報酬系をそよそよ刺激してくれた。将来の経済的困難におびえても、やがて万能化するテクノロジーが柔らかな繭として守ってくれるのだという共同幻想で思考にブレーキをかけた。私は定時で終わる事務仕事を続け、今日は少し贅沢なランチにしようと拳を握り、休日のお買い物、ネットの逍遥、女子会、旅行、ストレスを発散するためにその原因の労働で得た賃金を使うことを哂われる度、私は恋人と出会い、別れを繰り返した。学歴があったから知識をアイデンティティの核とする男性に気に入られたけど、彼らはすぐ私を軽蔑しはじめた。『インテリは投資に呪われ消費消尽を火炙りにしたいほど憎んでいるの。蓄積され投機的対象となる社会的有意義なものだけが重要で、過ぎ去る者には目を向けないから、おしゃれや美食や記録不可能な一回性を持つ舞台芸術に価値を見出せもしないのだから、レンちゃん、そいつらこそ軽蔑されるべきよ』と、バタイユで卒論を書いた友人のセーラちゃんが笑ったけれど、結局彼女も世界に飲み込まれて、私も膝を折り自ら消費の神殿へと入ったの」
「よくわかりますよ、レンさん」
「思えばネジが狂い始めたのは父が亡くなったときだった。父の死んだ朝、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が衝突し、人々は路上で哀悼や続く戦争への怒りを表明していた。成人のあと五年続いた小泉内閣と、十年続いた石原都政に、私の世代は投票への意味と信頼を早々にゴミ箱へと投げ込み、全く関心をなくすか、あるいは路上で政治に関わろうと必死だったけど、私は父の借金と格闘して清掃員となった母をなじり、大学を中退し、世田谷のオフィスの窓際でデモをする友人を見下ろしていた。繰り返し巡る政治の季節を横目に、私は私の美しかった身体とそれを包むお洋服とそれを作る食べ物と、目には見えない心を象るための消費とおしゃべりと芸術と過ぎ去ってしまう全てに祈りをささげて過ごした。ねえ、カスガくん、私の話なんて、退屈でしょう?」
「いいえ、レンさん」カスガくんはそっと顔を近づけ、12センチの距離で私の目を覗き込んで言った。「よくわかります。ぼくも、あなたと同じですよ。でも、不思議なんです。そんなあなたが、なぜいま、こうしているんですか?」
眼鏡を外した彼の表情がゆっくりと変質していく。その顔が、水飴のようにどろりと溶けた錯覚に襲われ、瞬間、私は眼前の塊が人間以外の何かに思えて取り乱した。鏡を前にしているのに自分の姿が映っていないかのような、そのくせ存在の奥底まで覗かれているかのような。色のある虚無。
「あなたはここで眠る人々よりよほど尊い存在だ。それがどうして、こんなにも孤独なんでしょう?」
言葉の続きが耳に届き、はっと我に返ると、もう彼は恥ずかしがりやの少年の顔に戻っていた。私はその奇妙な体験を、疲労と脚の痛みのせいにして忘れることに決めた。けれど、そのときのカスガくんの問いかけは、途絶えない波のように、ずっと耳の中で繰り返された。
「一度、ゆっくり考えてみてください」
●
「……どうぞ」
翌日。
「ええと、カスガくん、こんにちは。突然来て迷惑でしたか?」
「そんなこと全くないですよ、レンさん」
「本当に?」
「ええ。ちょうど、また来てくれないかな、と思っていたんです」
「あのね、あの、昨日のお話、もっと聞かせていただけないかしらって」
そうして、その日から、私とカスガくんは、同志になった。
■3―3 2035年 【男】
「現実と見間違うほどの仮想空間」の導入はもちろん難航したが、俺は最初から実現可能だという確信があった。実際のところ、それによく似た現象なら、世界中で臨床的に証明されている。つまり、夢だ。俺は小さい頃から扁桃熱をよく出して寝込むことが多かったのだが、熱のピークを超えたあたり、ぐったりと身体が疲れ、ようやく眠りが訪れる頃合いに、決まってリアルな夢を見た。奇妙な感覚だ。半分は目が覚めていて、三日月型の染みのある天井の壁紙を眺めているんだが、それと重なってというか、全く同時に、夢の世界の風に吹かれていたりする。跳ぶ夢が多かった。飛行ではなく、街々を高く跳躍し、またゆっくりと滑空していく。浮遊感が気持ちよい。俺はその快楽に惹かれ、やがてかなりの長時間、夢をコントロールできるテクニックを身につけた。それで、俺はまず夢の研究から始めた。
VR技術というのは、突き詰めて言えば脳の入出力の制御に帰結する。五感から脳神経を通して送られる入力情報、脳から全身の筋肉を動かすよう命令する出力情報。この中間部分に、例えば電極なりコンピューターを噛ませて制御できればよい。さらに言えば、①身体よ動け、という命令をカットし ②代わりにVR内の身体を動かせという命令を出力し ③五感から入ってくる情報をカットし ④代わりに仮想現実の情報を脳へ入力する、というバイパスを作ることが理想だ。俺の得意な明晰夢は、このうち①②③の大筋を満たしていることがわかるだろう。夢の研究といっても心理的なやつじゃなく、電極を貼り付けたりfMRIで夢を見るときの脳波を測定したりと色々やった。脳の働き方はそのころ機能局在から全体のネットワークを重視する多脳型にシフトしてきていたから、流行していた機械学習の方法を試したら結果が出始め、かなりの高確率でリアルな夢を見られるようになった。(そこそこ売れて資金集めにも役だった)
④の、仮想空間情報の入力は難航した。俺はアイディアになりそうなものなら何にでも目を通した。未来学者のカーツワイルは、無責任に脳の中になんだかすごいナノマシンを注入すれば入出力の代わりになる、とか無茶を言っていたが、それは『攻殻機動隊』の電脳化の技術の説明と大差なかった。俺はフィクションにも何かのヒントがないかを探した。サイバーパンクの『ニューロマンサー』や『マイクロチップの魔術師』では、頭に電極を張り付ける形式。人気となった『ソードアートオンライン』、また同じ作者の『アクセルワールド』では、最初はヘッドギアによる電界発生、その後脳内へのインプラント、さらには量子レベルで脳細胞と接続するなんていう未来技術も紹介された。これらはどれも、仮想空間のデータ全てを、例えば町一つ、都市一つ、地球一つを用意して、そのリアルな『電脳空間』に人を招待しようという作戦だったが、その実現には膨大なデータ量とそれを処理するコンピューター、その情報を転送するネットワークが必要だった。そんなものがどこにある? いや、最初から頭蓋骨のなかに一つ埋まってるじゃないか。そいつを利用してやればいいんだ。そう気づいて、俺はむしろ夢の研究へと戻っていった。
仮想空間をリアルに近づけていくのではなく、個々人が感じるリアルの認知を仮想側に近づけていく、というアプローチへと切り替える。機械は、自分の脳が世界を構築するのをサポートする役割だ。俺はそれを、古典物理学から量子力学へのジャンプになぞらえた。例えば、俺が窓のない部屋にいるとき、窓の外の世界はどこにも存在していない。ドアを開いて知覚してはじめて、その場所が生成される。残念ながらこの説明はそれほどうまく理解してもらえなかった。
実際には、やはりいくつかの脳周辺インプラントを利用し、また非侵襲式のヘッドギアや貼付電極も併用した。そこに横たわり、ほとんど身体を動かさない『だいち』のユーザーは、臨床データを取るのに格好の相手だ。もっとファジーに、より全体的に。俺たちは、リアル路線を走り頭打ちになっていくゴーグル型のVR技術と対照的に、どんどん夢の世界を豊かにしていった。
●
「先月の栄養失調での死者が全国で800人ですよ、これが21世紀の日本だって言って誰が信じますか?」
久々に会ったインタビュアーは、俺の取材ということも忘れて愚痴をこぼしはじめた。
