梗 概
『東京の禅 メトロポリスに息づく侘び寂び』[著]パトリック・アービン
ニューヨーク市立大学のジャーナリズム学部を卒業したパトリック・アービンは、取材で東京に訪れる。彼の目的は最先端の禅をアメリカに伝えるノンフィクション『ゼン、トーキョー、カタログ』を執筆することだ。
パトリックはウィダーインゼリーの職人である吉田二郎を取材する。吉田のウィダーインゼリーはスティーブ・ジョブズも愛飲していたという。
吉田は神楽坂にある工房(アトリエ)で、ウィダーインゼリーを作り続けていた。
周囲の証言によると、たった10秒のチャージで2時間エネルギーをキープできるゼリーを作れるのは、吉田だけとのこと。他の職人では1時間30分が限度だと言う。
パトリックは吉田のウィダーインゼリーの秘密を探るべく、彼の生活に密着する。そこで明らかになったのは口数が少なく、頑固で厳しい吉田の職人気質。いくら一緒にいても、彼は“2時間キープ”の秘密を語ろうとしない。
それは弟子のヤマナカにも同じだった。アメリカの日系三世であるヤマナカは、近所のウォルマートで買った吉田のウィダーインゼリーに“和”の心を感じ取り、自分のルーツに思いを馳せていた。
だが、海を越えて吉田に弟子入りするも、彼は何も教えてくれない。
ヤマナカは仕方なく“クックパッド”を参考に、見よう見まねでウィダーインゼリーを作る。試飲すると、なかなか悪くない。ヤマナカは多少の自信を持って吉田にそれを飲んでもらう。飲むやいなや、吉田は「2秒しかキープできねえな」と吐き捨てた。
その仕打ちについにヤマナカは怒り、工房を出ていく。吉田は追わない。次の瞬間、工房にトラックが突っ込んできて、機材が粉々に吹っ飛んでしまった。運転しているのはヤマナカだ。
トラックから降り、「なぜ教えてくれない」と泣き叫ぶヤマナカ。吉田はその姿に少しも動揺せず、彼に1本のビデオテープを見せた。
それはスティーブ・ジョブズが吉田の工房に見学に来たときの映像だった。興奮気味に質問するジョブズに、吉田は何も答えない。ついにはジョブズは激怒して帰ってしまう。
映像が終わり、吉田が言う。
「人間とコンピュータの戦いが始まっている。ウィダーインゼリーの世界でも一緒だ。コンピュータは言語で出来上がっている。対抗するには“非言語”しかないんだ」
吉田の頑固な態度は人類と機械の戦いを見越してのものだった。それを知ったヤマナカは、修行を続けようと決意する。
パトリックは吉田の言葉を受けて、ジャーナリズムの限界を痛感し、レポートの筆を置いた。
文字数:1053
内容に関するアピール
初めまして、菊池良です。東京で会社員をやっています。
今の小説は読む気が起きない
これは架空の外国人ジャーナリストが、最先端の“禅”を紹介するという体裁のフェイク・ノンフィクションです。
ストレートに小説にせずに、なぜその形を取っているかを説明します。
僕は書店に行くことが趣味で、定期的にすべてのコーナーを一通り回ります。
そのとき、一番退屈するのが「小説」のコーナーです。タイトルだけ見ても、中身が想像できない。パラパラとめくっても、面白味が伝わってこない。唯一、帯文が面白さを伝えようとしてきますが、判断材料としては頼りないです。
つまらないと言っているのではありません。読めば面白いのです。だけど、周辺の情報からでは、「面白そう」だとぜんぜん伝わってこない。
その点、ビジネス書やノンフィクションは、タイトル、装丁、レイアウト、すべてを使って「読みやすくしよう」「読者に手に取ってもらおう」と努力しています。
小説にはそれがありません。売れない理由は、ここに一因があるのではと思っています。
「小説」という形式の力が弱くなっているとは思いません。その証拠に、ストーリー要素を取り入れたビジネス書はヒットを飛ばしています(『もしドラ』『伝わっているか』など)。
そこで僕は、ビジネス書やノンフィクションの表現形式を流用して、フィクションを読ませようと思います。彼らが用いる「面白そう」と思わせるフックを使い、小説を書くのです。
そのために、フェイク・ノンフィクションという形式を取っています。
*
ジョアン・フォンクベルタの『スプートニク』に大きく触発されていることを、明記しておきます。
文字数:684