梗 概
アイテラス
よく晴れた夜、浜辺に流れ着いていた白いブヨッとした物体にこわごわと近づいた男はぎょっとした。人間ではないか。人との交際を絶つためこの南太平洋の無人島に住み着いたのに、こいつが生きていたらと思うと、この先の面倒ごとが思いやられる。
しかしよくみると、その漂着物は人間にしては異様に白く、無毛で、さすってみると中身が中空であるかのように軽く、そしてふるふると震えた。
男はそれが精巧に出来た人形だと思うことにしたが、似たよう形状の物体が大小さまざま数十体、新たに漂着しているのを見つけるに及び、さすがに気味が悪くなってしまった。
同じ頃、世界各地の海岸にこの人間状の無生物は流れ着いていた。荒波に揉まれてつるつるの表面になったと思しきそのタンパク質のかたまりたちは、しかし自然のいたずらにしてはあまりによく出来すぎており、人の悪ふざけにしてはあまりに大規模であった。
海洋研究開発機関の調査船は太平洋上にあると予想されるその白い肉人形たちの大発生地帯を目指し、日本を出航した。生物学者は自分の知識が謎の解明に役立つか心もとなく思いながらも、その調査隊に同行していた。
月明かりの夜、調査船はミクロネシア南方沖で大海嘯を成している人形たちの群れに行き遭う。信じ難いことながら、生物学者の目には月の射す光が人形の一つ一つに紐づいて、波でそれらを洗い、成形しているように見えるのだった。
船内でその白いかたまりのサンプルと向き合い、学者は思う。なぜ、多くの人形たちは声帯(と思しき部位)から発達するのか。なぜ、月光の下でよく育つのか。「人智を超えた」という表現を使うまいと決めた決心が揺らぎそうになる。
一方、無人島の男は肉人形に害はないらしいとみると、そのうち状態の良い二体を話し相手として選び、無聊を慰めていた。大きい方は少年の頃に亡くなった母に見立て、もう一体は迷った末、友達に擬した。ラブドールにするにはまだ少し気味が悪い。
島での細々としたこと、昔の思い出などを人形たち相手にしゃべりかける日々。ある日、「母」の口腔がゆっくりと開き音を発し、男は恐怖する。たどたどしいながらも、母の声で親子の間しか知り得ぬ事柄が語られる。男は恐る恐る母親と会話する。
小さい方の人形まで口をひらく。少しのやりとりで、翻訳調の喋り方がみるみる自然な日本語になる。お母様は本物ではありません、ただの記憶の積層です。十分な量の情報の「エサ」を与えると、あなた方が「月」と呼ぶあの蔵から、人格を引き出せるのです。有史以来、我々はあなた方から「エサ」の施しをもらっていました。
呼び出せるのは死者だけではない、と小さい人形はいう。この「容れ物」たちを使えば、あなた方は歴史の総力を挙げ来たる災厄に立ち向かうことができます。遠い場所にいる兄弟からのささやかな返礼です。そう言ったきり、人形は事切れた。
大海嘯に近いがため、人形が巨大な桟橋になるほど積もっている無人島に調査船が寄港。男は保護される。
真昼の月が浮かんでいる。「母」だった人形を傍らに、男は力なく笑って生物学者にいう。これ、使い捨てみたいですよ。
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内容に関するアピール
月は巨大なストレージでした、というお話です。と同時にゾンビものの要素もありますし、ファーストコンタクトものでもあります。月の本当の機能へのアクセス権を人類が得てはじまる大変革の前日譚でもあります。
多少理屈っぽい考察を含む場面は調査船一行に割り振り、白いブヨブヨとの戯れ、あるいは叙情的なシーンは無人島の男に任せる、という分担でいこうと思います。
本筋と関係薄ですが、小さい人形が会話データからのフィードバックを経て徐々に日本語を話せるようになる下りにSFを感じるので力を入れて描く所存です。
白い人形の使い道が解明されないので、食べてみたり、大量に使ってインスタレーションにしてみたり、といったことが各地で起こっていることもササッと触れられたらと思います。
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