天空の美人局

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梗 概

天空の美人局

細長い楕円軌道を描き、数万年に1度地球に接近する準惑星が発見される。
その星の知的生命体は、適者生存を極める余り、たったひとつの最強の個体が星全体を覆っている状態にあった。この生命体はその体を自由に変形、分離、性質を変化させることであらゆるものに擬態できる上、高い知能も有し、死とも無縁だった。
生命体は、多様性のある地球人の遺伝子に興味を抱くが、かつて金星の全生命を滅亡させ、地球の恐竜を滅ぼしてしまったことへの反省から、あくまで交渉によって遺伝子を手に入れようと考える。
地球人とのコミュニケーションのために生命体が参考にしたのは、地球から届くテレビ放送の電波。生命体は調査に訪れた地球の宇宙船の乗員、ジョン・エヴァンズを誘拐、不完全な地球文化の理解の下に「交渉」を行おうとする。
その結果、何も知らないエヴァンズは、交渉の材料を得ようとした生命体によって犯罪者に仕立て上げられ、生命体の擬態である「弁護士」に振り回され、挙げ句に処刑の恐怖に怯える羽目となる。
一方、地球では、接近して来る準惑星を危険と判断して破壊を決定。しかし生命体は自らの星の軌道を変えることによって難なくその攻撃を躱してしまう。
生命体の圧倒的な能力に恐怖を感じ、その意図を図りかねた地球人は、エヴァンズが捉えられていることを知りつつ彼を見捨てることにする。エヴァンズは、追いつめられた果てに人間の女に擬態した生命体との「結婚」を承諾し、生命体の一部としてその体に取り込まれてしまうことになる。
だが、取り込まれたことで逆に生命体の仕組みを理解したエヴァンズは弁護士を使って「離婚」を実行。生命体から自分を分離することに成功する。
やっとのことで生きて地球へ返って来ることが出来たエヴァンズ。だがその体内には、生命体の「子供」が宿されていたのだった。

文字数:756

内容に関するアピール

科学が新しいものを開発し、あるいは発見する度に、人間は否応なく価値観の変化に遭遇します。
この物語の主人公は、未知の天体の上で地球人とは全く異質の生命体との関わりを余儀なくされ、同時に仲間だと思っていた地球人から切り捨てられ、かつそんな状況下で重大な判断を迫られます。
足場のグラついた自我に混乱しつつ、異質なものとコミュニケーションを取ろうとする主人公は、傍からは喜劇じみて見えることでしょう。
ストーリー的にはファーストコンタクトもの。ジャンルで言うと「バカSF」を目指しています。
人類にとっての偉大である(かもしれない)第一歩を踏み出すために片足を上げた人間のバランスの悪さを笑いに持って行けたら良いなと思います。

文字数:307

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天空の美人局

前回の講評の際に、講師の先生からご指摘頂いた問題部分を、以下のように訂正しました。
1)主人公の名前が「ジョン・エヴァンズ」というのはあんまり。
→日系人の「スタンリー・タカハシ」に変えました。
2)準惑星の軌道を簡単に変えられるというのは不自然。
→準惑星を改造した宇宙船という設定にしてみました。

〈ここより本文〉

最初は彗星かと思われたその天体は、近づくにつれて準惑星級の大きさを持つことが判明した。最接近時には地球から6000キロの距離まで近づくものと計算され、早速、探査機を送ることが検討された。
中でもアメリカは有人探査を熱心に推した。天体の土壌を採取したり大気の成分を分析するのは無人機でも可能だったが、その上に降りて星条旗の隣で写真に収まるという重要な任務は人間でなくては出来ない仕事だったからだ。
この任務を命じられた宇宙飛行士は、スタンリー・タカハシ。母方の曾祖母はアフリカ系、父方の祖父は日系人というNASA広報室イチオシの政治的に正しい人選だった。
速度と予算を重視した軽量の宇宙船は1人乗りで、長期間の旅行中の精神的健康を鑑み宇宙飛行士を薬で眠らせる方法が採用された。
5カ月後、タカハシは予定通り準惑星の軌道を回る宇宙船の中で目を覚ました。宇宙服を着て着陸ポッドに乗り移り、地表へ向けて放出。コンピューター制御のポッドは短い噴射の後、難なく着陸に成功したのだった。
先に降ろしておいたカメラがポッドから出て来るタカハシの姿を滞りなく撮影。宇宙服姿ではしごを下りたタカハシは、星条旗を手にカメラに向かって手を振ると旗竿の先端を地面に突き立てた。そして再びカメラの方を向いたところで、異変が起きた。

