ボタニカル・アイランド

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梗 概

ボタニカル・アイランド

タイ・バンコクの伊勢丹デパート、その7階にある紀伊國屋書店の日本語書籍売り場に、現地の日本人の間で「チボーさん」と呼ばれている老人がいた。チボーさんというのは私たちが勝手に付けた名で、彼が老体とは思えないよい姿勢で、日々「チボー家の人々」を立ち読みしているからである。身なりは大変みすぼらしいが、濁りのない知性が、隠すことでのできない光のように目と表情にあらわれていた。日本語メディアの記者たちが好奇心から接触を試みたが、まるでとりつくしまがなく、チボーさんの来歴は謎だった。

だが私は、あることをきっかけに信頼を得て、スラム街のなかの彼の自宅に招かれた。スラム街は運河と鉄道駅に挟まれたタラート(市場)の一角にあり、ラオスやミャンマーなど近隣諸国からの移住労働者、北朝鮮から亡命して来た一家などが暮らしていた。彼の部屋をみた私は驚愕した。そこは様々な植物に覆い尽くされた空間だったのだ。私は彼が、長いあいだ日本各地の僻地で医者として働いていたこと、また本業に注ぐ以上の時間と情熱を、独学の徒としての植物研究に捧げてきたことを知った。

彼は、植物がいかに「思慮深く」、多彩で複雑な感覚機能を持っているかについて語った。ある種の植物群は、自身の危機の際に化学物質を発し、仲間に危険を伝える。それに引き換え人間は、なまじ移動し、言葉を話せるがために、いまや信じがたいほど浅薄、傲慢になってしまった。言葉はもはや、危機や真実を伝えるために発されるのではない。原爆と原発事故を経験したはずの私たちの国においてすら、最も大きな声で話されているのは、嘘か攻撃か自己弁護、己の利益を得るための唆しの言葉ばかりだ……。

私には年老いた父がいて、父と老人は、奇遇にも戦地で似たような特殊な体験をしていた。それを知った老人は、私に自分の計画に「蜜蜂」として協力をしてほしいと持ちかけた。その計画とは、遺伝子操作を施したタイ奥地の寄生植物を日本に持ち込み、スギの木に寄生させることでスギに突然変異を起こすというものだった。花粉を吸った人間は喉頭を損傷され、発声機能が奪われる。この花粉は、植物に対してはその繁殖を異様に促す作用をする。まずは東京を、そして最終的にはスギが生息しない沖縄を除く日本全土を、静かな植物の島にすることが彼の目的だった。懐疑的だった私も、次第に彼の示す世界に惹きつけられてゆくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

文字数:991

内容に関するアピール

SFの素養がまるでなく、この講座で文字どおり全くの一からを学ぶ者として、ふたつのことを自分に課すことにしました。ひとつは、提示された参考図書と授業での学びに、まずは愚直に倣うこと。講座第一回目の参考図書、「紙の動物園」の表題作を読み、これもSFなのかと驚きました。ここには科学的な着想や理論はない。しかし著者ケン・リュウ自身の出自と経験、人間心理を含む人生への観察が、ファンタジックな仕掛けに読者を引き込む要素として、最大限魅力的に活用されています。第一回目の課題では、これに倣って、私も自分自身の人生を掘り起こし、その経験を素材として、大森さんの仰る「SFの懐の深さ」に思いきってゆだねたものを書こうと考えました。

受講に際して自らに課すふたつめのことは、課題として提示されるテーマが何であれ、できるだけ、自分の切実さを足場として書くということです。「SFとは何か」という議題に、講座のためにSFを読み始めたばかりのにわか読者の自分が、クリアな解を出すことはむずかしい。けれど文学ということに敷衍すれば(実際のところそれがツイートやブログの文章であっても)、テーマの軽重に関わらず、私はいつも、書き手にとっての切実な問いや本当の関心が、正直な(もしくは、正確な)言葉で書かれているものに強くこころを惹かれてきました。そういうものをこそ自分は読みたい、また書きたいと思います。

 

文字数:587

課題提出者一覧