饒舌な屍肉

選評

  1. 【長谷敏司:2点】
    物語をより効果的に読ませるために、もうちょっと長さがあってもよかったかもしれない。ラストに登場する悪役のための前振りや、「屍体を標本として救い出す」という言葉に重みを持たせるための「屍体」「標本」それぞれの設定の肉付けなど、読者を納得させるために配置されるべきドラマがいくつか抜けているような印象を受けた。作中の常識や主人公の常識が読者の常識とちがうことを丁寧に描写してほしい。

    【塩澤快浩:2点】
    冒頭の屍体を撮るシーンはものすごく格好良いのだが、それとSFネタである「屍体の再利用」がうまく結びついていない。説明すべき設定を描写しないまま雰囲気優先で物語を進めてしまったから、最後にまとめて台詞で説明する羽目になっている。格好良い部分と、設定に無理が出ている部分のギャップが大きい。

    【大森望:1点】
    ウィリアム・ギブスン風の文体で書く、ちょっと『屍者の帝国』も連想させる屍体活用もの。地の文の語り口が様になっているのに対して、会話文が紋切り型の海外ドラマのような格好悪さになってしまったり、場面によってトーンに差がついてしまっているのが課題か。どんなシーンも無駄に格好良い、というギブスン文体の完成度を目指して洗練してほしい。あとはこの世界における警察の役割など、本筋とは関係のないところで少々疑問が残る。

    【小浜徹也(前回講師、オブザーバー)】
    お三方とも設定の説明ばっかりになってしまっている。短編小説のなかで説明というのは無ければ無いほどよく、シチュエーションで理解させるとか、会話で理解させるというセンスが重要になってくる。その点において他二作より『饒舌な屍肉』を評価。一人称のずるさで設定を書かずにごまかしている点はたしかにあるが、屍体を撮るというのは葬ることだ、という答えを作品内で導き出していることが良い。その結論に帰着するためのテクニカルな部分は補強可能であり、批評性のある小説を書こうとしているというポテンシャルを評価する。

    ※点数は講師ひとりあたり4点(計12点)を3つの作品に割り振りました。

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梗 概

饒舌な屍肉

時は2050年──都市部の人口爆発を背景として、人間の屍体を再利用(アップサイクル)することが世界規模の主要産業になった未来である。屍体には多くの利用価値があり、タンパク質の供給は主なものだが、ほかにもサイバネティック・コスメの材料源、臓器移植や生分解材料(プラスティックス)の供給源としても認められている。
本作の舞台はジャカルタ近郊のスラム街〈アナトミア〉──その経済は屍体供給の一次産業に多くを負っており、事業者は三種類に区分できる。ひとつは生前の生体情報を中抜きして情報業者に横流しする「中抜き屋(クリーナー)」である。匿名に漂白された肉体は「植込み屋(プランター)」へと引き継がれる。彼らは屍体のパーツを──そう、新鮮(fresh)な人肉(flesh)を──を切り出し、生体にインプラントする業者である。コスメや医療用途への切り出しにおいて必然的に生じる端材は、最後に生分解業者である「塑型屋(プロセッサー)」に流れ着き、材料へと加工される。
本作の主人公は妻を亡くした傷心の果てに〈アナトミア〉へ流れ着いた屍体写真家のカール・リンネである。彼は警察の無線チャンネルを傍受し誰よりも早く事件現場に駆けつけ、新聞社に写真を売って生計を立てている。そのため彼は自動車事故や強盗事件よりもよほど扇情的(グラフィック)な画を求めてスラムを這いずる。写真家がファインダー越しに眼差す被写体、それは裂傷した筋肉であり、肋骨の飛び出た腹部であり、泥濘に滴る脳漿である。撮影後の屍体はクリーナーへと渡される手はずになっており、業者との関係は良好だ。
ある日撮影を終えたリンネは、業務提携先のクリーナーに呼び止められる。その屍体は継ぎはぎのパーツとプラスティックスから成型された肉人形であり、そこにはリンネの亡き妻のログが詰められていたというのだ。妻の亡霊を追ってスラムを行脚し、真相に辿り着いた彼は──たとえそれが肉人形であろうとも──愛する決断をしてシャッターを切る。