「今日も独居世帯をインタビューしてきたんですよ。今年から団塊ジュニア世代がどんどん高齢者入りしますけど、もはや貧困世帯じゃない方が珍しいですね。特に女性や元派遣業種の独身者がひどい。賃金格差が年金に如実に影響してますよ。通貨価値は下がる一方で、移民も流出してる。わざわざ面倒な言葉勉強して、排外感情も強い日本なんて、賃金が良くなきゃ選びませんもんね。生活保護なんて、資金難で粉末代用食配ってるんですよ? 若いころ難民キャンプなんか取材しましたけど、いい勝負になってきた。それでも、ねえ、ゴホンギさん、貧乏なだけならまだましですよ。取材したみなさんがね、外に出るのが怖いっていうんです。失業者がひっきりなしに嫌老デモをやってるし、襲撃事件も増えすぎて報道が追い付いてない」
疲れた顔で俺をにらみつける。もう長い付き合いだが、ここ数年で彼の俺に対する評価はずいぶん下がった。俺の目指す高機能の介護機械など、一部の金持ち所得者向けで、いま国家に迫る危機を完全に無視している、という正義感の溢れる論理だ。
「ゴホンギさん、最近ずっと夢を研究してるとか、なにやってんですか。『だいち』で社会貢献したいって言ってませんでした?」
「『だいち』を導入した施設では費用がかなり抑えられてるよ」
そう言って数字を出してみても納得しない。
「じゃあ、とっておきのネタをやるよ。フルダイブ技術が完成間近だ。今は稼働試験が最終段階だが、結果は良好。来月には万能介護ユニット『大地』として発表できる」
「フルダイブ?」
「五感全てを満足させる仮想世界だよ。それを高齢者に『生きて』もらう」
「VR技術で娯楽を与えて、金持ち老人は満足でしょうけど、それが経済状況の好転につながるんですか?」
「体験は無料。そしてフルサービスを受ける条件は」俺は勿体をつけて声を低めた。「受給年金の全額返納だ。また、一度はいれば、介護費用、社会福祉費用、医療費の大半も削減できる。これは社会事業だよ。年金機構の認定制度になるんだ」
どれほど口で『大地』の魅力を説明したところで、理解されるとは思わなかった。その価値を知るには一度でも体験するしかないのだ。
「けれど、そんな『マトリックス』みたいな世界に喜んで入るようなやつがいますかね。いくら現実に見えても、作り物なんでしょう?」
「入るさ。『マトリックス』にも、その中に留まることを望んだサイファーって登場人物がいた。あの映画とは状況も違う。赤い薬を選んでリアルの世界に出たキアヌ・リーヴスに、家賃も払えないギリギリの年金生活で、一合の玄米を一日に一碗だけかみしめて、社会から疎まれ、外を歩けば若者の襲撃に怯える人生が待っていたとしたらどうだ? もっと最低なことに、そこには戦うべき相手も、助あう友人もいないことだ」
いつの間にか攻守が交代し、今度は俺が彼を問い詰めている。
「けど、それよりもっとひどい戦略を使うのさ。知ってるか? 第二次大戦終戦直後の貧困の中、『自分が一人減れば、その分飯食える人が増えるから』って、日本を出ようとした人が沢山いたんだよ。お前だって、高齢者の取材をしてるんならわかるだろう。若者に厭われて、疎まれて、ときおり木刀でぶん殴られてんのに怒りもせずに、縮こまって、うつむいて、申し訳ない、自分がこの社会の足手まといになって、申し訳ないって、そう言うんだよ、自分が子供を、孫を、未来の首を絞めているって、ほとんど強迫観念めいた自責感情だ。俺たちは彼らに応えてこなかった。快適な老後を、豊かなリタイアメント・ライフを、その建前を掲げて彼らを人間の社会の外側に囲い込んだ。高齢者を大切にしようってその態度が、彼らから尊厳を奪い続けてるんだ。だから、俺は彼らに最大の社会貢献をさせてやるんだ。みんな犠牲の英雄が大好きだ。老人たちは国のため、子どもの未来のためと言えば、喜んで『大地』にキスをするよ。そしたらおれは、最高の承認をプレゼントしてやるんだ!」
もちろんこの発言は記事にはならなかった。
■4―1 2049年12月31日 熱海 【少年】
気づけば夜になっていた。ホームにそのまま打ち捨てられていたダッフルバッグに君と僕との子どもを詰めこむ。(そうだ、僕と君との関係性から生まれてきたこの人形は僕たちの子と言っても良いのでは)(――だが、それはやはり死産なのだろう)誰かに見とがめられないか、と怯えた僕は腕の端末でシェアリング・ビークルを呼び寄せる。
僕自身も内なる多声性を虐殺して地獄まで君を追いかけようか? 問いかけるまでもなく答えは出ていた。この坂の多い町をずっと憎んでいた。愛の町。老人たちを東京に植え替えて、小都市はどこも愛を歌っている。海辺の悲恋の銅像が撤去され、代わりに据えられたベンチ群はバカげたことに予約制になっていた。愛について考えている。ディヴに溢れていた僕にとって、それは手を伸ばせばもぎれる凡庸な果実であり、代わりにその決定的な瞬間に決断することを奪われていた。ちょうど反対に君は絶えず決断を僕に迫った。
銅像が失われた代わりに、劇場のスケジュールは悲恋を描いた演劇に占められた。「かもめ」「ロミオとジュリエット」それから「近松心中物語」。
物語の中で、男たちが女たちを幸福にすることができないのはなぜなんだろう。最善を尽くし、愛そうという意志を持ち、互いの理解に尽力し、恋人と仕事と社会的関係のディヴを柔らかな新芽のように雨風から守り輝くまでに育てたのに、クライマックスで不条理なカタストロフにぶち壊される。貴様らは全員呪われよ、幸福になれる日は決して訪れはしないだろう。それ以外に解釈しようのないメッセージににこにこ頷きながら、恋人たちは劇場から直線距離150メートル、聳え立つ十七階建てのラブホテルになだれ込む。個室温泉付きで宿泊プランも手ごろだった。恋人たちの昏さを引き受け孤独に震えるのは、役からにじみ出た地獄を宿してしまい中々舞台を降りられない役者たちだ。
つくりもの(ホムンクルス)のような僕の恋人よ、僕はトレープレフにもトリゴーリンにもならない。僕は地獄へは赴かない。地獄は多分幸福な場所なのだ。そこでは人は一人で、完成されてしまう。そこには演劇がない。演劇は自らのうちに「破れ」を含んでいる。それは現実ではありえず、何らかの嘘を含んだ破れ目だ。
「僕はさ、本当はさ、おばあちゃんが、うん、おばあちゃんはもちろんもういなくなってしまったんだけどさ、残してくれた、ボーイ・ミーツ・ガールのアニメが好きなんだ。そこではみんなが幸せになるから。恥ずかしくて、君に言えなかった」
声に出して、ダッフルバッグの中の沈黙に向けて語り掛ける。涙がこぼれたから、僕はまだ、自分が、大丈夫だと感じることができた。
●
未練と好奇心の入り混じる感情で、僕は君の家のアドレスをシェアリング・ビークルに告げる。ずっと最初から突き止めておきながら、結局一度も招待されなかった新市街の無個性な箱。ディヴ人形には指紋があったかな? ドアの認証を突破できないか? ――まさか、と思いつつ手をかけた玄関には鍵がかかっていなかった。
新築と言われても誰も疑いはしないだろう。たった一つの家具もなく、生活の痕跡は既にぬぐい去られていた。いいや、ずっと以前からこうだったのでは? 僕は君が水だけで生き、床で眠っていたと聞いても驚かないだろう。二階の一番奥、カーテンさえかかっていない小さな部屋に積まれた、いつか君の呼んでいた祖父の残した本の塔が、僕には消えた文明の遺跡のように見えた。厚い埃の層をぬぐう僕は考古学者だろう。僕は君の存在のかけらでも残されていると期待していたのだろうか? 完全ながらんどうに、しばらく呆然とした後、僕は、ダッフルバッグのジッパーを壊れてしまうほどの乱暴さで引き開けて、滑りの悪い表面に唾液をまぶし、嗚咽に窒息しそうになりながら君の抜け殻を死姦した。オルガスムスが近づくにつれ、僕の中の全てのディヴは一つに融けていき、下腹を熱核にして全身が溶融していくような、これまでのセヴンティーンの人生で一度も感じたことのない無上の快楽が押し寄せる。どれほど分散的な存在を自覚し生きても、人はディヴとしては射精できない、おお、ああ、どの射精も、必ずインディヴィジュアルなのだ!
