新芸術校 その可能性の中心

新芸術校 その可能性の中心

去る2020312日、ゲンロンカオスラウンジ 新芸術校第5期最終選抜成果展「プレイルーム」と裏成果展「裏庭バロック」がゲンロンカフェおよびゲンロン カオス*ラウンジ 五反田アトリエにてそれぞれ開催された。前者は、新芸術校の受講生が4つのグループに分かれて催したグループ展より2名ずつ選定され、さらにそこへ敗者復活プレゼンを経て加わった3名の計11名の作家の作品を、主任講師の黒瀬陽平が中心となってキュレーションするという展示である。一方、後者は成果展に出展しない受講生ら有志10名によるグループ展である。

これら両展示に共通して見られる特徴としては、何より出展作品の私小説性の高さがあげられる。このことは、これまでも新芸術校において再三再四指摘されてきた。例えば、本校の卒業生で最も活躍している作家の一人、弓指寛治が金賞を受賞した第1期においても、成果展審査員であった浅田彰は弓指が自らの母の自死をテーマとした作品を制作し、また和田唯奈をはじめとする他の受講生がこの事態に少なくない影響を受けた作品を発表している状況に対して、「誰が死んだとかは本来アートには関係ない」と批判的な見解を述べていた。そして、それは今回の成果展においても、審査員のやなぎみわからは、かつて震災前に多くの合評会で見られた様な「トラウマ合戦の再来」を危惧する旨が表明され、また同様に審査員であった田中功起からは「他者へ向かうベクトルが不在」との苦言が呈されるかたちで再現されている。

では、そもそもこうした状況は不可避な必然であったのであろうか。講評会においても、こうした私小説生の高さは新芸術校主任講師である黒瀬陽平の指導方針の影響が大きいのではないかと指摘されていたが、その場で黒瀬が反論していたとおり、明らかに私小説性を前面化する様な指導があったわけではない。それは単に、黒瀬が重視する作品の評価ポイントとして、表面的な完成度以上に、個人的な動機の強さに重きを置く傾向があったからであり、それが受講生においては個人的なものへの表出に向かいがちであるに過ぎないのである。そもそも黒瀬が代表をつとめるアート・コレクティブであるカオス*ラウンジの作品に対して、私小説的な傾向を積極的に読み解く批評は寡聞にして聞いたことがない。後述するように、カオス*ラウンジは今日の日本を代表するポストインターネット・アートの騎手としての評価が一般的である。つまり、新芸術校において受講生がコンセプトの面で黒瀬の影響を受けることが、すなわち私小説的な作風になることに直結するわけでは無いはずなのだ。むしろ、筆者は私小説性とは異なる別の萌芽が今回の裏成果展「裏庭バロック」において芽吹く可能性があったことに注目を促したい。そこには、これまであまり指摘されてこなかった可能性を見出すことができる。本稿では、かかる観点からカオス*ラウンジの近年の展示コンセプトの特徴を読解した上で、それと接続するはずであった新芸術校のもう一つの回路の可能性についての検討を行う。

今日、カオス*ラウンジは日本におけるポストインターネット・アートに括られて語られることが多い。しかし、筆者はそうした分類について常々不満をおぼえてきた。というのも、2015年に黒瀬陽平のキュレーションによって開催された「市街劇 怒りの日」展を契機として、カオス*ラウンジには「民族誌的転回(ethnographic/folkloric turn)」があったと考えているからである。

まずそもそも「民族誌的転回」とは何か。これは、アーティストが作品制作にあたって、民俗学者の様に土地の歴史や風俗を調査した上でこれを行う傾向を指す。元来、現代美術は都市文化と親和的な存在であった一方で、民俗学が研究の対象としてきた土着的なものは遠ざけるきらいがあった。しかし20世期後半になると、ポストコロニアリズムの台頭とその影響を受けたティム・インゴルドやアルフレッド・ジェルら文化人類学者たちの研究成果もあって、美術においてもコンセプチュアルなものを前衛とする潮流から、ヴァナキュラーを対象としたものが徐々に存在感を高めていく。

他方、日本における「民族誌的転回」は西欧のそれとは異なる状況にその端緒がある。それはまず、1930年代の柳田國男に見出すことができる。柳田は「普通人」や「無名の常民」の芸術活動を研究する意義をその著書『民間伝承論』でとなえたが、そうした主張は戦後も鶴見俊輔の「限界芸術論」に踏襲されていく。また、岡本太郎の対極主義や縄文論も両者とは異なる手つきではあるが、日本におけるこうした系譜の一つに加えることが可能かもしれない。