文字数:829

内容に関するアピール

屍体産業の席巻する腐臭にまみれた未来のスラムで、屍体写真家は亡き妻の亡霊に出会う──それが本作のプロットである。SF者の語彙で言い換えるなら「ギブスン・テイストのノワールなスラムでバラードの狂気が爆ぜる」とでもなろうか。人口増に対する解答として「屍体」を再利用するテクノロジーが発達した未来を外挿法的に仮定したうえで、そのサプライ・チェーンのどこにも属さない第三者としての「写真家」を視点人物として配したことは注目に値する。仮にもノワールの条件が「世界にうんざりしてみせること」であるとするなら、この写真家が状況を外側から傍観し、申し訳程度にシャッターを切るだけの存在であることによって世界への絶望はいや増す。SFノワールというジャンルを踏まえると、本作は『明日と明日』の影響下にある。しかし「饒舌な屍肉」では語り部のフェティシズムによる狂気の発露というラストにおいて主体的な選択が果たされるだろう。

文字数:400

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饒舌な屍肉

***ルビを表示するために、当方でレイアウトしたPDFをご用意しました。そちらでもお読みいただけます──著者より***

「写真」が「死神」とならないように、「写真家」は、戦々恐々として大いに奮闘しなければならない、とでもいうかのようである。しかし私のほうは、すでに客体〔もの〕と化してしまっているので、抵抗しない。この悪夢から覚めたとき、私はもっとひどい目に会わなければならないだろうということを予感する。
──ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳

ドイツの写真家、ベッヒャー夫妻は給水塔ばかりをその被写体とした。圧力ポンプと給水タンクの量塊を、幾何学的に組まれた鉄骨のスケルトンが支える。
彼ら好みの、しかしそれにしては幾分朽ち果て過ぎている給水塔がぼくの前に鎮座する。この写真家夫妻がミニマリズムに覆い隠した威容は、対峙しないとわからない。広角〔7–14mm〕を持ってきてよかった。これならぎりぎり収まるだろう。ぼくは二時間ほども待ち、日の名残りに翳〔かげ〕る逆光をやり過ごす。シュート。シャッターを切る。
けど本当の獲物はこれじゃない。ニコン〔ナイコン〕のストラップを肩がけにして、ライン川に沿って歩く。川沿いにはバラックが建ち並び、饐えた臭気が漂う。ファインダーを覗き込む──いや、いつもの風景だ。また編集長に買い叩かれるのがオチだろう。しばらく進むと、スプレー缶〔エアロゾル〕で真っ黒に塗り込められた看板に出くわす。日除け代わりに立てかけられたものらしい。シュート。森山大道〔ダイドー〕みたいなカット。多少は画になるが、欲しいのはこれじゃない。

ひときわ腐臭が強くなる一画に、ようやくそれ【傍点】を見つける。ペンキの剥げ朽ちたドアらしきベニヤ板を開くと、強烈な刺激臭に鼻がばかになる。耳元の羽音〔ハエ〕が五月蝿い。出尽くした体液が汚すマットのうえには、仰向けの屍体。
ぼくは繊細〔テクニカル〕な青少年。手早く仕事にとりかかる。
とっくに蛆が食い尽くした眼窩の空洞と、ファインダー越しに眼が合う。シュート。ストロボが照って鴉〔からす〕が飛び去る。屍体の横にしゃがみ込む。胴部の臍〔へそ〕から肋骨にかけて、胞子かとも見紛う蛆がびっしりと覆っている。シュート。たまらずぼくは嘔吐〔えず〕く。外でレンズを変えてリトライ。狭い室内を広角で捉える。シュート。確認〔モニタ〕すると、空中に散らしたような真っ黒い点々たち。大量の蝿が暗い室内で照らされると、こうなる。
もうたくさんだ。撮影現場を後にする。