個人へと統合された僕のインディヴィジュアルな射精がねっとりと濡らしてしまった本をぬぐっている最中、一冊だけ小説ではないものが混ざっているのを僕は見つける。『万能浴槽『大地』・技術書』と題され、その筆頭著者には君と同じゴホンギという姓。めくれば内容は専門的な工業製品の仕様が主だが、ページの余白のあちらこちらに几帳面で小さなメモが残されている。その中ひときわ目立つ極太のマーカーペンで記された「脆弱性」の単語が僕の目を引き付ける。だがそのページだけでは何のことかが分からない。検索ウインドウを広げ、知識のツリーを辿り、それで? まさか! いやおそらく、と一つ一つ理解を深めていく。
ゴーン、ゴーン、ゴーンゴーンゴーン、海近くの温泉寺でイベントがあるたびに群がってくる恋人たちは除夜の鐘を鳴らし、やがて二人で一つのブランケットにくるまって、予約の殺到した海辺のベンチで海からの初日の出を待つ。空が明らみ、彼らのほとんど悲鳴のような歓声が熱海の坂という坂を満たし、眠たげにラブホテルへと列をなして戻っていく頃、ようやく僕は分厚い技術書から顔を上げる。
「アイ、君は偽物の世界に囚われているだけなんだ。僕が必ず、そこから助け出してみせる!」
もちろん僕は、完璧に、完全に、間違っていた。
■4―2 2050年5月3日 東京郊外 【老女】
「けれど、みんなVR技術を過大に評価しすぎている」
私の同志は、日増しに精悍になっていく。少し幼かった目元は、きっと大義に悩み続けたせいだろう、するどく引き締まってきた。でも志を共有する私といるときだけは、気を休めて少年の笑顔をこぼしてくれ、私はそんな彼を見ているのがとても好きだ。
「メディア技術の最終到達地点、体験そのもの、そう語られることもある。だがそんなもの持ち出さなくても、ギリシャ文明の昔から、演劇はとっくにその場所にたどり着いている。舞台の上でくるりと一回転すれば十万年が過ぎ去り、見えない宝剣を振るだけで堅牢な王国が滅びる。舞台の上で起きる出来事は、虚構でありながら現実よりも現実らしい。劇場型の詐欺とか、劇場型の政治なんて、そんなのは当たり前で、演劇も詐欺も政治もあるいは呪術も、僕たちの声や身振り、表情を用いて、相手の存在の奥深くに侵入するという点で同質のものだ。そう、僕たちはあの植物のテクノロジーに、人間にしか為しえない演技であらがうんだ」
カスガくんの行動理念は、とても深遠なもので、日々の労働に追われ、ものを考えるということをずいぶんサボってしまっていた私には理解が難しい。それでも、表面的な意味でなく、もっと深いところで彼を理解できているように思うのだ。
「でも、みんなをどうやって、その気にさせるの?」
私がそう聞くと、彼はまたあの柔らかな曲線の眼鏡を外し、時折見せる、あの恐ろしいほどの透き通った無表情で私に近づく。カスガくんがこの顔を見せるたび、私はなんだか怖くなって、頭がぼうっとしてきてしまうのだ。
「空虚なものを前にすると、人はそれが自分に移ってくるように感じて、とても不安になる。何時間もじっと鏡を見続けたときのように。一度空っぽにしてあげて、それからほんの少し、役割を注いであげるんだ。相手の必要としているもの、何よりも望むもの。例えば、そう、『あなたはほんの少しだけ、あなたの周りにいる人よりも賢い』、そう感じさせれば良い。ちょっとだけ賢くて、ちょっとだけ特別」
ちょっとだけ、特別。
「私もそう、ちょっとだけ、特別なのよ。だって、特別棟に仕事に行くのは、私だけだもの」
「特別棟?」おうむ返しに訊くその声には、聞いたことのない震えが含まれていた。「もっと、よく聞かせて」
「何年か前から、頼まれるようになったのよ。私、認められたようで、必要とされているように思えて、とても嬉しかったのだけど、でもとても苦しかった。だって、誰にも話してはいけない、誰にもシェアしてはいけないんだもの。一度でも誰かに話せば、もうこの仕事はおしまいだよって。でも、カスガくんだって、職員の一人なんだから、問題ないわよね。ね?」
「ええ、もちろんです。特別棟について、もっと教えてください」
「そこには、有名人とか、若い人たち、訳アリの人が来るの。売れている役者やアイドルだって。でも、私が見たときには別人のように小さく弱く平たくなっていて、その人なんだって気づいたことは一度もないわ。後からいなくなったというニュースを見て、ようやく、ああ、って気が付くの」
「セキュリティは?」
「厳しいわ。有名な人や、若い人の身体というのは、それだけで色々な価値があるのだもの」
私はお正月に特別棟へやってきた少女の、陶器人形のようなつるつる滑らかな肌を思い出す。
「いやらしい目的もそうだし、それから元気な内臓を欲しがる犯罪組織もいるからって、最初に脅しみたいな説明をされたわ。怖かったけれど、私は少しうらやましかった。ただ身体というだけで、価値があるだなんて素晴らしいことだと思えて。こんな考え、おかしいかしら?」
「特別棟の場所は?」
「分からないように、いつも窓のない通勤車で運ばれるのよ」
「ねえ、レンさん」私はそのとき、彼の焦りに気づく。「どうにかして、場所を調べてもらえないかな。お願いだ」
「もちろん、カスガくんの頼みなら。小型のGPS装置を隠して持ち込めないかやってみる」
私は立ち上がり、いつも自分がそうされているのとは反対に、彼を椅子に深く腰掛けさせて、斜め上からじっとその瞳の奥を覗いた。
「でも、それはとても大変なことよね。ばれてしまえば、私が危険にさらされる。だから、ねえ、カスガくん。そんなに大変なお願いというのなら、誠意が必要じゃないかしら。私のお願いも聞いてくれないと、そう、フェアーじゃないって、そう思わない?」
彼の背中にある小さな鏡にちらりと私の顔が映る。健康でぷりっとした唇の端が少し引き上がって、とても優しい微笑みを浮かべていた。
●
一週間待ち望んでいた日曜日がやってきた。私はうきうきした気分で無人タクシーに乗り込む。傍らに座るカスガくんは照れているのか、表情も硬いし、声も小さいし、なんだか、事務所で会うときの彼とは別人みたい。それがなんだかとても可愛らしくて、私は余計にこにこと微笑んでしまう。
どれだけ歳をとっても、私は女性だから、お買い物が大好きだ。男性らしく、女性らしく。ジェンダーでの線引きなどというものは、もちろん私の若いころにだって、時代遅れになりつつあった。でも、歳を重ねていくと、「本当の私らしさ」なんて言って、社会の中で踏ん張るのも大変で、決まった枠に自分を落とし込んでいくのも仕方ない、と思うのだ。
東京でも最後になった臨海の超大型ショッピングモールは、週末ともなると、開館前から高齢労働者の群に囲まれる。正面入り口近くの猫カフェからは、SNSの通知音や、ソーシャルゲームのワクワクしそうな剣や爆発の効果音が途切れなく響き、キラキラと耳に痛いファンファーレが鳴れば、それがどのゲームのスーパーレアを引き当てたときの音かを聞き分けて、それぞれ決まったクリシェを用いて彼らの幸運を称えるのだった。
半世紀もの間、私たちはこの場所を回遊し続けたのだった。ショッピングモールの建築は意図的に緩やかなカーヴを描いており、その果てが見えないよう設計されている。消費の回廊が無限に続くかのように感じ、私たちは三層からなる広大なフロアをぐるぐる、歩き回り、ぐるぐる、また同じ場所に巡ってきても、まるで全く新しいお店にやってきたかのように錯覚し歩き続けるのだった。その半世紀の中でも今日の私が一番浮かれていただろう。カスガくんと並び、やがて二人は自然と手をつなぎ、腕を組む。自然と。ゴールデンウィークのセールに血眼になってタグを確認していた私のフレンドたちが、私に声をかけようとする寸前傍らの美青年に気が付き、しばらくの停止、目くばせ、それからお店を出る私たちの背中から、無音モードになったカメラアプリのシャッターが切られるのを私は確かに感じていた。
春の色を集めたドットプリントの鮮やかなイヴ・サンローランのワンピースと、マーガレット・ハウエルのモスグリーンのカーディガンをたっぷりと時間をかけて選んだ。試着室の中で私はわざと時間をかけてスカートのジッパーを引き上げて、その間カスガくんは必ず衣擦れを聞きながら細かに揺れるカーテンをじっと見つめて、遠巻きにしている私のフレンド、フレンドのフレンド、6次どころか3次の隔たり程度で結ばれてしまうこのショッピングモールの中の関係性のあらゆる視線を浴びて、ねえ、カスガくん、あなたはいまきっととても恥ずかしそうに縮こまっているのでしょうけど、私がこのカーテンを引き開けて真新しい色を見せればまごつきながら賞賛をくれるのよね?
