梗 概
NEO-SHIN-KYOKU
「人生の道の半ばで
正道を踏みはずした私が
目をさました時は暗い森の中にいた。…」
2026年、エッセイスト・横山治世が行方をくらませてから数年、彼の手記が発見される。
そこには彼の生い立ち、彼の思考とその道程、想い人のことが生々しく書かれていた。
治世は、人気バンドのボーカルを父に、朝の顔とも謳われた女子アナを母にもち、幼少期から非凡な才能に囲まれて育った。しかし不幸なことに、彼は誰よりも凡才であり、そしてそのことに無自覚だった。歳を経るごとに、彼は自分と周りの天才との差に気づき、絶望していく。自分がなにをしても、自分より先に、自分より優れた結果を出している人間が必ずいる。では、自分はなにをすればいいのか?
彼は苦しみ、もがきながら、それでも、本を読み、音楽を聴き、一から考える。世界ではどうして誰かが苦しんでいるのか、そしてそれは本当に歪なことなのか。自分はなにができるのか。そんな彼の心の中心には幼き日から恋い焦がれている早川織江への憧憬があり、身体中にはヨゼフ・レヴィンやフランシス・プランテといった彼がどれだけ目指しても届かない偉大な演奏家たちによる音楽が流れ続けていた。
そんな日々と想いを綴った手記。それは早川の死後、彼に残された最期の世界への慟哭であり、懇望だった。
それに、ある人は感銘を受け、ある人は翻弄され、しかし、ある人物が改竄を加えていた。
彼の敵による改竄。人々はそれを真実として受け入れていた。
ところが、その一年後、インターネット上にある文章が流れる。
「人生の道の半ばで
正道を踏みはずした私が
目をさました時は暗い森の中にいた。」
その書き出しで始まる文章。治世は死んでなどはおらず、「地獄」にいたという。そこは現実の矛盾がわずかながらでも解消されようとした世界だった。
文字数:743
内容に関するアピール
申し上げるまでもなく、ダンテ『神曲』のパスティーシュです。
あの世という凡そ空想の産物以外のなにものでもない世界。しかし、「現実について考えるために現実から離れたい」(『ゲンロン1』2015)という東先生のお言葉に従うならば、これほど現実から離れられる場所もないはずです。
原作ではダンテ自身が主役ということでしたが、本作では主人公から創作し、今日の我々世代の苦しみをその一人により集め、それをあの世で「昇華」するような作品にしあげたいと考えております。
尚、『神曲』の引用、参考につきましては、原基晶訳(講談社学術文庫、2014)、平川祐弘訳(河出書房新社、2008)の二冊を使用させていただきました。この場を借りて、お礼申し上げます。
文字数:316