ぼくだってすき好んでこんなスラムを這いずってるわけじゃない。もちろん報道写真と芸術写真が違うってわかってても、グルスキーみたくオークションでちやほやされるのには憧れてしまう。おまけに、ここデュッセルドルフは、ベッヒャー派の聖地だっていうのに。でも、その頃の文化的栄華は廃れて久しい。この都市計画に失敗したライン河畔の州都は、いま急速なスラム化を経験している。グルスキーの撮った静謐なライン川とは、にても似つかない。
そしてそれゆえに、ぼくが撮るべきものがある。世界中の新聞社が、朽ち果てつつあるデュッセルドルフの画を求めてるってわけだ。それもなるたけ扇情的〔グラフィック〕なやつを。
こんなチャンスってほかにある? 戦場にカメラが飛び交うこのご時世に、報道写真家は絶滅危惧種だ。かつて戦地に向かったフォトグラファーは、兵士の屍体に群がる小蝿〔ドローン〕に取って代わられた。奴らならぱっくりと開いた兵士の後頭部を光学10倍ズームから高みの見物できるだろう。ドローンがピュリッツァー賞を取ったってニュースは、いまではお笑い種〔ぐさ〕になっている。ぼくらにとってはまったく笑える話ではないのだけれど。

だからぼくが写すのは──ライフ誌上を飾る戦死者ではなく──、スラムで誰からも見向きされないまま朽ち果てていく屍体たち。
無価値な、路上の、廃墟の死。
戦没者慰霊墓地〔アーリントン〕にその名が刻まれるはずもない、意味の無い死。

それがぼくの仕事〔プロフェッション〕。

§

来た道を戻って、ぼくは帰路につく。おそらくは腐臭に誘われてついてくる黒猫を、しっしっと追い払う。なんにもあげないよ。
やがて例の給水塔に辿り着くと、骨組みの向こうからサンセットが差し込む。何気なしに見ていると、こちら側の脚元に巨大な人間形のシルエットが差している。

その影絵は、幾何学模様の蜘蛛の巣に捕らわれた蝶を思わせた。
見ようによっては、磔刑されたキリストをも。

不穏に思い、支柱に近づく。点検用に設けられたはずの朽ちた梯子〔はしご〕、その上半分が支柱から外れ落ち、かろうじて引っ掛かっている。そのすぐ近く、錆び腐って構造から遊離した鉄骨の先端には、誰かの屍体が突き刺さっている。くの字に曲がった体の腹部を貫く鉄骨が痛々しい。手足は重力に引かれて投げ出されている。表面張力に身を任せた血の滴が、そのざらついた肌を流れる。ぼくは息を呑む。
円周側の構造体はそれほど損傷を受けておらず、ぼくはそちらにアプローチする。脚をかけてぐいと身体を持ち上げ登る。もちろん、重たい機材一式は下に置いてきた。二の舞はご免だ。ワークブーツが奏でる、かんかんかん、とリズミカルな金属音。近くで観察して仮説を得る。おそらくは道半ばで登り手の体重が梯子の腐食を勝り、その結果、突き出た鉄骨にダイブした。そんなところだろう。
さっき撮ったから断言するけど、はじめに来たときこれは無かった。

自分の心臓が喜んでいるのをぼくは感じる。梯子を降りてカメラバッグからナイコンを引っつかみ、再び登ってシャッターを切る。シュート。シュート。シュート。
地面の影絵もきっちり収めた。実物が入るように構図〔レイアウト〕する。