私は今日一日で私の僅かというほどでもないけれど、潤沢ともいえはしない貯蓄、これまでの労働の対価の全てを使い切るつもりで、ティファニーで30万のアトラスウォッチを買い、タワーレコードではドラマやアニメのブルーレイ・ボックスを片端からレジに運んだ。シネコンで、『劇場版エヴァンゲリオン Air/まごころを君に』を観て、遅めの昼食をオムライス専門店で取り、さらに『劇場版プリキュア オールスターズDX』を観ながら、主人公たちの危機には玩具のミラクルライトを振って応援した。今週はアニメ特集らしい。このモールは来場者の年代に合わせ、いつでも平成時代の文化に溢れているのだ。流れるBGMはポルノのメリッサ、スターバックス・カフェの窓際では、スリムなベージュのクロップド・パンツの裾から骨ばかりの脚を覗かせた男性たちがマックブックを突き合わせて真新しい起業プランについてディスカッションをしている。明るめのチークとグロスを買い足し、私たちは通路のベンチに腰掛け、スマホ歩きをしてはそこら中に躓く人々を眺めた。私たちが若い頃は、まだ個人的な趣味への理解が十分に得られないことが多く、それに不景気でもあったから、自分の好きなことを思いきりできなかった人も多いのだ。歳をとって、そうした制限もなくなり、心の赴くままに楽しんでいる人たちは、本当にいい顔をしている。『君の名は』の上映が終わり、シネコンから流れ出る人々の頬に涙が光っていた。私たちはまた自然と手をつなぐ。
「ねえ、カスガくん、知ってる? ここに残っている人たちってね、どうしても『大地』になじめなかった人たちなのよ。コンテンツにのめり込み過ぎてね、自分がそうした物語の主人公みたいに、何か特別な存在であるって誇大妄想から抜け出せないの。ボーイミーツガールに呪われているのね。どれほど分散しようと試みても個人がにじみ出てきてしまうの」
「レンさん、約束、忘れないでくださいね」
私の可愛らしい淡いピンクのケイト・スペードのハンドバッグの中で、私の最高の友達であるスマートフォンは、絶え間のないSNSの通知に恍惚となってヴァイブレートを続け、小さな充電容量を絞り尽くして失神寸前だった。クラウドを埋め尽くす写真とコメント。私はこれからたっぷり一週間をかけ、それらの写真を集め眺め続けよう。
●
特別棟の位置の特定は拍子抜けするほど簡単だった。
本当は誰も機密保持なんて考えていないのかもしれない。
■4―3 2045年 【男】
「アメリカのノージックって哲学者が『経験機械』という思考実験を考えた。脳に電極を取り付けて、生命維持装置のついたタンクの中で、自分の望む人生を『経験』できる。だが彼の結論は、『人間はその装置を拒絶する』というものだ。理由は大きく分けてみれば二つある。一つ、経験機械は既にある経験を再生するだけで、不確定な可能性を持たない。外の世界の方が、もっと素晴らしい、予想もできない経験が起きるかもしれない。だがこれに関しては、前にお前に話した『マトリックス』の話と同じだ。老人にとってはそもそも現実世界の可能性が極端に狭められている。問題はもう一つ、人間は異質な他者、そして社会を必要とするという点だ。
『大地』の初動は悪くなく見えただろ? 内心は焦ってたよ。高齢者たちは、自由な仮想空間のなかでも―いや、むしろ自由であるからこそ、ストレスを抱えてしまう。最初はネットワークの中に小さな共同体を作ったんだが、支配、排除、恋愛関係、危惧してたトラブルがほんの数日で起きて解散しては作り、の繰り返しだ。バイトを雇って介護ダイヴもさせてみたけど、コストの割に役に立たない。当たり前だ。複数の人間が入れば、必ず支配―被支配の関係が生まれるし、そうやってあらゆる場所で人間は社会を生み出してきた。老人たちが人間的な欲望を取り戻した、と評価してもよかったが、『大地』を出て現実に戻りたいと言う人々が続出して隠蔽するのが大変だった。ああ、書いてくれて大丈夫さ。今となっては些細なことだ。
今度は他者と引き離してあらゆるコンテンツに溺れさせた。なあ、知ってるか、これまでに世界中の映画を全部合わせると、100年かかっても全部観尽くせないんだってさ。だが、そんな暇つぶしなら『大地』に入る必要なんてない。現実を売り払って手に入れる代償が、物語の墓場だなんて!
他者を病的なまでに恐れながらも、同時に他者からの承認を熱望する。どうしてもそのヤマアラシのジレンマを解消しなければならない。ヒントはあちこちに転がっていた。文人主義を導入した哲学者は、『われわれは二人それぞれが数人だった』と書いていた。一人でありながら複数となること、そうなれば、承認欲求を自足自給できるのではないか?
女の精霊と結婚し、性的な交わりを持つというモロッコ人の詳細な記述。あるいは、幼年期に顕れる『イマジナリー・フレンド』との対話。だが、最も顕著に思えたのはある作家たちだった。一人でありながら「多声」であるとされたドストエフスキー、亡くした伴侶を自らのうちに強烈に感じていたノヴァーリスや高村光太郎がいる。『智恵子の所在はα次元、α次元こそ絶対現実』―彼らにとってそれは現実そのものなんだ。
もっと多くの人々が、ある瞬間に、登場人物たちが自ら会話し始め、自在に行動すると語る。俺はそう語る作家や芸術家に協力を依頼した。研究を進めるほどに、人間には元から『その機能』が備わっているように思えてきた。脳の構造自体がそうだ、絶対的な中枢が存在せず、ネットワークがネットワーク自身を制御しているようなその実態。俺たちはそれを理解する必要さえなく、少し補助してやるだけでよかったんだ。
一般的には親密な人間関係は7人程度に集約できる。俺たちが世界と呼んでいるものは、たった6人の他者と、残りはNPC程度に反応すればよいその他大勢が形成する社会システムに他ならない。一人が作り上げられる分人も、個人差はあるがおおよそ7人が限界、だが人間はそれで充分だった。
――7人いれば世界なのだ。
俺はその7人世界を樹木になぞらえた。孤独の種から芽を出し、双葉に、枝が別れ、次第に大きく育つ。7本の枝を得て樹木となる。『大地』のディスプレイに成長する樹が表示されるのは、内なる分人の成長過程さ。ようやく人間は完結できた。一人で一つの世界となることができた。他者を介さずに自分で自分の欠落を埋められた。だから、俺はこのシステムを『世界』と名付けたんだ」
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「なあ、レン」
高層マンションのヴェランダで俺たちは長年ずっと肩を並べてきた。どんな困難にも、お前は必ず俺の傍らにいて、承認を与えてくれた。
「誰にも話してはいないんだけど、『世界』には、一つだけ、しかし致命的な脆弱性がある。『世界』に入る場合、最初にログアウトのプロセスを練習するんだ。いうなれば、夢を夢と認識して、意識的に目覚めるためのコマンドで、ニューラル・オペラントという手法を使い、個々人の特定の脳波を強化し記録する。けれど、樹が育つほどに覚醒は難しくなり、最初の脳波の増幅が必要になる。分人が7人に達したあと、『大地』は常にこの脳波を打ち込み続けて現実に留めるんだが、それが数秒でも途絶えてしまうと、もはやログアウトしようとする意志自体が内側に含まれ、彼らは世界内存在へと変質し、2度と覚醒することが出来なくなる。停電程度なら問題はないし、その機能は脳の保護にも関わるから厳密に設計されている。でも、仕組みが分かってしまえば携帯端末からでも脳波の遮断を誘発できる。いつかそのことが明らかになるだろう。けど、それは問題じゃないと思うんだ。それでもみんな、『世界』に入ろうとするだろうし、戻る必要も感じなくなる。きっとそうさ」
レンは何も言わず、もう何十年もの間そうしてきたのと同じように俺を強く抱擁する。
■5―1 2050年3月31日 熱海 【少年】
僕はあの日から毎朝きっちりと同じ時間に目を覚まし、ふくらはぎに一杯の力を込めて坂を上って出席日も残り僅かとなった学校に通い、放課後は君の家に隠れるようにして、きっちりと一度だけ、股の辺りが摩擦に削れすっかり黒ずんでしまった君の移し身の合成ゴム人形でインディヴィジュアルな射精を悦んだあとで、君の救出計画を遅くまで企てた。