さらに、ここで忘れてはならないのが石子順造の存在であろう。石子は、作家性に還元できない匿名性や純粋な視覚的悦楽(彼の表現にならうと「あらわれ」)を重視した美術批評家である。石子には例えば、日本各地の寺を回って収集した膨大な小絵馬の写真を編んだ『小絵馬図譜 封じこめられた民衆の祈り』という著作がある。ここに収められた小絵馬は、無名の民が日常から紡ぎ出した小さな願いの束であり、やがて朽ちて形も失われていく一瞬の存在でしかない。だが、石子はこれまで美術の対象として省みられることが無かったこの様な対象を、美術以前からあった「あらわれ」として批評していく。そして、そうしたアプローチのすえに石子は作り手すら不在の丸石神へたどり着き、ついには作家性や収蔵・保存といった制度からも離れた場所を目指し始める。これは近年の研究では、石子も携わった「トリックス・アンド・ヴィジョン 盗まれた眼」展がその誕生を用意したと言われる「もの派」が、近代の諸制度に組み込まれていった歴史とは対照的である(以上の石子順造解釈は椹木野衣の論稿から示唆を得ている)。つまり、欧米における「民族誌的転回」が、かつて自分たちが歩んできた(そしてその残滓が現在もあちらこちらで見ることができる)帝国主義と植民地支配への内省であったのとは異なり、日本においては西欧の思考枠組みから自由でありたいという所謂「近代の超克」への欲望が起源であったのである。

ここで再びカオス*ラウンジに視点を戻してみたい。確かに、「破滅*ラウンジ」展から「キャラクラッシュ!」展の頃のカオス*ラウンジは、ニコニコ動画やpixivといった日本のオタク/ネット文化を主に参照する作品を制作するコレクティブであった。それに変化が見られるようになってきたのは東日本大震災を経て少し経った頃からであろうか。黒瀬の関心が、彼らが耽溺してきたオタク/ネット文化そのものから、それを成立させてきた歴史へと移っていった。その変化は『ゲンロン観光地化メルマガ』で連載されていた黒瀬の「311後の東北アート 『祈りのかたち』を探して」からうかがい知ることができる。この連載で彼らは実際、山形やいわきの様々な寺社仏閣をめぐっている。

そうした黒瀬の歴史への傾倒が初めて強く打ち出されたのは、福島県いわき市で開催された「市街劇 怒りの日」展である。この展示は、キュレーターを務めた黒瀬と参加作家がいわきに何度も訪れ、事前リサーチを徹底的に行った末に催されている点が従来のカオス*ラウンジの展示とは大きく異なる。こうしたアプローチを黒瀬は、「震災後の時代」が忘却とともに強制終了される中で現代美術が「政治化」という均質化に対抗するための有効な手段として位置付けている。それは黒瀬にとって、西欧近代を支えてきた諸価値が「ポスト真実」という現象の前で無効化されていくという事態を、「この国に固有の問題」から美術を立ち上げ直すことで「ポスト真実」の時代における普遍的な美術の価値を取り戻すことを意味している。つまり、それが黒瀬における「近代の超克」なのだ。

では、こうしたカオス*ラウンジの「民族誌的転回」は、新芸術校第5期の受講生にどのような影響を与えているのであろうか。筆者は裏成果展である「裏庭バロック」展の出展作家でもある神尾篤史にその契機を見たい。神尾はグループCの『おどりじ 々々々』展において「第2回 片田舎凡芸術協会展」という作品を展示していた。これは神尾が一人で構成するアーティストコレクティブ片田舎凡芸術協会の地元の公共施設で開催された個展という体裁をとったインスタレーションである。神尾は福島市の出身で新芸術校には新幹線で通学していたのだが、この作品では、彼のような地方在住者から見た東京(とその現代美術シーン)への羨望と嫉妬が、多数の平面作品として表現されていた。こうした背景にある都市と地方の格差現象は、いうまでもなく米国においてトランプ大統領を誕生させた所謂ラストベルトを取り巻く問題とも通底しており、争点をポリティカル・コレクトネスと経済的包摂の二項対立に収斂させることで民主主義を不安定化させていると言われる。神尾の作品は、こうした時代の空気を凝縮しており、これまでの新芸術校の受講生の作品と比較しても異彩を放っていた。

この神尾が今回、裏成果展で展示したのは3枚の平面作品である。これらを彼は「資本主義風景画」と呼ぶ。2枚は商業ポスターを模した山に囲まれた街並み、もう1枚は地元のラブホテルのキャラクターである「ぴんくごじら」が摩天楼に屹立する姿を描いている。筆者は残念ながら神尾から直接、これらの作品に関する解説を聴く機会を得られなかった。だが、成果展への敗者復活戦での彼のプレゼンから想像するに、マーク・フィッシャーが「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」と述べたような「資本主義リアリズム」状況の中で閉塞する地方の姿を描くという行為を通して、それを相対化しようと試みたのだという印象を受けている。ここに、「近代の超克」への欲望を見出すことができると考える。前回の展示よりも作品規模が縮小し、大型のインスタレーション作品に囲まれてそのインパクトが埋没してしまった点は残念ではあるが、前述したような、私小説性が高いと言われる新芸術校の受講生による作品群において、神尾の作品は現在のカオス*ラウンジに接続する可能性を有しており、このことは新芸術校においても自分語りという回路を経由せずに普遍性に到達する可能性が確保されていた証左であると指摘しておきたい。

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