シュート。

§

「今回ばっかりは掛け値なしに本物ですよ。ぼくにしたらよそに持って行ったってぜんぜん構わないんだから」
スラムからすぐに向かった地元紙の〈RP〉編集部で、頑固親父の編集長に売り込みをかける。全国紙の名前を出してさらに揺さぶる。
「いま買わないなら、あなたは明日の〈ビルト〉を見て死ぬほど後悔することになるでしょう。全国紙に載りえた写真を取り逃がしたってね」
「どうせまた芸術家〔キュンストラー〕気取りのくだらんカットなんだろう」アメリカ蔑視の古くさいコンサバ編集長は、ぼくに嫌味を云うときにだけ、いつもドイツ語が混じる。「アーティストとフォトグラファーは違うって、お国〔アメリカ〕じゃ教えてくれんのか」
「ドイツが誇るハートフィールドをご覧になれば、報道も芸術もそう変わりないとおわかりいただけるでしょうにね」ナチ風刺の写真家を引用して、ぼくも皮肉で応じる。

とはいえ埒が明かないので、写真を取り出しデスクに広げる。もちろんいち押しは給水塔のあいつだ。無理やり場所を空けたから、生分解性ポリマー製のマグからコーヒーがちょっと零れた。

サンセットに屍体の顔が翳った寄り【傍点】のカットに、彼が手を伸ばす。それを見て、しめたと思った。
「なんだこいつは」ドイツ語訛りの英語でぼくに訊く。
「さすが編集長、お目が高い」
しかめっ面でだんまりを決め込む編集長をよそに、ぼくは畳み掛ける。いくらまで買い叩けるかを思案しているのだろうが、そうはさせない。
「天を目指し半ばで見放された堕天使。もしくは鉄骨に聖痕を穿たれたキリスト──脇腹どころか串刺しですがね。そしてロケーションはもちろん、デュッセルドルフのスラム」
血で汚れた構造材の写真を、ぼくは手のなかで弄ぶ。
「これ以上にあなた好みのグラフィックな画があるでしょうか」
現金な編集長はすでに頑固親父からビジネス・パーソンの顔になっている。
「いくらだ」
「いつもの五倍──いや十倍」ふっかけすぎたか、と思う間もなく、
「わかった。明日のヘッドラインを楽しみにしておけ」

ジーザス・ガッデム・クライスト。
クリスチャンでないぼくも、今日ばっかりは神に感謝する。

§

ストリームの通知が騒がしい。
ハイネケンが残す頭痛──もちろん昨日はしこたま飲んだ──をやり過ごし、なんとか起き上がってカーキのMA-1に身体を押し込める。

〈RP〉の一面を飾る、給水塔の影絵写真。
「撮影者はドイツ系アメリカ人のギュンター・フォン・ハーゲンス──」そう、ぼくのこと「──彼はスラムを巡るフリーのフォトグラファーで、夕暮れ時に奇妙な屍体に遭遇したという。地元警察は周辺の聞き込みを開始したがいまのところ成果は見られない」云々。

ひとしきり紙面に眼を通していると、自室〔フラット〕への来客が通知された。

玄関口に現われたのは中抜き屋〔クリーナー〕のジュールスで、挨拶もそこそこにワーゲンのゴルフに乗せられる。ガレージに向かうんだろう。屍体を扱うその場所を、ぼくは密かに肉屋【傍点】と呼んでいる。
「ギュンターさんよ、今回ばっかりはとんだ貧乏くじを引かされちまったな。うちも、おたくも」
ジュールスは昨日の亡骸について云っている。ぼくのキリストはなにやらデカい問題を抱えていたらしい。
「中抜き屋【傍点】ってのは引っこ抜くべき中身【傍点】があればこそ、商いが回るもんだってのに。この奴〔やっこ〕さんは空っぽときてる。〈アナトミア〉の照合にも該当なし。辿れないんだ」
幾分困り顔の彼を助手席から見据えて、わかった範囲で要約する。
「つまりあんたは身元不明のジョン・ドウ〔姓名不詳〕をつかまされ、売り払うデータもなく商売上がったりだと、そういうわけかい」
「いつもなら生前のバイオログを引っこ抜いてパックしておさらばさ。広告〔アド〕屋が未加工〔ロー〕データを機械学習に食わせて、俺たちはそのおこぼれで飯を食う」
「機械は生魚〔ロー・フィッシュ〕のスシがお好みだって? 日本製じゃあるまいし」
「遺書や親族に編集される前の、リッチなロー・データさ。そら美味いだろうよ。それにしても──」狭い車内で巨漢が無理に肩をすくめる「──こんな代物には出会ったことがない。お手上げだよ」
ハンドル片手にジュールスは、悪趣味なアロハシャツの胸元から赤のマルボロを取り出したのち、うんざりした様子で火を点ける。ヘビースモーカーの彼は、もう二度も肺を取り替えたと訊く。愛煙家には、いい時代。