数分後、NASA管制センターのオペレーターがその異変に気づいた。軌道を周回する宇宙船から届いたのは、土色のもやに覆われた地表の写真だった。
「砂嵐か?」
フライト・ディレクターの無意識のつぶやきを、オペレーターは自分への質問と解釈した。
「砂嵐が発生するほど大気は濃くないはずです」
「じゃあ、あれは何だ?」
「分かりません」
オペレーターは律儀に答える。
「彼は、タカハシはどこにいる?」
「分かりません」
オペレーターは、同じ言葉を繰り返した。

準惑星の地表で、タカハシは急にわき上がった羽虫の群れのようなものの中で立ち往生していた。無数のそれは、地面から生き物のように跳ね上がって来ては空中で羽根をいっぱいに広げる。薄い大気の中で飛行する役には立たない羽根だが、視界を遮るには十分な働きをしていた。空が見えない。つまり軌道上の宇宙船からも自分が見えていないということなのだ。加えて無線機にはさっきから雑音ばかり聞こえている。羽虫は電波の妨害もしているらしい。
そしてその群れの向こうに、少し前から動く土色の毛の塊が見えていた。塊はタカハシの体よりひとまわり小さく、ずんぐりとした体つきや毛の色が地球のアナグマに似ていた。似ていなかったのは、それが二本脚で立ち上がっていること。こちらに背を向けてのそのそ歩いていた塊は、タカハシに気づいたのか、いきなり走り出した。
思わず後を追おうとして、地面から身体が浮き上がる。ここは月より小さな準惑星の上なのだ。つま先がどうにか地面に届いても、力を込めると弾んでしまう。止まろうにも止まれない。アナグマに似た何かは、低重力をものともせずに地表を滑るように走って行く。ときどき立ち止まるのは、こちらの様子を窺っているのだろうか?
何分ぐらい経っただろう。切り立った岩壁がアナグマもどきの行く手を塞いだ。タカハシがその背後に迫る。追いつめたかと思った瞬間、目の前でドアが開いた。
(なぜ岩壁に、ドアがある?)
アナグマはドアの中に飛び込み、タカハシも勢いのままにそれに続く。中は狭い部屋で、今度こそ本当に行き止まり。立ち止まった相手にぶつかって両腕でしがみついてしまった。やわらかい感触は獣というよりゴム風船に似ていた。鋭い悲鳴が聞こえ、ガクンという振動に続いて部屋の上下がぐるりと入れ替わったような気がした。身体のバランスを崩し、天井に尻餅をついてしまう。いや、床だ。さっきまで天井だった床だ。
ドアが再び開くと、その外は広いホール。若い女がタカハシの腕を振りほどいて、ホールへと飛び出して行く。
(この女、どこから湧いて出た?)
悩む間もなく、制服を着た男たちに周囲を取り囲まれているのに気づいた。女はタカハシを指差して金切り声でキャーキャー言っている。制服の男に腕を掴まれそうになって、とりあえず逃げる。
ホールを横切り、通路を駆け抜け、行き止まりのドアを開けて中に飛び込んだ。
ドアの向こうは岩だらけの水辺で、水からは湯気が上がっていた。温水のようだ。そしてその温水の中に、男がひとり立っていた。人間そっくりだが衣服は身に着けていない。
(裸族? 原住民?)
タカハシは、ついそこが地球から6000キロ離れた準惑星の上であることを忘れかけた。
「ウアアッ!」
と、原住民が吠え声を上げる。そして続いて言った。
「君は、うちの風呂場で何をしてるんだ?」
「英語が話せるのか?」
この状況にしては、そこそこ適切な質問を口に出来たと思う。
「テレビで覚えたんだ。受信機は僕が作った」
原住民は得意気に続ける。
「君は地球から来たんだろ? 宇宙船の無線も傍受していたんだよ」
タカハシは、ヘルメットの内側で口をパクパクさせた。話について行けない。
「こ……ここは?」
かろうじてそれだけ口に出せた。
「うちの風呂場だよ」
そういうと男はお湯から上がり、次の瞬間ガウンを羽織っていた。そして何のためらいもなくタカハシが入って来たドアを開ける。
ドアの外には銃を構えた制服の男たちが並んでいた。
「警備の者だ」
と、男が説明する。同時に何かの合図があったかのように男たちが一斉に姿を消す。
「君は、エレベーターの中で、ご婦人に抱きついてコートをはぎ取ったそうだね」
(身に覚えがない!)
「ほら、これが防犯カメラの映像だ」
男が向かい合わせにした手のひらの間に映像が現れる。タブレット端末並みのクリアな動画で、映っていたのはさっきのアナグマ。タカハシがアナグマにしがみつき、次の瞬間アナグマの体を脱ぎ捨てて若い女が飛び出して来る映像だ。