進路の変更を告げると教師は奇妙な顔をした。僕のディヴ、僕のけた違いの社会関係資本の貯蓄を用いれば、望ましい職業の相当の地位に就労することができただろうから。それでなくても僕たちの世代というのは例の暗黒老人時代の不安の煽りで圧倒的に出生率が少なく、子どもは金どころかダイアモンドの卵と呼ばれあらゆる企業が血眼になって人材を探している。とはいえ、欲の無い生徒なんて珍しくもないから、短い数度の面談ののちに僕は実質内定書と代わりのない、高齢者特区管理職員への推薦書を手に入れた。僕が伊豆東部火山群火口にある一碧湖のように静かな気持ちになって、今日も君の家に向かおうと正門を出ると、スキンヘッドの演出家が、待ちくたびれですっかり味のなくなったキシリトールガムを包み紙に吐き出しているところだった。
「なあ、カスガ、役者をやめて、老いぼれ犬の世話をしに行くんだって?」
今となっては、この芝居がかった先生が、僕との最も強いディヴを保っていた。
「いいえ、僕たちの未来の繁栄のため、リタイアの後も社会貢献を行ってくださっている方々のサポートです」
「おれの前では演技はいいよ。なあ、惰性で生きるくそ老人を助ける必要がどこにある? お前はうちのシアターで腐った恋愛喜劇を吹っ飛ばすようなポストドラマの舞台を作るんじゃなかったのか? それとも、蜷川みたいに老人だけのシェイクスピア舞台でもやるつもりか?」
「演技をしに行くんです」
「演技? 東京の劇場は一つ残らず閉じたぞ」
余計な口が滑る。
「なんだって演技ですよ、先生教えてくれたじゃないですか」
「それはシェイクスピアの時代の話だ。人間に囲まれていれば日々は舞台じみてくるかもしれない、だが思考停止の羊に囲まれてなれるのは役者ではなく羊飼いだ」
人間というのは本当に面倒だと今更気が付いた。僕が生まれて初めてのディヴ人形を作り先生へ突きつけようかと苛々していたあくる日、彼がパブリックシアターの演出家を解任され、町を去ることになったと都市ニュースが伝えた。役者を次々と失い、シアターの営業に穴を空けた責任が彼一人に帰されていた。来週には浜松と名古屋から新しい役者と演出家が呼ばれ、また悲恋のプログラムが組まれるだろう。
先生に比べれば、両親や親類を納得させるのは簡単だった。友人たちに至っては「とうとうカスガも夢を見るのを辞め堅実になったか」と勝手に解釈してくれた。そもそも、誰も誰かに深い興味など抱いていないのだった。僕は町一番の社会的青年となった。
高齢者特区の資料は少なかった。もちろん個人情報の管理が厳しいことがあったけれど、そもそも誰もそんな場所について興味を持たないのだ。特区の中の労働者たちは、彼ら独自の奇妙なネットワークツールを用いて情報交換をしているらしいが、それは関東地域の中だけでアクセスできるローカルネットの内部に構築されているらしく、外側からのアクセスは阻まれていた。僕は「就業先の下見」と理由付けし、あるいは自由参加の事前研修があれば必ず全日程に参加し、模範的青年を演じながら特区の情報収集に努めた。職員のモチベーションは低く、他者への関心はないに等しく、定時に帰り仮想での娯楽を楽しむことしか頭にない、全国の怠け者を集めた掃きだめのような場所だった。最も醜悪なのは、彼らが高齢労働者たちを、30年代嫌老時代のあらゆる差別用語を用いて見下すことで、自分が彼らよりも優越しているという安堵を簒奪していることだった。おかげで間抜けな職員を騙して就業規定を破らせ、ローカルネットのアカウントを手に入れることには全く罪悪感を感じずに済んだ。主人公には罪悪感がつきものなのだが。その後は、ネットワーク圏ぎりぎりのビジネスホテルにこもって、老人たちのSNSにアクセスし続ける。そこで生成される情報のほとんどが、日常のパタン、感情の機微、恐ろしいほどのクリシェに満ちて、すぐに数百程度のパターンに帰結できるものだと気づき、僕は彼らがすでに重度の認知症の中に生きているのかと感じたのだが、調べたところ、それは2000年代よりまだ若者だった彼らが繰り返し続けているコミュニケーションの枠組みらしい。おかげで僕は意味の無い(そしてそれらの99%は無意味な反復だった)情報を除外し、効率的な情報収集が行えるようになる。
わずかな意味のそのまた断片から、高齢者以外が入居している特別棟の存在が明らかになる。アイもきっとこの中にいるのだろう。まずはその位置を特定する必要がある。けれど、仮にアイを無理やりに大地から引っこ抜くことが出来たしても、それだけでは無意味だ。彼女はあの別れの朝と同じように、他人であるかのように僕を見て、そして再び世界の中へ戻ろうと願うだろう。僕は罪に問わるか、もしごまかしが裁量に転んだところで、警備員につまみ出され、ブラックリストに登録され、特区に近づくことも難しくなるだろう。
僕は、おそらくは彼女の祖父が残したと思われる技術書のメモ書きを眺めた。彼女を引きはがすと同時に、大地の仕様が問題となり当面用いられなくなるような事件を起こす。僕は、僕の身勝手な私情によって、この国を再び経済的危機に直面させる可能性を考えた。けれどそれがなんだっていうんだ。それよりも僕の一つの恋が、人間性の根幹である一つの感情が、僕と君のセカイが優先されるべきに決まっているじゃないか。私情の何が悪い?
明日、僕は『大地』群の管理職員として東京へ向かう。覚醒用の脳波を遮断するツールは既に組みあがり、携帯端末にインストールすれば、誰にでも扱うことができる。あと必要なものは駒だ。僕は先生の言葉を思い出した。羊に囲まれてなれるのは、羊飼い。めぇ、めぇ、めぇ。承認欲求に飢えた醜い老いぼれ羊たち。
■5―2 2050年6月1日 東京郊外 【老女】
「ええ、よくわかります、レンさん」
レンさん、彼の口がその形に動くとき、私の全身には強い力が入る。脚はすでに鈍く痛みが残る程度に回復していたが、カスガくんが、私との時間を持ち続けたいと願うものだから、リハビリを口実にして、彼の事務所に通い続けているのだった。トレーニングマシンで汗を流しながら、私はカスガくんとの会話を楽しんでいた。私は私の肉体をこれほど誇りに思ったことはなかった。一秒ごとに全身の細胞が喚起する。
けれど、顔を挙げればそこは薄暗く、コンクリート打ち放しの壁で、汚れに曇った鏡に映る私は汗に乱れ頼りなくなった前髪がべっとりと汚らしく額に張り付けたくすんだセヴンティだった。カスガくんの態度は、ここのところ、なんだかそっけない。
ツンデレ。私はあらゆる私の漫画とライトノベルの蔵書を開いて、彼の行動を紐解こうと尽力してみた。クレジットカード払いの請求書が恐ろしくなる数のブルーレイボックスが届き、私はそれらを時間の許す限り視聴して、彼の突然の心境の変化を探ろうとした。私が大変な思いをして手に入れた特別棟の位置情報を渡してあげたとき、カスガくんは私を抱きしめてくれた。あの抱擁には永遠があった。ほとんど、『最終兵器彼女』のクライマックスのような盛り上がりだった。その後の二人の行く末は思い出したくない。
「今日はここまでにしましょう。すみません、次の約束があるんです」
まだ30分と経っていないし、私は少しも恍惚に至っていない。
「でも、ねえ、計画は?」
「レンさん、それは不用意に話さない約束でしたよね。慎重に進めなくちゃいけないんです。ね? また次の機会に」
帰り際、私は一人の女性とすれ違ったのだ。私よりもずっとシワも白髪も多く、のびきったユニクロのお洋服を着た垂れ下がった筋肉が、カスガくんの部屋へと入っていく。今から思い出すと、のぞき見みたいで本当にいやらしいと反省するのだけれど、そのときはやましい気持ちを感じることもなく、私は建物へと引き換えして、ブラインドの隙間から二人の様子を盗み見る。「歳を取るとずうずうしくなる、なんて言われますが、それでいいのです。奥ゆかしいおばあちゃんもいいですが、老人なんて、黙っていると存在を忘れられてしまうもの。強引なくらいで行きましょう!」いつだったか読んだ本の、そんな一説が免罪符代わりだ。カスガくんは、柔らかな果物でも扱うように優しく女の頬をこすり、見つめあいながらそっと眼鏡を外すところだった。女の顔が隠れる一瞬前に、私には与えられなかった恍惚の光が、赤茶の染みの点がいくつも浮く汚い瞳にきらめいた。それから女は左の端が引き攣った上唇を巻き上げ粘つくつばを飛ばしながら、途切れなく、熱心に、カスガくんへと話しかけた。
「カスガくん! あなたがわたしの神様です! あなたが、わたしの、天皇です! ああ、天皇陛下!」
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いつの間にか部屋に帰り着いた私の身体は汗でぐっしょりだった。私は不安になんてならない。私は嫉妬したりはしない。あの女の様子は尋常ではなかった。