屍体社会化〔モータリゼーション〕。
ぼくとジュールスがその歯車として組み込まれているところの、一大産業社会。二十世紀を特徴づけた自動車〔モーター〕を屍体〔モータル〕に文字って、どこぞの社会学者が名付けたバズワード。
世界的な人口爆発に伴うハイパーエコイズムの波を受けて、とある解剖学者がひとつの仮説を唱えたことに、それは始まる。

屍体には利用価値があるのだ、と。

そうして欧州諸国は、屍体循環経済で再び覇権を手にすることとなった。各種の屍源は美容用途のサイバネティック・コスメから、医療用途の臓器移植、産業用途の生分解材料〔プラスティックス〕製造に至るまで、その応用例は幅広い。この循環系を維持すべく、人々は出生時点で産業複合体〈アナトミア〉のデータベースに登録されることになる。

「墓場を抜けて揺り籠へ〔スルー・ザ・グレイヴ・トゥ・ザ・クレイドル〕」。循環系を印象づけるために〈アナトミア〉が掲げる、つまらない語呂合わせ。いつだったか、前職でジュールスが使っていたとかいう営業資料にその言葉を見つけて、ぼくは奴を茶化した。老人のイラストから矢印が伸びて、バツ印の付いた十字架を通過してぐるっと戻ってくるダイアグラム。病院〔ホスピタル〕と介護施設〔ターミナル〕に由来する屍源循環は、墓場をスルーして再び都市部で消費される。
だからいまだに土葬を続けるのはアメリカのクリスチャンくらいのものだ──資源を死蔵するなんてね。ところで、日本人〔ジャパニーズ〕はそのさらに斜め上をいく。彼らは借り物の仏教観に縛られて、ブッダ・スタイルの火葬を手放さない。燃やす【傍点】だって!

そういうわけだから、スラム写真家のぼくは屍体産業と仲良くやっている。
ぼくだってたまには綺麗な屍体に出会うこともある。通常の循環ラインには乗るはずもない、イレギュラーな屍体に。
そいつを地元スラムのクリーナー連中に引き渡すってわけだ。連中は本来、生前の生体情報をフォーマットする業者だが、スラムにはジュールスのように悪巧みを考えるやつもいる。広告〔アド〕屋にとって喉から手が出るほど価値のある生の生体情報〔ロウ・データ〕、そいつを引っこ抜いて横流しすると小銭が稼げる。そうして匿名に漂白された肉体は植込み屋〔プランター〕に引き継がれる。彼らは屍体のパーツ──そう、新鮮〔フレッシュ〕な人肉〔フレッシュ〕──を切り出し、生体にインプラントする。コスメや医療用途への切り出しにおいて必然的に生じる端材は、最後に生分解業者である「塑型屋〔プロセッサー〕」に流れ着き、材料へと加工される。

万事がこんな具合の〈アナトミア〉天下にあって、屍体の出処が不明というのは穏やかじゃない。それは屍源循環を脅かすことになる。ジュールスが騒いでるのはそういうことだ。