「強制わいせつの現行犯だな!」
スーツの男が断定的に言う。
「あのアナグマが?」
「つまり君の主張は、こういうことだね。コートを着たご婦人を、アナグマと思い込んで襲ったと」
「別に、襲っちゃいない!」
「その主張が法廷で通るかな?」
「法廷?」
「僕は弁護士なんだ。法律に詳しくない君には分からないかも知れないが、君は極めて難しい立場にいるのだよ」
弁護士を名乗る男は、もったいぶった口調で言った。
「死刑になりたくなければ、責任を取って君が関係を持ったご婦人と結婚し給え!」
「なぜ、そうなる?」
「なぜって、犯罪者が有力者の娘と結婚すれば犯罪をもみ消せるじゃないか」
「ひょっとして、その知識もテレビからか?」
「うん。メロドラマでやってた」
男は笑顔で答えを返した。
(地球へ帰ったらすぐに、メロドラマの放映禁止を訴える署名運動を始めよう。テレビは誰が観ているか分からないんだぞ!)
「ところで宇宙服を脱いだらどうだい? ここ、空気あるよ」
タカハシは一瞬ためらってから、相手を信用することにした。目の前にガウン姿の男が平気で立っているのだ。少なくとも気圧の問題はないと判断できる。
ヘルメットを外して用心しながら空気を吸い込んだ。普通の空気が肺に入って来る。そして重い宇宙服を脱いだところで気がついた。
「重力が1Gだ」
「宇宙船の中だからね。人工的に重力を作り出している」
驚愕の事実だったが、もはやその程度のことでは驚けない気がした。
「あんたは、地球の大気中で呼吸が出来る……ええと、種族なのか?」
「僕は呼吸はしていない。僕は弁護士だからね」
「弁護士は呼吸をしないのか?」
「地球人は、弁護士で呼吸をするのか?」
「地球の弁護士は呼吸をするんだ」
「弁護士は、弁護をするんじゃないのか?」
不本意ながら、言葉に詰まる。
「僕の言っていること、理解できてる?」
男はコメディアンのように大げさな仕草で首を傾げてみせた。これもテレビの影響なのか?
「理解できるように説明してくれ。あんたは何者で、何をしようとしているのか?」
「説明って、女を囮に君をここにおびき寄せたところからかい?」
タカハシは、絶句した。
「……いや、出来ればもっと最初から」
かろうじて言葉を口に出す。
「最初からね。まず最初に球状星団の中で僕らの星が生まれ……」
「いや、少しは端折っていい」
「じゃあ、赤色巨星となった恒星系を離れるために小さな星を改造して宇宙船を作ったところからね。……長い宇宙旅行に耐えられるように船内にバランスのとれた生態系が作られて、そのまましばらく均衡を保っていたのだけれど、そのうち生態系の下位の部分で融合が始まったんだ。下位に属する者が上位のものに吸収され同化し、ついに船の中の全ての生命が融合してひとつになった。争いの無い理想の社会の誕生だ」
タカハシは「社会」に突っ込みを入れたいと思ったが、思いとどまった。
「つまり、この星の生物はすべて融合して、いまは君ひとりだけになっているということか?」
「みんなの遺伝子情報は僕の中に生きている。必要な情報を適宜目覚めさせれば……」
男は巨大なアーモンド型の目を持ったグレイの小人に姿を変えた。
「……好きな姿になれる」
「それがあんたの本当の姿か!」
「いや、君らのイメージするエイリアンっぽくしてみただけ」
エイリアンはタコのような怪物に姿を変えた。
「こんなのでもいいけど」
そして再び弁護士の姿に戻った。
「でも、地球人と会話するには、やっぱりこれが自然かな?」
「どれも不自然だ。あんたの本当の姿を見せてくれ」
「本当の自分の姿か……哲学的な話だな」
(そんな深遠な話はしていない!)
「分かりやすく言うと、君の目の前にいるこの僕は、僕のほんの一部なんだよ」
エイリアンは指を1本立てると、ふにゅりと変形させた。指が人の姿になって喋り出す。
「こんな感じで喋っているわけね。僕の体って、この星と同じのサイズだから」
恐怖を感じるべきなのか?
「で、だいたい2億年前のこと、僕はこの太陽系に辿り着いた。そして金星を見つけた。そこに生命を発見した僕は、金星の海水を運べるだけ船に持ち込んで、そこに含まれていた生命体とも融合した。だから僕はある意味、金星人でもあるんだよ。もっとも金星自体は水が無くなって、とても住み辛くなってしまったけれど」
