梗 概
Fun to drive
人々がどこへ行くにも歩いて移動するしかない町で、年老いた父親と二人で暮らすノイは、祖父から受け継いだ職業である「ドライバー」として、細々とした生活必需品を近隣の町の配給所へと運送していた。
ノイは会社の車から貴重品であるガソリンを少量抜いてはジャンク屋の親爺に売り小銭を稼いでいた。自転車を買って、話でしか聞いたことのない祖父の時代に築いたという堤防を見に行きたかった。そして叶うならば堤防の向こうに広がっているはずの海も見てみたかった。海という言葉は祖父が遺した紙の辞書で知った。
ある日、ジャンク屋の親爺から仕事を持ちかけられる。少女カラを堤防まで送り届ければまとまった報酬をくれるという。カラを養女にしたい夫婦がそこで待っているという。貧しいこの町では気にとめる者もいなかったが、出生率は低下の一途をたどっていた。
堤防までの移動手段にと親爺が引っ張りだしてきたのは二輪のオフローダーだった。左足でギアチャンジをしながら速度をあげていくこの乗り物を乗りこなすために、ノイは久しぶりに有料ネットワークにアクセスして、そこが以前と様変わりしていることに驚く。情報は日々上書き更新され、アップデートという名の過去の抹消が行われていた。堤防を築くきっかけとなった街を襲ったTUNAMIについての記録はみつからず、ノイは堤防を築いた目的に疑問を抱きつつ堤防に向かう。
堤防は想像をはるかに超えた高い壁だった。待っていた男女に胡散臭さを感じカラを引き渡す気になれなかったノイは、カラを連れ堤防を離れようとするが、突然堤防の上から降下してきた男たちに襲われ、銃口を突きつけられる。死を覚悟した時、ナイフを手にしたカラが叫んだ。「その人を撃ったら私もここで死ぬわよ。いいの、私はドリーマーよ」ドリーマーは受胎能力を失っていない女性のことだ。
男たちの一瞬のスキを突き、夫婦の車を奪い逃げる。堤防は中心部から離れるに従いだんだんに低くなり粗雑な作りになっていった。カラの話から、彼女を養女にしたいといった夫婦は、カラに夫の子どもを生ませようとしていたのだと気づく。
いったいあの夫婦や男たちはどこから来たのか。そして、ドリーマーたちはどこへ連れて行かれているのか。
ついに二人は堤防が崩れている場所にたどり着く。念願の海を見ることができると思った二人がそこから見たものは、考えてもいなかったものだった。
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内容に関するアピール
主人公は祖父の遺した紙の辞書で「ドライブ」という言葉をみつけ、かつては無目的な走行が娯楽であったことに驚きます。あたりまえですが、紙の辞書は更新されず古い言葉がそのまま残っていきます。そのことに魅力を感じながら、同時に新しい言葉を追加したくなったときにはどうしていたのだろうかと不思議に思うていどに、紙の本のことは忘れ去られている……これは、そんな近未来の話です。
かつて、幼い私は、アームストロング船長の月面着陸に心躍らせ、宇宙旅行へ行く自分を夢見ていました。当時、科学への信頼はゆるぎがなく、科学が発達すれば人類は不幸になることはないと信じていました。
けれども、人間はそんなふうに単純に未来に向かわなかったようで、科学は集団化した暗愚には勝てそうもないなというのが、大人になった私の感想です。
「集団化した暗愚によって、人々は様々なラインで分断され、未来は劣化していく」
けれども、そんな未来にもちょっとした希望は欲しいよね、と思っています。
特異点など存在しない、現在と切れ目なくだらだらと地続きの未来で出会った、産める女カラと産めない女ノイの旅を楽しみにしてください。
文字数:484