「偶然性の隙間に落っこっちゃう屍体なんているんだろうか」
到着したガレージで、一応そう聞いてみる。われらがジョン・ドウは寝台のうえで屍体袋にくるまっている。
「バラードって知ってるか。前世紀の作家先生曰く──未来はデュッセルドルフの郊外のようになるだろう」ジュールスは得意気に諳〔そら〕んじる。「清浄純白な郊外としての未来。街路には煙草の吸い殻ひとつ落ちていない。一枚の木の葉すら、そのあるべき位置からはずれておらず、舞い落ちる木の葉でさえ自由に過ぎるかのごとし」
「皮肉だね。その楽天家先生は、大きく予言を外したみたい」寝台を指差して、ぼくは云う。「いまじゃ吸い殻どころの騒ぎじゃない」
気取り屋は応じる。
「見た目〔イメージ〕の問題じゃないんだ。スラムになっても、〈アナトミア〉の一元管理はちゃんと行き届いてる。すべての資源が、すべての生が──すべての未来が先取りされてるってことの絶望を、バラードは予言したんだ」
「随分と詩的だね。でも、よくわからないな」
「ここデュッセルドルフじゃ幽霊でもない限り、ジョン・ドウなんてありえない。そういうことさ」

§

その晩、ぼくは廃墟を歩く。
かつてドイツの自動車産業を率いたルール地方の産業遺跡は、スクウォッターに格好の寝床を提供している。溶鉱炉、ガスタンク、竪坑櫓〔たてこうやぐら〕から成る、鉄錆色のランドスケープ。
足の向くまま自動車工場に入ってみる。黄と澄に彩られたロボットアームの群生が動力を失って規則正しくお辞儀する。ヒッチコックはオートメーションの製造ラインで組み立てられた自動車から屍体が転がり出てくるサスペンスを夢想したらしいけれど、いまやラインを流れるのは屍体のほうだ。だとしたら解剖した胃のなかからミニチュア・カーが出てくるなんてのはどうだろう。

アウトバーンには、タイヤや動力部を根こそぎに奪われた車の骸〔むくろ〕が打ち捨てられている。
人体は遺伝子〔ジーン〕の乗り物に過ぎない──どこかで読んだそんなセンテンスをふと思い出す。DNAのバトンリレーで役目を終えた人体〔ヴィークル〕と空っぽの自動車〔ヴィークル〕が並んで斃〔たお〕れるこの光景は、だから至極自然なものだろう。しかし、とぼくは思い直す。屍体はここでは決して役目を終えることなく、宿主を変え次々循環するんだと。ならばむしろジーンのほうこそ屍体に乗り継がれるべき乗り物なんだと、そう云えなくもない。

単純なパラフレーズ。ぼくは真の死の詩の職人。

散歩からフラットに戻ると──切り落とされた右手に出迎えられる。ぬらぬらと血の滴る、誰かの右手がドアノブを握っている。ぼくは愕然とする。大急ぎで鍵を空けて──そう、鍵はちゃんとかかってた──、死後硬直で固く握られてしまったそれを剥がせもせず、仕方がないからそれごと引いた。
室内を検〔あらた〕める。誰かが居る気配はない。ひとまずぼくは安堵して、右手の持ち主を確かめることにする。検屍鏡〔スキャナ〕にかざして、〈アナトミア〉に照会する。この万能にして全能のデータベースは出生時点で生体のあらゆる記録を保持しているから、すぐにわかる。

ジュールス・ウィンフィールド。
照合結果にはジュールスの名前。

§

急いで向かった肉屋のガレージで、ぼくはやっぱり相棒の亡骸を見つける。
だだっぴろい倉庫のような室内で、天井のレールに沿って規則正しく屍体袋が吊り下げられている。几帳面なジュールス秘蔵の死体安置所〔モルグ〕。機銃の掃射でも喰らったみたいに、そのどれもが破れかけ、ずるずると肉が零れる。斜めに架かる錆びた鉄骨には、鮮血が飛び散っている。ぼくらのジョン・ドウが居たはずの寝台に、右手を奪われたクリーナーがうつ伏せで引っ掛かり、絶妙なバランスがずり落ちるのを留めている。鮮やかなアロハシャツの背中がずたずただ。背後から短手のショットガンで一発、そんなとこだろう。