「お年寄りはとても騙されやすいのです。自分だけは騙されたりしない、という人こそ気をつけなければいけません」と本に書いてあったけれど、いやいや、善良なカスガくんのことだ、騙されているのはむしろ彼の方ではと心配になる。あのような、イケてない女が必死に、「神様! 天皇陛下!」なんてやっているせいで、人の好い青年はほだされ、ほんとうに大事であるはずの私たちの戦いが追いやられているのだ。
これは危機だ。
私は、カスガくんに出会うまで、長い間ぼんやりと生きてきてしまった。若い世代のために何かしてあげたいと願ってきたけれど、これまでの自分の努力は、決して十分ではなかった、そう自責の思いが湧き出してくる。生きている頃は、未来をあれこれと心配していた父が、今更ながらに身近に感じられるのだ。そんな風に思えるようになるまで、ずいぶん遅れてしまったけれど、「何歳になったって人間は変われる。新しいものを吸収して、新しい自分を見つけられる」と、かなり昔に読んだ本にも書いてあった。今からだって、きっと遅くはないだろう。そのためには、今の状況を変えなければいけないのである。
私を危険に巻き込まないためか、彼は計画の肝心なところをまだ教えてくれていなかったけれど、私は彼の荷物、端末、ノート、コンピュータから、すでに必要な全てを手にしていた。私のスペースグレイは、とても高機能なのだ。大丈夫、カスガくん、優しすぎるあなたの代わりに、私があなたの戦いを戦います。ねえ、すべてが終わったら、ハグして、一杯ほめて、ね。
●
「だから、どうあっても、『大地』の中の人々には枯れてもらうしかないのです。いいえ、殺すのではありません。彼らは既に人間よりも植物に近いのです。あらゆる社会的相互作用を持たない自閉的な存在。一人ひとりがまるで絶海の孤島のように閉じている――私はただ、あの異形の植物をより植物らしくしてあげたいのです」
ショッピングモールの階段下にある小ステージ前方に固定された、私の擦り切れたスペースグレイのカメラとマイクが、私の姿と声を捉え、あの懐かしい動画共有サービスの生中継機能を通して、モールの隅々へと送り出している。私はリズムよくパワーポイントの資料を切り替え、プレゼンを前へと進めていく。視聴者数は増加を続け、中継画面はコメントに覆い尽くされていた。
「ネットワーク、仮想空間の広まりとともに、アイデンティティは変化しました。アバター、ペルソナ、分人、ポリフォニー、リゾーム思考のような、『複数の自己』という在り方が発見され、そうして私たちは個人でありながら『数人』となりました。あの棺は、それらを矛盾なく共存させ、自我をいくつもに分割し、その中に社会を設け、家族を設け、SF小説のタイムトラベラーのように未来へ過去へと飛び回り、終わらない物語を編集させ続ける。だからそれは、ハイデガーの思想にならい、人々のよりどころとなる『大地』、そしてそこに立ち上る、全ての物語可能性を包摂する『世界』と名付けられたのです。あのエヴァンゲリオンで描かれた『人類補完計画』になぞらえて、『自分補完計画』と呼んでもいいかもしれません。そして、閉じてしまった彼らはもはや欲求さえ持たない。欲望を失った人間は動物と呼ばれますが、欲求を失った動物は、そう、植物と呼ばれるべきです」
私は、私の中にこれほどの情熱があることに、驚いていた。話しているうちに、自分で思いもよらなかった考えがあふれ出てくる。これは私だけの言葉ではないのだ、と私は不意に悟った。私の中に、大勢の、静かに怒る声がある。私はそれを代弁しているに過ぎないのだと。
「けれど、彼らが植物だとして、私たちは何でしょうか? 私たちは羊です。私たちは私たちのアカウントです。私たちも既にずっと人間とは言えないんです。だって望みがないでしょう。だって誰からも名前を呼ばれていないでしょう。あなたは人間ではありません。じつはかわいい羊です。アカウントが消えれば、パスワードを失えば、あなたは煙のように消えてしまうかもしれません。私たちはただ消費してきた。目に入ったあらゆるコンテンツを食い尽くそうとしてきた。決して強い関係性を望んだりしない。私たちに必要だったのは、異質な他者なんかではなく、愛着を交換できる不特定多数の『大地』でした。既存の消費を次々とリミックスし、わずかな差異しかない代替物を消費していくだけ。でも私たちは、そのコンテンツに泣き、コンテンツに救われ、暗闇の中の杖としてすがり歩いてきたのです。だから、私たちは植物にだけはならなかった!」
私は私のソーシャルネットワークのすべてに、カスガくんの作ったツールを共有する。それは、瞬く間に拡散されていく。
「私たちは不毛な生を生き続けてきたけれど、失われた世代と揶揄されてきたけれど、だからこそ、ずっと求め続けていた。私たちは肩を落として歩き回っていた。私たちは渋谷を、六本木を歩き回っていた。私たちは秋葉原を、コミックマーケットを歩き回っていた。私たちはドンキホーテを、ショッピングモールを歩き回っていた。私たちはディズニーランドを、フジロックフェスティバルを歩き回っていた。それは、かつてのフロンティアを目指す直線運動ではなかったかもしれない。ぐるぐると同じ場所をめぐる周遊運動だったのかもしれない。私たちはインターネットの中さえ歩行しました。スマホの上に指を走らせ、駆けるようなフリックを幾度繰り返したことか。そうして、私たちは自分自身の欲望を、微細な差異の中から、『いいね!』の夥しい累積の中から、形作ってきました。そうして、私たちは人間となったのです! だから、私たちは二足歩行する人間となろう! 全ての文明は、森を刈り砂漠を生み出すことで生まれたのだ! 人間として、あの老木を伐り倒そう!」
■5―3 2049年1月1日 【男】
こうして俺は終わりの瞬間まで戻ってきた。特別棟の地下深くで、俺は『大地』を前に素裸で立っている。自らの半生―二十歳頃から七十歳近くまでだから半分以上だが―を辿りなおし、捏造した思い出を上書きしてきた。いまこの瞬間、俺の頭の中には二つの記憶が併存している。現実には、あんな幸福な日々は一瞬たりともなかった。レンという美しい女。学生時代に脅し押さえつけ支配しレイプまがいに妊娠させ堕胎させ、彼女の父親が死んで負債だらけになると、俺は彼女を捨て好きでも無い女をこれも半ば脅して結婚しその父親から融資を受け他人を騙し出し抜き『大地』を作り上げた。だが、成功を得て、50年の歳月が経っても、別れると告げた時のレンの瞳、あの空虚な目が忘れられなかった。だが今はどうだ。輝く記憶に塗り替えられ、彼女は俺の一部となった。俺は俺の補完に成功したのだ。
記憶の中の俺は、なんだかまごついて中々棺に足を踏み入れない。そうか、孫のアイに、あの本を送ろうかと迷っていたんだった。俺は現実にほとんど未練がなかったが、アイのことだけ僅かに気がかりだった。不思議な少女だった。『世界』の助けも必要とせずに、一人で完成しているように思えた。どうしてか、この数年間、そうした子どもたちが増えているそうだ。彼らは他者に無関心で、ディヴを一つも育てず、唯一の目的として『大地』に入ろうと望む。親でさえ気味悪がって彼女を遠ざけていたが、考えてみれば奇妙なことでもないかもしれない。現代人にとって、他者との感情的な関りなど一切生存に不要だろう。彼女たちは新しい人間なのかもしれない。その存在は植物のようで、ほとんど歩き回る樹といっていい。やがて地球は緑に覆われるかもしれない。静かで結構なことじゃないか。結局、俺は端末を操作し、アイに脆弱性の秘密を託した。植物の運命を決めるのは植物に任せるのがふさわしいと思ったからだ。だが、きっと彼女はそれをどうにもしないだろう。植物は何も決めたりはしない。おれは端末を初期化し、『大地』に横たわる。もう少し、あと幾場面かを過ごせば、過去の記憶は更に薄れ、やがて握りつぶすことができるだろう。俺は俺を納める棺をじっと見つめる。やはりもう一度あの時を思い出そう。ただ一度きり、レンと本当に幸せだったあの日。(だが、『本当』とはなんだ? 俺はあらゆるときに既に彼女と幸せだった)
この棺あるいは苗床へと至るあの美術館へ。
■6―1 2050年6月1日 東京郊外 【少年】