「あれは、あんたの仕業か!」
タカハシは叫んだ。
「地球には絶対に来ないでくれよ」
「もう行ったよ」
男は悪いびれない。
「無礼なトカゲがいてね。乱暴で嫌な奴だったから石をぶつけてやったんだ」
破壊的なイメージが脳裏に浮かぶ。
「どんな石を?」
「アステロイドベルトの石を、1個だけ」
「地球に隕石を衝突させて、恐竜を絶滅させたのもあんたか!」
「奴らがいなくなったお陰で、君たち哺乳類が繁栄できたんじゃないか」
明るい声でそう言われてしまった。当たっているだけに腹が立つ。それが顔に出たのだろう。
「そう不機嫌な顔をしないでくれよ。その後、僕も学んだ。テレビを観てね。君たちにはルールがある。だから僕もそのルールを尊重することにした。君たちのルールに従って君を犯罪者仕立て上げて弱味を握り、交渉を有利に進めようと思ったんだ」
このエイリアンは嘘というものを知らないらしい。そりゃそうだ。ひとりしかいなければ嘘をつく相手もいない。
「それで裁判で僕を有罪にしようとしたのか?」
タカハシは、半ば呆れながら言った。
「その通り」
エイリアンはニコニコと頷く。1Gの重力が重く感じられて来た。全身を襲う脱力感。どうでもいいことに突っ込みを入れたくなる。
「あんたは全部でひとりなんだろう? 裁判官と弁護人と検察官が同一人物なんて裁判は聞いたことがないぞ」
ところがこの突っ込みに、エイリアンは真顔になった。
「しまった! そこは気づかなかった。どうしよう、裁判が出来ない」
(もしかして、形勢逆転?)
しかし、エイリアンは真顔のまま続ける。
「これじゃ、強制的に融合するしかないじゃないか」
ごく普通の口調だった。
「融合?」
「僕らがひとつになることさ。ひとつの肉体を共有するんだ。君たちのルールで言う結婚かな?」
いや、地球の結婚は、そういうのじゃない。
「あんたと結婚したくない」
言葉を選ぶ余裕もなく、タカハシは言った。
「じゃあ、君、死ぬよ」
「俺を殺す気か?」
相手が何の悪意もなく金星の生命を根絶やしにし、恐竜を絶滅させた怪物であることを忘れていた。
「いや、生かしておくのを止めるだけ。ここの空気は人工的に君に合わせているんだよ」
タカハシは、さっき脱いだ宇宙服に視線を走らせた。
「それ、あんまり酸素、残ってないし」
エイリアンがのんびりした口調で言う。
「俺をどうするつもりだ?」
「言っただろう? 結婚だよ」
「種族が違う」
「その辺は融通を利かせるさ」
「どんな融通だよ?」
「翻訳みたいなものかなあ。コンピューターのプログラム言語って知ってるよね? 君の遺伝子情報がBASICで書かれたものだとしよう。もう少し複雑な、例えばC言語を使っても機械に同じ動作をさせることは出来るよね? それと同じ。君の単純な遺伝子の記述形式を、僕のちょっと複雑な遺伝子の記述形式に変換するわけさ」
(さりげなく馬鹿にされた気がしたのは、気のせいか?)
エイリアンはひとりではしゃぎ出す。
「嬉しいなあ、君って一応、知性があるじゃない? 僕、脳がもうひとつ欲しかったんだ」
「ひとつの体の中に、脳が2つって変じゃないか?」
「君だって妊娠したら、脳が2つになるだろう」
「俺は妊娠しない!」
「なぜ?」
「男だから」
「男は妊娠できないのか?」
「できないというか、しないんだ」
「そりゃ不便だろう。僕が力になれるといいんだが」
「いや……お構いなく」
「結婚するんだ。助け合おう」
「結婚はしない!」
「せっかく、ここまで来たのに?」
「あんたと結婚するために来たんじゃない!」
「じゃあ、何のためさ? 無人機でもいい探査に、なんでわざわざ君が来た?」
「それは……」
重要な任務があったのだ。
「記念撮影のためだけに来たって言うのかい?」
「違う」と言いかけて気づいた。そうなのだ。
「薬で5カ月間も眠らされ、写真を撮って帰るだけ。機械でも出来ることを」
「黙れ!」
「地球に戻っても、いいことはないよ」
エイリアンは独り言のように言った。なんだか頷きそうになる自分がいる。
「でも俺は……地球人なんだ」
「僕も一部は金星人」
「それとこれとは……」
「違いはしない。出身地なんて、拘ることか?」
「地球には、仲間がいる」
「じゃあ、このまま地球に行こうか?」
「このまま?」
「この星ごと」
「まさか、星の軌道を変えられるのか?」
「これ、宇宙船に改造してあるから」
そうだった。