射撃〔シュート〕の惨劇を再演するように、ぼくはうんざりしながらクライム・シーンを撮影〔シュート〕する。
誰の死であれ、ぼくは写す。いくら身内でも、こればっかりはどうしようもない。入り口から寝台まで、遠景も近景も余さず収める。

「見上げた職人根性だ。いや、職業病と云うべきかな」
聞き覚えのない声に、はっと振り返る。
そこには、足首まで落ちる真っ黒いトレンチコートをはためかせた中年の男が立っている。その黒さは返り血の紅をいささかも減じない。
「あんたがガレージを屠殺工場〔スローターハウス〕に仕立て上げた張本人ってわけかい」
「いかにも」
「名前を聞いても構わないかな」
「カール・リンネ──」落ち着き払った野太いバリトンで、彼は自己紹介する「──〈アナトミア〉のデュッセルドルフ監査局を任されている者だ。あるいは君と同じく、廃墟を生業とする者」
「ぼくになんの御用かな。撮影の依頼なら、知人からしか受けないことにしてる、生憎だけれど」相手の迫力に気圧されて上ずった自分の声が可笑しい。
「そう、君の撮影のお陰で、わたしはたいへん困った状況に置かれることになった──」ぼくのジョークは真に受けられてしまったようだ「──先日の給水塔の屍体を憶えているだろう。あれは君が撮ってはならないものだった。メディアに露出してはならないものだったんだよ」
「話が見えないな」
「そこでくたばっているクリーナーに調べさせただろう」
「ジュールスはあいつがジョン・ドウだって云ってた。身元を辿れない匿名の屍者だって。あるはずのない屍体だって」
「あれはわたしがデータベースを細工してでっち上げたジョン・ドウだ。元はスラム生まれの、出生記録を持たない本当の匿名者〔アノニマス〕だ」彼はそこで一呼吸置いて、続けた「〈アナトミア〉が見晴るかすモータリゼーション一辺倒の世界にあって、唯一のアノニマス。わたしは廃墟で彼らを少しずつ集め、組織し、クーデターのために準備していた──ところが君は、わたしのボーイスカウトの存在を暴いてしまった」
「クーデターだって! あんたは〈アナトミア〉のお偉いさんじゃなかったのかい」
「だからこそ【傍点】、だよ」彼は不気味に強勢を打ち、屍体産業の真実を告げた。「わたしは職務の途中で知ってしまった。この産業はじきに破綻する。ターミナルとホスピタルからの流入で都市部の循環系が保たれていることは知っているだろう。しかし、屍源は摩耗するのだ。何度も循環を経て使い古された屍源は、やがて生体と適合しえないくらい致命的な損傷を得る──われわれはこれを〈大出血〔ヘモリッジ〕〉と呼んでいる。あくまで比喩的なものだがね」
そういえば、いつか評論家連中が威勢よく〈アナトミア〉を批判していた記事を読んだことがある。
「ここまでは取り立てて新しいことはない。君にだって知りうる情報だ。しかし〈大出血〉をわたしたちがどのように解決しているか、ご存知かな」
ぼくは知らない。けれど、たぶんわかる【傍点】。ぼくにはそれがわかる。廃墟の屍体たち。ぼくが被写体にして止まないスラムの亡骸がフラッシュバックして、口を衝〔つ〕く「デュッセルドルフ──」
「──そう、われわれは各地のスラムで生じる一回限りの【傍点】屍体を使ってそれに対処してきた。都市部の循環系には乗らない、フレッシュな屍源を使ってね。その点でも、わたしは君と同業者だ。つまり、スラムの屍体を引き渡しているという点で」
ぼくが無邪気にも写真家的な出世欲から加担していたその仕事、その意味を突き付けられて、ぼくはたじろぐ。
「とはいえ、スラム流入の屍源などたかが知れている。早晩これは保たなくなる。だからわたしはこの欺瞞、この搾取を終わらせることにした」
イデオローグにあるまじき悲しい瞳が、その顔には浮かんでいた。
「わたしはいささか、搾取されている側に寄り添い過ぎたようだ。わたしは廃墟で出会う人々に入れ込み過ぎた。誰にも利用されることなく、ただ【傍点】死を得る権利が彼らにだけは与えられてしかるべきだと、約束された死を強要できはしないと、そう考えるようになった」

