梗 概
ほしのゆりかご
「ねえ、地球まであとどのくらいかかるの?」
人口冬眠から目覚めたばかりの人間特有の四肢の硬さ、皮膚を覆う薄い膜の様な感覚、人間の口調を再現したAI特有の「機械なまり」が気に障って、アリサは不機嫌そうにAIに問いかけた。
集団避難から約1年。物資の管理とストレス緩和の為の人口冬眠、定期的な身体メンテナンスの為の一時覚醒を繰り返しながらアリサは小型宇宙船で悪態をついていた。宇宙船に搭載された人工知能はお世辞にも気が利いているとは言えない代物であったが処理速度や基本OSは10年前であれば国家予算規模の宇宙ステーションのそれに匹敵するものだった。小型宇宙船「NAGI」のAIは、アリサが幼少期から更新を続けてきたパーソナルAI「KAEDE」のコピーだったが、他人に相談事をしないアリサの唯一の相談相手であったことと、胎内で死んでしまった姉の名前である事から(数年後のアリサはこの名前をつけた事をひどく後悔したが、もはや他の名前をつける事が出来なかった)母親兼姉の様な特徴を持つに至った。アリサはそれを快く感じていなかったが、初期化しようと思う度「人工知能の初期化は、人を殺すようなもの」という幼少期に観たキャンペーン広告の言葉が、胸の奥でチクリとアリサの心臓を刺すのだった。アリサは結局、産まれる事なく死んだ姉に二度の死を経験させる重圧に耐えられず、17年間一度も初期化や買換えをしていなかった。
『アリサ、地球に着いたらまず何をしたいですか?』
「そりゃあ、まずはお腹一杯ホットケーキ食べて、お風呂に入るでしょ」
『学校の復学手続きや、経済補助の手続きはもう完了しています。1か月もすれば快適な生活に戻れますよ』
「ああ、成人してからもハイスクールに通うだなんて、考えただけで気が滅入ってくる」
『教育課程にあった避難民は全て復学するはずですから、アリサだけでは無いですよ』
何気ない会話をしながらもアリサの心中は穏やかでは無かった。一時覚醒特有の記憶の混乱や寝起きのような精神状態のままではあったが、アリサは何度もこのような会話を繰り返している気がしている。前回目覚めた時の記憶は曖昧だったが、いつまで経っても地球に到着する事が出来ないのではと、漠然とした不安が頭の中をぐるぐると廻っていた。
「ねえKAEDE、本当に地球との距離は近づいてるの?私にウソついてない?」
『アリサ、パーソナルAIの基本OSに、ウソをつく事は出来ません』
予想通りの答えだ。好きだったジュースの原材料や、昔の映画俳優の恋愛事情など、KAEDEはいつも冷酷なまでに質問に対して「事実」で答えてきたのだった。だが、今回に限っては納得が出来なかった。アリサはモニタリングカメラの死角に、何か目印をつけようと考えた。また目覚めた際に、何もかも忘れてしまわないように。
『アリサ、そろそろスリープルームに戻る時間ですよ』
アリサはテーブルの上のブロック栄養食の欠片を、そっと手の中に隠した。
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