地球。ホワイトハウス。
国立天文台からの報告を受けた大統領が青ざめていた。
「準惑星が軌道を変えた?」

「この星を地球にぶつける気か?」
準惑星の風呂場で、タカハシも青ざめていた。
「まさか。近くをかすめるだけだよ、シュッとね。地球は無事だ。うわものは壊れるけど」
「うわもの?」
「ビルとか橋とか道路とか。ざっくり言うと都市だね。地球上の都市が全て壊滅する」
「ぜんぜん無事じゃないじゃないか!」
「地球は無事だよ。人類文明は滅びるけど、どうってことはない」
エイリアンはこともなげに言った。
「人類を滅ぼすのか? 恐竜のように」
「あの時とは違う」
「どう違う?」
「君がここにいる。人類が全て滅びるわけじゃない」
「それは、標本をひとつ採取したから、あとは捨てていいみたいなことか?」
「あ、それに近いかも!」
目の前のエイリアンに恐怖を感じるべきなのかも知れない。それとも怒りとか? どちらの感情も沸き起こらないのが不思議だった。人類滅亡をもくろむ凶暴なエイリアンは……目の前でテレビを見始めた。どういう仕組みか分からないが部屋の壁に大画面テレビが出現したのだ。映っているのは、エイリアンもののSFドラマ。
(もはや突っ込む気力もない)
「一緒に見ようよ」
と、誘うエイリアン。
「それ、SF考証が雑で嫌いなんだ」
タカハシは投げやりに言う。なぜこんな日常的な会話をしている?
「違うよ。もうすぐ臨時ニュースが入るからさ」
「なぜ分かる?」
「ペンタゴンの無線を傍受したから」
言い終わるより前に画面が唐突に切り替わった。迫り来る準惑星を破壊するために、核ミサイルの使用が決定されたというニュースが報じられる。
「君がここにいるのにね」
テレビ画面の方を向いているエイリアンがどんな顔でその言葉を口にしたのか、タカハシには見えなかった。けれど振り返った時、彼は笑っていた。
「彼らは君が死んでもいいと思っているのに、君は彼らが死ぬと困るのかい?」
「大勢の命だ」
「数の問題? 僕なら数より質を取るなあ。君は大勢の中から選ばれた優秀な宇宙飛行士なんだろう?」
地球のミサイルはこの星に命中しないだろう。それはタカハシにも分かる。星の軌道を変えられる者の科学力に人類は叶わない。
「彼らが死んで君も死ぬ。彼らは助かり君は僕とひとつになる。どっちがいい?」
「それは脅迫か?」
「プロポーズだよ」
タカハシは自分が、全人類の運命を決める立場にいることを悟った。

地球にいる人類は、そんなことを知る由もなかったが、準惑星の軌道が再び変化したことには気づいた。ミサイルの発射は中止され、事態の説明を求められた科学者たちは、ただ困惑するだけだった。

