梗 概
手ごねのユビキタス
小さな愛人たちが身体の色々な部位を転げ撫ぜるのを、郁男(いくお)は蕩けて受けとめていた。
翻訳機から出力した「神の最適な愛撫」データを、球体をいくつもつなげたような形をした性愛キットにインプットして、自分の肉体の上を這わせる。非倫理的な感じがするから「愛人」という名づけなのかな、と彼は独りごちる。
郁男の考えるところによれば、神の実在が示唆されて以来、人類はそれぞれに孤独の度を深めている。あらゆる地点に共時的に存在し、かつ環境の影響を受けずに経時的に変化し続ける情報素子の存在が観測されたことは、なにか大いなるものがこの世界に遍在することを示しはした。しかしその「メッセージ」の送り手の姿が一向に見えないことに、人々は巨大な不在を感じ取っている。
だからせいぜい、読み取った情報を各社が提供するアルゴリズムをもとに視覚、聴覚、嗅覚データなどに翻訳して各種サービスに出力し、無聊を慰めるしかない。小さな愛人を囲ったり、神の啓示を翻訳機で読み込む前に予想する丁半博打に興じたり、脳を媒介機とした翻訳プロセスの作用で起こるトリップに浸ったりなど。
神の大いなる御傘の下、コミュニティからも家族からも切り離された完全なる近代的自我が完成した。こう考えるのは俺が都会で独り暮らす中年男だからなのか。郁男は自問自答する。
寂しがりやは他にもいる。過去に類を見ない大停電が起こった夜、予備電源を起動するよりまず翻訳ハンディで「メッセージ」の健在を確認しようとした郁男は、少ない月明かりを求めて小高い丘に登ると同じ目的をもった一団と出くわす。
そのなかの一人の利発な小学生、喜連雄(きれお)と郁男は仲良くなる。「ホタルっていうんですか?それにそっくりですよねぇ」ハンディのディスプレイの群れを指してその少年がいう。
喜連雄は翻訳アルゴリズムのよって異なるメッセージを読み解いて、「神」の輪郭を定義するための議論をするサークルの主催者だった。「せっかく啓示が手元からざくざくでてくるので、作らないともったいないじゃないですか。僕たちの神を。手捏ねで。」
郁男はサークルの参加に生きがいを見出す。そして欠席がちなメンバーのなかに自分と同じ工場で働く女性、アゲオを発見する。肥っていて動きが鈍重な彼女を郁男は好きになれない。「わたしだって、細いのに毛深いのが気持ち悪いし、臭いと思ってますけど。あなたのこと。」唐突にアゲオに切り出されたりもした。
忽然と姿を消す喜連雄。ふさぎこんでトリップに惑溺する郁男。喜連雄が彼の子どもだったら。恋人だったら。先生と生徒の関係だったら。あらゆる可能性を幻覚から読み込んで逃避する。「喜連雄は御子っ、神の御子、ほれっ。」もうろうとする郁男に変なことを吹き込むアゲオ。郁男は無視を決め込む。
もう一度大停電が起こった夜。一縷の望みをかけて丘に登るが、喜連雄は現れない。その代わり、アゲオが人々の需要を当て込んで様々な感覚の翻訳機の貸し出しをしている。「10分500円。ほれ。」彼女のたくましさにあきれながら、郁男は気づく。神の実在にかまけていたなぁ。内なる神を育てるのをサボっていたなぁ。それって不健全かもしらん。
手捏ねが必要だな?と言いながらむんずとアゲオの手を握り、ひえっと驚かれる郁男だった。
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内容に関するアピール
・神の存在が「確認されただけ」として、それが世界にどのような影響をもたらすか。
・確認されただけだとすると鉄槌が下る恐れもないので、神を使って倫理的ではないことの限りを尽くせるけど、なにする?
というようなことを考えました。結局、飲む、買う、打つに流れてしまいましたが、、、
世界があまねく神にみたされていながら、「存在」といえるほどの確かさをもっていないとわかったとき、人々は無神論者に近い感覚をもたざるをえない、という逆説を説得的に描きたいです。空虚な中心としての神がいる時代を覆う「非在感」のなか、主人公のおじさんには何をよすがに生きればよいか、の彷徨をさせつつ、いっぱい不逞な神遊びをしてもらいます。
文字数:301