君にも話したことはなかったと思うけれど、僕の父は「老人喰い」、つまり振り込め詐欺のエキスパートだった。一般的には複数人がグループを組んで、キレる役、なだめる役などに分かれながら相手を混乱させていくのだけれど、父は一人で何人もの声色を使い分ける大役者だった。父が言うには、相手を完全にだます必要はなく、せいぜい5%程度の「だが、もしかしたら……」という不安さえ抱かせてしまえば、相手は自分の思うように動くのだという。標的にする老人を選ぶと、まず数週間をかけて徹底的に調べ尽くす。彼らの身の回りで、まさか、と思えるような小事件を起こし、噂を流したり、ポストに偽物の注意喚起のチラシを入れることまでする。そうして、既に成功を確信した段階になってから詐欺の電話をかけるのだそうだ。逮捕されるどころか、被害者が警察に通報することさえ稀だったという。誰かに深く騙されるということは、一種呪術と言ってもいいほどの強力な心理的呪縛になるそうだ。騙され方が自然であるほどに、彼らは新しく出会う全ての人々、やがては自分の身近な人々さえ疑い始めてしまう。「まさか」と思うほどに、「いや、もしかしたら」という思いが強まるのだそうだ。疑うしかない、しかし、信じたい。そうなってしまえば、「フィーバー」で、ほとんど詐欺と気づきながら、いや、真実であってほしいという願望によって、二度、三度と騙され続けるらしい。そうやって複数回騙された人間は、例えだまし取られた金の数十倍の財産を持っていようと精神を病み死に至ることも多いのだという。父は一度騙した相手に、わざわざ二度目の「真実の」でっちあげを行って、疑いの呪縛から解き放ち、独りの自殺者もいないことを自慢にしていた。冗談交じりではあったけれど、父は自分のことを「役者」だと言っていた。だまし取った金は演劇の観覧料なのだという。
だが稀に、詐欺にあった事実を信じたくないあまり、現実をを捻じ曲げてしまう者がいる。息子の横領という詐欺の電話を信じ込み、何度説明しても、彼が事件を恥に感じてそう言っていると信じ続けた父親、こうなればどのような証拠も論理も意味を為さない。あの老女―レンもおそらくそうなのだろう。
暗示が利きすぎていた。複数人の「羊」を使って、幾つかの団地で同時多発的に、せいぜい数百人を「植物」にする計画だったのに、既に数十万人分の覚醒脳波が失われていた。管理職員たちは、そもそもが可能性からあぶれた人々で、誰もが責任から逃れる保身を考え、報告と連絡と相談だけをこなすばかりで誰も動かないもう一群の羊たちだった。
ビークルの中で、レンの演説する動画を見た。彼女の言動は支離滅裂で、老人たちが内容を理解しているとはとても思えない。だが、彼女の仕草、顔の筋肉の動き、表情は、僕がこれまで用い、人々を操ってた演技をそっくり盗み取ったものだった。
緊急事態用のアカウントが発行され、僕は普段はアクセスできない特別棟を目的地として直接打ち込んだ。たどり着いた団地棟は三桁の番号が振られ、前後左右、どちらを向いても同じ建物が地平線まで続いている。正面口の広場では、遊ぶ子供も消えサビに覆われた滑り台や鉄棒が、どこか生物じみたアジサイの密生に飲み込まれようとしていた。慌てている警備員たちは騙す必要もなく、「誰も入れるな」と命令してやると、安堵にほとんど失禁しそうな顔を見せた。
ずっとこの時をまっていた。僕は自分が自らの物語に絡めとられていることを感じ始めた。シナリオに沿って動く役者のように、シェイクスピアの有名な「お気に召すまま」のセリフ、人間は全て役者であるという一行は、むしろ人間の意志などというものが台本に逆らえないことを言っているように考えられた。
君は棺の中で変わらず美しかった。ディスプレイの中で君の世界樹はすっかり七本の枝をつけている。通常半年ではこんな風に世界は育たない。だがきっと、君は眠りについたときからこうだったんだろう。あの海沿いの町で、君は既に99%完成してたのだから。告白しよう。僕はその瞬間、ここまで来た理由を投げ出し、君をこのまま永遠に眠らせたいと願ってしまった。あーあ、だから、だめなんだ、僕って。
■6―2 2050年6月1日 東京郊外 【老女】
ねえ、カスガくん、どうしたの。私は、セヴンティの強靭な二の腕をカスガくんの首に巻き付けて、精一杯の力で押さえつける。セヴンティーンの彼の細い首は苦しそうに空気を通すのに必死だった。私たちは棺を置くためだけに設えられたにしては無意味に広い部屋へともみ合って倒れる。抱擁には永遠をこめる。ほとんど、『劇場版 エヴァンゲリオン』のクライマックスのような盛り上がり。その後の二人の行く末は。
うまく声が出ていないけれど、彼の唇が、離せ、と定型文に動く。演技をする余裕もないみたい。
「羊、って書いてたね、カスガくんのノートに。認知能力と精神的羞恥心をはく奪されて、森の奥で飼い殺しにされる老羊。あなたは彼らの主導者になったつもりでいるんだろうけど、それは間違ってる。私たちは既に、ほとんど限界に達していた。あなたはそこに一滴を注いだだけ。もうセヴンティーンには、テロなんて起こせない。礼儀正しくて、いつも何かに遠慮して、はにかんで笑う、去勢された犬みたいな若さには」
「あんたはどうなんだ!」彼はその白くきれいな指を、がっちりと咬んだ私の腕と首の隙間に差し込んで、小さな隙間を作り息をつく。「あんたは、僕を愛している、そう思い込んでいる。偶然を装った出逢い? あの転倒だって僕が仕組んだんだよ。僕の演技に騙されて、疑問も抱かなかったのか? 70歳はふつう、17歳を愛したりしない。あんたが愛だと思い込んでいるものは、科学の作り出したフィクションにすぎない。そしてあんたは、僕を本当に傷つけることはできない。愛と同時に、恐れと崇拝も感じるよう、そう暗示にかけてあるんだから!」
ああ、なんてことだろう。カスガくん、若いセヴンティーン、あなたは人間について、愛について、全く理解していない。私は勢いをつけ、すっかり良くなった脚を踏ん張って、カスガくんを埃まみれの床にたたきつける。私の赤い素敵なハイヒールで、体重を載せてみぞおちをえぐり、悶絶したところに馬乗りになって殴りつける。カスガくんは、腕を顔の前に交叉させて必死に防御するけれど、その可愛らしく二頭筋は薄く、私のダイアモンドをあしらったティファニーのアトラスウォッチを拳にまいて殴りつけると、すぐに赤く腫れてしまう。私は私の身体が好きだ。私について最も好きなのが、私のこの身体、歓びが湧いてくる。緊張と収縮を繰り返す二頭筋と三頭筋が熱を帯びる。幾何学的な曲線を描く腰のラインが滑らかにグライドし、ひじのばねを使った重たい打撃を繰り出している。私は私というセヴンティの生み出す暴力に恍惚となった。情けなくダンゴムシのように丸まった貧弱なセヴンティーンの身体を引き起こし、私はカスガくんの耳元にささやく。
「私のこの愛が愛ではないというのであれば、この世界で愛と呼ばれている全ては呪われるといい」
彼のゆったりとした合成素材のズボンは伸びがよく、すぐに脱がせることが出来た。私の履くヨウジヤマモトとは大違いだ。彼の灰色の下着をはぎ取り、私もツモリチサトの可愛らしい猫柄のショーツを脱ぎ捨てる。抵抗を忘れた小さな肉の芋虫、その腹に私は指を這わせる。
「昭和生まれに勃つわけないだろ!」
それじゃあ、他の誰かのことを考えたら? 私は彼の頭を引き上げ、棺の少女、そのつるんとしてひっかかりの無いつまらない裸身を目に入れた。ああ、うう、と痛みに悶える彼に、私はあの伐られてしまった梅のつぼみを思い、早春、とつぶやくとその萎えた亀頭に口づける。やがて私の口の中が粘る。既に萎え始めたそれに塗りたくり、私は私の乾いたままの寂しいおまんこをあてがう。私は私の身体が好きで、その中でも私が一番素晴らしいと思うのが私のこのおまんこだ。陰毛が抜け落ち、二つの稜線の間の谷、筋萎縮でぴったりと綴じ合わされたクレヴァスは、きりりと結ばれた少女の唇のようだ。体重をかけても先端さえ入らず、私はカスガくんの不健康な青白いおなかにこぼれていた私の唾と精液の混じった粘りを私の入口へと塗り付ける。樹が育つ。ゆっくりと侵入が行われ、鋭い痛みを耐える私の喉が鳴った。
これが動物的行為ではないと、承認の簒奪でないと言えるか、自身がない。痛みの向こうから、快楽の波が打ち寄せ始めた。全ての射精は、すべてのオルガスムスは、インディヴィジュアルである。よく意味は分からなかったけれど、彼のノートにそう書いてあったのだ。私たちは人間の交わりが出来ているだろうか。それともこれは羊による獣姦だろうか。高まる快楽に私は叫び声をあげ、脈打つセヴンティーンのペニスを感じながら、私の、セヴンティのオルガスムスを迎えた。余韻が去って私が目を下すと、カスガくんはすすり泣いて、アイ、とおそらくは傍らの少女の名を呼びながら棺に手を伸ばしていた! 私はおかしくておかしくて仕方がなくなり笑って笑って笑ってむせこんで咳をしてからまた笑って笑って喉が狭まって窒息しそうになってというのを幾度も繰り返してからようやく息を整えて叫ぶ。
