梗 概
星尽祭の井戸
昭和20年8月14日。旧暦の七夕の鎌倉の夜、伏龍特別攻撃隊の元予科練習生である15歳の少年、西田真次郎二等兵曹は、143度の線に向く参道の先の空に彦星が昇る神社の境内で井戸の底に歌を投げていた。その水面には天頂に輝く織姫星の南中が映りこみ、少年を追って平塚の海軍火薬廠の挺身勤労に就き一年ぶりの再会を果たせる想い人が訪れるはずだった。しかし彼女は同刻に出立前の郷里・岩国の空襲で焼夷弾の雨によりその身を焼かれており、それを知らぬまま少年は翌日に終戦の詔書のラジオを聞いた。
そして降伏文書調印を阻止せんと戦艦ミズーリへの特攻という無謀な作戦の訓練中に、予見された単純な機体運用ミスで少年は炭酸ガス中毒に陥る。それは太宰治が心中未遂をした岬の沖で起きた事故で、少年は自らの生が無意味な死へと変わる理不尽への呪いの言葉を吐き続けた。
彼が目覚めると、そこは1,200年以上前の天平の時代だった。彦星の位置が10度ずれていることで彼は時間の遡上を気づくことができた。地獄谷と呼ばれる行き場を失った者たちの住まう山中の占星台へ左遷された陰陽師となっていた彼は、七夕の歌会で転生した想い人と再会を果たす。彼は歓喜するが、彼女との恋慕の情が結ばれることはなかった。なぜなら彼女は彼より上手く歌を詠む月夜見という男に心を奪われたからだった。月夜見は流れ者だったが才能と情熱とがあり、彼には迂闊と油断とがあった。
やがて月夜見は彼の制止を聞かず朝廷への反乱へ参画するが、同志の裏切りに遭い犬死する。しかし彼女は月夜見の帰還を待ち続け、そして白癩に罹患しその短い生涯を終えた。彼はその亡骸を赤く明滅する三宅島の御神火へ向かって海葬すると、月夜見の向かった320度のカガセオ星の線へ向かい葬いの歌を詠み、井戸へと潜った。
西田は再び現世へと舞い戻った。それは半世紀以上の時間が経過した2016年の7月7日で、西田は81歳の老人になっていた。そこはかつて火の神の山として宮沢賢治に唄われた岩手の山頂で、西田は彼と同じように老婆となった想い人と再び邂逅した。
西田は彼が1,200年前の世界で見た、円環の八重垣として地平線を取り巻く天の川の美しさを彼女に語った。「終わりのない川なら、私も飛び込めただろうか」彼女はそう答え、西田に会うのはこれで214回目だと続けた。そして二人の邂逅と綻びの連続が14,000年前、まだこと座のベガが北極星だった頃に犯した2人の過ちに起因し、地球の歳差運動が周回する12,000年後まで繰り返される運命にあることを語った。
下山した西田はそこで初めて4ヶ月間に日本で起きた歴史的事象と、彼女の子供、孫たちががみな津波に流されたことを知った。三陸・島越の海を訪れた西田はそこに残された言葉の思念が漂っていることを認識する。「真に情念の込められた言葉」はある種の波動を伴って一定期間のあいだ世界に浮遊する。それを井戸にひとつひとつ拾い集め、恒星の光との反射波で振幅が最大化させる作業を西田は始めた。
文字数:1251
内容に関するアピール
七夕における年にたった一度の織姫と彦星との再会は必ずしもその履行を保障されておらず、雨や月明かりによって簡単に阻まれてしまうことの方が多いです。なぜ二人は滅多に会えないのか、それはとても儚く理不尽なことなのだけれど、世界というものは大抵は理不尽に満ちておりそこに理由などありません。けれども今回はそこに「勤勉さを忘れた罪」に対する償いの不足、という理由づけをしました。そして「勤勉」とは機織りや牛飼いといった純粋労働としての意味ではなく、「世界にあるもの」に対して誠実に真摯に向き合うこととも仮定しました。そのために、今の日本に生を受けた人間として考え抜くべきと捉える主題を幾つか直接的に物語に加えました。
「中世の日本には星を美しく見るためにデザインされた道や施設、山河の設計が数多くある」その知見を基に、夜空にきらめく星々の息吹が感じられる物語を書きます。
文字数:381