「そんなことを暴露して、ぼくにどうしろっていうんだい」ただ給水塔の屍体が問題だったなら、ぼくはとっくに殺されていたっておかしくないはずだ。だから、ぼくは訊いた。ジュールスとぼくのあいだにはどんな違いがあるっていうんだろう。
「いまここで聞いたことをそのまま記事にしてくれれば、それでいい。グラフィックな相棒の屍体写真がそれをお膳立てしてくれるだろう」
こいつはぼくに写真を撮らせ、記事を書かせるためにこのスローターハウスを演出したってわけか。
「このことをリークしてくれれば、〈アナトミア〉は世界の批難を受けることになる。そしてもし君が望むなら、わたしと共に廃墟に潜伏してほしい──君は君が背負った罪を贖〔あがな〕うべきだ。知らず搾取に加担していたその罪を、わたしと共に贖おう。〈アナトミア〉への復讐という仕方で」

不意に受けたラブコールが、すぐには意味を結ばない。
〈アナトミア〉はスラムを、ぼくの庭を搾取している。オーケー。
ぼくは写真家の端くれとして、撮った屍体を屍源循環に乗せてきた。オーケー。
〈アナトミア〉高官にしてデュッセル支局のカール・リンネは、まさにぼくと同じことを〈大出血〉への対処の一環で推進してきた。オーケー。
その意味でぼくは、彼と同じ罪を負っている。無自覚だった分だけ業の深い、彼と同じ種類の罪を。
オーケー。そういうことだ。リンネはぼくに、ぼくの立場を利用してスパイしろと云っている。彼のクーデターに参加して、罪滅ぼしをしろと云っている。

でも、答えはノーだ。
これを知ってしまった以上、ぼくは落とし前をつけなきゃならない。けれど彼が考えるようなやり方では、それはない。

「あなたに共感しないこともないけれど」ぼくは切り出す「でも、お誘いはお受けできません。あなたに聞いてわかったこともあるし、その点では感謝しています。だからリークまではしてあげます」廃墟のイデオローグは無表情を貫いている「しかし、ぼくにはぼくの贖い方がある。それは写真家としての矜持がさせるものです。もう結構ですか? ──それでは、明日のヘッドラインをお楽しみに」
振り返らずに、ぼくは去る。

§

ぼくは自室で、相棒が一面を飾る紙面を見つめる。自らそのコレクションの一部となってしまったモルグの守り人。彼自身の屍体がどんな風に使われるのか、ぼくは知らない。クリーナーをクリーンするのは誰だろう。写真のクレジットにはぼくの名前。

ここでは悲しいくらいに、屍者は饒舌だ。
手足をもがれ、内臓を抉られ、果てはミンチになってなお、彼らは自らの有用性を主張して止まない。擦り切れて無くなるまで。使い古され尽くすまで、それは続く。

生物学的な死によっては、もはや屍者は安らがない。

ならば写真家は、屍体を殺そう。カメラによって、死を与えよう。
屍体がささめき、有用性をささやく前に、ぼくは屍体を殺す。暗い箱に閉じ込める。

屍体を被写体として保存すること。
屍体を標本へと救い出すこと。

それが写真家のぼくにできる、贖罪。
それがぼくの仕事。

〈了〉

文字数:9826

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