「カスガくん、おお、あんたはなんて人間らしいんだろう! 私はあんたが大好きだよ!」
私はもう一度思いきりアトラスウォッチで彼を殴りつけて前歯を何本か折り飛ばす。「老人というのは、社会的に弱い存在です。黙っていると、人としての尊厳を踏みにじられる、そんな出来事があるのも事実です。そんなときは、勇気を出して、はっきりと自分の立場を示すということも、大切なことなのです」若い頃に読んだ本に、確かそんなことが書いてあった。
私はまだ精液に滑る気持ちの悪い股間を私のかわいいツモリチサトのショーツで拭い立ち上がる。美しくなめらかな少女の大地は私たちの交合のぶつかりで揺れて、自動排泄ユニットがずれたのか、伝導液が茶褐色に濁っている。カバーを外して彼女の糞便に汚れた股間、夏がもう近いというのに、彼女のまだ貫かれたことのない桜色のおまんこは堅いつぼみのまま開く様子もなく、眺めていると私の膣口の痛みを思い出した。私はその尻をきれいに拭き上げ、伝導液もきれいに取り換え再び大地に横たえると、その頬を張る。センサーが異常を感知してびいびいと警告音が流れる。拳をしっかりと高く掲げ、あとは慣性に任せるんだよ。父がいつかそんなことを教えてくれた。私は何か懐かしい歌を思い出しそうになるけれど、やっぱり思い出せなくて、ただ叫んではまた殴る。人間なんだろう。抵抗してみせろ。私は息を切らし、彼女を二度と人間から遠ざける暗号化のプロセスに指をかける。カスガくんは力なく、やめろ、やめろとつぶやいている。彼女の小さくふくらんだおっぱいが、私のスペースグレイのスマートフォンの角でへこんだとき、私はまた少し迷い、もしかすると、この少女は私の子であり、孫であり、私は私の未来を食い殺そうとしているのではないかと疑問を抱く。そのとき、少女のかすかな声が聞こえ、私は彼女の口元に耳を近づける。
「わー、サイアク。ほんとつまんない、この世界って。また最初からやりなおしかなぁ」
真っ黒い制服を着た警備員たちがようやく部屋になだれ込んできたとき、私は未だ下半身に何も身につけないまま、混乱する彼らを構えたスペースグレイに写し、私の素敵なtwitterにアップロードする。逮捕なう。
■6―3 2051年 【男】
俺は最初から目覚めるつもりなどなかった。
■7―1 2051年 【少年】
アイ、そうして僕は今も、もう目覚めなくなった君に話しかけている。あの日、大地に繋がれていた人々のほとんど、高齢人口の8割程度が自閉状態となった。数か月の議論の末、彼らは拡大された脳死と判定された。それなのに、『大地』を禁止する法案は可決しない。その決断は、この国での年金、福祉費用、生活保護費用が再び激増することを意味するし、その不安だけでも国家経済を十回ほど破綻させるのに十分だろうから。それほど遠くない未来、運用は再開されるだろう。
人々は植物となった親たち、祖父母たちを前に途方に暮れた。そもそも子どもを持たず、親類一同が樹となり林となった一群も多かった。少なくない人々が、臓器提供や安楽死の選択を行ったけれど、一方で彼らを引き取り家に置く者もいた。
棺を窓際に移して君に日光を浴びさせる。君たちを観葉植物になぞらえる人もいる。それで構わない。僕は君に話しかける。そうすることで―たとえ一方的ではあったとしても、僕は君とのディヴを築くことが出来る。関係すること、そのことだけが、きっと君を人間に留めている。
■7―2 2051年 【老女】
チュン、チュン、チチチ。都心から離れたこの辺りでは、小鳥の声が珍しくない。毎朝、そのかわいらしいさえずりをきいて、おはよーう、と私は大声で挨拶する。高い窓から弱々しい朝日が差し込み、私は膝でそれを受け止める。高地から下りてくる冬の風は冷たくて、寝起きの悪い私がしゃっきりと目を覚ますのに役立っている。
朝食が終わると、私は看守のヤマノさんと色々な話をする。私の相棒であるスペースグレイが取り上げられてしまったときは、もう私の大切なSNSにアクセスすることもできなくなってとてもつらい気持ちだったけれど、看守のヤマノさんとお友達になって、毎日おしゃべりできて、私は本当に幸せな気分だ。「この人と出会えてよかった、そんな風に思える友達こそ、老人の宝物なのです」と、もう失くしてしまった本にも書いてあった。
ヤマノさんは、私に色々と教えてくれた。ここにやってきた最初の日、興奮しながら話してくれたのは、やはりあの事件の顛末だった。実行犯の高齢労働者たちは数千人に上り、彼らを拘禁できる施設も足りず、ほとんどが自宅軟禁となった。結局、責任の全ては私に帰せられ、彼ら、彼女らが法に問われることがなかったのは本当に良かったと思う。
私は日本中の多くの人々から、魔女であるかのように言われ嫌われていた。経済を壊滅させ、国益を損ない、老後の安らぎを奪い取り、大切なおじいちゃんやおばあちゃんにもう会えなくした悪者、とこういうわけだ。だが、ヤマノさんはじめ、『大地』に反対していたり、私と同じようにその中に入れない人々からは、たくさんの温かい言葉もいただいた。彼らの中で私は、一種の救世主として尊敬されているのだそうだ。そうしたメッセージを見るたび、私は、恥ずかしいやら、申し訳ないやらで胸がいっぱいになってしまう。
ヤマノさんはそれから、私のためだけに、廃止になっていた絞首刑が復活して、近々刑が執行されるということを、涙を溜めながら教えてくれた。
ここでの生活は静かで穏やかだ。私は俳句を始めた。独房の中でできる趣味は少なかったのと、死ぬ前に「辞世の句」というのを詠んでみたかったから。付け焼刃だから、あまり納得のいくものが書けないが、毎日少しずつでも上達しているように思えるのは嬉しい。筋トレも続けている。私は今も、私の身体が大好きだ。シャワーを浴びられる時間は限られているのだけど、ヤマノさんは、私の筋トレが終わるたびに許可を出してくれる。だいたい、この大きな施設に拘禁されているのは私一人だけなのだ。動物は管理が楽だし、植物には罪が犯せない。犯罪も裁判も人間のためのものなのである。そういえば、「人間のみが真の詩を書く」と、ずっと昔、若い頃に読んだ本に書いてあった。私の下手くそな俳句はどうだろうか。唯一の不満といえば、このお洋服くらいだろうか。合成素材の青い作業着。シャワールームで着替えた後、鏡を見ると、私が嫌っていた母の清掃員姿を、そして母が首を吊ってしまったときのことを思い出す。私はそのことでずいぶん母を憎んだけれど、今ではそれが、彼女の精一杯の抵抗だったのだと考えるようになった。自殺もまた、人間のためのものだろう。首を吊って死んだ人どうしは、あの世の同じ地域に送られるということなら良いのになあ、と私は考える。
ああ、ヤマノさんが、いつもに増して悲しそうな顔で私を呼んでいる。どうやら、今日がその日らしい。辞世の句は結局詠めなかったけれど、私のセヴンティの美しい身体、私のセヴンティの清らかな魂、私のセヴンティの素晴らしい快楽がその代わりをしてくれるだろう。長い廊下を歩き、窓から漏れる柔らかな光を1つ1つ通り過ぎ、私の微笑みは最期まで絶えなかった。
枯れ果てた植物の王国跡で、全ての報道局が回避しようのない経済的困難を沈痛な表情で伝え、子ども達の未来と可能性を圧し潰しているなか、私はかすかに耳に届く鳥の声を慈しみ一筋の陽光の暖かさに永遠を悦ぶただ一人の人間のセヴンティだった。老人と子どもしかいない惑星で、窓際の植物を頼りない生のよすがとして語り合う孤独な声が空へと溶ける朝に、私は私のお気に入りのお洋服を着て死ねないことを悲しむ泣き虫のセヴンティだった。伝導液にぐっしょりと濡れる萎びた老木が、細切れにされた自我で空疎な自慰に擦り切れていたとき、私は強姦のオルガスムスを思い出し、かつて棺の森で幾千の世界を殺し尽くした唯一人の人間のセヴンティだった。
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内容に関するアピール
●参考●
『老人喰い』 鈴木 大介
『脳と機械をつないでみたら』櫻井 芳雄
『アナーキー・国家・ユートピア』ノージック
『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 』河合 雅司
『私とは何か』平野 啓一郎
『気がつけばドッキョロージン ハッピーシングルライフ』澁澤幸子
『ツェラーン 言葉の身振りと記憶』鍛冶哲郎
「たれぱんのびぼーろく」http://tarepan.hatenablog.com/
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