地球を救ったヒーロー、スタンリー・タカハシは、エイリアンに両手を握られていた。握るというのは正確ではないかも知れない。両手の中に入り込まれていたのだ。自分の皮膚と相手の皮膚の境界線がなくなり、融合が始まっていた。もはやタカハシには、どこまでが自分の体でどこからが相手の体なのかが分からない。どこまでが自分の思考で、どこからが相手の思考なのかも分からない。遠い記憶が自分の中に入り込んで来る。金星の生命と融合した日のことを自分の過去のように思い出す。懐かしい……。
冷たい宇宙空間の長い長い旅。体のほとんどの部分が凍り付いて動かせなくなった。地表に出るために自分の一部を羽虫の形にしてその羽根の間に空気を溜め込むことを覚えた。そうして作られた空気のバリアに身を包み、毛の長いコートで体を覆って、つかの間、星を見るために外に出る。
けれどすぐに地下に戻らなくてはならない。熱と水のある部屋の中でないと動くことも形を変えることもが出来ないのだ。この部屋。貴重な水をエンジンの熱で温めた暖かな「風呂場」。体は星ほども大きいのに、動かせるのはお湯で温めた指先だけ。
自分の中に脳が2つあるのに気づく。ひとつはエイリアンの脳。もうひとつは地球人の、タカハシ自身の脳だった。そしてタカハシは自分をこんなところに閉じ込めようとするエイリアンを憎んでいた。
それが明確な殺意だったのかどうか、タカハシには分からない。ただ憎悪を抱いた相手の殺害方法を知ってしまったのだ。共有する肉体の主導権を不意打ちで奪うと、彼は破壊を行った。相手が主導権を取り戻した時には、既に遅かった。頭の中にエイリアンの断末魔の叫びが響く。
「お風呂を壊すなんてひどいじゃないか!」
タカハシは自分を分離しようともがいた。
「あんたとは離婚だ!」
羽虫を飛ばして空気のバリアを作り、コートをまとって外に出る。そのコートが死体のようにずり落ちる。急に体が楽になり、タカハシは自分を覆っていたエイリアンの存在が消えたのを感じた。人の形に戻って行く……。
呼吸ができない。そして寒い。早くポッドへ。タカハシは懸命にジャンプした。地球人の宇宙船へ戻るんだ。
タカハシはポッドの中に滑り込むと、離陸スイッチを入れた。あとはコンピューターの仕事だった。軌道を周回する宇宙船にタイミングを合わせて準惑星の地表から離脱。宇宙船の座席に体を固定したところで改めて自分の両手を見る。顔に触れてみる。ほっとした。自分は地球人の形をしている。
(俺は、地球人だ)
力を振り絞って地球に通信を送り、もどかしい思いで返事を待つ。やがて無線機から地球人の、仲間の声がした。長い報告のあと、タカハシは来たときと同じ薬によって眠りについた。目が覚めれば地球の軌道にいるはずだ。

5カ月後。地球の軌道を巡る宇宙ステーションで健康診断を受けたタカハシは、地上への帰還直前に医師に呼ばれた。
「生化学検査の結果にちょっと気になる点があってね」
と、医師は言った。
「往復の人工休眠に使用した薬物が君の精神に影響を与えていないかどうかの検査だったのだが。なにしろ報告の内容が内容だからね。アナグマみたいな女の美人局に遭って、エイリアンと結婚する羽目になったという……」
「悪意のある言い方はやめてくれませんか? 俺が薬でラリッて幻覚を見たとでも?」
「いや、そうは言ってない。実際、あの準惑星が2度も軌道を変えていることは地球の天文台でも観測されているし、君以外にその理由を説明できた者がいないのだからね」
「じゃあ、何が問題なんです?」
医師は少しだけ口ごもった。
「いや……医師として本気でこんなことを口にする日が来るとは思わなかんだが。いいか落ち着いて聞いてくれよ、スタンリー。検査の結果によると、君はドラッグに関してはシロだ。そして妊娠5カ月なんだ」
「馬鹿な冗談は……」
言いかけてタカハシは思わず自分の腹部に手を当てた。胎動を感じたのだ。そこには本来なかったはずの子宮が、そしてその中に満ちる羊水が存在していた。(暖かいお風呂だ!)あの最期の瞬間、奴は俺の体の中に入り込んで……。
地球への帰還船が間もなく到着する頃だ。「止めなければ!」と思ったが声が出ない。体のコントロールが利かない。既に融合が進んでいたのだ。
「地球の仲間に会えるのが楽しみだなあ」
と、タカハシの口が喋った。

文字数:8923

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